- The Another Origin -   作:青葉空太

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第26話 湯殿の会話

 

 白夜叉から外門利権証を受け取り、“ノーネーム”が“地域支配者(レギオンマスター)”への就任を果たしたその日の夜。

 今宵、本拠では小さな宴の席が設けられていた。

 

「そ、それでは! “ノーネーム”の“地域支配者”就任を祝しまして……乾杯!!!」

『かんぱーい!!!』

 

 開宴の音頭を取るのは、やや緊張気味のジンである。

 彼がグラスを掲げるのと同時、主力陣と年長組の子供たちが一斉にグラスを打ちつけ合う。

 もちろん、中身は果実ジュースである。

 

「わー! お料理がいっぱいだー!」

「みんなおいしそー!」

 

 かつてないほどの豪勢な食卓に、瞳をキラキラと輝かせる子供たち。

 白いクロスが敷かれたテーブルの上には、所狭しと様々な料理が並んでいる。

 そのどれもこれもが本来なら金銭面に余裕がある時でも出さないような豪華で贅沢なものばかりだが、今夜に限っては大盤振る舞いだ。

 

「YES! まだまだあるので、皆でジャンジャン食べましょう!」

『わーい!!!』

 

 そんな黒ウサギの言葉を皮切りに、子供たちが待ってましたとばかりにこぞって料理へと手を伸ばす。

 和食に洋食、中華フレンチイタリアン──様々なメニューが目白押しだ。

 

 また本日は宴を盛り上げるための一興として、黒ウサギもその腕を振るったらしい。

 彼女の料理は川魚の表面を軽く炙って油で揚げたものに、とろみのある餡をかけた品だった。

 黒ウサギ自身、かなりの力作であるそうだ。

 主力陣を始めとして、子供たちにも絶賛されたのだが、十六夜の──

 

「黒ウサギ。これ多分、餡をかけないで酢漬けにしたほうが美味い」

 

 ──という一言でいろいろ台無しになった。

 

 そんな一抹の盛り下げはあったものの、宴は順調に進行し、ほどなく宴もたけなわとなる。

 いよいよ間近に迫った収穫祭の話題などに花を咲かせながら、各々が思い思いの料理へ次々に食指を伸ばしていく。

 

 中でも圧巻なのが耀だった。

 次から次へと料理の皿を手に取っては、脅威のスピードで平らげていく。

 仕草は至って普通なのに、気づいたら皿の上にあった料理が跡形も無く消えているのである。

 

 そんな風に黙々と食べ進めていた彼女だったが、ふととある料理を口に運んだ瞬間、ピタリとその動きを停止した。

 彼女が口にしたのは、一見すれば至って普通の白身魚のムニエルである。

 

 しかしながら、もう一度フォークで切り分けて口の中へと運んでみれば、身は噛んだ瞬間にほろりと崩れ、胡椒の風味とレモンの酸味が絶妙なバランスで素材の味を引き立てていた。

 

 食べた瞬間、料理人の手腕をありありと感じさせられる品だった。

 それも、かなりのハイレベルだ。

 技量はリリに匹敵するが、しかし、彼女とは明らかに質が違う。

 まさかこれほどの使い手が他にも身近にいようとは……。

 痛恨のミスと言わんばかりに、耀は悔しげな顔をして──自然と、この料理を作った人物が知りたくなった。

 

「このムニエル、凄く美味しい。誰が作ったの?」

「ん? ああ、それは俺だ」

 

 へ? と、耀は聞き覚えのある声に驚きながら振り返る。

 

「……え? これ、日向が作ったの?」 

 

 そう、なんと名乗り出たのは日向だった。

 その事実に主力陣も目を見張り、食事を中断して彼の周りを取り囲む。

 

「嘘! 日向君て料理が出来たの!?」

「まあ、それなりにな。別館なんかじゃ、たまに子供たちのご飯を作ったりもしてるぞ?」

「お兄さんの料理はすっごく美味しいんですよ。思わずほっぺが落ちちゃうくらい。子供たち全員に大人気なんです」

「はい。他にも忙しい時には下拵えを手伝って頂いたりして、とっても助かっているんです」

 

