七月三十一日。
「パスポートは持った。デッキ、デュエルディスク、着替え、その他諸々の旅支度も持った」
あと必要なのは何だったか。己で作ったチェックリストの項目と実際の旅行鞄の中身を見比べ、確認漏れがないことを確認し、和輝はよしと満足げに頷いた。
「旅支度か。人間は相変わらず、身一つで行くってわけにはいかないねー」
和輝の旅支度を見守っていたロキが、にこやかに笑いながら言う。
「まーそう言う人もいるかもしれねーけどな。俺ら一般人的感性だと、旅の準備は重要だ。それに、今回俺も
「前から気になっていたけど、和輝。君の今の両親って、どんな人なの? この前の手紙見る限り、結構愉快な人みたいだけど」
「エキセントリックだよ。有能だけどな。頭脳も。だからロンドンの大学で教授なんてやってる。しかも、大学側に乞われての登用だ。本当は結構前から呼ばれていたらしいんだけど、俺と綺羅が中学を卒業するまでは待ってくれって、言ってあったんだよ。
あと、生活力が零どころかマイナスだ。なんで自分の洗濯物も洗えないんだか。だから
ついでに、二人とも四十超えてるんだけど、まーだ新婚当時みたいに
「はは。なかなかユニークな両親みたいだね」
なかなかぼろくそに言っているようだが、それでも和輝の声音に侮蔑の色はない。寧ろ――――
「好きなんだ、その両親が」
「さて、見解の相違かもしれないぞ」
言いながらも、和輝の表情は穏やかだ。
「まぁ、感謝してるよ。あの人達は、七年前に何もかも失った俺に、もう一度家族をくれた。―――――ぬくもりを、くれた」
それっきり、和輝は「話は終わりだ。明日速いから、もう寝る」と言って、電気を消してしまった。
だがロキは見た。両親への感謝を漏らしたその頬は、気恥ずかしさで赤くなっていたことに。
「君もたいがい、素直じゃないねー」
肩をすくめて苦笑して、ロキは実体化を解いた。
◆◆◆◆◆◆
そして、翌八月一日。和輝たちは晴れてイギリスの地を踏んでいた。
空港から電車に乗り換えて、四苦八苦しながらもロンドンへ。
「はー、つきましたよ兄さん!」
「ああ、ついたな」
初めての海外旅行に興奮気味の綺羅は、テンション高めで――そしてどこか子供っぽく――ぴょんぴょん跳ねながら和輝の数歩前を行く。もっとも、和輝にしてみても、平静を装っているようで、実際は綺羅と同じく初めての海外旅行に、どこか浮足立っているのは否めない。
「おーい綺羅。あまりはしゃぐな。まずは養母さんがいるはずの、二人の住まいの番地を確認して、あらかじめ連絡をしてだな――――」
はしゃぐ義妹を諫めるようにそう言う和輝。だが内心、やはりどこか落ち着かない。
久しぶりに会う両親に対して、若干の照れがあるのか、それとも、両親に会いに行くというのは口実で、本当の目的は別にあることか。
以前の養父からの手紙にあった言葉。
――――夏休みに入ったから一度、クリノのところに行きなさい。君は何でもないと思っていても、過去の記憶は嫌でも現在を侵略していく。防壁を築くのを忘れてはならない。いずれ対決する時のために。
これについては和輝自身、感じていたことだ。
七年前の東京大火災。あの炎に包まれた地獄から生還してから、和輝の脳裏に、危機に陥れば消えてくる怪物の声。
当然、幼い和輝は預けられた孤児院にいた大人たちに、そして岡崎家に引き取られてからは両親に、その怪物について怯えながら説明した。
施設の大人たちは困惑した。だが、預けられた先の両親は、幼い和輝の話に首肯し、そして、あるいとこのところに連れて言った。
クリノ・マクベス。今はイギリス、ウェールズ州の森の中に滞在している、養父、岡崎
ゆえに、正晴は新しく家族に迎え入れた和輝を、友人と合わせた。
和輝が今、こうしてまっとうに生活で来ているのは、ここでのクリノとの
怪物の話を聞いてはいけない。けれど完全に無視してもいけない。いつか対決しなくてはならない。かつて言われた言葉。和輝も、そのいつかがくることは覚悟していた。
「兄さん?」
