Penance   作:多田川 厚吉

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第一章 再 会

 

『緊急警報―――緊急警報をお知らせします。本日12時30分東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターまで避難してください。

 ……繰り返しお伝えします…住民の方々は…』

 

 強い日差しが突き刺す、人影のないビル街に、機械を通した人間の声が響いた。非常事態を知らせるサイレンの音がそれに続く。持ち主の消えた車が辺りに乗り捨てられ、全ての信号灯は赤色となっている。

 人の姿が消えたビル街は、現実の世界から離れた何処か別の場所であるかのようだった。道路に陽炎が立ち上る。その向こう側に、人の姿があった。

 大きな男だった。右手に大きなバッグを持っている。バッグの膨らみ、軋み具合から、相当の重量があるようだ。しかし、男の動作からはバッグの重さは伝わってこない。

 警報のアナウンスは男の耳にも届いていたはずだったが、それを気にした様子もなく、男はゆっくりと歩いていた。

 不意に男は立ち止まり、あらぬ方向をみた。男の視線の先に、少女がいた。

 青い髪、白い肌、そして制服をきた少女。

 さらにその先に、こちらを見ている男―――制服を着ている―――少年がいた。

 正確に言えば、少年はこちらを見ていたのではなく、少女を見ていたのかもしれない。

 男はその少年に気を止めることなく、ただ少女の姿をじっと見ていた。

 突然、電線に留まっていた鳥が一斉に飛び立った。男は鳥を見、それから視線を戻すと、そこにいたはずの少女の姿は消えていた。

 男と少年の視線が重なった。今度ははっきりと、少年は男の顔を見ていた。男も少年を見たまま、少年の方へ向けて歩き出した。

 

 

 葛城ミサトは懸命に車を走らせていた。

 想像していたよりも、アイツの行動は早かった。恐らく、国連軍の装備ではアイツを足止めすることで精一杯だろう。

 そうミサトは考えていた。急がなければ、“彼”が危ない。

 本来ならばもっと余裕を持って“彼”を迎え、アイツの迎撃に当たる筈だったのだが…。

 ミサトはアクセルを強く踏み込んだ。タコメーターが跳ね上がる。景色が後方へ流れる。乗り捨てられた車を巧みに避けながら、ミサトの青い車はビルの谷間を走り抜けていく。

 その時、ジェットエンジンが空気を切り裂く音が響いた。

「UN空軍のお出ましか…急がないと」

 既に地上部隊は殲滅もしくは突破されてしまったのだろう。予想通りと言えば予想通りだった。

 フロントガラス越しに見える山の稜線の向こう側から、巨大な何かが現れた。人影というにはあまりに歪な姿を持った、人型に近い何かである。人間で言うところの首の部分がない。首無しの、真っ黒い歪な身体がゆっくりと動いていた。これが、アイツだ。

 戦闘機から次々とミサイルが放たれた。巨大な黒い人型らしきそれに、ミサイルが当たる。爆発。衝撃がミサトの車を襲った。それでもミサトは車を走らせ続ける。モノレールの駅へ向かうつもりだった。“彼”が到着してから、まだ数分しか経っていない。

 駅へ向かう大通りへ出ると、人影が見えた。二人いる。

 大きな体の男と、ワイシャツと黒いズボンを履いた、13、4歳ほどに見える少年。

 たぶん、その少年が“彼”なのだ、とミサトは思った。市民の避難は完全に終了している。あらかじめ報告書で確認しておいた14歳の少年という条件にもあう。少年の傍にいる男には覚えががなかった。もしかしたら、保安部の護衛なのかもしれない。

 “彼”には護衛がつき、その護衛からミサトに連絡がいく予定となっていたのだが、アイツが現れてしまった為か、ミサトへの連絡はまだなかった。

 ミサイル攻撃の爆発は続いていた。爆風が瓦礫を飛ばし、その瓦礫が少年と男を襲った。

「危ないっ!」

 ミサトが瓦礫と二人の間に車を割り込ませた。青いボディに瓦礫がめり込み、強化ガラスがひび割れた。無事だっただろうか、とミサトは二人のほうを見た。

 少年と男はその場にいなかった。ミサトは驚き、辺りを見回した。

 男と少年は、ミサトの車から少し離れたビルとビルの間にいた。男が少年を抱きかかえていた。おそらく、男は爆風を避ける為にビルの間に飛び込んだのだ。―――あの一瞬の間に、少年の身体を抱きかかえながら。

