ジャヴァウォックは彼らが会場まで魔法で飛んだ、と思っていたが、実際はそんなことはない。
晴人は魔法で長距離を転移したと見せかけ、実は高速道路が落下した地上の瓦礫に、三人で揃って息を殺して潜んでいたのだ。
生まれたてのファントムと歴戦の魔法使いでは年季が違う。
頭を使った騙し合いでは、魔法使いの方に軍配が上がったようだ。
「ふぃー……このまま会場まで飛んで行きたいところだけど、魔力が足りないな。
テレポートは魔力食い過ぎるんだよねえ。
と、大丈夫か、智絵里ちゃん、プロデューサーさん」
「は、はい、なんとか……」
「こちらも大丈夫です。スーツは汚れましたが、怪我はありません」
不安そうだか汚れ一つ無い智絵里と、今はその不動な強面が異様に頼もしい、スーツの背中や腕が少し汚れているプロデューサーを見比べて、晴人は仮面の下で微笑む。
変身を解除し、晴人は一休みするため、そこに座り込んだ。
「! 晴人さん、その怪我……!」
「ん? ああ、このくらいならかすり傷――」
「だ、ダメです! 絆創膏がありますから、その、これをちゃんと付けてください……」
「……ありがとさん。助かるよ」
普通の女の子なら、あんな恐ろしい怪物に狙われ、その攻撃が近くの物を壊したりしたならば、狂乱したり座り込んだりしてしまうものだ。
しかし彼女はちゃんと立ち続けていて、普段の自分を保ち続けている。
ヒステリーを起こすどころか、晴人の傷の心配までする始末。
心根が優しい子なんだなと、晴人が自然と笑顔になってしまったのも無理はない。
プロデューサーの方も、腕と背中ばかり汚れているのは、戦闘中の余波から彼女をずっと守っていたからなのだろう。
逃げようと走り回っていたなら足が汚れているはず。彼女を庇うような姿勢を取っていなかったならば、胸側と背中側のどちらも均等に汚れていたはず。
何より、彼は汚れているのに智絵里は全く汚れていなかったのだから、実は考えるまでもない。
二人に戦う力はない。
それでも、二人は晴人が守る価値のある人間なのだと、晴人にはよく分かった。
「絆創膏ありがとね、智絵里ちゃん。……さて、そろそろ行こうか。ライブに間に合わなくなる」
「……あっ」
晴人がそう言うと、智絵里の表情が一気に落ち込んだ。
先程のジャヴァウォックの発言は、全て智絵里にも聞こえていた。
攻撃が降ってきたり、晴人が怪我していたりで一時失念していたが、それは智絵里を絶望させて余りある現実。
今からでは、どうやってもライブには間に合わない。
そして車の中には、智絵里がライブで使うステージ衣装もあった。
ジャヴァウォックが破壊した車の中に、だ。
今回ちょっとした事情で現地に先に運び込むことが出来なかったステージ衣装は、車によって運ばれている途中、無残に燃え尽きてしまったのだ。
「あ、ああ……」
「緒方さん? ……緒方さん!」
智絵里の心を、絶望が包む。
両手で顔を覆い、膝をついてしまう。
見知らぬ人間の悪意、怪物の殺意で弱った心に、その絶望は最後の一押しとなってしまった。
智絵里の閉じられた瞼の裏に、辛い記憶が蘇る。
過去に智絵里は自分の不安が原因で、舞台の直前に仲間を一人倒れさせてしまったことがある。
誰もが「あなたのせいじゃない」と智絵里に言ったが、彼女はどうしようもなく自分を責めた。
その時のことがしこりのように、智絵里の心のどこかにずっと居座っているのだ。
彼女は今また、自分のせいで皆に迷惑をかけてしまうのだと絶望している。
自分が悪意をもって、何かをしたわけではないというのに。
自分が原因で皆のライブを、と自分を責めてしまっている。
「私、美波さんに迷惑かけちゃったあの時から、何も成長してない……!」
晴人には彼女が何を言っているのか分からない。
だが、怖い顔つきに苦々しい表情を浮かべているプロデューサーを見れば、智絵里が相応の理由で絶望しているくらいは察せられる。
智絵里は泣いていた。
涙を流していた。
ファントムに希望を奪われた少女が、晴人の目の前で涙を流していた。
晴人は、ジャヴァウォックが戦いの中、ずっと笑っていたことを思い出す。
心優しい少女が泣き、悪意ある怪物が笑う。
そんな現実を前にして、晴人は絶対に膝を屈しない。
彼の『魔法』は、どんな絶望にも屈せず、希望を信じた者にのみ与えられる力。
指輪を付けた手で拳をぎゅっと握り、晴人は智絵里の希望を諦めない。
「諦めるには、まだ早いんじゃないか?」
「……え?」
智絵里が顔を覆っていた手を、晴人は優しく手に取った。
晴人の目に、涙で濡れた智絵里の顔が映る。
智絵里の目に、肩にガルーダを乗せ、頼りがいのある笑顔を浮かべた晴人が映る。
「女の子が居る。魔法使いが居る。行きたい場所がある。邪魔者が居る。
おあつらえ向きなシチュエーションだろ? 智絵里ちゃん……いや、シンデレラ」
智絵里は晴人を、なんだって出来る魔法使いだと思っていた。
この状況を、何をしたってどうにもならない絶望的な状況だと思っていた。
現実に対する絶望を、晴人に対する信頼が、晴人の中に見た希望が、ほんの少しだけ上回る。
「シンデレラ。この不束者の魔法使いに、願いを聞かせてくれ。
諦めたいなら、何もしたくないのなら、それでもいい。
……だけど、そうでないのなら、君が本当に願うことを教えてくれ。
君の希望を。君の希望する未来を。君の願いを叶えようとする魔法使いに、教えてくれ」
智絵里は幼い頃読んだ、シンデレラのストーリーを思い出していた。
その序盤の一幕を、魔法使いがシンデレラに手を差し伸べる一幕を思い出していた。
無意識の内に、彼女の中でシンデレラが自分と重なり、魔法使いが晴人と重なる。
彼女の中で、何かがカチリと切り替わった音がした。
諦めようとする心が、諦めたくないという心に打ち倒される。
信じる気持ちが、希望が、絶望を打ち砕く。
「私、私……」
操真晴人が、緒方智絵里の最後の希望だった。
「諦めたくない、です……みんなと一緒に、あのステージに、立ちたいです……!」
操真晴人は、絶望と戦う希望の魔法使い。
「りょーかい、シンデレラ」
晴人は膝を折り、智絵里と目線を合わせた上で、彼女の頬の涙を拭う。
全ての涙を
晴人が立ち上がり、プロデューサーの方を向くと、プロデューサーも晴人に何か考えがあることを悟ったのか、聞かれれば何でも答えようという面持ちで姿勢を正す。
「操真さん、何をされるおつもりですか?」
「ショーの前座さ。まずはドレスアップだ。
