家賃1万円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回   作:ウサギとくま

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エピローグ

「本当にこれでよかったのか……」

 

 昼食後『ゾンビ映画における最も高い生存方法は面白黒人になること~cvエディ・〇ーフィー~』という色んな意味で頭がおかしい講義を受ける遠藤寺と別れ、俺はアパートへの帰り道についていた。

 去年の誕生日に雪奈ちゃんが買ってくれたお洒落な肩掛け鞄の中には、遠藤寺から渡された即効性の睡眠薬がたんまり詰まった瓶が入っている。

 効果の程は確認できたが、本当にそれを使ってしまっていいのか、俺の胸に罪悪感が靄のように漂っている。

 

「だがもう、他に方法がないんだよなぁ」

 

 他に方法がないイコール他に相談できるような知り合いがいないということである。俺のコミュニティ狭すぎ……。

 まあ、正直今のコミュニティで満足しちゃってる部分もあるけど。十分に楽しいし。

 友達とか増え過ぎたらアレだ、フラグ管理とかヘイト管理とか大変なんでしょ?(ゲーム脳)

 

 そんなことを考えながら歩いていると、アパートに近くまでたどり着いた。

 今見える角を曲がれば愛すべきアパートが見える。

 

 さて、今日の大家さんへの第一声はどんな感じにしようか。タツミン星人行ってみるか? ノリのいい大家さんなら合いの手入れてくれるか? だが滑った時の痛さは骨折の比ではない……。

 

 なんてことを考えながら歩いていると、すぐ側の電柱脇にある、よく見るタイプのゴミ箱が――ガタガタと……動いたぁ(森本レオ風)

 

「わぁぁぁぁぁい!?」

 

 俺は悲鳴をあげた。遠藤寺のおかげ(せいとも言う)で、普通の死体では気絶しないくらいメンタルが鍛えられた俺でも、突然ゴミ箱が動き出したら叫んでしまう。

 住宅街に俺の悲鳴が轟いた。

 幸いお昼過ぎでテレビ番組をウキウキウォッチング中なのか、近所のマダム達は召喚されなかった。

 昼過ぎでよかった。朝方とかだったら旦那を会社に送ってそのまま世間話モードに入ったマダム達がわんさか沸いてきちゃっただろうからな。

 そのマダム達を薙ぎ倒す爽快アクション『マダ無双』の発売マダー?

 

 俺が悲鳴をあげつつ慌てて逃げ出そうとすると、ゴミ箱の蓋がバンと持ち上がった。

 そして現れたのは――蓋を持ち上げる腕、麦わら帽子、少女の顔、白いワンピース。

 同じアパートに住む女子小学生だ。麦わら少女は両手でゴミ箱の蓋を持ち上げ(サザエさんのOPのアレを想像するといい)、おびえた表情でキョロキョロと周囲を見渡している。

 一通りクリアリングを行うと、愛用のスケッチブックにこれまた愛用のマジックペンをさらさら走らせた。

 

『静かに!』

 

 見せられたスケッチブックにはそんな文字が書かれていた。ちなみにスケッチブックを両手で持っているので、支えられていた蓋は頭の上にのっている。麦わら帽子onゴミ箱の蓋。

 

 俺は先ほど悲鳴をあげてしまった恥ずかしさを誤魔化すように、未だ周囲の警戒を怠らない麦わら少女に心持ち強気で話しかけた。

 

「……何をやっているのかね? 何でゴミ箱に入ってんの? 履歴書に書けないタイプの趣味か?」

 

『趣味なわけねーでしょうが! 隠れてんの! ハイドしてんの!』

 

 なーんだ隠れんぼか。深刻な表情してるからよほどの事だと思ったぜ。

 しかし隠れんぼって、随分と子供らしい遊びを。いっつも蟻の観察してたり、その蟻の巣の前に餌を置いたり、他の巣と交流するように仕向けたり……蟻の巣経営シュミレーション『アリシティ』してる姿しか見てないから意外だ。

 この子も普通の小学生と同じってことか。

 

 最近公園とかで頭突き合わせて携帯ゲーム囲んでいる子供達見かけるけど、あーいうのはいかんよね。やっぱり外で遊ぶなら、こういうアナログな遊びしないと。

 

「ふふふ……」

 

『なに慈愛の表情で見てんだキモイ! さっさと消え――』

 

 膨れっ面を浮かべる少女だが、突然その顔が真っ青になった。ジワリと目の端に涙が浮かぶ。

 

『も、もう駄目だぁ。おしまいだぁ……見つかっちゃったぁ……』

 

 絶望的な表情。死を迎える者のそれ。見つかったって……鬼に?