 ねー、と、ユエとリリが仲良く顔を見合わせて説明する。

 日向は頬を掻くと、謙遜するように苦笑した。

 

「いや、別にそこまで褒められるほどのものじゃないぞ? 耀が食べたのもたまたま得意なメニューだったってだけで、料理の腕自体は世間一般レベルだからな」

「いやいや、素直に中々のもんだぜ? 少なくとも今回に限って言えば、黒ウサギの料理よりも美味い」

「十六夜さんはいつも一言余計なのです! ……事実ですけど」

 

 ヤハハと笑う十六夜に、悔しがりながらもフォークを止めない黒ウサギ。

 同士の意外な一面を見て、レティシアは興味本位に尋ねてみる。

 

「しかしこれほどの腕となると、相当料理の経験があるんじゃないか?」

「まあ、元の世界じゃ毎日自分で作ってたしな。家庭料理ならそこそこ作れると思うけど」

「うっ」

 

 日向の何気ない発言に、飛鳥がクリティカルヒットをもらったように呻く。

 お世辞にも料理が得意とは言えない彼女にとって、今の台詞は乙女のプライド的に堪えたようだ。

 大財閥の令嬢ゆえに仕方がないことではあるのだが、押し寄せる敗北感は拭えなかった。

 

「こ、これからよこれから! ね、春日部さん!?」

「え? ……えーっと、私は一応料理出来るよ?」

「えぇっ!?」

「ちなみにだが、俺もそれなりに経験はあるぞ」

「十六夜君も!?」

 

 黒ウサギは言わずもがなである。

 周囲の同世代とのまさかの女子力差に、一気に肩身が狭くなる飛鳥。

 打ちひしがれた様子の彼女を、ジンと黒ウサギが慌てて励ます。

 

「だ、大丈夫ですよ飛鳥さん! 練習すれば、きっとすぐに上手くなります!」

「そ、その通りなのですよ! よろしければ黒ウサギもお手伝いしますから!」

「……ええ、ありがとう二人とも」

 

 ほろり、と一筋の涙を流す飛鳥。

 その日の料理は特別な隠し味でも入っているのか、ちょっぴり複雑な味がした。

 

 そんなこともありながら、宴は過ぎていくのだった。

 

 

 

***

 

 その後、宴もお開きの時分となり、後片付けを終えてから、その夜は解散となった。

 入浴を済ませてから自室に戻った耀は、今は膝に乗せた三毛猫と共に寛いでいる。

 やや肌寒い夜風が吹き込む窓辺の椅子に腰掛けながら、彼女は小さくため息を吐いた。

 

「……三毛猫。私は収穫祭が始まってからの参加になったよ。前夜祭はお預けだね」

『……そうか。残念やったなお嬢』

「うん。だけど仕方ない。日向と十六夜は本当に凄いもの。水不足をあっという間に解決したり、レティシアを助け出したり、魔王の謎を解いた時も、本当にとんでもない男の子たちだなぁって、思わず感心しちゃったもん」

 

 ──だから、仕方がないんだ。

 

 そう自分に言い聞かせるように。

 耀は細く笑って、星が瞬く夜空を見上げた。

 

「……それに、凄いのはあの二人だけじゃない。飛鳥だって凄い。あんなに凄惨だった土地を、たった一ヶ月で土壌に整えたんだ。本当に凄い」

 

 ユエや子供たちの努力はもちろんだが、土壌が復活するキッカケを作ったのは、間違いなく彼女の功績だ。 

 そんな耀の言葉を、三毛猫はフンと鼻で笑う。

 

『そんなもん、ワシらが居ったところじゃ全然凄くも無かったやないか』

「それは技術の発達があってこそだよ。人の手であの土地を農場にしようと思ったら……きっと、何世代もかけて復興しなきゃいけなかったはずだもの」

 

