奉仕部と私   作:ゼリー

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第二十二話

       ◇

 

 天使が引き連れていたのは、妖怪ひねくれ小僧と唾棄すべき不束馬鹿であった。二人が、まるでそこの角を曲がった地獄の一丁目からやって来たというような、いつにも増して深みのある顔をしているのは、おそらく私の逢引きを台無しにすることに無上の喜びを感じているからに違いない。

 私は戸塚君の手前でありながら一切の配慮なく、開口一番に言った。

 

「おい、おまえら。ぶち殺されたいのか」

「八幡よ。これは明白な脅迫行為と捉えてよろしいか?」

「そのようだな材木座。よし、法廷で会おう」

 

 材木座と比企谷は気色の悪い笑みを浮かべながら喜々として言った。

 

「すみやかに黄泉の国へ帰れ。そして二度と戻って来るな。ここはお前らの居ていい世界ではない」

「な、言ったろ? 絶対こんな反応するって」

「久しく見ないうちに、ずいぶんと尖ったようだな。それでこそ我が盟友よ。フハハハハハ」

「戸塚君、これは何かの間違いだよね。俺、霊感が強いから視えちゃうんだけど、戸塚君には後ろの悪霊は視えてないよね?」

「こらこら、失敬であるぞ。たしかに亡き足利義輝公の激烈な魂を受け継いでおるからといって、我自身はまだ生存している」

「くそ、視えるだけかと思えば、声まで聞こえてくる。まずいな、霊道かもしれん……戸塚君、ここは空気が悪い。ささ、二人でどこへなりとも行きましょう」

「相変わらずひでえこと言いやがる。戸塚、友達は選んだ方がいいぞ。こいつと一緒にいると阿呆がうつるからな」

「喋るな、低級霊! 祓うぞ!」

「まあまあ、三人とも落ち着いて、ね? 喧嘩はだめだよ」

 

 眉をひそめながらも口元を綻ばせて戸塚君が言った。

 我々はぴたりと口論を中断する。そうして同じような卑猥な面で、戸塚君の庇護欲を駆り立てる小動物のような顔に見惚れた。かわいい。

 

「とりあえず、ぼくたちも飲み物買ってくるね。待ってて」

「うん」

 

 私が頷くと、戸塚君を先頭に「休日の昼下がり似合わない選手権」の堂々一位と二位が金魚の糞よろしく、カウンターへ並んだ。それにしても材木座は真夏日だというのに、相変わらず丈の長いコートを着込んでいる。根性なしのくせに余計な忍耐力は持っているらしい。見ているだけでこちらの体感温度が五度くらい上昇しそうだ。クソ暑苦しいから、上着をすべて脱ぎ去って、猥褻物陳列罪で捕まればいいと思った。

 

「おまたせ!」

 

 戸塚君がにこにこと楽しげにトレイをテーブルに置いた。

 私は満面の笑みで迎える。

 続いて比企谷と材木座がテーブルに着いた。

 

「おまたせ、だぞっ」

「まった~?」

 

 二人は潰れかけのカエルが絞り出す断末魔にも似た、かすれた裏声で言った。

 

「おまえら、マジで東京湾に沈めるぞ。いいか、次に口を開いたら、俺は犯罪者になる覚悟だ」

「きゃっ、こわ~い。はちま~ん、助けてえ」

「ふえっ、怖がっちゃだめだよっ、義輝! これは阿呆の愛情表現なんだぞっ」

「あはは……」

 

 戸塚君が苦笑いをしている。私は理性を総動員して怒りを堪え、有り余る妄想力を駆使してここが戸塚君と自分二人だけの空間だと思い込もうとした。しかしながら、案の定、それは難航を極めた。矮小でありながらも影響力だけは凄まじい陋劣な二つの存在が、私の清らかな魂を刻一刻と汚染していくのである。可愛らしい男子生徒の形をとった有意義な夏休みの一日が雲散して霧消していく。ああ、戸塚君、俺は気が狂いそうだ。

 私はとりあえず隣に座った比企谷の肩を満腔の力でもって殴打し、次いで材木座は無視するという意志を固めた。

 