プロデューサーさん、智絵里ちゃんのステージ衣装の写真とかある?」
「携帯端末に、衣装合わせの時のものが」
「オーケイ、流石だ。いい仕事してるね」
プロデューサーがスマートフォンに画像を表示すると、晴人はそれをまじまじと見て目に焼き付けた後、指輪を付け替える。
彼の魔法は指輪のデザインと相まって、まるで宝石箱だ。
何が出てくるか分からない。なのに一つ残らず価値のある魔法。
ベルトに指輪をかざす晴人を見る智絵里の目には、ワクワクと期待だけしか浮かんでおらず、失敗するかもなんて考えは微塵も見当たらなかった。
「動くなよ、智絵里ちゃん。壊れないガラスの靴は、サービスってことで」
《 Dress Up Please. 》
晴人の手元から光が放たれ、智絵里の全身を包みこむ。
すると一瞬で、智絵里の服は可愛らしい普段着から、桜色の装飾が全身になされた美しいドレスへと変わっていた。
「え……わ、私のステージ衣装!?」
「なんと……!」
二人の驚愕の声も至極当然だ。
ただ服のデザインを見ただけだというのに、細部どころか手触りや重さまで同じ。
魔法のとんでもなさを、アイドルとそのプロデューサーだからこそ実感させられる。
更に言えば、セットで履かせられたガラスの靴も含め、魔力で構築されたそれらは比べ物にならない壊れにくさを持っているようだった。
「お次は移動手段。カボチャの馬車さんいらっしゃい、と」
《 Connect Please. 》
晴人が次に見せた魔法は、空間と空間を繋げて物を取り出す召喚魔法。
今度は武器ではなく、バイクを一台持ってくるというとんでもないことをやらかしてきた。
プロデューサーが目を点にするが、そのバイクがどう見ても一人乗り、道路交通法を無視してようやく二人乗りが限界なのを見ると、眉を顰める。
「これがカボチャの馬車ですか?」
「乗るって意味じゃそうかもな。そんで、馬も出そう」
《 Miracle Please. 》
息もつかせぬ連続魔法。
晴人が次に使った魔法は、空中に魔法陣を形成し、そこから10m弱はあろうかというドラゴンを出現させた。
「う、馬じゃなくて、ドラゴン……!?」
「大丈夫。乗せてくれりゃ、どっちでも変わらないって」
「……なんと、まあ……」
智絵里が怯えの混ざった驚愕、プロデューサーが興奮を隠した驚愕の声を上げる。
次から次へととんでもないことをする晴人だが、ここでバイクを変形させ、ドラゴンの背中に合体させるという行動で、とうとう二人を完全に絶句させる。
背中にバイクを合体させられたドラゴンは従順な乗り物となり、晴人の横に降り立った後、頭と翼と尾を下ろし、三人に乗るよう促した。
「ドレス、ガラスの靴、馬、馬車……ま、こんなもんかな」
えらくカッコイイ魔法使いも居たものだ。
もしもこんなシンデレラがあったなら、女の子のみならず男の子にも人気の物語となっていただろう。
プロデューサーが一人の男として、表情に出さないよう『ドラゴンと出会う』『ドラゴンの背に乗る』という体験に心震わせている辺り、男のロマンの塊なのだということがよく分かる。
「失礼するよ、智絵里ちゃん」
「わひゃっ!?」
ドラゴンを呆けながら見上げる智絵里を、時間が惜しいとばかりに晴人が抱え上げる。
それも横抱き。いわゆるお姫様抱っこだ。
魔法使いに手を貸してもらっているシンデレラには相応の扱いなのだろうが、男性に対し免疫のない知恵理からすれば心臓が破裂してしまいそうなくらいに恥ずかしい。
「ぉ、ぉ、ぉ、下ろしてくださぃ……」
「いや、君の腕力だと落ちそうで怖いし……
これから魔力で色々軽減しつつ800km/hくらいで飛ぶんだけど、落ちないって約束できる?」
「うぅ……ごめんなさい」
「大丈夫、すぐ着くから」
赤くなった顔を隠すため、速度を聞き万が一にも振り落とされないようにするため、知恵理は顔を埋めて晴人にぎゅっとしがみつく。
プロデューサーの方も何らかの手を打つべきかと思いそちらを見る晴人だが、そこにはドラゴンの表皮や翼を興味深そうにぺたぺたと触りつつ、しっかりとドラゴンにしがみついているプロデューサーの姿があった。
「操真さん、私の方は大丈夫です。最低限は鍛えてありますから」
「おお、頼りになるねプロデューサーさん。
ついでに馬車の御者役も頼むよ。操作はこっちでやるから、道案内頼む」
「ドームまでですね。任せてください」
晴人の前では子供を絶望させそうなくらい怖い顔をほとんど変えず、真面目な仕事人間としての一面ばかりを見せてきた男の意外な一面に、晴人は思わず笑ってしまう。
そして晴人は、その笑いを悟られる前に、ドラゴンの翼を羽ばたかせた。
「さあ行け、ドラゴン! シンデレラを送り届けるぞ!」
『相変わらず面白い奴だな操真晴人。何をするか全く予想できん』
「「 ドラゴンが喋った!? 」」
年越しニューイヤーライブ、会場裏口前搬入用駐車場。
そこでドラゴンは魔力の粒へと還り、晴人の内側へと還って行く。
三人はなんとか間に合った。
ニューイヤーライブ自体は始まってしまっているものの、会場から聞こえてくる歌声から推測するに、まだ智絵里の出番は来ていない。
それが判断できる程度には、プロデューサーは全体の進行を把握していた。
「よかった、間に合った……」
「ええ、間に合ったようですね」
プロデューサーはあんなに絶望的な状況から間に合うなんて、まるで魔法のようだ……と思いつつ、そういえば魔法だったと思い至り、自分の思考で自爆して恥ずかしげに首後ろに手をやる。
智絵里は深呼吸をし、会場に入る前に呼吸を整える。
会場を前にして、本番前の緊張が蘇ってしまったようだ。
しかもこのタイミングでは、心を落ち着けるための時間もない。
「……、き、緊張してきちゃった……」
「あー、大一番の前って無性に緊張すんだよね。
俺もサッカーでプロのセレクション受けた時は心臓が痛いくらいだったな」
「プロ? 操真さん、警察の話といいどんな人生を送ってきたのですか……?」
「そこは気にするほどのことじゃないぜ、プロデューサーさん」
晴人は軽い口調とはぐらかそうとする笑顔で話題を流しつつ、指輪を付け替える。
おそらくは、きっと、これが。
この夜、彼女にかける最後の魔法になるだろうと思いながら。
《 Flower Please. 》
魔法使いの手の平の上に、小さな光の玉が浮かび上がる。
それは小さな草の形を成し、晴人はそれを智絵里へと手渡した。
