カビ臭い本棚の匂い。
いつのものかも分からないような埃にまみれた本たちに、緋色は目を回していた。
どこへ行っても本、本、本。
特別強い気配を辿って、たどり着いた場所がここだった。
先程から特殊な服装をした妖精達が弾幕でお出迎えしてくれたが、緋色に妖精を倒す気は全くなかった。緋色が相手をするのは、妖怪を含めて魔物のみ。自然の権化である妖精を狙おうなどと、勇者として断固としてできることではなかった。そのせいで、背中にはずっと弾幕が当たっているが、緋色には些細なことである。ちなみに、ダメージすら通っていないのか、緋色の回避は発動しなかった。
そして、そんな妖精達をどこか敬いながら無視するという器用なことをしている間に、何か物音が聞こえるようになった。
物音は緋色が近づいてゆくにつれドンドン大きくなって行き、地震のように膨れ上がる。そしてその音が弾幕決闘をしている音だと気づいた時には、その光景は既に緋色の目の前で展開されていた。
「そんな弾幕じゃあ擦りもしないぜ!」
無意識に身を引く緋色。その目前を、何か白と黒の色合いを持った謎の人型が通り過ぎた。
緋色は思わずその白黒を目で追う。
その視線の先には、これでもかと光を振りまく、魔女のような服装をした女の子がいた。
少女は手に持つ箒に跨りながら、高速でこの本地獄の中を飛翔する。
そして、そんな少女に弾幕を撃ち続ける人影が一つ。
紫色の、パジャマのような服を着た少女が気だるそうに浮いていた。
その紫色の少女は、空中に出現した魔法陣から絶えず弾幕を撃ち続ける。色とりどりの魔力の弾が、白黒の少女に向かって飛んで行った。
しかし、これが弾幕決闘か、と緋色は感心する。美しさを競い合うと言うくらいのものだから、どれだけ美しいものかと思っていたが、確かにこれは魅せてくれる。
血なまぐさい肉の道を歩いてきた緋色には、このような世界は遥か遠くの物であった。だからでこそ、このスペルカードというルールに抑えられた非殺の戦いが、どうしても清らかで美しい物に見えてならなかった。
「これで終わりにするぜ!恋符『マスタースパーク』!!!」
少女がそう宣言した瞬間、館が揺れ、極太の光の柱が撃ち出される。
それを見た紫色の少女は、どこか諦めたような表情をした後、避ける間も無く食らってしまった。
轟音とともに倒壊する巨大な本棚。それを軽やかに避けながら、緋色は勝者の少女の下へと歩み寄った。
少女は緋色の顔を見るなり、すぐに警戒の色を見せ、武器と思われる小さな箱を緋色に突き出す。
「なんだ、新手か?私はこの異変で最高にハイになってる。手加減はできないから、逃げるなら今のうちだぞ」
フフン、と余裕の表情を浮かべながら緋色を挑発する少女。その表情からは、秘められた自信がひしひしと伝わってきた。
ここでこの少女の相手をするのも良さそうだが、と緋色は彼女の姿を見上げる。緋色は空を飛ぶことができないので、必然的に見下ろされる形となってしまっていた。
「…じゃあ、やめておくわ。貴方は強そうだし、面倒だ」
これは本心であった。
明らかに弾幕決闘に慣れている彼女を相手していると、勝つにしろ負けるにしろ、時間をかけてしまうのは明らかだったからだ。
だから、ここはおとなしく引き下がる。
「はっ、そうか。じゃあな!」
そう言って飛び立つ少女。姿がだんだんと小さくなって、やがて見えなくなった時に緋色は歩き出した。
(この先、何かあるわね)
この先とは、今の飛んで行ってしまった少女にも気づかれなかった、この本地獄の部屋にある小汚い扉であった。
濃厚な魔物の気配を感じる。おそらくこの先に存在するのは、紛れもない化け物だろう。緋色はその扉を開けようと、取っ手に手を添える。