「ちょ、おまっ、本気で殴るなよ」

「これくらいで済んだことを僥倖と思え、しかるのち死ね」

「ほんとに喧嘩はだめだよっ!」

 

 珍しく戸塚君が強い口調で窘める。

 私と比企谷はすぐさま低頭した。

 

「もうっ、せっかくみんなで集まったんだから仲良くしようね」

「そうだぞ。おぬしたち、いつまでそんな小童みないなことをやっておる。恥ずかしくないのか」

「材木座君もだからね」

「う、うむ。もあっはっは」

 

 私は珈琲を一口すすると、戸塚君に何ゆえ邪魔者が存在しているのか尋ねた。すると「夏休みに一度、男同士みんなで集まりたかったんだ」と返され、私は唸ることしかできなかった。いくらでも尋問できる回答であったが、戸塚君の言うことは絶対である。反論は許されない。

 予定通り我々は、昼飯までの間、その喫茶店で時間を潰すことにした。

 誰かが夏休みの過ごし方について言及すれば、みな各々の夏休みを語った。私は語れるほど充実した休暇を過ごしていなかったため、明らかに嘘八百を並べ立てている材木座に茶々を入れて鬱憤を晴らすことに努めた。

 

「でも八幡、千葉村は楽しかったね」

「ま、それなりにな。しかし、戸塚。その話はこいつの前ではNGだ」

「あっ、ご、ごめん! ぼく、そんなつもりじゃ」

 

 恐縮した戸塚君が上目遣いで私を見つめる。

 私は慈悲深い御仏もかくやと言うべき微笑みで返した。

 

「大丈夫。まったく気にしてないから」

「だそうだ戸塚。もう、めちゃくちゃ楽しかったな! それにしても戸塚と布団を並べて寝られるとは思ってもみなかったな。やっぱり男ってのは同じ釜の飯を食って、同じ湯船につかって、同じ布団で寝てなんぼだよな」

「え、なにそれ。聞いてないぞ」

 

 はっきりと「我も聞いてな――」と声がしたが、皆に黙殺され、比企谷が割り込んだ。

 

「言ってないからな。あーあ、おまえも来ればよかったのに。残念だったなあ」

「そんな、馬鹿な。同じ湯船だと? 戸塚君、それは本当なのか!」

「もうっ、八幡! 嘘はだめだよ!」

 

 戸塚君は頬を膨らませて比企谷を叱る。

 

「なんだ嘘か」

「まあ、風呂は別だったが、隣同士布団を並べて寝たのは事実だ」

「……なんだ嘘か」

「いや、本当なんだが」

「嘘だ。おまえのようなケダモノが戸塚君と褥を並べるなんて、そんなの公序良俗に反するじゃないか。事実だとしたら、今頃おまえは臭い飯を食っているはずだ」

「認めたくない気持ちはわかる。すまない、しかし、残念ながら事実なんだ。なあ、戸塚」

「え、ええと、その、うん」

 

 頬を桃色に染めて戸塚君が頷く。

 私が悔し紛れに毒づこうとすると、材木座が何やらぶつぶつと呟いて、テーブルを音高く叩いた。そして、苦悶の表情を浮かべたと思えば、わずかな間があって頭を比企谷の方に寄せる。小さな声で囁いた。

 

「……八幡よ。()()()()()のか? と、戸塚君には本当にあれがついていたのか?」

 

 材木座の内部で、それはまことに凄惨な葛藤があったのではないかと思う。良識と好奇心の熾烈な相克を乗り越えて、あらゆる非難を予見しながら彼が捻り出した答えは、力強く心に訴えかけるものがあったが、しかしながら最低最悪だった。

 

「この馬鹿野郎! 恥を知れ!」

 

 私はすっくと立ちあがって材木座の頭をはたいた。すぐに座り直し、「で、どうなの?」と比企谷に目で尋ねる。

 

「さすがに引くわ。いや、ホント、引くわ。品性を疑うわ」

 

 濁った目を見開いて比企谷が言った。実際に椅子を引いていた。当然と言えば、当然であるが、どうやら答える気はないようであった。

 

