神々の戦争   作:tuki21

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第75話:国守咲夜の墓参り

 どうして世の中はこんなにも糞なんだ。

 そう思いながら、だが男の気分は悪くなかった。

 頬に当たる風がさわやかだ。今までの淀んだものではない。

 自由になった。オレはこの瞬間、自由になったのだ。

 これでもう一度、糞まみれのこの世界で、真実を探せる。

 男は感動に打ち震えていた。イライラする刑事に捕まって、そいつをぶっ殺したらより堅固な堀の中に閉じ込められて、ついには絞首台。

 首に縄がかかる瞬間はさすがに震え上がった。

 糞が、なぜこんな目に合わないとならねぇんだ。糞ったれな世界で糞みたいな笑顔を浮かべて糞みたいな人生歩んでるやつらの()()()()を剥がしてやっただけじゃないか。

 己の成してきたこと、凄惨な有様について全く気にも留めず、これから失われる己の命のことのみを考えていた。

 だが、だがだがだが! 糞ったれだと思っていた世界も捨てたものじゃなかった。

 立たされた絞首台の床が外れる瞬間に、神はやってきたのだ。

 哀れなオレを拾い上げたってわけだ!

 男は遮るもののない通路の真ん中を堂々と渡った。今まではここには傲岸な看守どもが王様気分で歩いていて最悪だった。

 今はもういない。奴らこそ、視界の隅で震えて縮こまる番だった。

 各所で起こる呻き声。見ればそこかしこに黒くてぬめぬめした、得体の知れないのたうつ黒い触腕が、何もない虚空から空間に罅を入れて現れており、看守や、どうでもいいほかの囚人たちに巻き付き、その肉を締め付け、骨を砕いていた。

 またある場所では、蹄のある足に、黒い木枝にも見える触手が寄り集まったような奇怪で冒涜的なオブジェにも見える何か――にもかかわらず、それを見た人や男自身にもそれが“山羊である”と頭に叩き込まれた――が死肉を食んでいる。

 地獄のような光景。そこを悠々と歩き、男は開け放たれた門をくぐった。

 そこで、男を待っている影が一つ。

 女だった。

 褐色の肌、きめ細かな肌、その身を覆う黒いドレス。金色の瞳、銀色の長髪。豊満な胸に、くびれた腰、突き出た尻は男の好みに合致し、非常にいい気分だった。

 何しろ、こいつがこの姿をとっている時は脳みそのレベルも人間になるらしい。

 いいことだ。非常にいいことだ。この女を組み敷くのはさぞいい気分になるだろう。

 できれば顔を剥ぎたいが、それはどうだろうか。神の顔を剥げるか疑問だった。剥いだ先に出てくるのが男が見たがっているものとも限らない。

 地面に向けて唾を吐き、男は手に入れた自由を噛み締めるように、腹の底から叫び、そして笑ったのだった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 これはまだ、和輝たちがクロノスのことを知るよりも、ほんの少し前の話。

 八月某日。

 お盆の時期を外れると、墓地を訪れる人の数も減ってくる。

 訪問客のいない墓地を、その少女は一人花束を手に歩いていた。

 林のように林立する墓石の間を縫って歩いていく。

 背中に垂れる薄茶色のポニーテール、青みがかった瞳、発育のいい身体を薄手のタンクトップにデニムのジャケットで包み、ジーパンを穿いてつかつかと歩いていく。

 少女らしい溌溂さと大人への変化の時を迎えつつある色香が合わさった、魅力的な少女だった。

 高校在学の女子高生にして、現役のBランクプロデュエリスト、そして神々の戦争の参加者にしてギリシャ神話の女神、アテナの契約者。国守咲夜(くにもりさくや)だった。

 ただ、今は少女生来の正の気配は鳴りを潜め、表情には神妙なものが浮かんでいた。

 迷うことなく墓石の間を進む。

 その後ろを歩く影。

 小さな女の子のものだった。

 ウェーブのかかった赤髪、雪のように穢れを知らぬ白肌、黄金色の瞳、小柄な体は花柄のワンピースに包んでいる。未成熟ながらも開花前から美しさが窺える花の(つぼみ)の風情。

 彼女こそ咲夜が契約した神、アテナであった。

 アテナは本来大人の美女なのだが、現在は呪いによって子供の姿にされていた。

 咲夜の歩みが止まった。彼女の前には「国守家之墓」と刻まれた墓石があった。

 墓にはすでに瑞々しい花が活けられており、誰か先客があったことを告げていた。

 

