- The Another Origin -   作:青葉空太

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第22話 決着

 

 最初は普通だった。

 

 普通に生まれて、普通に育って。

 

 普通に、両親から愛されていた。

 

 いつからだっただろう。

 

 だんだんと、普通じゃなくなってきたのは。

 

 始まりはちょっとした変化だった。

 

 いつも当たり前に見えていた光景が、少しだけ暗くなったように感じた。

 

 その頃からだっただろうか。

 

 私は友達と遊んでいる最中に、よく転ぶようになった。

 

 しばらくして、変化は明確になった。

 

 私の見る世界は、半分の明るさしか無くなっていた。

 

 その頃から、私はあまり家から出られなくなった。

 

 少しずつ、少しずつ、私の世界から光が消えていく。

 

 嫌だった。

 

 怖かった。

 

 だから私は、ずっと窓からお天道様にお祈りした。

 

 お願いします。

 

 私に光をください。

 

 私から光を奪わないでください。

 

 毎日、毎日、私は窓からお祈りし続けた。

 

 気づいた時には、私はほんの少しの光しか見えなくなっていた。

 

 その頃からだっただろうか。

 

 優しかった両親は、私に冷たくなっていった。

 

 それでも私は、祈ることを止めなかった。

 

 もう一度、外で皆と遊びたい。

 

 もう一度、両親に愛してるって言われたい。

 

 もう一度、お天道様の光を見たい。

 

 そんなある日、ふと、私は誰かに呼ばれているような気がした。

 

 その人の元へ行きたかったけれど、私は表に出ることが出来なかった。

 

 そして、次の日。

 

 街から、子供たちが消えた。

 

 何日過ぎても、何年過ぎても、彼らは帰って来なかった。

 

 そして、私の世界から完全に光が消えた時。

 

 私の世界が、暗い闇に閉ざされた時。

 

 もう2度と、皆の声が聞こえないんだと分かった時。

 

 私は、気づいてしまったんだ。

 

 ああ、私は……“ひとりぼっち”なんだと。

 

 

 だから、私は窓を──

 

 

 

 ──閉めたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヒ……ジャ……ナイ、ヨ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

「お前は……誰だ?」

 

 夜陰に溶け込むかのように全身を漆黒へ染め上げた少女に、日向は真剣な双眸で問う。

 少女はゆっくりと日向の前に降り立つと、無機質な声で告げた。

 

「私タチハ御霊(みたま)。生ケ贄トナッタ、一三〇人ノ魂」

 

 その返答に、思わず瞳を丸くする。

 生け贄となった、一三〇人の御霊。

 もしもそれが言葉通りの意味ならば、

 

「まさか君は……いや、()()()は、連れ去られたハーメルンの子供たちか?」

 

 少女はそっと頷いた。

 数多の考察が存在する、“ハーメルンの笛吹き”の伝承。

 あらゆる可能性の中で、黒魔術の生け贄という悲劇の時代で命を落とした子供たち。

 自らがその御霊の具現だと、漆黒の少女は語る。

 

「それで、君たちの目的は何なんだ?」

「コノ子ヲ、アナタカラ守ルコト」

「守る? 君たちは、その子のことを憎んでいたんじゃないのか?」

「違ウ。私タチハタダ、ソバニ居テアゲタカッタ」

 

 漆黒の少女は、静かに首を左右へ振る。

 そして僅かに悲しげな表情を浮かべると、憑代である少女について話した。

 

「コノ子ハ、ズットヒトリボッチダッタ」

「ひとりぼっち?」

「ソウ。ズット、ズットヒトリデ生キテイタ。ダカラ、私タチヲ求メタ」

 

 彼らは少女の認識が誤りであったと指摘する。

 彼らが少女へ向かったのでは無く。

 少女自身が望んだからこそ、彼らは引き寄せられたのだと。

 しかし疑問が拭いきれない日向は、眉をひそめて問いかけた。

 

「なら、どうしてその子に伝えてやらないんだ? その子は、君たちが自分のことを憎んでいると思ってるぞ?」

「コノ子ニ、私タチノ言葉ハ届カナイ。生キルコトヲ諦メテイル者ニ、私タチノ言葉ハ響カナイ」

「生きることを……諦めている?」

「ソウ。コノ子ハヒトリデ生キルコトニ疲レテイタ。ヒトリボッチデイルコトニ、耐エラレナクナッテイタ。ダカラ、死ヲ選ンダ」

 

 漆黒の少女は悲痛に顔を俯かせる。

 そこで日向は、白髪の少女が最後に言った言葉を思い出した。

 