「八幡よ、後生だからッ」

「いやいや、おまえ馬鹿だろ。ほんっと気持ち悪いからな」

「材木座がここまで言っているんだ。教えてやっても、いいと思うけどなあ……」

「けどなあ……、じゃねえよ。おまえが一番聞きたそうな顔してんじゃねえか。そもそも、何で俺が知ってるんだよ。むしろ俺が知りてえよ」

「貴様、隠すつもりか!?」

「いい度胸だな比企谷。秘すれば花というやつか、あ? 粋なことしてんじゃねえぞ」

「だから、しつけえんだよ。俺だって戸塚の――」

 

 やんややんやとやっているうちに、私の前の席に座っていた戸塚君がぷるぷる震えながら、涙声で言った。

 

「あのぉ、聞こえてるんだけどな」

「……」

 

 我々は顔を見合わせた。

 グラスの中の氷が、カランと小気味良い音を立てた。

 

       ◇

 

 昼食を食べ終えた我々は、喧々囂々たる話し合いの末、平凡な映画を鑑賞してゲームセンターへ行き、ボーリングをして本屋を巡った。普通の高校生らしい一日は、そこそこ刺激的でこんな日がいつまでも続けばいいなと思うくらいには楽しかった。

 長い夏の日は暮れかかっていて、時刻は十九時を回っていた。それぞれの顔には、疲労と満足の色が表れていた。

 

「そろそろ帰るか」

 

 比企谷の言葉を機に、もう一度夏に会う約束をして、我々は解散した。

 親が車で迎えに来ているという戸塚君を残し、かつ駅構内の本屋前で鼻息を荒くしていた材木座を置いて、私と比企谷は帰りの電車に乗り込んだ。

 折よく二つシートが空いて、我々はむっつりと腰を下ろした。

 

「あいつ、まだ本買うのか」

 

 私は材木座について言及した。彼はすでに五冊ほど新刊を購入していたのだ。

 

「いや、あれは声優のポスターに見入っていただけだと思うぞ」

「ふうん。声優、ね」

 

 携帯電話が震えた。確認すると材木座からであった。置いて行かれたことに対する恨み節がつらつらと並べられている。比企谷にも送られていたらしい。我々は何の反応もせず、スマートフォンをポケットにしまった。

 初老のサラリーマンが読んでいる新聞紙の一面に、「日照り続く。急を要する水不足対策」と書かれていた。私がぼんやりと雨乞いの儀式について考えていると、比企谷が言った。

 

「……本気か、辞めるってのは」

 

 私は横目で比企谷を見た。何を考えているのか判断できない、微妙な顔をしていた。再び新聞紙に視線を戻す。

 

「うん。だけど、平塚先生に受理してもらえなかった」

「ざまあねえな」

 

 比企谷が鼻で笑った。

 

「俺にはあの人の考えがわからん」

「考えるだけ無駄だ。あの人だけじゃない。他人の心の中なんてわからないもんだ」

「出たよ、おまえの真理を穿ってる風な発言」

「るせえな」

「イタいから、そういうの控えろよ。聞いてて恥ずかしいぞ」

「っち」

 

 比企谷は舌打ちして目を濁らせた。

 

「……雪ノ下から、なんか聞いてるか」

 

 黙ること数分、一駅またいでから比企谷が呟くように言った。

 

「なんか?」

「……いや、忘れてくれ」

「だからよせって。そのスカした感じ、背筋がゾゾっとするんだよ」

「……あの、いちいち突っ込むのやめてくんない? なんなの、俺の精神揺さぶって楽しいの? 今ちょっと俺のアイデンティティがわりとクライシスなんだけど。ちょーハズイんですけど」

「……で、雪ノ下さんが何だって?」

「うそ、やだ、なにそれ、俺の真似? 俺いつもそんなキメ顔で喋ってるの? クサすぎるだろ、いやホント、俺、クサすぎるだろ」

「やかましい。さっさと言えよ」

 

 比企谷は顔を赤らめて黙り込んだ。殴り飛ばしたくなるほど危ない表情である。誰がむくつけき男の赤面など見たかろうか。

 