 それを、わずか一ヶ月で成し遂げた。

 まさに“恩恵”と呼ぶに相応しい奇跡だろう。

 友人の華々しい成果を誇る耀だが、その笑顔はどこか物寂しい。

 気になった三毛猫は喉を鳴らして問いかける。

 

『……お嬢、何かあったんか?』

「……何も無いよ」

 

 ただ──と言葉を切り、窓から農園区の方へと視線を向ける。

 

「……三毛猫。あの農園はね。日向と十六夜が水を撒いて、飛鳥が土地を育んだんだ。だから最後に私が苗を用意すれば、“農園は四人で造ったんだ!”って、胸を張って言えるかなぁ……とか。それで一日でも多く収穫祭に参加したくて、今回は頑張ってたんだ 」

 

 でも駄目だった。

 後ろめたい真似に手を染めて、罪悪感を抱きながらも自信満々に掲げた成果は、しかし、彼らの足下にも及ばなかった。

 

 そしてそれは、決して今回に限った話ではない。

 

 これまで耀は、ここぞというゲームの大一番で戦果を挙げられない状況が続いている。

 前回の魔王とのゲームでは、戦わずして敗北するという醜態まで晒してしまっているのだ。

 彼らと共に“打倒魔王”を掲げていくには、自分の実力は圧倒的に足りてない。

 

 だからこそ、幻獣が数多く生息しているという南側に一日でも長く滞在して、一つでも多くの出会いが欲しかった。

 並のゲームならいざ知らず、魔王のゲームで、今の自分では生き残れない。

 それは誰よりも、耀自身が人一倍痛感していることだった。

 “ノーネーム”の主力であり続けるためには、魔王相手に一人で戦えるだけの力がいるのだ。

 

「……三毛猫」

『うん?』

「日向も十六夜も飛鳥も、皆凄いね」

『……せやな』

 

 三毛猫は短く相槌を打つ。

 耀は夜空に輝く十六夜の月を静かに見つめ、

 

「でも、私は……あんまり凄くないね」

『……』

「やっぱり、投げやりな気持ちでコミュニティに所属したのが駄目だったのかな」

 

 そう言って、耀は悲しげに俯く。

 

「……あのね、三毛猫。“火龍誕生祭”の時、日向は私のことを“友達”だって言ってくれたんだよ。私、あの言葉が本当に嬉しかった。飛鳥もそう。この箱庭にやって来てすぐの時、私と友達になろうって言ってくれた。黒ウサギも、私のことを同士だって言ってくれるし、十六夜も……確証は出来ないけど、たぶん、仲間だって思ってくれてると思う。でもね、でも、それは──」

 

 ギュッと、耀は膝の上で拳を握り締める。

 

「──それは、偶然素敵な友達が出来ただけで……私には、その関係を維持する力がない」

『……お嬢……』

 

 三毛猫は言葉が見つからず、黙って耀の手へと擦り寄った。

 応えるように、耀も顎の下を撫でてやる。

 そのまま両手で三毛猫を抱え、膝ごと抱きしめるように丸くなった。

 

 

 

***

 

 ──その後、三毛猫はこっそりと寝室を抜け出した。

 ランプの灯りはすでに消されており、窓からの月明かりを頼りに階段を下りる。

 

 耀に初めて友達ができて、誰よりも安心していたのは彼だった。

 十四年前、耀と同じ日にこの世へと生を受け、以来、ずっと一緒に過ごしてきた三毛猫だったが……もう、自分の命が長くないことを悟っていた。

 病にかかっている訳ではない。 

 それはごく当たり前な──生物のとして寿命が尽きるという意味だ。

 あとはこの箱庭でゆっくりと余生を送るつもりだったが……どうやら最後にもう一つだけ、やるべき仕事ができたらしい。

 