表情が深刻になりすぎていたのか、それとも自分とのテンションの落差に訝しんだのか、綺羅がこちらの顔を覗き込んでいた。和輝は正気に戻り、胸のうちに一瞬膨らんだ不安を打ち消す。
「どうしました? なにか、悩みごとでも?」
「いや。何でもない。それよりまずは母さんのところに行こう。で、荷物を置いて来ようぜ」
「あ、それには賛成です。えっと番地は――――」
うまくごまかせただろうか? 内心をひた隠しにして、和輝は生真面目にきょろきょろと周りを見渡す義妹の後についていった。
しばらくして、和輝たちは目的の番地についた。ここに今、両親は暮らしているはずである。
「ここ、ですね」
ロンドンは昔ながらの古く、趣のある住居の列に加え、押し寄せた近代化の波によって高層ビルも立ち並ぶようになってきている。
とはいえ、和輝たちが訪れたのはそのような近代化の波とは無縁の、住人よりも歴史のある建物が立ち並ぶ住宅街であった。
もっとも、周囲と似たり寄ったりの形、色彩の中、表札にはっきりと「岡崎家」と漢字で刻まれているので、見間違えようがないが。
呼び鈴を鳴らす。しばらく待つ。すると、
「はーい」
間延びした声が返ってきた。がちゃりと玄関扉が開かれると、中から出てきたのはイギリス、ロンドンという街に不釣り合いな格好をした女性だった。
着物姿である。
長い黒髪、長い睫毛、深い黒瞳と、純和風な大和撫子美人な彼女には、藍色の留袖の着物はよく似合っている。余計な装飾はなく、私用の簡素な着物姿だった。
何より、若い。きめ細かな肌、枝毛のない黒髪、さらに本人の上品で、それでいてどこか寛容的な雰囲気が、彼女を実年齢以上に若く見せている。
岡崎
「あら! あらあらまぁまぁ!」
玄関を開き、和輝たちを確認した母、正美はパンと手を叩いて、満面の笑みでにじり寄ってきて、綺羅を抱きしめた。
「綺羅ちゃんに和輝さんじゃないですかぁ。久しぶりですねぇ。本当に。あー、いい匂いだわぁ。ちゃんと体のお手入れは欠かしちゃダメですよ? 女の子なんだから」
ぎゅっと綺羅を抱きしめて、うふふと笑う養母の姿を横目にしながら、和輝はさりげなく距離をとった。
この母親は間違いなく善性の人間で、養子の和輝も、実子の綺羅も分け隔てなく愛してくれてる。
いや、溺愛しているといってもいい。夫についてイギリスに行くことを承諾したものの、最後まで子供たちとの別れも惜しんでいた。
そして、この態度もまた、年齢不相応に若々しい。
「あ、あの、母さん。まだ、ドアも閉めていませんし……、その、苦しいです……」
まるで大きめのぬいぐるみのように抱きしめられた綺羅は困惑顔のまま母の背をポンポン叩いて離してくれとアピール。
「あら、ごめんなさい綺羅ちゃん。つい嬉しくって――――」
「とりあえず、中に入ってもいいかな? 俺も綺羅も、荷物を置きたいんだけど――――」
「まぁ! まぁまぁ和輝さん。貴男もまた逞しくなって――――」
「一年と少ししかたってないよ」
言いながら、和輝は自分も抱きしめようとしてくる正美の手からするりと逃れる。
「まぁ! 和輝さん、どうして逃げるの?」
「照れくさいからだよ」
ささっと距離をとる和輝。そんな息子に不満顔な母はおいておいて、和輝はさっさと家の中に入って荷物を置いていく。
「親父は?」
「
パンと手を叩いて、正美はウキウキ顔でキッチンまで引っ込んでいく。綺羅が「手伝います」とその後を追っていく。
母子の後姿を目で追いながら、和輝は自分も手伝おうかと思い、後を追おうとする。
と、何かに気づいたのか、正美がくるりと反転。和輝に向かって数歩歩み寄った。
「じー」
「な、何?」
わざわざ「じー」と声に出してこっちを見つめてくる正美に、和輝はたじろいだ。
「何か、悩みごと?」
「!」
綺羅もそうだが、やけに勘が鋭い。もしかしたら自分は意外と顔に出やすいのだろうかと、そう考える和輝。
「和輝さん。何か、
「そんな、ことはないよ」
嘘だった。見破られていることもわかったが、しかし言えない。
神々の戦争のことも。そして、
そう、和輝は六道を恐れている。あの戦いで、歯が立たなかった自分を歯痒く思っている。強くなろうと誓い、どうすれば強くなれるか考えた。
