五月晴れだった。
川辺に薫る初夏の気配を感じながら、十六夜はふっと空を見上げて呟いた。
「おっ、黒点発見。やっぱり太陽が氷河期に入り始めてるってのは本当なのかね」
彼の呟きは誰に聞かれるでもなく、風に流れて消えていく。
暇つぶしがてらにこうして川辺を散歩してみたものの、特にこれといって面白いものがあるわけでもない。
いっそのこと隕石でも落ちてこねーかなー、と冗談で考えるくらいには、この時の十六夜は退屈だった。
「あーあ、つまんね」
吐き捨てるように心情を吐露し、止めていた足を再び動かし始める──その時だった。
「……ん?」
ヒュウ、と。
川辺を横薙ぎの風が吹き抜けた。
その風に乗った一枚の封書が不自然な軌道を描きながら、十六夜の持つ学生鞄の隙間にひらひらと投書された。
「────……何だ、今の?」
鞄の中から封書を取り出す。
裏面を見ると、そこには達筆でこう書かれていた。
『逆廻十六夜殿へ』と。
「……?」
辺りを見回す。
しかし人影が無ければ気配もない。
「……さて。どっかにポストシュートのプロでもいたのかね?」
クッと喉で笑い、封書の開け口に手をかける。
しかしそこで、ポケットの中の携帯が着信音を鳴らした。
十六夜はひとまず封書を鞄に戻し、携帯の通話ボタンを押して耳に当てる。
電話の向こうからは、幼くも元気な少女の声が聞こえてきた。
『やっほーイザ兄! また学校サボったんだって? さっきカナリアファミリーホームに連絡があってさぁ、先生たちの機嫌が悪いのなんのって』
「そうか、悪かったな。もし次に連絡が来たら退学扱いにしといてくれ」
『いいの?』
「ああ。金糸雀が死んで、もう学校に行く義理も無いからな」
『……そっかー。うん、しょうがないね。高校に通うイザ兄ってのも新鮮だったけど、柄じゃないもんね』
そうだな、と軽く相槌を打つ。
『あ、そうだ。実は今黒ずくめのすっごい変な格好した弁護士がカナリアファミリーホームに来ててさ。イザ兄に金糸雀先生の遺書を持って来たって言ってるんだよ』
「……遺書? 金糸雀のか?」
十六夜は不審そうに眉根を寄せる。
今際に連れ添ったが、そんな話は一つも出なかったはずだ。
『私も怪しいとは思ったんだけど、サインは金糸雀先生のものなんだよねー。それに弁護士も直接渡すって聞かないからさ。取り敢えず一度カナリアファミリーホームに来てくんない? 焔もヘッドホンの調子が気になるみたいだし』
「んー……ま、気が向いたらな。ヘッドホンは良い調子だと、焔に伝えとけ」
ピッ、とそこで通話を切る。
大きな欠伸と背伸びをして、憂鬱気に青空を見渡した。
──さて、と十六夜は考える。
明日から世間はゴールデンウィークだ。
学校も仕事もない自分には連休なんて関係ないが、それでも浮き足立つのが日本人の性というものだろう。
天下泰平、世は事もなし。
穏やかで代わり映えのしない退屈な日々に殺されぬよう、今日も感動を探しに行こうか──。
***
──“アンダーウッド”収穫祭本陣営。
──貴賓室。
日向たちが招かれた貴賓室は、大樹の中心に位置する場所だった。
そこは同時に大河の中心でもあるようで、窓を覗けば網目状の根に覆われた“アンダーウッド”の地下都市が一望できる。
サラは“一本角”の旗が飾られた席に座り、一同に着席を促した。
「改めて、自己紹介をさせてもらおう。私は“一本角”の頭首を務めるサラ=ドルトレイク。そして聞いた通り元“サラマンドラ”の一員でもある」
「じゃあ、地下都市にある水晶の水路は」
「無論、私が作った。だが勘違いはしてくれるな。あの水晶や“アンダーウッド”で使われている技術は、全て私が独自に生み出したもの。盗み出したわけではないからな」
「そ、そうでしたか」
ホッと胸を撫で下ろすジン。
そのことが気がかりだったのだろう。
「それでは次に、両コミュニティの代表者にも自己紹介を求めたいのだが……ジャック。彼女はやはり来ていないのか?」
「はい。ウィラは滅多に領地からは離れませんので。ここは参謀である私から御挨拶を」
「そうか。北側の下層でも最強と謳われる参加者を、ぜひとも招いてみたかったのだがな」
「「……北側、最強?」」
飛鳥と耀が揃って頭に疑問符を浮かべる。
唯一その名に聞き覚えのあった日向は、確認を込めてサラに尋ねる。
「ウィラって確か、“ウィル・オ・ウィスプ”のリーダーのことですよね?」
サラはこくりと頷く。