(日向にはこの世界にやって来た時、湖で溺れていたところを助けてもろうた恩がある。なら狙いは……もう一人の小僧や)

 

 抜き足、差し足、猫の足。

 猫である三毛猫にとって音も無く廊下を駆ける程度は造作もないが、何せ相手は問題児屈指の規格外だ。

 警戒しすぎるに越したことはない。

 

 自慢の肉球の静音性能をフル活用しながら、三毛猫は猫とは思えないような奇妙なステップで階段を滑り降りていく。

 館のランプを消して回っている年長組の話を盗み聞きしたところ、いま彼らは湯殿にいるらしい。

 普段なら書庫で書物を漁っている時間だが、今日は黒ウサギたちと長く騒いでいたために、時間がずれ込んでいるのだとか。

 

(……しかし風呂場か。小僧の服を毛玉まみれにしてやるのも悪くはないが、きっちり落とし前を付けてもらうにゃ、ちょいと軽すぎるな)

 

 湯殿に辿り着いた三毛猫は、そっと脱衣所を確認する。

 てっきり中は日向と十六夜の二人だけだと思っていたのだが……脱衣所のカゴには、他に女性と思われる服が三つ置いてあったのだ。

 

(ぬぅ……おのれ、これはやはり日向もろとも制裁を加えるべきか……!)

 

 湯殿からは楽しそうな男女の声が聞こえてくる。

 ますますもって許し難いと私怨を燃やした三毛猫は、十六夜の制服が入ったカゴに飛び乗ると、ガサゴソと中身を漁り始めた。

 やがて学ランの下にあった硬いものを見つけると、閃いたように猫の瞳を輝かせる。

 

(小僧が頭につけとるアレか……よし、コイツでええやろ)

 

 三毛猫は目的の物を咥えると音も無く飛び降り、脱衣所を後にしたのだった。

 

 

 

***

 

 ひゃー、と、幼い声が湯殿に二つ。

 ユエとリリの二人が、それぞれ日向と十六夜に頭を洗われていた。

 

 一体どうしてこうなったのだろうかと、リリは泡だらけの頭を悩ませる。

 確か数十分ほど前の自分は、この一ヶ月ですっかり仲良くなった友人と共に、日頃お世話になっている日向や十六夜の背中を流して差し上げようとしてこの場に同席したはずなのだ。

 

 それがいつの間にやら背中を流して差し上げるべき方に逆に頭を洗ってもらっているという、ちょっとよく分からない状況になっていた。

 果たして本当にこのままで良いのだろうかと内心首を傾げ、ふと真横で同様に頭を洗われている友人の元へと目を向けてみれば、

 

「ねえねえリリちゃん! 見てみて! お兄さんに泡で狐耳を作ってもらっちゃった! これでリリちゃんとお揃いだね♪」

 

 とても楽しそうに、この状況を満喫していた。

 ふわふわの泡で形作られた真っ白な狐耳は、同じく綺麗な白髪をしている友人にとても良く似合っている。

 というか狐耳の完成度が凄い。

 泡で出来ているからよくよく見れば偽物ということはすぐに分かるのだが、とにかく見た目が完璧すぎるのだ。

 本家本元の自分ですら、一瞬本物の狐耳だと思ってしまったぐらいである。

 

(日向様ってやっぱりすごいなぁ……)

 

 と改めて尊敬の念を抱きつつ、同時に自分と同じ姿になって本当に嬉しそうにはしゃぐ友人の笑顔を見てみれば、おのずと自分も嬉しくなってしまうわけで。

 

「えへへ、そうだね」

 

 結局、リリもあまり深くは考えないことにした。

 その後しばらく巧みな指使いにうっとり身を委ねていた彼女たちだが、やがて背中から声がかかった。

 

「よーし、そろそろ流すぞー」

「はーい」

「こっちも流すぞ」

「は、はいっ」

 

 ざぱぁ、と頭上からお湯がかけられる。

 何度かそれを繰り返し、やがて完全に洗剤が流れ落ちる頃には、彼女たちの髪はすっかりツヤツヤになっていた。

 