 ──“私を、殺してください”

 

 漆黒の少女は、再び顔を上げて日向を見る。

 

「デモ、私タチハコノ子ニ死ンデ欲シクナイ。ダカラ、アナタカラ守ル」

「……なるほどな」

 

 納得し、日向は構えを解いて頭を掻いた。

 そして彼らを真っ直ぐに見つめ、最後に疑問を投げかける。

 

「ひとつだけ聞かせてくれ。もしもこの場で俺からその子を守ったとして、その後はどうするんだ?」

「?」

 

 漆黒の少女は小首を傾げる。

 日向は続けた。

 

「孤独であり続ける限り、その子は決して救われない。また今回のように、自ら命を捨てようとするんじゃないか?」

「心配ハイラナイ。コノ子ハ、私タチトヒトツニナル」

「……どういうことだ?」

 

 彼らの言葉に、日向は訝しげな視線を送る。

 漆黒の少女は、自身の胸に手を添えて答えた。

 

「モウスグ、私タチトコノ子ノ霊格ハ完全ニ溶ケ合ウ。ソシテ、コノ子ハ私タチトヒトツニナル」

「君たちとひとつに? つまり、悪霊群の一員になるということか?」

 

 漆黒の少女はコクリと頷く。

 

「ソウスレバ、モウヒトリジャナクナル。ソウスレバ、ズットソバニ居テアゲラレル。コノ子ハ、救ワレル」

 

 その時、日向は初めて彼らの意図を理解した。

 彼らは白髪の少女を霊群の一部へ取り込むことで、孤独から救い出そうとしていたのだ。

 そんな彼らの想いを聞き届けた日向は、ふっと穏やかに微笑んだ。

 

「そっか。君たちは、その子のことが大好きなんだな」

「ム……」

 

 ほんのりと、漆黒の少女は頬を染める。

 本音を指摘されて恥ずかしかったのだろう。

 しかし、だからこそ。

 彼らの優しさを知ったからこそ、日向はスッと瞳を細め、

 

「だけどそれ、間違ってるぞ」

 

 そんな彼らを──否定した。

 

「ッ! ドウシテ!?」

「いや、どうしてって言われてもな……」

 

 全身から黒い瘴気を立ち昇らせて戦慄く少女。

 答えようとする日向だが、その前に彼らは攻撃を仕掛けた。

 

「ヤッパリ、アナタハコノ子ノ敵!」

 

 途端に無数の土槍を造り上げて、日向に撃ち出す漆黒の少女。

 しかし日向は、その全てを真正面から打ち砕く。

 絶望的な地力の差に、彼らは歯噛みして叫んだ。

 

「私タチハ、間違ッテナンカイナイ!」

「いいや間違ってる。どんなに崇高な理屈を並べても、君たちはやっぱり子供だよ」

「ウルサイ! 黙レ!」

 

 がむしゃらに攻撃を繰り出す漆黒の少女。

 それでも、次第に日向は彼らへと近づいていく。

 縮まる距離に比例するかのように、彼らの顔は悲哀に歪んだ。

 

「ドウシテ! ドウシテ……!」 

 

 泣き言のように叫ぶ彼らに、日向は何も答えない。

 淡々と歩み寄ってくる彼の姿に、いつしか彼らは恐怖心すら抱いていた。

 そしてついに目の前へ立った日向に、彼らは「ヒッ」と思わず両腕で顔を隠す。

 まるで年相応な仕草を見せる彼らに、日向はスッと両手を伸ばし──彼らの身体を抱き締めた。

 

「エ……?」

「大丈夫。俺は、この子を殺さないよ」

 

 優しい声音で話す日向。

 漆黒の少女は戸惑いを浮かべて問い返す。

 

「ダッテ、私タチハ間違ッテルッテ……」

「ああ。間違いも間違い。大間違いだ。この子の望みが孤独からの解放なら、君たちの一部になることで、確かに救われるのかもしれない。けれど、それだけじゃ駄目なんだ」

「ド、ドウシテ?」

「だってそれじゃあ……()()()()()()()()()()()()()()

 

 その一言に、彼らは言葉を失った。

 唖然と日向の顔を見つめた後、ゆっくりと問い返す。

 

「私タチガ……救ワレナイ?」

「ああ。君たちは言ったよな? ずっとこの子のそばに居てあげたいって。でもそれじゃあ、君たちは幼くして死んだ無念や後悔を、ずっと持ちながら生きていかなきゃならないんだぞ?」

「ソ、ソレハ……」

 

 彼らに困惑の色が浮かぶ。

 