「大丈夫?!」

 ミサトは車を降り、二人の側へ駆け寄った。男は少年を降ろし、服の埃を払った。

 大きな男だった。身長は180センチを超えている。一見、たおやかな身体つきに見えるが、首の筋肉、服の上から窺える胸の筋肉の付き方が尋常ではなかった。そして、その身体とは対照的に、男の顔は少し長めの髪を持つ、優しげなものだった。笑顔を見せているわけではないのだが、ミサトには何故かそう感じられた。この暑い気候の中、どういう訳か男は黒いジャケットを着ていた。たおやかな身体つきであるように思えたのは、このジャケットの所為かもしれなかった。それが男の身体つきを隠していた。年齢がいくつなのかは、よくわからなかった。二十台前半だろうか。

「平気です」

 落ち着いた様子で男は言った。体つきからは想像できない、しかしその顔にはよく似合っているような、そんな声だった。

 制服姿の少年はミサトの大丈夫かと訊ねる言葉に黙って頷いた。爆風に驚いたのだろう、顔色が悪かった。こちらの少年は見たところ170センチに満た

ない程度の大きさで、中性的な、どちらかといえば女の子のようでもある顔つきをしていた。

「碇、シンジ君ね」

 とミサトが少年に言ったとき、爆発音が響いた。国連軍の攻撃はまだ続いていた。

「乗って!」

 少年の返事を待たずにミサトが叫んだ。一刻も早くこの場から離れなければならない。

「あなたも!」

 ミサトは男にも声をかけた。護衛であろうがなかろうが、この場に置いていくわけにはいかなかった。少年と男は後部座席へ乗り込んだ。いくわよ、と言い、ミサトは車を一気に加速させた。“アイツ”と国連軍の戦場からミサトの車は猛スピードで遠ざかっていく。 

「ごめんねー、遅れちゃって」

 ルームミラーで後ろの二人の顔を見ながら、ミサトは言った。少年は黙って下を見つめ、男は同じく黙ったまま無表情で前を向いていた。爆発音がまだ聞こえている。

 少年からの返事はなかったが、ミサトは気にしなかった。いきなりあれだけの戦闘に出くわしたのだ。ショックを受けないほうがおかしい。

「…いえ」

 少ししてから、男がいった。先程のミサトの言葉に応えたようだった。ミサトの、遅れてすまないという言葉に応えたということは、やはりこの男は護衛の人間であるようだ、とミサトは思った。

「国連軍の地上部隊はおそらく全滅。軍のミサイルじゃ何発撃ったってアイツにダメージは与えられない。税金のムダね」

 シフトチェンジしてアクセルを踏み込みながらミサトがいう。少年が不安げな顔をミサトへ向けた。

「大丈夫よ。アイツ…“使徒”は倒せるわ」

 倒すためにはあなたの力が必要なのだけどね、と心の中で付け加えながらミサトは言った。

「…ええ」

 ミサトとしては、少年に話しかけているつもりだったのだが、答えたのは男だった。

「ああ、そういえばまだ挨拶してなかったわね。改めて、葛城ミサトよ。よろしくね」

 ルームミラー越しにミサトが言った。少年が黙って頭を下げた。

「よろしく」

 男も軽く頭を下げた。別に保安部の人間によろしくされなくてもいいわ、とミサトは思ったが、それは口にも表情にも出さず、ニッコリと微笑みを返した。

それから、時計を見て、

「そろそろかしらね…」

と呟いた。男が後ろを見た。少年も男の動作につられたのか、後ろを見た。

 戦闘機が、ミサトのいうところの“使徒”から急速に離れた。

「顔引っ込めて、ショックに備えてっ!!」

 ミサトが怒鳴った。男と少年が頭を抱えてうずくまる。

 使徒が、光った。その後に今まで聞こえてきた爆発音とは比べものにならないほど大きい轟音と共に、巨大な火柱が噴き上がった。轟音が徐々にこちらに迫ってくる。

 爆発の衝撃波が数秒の時差をおいて届こうとしている―――届いた。

 ミサトの車が浮き上がった。爆風の衝撃がミサトの車を襲った。土砂が舞い散る中、車は横転し、アスファルトに何度も叩きつけられた。

 

