文字通り絵に描いたような、あくまでドラゴンメインの高校生活   作:ぐにょり

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三十二話 共に立ち、共に歩く為に

「そうですか。わかりました」

 

何処までも平坦な口調の、何の感情の発露も見出だせない返答。

この場でこの声を聞いているのが、並の上位悪魔や堕天使程度であれば、素直にそう聞く事が出来ただろう。

だが、運良く時間停止を免れる事が出来ただけのグレモリー眷属とリアスを除き、この場でこの声を聞いているのは、歴戦と言っても良い猛者揃い。

彼らにはわかった。

どうしようもなく煮え滾った感情を抑えこむ為の、鋼の如き自制心による擬態。

抑えきれないものを抑えこもうとしているが故に、常ならば感じられる、以前に会った時も、つい数秒前まで感じられた、人間が自然に持ち合わせている筈の感情のブレが消えている。

 

伝えたのは不味かったか。

このまま暴れさせて囮とし、残るグレモリー眷属の誰かに確保させに行った方が良かったか。

サーゼクスが、アザゼルが、ミカエルが、その場の最上位三者がそんな事を頭に思い浮かべる。

 

「なら、あそこら辺は邪魔ですね」

 

静かな湖面、いや、凍てついた金属の如き揺るぎの無い声。

つい、と、無手の指を窓の外に向け、虚空で一文字に滑らせる。

 

──何の脈絡もなく、校庭に居た全ての魔術師が、消滅した。

 

何かの魔術を使ったようにも、何らかの神器を使ったようにも見えなかった。

中級の悪魔程度の力はあった筈の魔術師達。

少なからぬ防御手段を持っていた彼らは、結露した窓に描かれた落書きを布で拭ったかのように、跡形もなく消滅してしまったのだ。

 

大した力だ、と、その場の誰かが思った。

言うだけの事はある、と、その場の誰かが思った。

あれがこいつの神器の力か、と誰かが思った。

誰もが、人間の規格からは外れた力だ、と、そう思いつつ、脅威を感じる程ではない、と、思考した。

 

……その意識とは、思考とは裏腹に、身体は臨戦態勢を整えていた。

その事に、本能に遅れて理性が気付いたのは数秒を後にしての事だ。

気付き、何故と思い、改めて、『それ』を見た。

 

目に見える変化は僅かなものだ。

目の前の忍者が金色に輝いている。

力を発揮する際に輝く戦士など、この世界には吐いて捨てる程存在する。

だが、違った。

目にした瞬間、力ある彼らは気付いてしまった。

 

それは黄金。

それは汚泥。

それは輝き。

それは深淵。

それは希望。

それは悪夢。

それは空。

それは海。

それは虚無。

それは世界。

 

揺蕩う混沌がそこにあった。

無数の杖が突き立つ混沌の海であった。

母であり、父なのだと、そう思ってしまった。

目の前の人型を通し、世界の真実が垣間見えた。

 

錯覚だ、と理性が叫んだ。

世界の『根本』を覗き込み、悟ってはならない真実から心を守る為、本能が己を捻じ曲げ、理性にそう叫ばせたのだ。

生きていたい、無くなりたくない。

そう思う理性とそう願う本能が、宿主である人格の認識を無理矢理にねじ曲げたのだ。

 

正気を消し去る様な現実の記憶を、生物としての自衛作用が白昼夢の様に薄れさせ、目の前に見えるものへの認識を改めさせた。

彼らの理解しえる存在の相似である、と。

許容できる範囲へと理解を落とし込んだのだ。

 

或いは神。

或いは魔王。

或いは龍。

 

それに似た気配を持つ人間であると。

警戒するに足る存在であると、その程度の認識を残す事で、強い警戒心により違和を誤魔化したのである。

そして──

 

「あれが、ニンジャ……か!」

 

額に汗を浮かばせながら、歓喜に顔を歪める。

一匹の龍にとって、それは歓喜と同義であった。

 

―――――――――――――――――――

 

