文字通り絵に描いたような、あくまでドラゴンメインの高校生活 作:ぐにょり
赤眼の魔王、シャブラニグドゥ。
その名を聞き、リアスは驚愕し、しかし、次の瞬間には訝しげな視線を宙に浮かぶディオドラであったものに、そして小猫に向ける。
「シャブラニグドゥ? あれが?」
異界の魔王であるらしいシャブラニグドゥについて、リアスが知る知識はそう多くない。
小猫の操る未知の魔術における奥義とも言える術において、その力を貸している存在であるという事。
そして冥界や、あるいは地球上に存在する他の神話勢力の中には確認できない、実在すら怪しい存在であるという事だ。
だが、その知識量の少なさ故に、自らの知らない異界の魔王について思索を巡らせた事はあった。
何せ、学べばほぼ誰でも覚えることのできる魔術という技術によって行使される術が、高い不死性を持つフェニックスを一撃で再起不能にまで陥らせているのだ。
いつぞやのレーティングゲームでかの魔王の力を借りて放たれた
術者の意向を酌んでのことか、あるいは純粋にフェニックスの不死性が勝ったのか、完全に復活できないという事もないが、現状、時間経過により緩やかに精神を癒やしていく事しかできていないらしい。
つまり、たかが、たかが一分にも満たない準備で発動する魔術が、精神面にのみ限定するとはいえ、主神級の攻撃に準じる威力を持っているという事だ。
それほどの力を術者に何の見返りもなく授ける程の力を持つ魔王ともなれば、それは冥界の歴史に存在する並の魔王を遥かに上回る力を持っているのではないか。
「本当に、あれが?」
そんな危惧を抱いていたリアスからすれば、その魔王らしきものは、些かプレッシャーに欠けているように感じられた。
濃密な魔力を感じる訳でなく、強者特有のプレッシャーも感じない。
こうして警戒できているのも、リアスの一番のお気に入りであり最強とも言える下僕のイッセーが不意打ちとはいえ一撃で沈められたが故だ。
そうでなければ、せいぜいが上級悪魔か何かにしか見えないだろう。
寒気を感じる奇妙な雰囲気こそ纏っているが、その雰囲気は直前まで相対していたディオドラと大差ないとすら思える。
「いや、君の気持ちもよくわかるがね? 余り甘く見ないほうが良い」
突如として聞こえてきた声。
聞くものの身体から熱を奪うような声、そして、オーラ。
軽鎧にマントを付けた男がシャブラニグドゥの隣に降りてくる。
「偽りの血族を『材料』にして作った紛い物とはいえ、それなり以上に力はある」
「……誰?」
リアスの問いに、恭しく、いっそ尊大さすら感じられる程にオーバーに一礼してみせる男。
「お初にお目にかかる、忌々しき偽りの魔王の妹よ。私の名はシャルバ・ベルゼブブ。偉大なる真の魔王ベルゼブブの血を引く正当なる魔王の後継だ。オーフィスの玩具にしかなれぬ先の偽りの血族とは違う、ね」
隣に浮かぶシャブラニグドゥの頭を気安く、安物の置物でも叩く様に小突くシャルバ。
それに対し、シャブラニグドゥは一切動きを見せない。
「さて、サーゼクスの妹君。貴公等にはこれから纏めて、順繰りに死んでいって貰う事になる。理由は言わずともわかるだろう?」
そう、言わずとも判るほど、旧魔王の血族と現魔王の間の溝は深く広い。
現魔王達は旧き魔王の血族達を納得させた上でその立場に居るとは言いがたく、旧魔王派とも呼べる彼等が冥界での現政権下に置いて大人しくしているのは『そうせざるを得ない程の力の差』があるからに過ぎない。
現政権を覆せるほどの力を得ることが出来たのなら、どうなるか、というのが、現状であった。
つまり、あのシャブラニグドゥもまた、現状の冥界のパワーバランスを崩す事ができる程の力の一端なのだ。
少なくとも、シャルバがそう考えているという事だけは間違いようのない事実だった。
「出自も知れぬ他所の神話の魔王の紛い物ではあるが、あの偽りの血族が呑んでいた蛇とは比べ物にならない量のオーフィスの力が込められている。もっとも、力だけで知恵も何も無い木偶ではあるが……貴公等全員を捻り潰すのに不都合は無い」