だが答えは見つからない。戦術で上を行かれている以上、やはり自分の
いずれにしても答えの出ない問題に、悩んでいたのは事実だった。
正美は尚をも和輝をじーっと見つめ。
「そうですか。貴男がいうなら、母は何も言いません。ああ、そうだ」
パンと、またしても手を叩いて、正美は和輝に向き直った。
「でしたら和輝さん。夕食までまだまだ間もありますし、ロンドンの街を見て回ったらどうかしら? それで、適当な時間に正晴さんの大学に、あの人を迎えに行ってほしいの」
気遣われていることは分かった。正美は母として、息子の悩みを自分では解決できないと悟った。だから、攻めて気分転換だけでもと、そう思ったのだ。
(ここはお言葉に甘えなよ、和輝。最近の君は、ちょっと塞ぎ過ぎている)
声なきロキの声が脳裏に響く。
各人の気遣いに感謝しながら、和輝は母の提案を受け入れた。
「で、まぁ出てきたはいいけどよ」
「どこに行こうか、迷っていると」
傍らに実体化したロキを置いて、和輝は手持無沙汰になっていた。何しろ、観光と言ってもどこを回ったらいいか、逆にわからないのだ。
「ロンドン名所といえば、やっぱり歴史ある建物がいいかな。まずは筆頭、ビッグベン。それからバッキンガム宮殿にタワーブリッジ――別に技名じゃないよ?――。ウェントミンスター寺院にロンドン塔。選り取り見取りだね。ちなみに、ボクの力を持ってすれば瞬間移動で一日のうちに全部回れるよ?」
「歴史的建造物、か。俺はそれよりカードショップに行きたいな。いや、ビッグベンとか、バッキンガム宮殿とか、興味がないわけじゃないが――――」
その時、和輝の耳朶を女の悲鳴が打った。
「!」
悲鳴に反応し、和輝が視線を飛ばした先には、日本人観光客の女性が下げていたバッグを奪うひったくりの姿。
「待ちやがれ!」
和輝の反応は素早かった。即座に踵を返して疾走開始。ひったくりに向かって走る。
「……!」
追う和輝に気づいたひったくりは、速度を速めた。速い。というより、遠い。気づいたはいいが、追うにしては和輝とひったくりとの間の距離は開きすぎてた。
「やべぇ、このままじゃ逃げられる!」
「和輝、ボクが――――」
魔術で捕まえよう。ロキはそう言いたかったのだろう。一般人の衆目の前だろうと、彼の技量を持ってすれば偶然――たまたまひったくりが転ぶなど――で済ませられる。
「そうか、じゃあ頼む!」
「承知」
今にもロキが魔術を発動させようとしたその直前、ひったくりの真横から割って入る影があった。
「そこまでよ!」
影はそのまま、それはそれは見事な飛び蹴りを披露し、ひったくりに直撃。ひったくりは悲鳴を上げて倒れこんだ。
「あれは……」
ひったくりを打ちのめし、バッグを取り返したのは、和輝も知っている人物だった。
背中にかかるかかからないかくらいの薄茶色のポニーテール、青みがかった瞳、左脚部だけ大胆にカットしたジーンズ姿のおかげで、彼女の女性らしい体つきと健康的な色気が彼女自身の自信と共に
「あれ? 誰かと思ったら、和輝君?」
「
彼女こそは、かつて戦い、救い、そして和解した神々の戦争の参加者。ギリシャ神話の戦女神、アテナと契約を交わした少女、
結局。和輝と咲夜は二人して奪い返したバッグを被害者女性に返し、犯人を警察に引き渡した。
「いや、ほんと久しぶり。偶然だね」
「確かに。そうか、咲夜さんは全英大会の予選に出るためにここに来たんだ」
「そっ。全日大会はなんだかんだあって出られなかったからね。ここでリベンジよ」
話す咲夜の表情は溌剌としていて、まさに太陽のような正の気に溢れている。
これこそが、国守咲夜の本当の姿なのだろう。以前あった時、彼女はアレスとエリスからの必要な攻撃に晒されて、焦燥とすり減らされる神経から、かなり参っていた。全日大会に出場できなかったのもそのためだ。追手から逃れるために、彼女は予選出場をキャンセルした。
笑う咲夜を見て、改めて和輝は思う。彼女からそんな怯えを取り除けて良かったと。
「今度の咲夜はすごいぞ。調子が右肩上がりだからな。本戦出場は確実だろう」