「デモ、私タチガイナクナレバ、コノ子ハ本当ニヒトリニナッテシマウ」

「だから、さ。その役目を、俺に預けてみてくれないか?」

「エ?」

 

 日向は少しだけ身体を離し、彼らの頭を撫でながら話す。

 

「君たちの代わりに、俺がこの子のそばに居る。俺が命を懸けて、この子のことを守ってみせる。もちろん、それで安心しろとは言わない。信じてくれとも言わない。だけどほんの少し、俺に時間をくれないか?」

「時間……ヲ?」

「ああ。この子を救うための時間と──そして、()()()()()()()()()()()()()

「ア……」

 

 日向は朗らかに笑いかける。

 彼らは放心したように日向を見つめると──やがて、小さく微笑んだ。

 

「……アナタハ、不思議ナ人」

「そうか?」

 

 コクリ、と頷く。

 

「コウシテソバニイルト、トテモ温カイ気持チニナル。ソウ、マルデ……“日向”ニ居ミタイニ」

 

 日向は思わず苦笑した。

 彼らは少しだけ考えるような素振りを見せると──やがて、納得したように頷いてみせる。

 

「……ウン。アナタナラ、コノ子ノ“窓”ヲ開ケラレルカモシレナイ」

「窓を?」

「ソウ。コノ子ハ窓ヲ閉ジテシマッタ。光ヲ求メルコトヲ止メテシマッタ。デモアナタナラ、モウ一度コノ子ノ光ニ──太陽ニナレルカモシレナイ」

 

 漆黒の少女はそっと日向から離れると、どこか嬉しそうに告げた。

 

「私タチハ、アナタヲ信ジル。コノ子ノコトヲ、ドウカヨロシクオ願イシマス」

 

 日向も微笑み、それに応える。

 

「ああ、もちろん。だけど、君たちだってしばらくは一緒にいるんだぞ?」

 

 彼らは静かに首を左右へ振った。

 

「私タチノ願イハ、モウ叶エラレタ」

「え?」

 

 日向が声を漏らすと、少女の身体が輝き始めた。

 仄かな光はやがて全身を包み、小さな粒子となって消えていく。

 

「私タチノ願イハ、モウ一度誰カニ“愛情”ヲ貰ウコト。……アリガトウ。アナタノオカゲデ、私タチモ安心シテ逝ケル」

「……そっか」

 

 それだけ言って、彼らの魂を静かに見送る。

 完全に消える間際、漆黒の少女は、最後に日向へ語りかけた。

 

「サヨウナラ。約束、忘レナイデ」

「ああ。絶対に忘れないよ」

 

 日向の答えに、彼らはニッコリと笑顔を浮かべる。

 次の瞬間、少女の纏う光が弾け、輝く粒子はハーメルンの夜空へと消えていった。

 それと同時に、日向は倒れ込む白髪の少女を抱き止める。

 

「う、ん……お兄さん?」

「よ。おはようさん」

 

 目を覚ました少女に、日向は朗らかに笑いかけた。

 彼女は日向の顔を見つめると──ギュッと、その背中を抱き締めた。

 

「どうした?」

「声が……聞こえました。あの日以来ずっと聞こえなかった、皆の声が」

 

 震える声で話す少女。

 日向は優しく、彼女の頭を撫でてやる。

 

「何て言ってたんだ?」

「……“窓を、開けてごらん”って。“君はもう、ひとりじゃないよ”って。でも、私怖くて、ずっとその窓を開けられませんでした。けれど、窓の向こうに、お兄さんの声がしたんです。そしたら、不思議と怖くなくなって。気がついたら立ち上がって、窓に手を伸ばしていました」

「ちゃんと開けられたか?」

「はい」

「何が見えた?」

 

 日向は問いかける。

 少女は涙を浮かべながらも、ニッコリと笑い、

 

「えへへ。()()()()……何も見えませんでした」

 

 そう言って再び日向の胸に顔を埋め──嬉しそうに、声を上げて泣いたのだった。

 

 

 

***

 

 日向は手頃な家屋の一室に入ると、室内にあったベッドへ白髪の少女を寝かしつけた。

 少女は日向に視線を向けて問いかける。

 

「……行くんですか?」

「ああ。少しここで休んでいてくれ。必ず後で迎えに来る」

「ふふふ、その台詞はフラグですよお兄さん。……でも、約束……です」

 

 疲労が溜まっていたのか、少女はそう言って眠りへついた。

 日向は優しく微笑んで彼女の頭をひと撫ですると、やがてスッと真剣な表情で顔を上げた。

 

「そんじゃま、急ぐとしますか」

 

 

 

***

 

