死が迫ってくる。最初に抱いたのはそういう感想だった。
「――――――! ――――――! ――――――――――――!!」
言葉が声にならない。絶叫に邪魔をされて、何も口にできない。
眼前に広がっている死、死、死―――――。
皆死んでしまった。メイドも執事も、庭師も護衛者も分け隔てなく。あの目で一睨みされただけで!
「あ……あぁ……」
ようやく声が出た。が、今度もまた言葉にはならなかった。
別荘はすでに死で覆われた。夥しい数の死がこの屋敷を覆ってしまった。
逃げなければならない。逃げなければ。ああしかし、お父様は無事だろうか? 幼いころから一緒だった、世話係のファティマは? はぐれてしまった。探さなければ。そして、一緒に逃げなければ。
「違う。それは違う。父を、友を探すのはいい。だが逃げてはならない。戦わなければ。あの邪悪を打ち倒さなければならない!」
無理。無理無理無理! そんなことできるわけない! だって自分はただのちょっと変わっただけの人間で、あんな怪物を相手になんかできない!
「違う。君は力を持っている。あの邪悪を打ち滅ぼせる力を!」
無理! だって力を持っているのは自分じゃない。望まぬうちに契約を結んだ、さっきから
「エーデルワイス……!」
忸怩たる思いが滲み出る口調で、神が自分の名を口にした。
後悔、そして謝罪の念がこもっているのが、声音から分かった。
「わたし、は……、私はぁ……!」
戦うのが嫌だった。戦いたくなんてなかった。故郷のアイルランドで、人里から離れたあの森の中で、動物と草木に囲まれて、お父様の仕事を継げればそれでよかった。ファティマと一緒に、あの領地を守れればそれでよかったのに。
何もかもめちゃくちゃになった。この身に神の血が流れていたばかりに。その血を憎む邪神に目をつけられたばっかりに!
「すまない、エーデルワイス。だが、私が契約するしないに関わらず、奴は必ず君の命を狙うだろう」
神の言葉に何か反論しようとした時、
「どぉぉぉこに行こうっていうんだぁ? エェェェェデルワァァァァイス! エーデルワイス・ルー・コナァァァァァァ!」
ことさらこちらに恐怖を与えようというのか、その男の声は地の底から響くように深くて恐ろしく、這い上がる蟲の大群のようにおぞましい。
死に満ちた闇の奥から現れたのは、一人の男。
年齢は四十代の半ば。豊かな波打つ黒髪、豊かな黒髭、中世の貴族を思わせる黒に金の縁取り、銀の刺繍がなされた狩猟服姿。そして血のように禍々しく、妖しく輝く赤い瞳。
「叔父……さん……」
震える自分の声を聴きつけたのか、そいつがにやりと笑った。
「そぉだよエェェェェデルワァァァァイス。貴様の叔父だ。それが
「ひ―――――!」
「バロール!」
怒りを滲ませた声で、傍らの神が前に出る。
「ルー。貴様も哀れだなぁ。せっかく己の血を分け与えた人間の一族を育てていたというのに、貴様と最も波長が合った血族が、よりにもよってそのような非戦主義者だとは」
邪神、バロールの声音が変化する。ただただ
「だが報いだ。かつて、我が血を引きながら、母に唆されるがまま、この命を奪ったな!」
ざわりと、バロールの背後の空間が歪む。
まるで瞼のような形をした亀裂が空間に走る。否、それは空間の亀裂ではなく、真実、瞼だった。
無数の闇がバロールの背後に集まる。亀裂を中心に闇が
「見るな!」
ルーが自分の目線を遮るように前に出た。次の瞬間、何が起こったのかわからない。分かったのは、ルーの苦痛に満ちた声。そして、
「エーデル様!」
ずっと隠れて機を窺っていたのか、背後の扉から飛び出してきた何者かが、自分の腰を掴んで引き上げたこと。いつの間にか、腰を抜かしていたらしい。
「ファティマ! エーデルワイスを連れていけ!」
「御意!」
苦痛にこらえるルーの命令が、自分の腰に手を回しているのがファティマだと伝えた。
「エーデル様、失礼!」
「ファティマ。お父様は? お父様を探さないと!」
とっさに口から出た質問だったが、ファティマは歯を食い縛るような表情を浮かべただけで答えてくれない。
だが、ああ、それだけでわかってしまった。お父様がどうなったのかが。
「逃げるかルーよ! だが無駄だぞ。この屋敷から出られても、この森からは出られない! 我が配下が貴様らを屠るだろう! それがこの、この身体の願いでもあるのだよ、エーデルワイス!」
バロールの哄笑が響き渡る。その背後に、見た。闇から覗く、赤い、紅い、血色をした、死を齎す魔眼を!