「あ、母さん。来てたんだ」

 

 安心したように呟いて、咲夜は微笑んだ。

 

「咲夜。ここが、お前の父君の墓なのか?」

「うん。プロの生活が忙しくて、お盆は過ぎちゃったけど、やっぱりお参りしたいし」

 

 苦笑して、花束を活ける咲夜の姿を見て、アテナは時期を外したのは正解だったかもしれないと思った。

 静かな、他に誰もいない墓地。顔の売れている咲夜がお盆の時期に現れては、騒ぎになって静かに墓参りもできなかっただろう。だから今来たのだ。

 線香に火を灯し、咲夜はしゃがみこんで目を瞑って手を合わせた。

 しばらく沈黙していた咲夜だったが、彼女が目を開けたのに合わせて、アテナの方から問いかけた。

 

「お前の父君は、どんな人だったのだ?」

「優しい人だったよ。そして、勇敢な人だった。まるで、昔のお話に出てくる正義の味方、ヒーローみたいに」

 

 誇らしげで、けれどほんの少し寂し気な表情で、咲夜はそう言った。

 

「刑事でね。いろんな事件を解決してたの。でも家だと子供っぽくて。昔の特撮番組を、よく一緒に見てたの」

 

 父のことを語り続ける咲夜。視線は墓を向いたまま。その胸中を、アテナは想像することもできない。

 

「良き、父だったのだろうな」

「あたしの誇り。だけど、ちょっと優しすぎたのかな」

 

 苦笑する。目尻を僅かに拭ったのは、悲しみをごまかすためか。

 

「あたしが中学生のころにね、銀行強盗に巻き込まれて、黙っていればよかったのに、銃口を向けられた女の子をかばって、撃たれたの」

「守護の代償、か」

 

 守る行為は常に自己犠牲が付きまとう。守るべきものを守り通して、結局力尽きてしまう。アテナはそんな人間をごまんを見てきた。

 悲しくも、尊いと、そう思った。

 

「何発も撃たれたんだけど、結局銃弾は女の子に届かなかった。父さんは、守ろうとした子供を守れたんだよ」

 

 アテナは父を語る咲夜の横顔に、深い悲しみが宿ったのを見逃さなかった。

 誇るべき父。守るべきものを守り切った父。だが守護の代償に、父は二度と咲夜の許に帰ってはこなかった。

 誇らしくもあり、悲しくもある。父の成した結果を誇り、しかし父の帰らぬ日々を嘆く。この少女の胸中ではどんな感情が渦巻いているのだろう。

 アテナは理解できない。神に、人の感情を正確に理解することは難しい。比較的人に近い感性を持っているギリシャ神話の神でも、そうだ。

 だからアテナはただ真摯にこう言った。

 

「立派な父君だったようだな。そう、常に胸を張って誇れるような。そこに一点の曇りもないような、な」

「……ありがと」

 

 微苦笑して、咲夜はまた、墓に対してこう語りかけた。

 

「父さん。今日はね、いろいろと報告があるんだよ」

 

 微笑して、咲夜は死者に語り掛けた。

 

「あたしね、女の子を拾ったの。すっごいピンチだった女の子。とても困っていた子を、見捨てることができなかったから」

 

 父さんみたいに、と咲夜は言った。

 その女の子、というのが自分だと分かっていたアテナは黙って咲夜の話を聞いていた。

 

「今、あたしは戦いに身を投じてる。父さんのような、みんなを守るような戦いじゃないけど、参加したことに後悔はないし、恥じるものは何もないよ。だから安心して」

 

 子供になったアテナを守りながら、孤独な戦いに身を投じていたころの咲夜は浮かべなかった、柔らかい笑みだった。今の彼女は安心しているのだ。恐れていない。

 

(ロキの契約者の、あの少年のおかげだろうな)

 

 孤独な戦いに割って入って自分たちを救ってくれた少年。咲夜と同じく、アテナもその恩は忘れていない。もっとも、咲夜の場合は恩義以外の感情も混じっているだろうが。

 

「これからきっと激しい戦いが始まる。だからその前に、父さんに挨拶しておきたかったの」

 

