今日の放課後、兄は確かに、早く帰って今日の夕食の準備をしておくと言っていた。
なので大会が近く、練習がハードになってきた部活――陸上部だ――で疲れた綺羅は兄が用意してくれる食事を楽しみにしていたのだ。
それとも時間的にまだ夕食の準備中だろうか。だったら先にシャワーを浴びるなり、少し早いがお風呂を沸かしてもいいかもしれない。おぉ。我ながらグッドな展開だ
そんなことをあれこれ考えながら、すっかり暗くなった帰路についた綺羅だったが、いざ玄関のドアノブに手をかけてみると鍵がかかっている。というか家に明かりがついていない。
漠然と嫌な予感を覚えつつ鍵を使って扉を開けると、案の定、というべきか、嫌な予感が的中したというべきか。兄、
プルプルと
そんなわけで、
まず帰ってきたのが和輝一人だけではなかった。
もう一人いたのだ。
金髪碧眼、柔和な笑みがまぶしい美丈夫。着ているのは簡素なシャツとジーンズだがそんなこと問題にならないほど強い存在感を持っていた。
しかも和輝も謎の男性も、手に買い物袋を多くぶら下げていた。
「え、えっと、兄さん。これは一体……? あの、この方は誰ですか?」
「ああ。すまん綺羅。今日の夕食は俺の担当だったのに。実は――――」
「実は、ちょっとした事故に巻き込まれたボクを和輝が助けてくれまして。おまけに病院にまで連れていってくれたのですが、そのせいで妹さんとの
――――ああ、ボクとしたことが、申し訳ない。ボクの名前はウトガルザ・ロキ。ちょっとした旅人でして、世界を見て回って、見識を広げているんです」
「はぁ……」
当初の怒りもどこへやら。すっかり戸惑い顔になってしまった綺羅はウトガルザ・ロキこと北欧神話の神、ロキの言葉にたじたじだ。
「あー、すまん綺羅。こいつ事故にあったせいで今日の宿とれなかったらしくてさ。これも何かの縁。今日こいつを俺の家に泊めてやりたいんだけどいいか?
部屋の用意は俺がしておくから。夕食までまだちょっと時間がかかるから、先に風呂沸かして入ってきたらどうだ? 部活で汗かいただろ?」
「あ、はい。分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
結局押し切られた綺羅はくるりと
残された和輝とロキは視線を交わし合う。
「……なんだよ、ウトガルザ・ロキって。しかもキャラ全然違うし」
「古い知り合いの名前。まぁ、とにかく綺羅ちゃんの怒りが収まったようで何よりだよ」
「あいつ意外と押しに弱いからな。さ、まずは飯だ。せいぜい綺羅の機嫌をとろう」
「オーケイだ、和輝」
肩をすくめるロキ。腕に引っ掛けた買い物袋ががさりと音を立てた。
◆◆◆◆◆◆
食事の後の客間。
「客間っつっても普段使ってない部屋だ。布団でいいか? てゆーか神って寝るのか?」
「基本的に非実体化していればそういう心配はないんだけど、せっかくだし、厚意に甘えるよ。実体化して眠るのも面白そうだ」
布団に一度寝っ転がったロキはその感触を楽しむ様に手足を伸ばし、猫のように目を細める。和輝は嘆息。自身も布団の上にどっかりと
「そろそろ本題に入っていいか?」
「ん、ごめんごめん」
起き上がって、ロキもまた和輝と同じように胡坐をかいて座る。
沈黙が一瞬一人と一柱の間を通り過ぎた。
ごほんとロキが一つ咳払い。
「和輝、君からでもいいよ? 聞きたいことがあるんでしょ?」
話を切り出したのはロキから。和輝はロキの申し出に一瞬身をすくませる。
「あー、悪い。先にお前の話からでいいよ。俺もまだ頭ん中ごっちゃになっててさ、ちょっと整理したいんだ。お前に聞くのはその後ってことで」
「そ、じゃ、ボクから、神々の戦争のルールについて説明させてもらうね」
本題に入る。ロキは「先ず一つ」と右手中指を立てた。
「神々の戦争の基本ルール。神は人界――君たち人間の世界ね――で、パートナーとなる人間と契約を交わさなければならない。これは誰でもいいってわけじゃなくて、波長が合う人間に限られるね」
「それは聞いた。だから俺と契約したんだろ? で、勝負の方法は人間を使ったデュエルモンスターズ。場所は人のいないバトルフィールド」
そう、とロキは頷き、「二つ目」と中指を立てる。
「脱落の条件はこのデュエルでパートナーの胸元にある宝珠が破壊されること。もう一つは、神が死ぬこと」
「死ぬ? そんな簡単に殺されるのか?」
「神々の戦争本戦の期間中、神は人界ではパートナーと契約を交わさない限り神の力を一切使えない。例外は人間への変身くらいかな。そしてパートナーと契約を交わした神は力を使える」
「ああ、だからお前ボロボロだったのか」
「そっ。ボクは未契約状態でカイロスに見つかってね。それで襲撃された。ほんと、君が来てくれなければボクは死んでいたかもね」
三つめ、とロキが薬指を立てる。
「デュエルのルールはバトルロイヤルルールが基本となっている。だからバトルフィールドに三人以上の参加者がいる場合は常に相手の把握や乱入に気をつけてね。それと、ダイレクトアタック時、モンスターの攻撃はある程度プレイヤーの意思通りに動く。これも覚えておくと便利だね。まぁ、今日の女の子みたいに洗脳されている場合、直線的な攻撃しかできないだろうけど」
四つ目、とロキは小指を立てる。