駒王学園、旧校舎。

学園を支配する上級悪魔、リアス・グレモリーが根城として使うこの校舎に、そんな彼女とは一切関係を持たない部外者が犇めき合っていた。

魔術──悪魔の使う魔力を用いた超常現象を人間が使用できる形に落とし込んだ技術──を用いる異能者、魔術師達である。

一本の廊下に十数人、たったこれだけの人数でも、通常の人間では数百人居ても太刀打ち出来ない大戦力。

身に纏う不気味な装飾の施されたローブは、彼らがその人生を掛けて研鑽した魔術を応用して作られた護りとなり、彼らが繰り出す魔術は軍隊の重火器にすら匹敵する。

完全な統率こそ取れていないものの、同じ方針を持ち動く超人、魔人の群れ。

彼らこそ──禍の団(カオス・ブリゲード)

 

今ある世の在り方に不満を持つ彼らは、自らの力を発揮できる新たな世界を望み、今回の計画に臨んでいた。

悪魔、堕天使、天使。

神話の頃から存在する聖書の三大勢力の和平会談を破断に追い込む。

全ては新たな秩序、力の支配する世界の為に。

 

彼らは燃えていた。

彼等自信が崇高であると信じている理想の為に。

 

だが──

 

「イヤーッ!」

 

気合一閃。

術理を鍛え上げ、護りを硬め、理想を燃やしていた戦士達の頭がザクロの様にはじけ飛ぶ。

魔術か、神器か。

いや違う。

彼等の頭をネギトロめいた物体に作り変えたもの。

それは、スリケン!

高速で手のひらと手のひらを合わせる事で空気を押し固めて形成されたクウキ・スリケンである!

 

形を持たぬはずの常温の空気が、特殊な体術により温度を保ったまま固形になるまで圧搾され形成され、鋭さを持って深々と頭蓋の中へと突き刺さり────爆発。

術の使い手の手から離れ、頭蓋骨という頑強な壁を突き破った時点で圧縮が解かれ、頭蓋の中で解き放たれた大量の空気が、彼等の頭蓋を内側から破壊したのである。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

 

放たれる、放たれる、放たれる。

回避も防御も許さぬ殺人技が、次々と超人である筈の魔術師達を屠って行く。

まるで無力な一般人と大差なく、練り上げた魔術の尽くを回避され、頑健である筈の護りを濡れた和紙の様に突き破られ──死ぬ。

無力に、無価値に。

これまでの研鑽が何だったのか。

そう考える暇すら無く、死んでいく。

彼等の目は自分達を屠殺場の豚の如く殺害していく襲撃者の影すら捉えられない。

 

この場には、一方的な戦場でしかないこの場には、無力を嘆く言葉も意志も無い。

あるのは、襲撃者への哀れみと、自らの力への自負。

超人たる魔術師たちは、それを抱えたまま、認識を改める時間すら与えられる事無く、彼等にとっての崇高な理念を抱えたまま、その思考と人生を閉ざされていく。

 

音すら置き去りに、衝撃波すら起こす事無く、聞くものの居ないシャウトのみを残し、襲撃者は走りだしてから僅か五秒で目的地へとたどり着いた。

シミひとつ、返り血一つ無いその忍び装束は、そのまま襲撃者と魔術師達の力量差を表していた。

殺さずに無力化もできたろう。

逆に、殺す事無く生の苦しみを一方的に与えることすらできただろう。

しなかった。

思い知らせるべきだと思い、しかし、それよりも重要なものがあった。

 

「WASSHOI!」

 

薄い旧校舎の壁を蹴り破り、目的地、オカルト研究部の部室へと突入する。

……通常、人間はどれほどの怒りに飲み込まれていようとも、部屋を出入りする時には扉を使う。

荒々しく開ける事もあれば、蹴破る事もあるだろう。

だが、彼はそれをしなかった、

扉を使う、などという無駄を許さなかった。

一秒たりとも、一ミリ秒たりとも無駄にするつもりは無かったのだ。

 

「な」

 

壁が破壊された事に何事かと視線を向けた魔術師の首が跳ぶ。

数秒意識を保てる程に綺麗に切り飛ばされたその頭は、一呼吸の半分もしない内に血霞となり、遂には何の色も持たない水へと変わり、破壊された室内を濡らす。

そこで、襲撃者は初めて脚を止めた。

 