 最近はすっかり途絶えていた、アテナと咲夜を襲った敵。すでに咲夜もアテナも、その正体を掴んでいた。

 時の神を吸収した、農耕の神クロノス。ティタノマキアの首謀者。そして、彼奴の手によって復活したティターン神族。

 敵は強大だが、それに対抗する善の力はきっとあると、この情報を伝えてきた男は言っていた。

 以前、一度だけあっていた男だった。

 胡散臭い英国紳士。イギリスのロンドンでのこと、ロキの契約者とのデュエルの後やってきた男。

 フレデリック・ウェザースプーン。その神、ヘイムダル。

 改めて話してみて、アテナは彼が善の側にいる人間だと確信した。

 同時に、アテナたちにさらなる襲撃がかからないことも分かった。

 クロノスの契約者、射手矢弦十郎。

 彼は咲夜のスポンサーで、ならば咲夜がプロデュエリストである限り、彼女のスケジュールはつかめて当然。だから、かつてはアレスとエリスに行く先々で襲撃を受けたのだ。

 そして手駒の二柱を失ったクロノスは、かねてからの計画を早め、ティターン神族を復活させた。

 フレデリックから伝え聞くには、すでにオリンポス十二神はアテナとゼウスを残して全滅しているらしく、さらにハデスも囚われの身らしい。幸い、ゼウスはフレデリックたちと連絡を取り合っているらしい。

 同胞の潰滅にはショックを受けたが、まだ終わりではない。

 イレギュラーな戦力を手にしたクロノスが攻勢に出るのはもうすぐそこだ。なぜなら八月の終盤に行われるジェネックス杯。そのスポンサーに射手矢がCEOを務める企業、ゾディアックがある。

 実は咲夜はプロということで、事前にジェネックス杯の大会形式を伝えられていた。

 確かに、この方法ならば多くの神々の戦争参加者を呼び寄せ、一網打尽にできる。

 だが同時に、この大会こそがクロノスの喉元に迫るチャンスだ。

 戦いの時は近い。それも、絶対に負けられない戦いの時が。

 

「ん?」

 

 その時、アテナは気配を感じ、すぐさま身体を緊張に固めた。

 墓地に、人が入ってきた。

 人影は二つ。一つは女。

 首の中ほどで切りそろえたアッシュブロンドの髪、赤みがかかった青い瞳、背が高く、とてもすらっとしたモデル体型。その身を喪服のような黒のダークスーツに包んだ女。凛とした鋭い顔立ちだが、手には手向けの花を携え、その表情は神妙だ。

 その傍らには少年の姿。

 燃え盛る炎のように広がったオレンジ色の髪、強い意志を秘めた黄色の瞳を持った、咲夜と同じくらいの年齢の見目麗しい少年。着ているものはどこにでもあるただのTシャツにジーンズ姿だが、だというのに、その身からは王のごとき威厳と、尊大でありながらも懐深い重厚さを兼ね備えていた。

 アテナは警戒に身構える。近づいてくる二人が、彼女の記憶に引っかかったのだ。

 

「貴様たちは……」

「お久しぶり、咲夜ちゃん。前も言ったけれど、敵じゃないから警戒しないでほしいわね」

 

 女の方が親しげに咲夜に声をかけた。立ち上がった咲夜が一瞬驚いたように目を丸くし、それからぺこりと一礼した。

 

「お久しぶりです、氷見(ひみ)さん」

 

 咲夜の返事に、氷見と呼ばれた女性は穏やかな笑みを返した。抜身の刃の様だった女の印象が、その瞬間に柔らかくなる。

 

「よかった。今日は話は聞いてもらえそうね」

「あ、あの時はどうも、すみませんでした……」

 

 羞恥ゆえか、耳まで真っ赤にさせて咲夜は俯いた。

 女の名は氷見綾女(あやめ)。そして、その傍らの少年は、彼女が()()()()()()()()、インド神話に名高き神、ヴィシュヌであった。

 アテナは知っている。この女とは、以前あっていた。

 まだアテナと咲夜が契約を交わして間もなかったころで、アレスとエリスの襲撃によって命からがら逃げだすことが何度もあった。

 咲夜にとってもアテナにとっても極限状態の時で、当然、和輝とも出会っておらず、救われてもいなかったので、一人と一柱は回り全てが敵に思えていた時だった。

 後で聞いたのだが、咲夜は綾女とは昔からの知り合いだったという。

 父親の同僚で、元部下。何度もチームを組み、コンビを組んでいた。咲夜よりも近くで、彼女の父親の背中を見ていた人物ともいえた。

 子供のころからの知り合い。何度も話したし、一緒に遊んでもらったこともあった。

 だが、あの時の咲夜は神々の戦争の参加者である、というだけで綾女とヴィシュヌを信じられなかった。自分は私利私欲に神の力を使ったことはないし、ヴィシュヌは悪神ではないと、真摯に説得されたにもかかわらず、裏切りによって傷ついたアテナの心は言葉を聞き入れず、咲夜もまた、度重なる襲撃によって摩耗しきっていた精神ではやはりまともに話を聞ける状態ではなかった。