「ここからはルールというより、特典と、注意事項。神々の戦争で最後まで勝ち残った一組のうち、神は神々の王になれる。そしてそのパートナーの人間は何でも、あらゆる願いを一つ、叶えてもらえる。あ、願いを十個に増やしてくれとか、そういうのはなしね」
「そんなこと言っていたな」
どんな願いでも叶える。いまいちピンと来ない。あまりにも漠然としすぎている。
「皆いろいろと願うんじゃないかな。ボクは人間の感情にいまいち鈍いけど、不老不死や使いきれぬ富。或は、誰かを生き返らせるとか」
死者蘇生。確かに、それを求める人間は多い。
もしもあの時死んだあの人が、今側にいてくれたら。
もう一度会いたい。そのぬくもりを感じたい。
そう思わなかった人間がどれだけいる? 他ならぬ和輝も、その一人
「君もまた、死者蘇生を望むのかい?」
「…………分からねぇな。さっきも言ったが漠然としすぎてる」
和輝は複雑な表情。とにかくもやもやとした感情は棚上げし、続きを促す。ロキは頷いた。
「もう一つ、パートナーに与えられる特権がある。これは勝ち残るまでもなく、契約を結んだ時点で行える。それは、デュエルモンスターズのカードの実体化。実はカイロスのパートナーの女の子が召喚したヘブンズ・ストリングスに袈裟切りされてね。一番でかい傷はあれだったんだ」
「カードの実体化か……」
「気をつけてくれよ和輝。そんなことをできる力を得た人間が、力に溺れないでいられるかどうか。神々の戦争でそれを見極めるのって重要だと思うよ」
和輝は沈黙。いきなりそんなことを言われたところで、やはり実際に目にしていない以上ピンと来ない。
「まぁ、いい。とにかく、神々の戦争では神だけじゃなくて、人間の方も何かしてくるかもしれないってことか」
「うん。洗脳されている人間も、自発的に力を使う人間も、危険なことに変わりはない」
和輝は思い返す。昼間のことを。
カイロスと、奴に洗脳された
そんな奴らがまだ大勢いる。そう思うだけで、和輝は握った拳に力がこもるのを感じた。
「それともう一つ、注意事項がある」
ロキが親指を立てて言った。
「バトルフィールドは位相のずれた空間といっても、君たちのいる現実空間に極めて近い。密接につながっているんだ。だからその崩壊は現実空間に影響を及ぼす」
和輝の肩がピクリと揺れた。来た、と内心で思った和輝はロキに向かって言葉を投げかける。
「じゃあ、もしもあの、質量のあるモンスターたちの攻撃が激しすぎて、バトルフィールドが崩壊したら、どうなる?」
「崩壊した影響によって、現実空間もまたダメージを受ける。その形は、災害として現れる」
「災害……」
和輝の表情が険しくなる。
「じゃあ、ロキ。聞かせてくれよ。七年前の東京で、バトルフィールドが崩壊しなかったか?」
和輝の脳裏をいくつかの情報が飛び交う。
七年前の大火災。火元不明、原因不明、上から下に向かって燃えている家屋。そして、死にかけた和輝が出会った神。
和輝の視線に促され、ロキが
「君の思う通りだよ、和輝。あの日、東京全土を覆ったバトルフィールドが展開された。
理由は、神々の戦争本戦出場のある神を巡っての戦いだった」
語るロキの口調は重く、表情は苦い。
「その神はあまりに危険すぎた。そしてあまりにも邪悪すぎた。だからこそ、ほかの神もやつを危険視し、例外的にその神を滅ぼすことにした」
そこでロキは呼吸を整えた。よく視れば、掌に汗が浮いていた。
「戦いは凄惨を極めた。天界から人界へと逃亡した神をバトルフィールド内に閉じ込められたのは僥倖といえた。その中で行われた神々の戦闘は一切の縛りのない物だった。激しさを超越した戦いに、バトルフィールド自体が耐えきれなかった」
「それで、あの街は、あんなことになっちまったのか」
「一応、言っておくけれど。あれでも被害は小さい方だ。バトルフィールド崩壊寸前、現実世界に溢れだした余剰エネルギーの大半を、スプンタ・マンユという一柱の神が力のほとんどを使って抑え込んだ。もしもそれがなかったら、今ごろ日本という国は世界地図から消滅していたよ」
俯くロキの声に力はない。
「あれは、本当に二度と見たくない光景だったよ。多くの人間が、わけがわからないまま炎に巻かれて死んでいく。生き残りを探して必死に走ったね。そして、君に出会った。辛うじて生きている君はなんとしても救いたかった」
「だから、心臓を半分くれたのか」
トクンと、和輝の心臓が強い鼓動を一つ打った。
やはり、あの火災は人知の及ばない力の結果だったのだ。和輝の握った拳が力の込めすぎで白くなっていく。
七年越しの疑問の解消。だが晴れやかな気分は一切ない。ただ納得はした。そして、やはり自分がこの神々の戦争に参加したのは必然だったのだと、自分でも意外なほどすんなりと受け入れられた。
七年という月日の経過とカウンセリング。今の家族との触れ合いと友人たちとの交流。それらが和輝の心を癒してくれた結果だ。
ただあと一つだけ知りたい。納得するために。前に進むために。
「今日はここまでかな。さすがに疲れただろ、君も」
「……最後に、一つだけ教えてくれ。お前達が戦った神は、一体どうなった? 名前は?」
「戦いの要になっていたスプンタ・マンユがバトルフィールド崩壊の余波を抑え込むのに必死だったからね、封印することしかできなかった。名前は――――」
ロキはその名を口にする。かつての悲劇の元凶、そして、和輝にとって、決して忘れてはならない名前を。
「アンラ・マンユ。この世全ての悪を司る、最悪の神だ」