「そうだ。“蒼炎の悪魔”ウィラ=ザ=イグニファトゥス。生死の境界を行き来し、外界の扉にも干渉できる大悪魔。しかしその実態はあまり知られていない。三年前に私が南側へ移籍して以降、突如頭角を見せたと聞く。……風説によると“マクスウェルの魔王”を封印したという話まであるそうだが。もしも本当なら、六桁はおろか五桁最上位と言っても過言ではないな」
「ヤホホ……さて、どうでしょうか。そもそも五桁は、個人技よりも組織力を重視致します。強力な同士が一人居たところで、長持ちはしませんよ」
ジャックは笑ってはぐらかす。
表情から読み取ろうにも、カボチャ頭では分が悪い。
詮索は出来そうにないと判断したサラは、次に視線をジンに移す。
「ジャックの言う通り、五桁のコミュニティは強力な一個人だけでは成立しない。その個人を打ち破る者が現れれば、容易く瓦解してしまうからだ。……その顕著な一例が東側の“ペルセウス”だ。そうだろう、ジン?」
「え?」
「ふふ、誤魔化すな。最下層の“ノーネーム”が五桁の“ペルセウス”を討ち取ったのはもう有名すぎる話だ。それに例の“
「そ、それは……」
ジンはチラリと日向に目配せする。
彼が頷いたことを確認してから、ジンはサラの言葉を首肯した。
「は、はい。確かに“黒死斑の魔王”を倒したのは、僕らのコミュニティです」
「やはりそうだったか。今の“サラマンドラ”に魔王を倒すだけの力は無いからな。強力な助っ人が力を貸したのだろうと思っていた。離郷した私だが、礼を言わせてくれ。……“サラマンドラ”を救ってくれてありがとう」
「い、いえ」
深く頭を下げて一礼するサラ。
彼女の物言いは高圧的だが、不思議と不快感はない。
彼女が持つ風格には相応だと思えるからだろう。
サラは日向たちの顔を見回すと、屈託のない笑みで収穫祭の感想を求めた。
「それで、収穫祭はどうだ? 楽しんでもらえているだろうか?」
「そうですね。まだ到着したばかりで多くは見れていませんが、活気と賑わいは今まで味わった中でも一二を争うと思います」
「それは何より。ギフトゲームが始まるのは三日目以降の予定だが、それまでにバザーや市場も開かれる。南側の開放的な空気を少しでも愉しんでくれたら嬉しい」
「ええ。そのつもりよ」
日向と飛鳥が笑顔で答える。
その隣で耀は、瞳をキラキラとさせながらサラの龍角を見つめていた。
「どうした? 私の角が気になるのか?」
「うん。凄く立派な角。サンドラみたいに付け角じゃないんだね」
「ああ。コレは自前の龍角だ」
「だけどサラは“一本角”のコミュニティなんだよね? 二本あるのにいいの?」
小首を傾げて尋ねる耀に、サラは苦笑して返答する。
「我々“
「……あ、そっか」
「それと他には、各コミュニティの役割に応じても分けられているな。“一本角”・“五爪”は戦闘を担当。“二翼”・“三本の尾”・“四本足”は運搬を担当。“六本傷”は農業・商業全般。これらを総じて“龍角を持つ鷲獅子”連盟と呼ぶ」
「そう」
耀は短く返事をして、連盟旗を見上げた。
鷲の上半身と獅子の下半身。
巨大な翼と強靱な四肢を持つ鷲獅子。
通常のグリフォンと異なる点があるとすれば、その額に龍角が生えていることだろう。
二本もある龍角の一本は醜くへし折れている。
耀ははたと首を傾げた。
「……あれ? それなら“六本傷”は何を指しているの?」
「“龍角を持つ鷲獅子”のモデルである鷲獅子が負っていた傷と言われている。コミュニティの組み分けとしては……まあ、全種を受け入れているのではないか? 商才や農業などの知識というのは、普通に生きているだけでは手には入らないものだからな」
「そっか」
「収穫祭でも、“六本傷”の旗は多く見かけることになるだろう。今回は南側特有の動植物をかなりの数仕入れたと聞いた。後ほど見物に行くといい」
小さく頷いた耀は、そこで黒ウサギと目が合う。
ポン、と両手を叩いた彼女は、おもむろにサラへ質問した。
「南側特有の植物っていうと……ラビットイーターとか?」
「まだその話を引っ張るのですか!? そんな愉快に恐ろしい植物が存在がしているわけ」
「あるぞ」
「あるんですか!?」
そんなお馬鹿な!? とウサ耳を逆立てる黒ウサギ。
耀はキラリと瞳を光らせると、
「じゃあ……ブラックラビットイーターは?」
「だからどうして黒ウサギをダイレクトに狙うのですか!?」
「あるぞ」
「あるんですか!? ど、どこのお馬鹿様が、そんな対兎型最強プラントをッ!?」
「どこの馬鹿と言われても……発注書ならここにあるが──」
バシッ! と一瞬でサラの机から発注書を奪い取る黒ウサギ。
そこにはお馬鹿っぽい字でこう書かれていた。
『対黒ウサギ型決戦プラント:ブラック★ラビットイーター。総計八十本の触手で対象を淫靡に改造す──』
グシャ!