見慣れたオカ研の部室の内装。

未だ混乱から脱し切れていない禍の団の魔術師達。

それに、椅子に括りつけられた、金髪赤眼の美少女──いや、女装美少年。

囚われの身である彼の無事を確認し、襲撃者は顔の下半分を隠していた布を下ろし、素顔を露わにした。

 

「無事か、ギャスパー」

 

―――――――――――――――――――

 

椅子に括りつけられたまま、壁を盛大に破壊して現れた男、読手書主。

その顔を見て、目を見開き、しかし、ギャスパーの視界は滲んでいた。

助けが来た。

これで迷惑を掛けなくて済む。

そんな事を考える事ができるほど、ギャスパーの心に余裕は残っていなかった。

 

「ふみぬし、さん」

 

ぼろ、ぼろ、と、頬を熱いものが伝う度、遮るものの無い視界がクリアになり、間を置かずに再び焦点を結べなくなる程に酷く歪む。

助けに来てくれた。

喜びよりも先に、碌に抵抗すら出来ずに拘束された無力さに、惨めさと悔しさと、申し訳無さが溢れだして来る。

 

「僕を……、こ、ころ、殺してください」

 

口を開けばこんな言葉しか出てこない。

自分の弱さに、自分の力すら碌に抑えることの出来ない不出来さに喉と鼻の奥がつんと熱くなり、みっともなく吐き出した逃避の言葉すらまともに言葉にできない。

……ずっと、ずっと、こうだった。

この目だけじゃない。

半分人間で、半分ヴァンパイア。

中途半端な血筋のせいで、親兄弟から蔑まれ、対等に扱われる事も無かった。

神器が発現してからはもっと酷い。

まるで手のつけられない化物でも見るような視線で見られ、誰と近づく事もできず、家からも追いやられ、その果てにハンターに殺されてしまった。

 

死んだ後、リアスに眷属として救われ、悪魔としての生を受けても、それが大きく変わる事は無かった。

神器を制御できる当てがある訳でもなく、部屋に押し込められた。

それでも、それでもよかった。

誰と友達になれなくても、ネットでの取引は成功し、命を救われた恩を返し続ける事ができていたからだ。

思えば、誰かの役に立つ事ができたのは、本当に嬉しかった。

誰かの役に立って、恩人の役に立って、それで褒められて、狭い部屋の中であっても、自分はここに居ていいんだと思えたから。

 

……それが、最近になって、変わり始めたと思った。

封印された部屋から出ても良いと言われて、自分の神器を恐れるどころか、本当に下らない、面白い事に使えるようにと考えて、制御するための特訓までしてくれる先輩ができた。

 

そして、出会えた。

新しい先輩が連れて来てくれた、同じ学年の、悪魔ではない、人間の男の人。

眼と眼が合った瞬間、同じだと思った。

深い深い、諦めにも似た暗闇を見た。

同じように眼の力で苦しんでいるのが、直感的に分かった。

目を合わせた瞬間、心が通じ合った。

 

似ていると、そう思って、でも、違うとも感じた。

瞳の中の闇に、輝きがあった。

まるで、暗い暗い宇宙の暗黒に散りばめられた煌星の様な輝き。

逃げるのでも目を逸らすのでもない、抗う意志があった。

自分と似て、でも、自分なんかとは違う。

抱いたのは、劣等感と、それと同じ位の憧れ。

 

「あんな、ものを、貰っても、僕がこんなんじゃ」

 

そんな彼から、眼鏡を貰った。

邪眼を制御する為の、聞いたこともないような珍しいアーティファクト。

自分の眼には効かなかったけど、と、そんな前置きと一緒に貰ったそれは、まともに制御出来なかった、勝手に発動していた邪眼を完全に抑えこんでいた。

『それでギャスパーの悩みが軽くなるなら安いもんだよ』

その言葉が、本心からの言葉であると感じて、泣きそうになるのを堪えるので必死だった。

それからは特訓にも身が入ったのか、徐々に制御方法が分かってきたような気すらしていた。

 

──でも、駄目だった。

魔術師の人間達に捕まって、力を注ぎ込まれて、それでも暴走しないとなった時、制御しているのがそれだとバレて、壊されてしまった。

宝物になるかもしれなかった、自分を想って譲ってくれた眼鏡が。

 