す、と、シャルバが見下ろす先、リアス達を指差す。
「やれ」
短い命令。
その言葉にリアス達は素早く身構える。
少なくとも相手は、ディオドラから完全に肉体を乗っ取る前から、禁手状態のイッセーを殴り飛ばし、一撃で気絶させるほどの物理的な攻撃力を備えている。
その上で魔王と称されるだけの能力を秘めているのだとしたら、何が飛び出しても不思議ではない。
それこそ、竜破斬の様な攻撃が悪魔の放つ魔力弾の如く雨あられと降り注ぐ可能性だってある。
そうなれば逃げるのも不可能だし、防ぐ手段すら思いつきもしないが……。
「……? おい、どうした」
しかし、その予想は覆される。
シャルバに命令を下されたシャブラニグドゥは、その命令とは裏腹にぴくりとも動こうとしない。
置物の様な、いや、まるで放心しているように見える。
「おい、聞いているのか」
一切の反応を示さない自らの手駒にしびれを切らしたシャルバがシャブラニグドゥに指を向け、その指先に光を宿す。
悪魔の魔力とは異なる輝き、天使の用いる光の力にも見えるそれを打ち込まんとし……、
「…………あ?」
光を宿した指が、消えた。
より正確に言うのなら。
シャルバの『肩から先』が、前触れ無く消えたのだ。
「っっ…………!!! あ、ああぁぁぁあぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
遅れて、ごぼりと血があふれだす。
絶叫しながら肩口を抑えてもその勢いを止める事は出来ない。
生物として頑丈な作りをしている悪魔ではあるが、身体の中には血管も神経もあり、見た目上の基本的な構造は人間と大差ない。
綺麗な断面ではあるが、それこそ肩の関節周辺から根こそぎ消失している。
助からない訳ではないが、平常心を保てるほどの軽症ではない。
突然の出来事に、その場の誰もが事態についていけていない。
ただ一人、紛い物と称されたシャブラニグドゥだけが、小さく笑い声を上げている。
笑い方、いや、声の出し方すら知らないようなぎこちない笑い声。
「貴様、貴様か! この私に、何のつもりで」
魔力で傷口を塞いだシャルバが食って掛かる。
が、その言葉すら途中で途切れてしまった。
当然だろう、顎が消し飛んだのではまともに声を上げることはできない。
だが、今度は綺麗に消失させられた訳ではない。
シャブラニグドゥが、その手の中でシャルバの下顎を弄んでいる。
「──────────!」
声にならない怒声。
苦痛、屈辱、怒りに染められた表情でシャブラニグドゥに光を放つシャルバ。
文字通り渾身。
魔王級と言って差し支えない程の威力を備えた一撃を。
「……」
避けもせず、防ぎもせず、シャブラニグドゥは受ける。
いや、その攻撃に気付いているかも怪しいほど、小動もしない。
真紅のローブすら、まるでそよ風を受けた時の如くたなびくのみ。
通じていない、いや、意にも介されていない。
「……違う」
この場において、種族的な特徴として狩猟を嗜む小猫だけが、眼前に君臨する魔王の紛い物、そのオリジナルの性質を多少なり理解している小猫だけが、違和感に気付く。
シャブラニグドゥはシャルバを気にしていない訳ではない。
むしろ今、シャルバこそがシャブラニグドゥの興味を引いている。
恐らくは、何らかの条件付けを施され、シャルバの命令に従うように調整されていた、いや、したつもりだったのだろう。
だからこそ、シャルバ曰く知性の欠片もない力だけの紛い物は、シャルバにのみ執着を抱いている。
いや、執着という程に重い感情ではない。
無に等しい知性で、シャルバという、自分以外の他者を認識している。
その程度の理由でしかないのだろう。
だからこそ、あの有様なのだ。
小猫の有する知識の中で、魔族という存在は、生物の負の感情をエネルギーとして、直接的に言えば餌としている。