「……フフ。名前を確かめずとも、こんなお馬鹿な犯人は世界で一人シカイナイノデスヨ」
ガックリとうなだれ、しくしくと涙を流し始める黒ウサギ。
起訴も辞さないのですよッー!? と大河に向かって魂の慟哭をあげる彼女からは、ひしひしと深い哀愁の念が漂ってくる。
悲しみに沈んだ彼女はやがて、青髪を緋色に変幻させつつ立ち上がった。
「……サラ様。収穫祭に招待いただきありがとうございます。我々はこれから向かわなければならない場所が出来たので、これにて失礼致します」
「そ、そうか。ラビットイーターなら、最下層の展示会場にあるはずだ」
「情報を感謝します! それでは、また後日です!」
「え、ちょ、ちょっと黒ウサギ!?」
グワシ! と飛鳥たちの襟首を鷲掴み、黒ウサギは一目散に飛び降りて行った。
自分以外のメンバーをぶら下げながらピョンピョンと流れるように跳び去っていく彼女の姿を見送りつつ、日向は呆れたようにため息を吐く。
「それじゃあ、サラ様。同士を追わなければならないので、俺も失礼させてもらいます」
「サラで構わんよ。よければ口調も砕いていい」
「……いいのか?」
「ああ。私は器が大きいからな」
「それはそれは、流石は“龍角を持つ鷲獅子”連盟の議長様だ」
フフンとふんぞり返るサラに、大仰に肩を竦めておどける日向。
やがて二人はクッと喉を鳴らして笑い合う。
そこにアーシャが割り込んだ。
「ちょちょ、ちょっとちょっと! 何ちょっぴり良さげな雰囲気になってるんだよ!?」
「おや? 別にそんなことは無いが?」
「そうそう。気のせい気のせい」
「あれ!? なにこの露骨な疎外感!?」
「ヤホホ! アーシャも大変ですねぇ。それでは我々も挨拶が済んだことですし、そろそろお暇するとしましょうか」
「ああいや、少し待ってくれ。実はまだ話があるんだ。お前の名は日向で良かったかな?」
「ああ」
日向が答えると、サラは頷いて彼に告げる。
「では日向は、後で“ノーネーム”のメンバーにも伝えて欲しい。それも出来るだけ確実に」
はて、と首を傾げる日向とジャック。
サラはいくぶん真剣な面持ちを浮かべると、彼らへの用件を口にした。
「今宵、夕食の時間にもう一度集まって欲しいと伝えてくれ。十年前に“アンダーウッド”を襲った魔王──巨人族について、相談したいことがあると」
***
──“アンダーウッドの地下都市”。
──最下層・展示会場保管庫。
その時、展示会場の保管庫にはあられもない絶叫が木霊していた。
「きゃああああああああああっ!?」
「キシャアアアアアアアアア!!!」
他のメンバーに遅れて保管庫にやって来た日向が目にしたのは、全長5mはありそうな怪植物が伸ばす無数の触手によって拘束され、今まさにちょっと良い子には見せられないことをされそうになっている黒ウサギの姿だった。
「……なあ、これ、一体何があったんだ?」
日向は目の前の状況が信じられず、恐らくは一部始終を見ていたであろう飛鳥たちへと問いかける。
いかに対黒ウサギに特化した食兎植物といえど、所詮はただの植物だ。
色々と規格外な箱庭なら魔王クラスの植物が居たとしても不思議ではないが、少なくともそんなものを展示しようとは思わないだろう。
にもかかわらず、“箱庭の貴族”として並みの神仏をも遙かに凌駕する実力を誇るあの黒ウサギが、手も足も出せずに餌食(意味深)になろうとしているのである。
飛鳥と耀はどこか残念なものを見るような表情を浮かべながら、こうなった経緯を説明した。
「まず、黒ウサギが金剛杵であの植物を焼き払おうとしたのよ」
「ふんふん」
「で、いざ駆け出したところで床にあった植物の粘液に滑って転んで」
「な、なるほど?」
「そのひょうしに金剛杵を落っことして」
「へ、へえ」
「おろおろしているところを触手に捕まって、今の状態になった」
「黒ウサギ……」
話を聞き終えた日向は飛鳥たちと同様に残念なものを見るような視線を黒ウサギに向ける。
そんな彼女は今もなお必至に抵抗を続けていた。