結局、自分は何一つ成長していない。

兄弟たちに虐められていたあの頃から、何でもかんでも止めてしまう化物になってしまった日から、自分は一歩も進めていない。

死んでいたところに新しい命を貰って。

誰かに迷惑を掛けなくてすむ部屋を用意してもらって。

神器の制御の特訓までしてもらって。

神器を制御するための珍しい道具まで譲ってもらっても。

……自分自身は、一歩も前に進めていない。

 

「何も、何も変わらないんです。……臆病者で、誰かに迷惑をかけることしかできなくて……」

 

貰ったものを、何もかも活かせず、台無しにするだけ。

何の意味も無い。

辛いだけで、申し訳なくて。

 

「こんなの、もう、嫌……!」

 

瞼を閉じる。

何も見たくない、誰にも迷惑を掛けたくない。

でも、自分で死ぬ勇気も無い。

死ぬのは怖い。

だから、殺して欲しい。

 

こんなに迷惑を掛けて、それでも死ぬのが怖いと思う自分が、殺してなんて言う身勝手な自分が嫌いで────

 

「馬鹿だな、ギャスパー」

 

瞼を閉じた暗闇の中、思考を遮る優しい声と共に、抱きしめられた。

 

―――――――――――――――――――

 

腕の中で震える、ハーフヴァンパイアの生涯と構成を綴った文字列──いや、ギャスパーの背をぽんぽんとあやすように軽く叩く。

 

「いいじゃないか、変わらなくても。まだ変わってないだけだよ。それは」

 

誰が、いったいこの世界の誰が、彼の事を責められるのだろうか。

魔神の欠片を宿し、異形として生を受けてしまった彼を。

碌に愛を受ける事無く育ち、放逐され殺されてしまった彼を。

絶望に歩みを止めてしまった彼を無理矢理に前に進ませる権利が、何処の誰にあると言うのだろう。

 

「迷惑なんてさ、此方()だって掛けてるよ。誰だってそうさ」

 

当たり前のことしか言えない、自分の口下手さをこういう時にはひたすらに呪いたくなる。

生まれ変わって、この地獄の様な世界に産まれ堕ちて。

少し変わった形でのやり直しの人生の中で、此方は未だ誰かの心を大きく動かせる様な説得力も、説き伏せるだけの話術も持てていない。

生まれて、育って、生きて。

目に見えるこの世界に勝手に絶望して、何もかもを『無かったこと』にしようとして。

誰も彼もに迷惑をかけて。

その後に得たものは忍者としての力。

戦う力、誰かを否定する力、騙す力だ。

誰かに助けて貰ったのに、そこから何を学ぶでもなく、そんな事ばかりを学んでいる。

歩こうと思っても、前に進もうと脚を踏み出しても、碌にその場から動けない不器用な男だ。

だけど、そんな此方でも、誰かが言った事があるような陳腐な言葉だとしても、彼に伝えたい言葉がある。

 

「でも、迷惑をかけることって、そんなに悪い事かな」

 

「え……」

 

腕の中のギャスパーが、ぱちりと瞬きをすると、眼を覆っていた涙が透明な雫になって零れ落ちる。

それを指で拭ってやりながら、思い出す。

誰も彼もに迷惑をかけて、それでも、誰も彼もが、自分を止めてくれた。

父さん、母さん、路地裏同盟のヒトたち、父さんの会社の人達。

世界の為に、という人も確かに居た。多くがそれで、それを踏み抜いてでも世界を消し去ろうと思っていた。

でも、できなかった。

そうでないヒトたちの心を、気持ちを、此方を助けたいと、本心から想ってくれているのが読めて。

決して届くはずのない、どんなに計算を重ねたって止められない此方を『殺す』のでもなく、『助ける』のでもなく、『愛して』くれた父と母の心を、文章でなく、心で受けてしまったから。

 

「此方は、ギャスパーの事で兵藤先輩に頼られて、嬉しかったよ。だって、彼に頼られなければ、迷惑をかけられなければ、ギャスパーには会えなかったから」

 

「……書主、さん」

 