「わぁ……四つ葉の、クローバー……!」
「さっきプロデューサーさんに見せてもらった写真でも手に持ってたからさ。
好きなのかと思ったんだけど、どうかな?」
「はい、大好きですっ」
予想以上に喜んでもらえたことで、思わず晴人も優しい笑顔を浮かべてしまう。
『創花』の魔法。
晴人が滅多に使わない、これもまた思い出の魔法だ。
「この四つ葉のクローバーには、葉の一つ一つに魔法をかけてあるんだ」
創花の魔法は魔力で花を作る魔法。
それ以外に何も特別な効力はない。
指輪の魔法の効果など、その四つ葉のクローバーには何一つとしてかかっていなかった。
けれど、"言葉の魔法"をかけることは出来る。
「一つは、君が希望を見失わないようにする魔法。
一つは、君が勇気を振り絞れるようになる魔法。
一つは、君が皆を笑顔にできるようになる魔法。
そして、最後の一つは」
魔法使いは指輪を掲げ、少女に約束する。
「智絵里ちゃんが絶望しそうになった時、必ず俺が駆けつける魔法。
君が大きな失敗をして絶望しそうになった時。俺が君の最後の希望になると、約束する」
「だから君の思うまま、君のやりたいように思いっきりやってくるといい。
失敗を恐れるな。どんな時も君の味方の魔法使いが、ここに一人居る」
どんな人間であろうとも、誰かに見られ、誰かに囃し立てられ、誰かに歓声を上げられ、誰かに罵倒され、誰かに褒められ、誰かに見られる中で生きていく。
智絵里の人生というショーを、誰かが邪魔しようとするならば。
その絶望を、この魔法使いはきっと払いに来てくれるのだろう。
「どうして……」
智絵里は嬉しく思う反面、戸惑ってしまう。
自分にそれだけの価値があると思っていないから。
「どうしてこんな、情けない私に、そこまで……」
だが、晴人はそう思ってはいない。
「魔法使いがシンデレラにかけた最初の魔法は、お城に行く勇気をあげることだからさ」
「―――」
「笑顔を忘れるなよ、シンデレラ。ここからは君のショータイムだ」
晴人が智絵里の肩を掴んで、彼女の体を180°くるりと回す。
すると彼女の目には、歓声の上がるライブ会場が映った。
魔法使いが、シンデレラをここまで送り届けようとした、舞踏会の会場があった。
智絵里は息を飲む。
そして、貰った勇気を胸の中で奮い立たせて、大きく息を吸い、吐く。
智絵里は振り返らない。晴人の方に顔も見せない。
けれど、彼女の表情が変わったことは晴人にもちゃんと伝わった。
「行ってきます」
「頑張れよ」
智絵里はそのまま一度も振り返らず、息を切らしながら会場に入って行く。
手を軽く振って見送る晴人の背後から、プロデューサーが頭を下げながら声をかけた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして、プロデューサーさん」
「自分は何もしてない」と謙遜するのではなく、出来る限り軽く「どういたしまして」と言い切ることで、相手の心を軽くする気遣い。
そんな晴人の一見スカした態度の裏に隠れている気遣いも、プロデューサーは少しづつ分かってきた様子だ。
「本来私がするべきを、言葉を交わして解決しなければならなかったことを……
上手く話すことが苦手な私が、貴方に丸投げしてしまったようなものです。
何よりもそのことを、感謝しておきたかった」
「真面目というか、いい人だねアンタ。もうちょっと肩の力抜いてもいいんじゃない?」
「私はどうやら、口が災いの元になる人間のようでして……貴方のようには、なれませんよ」
プロデューサーは不審者と間違えられそうな顔で、不器用に笑う。
「貴方が彼女にかけた一番の魔法は……きっと、言葉によってかけた魔法でしょうから。
もしもある日突然魔法の力を失ったとしても、貴方はきっと希望の魔法使いのままです」
晴人は少し照れたように笑い、指輪を付け替える。
常人には分からない、気付けない。
けれど魔法使いである晴人には分かる。
この会場に接近してくる、膨大な魔力の塊が。
「後で正式に礼をするのとは別に、ここで何か私にできることがあればなんなりと……」
「あ、そう? じゃあお言葉に甘えようかな。
プロデューサーさん、ちょっと耳貸して。あとこれ持ってて」
「はい?」
晴人がプロデューサーに告げた、少しの頼み。
それを伝え終え、晴人が手に持っていたものをプロデューサーに渡したその直後。
おそらくはkm単位での跳躍により、怪物が彼らの前に着地する。
「やはりここに居たか、指輪の魔法使い」
晴人の持つインフィニティーの力を路傍の石のごとく蹴散らした、晴人がこれまで戦ってきた中でも最強の強敵、ジャヴァウォックが現れた。
三つの頭、六本の腕、六本の足。
それら全てが醜悪に
ウィザードが死力を尽くした上で、一度は負けてしまったほどのモンスター。
先の戦闘の疲労も見えず、ジャヴァウォックはダメージの残る晴人よりもよっぽど元気そうで、状況は更に不利になっていると言わざるをえない。
「たまらんな。この会場に居る、全ての人間を殺し尽くす……
その過程でどれだけの恐怖、絶望をこの身で味わえることか……
ふふっ、我が生涯で最高のパーティータイムになりそうだ」
「っ」
おぞましい外見に留まらず、中身までもが醜悪に歪んだ怪物の言葉に、思わずプロデューサーは身震いしてしまう。
恐ろしい。
相対するだけで死の恐怖を感じるこの怪物が会場に入ってしまえば、一体どんな大惨事になるか分からない。
この怪物と真正面から対峙できていた晴人も、その時点で尋常な人物ではないのだと、プロデューサーは改めて敬意を抱いた。
そんな彼の肩に手を乗せ、晴人は無言で後ろに下がるよう促す。
後ろに下がったプロデューサーの肩にガルーダが乗ったが、戦いの行く末に目を奪われていた彼は、それに気付くこともなかった。
「いや、お前のパーティータイムはもう終わりだ。ジャヴァウォック」
「ほう」
頬の傷に貼られた絆創膏を軽く撫で、晴人は新たな指輪を嵌める。
「ここからは、俺達の――」
彼の脳裏に浮かぶのは、ステージに向かう智絵里の姿、頑張っていたプロデューサーの姿。
ここではない場所で、共に戦っていた仲間達の姿。
そして晴人が無意識の内に重ねていた、智絵里と同じくらいの年頃だった、晴人にとって誰よりも大切だった、妹のように愛していた、ある少女の姿。
"指輪の魔法使い"が負けられない理由が、そこにある。
「――ショータイムだ!」