「くそっ、いつもこうだ。おまえと話すとまともに会話が進まねえ」

「ふざけてんのか。こっちの台詞だ」

「はあ……。千葉村行った帰りにな、様子がおかしかったんだよ」

「雪ノ下さんが? それで?」

「だからさ、なんかおまえに連絡来てないかと思ってな」

「なぜ俺に連絡が来るのだ。そういうのは由比ヶ浜さんだろう」

「あいつと俺には絶対来ねえんだよ……」

 

 比企谷は吐き捨てるように言った。

 

「なんで?」

「まあ、いろいろあんだよ」

「ふうん。あ、そう」

「お、珍しいじゃねえか。詳しく訊いてこないんだな」

「もはや俺には関わりのない話だからね。ちなみに雪ノ下さんから連絡は来てないぞ。千葉村らしき画像が一度添付されて送られてきたが、無視して以降音沙汰はない」

「……そうか」

「ああ。残念なことに由比ヶ浜さんからもそれっきりだ」

「へー」

「材木座からはいっぱい来る」

「よかったな」

「よかない」

 

 最寄り駅に到着した。腹が減っていた私は比企谷を晩飯に誘った。どうせ断られるだろうと思ったが、意外にも彼は首肯して後についてきた。一応、「奢る気はないぞ」と釘を刺すことは忘れない。

 駅を出ると、外はだいぶ涼しくなっていた。駐輪場で愛車を拾うと、我々は駅前をさすらった。自転車を押しながら飲食店の看板に目を走らせていると、ふいに比企谷が言った。

 

「なあ、雪ノ下でも嘘を()くと思うか」

「藪から棒だな。吐くわけねえだろ、雪ノ下さんだぞ」

 

 私は「魚介豚骨背脂ドロドロ系極み」という、いかにも寿命を縮めそうな謳い文句を掲げるラーメン屋に惹かれ、何気なく答えた。

 

「おまえは、そう思うか」

「うん。それより、ここのラーメン屋はどう?」

「……いいんじゃね」

「よし、ここにしよう。奢ってくれ」

「ざけんな。むしろおまえが奢れ。誘ったんだから」

「勘違いするなよ。誘ってやったんだ」

「気持ち悪いツンデレ属性はやめろ」

「デレてないだろ」

 

 ラーメン屋は満員で、中の券売機前に行列ができていた。

 しかたなく我々は再び夜の街を彷徨い歩く。

 比企谷はむっつりと考え込んだように俯きがちで、静かに後をついてきていた。私は夜の街の喧噪を好まず、ほとんど足を踏み入れない。それは比企谷も同じようで、しかめ面をぶら下げて心ここにあらずといった感じだった。もしかすると滅多に出歩かない宵町の空気に()てられて、何かよからぬ妄念でも腹に溜め込んでいるのかもしれない。

 そういえば、と私は思った。先ほどから比企谷は妙に雪ノ下さんに拘っている。彼女の様子がおかしいとか何とか言っていたが、それが原因で没我状態に陥っているのであろうか。普段は部員同士であろうとも一線を引いているくせに、変にお人好しなところがある奴だ。大方、私の予想は当たっているのだろう。

 私は嘆息して言った。

 

「気になるならメールでも電話でもしてみろよ」

「え?」

「雪ノ下さんのことだ」

「なんで俺がそこまで……」

「では、放っておけ」

「……そのつもりだ」

 

 私は無意味に自転車のベルを鳴らして言った。

 

「なんでも女性には情緒が不安定になる日があるらしい、月のアレ。それかもよ」

「清々しいほど下衆いな。そういう勘繰りはほどほどにしとけよ。たぶん、違うだろうし」

「じゃあ、あれだ。かまって欲しいんだ。ほら、彼女、ああ見えてか弱いところあるし」

「……か弱い? 誰が?」

「阿呆か。今の話の流れで雪ノ下さん以外に誰がいるんだよ」

「雪ノ下が弱い……あり得ねえだろ」

 