「そ、そんな目で黒ウサギを見ないでくださいまし! というか誰か助けてください! こ、このままでは黒ウサギはとっても大変なことに──きゃっ、ちょっ、どこを触って!?」
「おっと、流石にこれ以上はまずいな」
日向たちだけならともかく──いや決して良くはないが──この場にはジンも居るのである。
ここから先の展開は彼の情操教育上とってもよろしくない。
日向は目にもとまらぬ速さで踏み込むと、ブラック★ラビットイーターの頭部と思われる部分を振り抜いた拳で打ち据えた。
「キシャアアアアァァァァァァ……」
その一撃が致命傷となり、ブラック★ラビットイーターは保管庫の床へと倒れ伏す。
こうして枝の触手・花弁の触手・樹液の触手とあらゆる場所から触手を生やしたカオスプラントは、その短い一生を終えたのだった。
また、それと同時に黒ウサギを拘束していた触手もバラバラと解け、空中に投げ出された彼女を日向がお姫様抱っこで受け止める。
「よっと。大丈夫か黒ウサギ?」
「は、はい。助かりました日向さん」
無事に着地して、日向は黒ウサギを床に下ろす。
耀は無常にもその命を散らしたブラック★ラビットイーターの亡骸を見つめながら、心底残念そうに呟いた。
「……もったいない」
「お馬鹿言わないでください! これ以上黒ウサギは! 黒ウサギはっ……!」
涙目でプルプルと震え始める黒ウサギ。
それだけ今回の一件が堪えたのだろう。
へんにゃりと垂れ下がるウサ耳を見て、日向は見かねたように彼女の頭を優しく撫でた。
「よしよし、あんまり落ち込むなって黒ウサギ。せっかくの祭りに、そんな顔は似合わないぞ?」
「うう、日向さん……」
「今日は俺が奢ってやるから、たまには黒ウサギも羽目を外して楽しめよ。そうすればきっと気分も晴れるさ」
「……ぐすっ。ありがとうございます」
「気にするなって。普段黒ウサギに世話になってるのは俺たちの方なんだから、軽い恩返しみたいなもんだ。それに男なら、女性には親切にするものだってとある人にも教わったしな」
その台詞に、黒ウサギはほんのりと頬を染める。
ここまで明確に女の子として扱われるのは彼女としもあまり経験がなかった。
黒ウサギは紅潮した顔を隠すようにしばし俯いたあと──ふっと、花が咲いたように微笑んだ。
「……ふふ、それは素晴らしい御言葉ですね。誰から教わったのですか?」
「さて、どうだったかな」
はぐらかす日向に、黒ウサギもクスリと笑みをこぼす。
そんな彼らの様子を少し離れた位置で見守っていた飛鳥たちは、二人には聞こえないよう声を潜めて話し合う。
(日向君て、たまに男らしいことを言うのよね)
(うん。やっぱりジゴロだね)
(それは流石にどうかと……そもそも、日向さんの
ひそひそと井戸端会議を続ける飛鳥たち。
日向はそんな彼女たちに気がつくと、
「おーい、三人で何を話してるんだ?」
「別に、何でもないわ」
「うん。何でもないよ 」
「そうですね。何でもありません」
「……何か、前にもこんな場面があった気がするな」
うーんと首を傾げて悩む日向。
そこでいつの間にか保管庫の入り口に立っていた黒ウサギが、満面の笑顔で呼びかけた。
「皆さーん! 早くお祭りを満喫しましょう!」
先ほどまでの沈鬱はどこへやら。
そんな黒ウサギに日向たちは揃って苦笑を浮かべると、収穫祭の会場に向かって歩き出す。
「ところで日向君。当然、私たちにも奢ってくれるのよね?」
「うん。だって男の子は、女の子には親切にしないといけないもんね」
「え? 二人とも女の子だったのか?」
「……日向君。歯を食いしばりなさい」
「待て待て飛鳥、悪かった、悪かったから右手を下ろしてくれ」
「飛鳥、あそこにちょうど良さそうな串焼きの屋台があるよ」
「……耀? それって普通に食べるんだよな? 決して串を別の用途に使おうとか考えてないよな?」
お仕置きを目論む飛鳥たちに、日向ははぁ、と小さくため息を吐く。
「まったく、二人とももう少しレティシアのようなお淑やかさをだな──」
言いかけて、日向はハッと口をつぐむ。
だが時すでに遅く、飛鳥と耀は一転して悪戯好きそうな笑みを浮かべた。