 “ハーメルンの笛吹き”が奏でる演奏は、これまで聞いたどの音色よりも美しい旋律だった。

 妙なる魔笛は高く、低く──夢の中へと誘うように飛鳥の心を浸食する。

 

(……ああ。コレは少しずるいわ)

 

 飛鳥は耳元で響く魔笛の向こうに、かつて捨てて来た世界の夢を見ていた。

 幼い頃から抱いていた、籠の外の世界。

 壁を越え、海を越え、国境を越え。

 叶うことのなかったハロウィンの夢を、失った家族と共に見る。

 陶酔してしまいそうな甘美な夢に取り込まれる瞬間──ひとつの約束を思い出した。

 

 “──いつか俺たちで、

     俺たちのハロウィンをしよう──”

 

(……そうね。私の“Trick or Treat”は、その時まで取っておきましょう)

 

 そっと目を覚ました時、演奏はすでに終わっていた。

 ラッテンは肩で息をしながら、困ったように笑っている。

 

「1曲分……という約束だったものね。夢は見られましたか、御客様?」

「……ええ。とても素敵な夢だったわ」

 

 掛け値のない評価だった。

 何より亡くなった家族の顔をもう一度見るような機会は、今後二度と訪れることはないだろう。

 思い出せる最後の家族の顔が夢の中の笑顔だというのなら──それはそれでいいかもしれない。

 パチパチパチと、気がつけば拍手を送っていた。

 ラッテンは苦笑と共に膝を折り、光の粒子となって消えていく。

 

「あーあ……負けちゃった。ま、さっきの一撃でほとんど致命だったんだけど。加えて全力の演奏とかやっちゃったもんだから……悪魔の霊格が保たなくなったみたい」

「……」

「じゃあね、可愛いお嬢さん。ご静聴感謝します♪ マスターによろしくね」

「こちらこそ。素敵な演奏をありがとう」

 

 最後に笑顔を浮かべたラッテンは、敗北を認めて風と共に消える。

 カラン、と落ちた笛を拾い上げると、教会の向こうからジンとレティシアが駆けてきた。

 

「飛鳥さん! 無事でしたか!?」

「ええ。ちょっと髪が乱れてるけど、それぐらいよ」

「そうか、無事で本当に良かった。奴らの狙いを考えれば無体な仕打ちは無いだろうと思っていたが……いや、今はそれどころじゃない。詳しい説明はともかく、ステンドグラスを」

「ええ。ここに真実のステンドグラスがあるわ。あなたたちはそれを確保して」

「は、はい。でも飛鳥さんは?」

「魔王と戦いに行くわ。この子を連れてね」

 

 飛鳥が指差すと、ディーンはズシリと動き出す。

 驚くレティシアたちを尻目に、彼女は魔王の元へと急ぐのだった。

 

 

 

***

 

 強大な2つの力の衝突は瓦礫の山を吹き飛ばし、一帯は焦土と化していた。

 ヴェーザーは砕けた魔笛の先端を静謐な瞳で見つめて呟く。

 

「……おい、坊主」

「何だ?」

「お前、本当に人間か?」

 

 デジャヴを感じて、十六夜は肩を竦めた。

 しかし彼の腕もボロボロだ。

 拳は砕け、肉は内側から爆ぜている。

 背中から倒れ込んでいることから、打ち負けたのは十六夜の方なのだろう。

 だが腕一本と引き換えに敵の主力を叩けたならば、成果としては申し分ない。

 ゆっくりと立ち上がり、十六夜は続行を促した。

 

「さ、続けようぜ。笛が壊れてもまだ戦えるだろ?」

「……いや、そうでもないらしい」

 

 サラリ、とヴェーザーの身体が崩れ始める。

 光の粒子となっていく両腕を見て、彼は皮肉げに舌打ちした。

 

「チッ。召喚の媒体が破壊されれば、そりゃこうなるわな」

「……消えるのか?」

「まあな。……あーくそ。くだらなねえ挑発なんぞに乗るもんじゃない」

「つれないことを言うなよ。こっちは楽しかったし、何より痛かったぜ?」

 

 十六夜は右腕を押さえながら、脂汗を流して笑う。

 本当なら今すぐ転げて喚き散らしたいほどの深手だが、そんな不恰好を彼の自尊心が許せるはずがない。

 徐々に存在が希薄となっていくヴェーザーに、十六夜は踵を向け、

 

「じゃあな。何度も言うが、楽しかったのは嘘じゃねえよ。俺と真正面から殴り合える奴なんて、今までひとりも──と、いや。そういや出来そうな奴がひとりだけ居たな」

 