「よし、終わったぞ」

「はふぅー。ありがとうごさいました、お兄さん」

「ほれ、こっちも終了だ」

「あ、ありがとうございました、十六夜様」

 

 すっかり身も心も脱力しきった様子でお礼を述べるユエと、ちょっぴり恥ずかしかったのか頬を染めながら感謝するリリ。

 ふと、そこでユエに日向が声をかけた。

 

「それにしても、まさかユエが自分から洗って欲しいって頼みにくるなんてな」

「えへへ、ごめんなさい。十六夜さんに洗ってもらっているレティシアさんを見ていたら、なんだか羨ましくなっちゃって。……あ、あの、もしかして迷惑でしたか?」

 

 少し心配そうな表情で見上げてくるユエ。

 日向はしっとりと濡れた彼女の白髪に手を置くと、優しく微笑んで、

 

「これくらい、ユエがして欲しければいつでもするさ。それよりも、ちゃんと満足したか?」

「はい! とっても! とーっても気持ち良かったです!」

 

 満面の笑顔で頷くユエ。

 その隣で、リリも素直に感想を告げる。

 

「あ、あの、私も十六夜様に洗って頂いて、とっても気持ち良かったです!」

「そりゃ良かった。ま、確かにユエの言う通り、レティシアだけにってもの不公平だからな」

 

 ヤハハと屈託なく笑う十六夜。

 そのまま四人揃って湯船に移動すると、そこにはレティシアが苦笑を浮かべて待っていた。

 現在の彼女は特注の大きなリボンを外しており、その外見はいつもの愛らしい少女から、艶やかで美しい大人の容姿に変わっている。

 体に巻いたタオルを押さえながら、レティシアは少し呆れたように口を開いた。

 

「やれやれ……十六夜は本当に何でもやりたがるんだな」

「人を節操無しみたいに言うなよ。俺はただ、レティシアの髪が湯船で濡れている姿が見たかっただけだ」

 

 飄々と肩を竦める十六夜に、日向も困ったように笑いながらも同意する。

 

「ははは……まぁ実際、ユエやリリならともかく、その姿のレティシアと混浴するのは流石にマズいかなぁ……とは思ったんだけどな。本音を言えば、俺もずっと見るのを楽しみにしてたんだ。なんせ黒ウサギが『一見の価値ありですっ!』って太鼓判を押してきたぐらいだったからな」

「むっ……そうか。ふふ、では感想を聞いてもよろしいかな?」

 

 レティシアは湯船から立ち上がると、浴槽の縁へと腰掛けた。

 星と月明かりで瑞々しく濡れた金髪は、さながら秘境に眠る黄金の如く神秘的な輝きを纏っている。

 昼間のように太陽の下で煌々と照り輝いているのとはまた違った美しさに、ユエとリリも熱いため息を吐いた。

 

「ふぅ……レティシアさん、すごく、お綺麗です」

「はい……とっても、お美しいと思います」

「そうだな。女の髪は濡れると印象が変わるもんだが、レティシアの髪は本当に劇的に変わる」

「ふふ。お褒めに預かり光栄です主殿。よろしければ、もう一人の主殿にもご感想を賜りたいのですが?」

 

 同性異性を問わず魅了してしまうような蠱惑的な笑みを浮かべながら、レティシアは日向に流し目を向ける。

 そんな彼女の要求に対して日向は──

 

「………………え?」

 

 と、まるで呆けた返事をした。

 

「あ、ああ、悪い。今何か言ったか?」

 

 どうやら話すらまともに聞いていなかったらしい。

 普段の彼らしくない様子を不思議がる一同だったが、不意に十六夜が何かを思いついたのか、心底面白そうに悪戯好きな笑みを浮かべた。

 