「あら日向君? どうしてここでいきなりレティシアの名前が出るのかしら?」
「さ、さあ、何でだろうな? 特に深い意味はないぞ?」
「えー? ホントかなー?」
ニヤニヤと笑う二人。
うっと呻いた日向は、観念したように両手を挙げた。
「わ、分かった分かった。今日は全部俺の奢りだ。ジンも好きなの買っていいぞ」
「あ、は、はい! ありがとうございます!」
その後、日向たちは日が暮れるまで収穫祭を満喫した。
“アンダーウッドの地下都市”にあるバザーや市場を見て回り、農園に植えるための苗や種子を物色する。
ここでしか見られない毛皮製の商品を驚きながら試着したり、生花で染色された民族衣装を試着したりと、実に姦しく過ごした。
植物や牧畜についてもある程度の目処は付けたが、ギフトゲームの商品を手に入れてからでも間に合うということで保留となった。
決して、日向の懐事情を鑑みたわけではない。
“ヒッポカンプの騎手”を始めいくつかのギフトゲームに参加登録を終えた頃。
茜色に染まる空を見上げて、黒ウサギが皆に提案した。
「そろそろ宿舎に帰りましょうか」
「そうだな」
一同は螺旋状に掘られた壁を登って行き、あてがわれた宿舎に戻る。
談話室に集まった日向たちは椅子に座って今日一日を振り返った。
「前夜祭は思ったよりもギフトゲームが少ないみたいだな」
「YES! 本祭が始めるまではバザーや市場が主体となります。明日は民族舞踏を行うコミュニティも出てくるはずなのです。フフフ、楽しみですねー♪」
今にも小躍りしそうな雰囲気でウサ耳を左右に振る黒ウサギ。
普段から明るくハイテンションな彼女だが、今回はいつにも増して楽しそうである。
思い返せば、黒ウサギは初めから“アンダーウッド”に来ることを楽しみにしていた素振りがあった。
「……ねえ、黒ウサギ。もしかして前々から“アンダーウッド”に来たかったの?」
「え? ええと、そうですね。興味は有りました。黒ウサギがお世話になった同士が、南側の生まれだったので」
「同士……? それって──」
「はい。魔王に連れ去れた仲間で、当時は我々のコミュニティで参謀を務めていた御二人でした。……幼かった黒ウサギを、コミュニティに招き入れてくれた方々です」
黒ウサギの話に、日向たちは驚いたように顔を見合わせる。
「それじゃあ黒ウサギは、“ノーネーム”の生まれじゃないのか?」
意外な話だった。
彼女の献身ぶりを見れば、“ノーネーム”が故郷だと思うのは当然だろう。
黒ウサギは両手を胸の前で組み、大事な宝物を抱きしめるように語る。
「はい。黒ウサギの故郷は、東の上層に在ったと聞きます。何でも、“月の兎”の国だったとか。しかし絶大な力を持つ魔王に滅ぼされ、一族は散り散りに。頼るあてもなく放浪していた黒ウサギを迎えてくれたのが、今の“ノーネーム”だったのです」
ギュッと両手を握り、幸せそうにはにかむ。
日向たちは言葉を失っていた。
今の話が本当なら、黒ウサギは二度も魔王に故郷を奪われたことになる。
彼女の見せる献身的な姿勢は“月の兎”である以上に、その体験から来ているのかもしれない。
「黒ウサギを同士として迎え入れてくれた恩を返すため……絶対に、“ノーネーム”の居場所を守るのです。そして皆が帰って来た時は、胸を張ってお帰りなさいと言うのです!」
ムン、と両腕に力を込めて気合いを入れ直す黒ウサギ。
日向たちはそんな彼女の様子を、微笑ましげに見つめていた。
「……なら、その日までにコミュニティを復活させないとな。名も旗印も取り戻して、あっと驚かせるのも面白そうだ」
「YES! きっとビックリ仰天なのですよ!」
花が咲いたような笑みを浮かべる黒ウサギは、ふっと窓の外に目を向ける。
格子の隙間から差し込む黄昏色の光を見つめながら、心の中で遠き日の恩人たちへ思いを馳せた。
(──金糸雀様、忍音様。黒ウサギには、とっても素敵な同士ができました。いつかきっと、紹介して差し上げますからね)
***
──201Χ年・5月5日。
──カナリアファミリーホーム門前。
金糸雀の遺書について連絡がきてから数日後。