《 Shaba Do Be Touch Henshin. Shaba Do Be Touch Henshin. 》
《 Flame dragon. B'urn b'ur b'ur b'ur b'urn! 》
炎が吹き出し、晴人を包み込む。
それだけではない。
智絵里の前で見せた時よりもはるかに量と熱を増した炎は、晴人の中の竜の形を模し、彼に新たな炎の竜の力を与えた。
「どうした、インフィニティーを使う魔力も残っていないのか、仮面ライダーウィザード!」
「ご想像にお任せするさ!」
《 Connect Please. 》
《 Copy Please. 》
六本の足で駆けて来るジャヴァウォックを迎え撃つように、晴人は駆け出す。
召喚魔法でウィザーソードガンを召喚、複製魔法で二本に複製。
両手に剣を持ち、二刀流でファントムに向かって跳び上がった。
「はっ!」
「くははははッ!」
晴人はジャヴァウォックの頭上を越えるように跳び上がり、すれ違いざまに頭部へと剣を振る。
しかし六本の腕により容易に防がれてしまった。
が、それも彼の計算通り。
ジャヴァウォックの背後を取った晴人は、両手を巧みに使ってウィザーソードガンのハンドオーサーを展開、指輪で双剣に魔力を注ぎ込む。
《 Come-on-a Slash Shakehands. Come-on-a Slash Shakehands. 》
《 Come-on-a Slash Shakehands. Come-on-a Slash Shakehands. 》
二本の剣は双子のように同じ呪文を詠唱し、同じタイミングで同じ魔法を発動した。
《 Flame. Slash Strike! 》
《 Frame. Slash Strike! 》
晴人は二つの剣を交差させ、X字を描くように二つの剣から炎の刃を振り飛ばす。
ジャヴァウォックが頭上を越えていった晴人の方を向いた時には、その目の前まで交差した炎の刃が迫って来ていた。
「む」
しかしジャヴァウォックは加速能力を使い、難なくこれを受け止める。
こんなものかと嘲笑し、炎を振り払い、魔法使いに反撃を加えてやろうと晴人が居たはずの場所を見る。
《 Hurricane dragon. Vew Vew Vewvew Vevew! 》
しかしそこには、もう誰も居なかった。
「何!?」
ジャヴァウォックは晴人を見失うが、晴人の武器やベルトが魔法詠唱のために音を発さざるを得ないことを思い出し、特徴的な音を出している方に三つの顔の内一つの目を向ける。
《 Come-on-a Shooting Shakehands. Come-on-a Shooting Shakehands. 》
《 Come-on-a Shooting Shakehands. Come-on-a Shooting Shakehands. 》
そこにはまた新たな姿、風の竜の力を纏う形態へと変わった魔法使いの姿があった。
ジャヴァウォックが視界を炎で塞がれていたとはいえ、一瞬で見失ってしまうほどの速度。
晴人はウィザーソードガンを二刀流から二丁拳銃へと変え、また違う魔法を発動させようと高めた魔力を注ぎ込んでいる。
《 Hurricane. Shooting Strike! 》
《 Hurricane. Shooting Strike! 》
見失わせていた一瞬で回り込み、ジャヴァウォックの脇を取っていた晴人。
晴人の二丁拳銃から緑色のレーザーのような魔力弾が発射され、ジャヴァウォックの脇腹へと綺麗に命中した。
「っ……舐めるな!」
ジャヴァウォックは軽くではあるがダメージを受けたようで、苛立ちを隠そうともせず咆哮。
六本の腕から黒い光の弾丸を晴人に向かって乱射し、爆撃のような攻撃を叩き付けてきた。
「うおっ、とっ!?」
晴人はそれを風の魔法による飛行能力で舞うようにかわす。
砲台は六。破壊力、連射力共に絶大。
しかしながら指輪を介さずとも高レベルの風魔法を使えるこの緑の竜のウィザードは、上空に舞い上がることでこの弾幕さえもすり抜けられる。
夜空で緑の魔力光の輝き、その光を塗り潰す闇の魔力光の黒がせめぎ合う。
空が曇り、星も月もない夜であったことが、空中を舞う晴人の後押しとなってくれていた。
「前に言ったはずだ……お遊びはやめろ! 魔法使い!」
しかし、ジャヴァウォックはなおも切り札を隠し持っていた。
「!?」
ジャヴァウォックの三つの口が開くと、そこから黒い砲弾が吐き出される。
砲弾は空中で散弾銃のように弾け、小さな魔力弾を無数に吐き出した。
怪物が吐いた弾丸が更に小さな弾丸を吐き出し、晴人へと迫る異様な光景。
ジャヴァウォックは攻撃力十分。そんなことは分かり切っていたことだ。
ならば指先ほどの大きさの魔力弾を無数にばら撒いての面攻撃でも、その一つ一つが魔法使いを叩き落とせるだけの威力を誇る。
《 Defend Please. 》
「くっ……うっ……ぐああああああっ!!」
晴人は咄嗟に魔力防壁を展開。
しかしいくつかを受け止めた所で防壁は破壊され、何発もの魔力弾が直撃してしまった。
叩き落とされた晴人は、着地の直前に風をクッションにすることで墜落死だけは免れたものの、ジャヴァウォックに接近を許してしまう。
「チェックメイトだ」
「―――! ぐあっ!?」
ジャヴァウォックは六本ある足の内、四本で晴人の両手両足を踏みつける。
これだけの怪物だ。どれほど体重があるか見当もつかない。
手足を踏み付けられた晴人は痛みに苦悶の声を上げるが、今は痛み以上に問題になることがあった。
「知っているぞ、指輪の魔法使い。
貴様は、指輪を介さなければ魔法のほとんどが使えないのだろう?」
「……っ!」
「こうして両手を封じられれば、もはや何も出来まい。詰みというやつだ」
ジャヴァウォックが、事実を述べる。
確かにそうだ。晴人は変身するにも、属性を切り替えるにも、魔法を使うにも指輪を用いらなければならない。
両手を封じられた時点で、彼の魔法の多くは封じられてしまう。
かつて彼が幸運を操作する敵と戦った時も、指輪を指に嵌めることができずに相当苦戦させられてしまったことがある。
「楽しませてもらったぞ。礼を言う、魔法使い」
今の晴人は、指輪を付け替えることも、ベルトを介して魔法を使うこともできない。
戦える仲間も周りには居ない。
そしてジャヴァウォックの六本の腕に黒い光が収束され、晴人を跡形もなく消滅させる一撃を今にも放たんとしている。