 私は少し意外だった。

 褒めるべきところがおよそ一つもないと思われる比企谷だが、唯一私が感心しているのが彼の人を見る目であった。過去の痛々しすぎる行軍によって培われた洞察力は並外れたものがあり、本質を捉える目を持っているのが比企谷という男である。それゆえに余計な詮索を自らに強いて、私でも躊躇するようなことにまで言及し、その結果もたらされた不遇に浸ってシニカルに笑うのが妖怪ひねくれ小僧なのだ。そんな男だからこそ、雪ノ下さんの弱さくらい易々と見抜いているものとばかり思っていたのだが、存外そうでもないらしい。灯台下暗し、対象がより近い立場だったために彼の目は曇ったのかもしれない。それともあまりに辛辣な罵倒を受けすぎて、彼女に対する正常な判断が下せなくなったか。これはあり得そうだ。いい加減、雪ノ下さんは穏便という言葉を知るべきである。

 ともかく私は言った。

 

「やさしくしてやりなさい。雪ノ下さんだって女の子なんだぞ。たぶん、家であの不細工なパンダのぬいぐるみでも抱きしめて涙してるんじゃないかな」

 

 想像すると、これはなかなか悪くない、と思った。またチリンとベルを鳴らす。

 

「信じられん。完璧超人の雪ノ下だぞ。そんなことあるわけが――いや、でも……」

「超人って、大袈裟だな」

 

 比企谷は雪ノ下さんを形容する際にときおり「超人」という言葉を使うが、いまだに私にはその定義がよくわからない。ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で説くところの概念と関係があるのか不明である。

 

「夏休み、まだ部活あるんだろ? ちょっと気を配って接すればいいさ」

「たぶん部活はもうないと思う」

「なんで」

「そんな気がすんだよ」

「はあ? 気がするだけって曖昧だなおい。まあ、だったらおまえが集めればいいだろ」

「俺が? ねえよ。面倒くさい」

「消極的だな。そんなんだからいつまでたっても更生しないんだよ」

「おまえに言われたかねえ」

 

 比企谷はそう言ってポケットに手を突っ込んだ。

 結局、我々は目についた牛丼屋で腹を満たした。男子高校生の心強い味方と言えば、店主が痴呆気味の本屋と牛丼屋であることは広く知られている。前者はやんちゃなジョニーのご機嫌を取るためであり、後者は常時逼迫を余儀なくされている我々の財政のためである。大盛にしてもワンコインで済むというのは非常にありがたかった。

 牛丼屋を出て、我々は帰路についた。

 

「じゃあな」

「うん。言わずもがなだが、部で俺の話を出すなよ。厄介なことになりそうだからな」

「それは保証できんな」

 

 比企谷は禍々しく笑って、夜の闇へと消えていった。

 私は自転車を漕ぎながら比企谷の超人という言葉を考えた。たしかに雪ノ下さんは市井の有象無象とは一線を画した女生徒であろう。しかし「超人」と表現するにはいささか脆さが目立つ。やや短気と言えなくもないし、人と接するのが絶望的に不得手である。こちらが閉口してしまうほど率直なくせに、往々にして素直ではない。感情表現が苦手である。融通が利かない。私に引けを取らないほど体力に乏しい。友達がいない。挙げればきりがないほど、彼女にも弱さはあるのだ。それは別段、おかしなことではないだろう。普通の女生徒「らしさ」とも言える。当たり前だが、雪ノ下さんは十六歳の女の子なのだ。

 比企谷は少し理想を押し付けすぎているのではあるまいか。表面的な雪ノ下雪乃は間違いなく優等生で強く正しく美しいが、あくまでもその人間の判断基準を求むる先は内面なのだ。ゆえに、勝手に他人を自分の物差しで評価して、理想を重ねようとする行為はひどくおこがましいし、雪ノ下さんのことを良く知りもしないで、我々が彼女の人間性を語るのは愚の骨頂であろう。

 そんなふうに考えると不本意なる自省の念がむくむくと湧いてきた私は、しかしながら、もはや奉仕部とは関係ないのだからどうでもいいや、とペダルを強く蹴った。

 夜風が気持ちいい。ポケットの中で携帯電話が震えた。

 夏休みはまたたく間に過ぎてゆく。

 


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