 

「……大丈夫…?」

 と言いながら、逆さになった車内で、ミサトは口に入った砂を吐き出した。

「…平気です」

 唾を吐き出す音の後に、男がいった。少年の身体をしっかりと押さえていた。

 少年も咳き込みながら砂を吐き出していた。無事であるようだった。

 国連軍が、核兵器に次ぐ破壊力を持つN2兵器を使用したのだ。おそらく、いや確実に街は消滅したはずである。しかし、それだけの兵器を使っても、それだけの犠牲を払っても、使徒を倒すことはできない。まもなく使徒の生存が確認され、国連軍の首脳部は青くなることだろう、とミサトは思った。そしてそれは、自分たちの出番がやってくるということでもある。

 ミサトたちは車から這い出た。そこら中がへこみ、傷ついてしまった車体を見ながら、ミサトは使徒と国連軍の強引さを呪った。

 それにしても、とミサトは二人を見た。落ち着き払っている男と、時折怯えを見せながらも結局は悲鳴一つ上げなかった少年。

 それなりに肝が据わっているようね、とミサトは感心した。

「手伝ってくれる?」

 ひっくり返った車体に手を掛けてミサトが言った。二人がミサトの傍に寄り、車体に触れて腰を落とした。

 三人が同時に力を入れて、辺りに埃をまき散らしながら車を起こした。ほとんど男の力で元に戻したようなものだった。

「ふぅ、どうもありがと」

 ミサトの言葉に、男はこれまでと同じように一言、ええ、と答え、少年も同様にただ黙って頷いた。

「…じゃあ、行きましょうか」

 三人は再び車に乗った。スピードを上げ、車は峠道へ入っていった。峠道といっても、道自体はきちんと整備されていた。

「シンジ君、お父さんと会うのは久しぶりなんだってね」

 会ってからまだ一度も口を開いていない少年に、ミサトは声をかけた。適当な話題であるとは思えなかったが、話をしておきたかった。これから、この少年と自分は長いつき合いになるのだろうから。そして、何故少年の父親が少年を呼んだのかということも、話しておかなければならかったから。

「……ええ、十年ぶりです」

 男がいった。

「え、いやそうじゃなくて、シンジ君の話よ。ね、シンジ君」

 言ってから、ミサトは男の言葉の意味を考えた。ルームミラーで男の顔を見る。男と視線が合った。

 ミサトが急ブレーキをかけた。助手席に置かれていたファイルが落ち、少年が助手席に頭をぶつけ、ミサトは思いっ切りつんのめった。

「ちょ、ちょっと待って」

 振り返り、ミサトは男の顔を見た。

「…冗談でしょ…?」

 黙って男はミサトを見返した。

「あなたが、碇、シンジくんなの?!」

 男が頷いた。

「嘘でしょう!?」

「碇シンジです。―――よろしく、葛城さん」

 男は笑みを浮かべた。ミサトは男の顔に、白く薄い傷跡が幾つかあることに気が付いた。そして、笑っていながらも、初めてあった時に感じた男の優しげな雰囲気が消えてしまっていることにも気が付いたのだった。

 

 

 これまでの三十年近い人生で、驚くべきことは色々とあったが、今回のそれは今までで五本の指に入るな、とミサトは考えていた。

 その男が十四歳とは思えなかった。体つき、表情、雰囲気…いずれも十四歳の子供のものではない、と思った。

「じゃあ、その子は一体…?」

 ミサトは少年のことを訊ねた。

「逃げ遅れたようです。一人で街を歩いてました」

 男―――碇シンジは言った。先程の急ブレーキで頭をぶつけた少年は、脳震盪を起こして失神していた。

「ナオヤ、というらしいです。久保ナオヤ」

「その子の名前?」

「ええ」

「話したの?」

「鞄に名前が書いてありました。話はしてません」

「そう…」

 淡々と答えるシンジの様子をミラーでちらりちらりと見ながら、ミサトは運転を続けた。やがて、車はトンネルの中に入り、NERVと書かれた巨大なゲートの前で停止した。

 僅かに時間をおいてからゲートが開くと、車はゲートの中に移動した。それから車輪が固定され、床が動き出した。カートレインと呼ばれる、リニアモーター駆動の車両運搬システムが作動していた。