 最近の隠れんぼって、凄いリアルっつーか、演技がかってるのね。まあ、子どもの遊びってそういうところあるよな。鬼に触られたら死んだことなーとか、砂があるところはサメがいることなーとか。そうやって設定作ることで盛り上げてるんだよね。そうやって培ったノウハウが大人になった後、夫婦間のイメージプレイにも役立つんだろうね(台無し)

 

 しかし、この麦わら少女。演技が堂に入り過ぎだ。マジで殺人鬼にでも追われてるみたい。将来は女優かな? できることなら、子供向け教育番組から新人女優知名度向上の為だけに作られた映画、少年漫画原作の実写映画、誰でも知ってる小説原作の映画主演、ハリウッド映画へ……といった具合にエリートコースを進んで欲しい。

 まあ人生何が起こるか分からないし、途中でグラビアからAVってルートもあるだろうけど、それはそれで……ね。 

 

 俺がそんな下衆い未来予想図を描いているとは思いもしないだろう少女。それどころではない様子で震えていた。

 

『や、やつが来る……』

 

「鬼?」

 

『あたしはここにいないってゆって! なんでもすろから! おわがり!』

 

 焦りと手の震えで、スケッチブックの文字に誤字が目立つ(この誤字は意図的な誤字なので指摘はいりません。何を言っているのか分からないが、分かって欲しい)

 

 少女の遊びに巻き込まれて俺は微笑ましい気持ちになった。少女達の遊びに触れ合うことで、少しだがかつての童心を思い出したのだ。何より遊びに混ぜてもらうのが嬉しい。

 よーし、パパ頑張っちゃうぞー。

 

「分かった分かった。鬼が来ても別方向に行ったって言うから」

 

『ありがとう……ほんとうに……ありがと』

 

「で鬼が明後日の方向に行きそうになったら、馬鹿もんルパンはここだー!ってゴミ箱の蓋開ければいいんだろ?」

 

『ぶっこおすぞ! FACK!』

 

 スケッチブックに描いたおっ立てた中指を見せ付けてくる。

 

『いいからふつうにかくまえばりりの! よけいなことすんあ!』

 

「はいはい」

 

 少女は再びゴミ箱の中へ戻った。

 蓋が少し持ち上がり、そこからジッと視線を感じる。

 

「さてさて、どんな可愛らしい鬼が来るやら」

 

 できるならちょっと嫉妬深いヤンデレタイプの鬼は来てほしいっちゃ!

 

 1分も経たず鬼とやらはやってきた。

 角の向こうから、サクサクと足音が聞こえる。次いで声。

 

 

 

「――どこだ……。どこにいやがる……。はぁはぁ……」

 

 

 

 ……なんだろうか。思っていたより、声が野太い。少女と同年代の子供にしてはちょっと……年季が入りすぎてるような。

 ズズンと体に響くような低い声。

 

「麦わらちゃん……怖くないよー……へっへっへ……出てきて遊ぼうよ……」

 

 足音と声が近づく。近づくにつれ背後にあるゴミ箱ががたがた揺れる。隙間から漏れ出る押し殺した恐怖の声。

 ふと、シャツの背中がが張り付いていることに気づいた。汗をかいているのだ。それも多量の。

 額や首元、至るところから汗が流れる。口内が乾き、舌が上顎に張り付いた。

 心臓が今すぐ逃げろと言わんばかりに早打つ。が、足が動かない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 鬼の声じゃない吐息が聞こえた。これは俺の声だ。無意識に呼吸が荒くなっている。

 なんだこれは。いったいなんなんだこのプレッシャーは。

 

「この先かなぁ……?」

 

 鬼の声がすぐそこ、目の前にある角から聞こえた。この先にいる。

 逃げようと思った。だが足が動かなかった。逃げるならもっと早く逃げるべきだったのだ。俺は選択を誤った。バッドエンド。

 

 角から影が見えた。大きい。想像以上に大きい影。

 鬼の濃密な雰囲気が角から一気に漏れ出す。

 

 

 

「――みつけたぁぁぁっぁぁぁぁ!!!」

 

 

 鬼は身長180cmを越える大男で、血走った目と膨れ上がった筋肉の固まりで……鬼以外の何物でもなかった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 そんな物が角から飛び出してきたから、俺は悲鳴をあげた。本日2回目の悲鳴。

 俺は思った。大学を出る前にトイレに行っておいてよかったと。もし行ってなかったら、誰得サービスシーンが展開されたであろう。

 そんな誰得サービスシーンが見たい危篤(誤字にあらず)な方いるなら、まあ……期待に応えていつか、な。

 

「見つけたぞ麦わらちゃん!……って違うじゃねえか!」

 

「うわぁぁぁぁ!……え?」

 

 鬼の声が聞き覚えのある声だったので、取りあえず叫ぶのを止めて鬼の姿を見た。

 180cm筋肉モリモリの大男、ピンク色のエプロン、片手に持った虫取り網、完全に禿げ上がった頭にハチマキ、鬼と見間違えるような恐ろしい顔。

 

 肉屋のオッサンだった。

 

 映画シャイニングの有名なシーンみたいな強烈な顔をしていたオッサンだが、俺の顔を見るなりその顔をしかめた。

 

「んだよ! てめえかよ。くっそ、こっちにいるような気がしてたんだけどなぁ」

 