だからこそ、彼等が自分以外の誰かに対して行う行動というのは、最終的に不快にさせる方向に帰結する。
誰かに従うことこそあれど、それはそのように精神を形作られて生まれてくるか、或いは自分よりも強い、自分を消滅させるだけの力を持っているからこそ、という理由が必要になる。
下級、中級の魔族を特殊なアーティファクトを用いて契約で縛る事こそ不可能ではないが、少なくとも、魔王を契約で縛り命令に従わせるなどという話はついぞ聞いたこともない。
そもそもの話、だ。
あれが無限の龍神オーフィスが作り上げたものであるとして。
……本当に、仮の部下であるシャルバにまともな手綱を預けるだろうか。
無限の力を持つというのであれば、常人では計り知れない程に雑な、大らかな基準で縛っているという可能性は無いか。
曖昧な命令を受け付けるだろうか。
その命令の隙を付く事ができるのではないか。
いや、或いは。
存在の法則自体が異なるが故に、掛けられていた枷が、実質的に何の意味も成していないのだとしたら。
もしくは、ベースと成った生物の頭脳や魂から、新たに知性を構築する可能性があるのではないか。
「部長」
「何?」
「逃げましょう」
腰が引けた、いや、見る者が見ればそれと判る、走りだす一歩前の獣の如き姿勢で、小猫が言い切る。
了承を受ければ、直ぐ様踵を返し背後に向って全力疾走を始める為の構え。
戦力差を鑑みての、小猫にとっての最善の一手がそれだった。
「何馬鹿な事を言ってるの、アーシアがまだあそこに、それにイッセーだって」
「逃げる前にイッセー先輩を拾う位の時間は稼げます。アーシア先輩は……まだ、大丈夫な筈です」
大概、希望的観測が過ぎる予測ではあるが、これが小猫にとっての最大の妥協点だった。
少なくとも、現状であのシャブラニグドゥには勝てない。
自分たちには注意が向いておらず、敵であるシャルバを嬲って負の感情を作り出す事に夢中になっている今、少しでもこの場を離れて時間を作らねばならない。
対処法が無いとは言わない。
リアスにできるかは解らないが、少なくともサーゼクスであれば、小猫のアドバイスを元にシャブラニグドゥのアストラルサイドに存在するであろう本体へと滅びの魔力をぶつける事ができるかもしれない。
そうでなくても北欧神話の主神が居る以上、そちらに知識や力を借りるという手もある。
一瞬、ここに書主が居れば、とも考えたが、如何に彼でも魔王を相手にするのは難しいだろうと小猫は考えを改める。
自分の使う魔術は全て使えるとの話だったが、だからといって魔王を殺せるかは別の問題だ。
もしもあの魔王がこの場の全員を全滅させて野に放たれた時、彼がどうにかしてくれるかもしれないという希望が残るから、今この瞬間にこの場に来ていなくて良かったとすら思えた。
そう、現役の魔王や主神に頼るという手を選べる現状で、しかし、小猫は既に全滅を想定に入れてすらいた。
「こ、の、この、作り物の、紛い物の、木偶風情がああぁぁぁぁぁぁ!!」
しかし、リアスが小猫の提案内容に思案している間に、状況は一つの終わりを迎えようとしていた。
何らかの強化手段があったのか、魔王に匹敵するレベルの魔力を迸らせ、引きちぎられていた肉体を無理矢理に再生したシャルバが、再び全力の一撃を放ち、
「あ」
またも防がれる事すら無く、傷一つ無く受け切られ、今度こそ、その顔が絶望に染まる。
漲る魔力もシャルバの意志が折れると共に、向けられる先を失い虚しく萎れていく。
シャルバが自信の源としていた力は全て通じず、後に残されたのは徹底的に踏みにじられた、古の魔王の血を継いでいるという誇りの残骸のみ。
激しい怒り、憎しみ、屈辱、そして、絶望と共にシャルバの感情がフラットに近付き……。
「ぃぎ」
全身を捩じ切られ、苦痛の絶叫の頭だけを残し、音もなく、その生命を終えた。
残る布と金属の混じった肉の塊が、嘗て魔王と呼ばれた悪魔の子孫であると誰が理解できるだろう。