「ふむ。望んだものも見れたことだし、悪いが俺は先に上がらせてもらうぞ。子供組ものぼせると体に悪いから、そろそろ上がらせた方がいいな。こっちは俺に任せて、日向とレティシアはゆっくり入浴を楽しんでくれ」

「む、そうか? それではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」

「……は? お、おいちょっと待て十六夜! それなら俺も──」

「そうですねー。実は私、ちょっとくらくらしてきちゃったところなんですよー。あ、()()()()()()()お兄さんは! もちろん! まだまだ入っていたいですよね! 大丈夫です、私たちは十六夜さんと一緒に上がらせてもらうので。ね、リリちゃん!」

「え? あ、うん。……うん?」

 

 十六夜とユエの二人は何だかよく分からず頭に疑問符を浮かべたリリを捕まえると、いそいそと湯殿から出て行った。

 結果的に、湯殿には日向とレティシアだけが残る形となる。

 

「あ、あいつら……!」

「ふふふ、まぁまぁ主殿。こうなったら十六夜の言う通り、二人で入浴を楽しむとしようじゃないか。なにせ、主殿は長風呂なのだろう?」

 

 くすくすと楽しげに話すレティシア。

 まんまとしてやられた日向は苦々しい表情を浮かべるが……やがて、諦めたように力を抜いた。

 

「はぁ……まぁそうだな。なら今夜は心ゆくまでレティシアの美貌を堪能するか」

「む。そこまで面と向かって言われると、私も少々気恥ずかしいものがあるが……付き合うとしよう」

 

 浴槽の縁から腰を上げ、再び湯船へと浸かり直したレティシアは、片方の手首を握ってぐっと大きく背伸びをする。

 日向はさっと視線を逸らすと、誤魔化すように話題を振った。

 

「そ、そう言えば、確か吸血鬼って水が苦手なんじゃなかったか? 一部の伝承の中には、そんな記述もあった気がするんだが」

「いや、まったくそんなことはないぞ? むしろ、私は湯浴みが好きなほうだ」

「へぇ。けど、レティシアには“魔王ドラキュラ”って異名があるんだろ? ドラキュラって、あのドラキュラ公のことだよな? まさかとは思うけど、本人だったりするのか?」

 

 目を丸くして意外そうな顔をするレティシア。

 まさかそちらに話が飛んでくるとは思わなかったのだろう。

 

 ──日向が述べるドラキュラ公とは、一四〇〇年代に実在した、ヴラド三世という貴族が名乗っていた異名のことである。

 大量の農民・貴族を串刺し刑に処したなど、様々な怪伝説を持った貴族であり、吸血鬼ドラキュラのモチーフになった人物だ。

 

 日向の興味本意の問いかけに、レティシアは少し不機嫌そうに唇を尖らせた。

 

「いや、主殿? その、詳しくは知らんが……ドラキュラ公というのは、男性のはずだろう? それとも主殿には、私が男性に見えると?」

「もしそうだとしたら、今この場で俺が抱いている悩みは全て解決するんだけどな」

 

 苦笑を浮かべて答える日向。

 その回答が面白かったのか、レティシアは明るい声で笑った。

 

「はっはっは、それは残念だったな。まぁ、なんだ。確かに無関係ではないが、系統的には全く無縁の男だよ」

「まあ、やっぱりそうだよな」

「ああ。私がドラキュラと呼ばれるのは、むしろ語源の方だ。ドラキュラとは“龍の子”という意味があるだろう? 我ら吸血鬼は最強種・龍の純血によって生み出された種だからな」

「……へぇ、それは初耳だな?」

 

 日向の双眸がほのかに知的な輝きを帯びる。

 龍という単語に興味を惹かれたのだろう。

 

「龍の純血っていうと、神霊や星霊と並ぶ、箱庭最強種の一角って噂のヤツだろ? でも他の二種と違って、この存在にだけはまったく予想が立たないんだよな」

「そうか?」

「ああ。聞いた話じゃ、“系統樹が存在しない幻獣”──なんていう風に言われているらしいが、それがそもそも矛盾してる。幻獣っていうのはつまり、霊格が高まって系統樹に爆発的な変化が起きた場合に生まれる種のことだろう? 系統樹が存在しないってことは、無から発生した生命体ってことになる」