呆けたような声で此方の名を呼ぶギャスパーは、いつの間にか、挿絵に切り替わっていた。

止めど無く溢れていた涙は止まり、涙の跡が残る頬を、泣きすぎて赤くなった目元を、くしゃりと歪めた泣き笑いの様な表情。

 

「勿論、誰も彼もが迷惑をかけられて嬉しいなんて事はないよ。……でも、ギャスパー。君の周りには、もっと君に頼られたい、寄り掛かって欲しいと想ってる仲間が、沢山居るじゃないか」

 

背もたれの後ろに回されていたギャスパーの腕を拘束していた、魔術的に強化された縄をクナイで切断。

抱きしめていた身体を離し、見下ろすギャスパーの表情は不安げなもの。

 

「進歩が無くても、前に進めなくても、同じところをぐるぐる回ることになってもいいさ。まず、立ち上がるんだ」

 

「ぼくに、できるかな。こんな、引きこもりの、駄目吸血鬼のぼくに……」

 

「できるさ。……もし君ができないと思うなら、立ち上がれないと思うなら、手を繋いで引き上げよう。立っていられないなら、肩を貸そう。力が足りないと嘆くなら────」

 

クナイの刃を握りしめ、肉に押しこむ様にしながら引く。

パックリと裂けて肉の断面が見える手のひらから、血が溢れだした。

目を見開き驚くギャスパーに、血の滴り落ち続ける手を差し出す。

 

「この血をもって、君の力となろう。……それとも、ただの忍者の血じゃあ、不満かな?」

 

 

―――――――――――――――――――

 

返答は、言葉でなく、笑顔と行動によって示された。

硬い蕾が花開く様な笑顔、そして、僅かな恥じらいと共に伸ばされた赤い舌。

震える舌が伸ばされ、流れ続ける赤い血を受け、熱い滴を喉の奥へと運んでいく。

こくり、こくり、と、白い喉が小さく嚥下の音を鳴らす度、その透き通る様な肌が上気していくのが目に見えてわかる。

敵に囚われ、緊張と恐怖から凍えていた肌が、性的な興奮にも似た熱に溶かされ、乙女のような柔らかさを取り戻す。

躊躇いがちに伸ばされていた舌は、既に傷口を直に捉え、唇は愛子に口吻を落とす様にして無骨な手を繰り返し啄む。

しばし後、傷口から溢れだしていた血が止まる頃、口惜しげに舌と唇を離した。

唾液にまみれた手のひらと血の赤の残る舌の間に銀のアーチが掛かり、落ちる。

 

「僕は、これでいいです。……これが、いいです」

 

唇に付いた赤い血を、人差し指で軽く拭き取る。

拭いきれずに唇に残った赤は紅を刺したように唇を鮮やかに彩った。

男から見ても女から見ても妖艶に映る誘うような仕草。

その仕草とは無関係に、壁の破壊された部室の中の空気が変わる。

不気味で、言い様のない不安感を感じさせられ、部室の中、ひとり残らず影にクナイを刺されて身動ぎ一つ出来ずに居た女魔術師達が恐怖に震えた。

無抵抗のまま、逆襲される。

何か、絶対にさせてはならなかった変化を遂げてしまった出来損ないのハーフヴァンパイアに、生きたまま食い殺される。

 

そんな時だ。恐怖に飲み込まれそうになった魔術師達の拘束が、相次いで解けた。

影に深々と突き刺さっていたクナイが、ひとりでに抜け始めたのだ。

しめた。

拘束から抜ける事ができれば、出来損ないと一般人如き、物の数ではない。

恐怖から逃れた反動で気が大きくなっていた魔術師が、まずは嘲りの言葉を口にしようとして、異変に気付く。

舌が、喉が、顔が痺れて動かない。

視界の半分が黒く染まった。

身体の一部感覚が消えた。

水風船の弾ける様な音と共に身体が軽くなった。

いつの間にか壁に寄り添っていた。

 