尊厳を完全に踏みにじられ、敵であろうとも思わず同情してしまいかねない無残な最期だ。
ここまでするか、と、見る者に思わせるほどに残酷で残虐な仕打ち。
それは結局のところ、その仕打ちを受けるのが自分たちと同等の、同種の存在であるが故の事だ。
あの魔王もどきが行ったのはつまり、魔族という種族にとっての食事に他ならない。
単純に物質的生命体の食事と同じという訳ではないが、方向性は似たようなものだ。
手に入れた獲物を潰して、食べられる部位に分けて食べた。
食べ残しが出ないように、残骸まで綺麗に腑分けした。
旧魔王の子孫、シャルバ・ベルゼブブ。
本来蹂躙し食らう側であった彼の最後は、骨の髄までしゃぶり尽くされる餌という、目指した場所とは正反対の立ち位置であった。
「……祐斗先輩、ゼノヴィア先輩」
じり、と、小猫が後ずさりしながらシャブラニグドゥに向き合う。
リアスの言葉に従い仲間を助けるためではない。
仲間意識から自発的に思い直したのでもない。
危機に瀕した生命としての本能が、植え付けられた魔術師としての知識が、そうせざるを得ない状況であると判断させたのだ。
それは生命体としての本能にて、ほんの少しだけ劣っている、人間上がりの悪魔である祐斗とゼノヴィアも同じだった。
小猫が声を掛けるよりも先に、エクスカリバーやデュランダルを構え、油断なくシャブラニグドゥに向き合っていた。
油断なく、いや、油断ができるはずも無かった。
リアス、朱乃、ギャスパーの反応が遅れたのは、産まれながらの種族的強さが原因だろうか。
本来的に支配者であり蹂躙者であると遺伝子に、魂に刻まれているが故に、その危機感を受け入れるのに僅かに時間が必要になってしまった。
その危機感とは。
「我、は、私、は」
視覚か、いや、それはどの五感とも異なる精神生命体特有の感覚だろうか。
文字通り魂、精神に向けられたその感覚を、物質世界でのそれに置き換えるとしたなら。
「ま、お、まおう……、魔王、シャブラニグドゥ」
餌を喰らい、しかし、未だ空腹を抱えた、
「ふせ──」
小猫が叫ぶ。
伏せろ、か、防げ、か。
その言葉が最後まで形を作るよりも早く、戦場に稲妻が走る。
負の感情から沸き立つと言われる、異世界における魔力。
余りにも単純に、雷光などの属性が付与された訳でもない、ただ電撃を迸らせただけの一撃。
悪魔に向けるには余りにも純粋で、聖なる力を宿すでもない物理的過ぎる力。
「ああっ!」
それを、その場の誰もが防ぐことも避ける事も出来ず、受ける。
防ぐのが遅れたのでも、避けるのが遅れたのでもない。
何の属性も神秘性も含まない純粋な雷撃が、上級悪魔の、或いは堕天使混じりの結界を、覚醒した吸血鬼の時間停止防壁を貫いたのだ。
ただの、単純な火力のみで。
「────よくもっ!」
最初に動いたのは祐斗。
魔力による雷撃を受けなかった訳ではない。
ただ、体内に埋め込まれたアヴァロンの効力は確実にダメージを減らし、魔力と引き換えに受けたダメージを即座に回収した。
腰部から生えた黒い翼を羽撃ち、しかし飛ばず、駆ける。
筋肉の全力稼働による断裂すら回復力により無視できる祐斗の脚力は肉体派の妖獣魔獣に匹敵する速度を与え、翼による加速は一方向への瞬間的加速において爆発的な効果を発揮する。
正面から全力で加速して突っ込んでくる祐斗に的確に反応できるのは、過去の大戦の生き残りの中でも限られた実力者のみだろう。
そしてその手の中には異世界において星そのものが鍛えたとも言われる聖剣のコピー。
聖剣の因子保持者の意志を束ねた剣はその性質上、精神生命体への有効な打撃が可能である。
黒塗りの聖剣は過たずシャブラニグドゥへと振り下ろされ……。
「せい、けん。せいまけん、聖ま、剣」
その刃を掴み取られた。
必殺必滅の意志を込めたエクスカリバーの刃を、何の工夫もなく片手で握りしめて受け止めるシャブラニグドゥ。