絶体絶命。
絶望が魔法使いに押し寄せる。
「終わりだ」
「いいや、ラストは……今じゃない!」
そして、魔法は放たれ、炸裂した。
智絵里は走り、そしてアイドルの控室の前まで辿り着く。
このライブ会場は廊下から控え室に、控え室から会場に、そのまま行けるようになっていた。
だから真っ先に控え室を目指し、智絵里は走った。
「あー、来ちゃったんだ、智絵里ちゃん。
ちぇっ、せっかく他人を理由にサボれると思ったのにー」
「あ、杏ちゃん……」
すると控え室の前に、智絵里と同じユニットの仲間である
息を整えつつ、智絵里はこんな時でも平常運転の彼女に安心してしまう。
双葉杏は、働きたくないという本音を全く隠さないイロモノアイドルだ。
紆余曲折あってアイドルとして働いてはいるが、ことあるごとに仕事から逃げ出し、仕事をサボろうとするという問題児の中の問題児。
智絵里の遅刻をサボる理由にできたのに、なんて言って許されるのは彼女ぐらいのものだろう。
「かな子ちゃん心配してたから、顔見せてやりなよ」
「あ、うん。控え室の中に居るの?」
「ん。まあでも、多分あと10分もしたら杏達の出番だと思うけどね」
「う、うん……」
具体的な数字を出され、目の前に迫った『本番』を実感する智絵里。
バクバクいっている心臓の鼓動を沈めようと胸に手をやると、不思議な感触が伝わった。
「……?」
智絵里がそこを見やれば、そこには胸ポケットに収められた四つ葉のクローバー。
そして晴人がかけてくれた四つの魔法が、彼女に静かに寄り添ってくれていた。
「……よし」
智絵里は顔を上げる。
この四つ葉のクローバーがある限り、もうどんな時だって、何かに怯えることはない……そう智絵里が思えるくらい、大きな勇気をくれる魔法が、彼女にかかる。
「お、なんかいい顔になったじゃん」
「遅れてごめんなさい、杏ちゃん。でも、もう大丈夫だから」
「よっし、じゃあ行こっか。面倒くさいけど……ここからは私達のステージだ!」
控え室の扉をくぐり、ユニットの最後の一人の仲間を迎え、三人はステージへと向かう。
絶望を越えた先の希望。
怪物という壁を越え、ステージに辿り着いた智絵里を迎えたのは、智絵里から希望を貰っている多くのファンの希望に満ち溢れた笑顔。
さあ、ここからは、緒方智絵里のショータイムだ。
シンデレラプロジェクトのプロデューサーは、不器用な男だ。
実直で、誠実で、真面目で、それゆえの長所も短所もある。
頼られることもあれば、感謝されることもあり、罵倒されたこともある。
今の彼はその人生の果てに、上司から大役を任せられるだけの頼りがいがあった。
だからだろうか。
晴人が最後の切り札、ジャヴァウォックに対する奇襲に、彼を頼ろうと思ったのは。
「プロデューサーさん。合図したら、こいつを俺に向かって投げてくれ」
「これは……?」
「俺の切り札の一つさ。使えば強くなれる、みたいな?」
晴人がプロデューサーに手渡したのは、不思議な形のタイマーだった。
形状が不思議すぎて形容しづらく、タイマー以外の言葉では表せないものだった。
「ならば、有事の前に発動しておくべきでは?」
「いや、小細工なしに正面から使ってもまたやられるだけだ。
ダイアルが回り切る前にやられたら本末転倒だしな……あくまで奇襲なんだよ。
コネクトの魔法を使うか使わないかの一瞬の違い。そいつを使って、奇襲する」
「私に出来る範囲であれば微力を尽くしますが……合図とは?」
迫る敵の気配を感じつつ、晴人はニッと笑う。
「俺が『ラストは今じゃない』と言った瞬間だ」
そして、魔法は放たれ、炸裂した。
晴人による、風の魔法が。
「……!?」
赤色であれば火と熱を支配する。
青色であれば水と水流を支配する。
黄色であれば土と岩を支配する。
緑色であれば風と大気を支配する。
指輪がなくとも、そのくらいなら出来る。
それが指輪の魔法使い、仮面ライダーウィザードだ。
竜の力を乗せた緑の形態の風は、大人数人分の重量を抱えていたとしても、高速空中戦闘を可能とするほどの浮力を発生させる。
怪物を一瞬持ち上げ、その足の拘束から自分の両腕を脱出させることなど造作もない。
さりとて持ち上げられるのは一瞬のみだ。
その一瞬で腕を自由にし、プロデューサーが放り投げたタイマーの軌道を風で修正し加速、キャッチして起動。
「風向きが変わらないなら、変えてやるまでだ!」
《 Drago Time Setup. 》
《 Start! 》
晴人の右腕に装着されたタイマーが起動し、黒い針が時間を刻む。
即座にタイマーを再度操作すると、ジャヴァウォックの背後に新たな人影が現れた。
《 Frame Dragon! 》
「がっ!?」
ジャヴァウォックの三つの顔は、360°全てを見通し奇襲のほとんどを無効化してしまう。
だから、その人影は接近して切ったのではない。
いきなりジャヴァウォックの近くに現れ、顔の一つをぶった切ったのだ。
「ドラゴタイマー……自己の完全複製か! やればできるじゃあないか、魔法使い!」
「お褒めいただき光栄ですよっと!」
ジャヴァウォックの顔の一つを潰したのは、今風の竜の力を用いている晴人とは色が違う、赤色の火の竜の力を用いる"もう一人の晴人"。
これこそが晴人の切り札の一つ、『ドラゴタイマー』。
自分自身を最大四人まで増やせる魔道具である。
ジャヴァウォックも警戒はしていたが、予想外の手によって使われてしまった。
形態変化にも指輪の入れ替え、使用で二手。
ドラゴタイマーならば指輪の入れ替え、召喚魔法使用、装着、使用で四手使うはずだと読んでいたのだ。しかしその思い込みの部分を、ものの見事に晴人に突かれた形となった。
本来召喚が必要なドラゴタイマーであっても、指輪の入れ替え、召喚魔法の使用というプロセスを短縮できるなら、それだけで十分な奇襲として機能する。
《 Water Dragon! 》
風、火に加えて水の竜の晴人も参戦。
それぞれが剣を構え、果敢にジャヴァウォックへと飛びかかっていく。
「だが、数だけ増やしてもこのジャヴァウォックには通じんと……学習しておくべきだったな!」
しかしながら、まだ手足の数で言えば同数。
ジャヴァウォックが全力の攻撃を放ち、雨あられと魔力弾を降り注がせた。
《 Defend Please. 》
《 Defend Please. 》
《 Defend Please. 》