「貴方。その先に行くのはやめておきなさい」
ふと、緋色の後方から声が聞こえた。緋色はゆっくりとした動作で、背後を振り向く。
そこには、先程白黒の少女に敗北した紫色の少女がいた。
少し周囲を見渡してみれば、倒れたはずの本棚が全て元通りになっている。目の前の少女が何かをしたのだろう。彼女の周りからは、薄い魔力が漂っていた。
「どうして?」
緋色はその少女の警告に質問を返す。すると少女はいつの間にか机に腰掛けており、分厚い本をめくっていた。
「その先には、正真正銘の悪魔がいるわ。入ったら、死ぬ」
「そう。なら、慣れてるわ」
ガチャリと音がして扉が開く。
その先には、蝋燭の一つも無い真っ暗な階段が続いていた。
緋色は両手に魔力を込め、光に変えて放出する。それによって暗い道は照らされ、警戒することなく入ることができるようになった。
緋色は躊躇うことなく侵入する。不気味に変色した、血のような色の汚れた壁が続く。外とは打って変わって、全く掃除されていない埃まみれの階段が続く。しかし、緋色にとってはむしろ心地よい。魔物のいる洞窟に入った回数など、数え切れないほどにある。
この光景は、緋色にとっては日常茶飯事のことであった。
「…ねえ。貴方、何者なの?」
「勇者よ」
ガチャリ今度は閉まる音。紫色の少女は扉を見つめて、やがて溜息を吐いて本をめくった。
◇
扉の前に立つ緋色。
最後の砦とでも言いたいのか、強力な結界で守られた扉が、緋色の行進を阻んでいた。
「ふん、なんの特徴も無いただの結界。最低人除けの術くらい施しておくべきだったわね」
絶えず発光する右手で、シンプルに結界を殴り壊す。攻撃に耐えきれなくなった結界は、ガラスが割れるような音と共に無残に砕け散った。
「これが本当の黄金の右ってね」
呑気に独り言を漏らす緋色。
結界が壊れたことによって、結界に抑えられていた膨大な妖力が途端に溢れ出した。
しかし緋色はその妖力を物ともせず、いつも通りの表情で扉を開く。
「お邪魔しまーす」
一応挨拶をしておく緋色。少しも止まることはなく、扉は全開に開かれた。
そこで、緋色の動きが止まる。
緋色の視線の先にいるのは、ナイトキャップを被った見た目十歳にも及ばない金髪の女の子。それをサイドで一つに纏め、真っ赤なリボンがよく目立っていた。服は半袖の洋服を着でいて、瞳と同じ真紅の色をしている。
そして最も特徴的なのは、背中から突き出る謎の物体。二対の枝のようなものから、虹色の結晶のような物が浮いている。
そんな少女が、ボロボロで小汚い個室の中心に座っていた。
「だあれ?」
その時、緋色の脳髄に戦慄が走る。
萃香の時からずっと我慢していたが、もうそろそろ限界であった。
小首を傾げて見上げる少女。
緋色は静かに彼女に近づき、少女の正面に静かに座った。
「?」
不思議そうに少女は見つめる。
しかし、緋色の顔は俯いていて、その表情を読み取ることはできない。
「ん〜?」
少女はその小さな身を屈めて、緋色の顔を覗き込む。そして見えるかと思った時、緋色の両手が少女を抱きしめた。
「もう我慢できない!こんな小さくて可愛い子…久しぶりに出会ったわ!」
「わわっ」
少女は体勢を崩して緋色の胸に飛び込む。緋色はそんな少女を軽く持ち上げ、自分の足の上に乗せた。
実のところ緋色と言う少女は、可愛い子供が大好きだった。その小さな掌、ぱっちり開いた眼、可愛らしい容姿。その全てを緋色は愛している。
人を助ける時も、最優先にするのは小さな子供。子供を助けるためならば、緋色は必死で戦うことができる。原因は、今は亡き妹。魔物に食われ、助けられなかった妹の事を、緋色は今でも悔やんでいた。