「これ、読んでおいて」

 ミサトは助手席からファイルを取り、シンジに手渡した。ファイルの表紙には、「ようこそNERV江」と書かれていた。

「特務機関ネルフ…」

 シンジが呟いた。

「そう。国連直属の非公開組織。私もそこに所属してるの。まあ、国際公務員ってやつね。あなたのお父さんと同じよ」

 ミサトが言った。辺りの照明が赤い非常灯のようなものに代わった。カートレインは地下へ向かっていた。

 今度はシンジが何も答えなかったので、ミサトはミラーでシンジの顔を見てみた。

「!?」

 思わず振り返りそうになったが、こらえた。シンジが笑っているように見えたのだ。

 いや、この薄暗い非常灯のせいで見間違えたのかもしれない、とミサトは自分に言い聞かせた。

 突然車内に照明灯とは別の光が射し込んできた。太陽光に近い光だ。カートレインは広大な地下空洞に出ていた。空からビルが生え、光が射し込んでいる。

「ジオフロント…か」

「そう。ここが私たちの秘密基地、ネルフ本部」

 人工湖、森、ピラミッドを思わせる大きな建物、縦横に張り巡らされているリニアライン…。

「世界再建の要、人類の砦となるところよ」

 ミサトが広大なジオフロントの光景を眺めながら言った。シンジは特別に関心を抱いた様子もなく、ただぼんやりと車の窓から外を見ていた。

 やはり、父親のことが気になっているのだろうか、とミサトは思った。何故この少年が、碇シンジがネルフへ呼ばれたのか話さなければならない。

「あのね…シンジ君、何故あなたがここへ呼ばれたかについてなんだけど…」

「わかってます」

「えっ」

「用もないのに父が自分を呼ぶわけはないでしょうから。十年近く連絡がなかったのはお互い様なんですけどね」

 淡々とシンジは言った。

「シンジ君…」

 妙に達観しているシンジの言葉を聞くと、ミサトはそれ以上話を続けることができなかった。久保ナオヤも意識を失ったままだった。しばらくの間、車内は無言のまま、カートレインは移動していった。

 突然、後ろから、シュー、とスプレーを吹き付けるような音がした。ミサトが振り返った。

「げっ」

 つい、そんな声を出してしまった。いつの間にかシンジの髪型が変わっていた。

 長めの髪の左右を後ろに流し、前髪を上げて生え際の部分から少し髪の毛を垂らす。そんな髪型だった。今し方聞こえた音は整髪料を使う音だったということになる。

 ミサトは、自分が小学生だった頃に雑誌に載っていた少年漫画を思い出した。

 バイクに乗って、訳の分からない言葉を叫びながらただひたすら暴れている少年たちが主人公の漫画。その漫画に出てくる登場人物たちが、ちょうど今のシンジと同じような髪型をしていた。

「あ、あの、シンジ君」

「何か?」

「いえ、別にね、その…」

 うまく言葉が出なかった。とにかく驚いていた。訳が分からなかった。一体この少年は何者なのか。

 父親と逢うことに緊張しすぎて、こんな行動をとっているのかもしれない。もしくは、二十世紀の文化の愛好者なのかもしれない。いずれにせよ、とりあえずは放っておこうとミサトは決めた。

 カートレインが止まり、ミサトとシンジは車を降りた。ミサトが呼んだ救護班が、失神したままの久保ナオヤを担架に乗せた。救護班の係のネルフ職員達が、珍しいものでも見つけたかのように―――実際珍しいのだが―――シンジの頭を見ていた。

 シンジはそんな視線を無視して、ミサトに言った。

「荷物はここに置いていっていいでしょうか」

「え、うん、いいわよ」

 ミサトもシンジの頭に注目していたため、返事が遅れた。シンジはミサトの車の中にバッグを置き、ジャケットを脱いでそれも車の中に置いた。シンジは

Tシャツとズボンだけの姿になった。長袖の、シンジの体格から考えても若干緩めのTシャツと、綿のズボンだった。それでも、シンジの身体の筋肉の付き具合がジャケットを着ていたときよりもよく分かった。特に背中の筋肉の発達が目立った。

 一体どんな鍛え方をしたのかという疑問を抱きつつ、ミサトはシンジを促して歩き始めた。 

 

 