「雁首揃えて防御を固めるか! 攻めてこなければ勝てんぞ、仮面ライダー!」
それらの攻撃を三人の晴人は身を寄せ合い、三種類のエレメントを結集した複合防壁を張る。
ジャヴァウォックの攻撃を防げている時点で凄まじい防御力が伺えるが、徐々に、徐々にその防壁にもヒビが入っていってしまってしまう。
化け物はそれを見て、愉悦に表情を歪めながら、広がる攻撃の範囲を更に収束して注ぎ込んだ。
「んじゃ、お言葉に甘えて」
《 Land Dragon! 》
「ッ!」
そのタイミングで、晴人は四人目の自分を出現させる。
土の竜の力を用いる黄の晴人が、地面の下より飛び出しながら、残り二つしか残っていないジャヴァウォックの顔の内一つを切り裂いた。
「くっ……かははははッ! いい痛みだ! 昂ぶるぞ! 操真晴人ォッ!!」
「「「「 こっちにゃ戦いを楽しむ趣味はないんだっての 」」」」
四人の晴人が揃い踏み。
竜を模した赤、青、緑、黄の四色の晴人が並び立つその姿は、圧巻だ。
インフィニティーですら敵わなかった相手に、この晴人が十人集まったところで勝ち目はあるまい。しかし狂気の笑い声を上げる化け物を見る魔法使いは、全く動揺していない。
あとひとつ。
晴人には、最後の最後の奥の手がある。
プロデューサーが
「面白えもん見せてやるよ、ジャヴァウォック」
「……?」
「さてさて、取り出しますは『インフィニティーリング』。
インフィニティーになるために必要なこの指輪。さて、これを……」
《 Copy Please. 》
四人が全員出てこれたなら、それで準備自体は終わる。
晴人は芝居ががかった口調で切り札である指輪を取り出し、複製の魔法を起動。
そして、インフィニティーリングを"コピーした"。
《 Copy Please. 》
《 Copy Please. 》
更にコピーした方のリングを別の自分に投げ渡すと、投げ渡した自分と一緒に再度複製の魔法を起動。二つになったインフィニティーリングを、四つへと増やす。
「覚悟はいいか? ジャヴァウォック」
四つに増えたインフィニティーリングを四人の晴人が嵌め、同時にベルトにかざす。
《 I-nfinity Please! 》
《 I-nfinity Please! 》
《 I-nfinity Please! 》
《 I-nfinity Please! 》
「言ったはずだ。ここからは……俺達の、ショータイムだってな!」
《 Heat Swim Foo d B'ur Java Vew Dogon't! 》
《 Heat Swim Foo d B'ur Java Vew Dogon't! 》
《 Heat Swim Foo d B'ur Java Vew Dogon't! 》
《 Heat Swim Foo d B'ur Java Vew Dogon't! 》
そうして現れる、四人の仮面ライダーウィザード・インフィニティースタイル。
ジャヴァウォックですら絶句する、魔法使いの起こした奇跡……否、魔法だ。
「な、なんだこれは……ありえんッ……!」
「「「「 ありえねえことすんのが魔法使いだろ? 」」」」
ウィザードの時間干渉、ジャヴァウォックの加速は互角の速度。
ならば、四対一ならば?
《 I-nfinity! 》
《 I-nfinity! 》
《 I-nfinity! 》
《 I-nfinity! 》
「……がァッ!?」
晴人の時間干渉による四人同時攻撃。
咄嗟にジャヴァウォックは反応して加速するものの、心の動揺を抑え切れず、二本の腕と二本の足を四本のアックスカリバーによって切り飛ばされた。
「「「「 もういっちょ! 」」」」
四人の晴人の時間干渉魔法はまだ終わらない。続いて第二撃。
ジャヴァウォックは一体だけでも数を削らないとマズいと判断したのか、四人の晴人の内一人だけを必死に目で追う。
ここに来てようやく、晴人がドラゴタイマーでの奇襲時に手足ではなく顔と目を狙ったその理由を、ジャヴァウォックは理解した。目が足りない。死角が多い。
この両者の戦いにおいて戦いの年季は、所々で戦いの流れを決めている。
「そこだッ!」
「そこじゃないんだな、これが」
「!? ぎ、ぃっ……! が!?」
ジャヴァウォックが狙っていた一人が仕留められる範囲に入ってくると、そのタイミングで全力をもって仕留めにかかる。
しかしその一人の動きはフェイント。四人の晴人の内一人が餌となり攻撃を誘い、ジャヴァウォックに隙を作る役目を請け負っていたに過ぎなかった。
まんまと餌に釣られたジャヴァウォックに残り三人が斬撃を食らわせ、その三人の攻撃により生まれたチャンスに餌となっていた一人が追撃の斬撃を放つ。
またしても腕二本、足二本が切り飛ばされる。
「はぁ……はぁ……はァァァァァ……!」
ダメージで立っていられなくなったのか、膝をつくジャヴァウォック。
あのおぞましかった三面六臂六足の異形も、もはや顔一つ、腕二つ、足二つの人型の化け物でしかない。
しかしジャヴァウォックの強さをよく知る晴人は油断しない。
最強の技を叩き込み、ここでトドメを刺さんとする。
晴人の内二人はアックスカリバーを逆手に持ち、魔力を注ぎ込む。
残り二人はアックスカリバーからウィザードソードガンへと持ち替え、片や剣、片や銃へと変形させた上で魔力を注ぎ込む。
二本のアックスカリバー、二本のウィザードソードガンは、主がためにと呪文を唱え輝いた。
《 High Touch! 》
《 High High High High High Touch! 》
《 Come-on-a Slash Shakehands. Come-on-a Slash Shakehands. 》
《 Come-on-a Shooting Shakehands. Come-on-a Shooting Shakehands. 》
「こいつで決める!」
《 Shining Strike! 》
《 Plasma Shining Strike! 》
《 Slash Strike! 》
《 Shooting Strike! 》
《 Kiler Kiler! Kiler Kiler! Kiler Kiler! 》
一人の晴人は、斧を10m以上に巨大化させて振り下ろす。
一人の晴人は、斧を放り投げて回転させながら投げつけた。
一人の晴人は、剣を振り下ろして綺羅びやかな光による光刃を放った。
一人の晴人は、鮮麗な輝きを圧縮した光弾を銃より撃った。