 彼はふと、身近にいる黒髪の少年を思い出す。

 いつかあの男とも全力の戦いをしてみたいものだと、十六夜は小さく笑うのだった。

 

「オイオイ、お前みたいな人間がまだいんのかよ。……ったく、せめてそいつが、お前よりかはまともな人間であることを願うぜ。……ま、達者でな」

 

 ヤハハ! と笑って去っていく十六夜。

 見送ったヴェーザーはそっとひとり天を仰いだ。

 

「そうさ。お前みたいに傲岸不遜な人間は……前のマスターぐらいで十分さ」

 

 遠ざかる少年の背に、在りし日の面影を垣間見る。

 そんな執念が敗北を招いたのだと悟り、苦笑を浮かべて人知れず崩れ去ったのだった。

 

 

 

***

 

 一際大きな震動が伝わった。

 黒ウサギとサンドラは足を止め、互いに顔を見合わせる。

 

「今の揺れ、かなり大きかった」

「YES! どこかで決着がついたようです!」

 

 好転していく戦況に喜色を浮かべる2人。

 その一方で、黒い風を纏って上空に佇むペストは、脳裏で状況を整理する。

 

(ラッテンもヴェーザーも、倒されてしまったようね……)

 

 沈みきった夕陽の方角を見つめ、少し、遠い目をした。

 思えば自分のゲームメイクの甘さが招いた種だったかもしれないと、彼女は省みる。

 時間稼ぎなど考えず、初めから彼らと共に勝負を仕掛けていたならば……ここまで苦戦することもなかっただろう。

 

(破壊されていないステンドグラスは……残り58枚)

 

 このまま魔道書が破壊されれば、彼女を神霊に押し上げている霊格も無くなる。

 ただの悪霊に戻った彼女は“主催者権限(ホストマスター)”さえも失うだろう。

 

 ラッテンとヴェーザー。

 

 成り行きで出来た主従関係とはいえ、自分に忠を尽くしてくれた、初めての大切な仲間たち。

 ペストはしばし彼らに黙祷した後、

 

「──……止めた」

「え?」

「時間稼ぎはもう終わり。白夜叉だけを手に入れて──皆殺しよ」

 

 刹那、黒き風は天を衝いた。

 雲海を突き抜けた奔流は瞬く間に雲を散らし、空中で霧散してハーメルンの街へと降り注ぐ。

 

「今までの余興とは違うわ。触れただけで、その命に死を運ぶ風よ……!」

 

 その言葉に、黒ウサギはウサ耳を逆立てた。

 

「や、やはり“与える側”の力! 死の恩恵を与える神霊の御技ですか……!」

 

 上空から吹き荒れる死の風を避けながら、サンドラも戦慄く。

 

「ま、まずい! このままじゃステンドグラスを探している参加者がッ!」

 

 2人は慌てて街に視線を向けた。

 辛うじて屋内に避難しているようだが、参加者を庇った“サラマンドラ”のメンバーが数人、死の風に呑まれて命を落とす。

 その光景に、サンドラは奥歯を噛みしめた。

 

「よくも……“サラマンドラ”の同士を……!」

 

 怒りで赤い頭髪が燃え上がる。

 黒ウサギも覚悟を決めたように、懐から白と黒で彩られたギフトカードを取り出した。

 

(仕方ない……! こうなったら、勝負を仕掛けるしか──!)

 

 しかし、彼女がギフトを発動させようとした瞬間。

 視界の端で、今まさに黒い風へと巻き込まれようとしている参加者が映った。

 “造物主達の決闘”の舞台にいた、樹霊(コダマ)の少年だ。

  

(こ、この! 何でこんなタイミングに!)

 

 少年の元へ跳びたいが、もう間に合わない。

 彼を呑み込むかと思われた死の風は、

 

「DEEEEEEeeeEEEEEEN!!!」

 

 紅い鋼の剛腕に阻まれた。

 命無き無敵の魔神は、吹き荒ぶ死の風をものともせずに少年を守る。

 死の風を凌ぎきったディーンの上から、飛鳥が顔を覗かせた。

 

「今のうちに逃げなさい。ステンドグラスは後で処理すればいいわ」

「は、はい」

 

 腰が抜けたようにへたり込んでいた樹霊の少年だが、すぐさま立ち上がって近くの建物へ逃げ込んだ。

 飛鳥の無事を確認した黒ウサギは、歓喜の声を上げる。

 

「飛鳥さん! よくぞご無事で!」

「感動の再会は後よ! 前見て前!」

 

 へ? と振り返る黒ウサギ。

 ペストの放った死の風が、彼女の目前に迫っていた。

 