そのあまりの恐ろしさ、おぞましさに、気が遠くなった。
「エーデル様! お気を確かに!」
自分を励ますファティマの声。ああ、やっぱり彼女は強いな、どうして私が、
◆◆◆◆◆◆
クリノの許に泊まった翌朝、目覚めてから、
身支度を整えた鼻孔を刺激する朝食の香り。
香りに誘われて、昨日、師であるクリノとお茶を飲んだ居間まで来てみれば、クリノが朝食を用意していた。
だが、その表情もまた、どこか固い。見れば、既に同席していたロキも、周囲に忙しなく気を配っているようであった。
「おはようございます、先生」
「おはよう、和輝。どうやら昨夜は夜更かしをしたようですね。もう九時近いですよ」
言われて気付いたが、テーブルの上に用意された朝食は一人分だ。どうやらクリノとロキはもう、食事を済ませていたらしい。
「すみません、先生」
謝罪して席につく。焼きたてのトーストにかぶりつく。うん、うまい。
「ところで、先生、ロキも。なんだか妙な感じなんですが」
この胸騒ぎは言葉にし難い。普通は伝わらないだろうが、幸いというべきか、目の前にいる一人と一柱は普通ではない。
「ええ。森がざわついています。これはおかしい。少なくとも、昨日、私が就寝するまではこんなことはありませんでした」
「森全体を邪気が覆っているよ。ふん、面白くない事態だ。和輝、どうやら、君が眠りこけている間に、ちょっと厄介な神が出現したようだ」
神の出現。その言葉に、和輝の表情が引き締まる。
「……神々の戦争の参加者が、ここに?」
「ほう、君が昨日言っていた、君たちの戦いのことですね、和輝」
穏やかな口調はそのままに、クリノの視線もまた、鋭くなった。
「神が何のために? まさか先生を―――――」
「いやぁ、ミスター・マクベスと契約を結ぼうとしてきた、とかじゃなさそうだね。確かに、彼は神の力を引いているみたいだけれど、それだけで契約をしに来るかは別だ。神の力を受け継いでいても、神と波長が合うとは限らない」
だが、こんな不安を煽るような気配を――ロキ風に言うならば、邪気を――放つ神が善なる神であるわけがない。
間違いなく、邪神の
「先生、俺、行ってきます」
さっさと朝食を胃の中に詰め込んで、和輝は立ち上がった。
「そうです、ね。これが君の戦いだというのなら、私は止めません。それに、この森の奥にはコナー家という、貴族の別荘があります。最近、そこに持ち主が滞在しているようなのです。彼らの身に何かあったのかもしれません」
「ならなおさら、放ってはおけません。行くぞ、ロキ」
「オーケイ、行こう」
立ち上がった和輝は一端デッキを取りに割り当てられた部屋に戻り、いつでも戦えるようにデュエルディスクを装着した。
「行ってきます、先生」
最後にもう一度、クリノ挨拶をして、和輝はロキを伴って外に飛び出していった。
「……神々の戦争、ですか」
一人取り残されたクリノは、ぽつりと呟いた。
「古の神々による代理戦争。ならば、かつてこの土地に居たと言われる、自然神たちもまた、参加しているのでしょうか?」
◆◆◆◆◆◆
「行け! ブラック・マジシャン、ブラック・マジシャン・ガール!」
和輝の命令が鬱蒼としたウェールズの森に響き渡る。
主の命令を受けて、魔術師の師弟がそれぞれの魔法を炸裂。黒い稲妻と、同じく黒い爆裂が混ざり合い、
「―――――――――!」
人間の可聴領域を超えた、獣とも、機械ともいえる甲高い断末魔の悲鳴が多く轟いた。
そいつは、無理矢理表現しようとすれば、人の形に近づけた山羊、だろうか。
ねじくれた二本の角を頭に生やし、全身は灰色の体毛でおおわれており、二足歩行を可能にしているが、指はなく、手足には蹄があった。