十六夜は真っ白な塗装をされた無骨な建物の前に立ち、腰に手を当てて呟いた。
「帰ってくるのは久しぶりだな、カナリアファミリーホーム」
小さく笑って門前を見上げる。
五階建ての真っ白な外観は初めて目にする者には研究施設か何かに思われるだろうが、よくよく見れば子供の落書きでいっぱいだった。
「さて、久しぶりにチビたちの顔でも見に行くか……と」
そう言って入り口に手をかけた瞬間、中から門が開かれた。
それと同時に、施設の中から二人の少年少女が十六夜を出迎えた。
「ヤッホーイザ兄! 久しぶりだね! 焔と一緒に待ってたよん!」
「……別に待ってたわけじゃないけど。……お帰り、イザ兄」
「おう。出迎え御苦労だな鈴華、焔」
両手を広げて仰々しく労う十六夜。
この二人は十六夜と同じくカナリアファミリーホームに引き取られた子供たちである。
健康的な褐色の肌とパイナップルのような髪型の少女が、
ボサボサの頭に眼鏡を掛けた少年が、
鈴華が十六夜の背中をよじ登っている間に、焔は小首を傾げて十六夜に問う。
「俺の作ったヘッドホンの調子はどう?」
「悪くないな」
「そう。よかった」
「そんなことよりさイザ兄。変な弁護士がずっとホームに居ついて怖いんだよねー。ちょいちょいと追っ払ってよ」
ブンブンと両手を激しく振りながら、十六夜の肩に乗っかる鈴華。
「おいおい、俺を訪ねてきた客だろ? 二、三日居つくぐらい今までもあったじゃねえか」
「それはそうだけど……今回のおっさんはなんだか、凄く怖いんだよね。変態的な意味で」
「変態?」
「そ。そこそこカッコいいし真っ黒な服も似合ってるんだけど『──お嬢さん。私とお茶でもどうですか。結婚を前提に』とか誘われてドン引きだよ。他の子にも同じこと言ってるみたいだし」
「…………ほお? そりゃ悪かったな」
肩車した鈴華の足首を、勢い良く持ち上げる。
バランスを崩した鈴華はきゃー、と悲鳴を上げながら三回転して肩から落下。
十六夜はそのまま彼女を置いて行き、カナリアファミリーホームの中に入って行く。
受付に居た年配の女性に聞いたところ、客人は今施設内を散策しているらしい。
戻ったら伝えると言われたので、受付に備えてある椅子に座って待つことにする。
すると途端に、十六夜の背後から小さな手が巻きついて来る。
「ねえねえイザ兄ー。あの変態弁護士はー?」
「ホーム内を散歩中だと。またチビたちをナンパでもしてるんじゃないか?」
「げ、マジか。皆が危ない!」
シュタ、スタタタタタタタタ!
と髪を揺らしながら去っていく鈴華。
その背中を見送り、背もたれに身を預ける。
しかし間を置かず、ボサボサ頭の焔が隣の椅子に飛び乗り、
「コレ、新作」
「あん?」
「ヘッドホン二号。“Crescent moon No.2”。イザ兄にあげる」
ポン、と膝の上に置かれるヘッドホン。
十歳になったばかりの焔が作ったにしてはずいぶんと精緻な造形をしており、ヘッド部分にはトレードマークである炎のシンボルが貼られている。
「あげるって言ってもな……渡すならヘッドホン以外にも何かあるだろう? 何で同じものをダブらせるんだよ」
「イザ兄は目覚まし時計とか使わないじゃん」
「使わないな。でも前にお前が作った天球儀は良かったぞ。アレは今でも部屋に飾ってる」
「……アレは、金糸雀先生が手伝ってくれたから作れた。俺一人じゃ作れない」
そっと顔を伏せる焔。
チッ、と舌打ちしてそっぽを向く十六夜。
「金糸雀先生……本当に死んじゃったんだな。何があっても死なない人だと思ってた」
「病死じゃしょうがねえ。しかも原因不明の病魔ときた。流石の金糸雀のクソババアでも、手の打ちようがねえだろ」
「……うん」
十六夜は壮絶に面倒くさそうな顔で一度天井を仰ぎ、新作のヘッドホンを手に取って頭に取り付けた。
「ん……? おい、焔。ヘッドバンド部分のサイズが大きすぎないか? ガバガバだぞ」
「大丈夫。アーム部分を耳に当てて、スライドの横にあるボタンを押して。それで頭の形にサイズ調整される。フィット感重視ってやつかな」