……魔術師達を見ていた側、書主や、元凶であるギャスパーからすれば、何が起きているかは一目瞭然。

全身の至る所を鬱血させ、内出血が悪化して皮膚を風船の様に膨らませ、血しぶきと共に破裂させ……ギャスパーの視界に入っていた全ての魔術師が、地に倒れ伏していた。

精密かつ局所的、意識的な時間停止により、彼女たちは全身の至る所に血液の通らない、時間停止箇所を作り、自らの血流の力で体内から肉体を破壊させたのである。

恐らく、脳内の血管もいくつも時間を止められて栓を作られ、脳内出血により、脳障害、そこから派生する視覚障害を始めとした神経障害をも併発しているのだろう。

血液を好む吸血鬼にふさわしく、時間停止の神器を完全に使いこなした、冷酷な戦い方。

しかし、この惨状を引き起こした張本人であるギャスパーは、彼等に最早一瞥すらくれていない。

溢れだした血液を啜るどころか、その血液に触れないようにすらしている。

 

「ぼく、うまくやれてる?」

 

舌っ足らずで甘えるような口調で、蕩けた瞳を書主に向けている。

最早無力化した魔術師達への興味は一切感じられない。

部屋の中の影に半ば溶ける様に輪郭を崩し、自らの一部である影を書主の身体に纏わり付かせながら、ただ無邪気に褒められるのを期待している。

 

「ああ、上出来だ。それじゃあ……先輩達と一緒に、校舎の外で待っていてくれ」

 

その言葉に、形のない影の塊の中に出来た無数の目が、部室の中に置かれていた悪魔の駒に視線を向け、はっとした様にギャスパーの身体の中に引っ込む。

ギャスパーの身体が明確な輪郭を取り戻したところで、キャスリングを応用した転移により、リアスとイッセーが部室の中に転移してきた。

二人は部室内の惨状を気にも止めず、縛られていたと思しき椅子から離れているのを確認し、安堵の表情を浮かべる。

 

「ギャスパー!」

 

駆け寄り、ギャスパーを抱きしめるリアス。

ギャスパーの細い体を強く抱きしめるその姿は、迷子の子と再会した母の如き母性を感じさせた。

 

「良かった……無事だったのね」

 

「部長……」

 

母性を、自分を母の如き慈愛で持って想ってくれているリアスの思いを感じ、ギャスパーは柔らかな笑みを浮かべた。

ああ、何故、何故殺してくれなどと頼めるのだろう。

こうして自分を想ってくれるヒトが居る。

自分がもし死んでいたのなら、彼女が、彼等が、どんな顔をしていたか。

それを思えば、もう、死のうなんて、諦めようなんて思えない。

 

「ごめんなさい、部長。ぼく、沢山、沢山迷惑をかけちゃって……頼ることも、できなくて」

 

「大丈夫、大丈夫よ。貴方がどれだけ迷惑を掛けても、頼ってくれても、何度だって叱って、助けて、一緒に居て上げる。絶対、貴方を離さないわ」

 

―――――――――――――――――――

 

此方の中でグレモリー先輩への信頼度爆上げな光景を涙ながらに眺めた後、グレモリー先輩に抱きしめられているギャスパーを安心したようなおっぱい押し付けられて羨ましそうな表情で見つめていた兵藤先輩に声をかけ、一度部室の外に出て貰った。

言い訳として、これから此方で独自に情報を聞き出したいが、その時の光景や音声や臭いが囚われて弱っているギャスパーには刺激が強すぎるから、と言うと、最終的には生きている魔術師は生きたまま冥界に引き渡す事を条件に外に出て貰えた。

この言い訳に素直に頷いて、ギャスパーに気を使ってくれる辺り、グレモリー先輩は本当に部下想いの悪魔なんだろう。

 

「さて」

 

ギャスパーには刺激が強い、というのは嘘にしても、これから起こる現象は、精神衛生上余り宜しくないのは確かだ。

特に、今の血に酔っているギャスパーにはあまり良くない影響を残しかねない。

冷酷な吸血鬼として生きていくなら良いのかもしれないが、彼が生きていくのは温かい仲間も居る悪魔社会なのだ。

ここから先は、完全に此方の八つ当たりだ。

彼のこれからの健やかな成長を願えば、この場面を見せるなどという事はありえないし、此方の精神的な健康を慮れば、この魔術師たちに八つ当たりしないという選択肢も存在しない。

 

「良い姿じゃないですか、魔術師の皆さん」

 