「ねぇ、貴方さぁ、名前なんて言うの?」
「ほえ?」
満面の笑みで言う緋色。今は光っていない彼女の右手が、ちゃっかり少女の頭を撫でていた。萃香の時は彼女の年配女性のような逞しい喋り方から、なんとか自分を押さえつけることができていたが、この少女相手にはそうもいかない。見た目相応の仕草や反応から、ついに緋色は我慢できなくなったのだ。
そしてそんな緋色の奇行のせいで、イマイチ状況を理解していない少女。少し混乱を残したまま、緋色の質問に律儀に答えた。
「…フランドール」
「へぇ、フランドールかぁ。良い名前だね」
「…」
少し呆然とした表情をする少女。
生まれてこの方今に至るまで、自分の名前を褒められたことなど一度もなかった。
そして少女は、興味が湧いた。
この目の前にいる変な女のことを知りたくなったのだ。
「じゃあ、貴方の名前は?」
「うん?私は緋色。ヒーローよ」
そして、フランドールは笑う。
真っ赤な口を三日月型に変え、僅かに気配を変化させた。
「ヒーローかぁ、良いなぁ。やっと助けに来てくれたの?」
「助けて欲しいの?」
「私ね。ここから出た事が無いの」
「ここって…この部屋の事?」
「そう。495年間ね」
「へぇ、495年間使ってるんだこの部屋。頑丈なのね」
「…貴女、私が人間じゃ無いって気づいてたの?」
「そりゃそうよ。人間にはそんな変な物、生えてないわ」
そういってフランドールの背中を指差す緋色。その指の先には、枝と結晶のような変な物が生えている。
するとフランドールは少し怒ったように唇を尖らせ、その変な物を優しく撫でた。
「変な物じゃ無いわ。これは翼。私が空を飛ぶための物よ」
「ふーん。それでどうやって飛べるのかしら。素敵ね」
「お姉様のはもっとちゃんとした蝙蝠の翼なんだけどね」
「お姉様がいるんだ。会って見たいわ」
「お姉様は頑固なの。私を外に出してくれなくて」
「何かやらかしたの?」
「そうねぇ…遊びましょ?そうすれば、私が何なのか分かると思うわ」
「へぇ、謎解きみたい。何して遊ぶ?」
「弾幕ごっこ」
「…あぁ。そんな名前もあるのね。知らなかったわ」
緋色の身体から離れるフランドール。
緋色は名残惜しそうに溜息を吐いて、その場から立ち上がった。
フランドールの翼がゆっくりと揺れ、その身体を宙に浮かせた。
緋色は空を飛べないから、フランドールに追いつくことはできない。
「良いかしら?簡単には壊れないでね」
「当たらなければ良いんでしょ。私の得意分野だわ」
緋色の両手から光が溢れ出す。光は球体のような形をとって、緋色の周りを衛星のように回転しだした。
緋色の口が歪む。この状態こそ、緋色の戦闘態勢であった。
「何その光。私吸血鬼なの、だからちょっと苦手」
緋色の光球を前にして少し顔をしかめるフランドール。緋色それをすこし笑って、光球を少し速めに回転させた。
「あら、悪いわね。でもこれが一番動きやすいの。手から出てたら斬ったりする時邪魔になるし」
「貴女は眩しくないの?」
「調整してるわ」
「そーなのかー」
天井に手を翳すフランドール。
その手の中に、四角い何かが出現した。フランドールのスペルカードである。
「賞品は何にする?」
「コインいっこ」
「コインいっこ?金貨なら一個でも人命くらいは買えるのだけれど」
「あんたがコンテニューできないのよっ!…って、え?」
「人くらい金で買えるわよ。奴隷貿易って知ってる?」
「外ってハードなのね…」
「ルナティックよ」
赤黒く発光するスペルカード。
その光が強まった時、フランドールは叫んだ。
「禁忌『クランベリートラップ』!!!」