「こんな、魔法、ごときでッ……!」
それら全てが、ジャヴァウォックに命中。
星も月もない夜の街を、爆炎とダイヤのような輝きで埋め尽くす。
これにて決着……した、かに見えた。
「おいおい、マジかよ……」
「そんな……!」
「ふ、ふふ……耐えたぞ、魔法使い……! さあ、殺してやろう!」
手応えを感じていた晴人、これで晴人の勝ちだと拳を握り締めていたプロデューサーの口から、信じられないものを見てしまったような声が漏れる。
ジャヴァウォックは生きていた。
晴人の最強形態四体同時、という切り札を切ったにもかかわらず、生きていた。
ズタボロだが、これで生きているならどうしようもない。
晴人には先程の四人同時攻撃以上に威力のある攻撃手段がない。
そもそも単発で最強の威力を誇るフィニッシュストライクですら、弾かれているのだ。
一定以上の攻撃力がなければ、どんなに攻撃を重ねても致命に至らない生命力。
それが攻撃、速度において飛び抜けていたジャヴァウォックの、防御面における武器だった。
こうなれば複製魔法で自分を複製し、さらなる同時攻撃を仕掛けても意味はあるまい。
晴人はどうするべきか悩みながら、ドラゴタイマーによる分身を解除した。
彼も、魔力と体力の限界が近い。
おそらくは、あと撃てて一撃が限度だろう。
(結局最後はお前に頼るのか。まあ、いつものことだな)
晴人が取り出したのはキックストライクの指輪。
仮面ライダーの必殺技、ライダーキックを発動する指輪だ。
フィニッシュストライクより威力は劣るが、使い慣れている分威力を一点に集中できる。
何度も何度も頼ってきたその指輪に、晴人が全ての命運を託そうとした、その時。
―――頑張って、晴人―――
少女の声が、聞こえた気がした。
「ああ――」
それは本当に届いた声だったのかもしれない。
ダメージで朦朧とした意識が生んだ幻聴だったのかもしれない。
だが、どっちだっていいことだった。
晴人が手にしたキックストライクウィザードリングが、別の指輪に変わっていたことですら、今の晴人にとってはどうでもいいことだった。
「――頑張るよ。コヨミ」
指輪を、ベルトにかざす。
《 Cho-i-ne! Hope Strike! S/A/I/K/O-! 》
希望を、ベルトにかざす。
「フィナーレだ、ジャヴァウォック!」
「く、は、はははっはははははははっはッ!
貴様はいったいどれだけ……窮地に奇跡を起こせば気が済むのだ! 魔法使い!」
空に舞い上がった晴人の背に、巨大な魔法陣が現れる。
そこから現れる五色の竜。
赤、青、緑、黄、ダイヤモンド。
五色の竜がジャヴァウォックに喰らいつき、その身を構成する魔力を叩き込む。
そして魔法陣の魔力をその身に纏い、竜と共に飛び込んだ仮面ライダーの蹴撃が、ジャヴァウォックの胸に深く突き刺さった。
「美しい……これが、我の死か」
色とりどりの魔力に包まれ、胸を貫かれたジャヴァウォックはそう言い、笑う。
自分の基礎を作った下劣な悪の組織も、自分を直接生み出した卑屈などこかのアイドルオタクも見下していたジャヴァウォックが、最後の最後に敬意を口にした。
ファントムとしての短い生涯の最後を、ジャヴァウォックは賞賛の中で終える。
怪物は凄惨な悲鳴の中で生き、賞賛と歓声の中で死に絶えなければならない。
ジャヴァウォックはその宿命に殉じ、最後の最後で、晴人の魔法を讃えながら息絶える。
そして、大爆発。
晴人が放った膨大な魔力とジャヴァウォックに内包された莫大な魔力が吹き散らされ、空へと舞い上がる。
ジャヴァウォックの魔力、晴人の魔力、ドラゴンの五色の魔力が交じり合い、色がプリズムのように切り替わる七つの魔力光が夜空でキラキラと輝いていた。
駆け寄って来るプロデューサーの方を向き、変身を解除し、晴人は人によってはチャラいと言われそうな笑顔を浮かべる。
「ふぃー。ま、こんなもんか」
ジャヴァウォックという強敵との戦いは、この瞬間に幕を閉じた。
智絵里はショーを終え、多くのアイドルに続いて最後にステージを降りる。
そこで夜空を見た彼女だけが、見えた光景があった。
会場の外の夜空にだけ広がっている光景。
他のアイドル達は先に退出したために見えていない。
会場の客はステージの方を見ているために気付いていない。
星も月もない夜の空に、ほんの一瞬、智絵里は七色の不思議な光が見えた。
(……綺麗……)
ステージを降りた智絵里は、時計を見る。
今、丁度0時を過ぎたところだった。
それも当然だろう。先程まで智絵里が立っていたステージは、アイドル全員がステージに立つカウントダウンステージであり、その中で最後にステージを降りたのが智絵里だったのだから。
自分の服を見て、智絵里は思う。
0時を過ぎても魔法は解けていない。
自分の胸に手を当てて、心を見てみる。
0時を過ぎても魔法は解けていない。
四つ葉のクローバーを手に取って見る。
0時を過ぎても魔法が解けていない。
「もしかして、さっきの光……」
星も月もない夜の空に、虹がかかったように見えた、あの光。
それは、もしかしたら、あの人が……と、智絵里は思う。
「……頑張ろう」
貰ったクローバーを胸ポケットに再度しまい、智絵里は歩を進める。
仲間達の下へ向かうため、まだ終わっていない、自分のショータイムを成功させるため。
(いつか、私のステージを、ショータイムを、あの人に―――)
臆病だった少女の胸には、恐れを跳ね除ける希望が宿っていた。
戦いが終わった途端、崩れ落ちるように晴人は倒れこんだ。
「操真さん!」
「大丈夫大丈夫、心配ないよ。プロデューサーさん。
魔力ってのは使うとちょっとばかり疲れちゃうもんなのさ。
さっきはサンキュー。ドラゴタイマーを投げてくれたタイミング、最高だったぜ」
「そんな……こちらこそどれだけ感謝の言葉を述べればいいのか……」
「……? プロデューサーさん、下がって。まだ終わってないみたいだ」
「!」
プロデューサーの感謝の言葉を遮り、立ち上がる晴人。
油断なく構えた晴人の前に現れたのは、怪しげで不健康な印象を受ける男。
だが、その男の皮膚は、顔は、無残にヒビ割れていた。
「ちくしょう……ちくしょう……なんで俺は、こう何をやっても上手く行かない……!」
「ゲート……? 絶望しているのか!?」
生まれつき魔力を持つ人間、ゲート。
ゲートはファントムの影響で絶望すると、命と引き換えにファントムを産み出してしまう。