 結果として、咲夜たちは綾女とヴィシュヌから逃げた。

 以来、連絡もとっていなければ顔も見ていなかった。

 

 

 実のところ、咲夜はあるいはと思っていた。

 あんな別れ方を――それも一方的な――をした手前、こちらから連絡を取って縁を結び直すことに躊躇していた。合わせる顔がなかったのだ。

 だがここならば。咲夜の父の墓参りならば、こうして出会える可能性はあったのだ。

 

「あの、氷見さん」

 

 何か言おうと口を開きかけた咲夜だったが、その頭に手を乗せられて、機先を制されてしまった。

 

「ふえ?」

「大丈夫よ、咲夜ちゃん。あの時逃げてしまったのは、アテナを守らなければって、その思いだけが先行してしまった結果でしょう? ショックを受けなかったといえば嘘になるけれど、むしろそんな状態な咲夜ちゃんの背中を掴めなかったことのほうがよほど悔しくて、悲しかったわ。まったく、刑事やってるくせに、ヘタレだったわ」

 

 自身への憤怒に頬を膨らませる綾女。妙に子供っぽくて年齢不詳だ。父の部下だったので若く見積もっても三十は越えているはずだが――――

 突然、咲夜は綾女によって両頬を引っ張られた。

 

「余計なこと、思っちゃだめよ?」

 

 エスパーか。そう思ったがやはり口にはしない。というか、できない。そういえばこの人は昔から妙に勘が鋭かった。

 

「むろん、余も気にしてはいない。むしろ咲夜と同じ、なぜ追えなかったか、そのことに憤怒を抱く。いやまぁ、追わなかったのはアヤメが立ち尽くしたので、パートナーである余としてはそばを離れるわけにはいかなかったからだが。――――おお、そうなると、アヤメ、貴様のせいで余もまた駄目な感じになったぞ」

 

 背はヴィシュヌの方が低い――170を超えている綾女に対して、ヴィシュヌは越えていない――のに、腕を組んで見上げる姿は神らしく尊大だった。雑な言い方をすれば偉そうだ。

 

「う、む。ま、まぁそういうことね、そうだわね。悪かったわねヘタレてしまって!」

 

 苦笑しながら、怒ったように綾女はそう言った。

 

「アヤメ、誤解が解け、親交を再び温めるの尊き行いだが、そろそろ本題に入れ」

 

 ひとしきり語り合った後、不意にヴィシュヌがそう言った。その瞬間、アヤメの表情が変わり、ばかりか、雰囲気そのものも変化した。それは知り合いのお姉さんではなく、敏腕女刑事のものだった。

 

「氷見さん?」

「よく聞いて咲夜ちゃん。悪い報告があるの。そして、それはきっと、君にも無関係じゃない」

 

 神妙な表情の綾女。咲夜も自然表情を引き締める。パートナーにつられて、アテナもまた、表情を緊に定めた。

 

萩野晃司(はぎのこうじ)が脱獄したわ」

「!?」

 

 萩野晃司。その名を聞いた瞬間、咲夜の全身がびくりと硬直した。顔は真っ青になり、真夏だというのに、その肩はかすかに震えていた。

 

「咲夜?」

 

 パートナーの突然の変化に、思わずアテナが心配げな声をかけた。

 その小さな方に、咲夜の手が添えられた。夏だというのに、その手は冷たかった。

 

「大丈夫、だよ。アテナ。あたしは大丈夫」

「には、見えんな」

 

 尊大な口調はヴィシュヌのもの。彼の炎を宿したような眼は、咲夜の顔を映しだす。その内面を読み取るかのように。

 

「余も少しは知っているぞ、今アヤメが口にした男。それは、アヤメの上司を殺した男だという。アヤメの元上司ということは、必然、貴様の父親ではないか?」

「ッ!」

 

 それでアテナは納得した。父殺しの男。捕まったはずのその男が今、自由の身になっている。何も感じないはずがなかった。

 

「で、でもあの男は、死刑判決を受けて――――」

「そのはずだった。いいえ――――死刑は執行されたの。でも奴は生き延びた」

「それは――――何かイレギュラーがあったんですか?」

 

 こくりと、重々しく綾女は頷いた。

 