「その通りだが?」

 

 当然だろう? と言わんばかりに首を傾げるレティシア。

 日向は唖然として、しばし言葉を失った。

 

「──────……あー、うん。なるほどな。そうかよく分かった……悪い、やっぱり説明してもらってもいいか?」

「説明も何も、言葉の通りだが……龍の純血というのは、誕生するのではなく()()()()。ある日突然、何の前触れもなく、強大な力が集結して形を成した種。それが龍種の純血だ。後世は単一生殖をした場合にのみ純血として生まれ、異種と交わった場合は亜龍として生まれる」

「へぇ、単一生殖が可能なのか。だったら体長はかなり小さかったんじゃないか?」

「そんなことはない。龍の純血はいずれも想像を絶する巨体という話だ。特に吸血鬼を造った龍は、世界を背負った龍だったと、伝承に残っているほどだからな」

 

 は? と思わずまぶたを三度ほど瞬かせる日向。

 というのも、今の話に限りなく近い存在が彼の知識の中にあったからだ。

 

 ──“世界を背負った龍”とは、一部の神話に記された世界構造、もしくは世界観に似通った記述が存在する。

 時には最高神の化身として神話の中で息づくそれは、宗教上の宇宙観(コスモロジー)だ。

 例えば古代エジプトの宇宙観では、“星は植物に覆われて横たわる女神の姿であり、天の神は体を屈折させて大気の神に持ち上げられている”、というものがある。

 世界=神という宗教上の宇宙観は、少なからず存在しているのだ。

 しかしレティシアの話によれば、そんな神話の宇宙観を持った生物そのものが実在しているという。

 

(……いや。箱庭に来る以前の吸血鬼たちの文明度が不明な以上、その龍が存在していたかどうかはまだ分からない。この類いの宇宙観は、文明が未発達の時代に生まれるものだからな。……でも、もしも)

 

 もしもそんな、神話の中でのみ許された龍が存在しているとしたら。

 胸の奥から沸々と沸き上がってくるものを感じながら、日向は天井の星空を見上げて笑みを浮かべた。

 

(……ははは。本当に、あの人の言っていた通りだな。十六夜が聞いたら喜びそうだ)

 

 そんなとある問題児の様子をありありと脳裏に浮かべつつ、自身も興味津々な日向は更にレティシアへと質問を続ける。

 

「文献とかは残ってないのか?」

「詳しい記録は残っていないらしい。我々吸血鬼は造物主である龍によって造られ、その世界の系統が乱れないように監視する種族だった、という口伝だけが残っている。吸血行為による種族変化は、系統樹の守護者としての名残であるということだな」

 

 私が知るのはここまでだ、とそこでレティシアが話を置く。

 この時、日向の心の中では感心が半分、呆れが半分といったところだった。

 

 考えてみればありえない話ではない。

 箱庭のようにでたらめな世界が現実に存在しているのだ。

 それが他にもあるからと言って、驚くことではないのかもしれない。

 むしろ疑問はそれ以外に山ほどあるが……その辺りについては、今後自分で調べるとしよう。

 

「……ん? ならもしかして、鬼種(きしゅ)は精霊よりも幻獣寄りなのか?」

「いや、そうとも言えないな。鬼種は独立種であることが多い。個体によって霊体なのか、系統樹に依存していた獣なのかが変わる。我々吸血鬼は、その半々と言ったところだ」

 

 そっか、と日向は相槌を打つ。

 

「……質問はそれで終わりか? なら、今度は私から質問しても?」

「ん? ああ、別にいいけど、俺に何か聞きたいことがあるのか?」

「日向は、元居た世界ではどのような生活をされていたのだ?」

 