見下ろし、挿絵にすらなって居ない文字列の塊に笑みを向ける。

視覚と聴覚が辛うじて此方の事を認識できるレベルで働いていた魔術師数名の文字列、その感情を司る部分が屈辱と恐怖に書き換わって行く。

自分達の思想を理解すらできない劣等が、とか、魔術師でもない人間ごときに、とか、何をするつもりだ、とか、殺される、とか。

まぁ、まぁ、この状況で色々と思えるものだと関心してしまう。

 

「肉体はボロボロ、脳も血管破裂して機能不全、これじゃあ、魔術師として復帰どころか、日常生活に戻るのに何年かかるか、いや、戻れるかどうか……悔しいでしょうねぇ」

 

普通に考えて、肉体の一部分の時間を止める、なんて事をすれば、この魔術師達と同じように体内で血流が遮られて一部が壊死するのが普通だ。

これまでのギャスパーの時間停止でそれが起きなかったのは、ギャスパーの優しい心根を神器が無意識の内に酌んで発動していたからだろう。

そして、余程運が良くなければもっと重い障害が残るか即死するかの脳内出血で、この場に居る魔術師は一人足りとも死んでいない。

それは優しさから来るものか?

いや違う。

 

「ふふ、そう怯えないで下さいな。此方は、貴女達を殺しに来たのではありません。────貴女達に、素晴らしい生を与えに来たのです」

 

魔剣を、配下であるドゥールゴーファを呼び出す。

別に、此方自身がかけてもいいのだけれど……それでは、苦しみはそう長く続かないだろう。

此方は、とりあえず人間として生きて、人間として死ぬと決めている。

生きてせいぜい百年そこら。

……その程度の短い苦痛と絶望で終わらせられる訳がない。

 

「これより貴女達に、永遠を生きる肉体(尽きること無き苦痛)と、決して狂わない強い心(終わることのない絶望と悲嘆)を与えます。……喜んで頂ければいいのですが」

 

あの優しい子を利用し、無理矢理に神器を使わせて、愛すべき彼の仲間を陥れ、あそこまで思いつめさせた。

ただそれだけで、と、そんな事を思うお前達には、この結末こそが相応しい。

単独では思考することも戦う事もできない配下である魔剣に、威力増幅の為の魔力と、命令代わりである此方の意を流し込み、倒れ伏す魔術師の一人に向け、呪を放つ。

 

屍肉呪法(ラウグヌト・ルシャヴナ)

 

極々単純な作用を齎す、嫌がらせと拷問にしか使えないどうしようもない魔術。

対象となった魔術師の壊死していた肉体が、破裂した血管が、死滅していた一部の脳細胞が見る間に再生し、再生し、再生し……今の彼女にとっての、あるべき姿へとたどり着く。

表面に元は人間であったと示す顔の名残が張り付いたおぞましい色をした肉塊。

完成と同時に肉の一部が蛇に、蟲に変化し、自らを生み出した肉塊へと喰らいつき、食い千切りながらぞぶぞぶと肉の中に潜り込んでいく。

絶叫、のつもりなのだろうか、縮小された声帯がか細い悲鳴を上げ、表面に張り付いた顔面が激痛から顔が崩れる程に歪む。

そこで見どころは終わったのだろう、肉塊が文字の塊に、まさしく塊と言っても過言でない文字の団子に変化した。

もう、この物体が挿絵に見える事はないだろう。

この物体は、限りなく頑強に作り上げたこのドゥールゴーファが死ぬ、消滅するまで、どれだけ時間が経とうとも他の姿に変る事はない。

 

「──ああ、そう焦らなくても、順番に、全員に行き渡りますから、安心してくださいな」

 

興味の失せた文字塊から視線を外すと、倒れていた、此方で何が起きたかを理解できた半死半生の魔術師達が、不自由な体を引きずり少しでも此方から遠ざかろうと這いずって逃げていた。

誰も彼もが恐怖に顔を歪めて、その人生最期とも言える一枚の挿絵を此方に見せつけてくる。

だが、こんな奴らの顔なぞ、たとえ挿絵になっていたとしても見る価値も記憶する価値も無い。

瞼を閉じ、安心させるように笑顔を浮かべたまま、魔力を充填したドゥールゴーファを手に下げたまま、ゆっくりと一人一人に歩み寄り、残る全員に見せつけるよう。

 