「そうよ。首にロープをかけられて、絞首台の床が落とされたその瞬間に、起きてはならないイレギュラーが、最悪の奇跡が起きたのよ」

「まさか――――」青ざめた表情で察する咲夜。

「萩野は、神と契約した」

 

 ぞくりと、咲夜の背筋に悪寒が走った。

 

 

 萩野晃司。その名は、日本の犯罪史に刻まれた忌み名だった。

 性格は粗暴にして残忍。人間というよりも、何かの間違いでたまたま人の形を成した知恵をつけた猛獣が、人の世に紛れ込んでしまった、そんな歪で異端を感じさせる男だった。

 合計九人の女性、少女を強姦の末殺害し、金品を強奪。さらに九人の男性、少年を残忍で徹底的な拷問にかけたうえで殺害。その金品を強奪した。

 それだけでも真っ当な人間ならば眉をひそめ、嫌悪に顔を歪める所だが、彼の異常性の最たるものはこの後にあった。

 萩野は、被害者全員を殺害後、その()()()()()()()()のだ。

 剥いだ表皮はそのままごみのように打ち捨てられていた。

 被害者の共通点もなく――のちに裁判で、目についたから殺したと証言していた――、捜査は難航した。

 十八人目の殺人の際に返り血の付いた服のまま刑事と鉢合わせ、激しい抵抗を示したものの逮捕された。

 その時に逮捕したのが、咲夜の父親だった。

 犯人逮捕によって一件落着かと思いきや、そうはならなかった。

 あまりの言動の異常性、会話の成立しなささに、精神異常を疑われ、精神鑑定を行った。

 結果は白。言動こそ突拍子もないが、彼は正常な判断能力を持っているとして、裁判を受けることになる。

 だが裁判所への移送の際に脱走。その際に監視役の警官から拳銃を奪い取っていた。

 路銀がないからというひどく場当たり的な理由で銀行強盗を行う。

 その際に、たまたま非番だった咲夜の父は、イライラする萩野が振り回す銃口から少女をかばい、十九人目の犠牲者となった。

 死刑判決を受けた後は裁判官に対して暴言を吐き、その後は自分の殺しの状況を事細かに供述した。

 それは死刑執行を少しでも遅らせるための悪あがきだと誰もが理解していたが、調書作成に必要なため、誰も止められなかった。結果的に、萩野は死刑執行まで、三年間延命した。

 だがついに悪運も尽きた。

 まだ殺した奴がいるという彼の叫びは誰にも聞き入れられず、死刑が執行される。 

 それで終わり。戦後日本犯罪史に名を刻んだ凶悪犯は、こうして三十六年の生涯を終える。そのはずだった。

 だがそこで、暗黒の奇跡が起こってしまった。起きてはならない、穢れた奇跡が。

 神との契約。それによる死刑からの生還。そして、神の力を使い、刑務所内の囚人、看守共に殺害。緊急避難ゆえに逃げ延びた一部を除き全滅。

 かくして、ここに最悪の獣は解き放たれたのだった。

 

「……そう、ですか」

 

 悲痛な表情の咲夜。その肩に手を置く綾女。

 

「大丈夫。萩野が契約者になったということは、普通の警察じゃ手に負えなくなったのと同時に、私たちと同じ土俵に立ったともいえる。だったら、今度は、私が奴を捕えるわ」

「――――氷見さん」

 

 安心させるように微笑む綾女に対して、咲夜は凛々しい表情で向き合った。その決意を秘めた瞳を見て、綾女は咲夜の言いたいことを把握した。

 

「あたしも、戦います。萩野とかち合うかはわからない。けれど、それを、氷見さん一人に背負わせない。だから、あたしも手伝います。戦います。それに――――これは、あたしが逃げちゃいけない戦いだと思いますから」

 

 今まで、咲夜にとって神々の戦争はアテナのための戦いだった。

 子供になってしまった彼女を助けた時から始まった戦い。アテナを元に戻してあげたいと思っていた。そして、近しく、そして親しい彼女を、神々の王にしてあげたいと。

 今、そこにもう一つ、目的が加わった。

 萩野晃司。忌まわしい過去の清算を、今ここに。

 新たな決意を、咲夜は秘めた。

 もうすぐ大きな戦いが始まる。

 八月終盤に行われる、デュエルモンスターズの七大大会、その一つ。

 ジェネックス杯。

 このジェネックス杯こそ、クロノスと、彼が率いるティターン神族との決着になる。漠然と、咲夜はそう思っていた。

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