そして何よりも、人間にそっくりの形をした瞳。
そう、それは中途半端に人間に近づけ、人型にした山羊だった。
「何だこいつらは……」
倒れ伏した異形たちはそのまま死体をさらしたままだ。かつて戦った、ナイアルラトホテップの化身のように、泡のように、幻のように消えたりはしない。
「この前戦った化身とも違うし……」
「こいつらは……邪妖精フォーモリア。ナイアルラトホテップとは違い、とある神の眷属だ」
苦い表情のロキ。まさか眷属を生み出すような力を持っているやつがいるとはと、吐き捨てる。
「邪神の、か」
和輝の呟きに、ロキは首肯する。
「神の名前はバロール。見ただけで相手を殺す、という魔眼を持つ、やばい神さ。もっとも、神々の戦争の参加者に直接危害を加えることができない以上、その魔眼も和輝には通用しないけど」
和輝の表情は険しいままだ。確かに神は神々の戦争の参加者に直接危害を加えることはできない。
だがそれ以外の人間はその限りではないのだ。ここにはクリノがいる。見ただけで相手を殺せる、などという最上級に
「どこにいるか、分かるか?」
「それが、この森全体を覆っている邪気のせいで、神の気配を辿れない。言ってしまえば、この森全体から気配がする」
だとすれば、探し出すのは難しいかもしれない。
「じゃあ、神を探し出すのは無理か」
「けれど、手掛かりがないわけじゃないさ」
にこりと笑い、ロキは右手の人差し指を裂てた。
立てた指をくるりとまわし、
「フォーモリアたちと遭遇した時のこと、覚えてる? あいつら、二手に分かれたでしょ? ボクらに向かってくるチームと、どこかに向かったチーム。どうしてだと思う?」
少し考える和輝。応えはすぐに思いついた。
「伝令役か?」
「惜しい。あいつらは多分、何かを探していたんだと思うよ。偵察隊さ」
「偵察隊……」
「今の衝突はお互いにとって予想外だったと思うよ。予期せぬ遭遇戦だ、フォーモリア共も慌ててたからね。
さて、状況を整理しよう。今朝がたからこのウェールズの森を邪気が覆った。何のために? 邪神が現れたとしてもここまで力を誇示するとは思えない。ならばそうしなければならなかった理由があるはず。そして、部下のフォーモリアの存在だ」
「大昔ならいざ知らず、神々の戦争の期間中に、
「その通り」
生徒が正しい答えに行き着いた時の教師のように、ロキは頷いた。
「じゃあ、その別動隊を追えばいいのか? そうりゃあ、バロールのところに行けるヒントがあるかもしれねぇ」
「勿論、和輝が言ったように、あいつらが伝令役で
それはグッドアイディアだ。ただし問題がある。
「どうやって追うんだよ。この入り組んだ森の中で」
「その点は抜かりなし、さ」
言って、ロキはさっきからくるくるとまわしていた人差し指に注目させた。
「あ……」
いつの間にか、ロキの指先からは金色の光る光の糸が伸びていた。
「なんだそりゃ?」
「運命の赤い糸」
唐突に、気持ち悪いことを言いだした。
「ロキ、今真面目に聞いているんだが?」
「ごめんごめん。ちょっと君の緊張をほぐしてやろうと思ってね。変に気負ったら、これから大変だよ?
まぁ種明かしすると。離脱したフォーモリアたちにくっつけた追跡の魔法さ」
「つまり、これを辿っていけば――――」
「あいつらの目的地にたどり着けるってこと。どうする和輝? 行く?」
「当然だ」
即答する和輝。迷う理由などない。この森を覆う邪気の正体。知っていて、そして体感していてこれを見過ごしては、和輝が戦う意味がない。
「了解だ。行こう」
そして、和輝とロキは、邪気渦巻くウェールズの森に、本格的に踏み込んだのであった。