……数分の後、部屋の中は小さな絶叫を上げ続けるだけの文字団子だけ。

彼等の人間として発する最期の捨て台詞の数々を記憶の外に放り捨て、此方も新たな獲物を探しに、旧校舎の外へと脚を向けた。

 

 

 




ハメの全部のHSDD原作のSSを読んだ訳ではないですが
この時点のギャスパーの説得にここまで力を入れたSSはそう無いだろうなと思えるのが今の自慢です
コツは深夜にラブレターを書きなぐるレベルでノリノリで書き、時間を置いて読みなおして恥ずかしければそのまま採用
休日の昼間に書くには難しいテンションでした
誰得かと言われれば、二次創作SSなんて何が無くてもまず作者得なのだよなぁと思う吉宗であった

★ギャスパー
好感度レース初参戦時点から原作組ではトップに踊り出たダークホース
色々追記されてヤバイ主人公の血を飲んでエロ覚醒
血に酔ってスカートを内側から可愛らしく押し上げたり、淫靡な栗の花の様な匂いが漂い、とか書こうとしたけど流石にドン引きされるかもと思って描写はしてない
血を飲むシーン書きながら思ったんですけど、こういう描写はメインヒロインである小猫さんでヤルべきなんじゃないだろうか
でも一切後悔はしていない
ところで日常の交流の中で主人公に抱きついてさり気なく股間を太腿に押し付けるのは一線の向こう側か此方側かわからないんですけどセーフですかアウトですか

あ、原作キャラの中ではダントツ一位の好感度だけど、同性だからヒロインの座は全然無事だから小猫さんは安心していいですよ!
同性だから日常の中で体と身体がくっついちゃう場面があってもジュースの回し飲みとかしてても全然気にしなくていいですよ!

★三勢力のトップ陣
あなた達は意図せず宇宙の未知なる深淵を覗き込んでしまった。SANチェックです!
別のものと重ねたりしたけど、誤認した訳ではなく印象が重なっただけだからセーフですよ

★白龍皇
戦闘狂で戦うことが全て、と思わせつつ、何かのきっかけがあればまともな道に戻れそうなところがあるのは卑怯だと思いますと主人公が言ってた
たぶん殺されたりはしない

★禍の団の女魔術師達
タイプする時面倒なので辞書登録が便利です
まだまだ外には沢山居るから、一教室ぶんくらいなら肉団子にしても問題無いらしい
明らかに力不足だったような気もするがそれは原作でも同じ
とんだロマンチスト達だったのかもしれない

★リアス部長
母性の塊
おっぱいの塊と書こうとしたけど想像したらただのグロ肉だったので止めた
さして強くない事を除けば、保護者としてはいい人なのかもしれない

★イッセーさん
別に遅れて来たわけでなく、原作での説明パートを受けていただけ
来たら来たで全て終わってたけど、なんかいい話っぽい空気だったので空気を読んで黙ってた

★主人公
遊ぶ余裕が無い状態で動くとニンジャシャウトが口から飛び出したりする
が、基本的に動く際は衝撃波を生まない特殊走法で音速を超えているので、相手がこのシャウトを聞くことはあまり無い
キレ過ぎて転移して直行という選択肢が頭から消えていた
おっぱいもお尻も好きなノンケ
因みにギャスパーへの口調は親密度が高いレベルに至った時にのみ現れる特殊口調なので小猫さんは気にしなくていいですよ!

★クウキ・スリケン
拙者の術も獣までは騙せなんだか……
ザ・ニンジャの輝かしい大金星を思えば、人間相手に使った場合はこれくらいの威力が出ても可笑しくはないのだ
始祖達の身体に少しは突き刺さるんだし

屍肉呪法(ラウグヌト・ルシャヴナ)
出展はスレイヤーズ
魔族のみが使えると言われる恐るべき不死の魔法
解呪は基本的に出来ず、術者を殺すか、術者を超える力を持つ魔族の力で消し飛ばすしか効果はない
終わることのない苦しみを与えて見せしめにする為の魔術なので、たぶん記憶とか最低限の思考能力くらいは残っていると思われる

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