「やらせるかッ!」

「余所見してんじゃねえぞこの駄ウサギ!」

 

 差し迫った死の風を、間一髪駆けつけた日向の拳と十六夜の蹴りが霧散させる。

 その様子に、ペストは小さく眉をひそめた。

 

「ギフトを無効化するのが趣味なの? あなたたち」

「おうともさ! 実益を兼ねた良い趣味だろ!」

「ヤハハ! 俺とも一戦交えてくれよ魔王様!」

 

 死の風を霧散させた勢いで懐へ飛び込む2人。

 同時に突き出した拳と蹴りを、彼女は初めて自らの両腕で受け止める。

 建ち並ぶ建築物を粉々にしながら吹き飛ぶペスト。

 サンドラはあんぐりと口を開けたまま、唖然と彼らの姿を見つめた。

 

「……え、えーと? あの人たち、ひとりはギフトを無効化して、もうひとりは砕いたように見えたけど」

「さ、さて? 黒ウサギもあの御二人については知らぬことだらけでございますが……」

 

 黒ウサギも改めて目の当たりにし、そのデタラメ加減に舌を巻いている。

 もしかして決着が着いたかなーと思った刹那、幾千万の怨嗟の声が、衝撃波と共に周囲の瓦礫を吹き飛ばした。

 ペストは瞬時に傷を癒して服の解れを正し、日向と十六夜に微笑みかける。

 

「……まあでも、どうやら所詮は人間のようね。この程度なら、死の風が効かずとも警戒するに値しない」

「何?」

「星も砕けない分際では、魔王を倒せないということよ」

 

 ペストは無造作に腕を振った。

 すると八〇〇〇万の怨嗟の声が衝撃波となって彼らを襲う。

 それを再び無効化し、砕いた後、日向と十六夜は不敵な笑みで言葉を交わす。

 

「だ、そうだぞ十六夜? どうやら俺たちは、()()()()()()()()らしい」

「カッ。おいおい、随分と素敵な挑発をしてくれるじゃねえか斑ロリ。そういうことならこっちも……!」

「ちょ、ちょ、ちょっとお待ちください御二人共! 戦いたい気持ちは分かりますが、ここは作戦を尊重してください!」

 

 慌てて止める黒ウサギ。

 十六夜はむっと唇を尖らせた。

 

「……しょうがねえな。で、どうすればいい? やると言ったのはお前だ。指示を出せ黒ウサギ」

 

 十六夜が鋭い瞳で催促する。

 見つめ返す黒ウサギの瞳にも、強い光が宿っていた。

 彼女は集結した主力を一瞥し、

 

「今から、魔王を討ち取ります。皆さんは魔王に隙を作って下さい」

「けど、あの風はどうする? このままだと他の参加者たちの命が危ないぞ?」

 

 日向の問いに、黒ウサギは白黒のギフトカードを口元に当てて微笑む。

 

「ご安心を! 今から魔王とここにいる主力──纏めて月までご案内します♪」

 

 は? という疑問の声は、刹那に消えた。

 白黒のギフトカードの輝きと共に急転直下、周囲の光は暗転して視界を星が巡る。

 温度は急激に下がり、大気が凍りつくほどの過酷な環境が彼らを襲う。

 激しい力の奔流が収まり、目を開けて天を仰ぐ。

 頭上には、箱庭の世界が逆様になって浮いていた。

 石碑のような白い彫像が数多に散乱する月の神殿を見て、ペストは蒼白になって叫ぶ。

 

「チャ……“月界神殿(チャンドラ・マハール)”! 軍神(インドラ)ではなく、月神(チャンドラ)の神格を持つギフト……!」

「YES! このギフトこそ、我々“月の兎”が招かれた神殿! 帝釈天様と月神様より譲り受けた、“月界神殿”でございます!」

 

 黒ウサギは満天の星と箱庭を誇るように両手を広げた。

 神殿とは言うが、その名残のようなモノは白い石碑の彫像群だけだ。

 彫像の結界の外に出れば、瞬く間に月面の過酷な環境があらゆる生物を死滅させるだろう。

 

「だ、だけど……! ルールではゲーム盤から出ることは禁じられているはず……!」

「ちゃんとゲーム盤の枠内に居りますよ? ただ、高度が物凄く高いだけでございます」

 

 ペストは思わず絶句する。

 つまりはハーメルンの街の頭上まで、天体を移動させたということだ。

 

「これで参加者側の心配は無くなりました! 日向さんたちはしばし魔王を押さえてください! 飛鳥さんはこちらへ!」

 