「へえ? 目の付けどころは面白いな」
ヤハハと笑って言われた通りにボタンを押す。
カシャン! とヘッドバンドの部分が折りたたまれると、アーム部分がギュッと十六夜の耳を挟み込む。
「なるほど……けど、少しキツイな。これじゃ音がこもって聞こえにくいんじゃねえか?」
「む……なら、改良してくる。貸して」
ほい、と十六夜がヘッドホンを手渡す──が、不意にその手が固まった。
十六夜が頭から取ったヘッドホンは、先ほどまでとは形が変わっていたのだ。
「……おい、焔。何だこのヘッドバンドの形は」
「ヘッドバンド部分でサイズ調整した結果。バンド部分を折り畳んで調整すると、どうしても立ち上がってこうなる」
「いや、そうじゃなくてだな。お前コレ、どう見てもネコ耳じゃねえか」
──そう。
改めて目にしたヘッドホンは、まるでネコ耳のような形に変形していたのだ。
どうやら女性受けを狙ったものらしい。
焔はひとしきり説明を終えると、受付の椅子から立ち上がった。
ネコ耳ヘッドを改良するのだろう。
ついでに鞄を預けた十六夜は、後でヘッドホンと一緒に受け取りに行くことを約束する。
そうして焔とも別れた十六夜は受付で一人きりになり、再度背もたれに身を預けた。
(……。一年ぶりに来たけど、何にも変わってねえな)
十六夜は天井に付着している染みを見ながら苦笑いを浮かべる。
──このカナリアファミリーホームは、十六夜のように常識から逸脱した能力や才能を持っている子供たちを収容する施設である。
とは言え十六夜に比肩する程の驚異的な力を持つ少年少女はおらず、本当に些細な力がほとんどだ。
例えば西郷焔は、一度バラバラにした物なら瞬時に構造を理解できる。
この少年は圧倒的な“理解力”と“再現力”、そして“創造力”に長けていたことで、このカナリアファミリーホームに送られることになったのだ。
(……けど、これまでそんな不思議っ子を集めていた金糸雀はもういない。焔と鈴華の世代で、このカナリアファミリーホームも終わりだな)
らしくない郷愁を感じていることに、一層の苦笑いを浮かべる。
デジタル時計で時間を確認してみれば、すでに十五分も経っていた。
このままでは埒が明かないと思い、椅子から立ち上がる。
と、背後に人の気配を感じた。
「──君が、逆廻十六夜君かね?」
(……へえ、これは噂以上に面白いな)
内心、驚いていた。
物思いに耽っていたとはいえ、こんな距離まで十六夜に悟られずに近づいた男は初めてだった。
背後に立つ男に興味が膨らみ始めているのを感じた十六夜は、嬉々として振り返り、
「───……、」
言葉を失った。
鈴華からは『黒い服の怪しいおじさん』という話を聞いていた。
なるほど、確かにその通りだ。
しかし問題はそこではない。
この日本という国で日常的に着用することはまずないであろう、真っ黒な燕尾服に黒い山高帽、そして丸い片眼鏡。
似非イギリス紳士三点セットっぽい服を着た二十代半ばほどに見える男が、微笑を浮かべて十六夜を見ていたのだ。
「…………あー、そうだな。ボーラーハットとはいい趣味だ」
「うん? ああ、ありがとう。だが賛辞の前に質問に答えて欲しいね。君が逆廻十六夜君か?」
「そうだ」
返事をする間、十六夜は男を注視する。
顔立ちは二十代半ばに見えるが、その佇まいは年齢以上に洗練されているようにも見える。
細身の体に似つかわしい整った顔立ちも好意的な印象を受けた。
しかし何より気にかかるのは、片眼鏡の奥に光るあの瞳だ。
初めは値踏みされているのかと思ったのだが、少し違う。
片眼鏡の奥にある静謐な瞳は、十六夜のことを
「……気にくわねえ目だな」
「ふふ、よく言われるよ。以前、金糸雀にも出会い頭に言われた」
「だろうな。それで、遺書はどこにある?」
「奥の一室を借りてある。そちらで渡そう。なにせ量が量だ。持ち運ぶのは重たくてね」
カツカツとホームの中に入っていく。
十六夜は黙って燕尾服の男の後について行く。
にわかに雨の気配を見せ始めた空を窓の内側から眺めつつ、目的の部屋まで辿りついた十六夜を待っていたのは、