と、そんな二人の間に、新たな声が上がった。
幼い声だった。というより、子供の声だ。視線を向ければ、いたのはやはり子供。
ウェーブのかかった赤髪、雪のように穢れを知らぬ白肌、黄金色の瞳、小柄な体は花柄のワンピースに包んでいる。
未成熟ながらも開花前から美しさが窺える花の
咲夜と契約した神、アテナであった。
「おやアテナ。その姿ということは、まだ君の呪いは解かれていないのか」
和輝の隣で実体化していたロキが言う。そう、アテナは本来子供の女神ではない。本当の姿は咲夜を超えるプロポーションの美女だ。
だが彼女は、神々の戦争本戦開始時、人界に降り立つ直前に奇襲を受け、その際に掛けられた呪いによって子供の姿にされてしまったのだ。この呪いは、かけた本人を倒さなければ解呪されない。
「ああ、クロノス。いまだ影も形も見えぬ」
「襲撃とかはあったのかい?」
「いや、アレスたちの一件以来、我々は神と戦っていない。その手のものと思われる奴とも会わなかった」
「ふむ。あれ以来襲撃はぱったりとやんだ、か。クロノス側も、手駒がなくなったのかな?」
ロキは顎に指をあて、何か考え込む仕草をした。
「なるほどね。まぁしかし、君たちに危険がないならそれでいいさ」
「そうだな。それに何かあったら言ってくれ。必ず駆けつけるから」
「あ、それはあたしの台詞。メールでもいったでしょ?」
にやりと笑って見せる和輝に対し、ニコリと咲夜が笑う。陽光のように輝いた笑みだった。
「…………」
ちょっと見惚れる和輝。
「あ、そうだ」
そしてふと思いだす。ここで咲夜にあえたのは偶然だが、そう言えば肝心なことを言っていなかったと。
「咲夜さん、Bランク昇格おめでとう」
アレスたちの一件以来、咲夜は調子を取り戻し、連戦連勝。そしてつい先日、昇格試験を無事クリアし、Bランクプロにまで上り詰めたのだ。これでまた、彼女は雑誌に取り上げられるだろう。
「あ、ありがと」
素直な賞賛の言葉に照れるように、うつむき加減になる咲夜。
すかさずロキが言う。「じゃあ、何かお祝いでもしようか」
「えぇ!?」
予期せぬ提案に驚く咲夜。アテナはふむと頷き、
「ロキよ、お前がそのようなことを言うとはな」
「いやぁ、こうして戦いを通して友情を交わし合った二人だ。それくらいはしてもいいそれに、やっぱりなしえた結果には報奨が必要だろ?」
言うロキには当然別の思惑もあった。
何しろ最近の和輝は明らかに浮ついている。心ここにあらず、だ。家族にも気取られるほどに、
そんな状態で、ここで咲夜と会えたのは僥倖だ。何しろ和輝は彼女のファンなのだ。そして咲夜の方も和輝のことは決して憎からず思っているのが分かっていた。
だからこそ、こうしてデートでもさせれば、和輝にとってもいい気晴らしになってくれる。少なくとも一人と一柱、男だけでロンドンをめぐるよりはいいはずだ。
「報奨か。まぁでも、ここであったのも何かの縁。咲夜さん、何かしてほしいことあるかな? ……その、できればお手柔らかにお願いしたいけど」
頬を掻きながら、和輝は最後だけ若干弱気に、だがロキの提案を積極的に受け入れた。
「そっ。そういうことなら、有り難く好意に甘えようかな」
「ッ!?」
言って、咲夜は和輝の腕を組む。いきなりかかってきた咲夜の体重と、腕にかかる体の柔らかさに、和輝の心拍数は跳ね上がった。特に、咲夜の胸が当たっているのがさらに落ち着かなくさせる。
(う、うぉぉ……。ぐ、グレートですよ、こいつぁ……)
降ってわいた幸運が和輝の思考を知っちゃかめっちゃかにする。
「むむ」
和輝のヨコシマな考えを電波的直感で受け取ったのか、アテナが渋い表情をするが、ロキがまぁまぁと手で彼女を抑える。
「じゃ、和輝君。あたしのショッピングにつき合ってよ。予選は明日からだから、あたし今日はオフなの。マネージャーも撒いてきたし、今日一日、付き合ってよ」
咲夜の体温を感じる。そして、呼吸も。息が耳にかかってくすぐったい。この時、和輝の脳裏には大学の養父のことは完全に消し飛んでいた。
「あ、ああ。お安い御用だ」
まだビートを刻む心臓を意識しながら、和輝はそう答えた。