 黒ウサギの要請に頷くと、早速サンドラは日向と十六夜へ向き直り、

 

「私が先陣を切る! あなたたちは援護を──」

 

 と、告げようとその瞬間、突如彼女の左右から、地砕きと共に嵐のような旋風が起こった。

 第三宇宙速度を遙かに超える速度で踏み出した2人は、瞬く間にペストの眼前へ躍り出る。

 

「さあ! ラストゲームだ“黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)”!」

 

 日向の宣言に、ペストは全身から黒い風を放出して応えた。

 

「いいわ。全てのステンドグラスが発見される前に終わらせる……!」

「ハッ、やれるもんならやってみな!」

 

 衝撃波を全身に食らいながらも突進する十六夜。

 先ほどと同じように蹴りを入れるが、今度は軽く避けられる。

 ヴェーザーとの連戦で想像以上に疲労が蓄積しているのもあるが、何より右腕が使い物にならないのが響いていた。

 しかし一瞬でも隙を作れれば十分だ。

 回避したペストを待ち構えていたように、側面から日向が拳を叩き込む。

 すでに黒い風での防御が無駄だと理解している彼女は咄嗟に両腕で防御をとるが、衝撃を殺しきれずに月面へ叩きつけられた。

 

「くっ、この程度で……!」

 

 瞬時に体勢を立て直すペストだが、途端に彼女へ荒ぶる炎弾が飛来する。

 黒い風で阻んだペストは、攻撃の主を睨みつけた。

 

「……そう。あなたも居たんだったわね」

「“サラマンドラ”の同士の仇!」

 

 サンドラは死の風の隙間を縫って轟炎を浴びせるが、ペストは瞬時に傷を癒す。

 八〇〇〇万の群体神霊である彼女を一撃で倒すには、サンドラでは火力が足りないのだ。

 

「なるほどな! さっきの言葉は比喩でも何でもないってことか!」

「そうよ。私を打倒すると言うのなら、星を砕くに値する一撃を用意なさい」

「ハッ! 上等だぜ斑ロリ!」

 

 双掌で高めた怨嗟と衝撃の渦を放つペスト。

 日向と十六夜が先陣を切って無効化し、その隙にサンドラが轟炎を放つ。

 日向たちが奮闘する中、黒ウサギはギフトカードから三叉の槍が描かれた紙片を取り出すと、そっと飛鳥に手渡した。

 

「……? 何、これ?」

「御静かに。これは“叙事詩(じょじし)・マハーバーラタの紙片”と呼ばれるギフトです。叙事詩はご存知ですか?」

「え、ええ。名前だけなら知っているわ。確か世界三大叙事詩のひとつでしょう? 日本で例えれば桃太郎ぐらいには有名だと聞いたけれど」

 

 黒ウサギは首肯で返す。

 

 ──『叙事詩・マハーバーラタ』。

 

 最も有名なインド神話のひとつであり、『叙事詩・ラーマーヤナ』と並べて二大インド叙事詩とも言われる。

 十万の詩節からなる、数々の伝承・神話を束ねた大長編叙事詩である。

 紙片を飛鳥に握らせた黒ウサギは、作戦を説明する。

 

「この紙片から、インドラに縁のある武具を召喚します。しかし気をつけて下さいまし。この槍は強力な半面、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()」 

 

 飛鳥の顔に緊張が走った。

 

「ま、待って。もしかして私に使えというの?」

「YES! 飛鳥さんはギフトの力を十全に発揮する才能が御座います! 黒ウサギが隙を作るので、その槍を直撃させて下さい! それでこのギフトゲームは勝利です!」

 

 ぐっと黒ウサギが飛鳥の手を握る。

 すると紙片は雷鳴と共に槍へ変わった。

 仄かな輝きを纏うその姿は息を呑むほど眩く、飛鳥は軽くたじろいでしまう。

 

「帝釈天の神格が宿った槍……だけど私は、」

 

 役割の重さとプレッシャーに表情を歪ませる飛鳥に、黒ウサギは明るく笑いかけた。

 

「大丈夫。ご自身をもっと信じてください。飛鳥さんの才能は黒ウサギが保証致します。それに今は、とっても強そうなお仲間がいるではございませんか!」

 

 黒ウサギがディーンに向かって手を広げる。

 無骨な鉄人形は、無言で静かに頷いた。

 

「……分かったわ」

 

 覚悟を決めた瞳を向ける飛鳥。

 黒ウサギも頷いて返す。

 踵を返した彼女はもう1枚の紙片をギフトカードから取り出して、死の風の渦に飛び込んでいった。

 飛鳥はその間に、ディーンにインドラの槍を渡す。

 そこで彼女は一度だけ、躊躇するようにとんがり帽子の精霊を見た。

 