体に紫色のヒビ割れが走るのは、その前兆だ。
放っておけば、その体は無残に砕け散ってしまう。
「気に入らない奴らを痛めつけようとしたら出来ない……
ファントムは勝手に人殺しなんてことをしようとしてた……
なんで……なにやっても……上手く行かないんだ……俺は……」
「貴方、まさか」
「ああ、プロデューサーさんの推測は当たってると思う。
こいつが……財団に利用され、ジャヴァウォックを生み出したゲートだ」
考えてみれば、理屈は通る。
悪の組織が他の誰でもなく、こんな人間を選んだ理由。
ファントムを生み出すためにゲートの魔力を利用するという、分かりやすい既存のファントム誕生法の流用、技術の転用実験。
その結果、ジャヴァウォックの行動と失敗が、産みの親である彼を絶望させてファントムを産み出させようとしているのだから、運命とは実に皮肉なものだ。
「なんで……なんでだよ……」
「他人を傷付けて自分を満足させようとした時点で、どっか間違ってたのさ」
「……!」
自覚はあったのか、アイドルヲタでひきこもりの男は押し黙る。
そこで逆切れに走らない辺り、最後の良心は残っているのだろう。
「俺、死ぬのか……?」
「ああ。このままだと、ファントムを産み出してお前は死ぬ」
「死にたくない……死にたくねえ……!」
(……この方は)
男は頭を抱えてうずくまる。
プロデューサーは、ジャヴァウォックを生み出し智絵里とそのファンを狙わせた男に対し、絶対に許さないと思うほどに怒っていた。
それほどまでにジャヴァウォックは危険で、智絵里はその暴力に怯えていたから。
智絵里のことを思えばこそ、絶対に許せないと、プロデューサーは思っていた。
なのにその怒りは、もうすっかり冷めきってしまっていた。
会ってみれば、ジャヴァウォックを生み出した男は小物も小物。
それどころか死に怯える姿は情けなく、哀れで、同情心しか湧き上がってこない。
良い人間ではない。むしろ悪い人間だ。
だが、良い悪いの判断基準がどうでもよくなるくらいに、可哀想な人間だった。
(この方もまた、被害者なのでは……)
ある日突然、特別でもなんでもない人間が力を手に入れる。
誰かの希望になると誓ったならば、操真晴人のような人間に。
気の迷い、カッとなって、そんな理由で力を使ったならば、この男のようになる。
プロデューサーの目に映る現実は、そう語っているかのようだった。
「操真さん……」
「そんな顔するなよ、プロデューサーさん。
ちゃんと助けるさ……どんなに悪い人間だって、もう誰も、俺の目の前で絶望なんてさせない」
魔法使いが歩み寄る。
男は親に叱られる前の子供のような顔で、不安げに晴人を見上げていた。
「今、助ける。安心しろ」
「ファントムを使って、気に入らない奴全員痛めつけようだなんて考えてた俺を……
俺なんかを……あんたは、助けようってのか……?」
「ああ、勿論だ」
それが当然のことのように、晴人は言う。
目の前で絶望しかけているのなら、彼は詐欺師や犯罪者にだって手を差し伸べる。
彼は正義の味方ではない。希望の味方なのだから。
「俺は人の希望を守る魔法使いだ」
男の手に指輪を嵌める魔法使い。
「お前の希望も俺が守る。お前の絶望も俺が倒す」
その指輪の魔法効果は『約束』。
救おうとする相手の指に嵌めることで、その人間の心の奥底の絶望と戦うことができ、希望を救い出すことを可能とする、希望の魔法使いの代名詞。
「約束する。俺がお前の、最後の希望だ」
《 Engaged Please. 》
「魔法使い……あんたは……」
「時間があったら、後で一緒にライブでも見に行こうぜ。きっと楽しいぞ」
ステージの歓声を耳にしながら、晴人は男の心の中へと飛び込んでいく。
体の全てが沈み込むその直前、一部のファントムよりも怖い顔で、けれど他人を安心させるいい笑顔で笑っている、そんなプロデューサーを見て、仮面の下で思わず笑顔になりながら。
ある日、アイドルの
「智絵里、そんなに四つ葉のクローバーいじってたらすぐしおれちゃうよ」
そう善意で、けれど生来の性格のせいでぶっきらぼうに言う凛。
対し少女は曖昧に笑い、これは魔法の四葉のクローバーだから、と言った。
怪訝そうにする凛に四つ葉のクローバーを渡す少女。
凛が手に持つと、確かに手触りは普通の四つ葉のクローバーそのもの。
なのにあのクローバー特有の脆さがなく、造花のようでもない。
花屋の娘である凛だからこそ分かる、どこか違和感のある花だった。
「そういえば、最近はいつもそれ見てるよね」
そう言うと、少女は少し不機嫌になったようだった。
凛が聞いてみると、どうにも恩人が「ありがとう」の一言も聞かずどこかへ行ってしまったらしい。
少女が他人への不満を漏らしているのは凛の記憶の中ではほとんどなく、珍しいものを見た、と思う以前に「特別な人なんだろうか」という考えが湧いて出てくる。
『そういう経験』がない渋谷凛には分からない。
恋愛経験豊富な人間なら、このクローバーを見つめる少女の視線が熱っぽいとか、恋をしたから最近その子は変わったんだとか、そういうことを知った風に言うんだろうか。
それとも、恋に恋してるとでも言うのだろうか。
あるいは、思春期の子は誰も彼も恋をしているのだと決めつけたがる、なんて言うのだろうか。
凛には分からなかった。
「智絵里はその人に会いたいの?」
そう聞くと、少女は「会えるよ」と言った。
会いたいだとか、どうせ会えないよだとか、どこに居るか分からないだとか、そういった返答ではなく、会えるという断言が返って来た。
その少女は、本当に辛くなったら来てくれるから、と言った。
それは何の確証もない、"信じる"という気持ちに裏付けられた心の支え。
弱く、脆く、永遠でも何でもない、けれど絶望を打ち払う……『希望』だった。
「ふーん」
凛は一歩下がり、その少女をまじまじと見る。
少し前より、ずいぶんと変わった印象を受けた。
一緒にデビューした14人の中でも、今では上位五指に入る人気アイドルになった少女を見て、凛はふと思う。
彼女が会えると言った人は、もしかしたら彼女をシンデレラにした魔法使いなんじゃないかと。
そこまで考えたところで「少女趣味が過ぎる」と凛は
「じゃあ、その人って智絵里にとってなんなの?」
少女はその問いに、迷いなく言い切った。
あの人は、私の最後の希望なんだ、と。
これにて終幕
ウィザードの何が凄いって本編と映画で使った魔法だけでここまで話作れるってことです