横浜中華街。
昼間でも人通りが途絶えることなく、常に往来が繰り返され、人々の生活感があふれかえっている繁華街。
それは夜になっても全く衰えることなく、むしろますます盛況さを増している。
特に今は夏休み期間の真っ最中。お盆も近く、休暇を取った社会人、絶賛夏休み中の学生も、中華街に繰り出している。
夜の中華街。行き交う往来。その中で、彼の姿はひときわ目立っていた。
二メートル近い体躯。それも縦だけでなく、横にも大きい、筋骨隆々とした体格。
黒の短髪、ダークグリーンの双眸は鋭い。特注の大柄の、黒地に金色の龍の刺繡が入った中華服を身にまとった姿は、見る物を威圧する一方、攻撃的な印象はない。幾年月風雨に晒されても揺らがない大樹の風情。
彼は目的地に向かって黙々と進む。
泰然とした姿勢のまま進んだ先は、一軒の中華料理店。
かなり大きな店舗で、手広く商売しているらしい。その分値段も高級だが、客のプライバシーを完全に保証する謳い文句もあり、企業関係者や、場合によっては官僚も利用することもある、らしい。
もっとも、烈震にとってそんな
入店すると、深いスリットの入ったチャイナドレスに身を包んだ女が寄ってきた。席の案内をしに来たのかもしれないが、手で制する。
「食事をしに来たわけではない。
ざわり。店内の、客以外の人間の雰囲気が一変した。女は硬い表情のまま「少々お待ちください」とややぎこちなく言って奥に引っ込んだ。
代わりに現れたのは、烈震と同じくらいの身長をした、黒服、サングラスの巨漢が三人。全員、大陸系の顔立ちだ。
男たちに促されて、店の奥へ。烈震を待っていたのは、殺気立った男たちの群。中には青龍刀やら拳銃なんかをこれ見よがしに持っている男もいた。
武器を持った男たちに囲まれて、入口の扉は閉められた。絶体絶命な状況で、面倒なことになったと、烈震は思った。
烈震の事情。彼が修羅場に訪れることになった理由を探るには、半日ほど時間を遡る必要がある。
その日、烈震が横浜、中華街を訪れたのは、旧知の人間に呼ばれたからだった。
雑踏をかき分けて、寂れた路地裏に入る。
居並ぶ中華料理店の狭間にある安アパート。その一室。今、尋ね人はそこにいるという。
彼女の実力と立ち回りならば、こんなところではなく、それこそ一軒家でも立てられそうだが、どうやらよっぽどのっぴきならない事情があるらしい。
アパートの一室。教えられた部屋番号を確認して、ノック。
返事はないがどうせ在宅中だ。鍵も開いていたのでさっさと中に入る。
「やぁ烈震。待っていたよ」
にやにやと口元に笑みを浮かべた女が一人、殺風景なリビングの真ん中で、パイプ椅子に座っていた。
長身だ。百八十センチ近い。すらりとしたモデル体型は美しい。
年齢は不詳。外見は二十代後半から三十代前半。ただ、彼女の外見年齢は十年くらい前から変わっていない。
墨を落としこんだようなショートの黒髪、猫の様な金色の瞳、深いスリットの入った、緑の短めのチャイナ服。胸は控えめだが全体的にほっそりとしており、やはり理想的な体型だろう。体のバランスがいいのだ。
いつも咥えている煙管を今日も持ち、椅子の上で足を組んでみせる。堂々とした姿でそうされると、安っぽいパイプ椅子が、まるで豪奢な玉座のように見えてくる。
妖艶なのに思慮深く、それでいて稚気に富んだチシャ猫の風情。
彼女の名前は李趙鮮。その昔、まだ赤ん坊だった烈震を拾い、ここまで育ててくれた人の一人。
烈震に武術を教えてくれた恩人であり、父親代わりだった師父が死んだ後も後見人となってくれた、女性。姉の様であり、母親のように思っている。もっとも、前者はともかく、後者は言った瞬間拳が飛んでくるが。
烈震は一礼し、
「お久しぶりです。趙鮮
「ああ。お前も壮健そうで何よりだ。烈震」
言って、女、趙鮮は立ち上がり、烈震を見つめる。
「相変わらず鍛錬を続けているな。酔狂なことだ。ここはもう、お前がいた中国の山奥ではないし、師父は鬼籍に入った。もう、お前を縛るものは何もないのに」
「武は
「…………そうか。難儀だなお前は。律義ともいうが。――――それにしても、神々の戦争は順調に生き残っているみたいじゃないか」
くつくつと笑う趙鮮。その視線が烈震から僅かにそれ、彼の背後を見据えている。
誰もいないはずの空間。だが声が聞こえた。烈震でも趙鮮でもない、三つめの声が。
「へぇ。オレのことが分かんのか」
「神の気は独特だ。目を凝らせばだいたいわかるさ」
声は虚空から。だがすぐにその主が実体化した。
濃い緑の髪に、金色の双眸。素肌の上に直接前の開いた黒のジャケットを羽織り、同じ色のズボン。どんな名刀をも凌駕するかのような鋭い眼差しに、いたずら小僧のような茶目っ気のある笑みを浮かべた口元。