「この戦いが終わったら、生贄となった一三〇人の群体精霊も消える。そうならば一三一人目の群体であるあなたも消える。……本当にいいのね?」

「うん」

 

 小さな頭を振って頷く精霊。

 彼女が他の群体から離れて行動出来るのは、幾星霜の旅路の果てに高まった霊格が分裂したものだからだ。

 精霊たちから一三一人目と呼ばれていたのはそのためだろう。

 しかしそれも、群体という特性があるからこそ維持できる奇跡。

 ハーメルンの魔道書が消えれば、彼女たちも消える運命なのだ。

 飛鳥は苦い思いを噛み締める。

 しかし彼らの覚悟を無下にするわけにもいかない。

 彼女は真っ直ぐと、凛とした声で応じた。

 

「分かったわ。必ず、魔王を討ち取りましょう」

 

 互いに頷く。

 ディーンは何も語らず、強く槍を握り締めることで自らの意志を示すのだった。

 

 

 

***

 

 最後の隙を作るため、黒ウサギは皆を追い抜いて飛び出した。

 無謀な突撃に、サンドラは焦って声を上げる。

 

「だ、駄目だ黒ウサギ! 何を考えて……!?」

「死の風を吹き飛ばします! 皆さんは援護を!」

 

 灰色の大地を蹴り、黒ウサギが駆ける。

 ペストは苛立たしげに死の風を舞い上がらせて強襲した。

 

「あなたさえ倒せば……!」

「太陽に復讐を、でございますか? ならばこそ、この輝きを乗り越えてごらんなさい!」

 

 黒ウサギが“マハーバーラタの紙片”を掲げる。

 溢れた輝きは、緋色でも蒼い雷光でも無い。

 それは正しくこの世を照らす絶対の光。

 眩い太陽の輝きは彼女の身体を神々しく染め上げ、黄金の鎧を纏わせる。 

 強襲した死の風は太陽の光に焼き尽くされ、一瞬で霧散した。

 

「そ、そんな……!? 軍神(インドラ)月神(チャンドラ)太陽神(スーリヤー)……! 護法十二天を三天までも操るなんて、この化け物──!!!」

 

 悲痛な叫びを上げるペスト。

 彼女は大きく後退し、最低限の守りを固める。

 黒ウサギは咄嗟に背後で控える飛鳥に叫んだ。

 

「今です飛鳥さん!」

 

 黒ウサギの声を合図に、飛鳥は右手を翳して命令を下す。

 

「撃ちなさい、ディーン!」

「DEEEEEEeeeEEEEEEN!!!」

 

 紅い鋼の巨人が怒号を上げて投擲した。

 飛鳥のギフトで威力を高めたインドラの槍は、千の天雷を束ねてペストを襲う。

 黒ウサギに気を取られていた彼女は避ける間もなく貫かれ、月面高く打ち上げられた。

 

「こ、この程度、なんかで……!」

 

 迸る千の雷に焼かれるも、ペストはまだ抵抗する。

 しかしインドラの槍が放つ天雷は直撃した後も衰えず、むしろ輝くように更なる雷を解放していく。

 黒ウサギは肩で息をしながらも、勝利を確信したように断言した。

 

「無駄でございますよ。その槍は正真正銘、帝釈天の加護を持つ槍。太陽の鎧と引き換えに、勝利の運命(ギフト)を宿す槍なのですから」

 

 天雷は千から万へ、万から億へと急速に光量を増していく。

 衰えることを知らないインドラの槍は、敵を焼き尽くすまで止めどなく光を放ち続ける。

 

 ──“太陽の鎧”と“必勝の槍”

 

 『叙事詩・マハーバーラタ』の大英傑、カルナが手にしたと云われるギフト。

 太陽神の息子であるカルナが、生来持っていた不死不滅の鎧をインドラに捧げることで手に入れたのが、ただ一度のみの奇跡を宿す、穿()()()()()()()()()()

 死神が“死”の恩恵を風に乗せて与えるというならば。

 軍神が“勝利”の恩恵をもたらす武具が、この槍なのだ。

 

「そんな……私は、まだ……!」

「──さようなら。“黒死斑の魔王(ブラック・パーチャー)”」

 

 飛鳥が別れの言葉を告げた刹那、一際激しい雷光が月面を満たす。

 轟と唸りを上げた軍神の槍は、圧倒的な熱量をまき散らし、魔王と共に爆ぜたのだった。

 

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