 今度は日向が目を丸くする番だった。

 レティシアは湯船の中を進んでゆっくりと彼に近寄ると、普段見せないような表情でねだった。

 

「前々から聞きたいと思っていたのだ。飛鳥や耀の故郷も気になるが、日向と十六夜はことさら気になる。強大な力を持つギフトもそうだが、箱庭では重宝される膨大な知識量も謎だ。故郷の世界では、その分野について研究していたのか?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

 

 やや返答に窮する日向に対して、レティシアはずいっ、とより一層身を寄せながら問い詰める。

 

「そうなのか? では趣味か何かで? それとも他に理由でも?」

 

 ずいっ、ずいっと言葉と共に段々近づいてくる彼女を前に、降参宣言よろしく日向は首を縦に振った。

 

「うっ……わ、分かった! 話す! 話すからもう少し離れてくれ!」

「承知した」

 

 日向が赤い顔で視線を逸らしながら了承したとたん、あっさりと身を引くレティシア。

 してやったりと言わんばかりの彼女に日向は盛大なため息を吐くが、考えてみれば、別段隠すことでも無い。

 一呼吸置いた後で、ぽつぽつと話し始めた。

 

「まぁ、そうだな……とりあえずレティシアの質問に答えるとするなら、俺の知識はほとんど、一人の女性に教わったものだ」

「ほう、それは博識な御仁だな。と言うことは、相当なご年配の方だったのか?」

「いや、見た目は二十歳そこそこぐらいで……そう言えば、実際の歳を聞いたことは無かったな」

 

 今更になってそんな事実に気がつき、日向は思わず苦笑する。

 一方でレティシアは興味が尽きないのか、更に疑問を投げかける。

 

「あまり長い付き合いではなかったのか?」

「そんなことはないと思うぞ? 俺が五歳の時に出会って、別れたのは十五の時だから……大体十年間は一緒に暮らしていたことになるな」

 

 ふと、そこでレティシアは日向の台詞に違和感を覚えた。

 

「……うん? 一緒に暮らしていた? 他の家族とはどうしていたんだ?」

 

 何気ないレティシアの質問に、日向は少しだけ困ったような笑みを浮かべる。

 それでも、間を置かずに答えた。

 

「……実を言うと、俺は物心つく前に両親に捨てられてな。その人に引き取ってもらうまでは、ずっと孤児院で生活してたんだ」

 

 思いがけない生い立ちに、レティシアは思わず絶句する。

 軽い世間話程度のつもりだったのに、暗い過去を思い出させてしまったようだ。

 彼女はすぐさま申し訳なさそうな顔で謝罪した。

 

「そ、それは……すまない。少々無遠慮が過ぎてしまった。許して欲しい」

 

 暗い表情で頭を下げるレティシアに、日向は朗らかに笑いかけた。

 

「ははは、別に気にしなくていいよ。さっきも言った通り、捨てられたのは物心もつく前で両親の顔なんて覚えてないし、結果的にだけど、そのお陰であの人に出会えたんだ」

 

 ふっと、在りし日を思い出すように、どこか遠くを見つめる日向。

 脳裏に浮かぶのは幼少のみぎり。

 今でも決して色褪せることの無い、子供の頃の大切な思い出。

 灰色の空。

 降り続ける雨。

 孤児として預けられた、とある児童養護施設の屋上で。

 後に天道日向と名付けられる少年は、一人の女性と巡り会った。

 

「今にして思えば俺の……“天道日向”の人生は、きっと、あの時から始まったのかもしれないな」

 

 凍てついていた自分の心に──生まれて初めて、愛情という名の温もりを与えてくれた人。

 常に孤独だった自分に──生まれて初めて、居場所を与えてくれた人。

 誰からも疎まれていた自分に──生まれて初めて、必要だと言ってくれた人。

 

 あの日、あの時、あの場所で。

 後に天道日向と名付けられる少年は、

 

 

 ──“忍音(シノビネ)”と名乗る、

      一人の女性と巡り会った──

 

 

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