烈震と契約を交わした神、北欧神話の雷神、トールである。
「おっかねぇ姉ちゃんだ。さすが、オマエを育てただけはあるな、烈震」
「ああ、そうだな。――――それで、小姐。要件は? よく考えれば、貴女がこんな殺風景なところにいるのはおかしい。享楽家で浪費家な貴女なら、もっと豪勢なマンションにでも住んでいるかと思いましたが」
「何気に言いたい放題言ってくれるな、烈震。だが聞き流してやろう」
そう言って、趙鮮は一端煙管を咥えた。
吐き出された紫煙が天井までのぼり、部屋の中に甘い匂いが漂う。
「実は今、金に困っていてね。色々あって、口座が凍結されたんだ」
「――――何をやらかしましたか」
烈震の表情が緊張で険しくなる。その様はさながら爆弾処理真っ最中の処理班か。
「そうだな。順を追って説明するよ。まず師父の葬儀を済ませた後、お前がトールと契約して――――」
「誰がそんな遡って説明しろと言いましたか。それから己と一緒に日本に渡って、己は星宮市に行った。で、貴女はふらりと消えた。それから?」
「冗談だよ。そんなカッカするなって。なんかいいことでもあったのか? まぁいい。それからまぁ、故郷の匂いのするここに来たのが三か月前。で、私はここで非合法の掛けデュエルで蓄えを持つことにした。
連戦連勝。それはもう気持ちいいくらいに勝ったんだが。いささか勝ちすぎた」
「……胴元に目をつけられましたか」と呆れ顔の烈震。
「その通りだ。悪いことに、掛けデュエルを取り仕切っていたのはここいら一帯を仕切るチャイニーズマフィア。名は奇龍。本国中国からこっちに進出してきたやり手さね」と、くつくつ笑う趙鮮。己の現状を真剣に受け止めてるとはとても思えない態度。そのまま話を続ける。
「で、まぁ勝ちすぎた私は警告を受けたわけだ。ほどほどに負けろと。冗談じゃないと突っぱねたら実力行使に出てきた。まぁ、拳銃持った男が何人いようが、物の数じゃないがね」
「すげー姉ちゃんだな」呆れ顔がトールにも伝染した。
「己も困っている」烈震は呆れを通り越して諦め顔だ。
「話を戻すぞ」趙鮮は子供のような仏頂面を作って続けた。
「結局ピストルマンたちはさっさと撃退したのだが、厄介なのがいてね。私は這う這うの体で逃げ出したわけだ」
「厄介な相手?」
烈震はそこで眉根を寄せた。彼は李趙鮮の武術の実力を知っている。何しろ、子供の頃から鍛錬で一度も有効打を浴びせたことがないのだ。
そんな彼女が逃げるので精いっぱいだった。少し前の烈震なら趙鮮の冗談か、どんな達人かと思うところだが今は違う。
烈震は知っている。世界には、人間では絶対に敵わない超常の存在があることを。
「まさか――――」烈震の反応に気をよくしたように、趙鮮は口角を笑みの形に吊り上げた。
「神だ。奇龍のトップ、即ち大老の孫娘が、契約者だった。さすがの私も神には勝てず、命からがら逃げだして潜伏生活さ。いつどこで奇龍の目があるかわからないから口座も利用できないときたもんだ」
「……で、己の頼みたいことは、神の撃破ですか」
うん、そう。と趙鮮は首肯した。烈震は肺の中にたまった空気を一気に吐き出す。再び息を吸った時に煙を吸ってしまったので、少々嫌な気分になった。
「おい烈震。この姉ちゃんけっこー剛毅だが、神が絡むんならオレが出るのは必然だぜ」
「分かっている。己は神々の戦争を戦え、小姐は身の安全と現金を得られる。と」
「そういうことだ。互いに利があり益がある。それにな烈震。引き受けてくれたら、私からの多大な感謝の言葉が得られるぞ」
「空虚すぎるんで、いりません」
言って、烈震は立ち上がった。どの道彼がこの姉変わりの“頼み事”を断れたことはないし、神々の戦争が絡んでくるなら是非もない。
烈震はゆっくりと踵を返した。敵を知るため、まずは奇龍について少し調べてから行動しようと思ったのだ。
◆◆◆◆◆◆
そして、烈震は奇龍が拠点としている中華料理店を来訪。堂々と李趙鮮の名前を出して、ありていに言って「喧嘩を売った」のだ。
室内ではありえない雷光が走る。男たちの悲鳴が連続し、倒れていく。
原因は烈震の背後に実体化したトールが放った雷撃だ。勿論死なないように手加減したが、これでしばらくは起きないだろう。
一応言っておけば、最初は烈震も己の身体と武術で相手をしていた。彼からすれば神が出張るまでは人の、自分の力だけで荒事を切り抜けるつもりだった。そのほうが修行になるからだ。
だがいかんせん、わらわらと湧いてくる雑兵に飽きが来た。そもそもどいつもこいつも武器に頼るばかりでてんでなっちゃいない。