──厚さ10cmほどもある、
金糸雀の自伝小説だった──
***
──“アンダーウッドの地下都市”
──春日部耀の個室。
談話室を後にした後、各々の荷物を部屋まで運び一時解散となった。
部屋に戻った耀は、水樹の根を掘り出して藁葺きのように敷き詰めたベッドに身を投げ出した。
といっても、直接飛び込んだわけではない。
ベッドの表面に被せられた白いシーツの上から寝そべったのだ。
「……木の根と藁葺きの匂いがする」
落ち着く香りに身を任せ、思わず寝落ちしてしまいそうになる。
眠たげにまぶたを揺らす耀はしかし、ハッと思い出したように顔を上げた。
「……いけない。寝ている暇はない」
そう。
何せ耀は、固い決意と約束を胸にこの南側に来たのである。
友達百匹とまではいかないが、一種類でも多くの幻獣に出会わなければならない。
順番を譲ってくれた十六夜の恩に報いるためにも、時間を無駄には出来ないのだ。
「……そう言えば、十六夜のヘッドホンは見つかったのかな? 」
ふっと、彼がいつも頭に付けていたトレードマークを思い出す。
あのヘッドホンには確か、特徴的な炎のエンブレムが貼られていた。
あれは昔、耀の父親が好きだったメーカーと同じマークだ。
(確か父さんは『今は手には入らないビンテージ物だ』って言ってたけど……十六夜のヘッドホンも、そうなのかな?)
もしかしたら、それが理由で必死に探しているのかもしれない。
「……うん。考えても分からないから、帰ってから聞こう」
思考を切り替える。
今は十六夜の心配よりも、彼との約束を果たすことが最優先だ。
幸いなことに、三毛猫は未だ散歩に出かけたまま帰ってこない。
一人で外に出るなら今しかないのだ。
「一度着替えて、街の外に出よう。野生区画なら色んな幻獣たちが居るはず」
ゴソゴソと荷物をあさり始める。
私生活からあまり物を必要としない耀だ。
鞄は小さく、最低限の物品しか入れていないはずなのに──身に覚えの無いソレが出てきて、彼女は一瞬……頭が真っ白になった。
「────……ぇ」
嘘、と呻くように呟く。
転がり出た“ソレ”は……絶対に、特に、耀の鞄の中には、絶対にあってはいけない物だった。
「えっと……え、ぇ?」
突然の衝撃に、耀はフラフラと立ち上がってそのまま部屋の柱に頭を打つ。
しかしそんな痛みは気にならない。
──“だって、コレが、こんな物が出てきたら、まるで私が、十六夜を嵌めたように思われて”──
「耀さん! 緊急事態で御座いますッ!」
バタン! と勢いよく扉を開け放つ黒ウサギ。
耀は咄嗟にソレを背中に隠す。
しかし、突如として響き渡った激震に、思わず尻餅をついて倒れ込んだ。
「わっ……じ、地震?」
「違います! 襲撃ですッ!! “アンダーウッド”は現在、魔王の残党に襲われております!! 我々もすぐに加勢を──」
──と、そこで黒ウサギの言葉が途切れる。
彼女の視線は床に転がった、十六夜のヘッドホンに釘付けになったからだ。
「よ、耀さん? どうして、十六夜さんのヘッドホンがここに……?」
「ち、違っ……!?」
耀の混乱に拍車がかかる。
無理もないだろう。
耀は本当に何も知らないのだ。
弁明しようにも口下手が災いして言葉が浮かばず、両者の間に沈黙が流れる。
堪らずに黒ウサギが口火を切ろうとしたその時──宿舎の壁をぶち抜き、巨大な腕が彼女たちの視界に飛び込んだ。
「きゃ……!」
二人は同時に跳ね飛ばされる。
耀が風穴から外を確認すると、ギョロリと覗く大きな目玉と視線があった。
とっさに跳び退いた耀だが、襲撃者は構わず巨腕を振って宿舎を薙ぎ倒す。
「耀さん!」
黒ウサギは体勢を崩した耀を庇うように抱き締め、宿舎の外に飛び出した。
襲撃者を目撃した耀は、戦慄と共に呟く。
「きょ……巨人……!」
──そう。
全長三〇尺もある巨躯。
巨大な長刀を片手に握る二の腕は、まるで大木のように太い。
顔には二つの穴がある仮面を着け、ギョロリと瞳を覗かせている。
黒ウサギは巨人の姿を見つめながら、臨戦態勢をとって叫んだ。
「YES! 彼らは