 迷った。

 ミサトはネルフに着任してからまだ日が浅く、やたらと広いネルフ本部内の構造を把握しきってはいなかった。

 同じ場所を何度も行き来する。

 シンジは先程渡したファイルを読みながら黙ってついてきているが、ミサトが迷ってしまっていることにもう気が付いているだろう。

「ゴメンね、私まだここに慣れてなくて」

 ミサトが言った。

「いえ」

 シンジが答えた。それきり、何も言わない。いわゆる会話のキャッチボールというものを続けるつもりはないようだ。

 エレベーターの傍を二人が通り過ぎたとき、ちょうどその階にエレベーターが到着したようで、扉が開いた。

「何処へいくの、二人とも」

 女性の声がした。ミサトが振り返る。エレベーターの扉の傍に、白衣を着た金髪の女性が立っていた。若干きつい顔つきだが、目鼻立ちはくっきりとしている。美人といっていい。

「リツコ」

 ミサトがその女性の名を口にした。

「あんまり遅いから迎えにきたわ。人手も時間も…」

 リツコの言葉が止まった。シンジが振り返り、リツコの顔を見たからであった。身長180センチを超えるごつい身体を持ち、二十世紀後半に存在した暴走族のような髪型をした男の姿を見て、冷静沈着で知られる赤木リツコ博士もさすがに驚いたようだった。

「…この子が…例のサードチルドレン?」

 リツコの問いに、ミサトが黙って頷いた。

「…技術一課E計画担当博士、赤木リツコよ。…よろしく」

 咳払いをしてから、リツコが言った。

「よろしくお願いします」

 シンジが頭を下げた。

 リツコは二人に着いてくるよう言い、エレベーターに乗り込んだ。

 

 

 エレベーターは更に地下へ向かっていた。

『総員第一種戦闘配置。繰り返す。総員第一種戦闘配置』

 警報と共に、アナウンスが入った。

『対地迎撃戦、初号機起動用意』

 “初号機”を使うつもりなのだ。分かっていたこととはいえ、本当に動くのかどうかという不安がある。ミサトはリツコにその事を訊ねた。リツコは、“初号機”起動の可能性は低いが、やってみるしかないと答えた。動かなければ、“使徒”に対抗する手段は無くなる。

「そうね…今更動きませんでしたじゃすまないわね」

 ミサトが表情を堅くした。

「くっくっ…」

「!?」

 リツコとミサトの後ろにいるシンジから、低い笑い声が聞こえた。二人が振り返ってシンジを見る。

「何ですか?」

 真顔のシンジがいた。空耳だったのだろうか? いや、確かに聞こえたはずだ…。

 エレベーターが止まった。

「着いたわ」

 リツコが最初にエレベーターから降りた。暗いから気を付けて、と言いながら、先を歩いていく。その後にミサトとシンジが続いた。ミサトは後ろから、つまりシンジから異様な気配を感じていた。車の中で見せた不気味な笑顔と先程のかみ殺したような笑い声。それらが気のせいではないとしたら…。

 リツコが照明のスイッチを入れた。辺りが明るくなる。

 目の前に、巨大な紫色の、甲冑の頭部のような物体があった。

 その頭部からは長い角が生えており、首から下は赤い液体に浸かっていた。

 三人の視線がその物体に集中した。シンジが視線を落とした。手元のファイルを見ているようだった。

「そのファイルを探しても載っていないわ。―――人の造り出した究極の汎用決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン……建造は極秘裏に行われた。我々人類の最後の切り札。これがその初号機よ」

 リツコが言った。

 ぶぶっ、という音がした。

 それは、吹き出す音だった。

 こらえていたモノにこらえきれなくなった音だった。

 俯いていたシンジから、その音は聞こえた。シンジはファイルなど見ていなかった。

 シンジの肩が揺れている。

「シンジ君?」

 ミサトとリツコがシンジを見る。シンジが顔をあげた。

 笑っていた。

 目に異様な光を湛え、唇の両端を吊り上げ、歯をむき出しにする強烈な笑み。

 それは、獣の笑みであった。

 気のせいではなかった。勘違いではなかった。直感的に、ここにこの少年を連れてきたのは大きな間違いだったのではないかと葛城ミサトは思った。

 シンジの顔に、白い傷跡が今度ははっきりと、いくつも浮かび上がっていた。

 

 

 エヴァンゲリオン初号機の真正面に立ちながら――――――少年は、笑っていた。

 

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