ゆえに烈震はトールに頼み、雷撃で一掃してもらったのだ
「オレが言うのもなんだが……。乱暴だな、烈震」
「数だけが多い連中の相手は面倒だ。この方が手っ取り早い。それに、見分けはできた」
烈震の視線の先にいたのは、二つの人影。
一人は少女。もう一人は妙齢の女。
少女のほう――――雪のように白い肌、そして同じ色の腰まで伸びた髪。血の結晶のように赤い双眸。朱色のチャイナドレス姿の、紅白少女。
美しい少女だった。どこかミステリアスで、それが、彼女の外見がアルビノであることも一因だろう。
幻想的で妖艶で、美しくもどこか陶器めいた非人間性。人形のごとき姿の少女。
そしてその少女と寄り添うのは、間違いなく人間ではなく、神。
中華の貴族服に結わえた黒髪、蝋のように白い肌。黒い瞳。羽根扇子を持ち、それで口元を隠している。だが、鋭敏な烈震の嗅覚は、扇子の奥から獣の口腔のような生臭さを感じ取っていた。同時に、聴覚は猛獣特有の息遣いを。
「お前たちが、この奇龍大老の孫娘と、契約した神、か」緊張感を滲ませて、烈震が問いかける。
「そうだぞ。わたしは
「
「西王母。中国の嬢ちゃんにお似合いの、中国の神か」とトール。
西王母は中国に伝わる神で、その口は人間ではなく、虎のものだという。この獣の匂いはそれかと烈震は内心で首肯した。
「己の要件は決まっている。李趙鮮。彼女の身の安全だ」
「それを決めるのは、おじいさまだ。わたしでも、おまえでもない」
烈震の要求に対して、小雪はにべもない。彼女はそもそもと続けた。
「こちらのシマを荒らしたのは趙鮮だ。あいつはちゃんとこっちの言う通り、適度に負けることを受け入れれば、こんなこじれることはなかったぞ」
「だが、あまりにも鼬ごっこだ。趙鮮は自分の意見は曲げず、雑兵は蹴散らすし、お前が来れば逃げるぞ」
「だからどうした。雑兵が何人蹴散らされようが、死のうが、それは死んだやつが弱かったからだ。そしてわたしは弱い奴の処遇に興味はないぞ」
小雪は取り付く島もない。奇龍との衝突は趙鮮にも非はあると烈震は思っているので、あまり強く出られない。そもそも烈震は勝全全に巻き込まれたのだから、平和的な解決に固執する必要はない。
面倒な手順を踏まず、神々の戦争で目の前の神を脱落させれば、彼らに趙鮮を害することはできまい。
また、小雪はどこか非人間的だ。チャイニーズマフィア。そこに属して育ってきたからか、どうにも死生観がシビアでドライだ。
弱いものにはいささかの興味も示さず、ゆえに生死も頓着しない。
年齢は烈震と同じか、少し上くらいなのに、この歪さはなんだ。
「平行線か。ならば是非もない。神と神が出会ったのだ、やることは一つ」
言って、烈震はデュエルディスクを起動させた。そして、トールがバトルフィールドを展開させた。
火蓋が切って落とされるまで間もない。そう思った刹那だった。
「な――――」
烈震は完全に虚を突かれていた。デュエルディスクの起動時に、一瞬、彼は小雪から視線を外してしまったのだ。
笑う西王母。その傍らにいたはずの小雪の姿がない。
どこに? そう思った瞬間、反射的に烈震は反応していた。
烈震の懐に潜り込む小雪。顔に無邪気な笑みを貼り付かせたまま、右手の抜き手を放つ。
鋭い一撃だ。この娘、神との契約など無くとも、十分練度の高い武を納めている。
こちらの眼球くらいは抉りそうな一撃を、首をひねって回避。さらにバックステップで距離を開け、右足を振り上げる。
空を切った。小雪は抜き手の一撃が躱されたと見るや、反撃を予期して天井近くまで跳躍。そこ場から――烈震からすれば頭上から――右足を鞭のようにしならせて蹴りを放つ。
これを烈震は左腕でガード。不意打の衝撃から立ち直っていた彼はここで相手を捕まえた。空いた右手で小雪の足を掴んだのだ。
「お」若干驚いた風の小雪。
「
「おー」契約者が不意打ちを受けたというのにまるで危機感のないトールは口をOの字にして砲弾のように飛んで行った小雪を眺めた。
小雪の身体は烈震が入ってきたドアをぶち破った。烈震が後を追う。
「おまえ強いな! わたしは嬉しいぞ!」
本心から嬉し気な小雪の声が廊下の暗がりから聞こえてきた。
烈震は声を追い、客を迎える、今は無人の店内を通り過ぎ、店の外に出た。そこには口元を扇子で隠した西王母と、両手を広げる小雪の姿。小雪もまた、左腕にデュエルディスクを装着し、起動させていた。
「つよいやつ、わたしは好きだ。楽しめるからな」
笑う小雪。その胸元に朱色の宝珠が出現する。烈震の胸元にもまた、緑色の宝珠が灯った。
『
もやは是非もない。こうして、横浜の夜での戦いの火蓋は切って落とされたのだった。