握られた刃は、込められた聖なる力は、シャブラニグドゥの掌の薄皮に浅く食い込むのみ。
赤いフードを被った白い仮面が祐斗に向けられる。
「せいなる、力、人のいし、意志の乗る、つるぎか」
辿々しく、だが、明らかに文章として成立し始めているシャブラニグドゥの言葉には余裕が伺えた。
「
それが意味する多くの危険性を誰が把握するよりも早く、
「
爆発。
丁度、シャブラニグドゥと祐斗の中間地点、やや祐斗寄りの位置で発生した爆発は、シャブラニグドゥから祐斗を遠ざける形で吹き飛ばす。
小猫の魔術。
とっさに、この状況で敵の情報を一番多く知り、対抗策を持っているであろうと直感的に察したゼノヴィアが、デュランダルと自らを盾にして小猫を庇っていたのだ。
シャブラニグドゥが握りしめていたエクスカリバーが、爆発の衝撃で祐斗が吹き飛ばされると同時に形を失い空に溶けて消える。
吹き飛ばされた祐斗はそのまま着地と同時にシャブラニグドゥから距離を取った。
そのまま、倒れたゼノヴィアの代わりに小猫やリアス、朱乃を庇うように立つと、エクスカリバーとは異なる聖魔剣を二本作り出し構え直す。
「手荒ですみません」
「いや、助かったよ小猫ちゃん」
状況は振り出しの一歩後ろ程度にまでは巻き戻された。
グレモリー眷属はその全員が多少のダメージを負い、しかし、シャブラニグドゥの初撃で意識を失っていたイッセーも先の雷撃で意識を取り戻していた。
意識を失いながらも禁手状態を維持していたイッセーが、霞む視界や意識を正すようにフルフェイスの割れた頭を振る。
「部長、あれは」
「強敵よ。ディオドラとは比べ物にならない程にね」
直前に意識を失っていた為、未だ魔王シャブラニグドゥの覚醒を知らないイッセーに、リアスは簡潔に答えた。
強敵、それ以外に説明が必要だろうか、説明が可能だろうか。
リアス自身が知るシャブラニグドゥの情報は少なく、小猫もまたこの状況で長々と敵の性質を説明する事もできない。
少なくとも、この場で警戒するのに改めての説明は不要だろう。
イッセーもまた、リアスが強敵と断言した時点で一切の油断を捨てた。
尾を振り、中に格納していたアスカロンを満身創痍のゼノヴィアに向けて投げ渡す。
余分な錘を捨て、改めて拳を握る。
決まりきった構えの存在しないドラゴンの戦闘態勢。
復活したイッセーが完全に戦う用意を済ませるまでシャブラニグドゥに一切の動きはない。
いや、明らかに全員の戦闘態勢が整うのを待っていたのだろう。
余裕を滲ませ、構えすら取らずに宙に浮かんでいる。
「大儀、で、あった」
「何?」
「わたし、に、復活の……誕生の機会を、与えた、事だ」
その姿は戦うに臨む者の姿ではなく、配下に褒美を与える王の様で。
戦う意志がない、というより、戦いになるとすら考えていない。
「ささやか、な、礼、として……、このわたしに、従うのなら、天寿を全うする事を許そう」
「……嫌と言ったら?」
「そう、さな。そうであれば、
ちら、と、リアスが小猫に視線を向ける。
全身を総毛立たせ、顔面を蒼白にした小猫は小さく、しかし素早く首を振る。
異界の魔王に従うという事がどういう事か、一時的にでもその傘下に入った場合に何をする事になるのかを理解できないリアスの視線だけの問いに、小猫はその全身で以って否を返した。
(それだけは、駄目です)
小猫は知っている。
異界の魔王、ひいては魔王を含む魔族という存在は、短期的に見れば生命体の負の感情を食らう為に動いているように見える。
だが、魔族の長たる魔王ともなれば、その行動は魔族の真の目的に直結する。
即ち、この世全ての破滅、滅び、消滅、無への帰結。
魔族の母と言われる金色の魔王、ロードオブナイトメアの元へと帰るための使命。
従う、という事は、これまで出会った全ての存在への、これから出会う全ての存在への裏切りだ。
偽りでも、従うという選択肢は破滅にしか続かない。
(どうする、どうすれば)
小猫は思考を、脳に刻まれた魔術の、魔族に関する知識をフル回転させる。
元々魔術向きの脳構造をしている訳ではない小猫だが、魔王への対抗策ともなれば、逃げるための一手であっても思いつく事は絶望的だ。
返答を濁すリアスに何時魔王がしびれを切らすかもわからない。
時間制限すら解らない選択式ですらない難問。
「そこの」
その制限時間は、唐突に尽きる。
しびれを切らしたわけでもなく、しかし、シャブラニグドゥの紅玉の視線がイッセーに突き刺さっていた。
「
「……」
イッセーは応えない。
どう応えても意味が無いと考えているのか、だんまりで時間を稼ごうとしているのか。
だが、傍目にイッセーが何を目指して動いているかは明らかだ。
未だ謎の装置に囚われたままのアーシアに、ゆっくりと近づこうとしていた。
見る者が見れば、その全身鎧に埋め込まれた宝玉に宿る力が、既にかなりの段階まで力を倍加させている事もわかる。
「あの小娘か」
そして、シャブラニグドゥの視線が囚われたアーシアへと向けられた。
…………仮に、この場に居るシャブラニグドゥが、全く関係ない、何の因縁もない相手であったのならば、イッセーの行動は気にも止められなかっただろう。
復活、いや、誕生させてくれた礼として、或いは気まぐれの一つとして助ける事すらあったかもしれない。
心優しい聖女の悪魔が、自分を助けるために想い人が異界の魔王に従い世界を破滅へと誘う。
そんな未来に味わえる負の感情を想像して、見返りの一つとして提示する事もあったかもしれない。
だが。
こことは異なる世界において、人の身から復活した二柱の魔王と同じように、この模造品の魔王もまた、わずかに元の宿主の性質を残していた。
いや、そんな残滓に影響を受けたわけでもなく、生まれたばかりであるが故の、幼い悪戯心でしかないのかもしれない。
「……ふふ」
シャブラニグドゥが小さく笑う。
「! 止め……」
直感的に何かを察したのは誰だったか。
とっさに手を伸ばした先は囚われたアーシアか、僅かに動いたシャブラニグドゥか。
だが、そのどちらもが無意味。
シャブラニグドゥがローブから出した拳を握り締める。
たったそれだけ。
そんな小さな挙動と共に現れた光の柱は、アーシアを飲み込み、消えた。
後には何も残らない。
リアス・グレモリーの眷属。
元聖女の悪魔、アーシア・アルジェントは、この世から消滅した。
囚われ、嬲られる恐怖に耐えながら助けを待った少女は。
救われる事無く、再び愛しい人の姿を見ることも無く、消えたのだ。
―――――――――――――――――――
「あ、…………………………あ?」
イッセーの声が虚しく響く。
「アーシア?」
ふら、と、寸前まで張り詰めるほどに込められていた全身の力は抜け、まるで夢遊病者の如き足取りで、アーシアの居た場所へと近づく。
それを誰も止めることはない。
リアス達も、シャブラニグドゥも、どちらもが異なる理由でイッセーを見守っている。
「アーシア、何処に行ったんだよ、ほら、怖い奴は、あのディオドラとかいう奴はもう居ないんだ、帰れるんだよ。母さんも父さんも、心配してるぞ?」
ふらふらと、おぼつかない足取りで、周囲を見渡しアーシアを探す。
いや、その視線は本当にアーシアを探しているのか、周りを本当に見ているのか。
揺れる眼球は虚ろな光を宿している。
「なんだよ、隠れてたんじゃ、帰れないだろ。早く、早く帰って、一緒に練習しよう。体育祭で、一緒に、二人三脚に出るんだろ」
漏れる嗚咽は誰のものか、溢れる涙は誰のものか。
リアスを始め、イッセーの仲間の誰もが悲しみに暮れる。
そんな中、イッセーの顔には虚ろな、誤魔化すような笑みが張り付き、嗚咽も涙も無いからこそ、余計に見るものの心を揺さぶる。
感極まったリアスが泣きながらイッセーを後ろから抱きしめるも、イッセーの表情は虚ろだ。
「部長、部長、アーシアが、居ないんです、何処にも、早く、帰らなきゃ、もう帰れるのに、父さんと、母さんも、アーシアを本当の娘って、アーシアも、本当の両親みたいだって、俺、俺達、本当の、家族に……大切な家族で」
抱きしめたまま、赤子をあやすように、体温を移すようにイッセーの頬を撫でるリアス。
しかし、イッセーの心が癒える事はない。
未だイッセーの心は喪失を、悲しみを受け止める事が出来ずにいる。
「許さない……、絶対に、許さん!」
叫びとともに走りだしたのはゼノヴィアだった。
これまでの人生、教会のエクソシスト、聖剣使いとして培ってきた戦闘の基本を著しく欠けさせていた。
後退を、回避を、防御を考えない、ただ自らの全力を叩きつけるだけの突撃。
文字通り、怒りに任せた一撃。
威力だけで言えばこれまでの人生で一番と言って良い、普通なら出してはいけない捨て身の一刀。
デュランダルとアスカロンという一流の聖剣の、威力だけなら100%近く能力を引き出した必殺の斬撃。
「あぁ……、思い出した」
受け止められる。
素手ではない、手に構えた杖によって、余波すら撒き散らすこと無く渾身の一撃は込められた威力を殺された。
いや、全ての威力が通った上で、単純に通じていないのか。
じゃれつく小動物でも払うように気軽に振った杖でゼノヴィアを吹き飛ばし、シャブラニグドゥは世間話でもするような軽い調子で続ける。
「あの娘は必ず助けが来ると信じていたが……」
「震えていたな」
「目を閉じ、貴様の顔を思い浮かべていたのだろう」
「健気な話だが…………何故、助けてやらなかった?」
楽しげに、問う。
その問いかけがイッセーに向けられたものであると、誰よりも先に、イッセーが理解した。
問いではないのだ。
問いではない。
紅玉の瞳が嵌めこまれた白面はその形こそ変えていないが、それでもわかる。
笑っている、笑っている。
イッセーの無力を、イッセーの失意を、そして、アーシアの死を。
それを理解し──────
―――――――――――――――――――
『リアス・グレモリー、今直ぐにこの場から離れろ。命が惜しいのならばな』
響き渡る声の出処はイッセー、いや、イッセーが身に纏う全身鎧。
赤龍帝の籠手に封じられたドライグが、与えられた役目を越え、持ち主以外に聞こえるように警告する。
『今回ばかりは、どうなる事か』
だが、その声は何度か聞いたドライグの声と比べて何処か遠く、ノイズが混じっているように思える。
神器に力を与えるドライグの意志ですら、完全な形で機能できていないとでも言うように。
ぴし、びき、と、卵の殻が、瀬戸物が、金属が割れる不快な音が聞こえ始め、徐々に大きく、騒音の如く鳴り響き始めた。
『だが魔王よ、異界の魔王よ』
破滅的な音に押し潰されるように、ドライグの声が響く。
『────少なくとも、貴様だけは道連れとなるだろうよ』
掻き消えるようなドライグの声がふつりと消える。
そして、決定的な破砕音。
卵を握りつぶすような、巨大なビルが崩れるような、紙を勢い良く引き裂くような、張り詰めた弦が切れ弾けるような。
取り返しの付かない音と共に──────
『我、目醒めるは──』
ガラスのカップを割るように、全身鎧の人型が崩れる。
『覇の理を神より奪いし二天龍なり──』
兵藤一誠という龍への進化、それが齎していた奇跡の様な人型は、致命的なまでにヒビ割れ、
『無限を嗤い、夢幻を憂う──』
開く、
『我、赤き龍の覇王となりて──』
『Juggernaut Drive!!!!!!!!!!!』
みなさん、いよいよ六巻ともお別れです!
最大火力のイッセーを失い、リアス率いるグレモリー眷属は大ピンチ!
しかし、覇竜化したイッセーを適当に煙に巻いたシャブラニグドゥが、リアスたちに襲い掛かってくるではありませんか!
果たして、ゲーム会場のある冥界の運命や如何に!?
体育館裏のホーリー編、最終回!
『塔城小猫大勝利! 希望の未来へレディー・ゴー!』
解説諸々はたぶん次回か次々回で