 キョロキョロとあたりを見回すオッサン。

 俺は恐る恐る問いかけた。

 

「あ、あの……何やってるんすか?」

 

「ああ? 日課の大家ちゃまウォッチングの途中だよ。で、その途中で無茶苦茶可愛いロリを見つけたんでな、捕まえようとしてた」

 

 当たり前のように意味不明なことを言うオッサン。

 どうやら、麦わら少女のかくれんぼの相手はオッサンだったらしい。

 そりゃあんだけ震えるわ。

 

 しかし、聞き捨てならない言葉が一つ。

 

「……大家ちゃまウォッチング?」

 

「なんだてめえ知らねえのか? 俺達の星、いとしいあの人、永久幼女、至高天、黄金の幼女、幼精王オベイロリ――まあ呼び方は色々あるが、その大家ちゃんを視姦する楽しい楽しいレクリエーションのことだよ」

 

 なんだ、俺がいつもやってることか。

 

「非公式ファンクラブ【OOO(おっすおっす大家さん)】の規則で、アパートの敷地内に入れねえからな。出待ちしてんだが、今日は外れみたいでどうにも姿を見せてくれねえ。涙を呑んで帰ろうとしたら……麦わらちゃんが現れたんだよ!」

 

 オッサンの気合に入った呼びかけに、背後のゴミ箱が揺れた。

 

「いやぁ、俺としたことが大家ちゃまの近くにあんなすんばらしいロリがいたとは、気づかなかったぜ。あの子はいいぜぇ、纏ってる炉気がハンパねぇ。そんじょそこらのロリコンじゃ、視界に納めただけで精神的に去勢されちまう。10年に、いや100年に一人に逸材! まさか、この極東の片田舎にいるとは、仏様でも思うめえよ」

 

「仏様もそんなとこで引き合いに出されるとは思ってもいないだろうな」

 

 鼻息荒く語るおっさんには悪いが、俺は今すぐにこの場を去りたい。

 ロリロリ連呼するオッサンの近くにいたら、俺まで同種に思われる。

 

「つーわけでおい。麦わらちゃんを見なかったか? こっちに逃げたとはずなんだが……おっとどんな子が言ってなかったな。一言で表すなら――『L〇の夏号表紙を飾ってそうな田舎麦わら少女』って感じか」

 

 あまりにも酷すぎる例えだが、なるほどと納得してしまう俺がいた。

 

「で、どうなんだ?」

 

「いやぁー……」

 

 背後にあるゴミ箱からは、恐怖に震える少女の気配が漂ってくる。恐らく距離的に俺にしか聞こえないであろう、小さな小さな嗚咽も。

 ここはまあ、人として当たり前の行動をとるべきだろう。流石にここで少女を差し出すという外道にはなりたくない。

 

 だが、待てよ。オッサンの目的はなんだ? ただロリとお話がしたい、健全な遊びがしたい、年経た自分がロリと触れ合うことであの頃の思い出に浸りたい。そういう無垢な願いを抱いているならどうだろうか。

 見た感じ、人殺して店に並べるタイプのサイコパスに見えるオッサンだが、心は綺麗な宝石のように輝いているかもしれない。人は見かけで判断してはいけない。

 

 というわけで聞いてみることにした。

 

「ちなみに……その子を捕まえてどうするんです?」

 

「ん? まあ……そうだな。取りあえず家にお持ち帰りしてスモック(園児の服)を着せた後――」

 

「あ、もういいです」

 

 完全にyesロリータyesタッチの人じゃねえか。

 執行対象待ったなしのサイコパス……!

 何故ポリスはこの男を放置している……! 俺の職質してる暇あったら、まずこのオッサンを豚箱にぶち込んで欲しい……! 俺のたった一つの望み……!

 

 当初の目的通り、少女を助けることにした。

 俺が今まで歩いてきた道を指さす。

 

「あー、そういえばそれっぽい女の子とすれ違った気がしますね」

 

「あっちか?」

 

「はい」

 

「そうかそうか。じゃさっさと追いかけるぜ!」

 

 オッサンが大股で俺がさした方向に歩いて行く。背後のゴミ箱から安堵の溜息を感じた。

 

 と、数歩歩いたところでオッサンが立ち止まる。

 

「そういえば言い忘れてたんだけどな」

 

 背を向けたままで語るオッサン。

 

「可愛いロリには特有の空気、つーかオーラか? そういうもんがあるんだよ。俺はそれを炉気って呼んでんだよ」

 

 女子力みたいなもんか? 

 

「で、俺レベルの猛者になるとその炉気を感じ取ることができる。自慢じゃねえが、30メートル内なら家の中にいようが完全に一人一人識別できる」

 

「本当に自慢になってない……」

 

「ちょっと離れたところにデカい炉気が一つ――これは大家ちゃまだな。で、だ。すぐ近くから薄い炉気――これはお前だ坊主。何で男のお前から炉気を感じるか……これはまあいい。尋常じゃないほど濃い時もあるし、今日みたいに薄い日もある。前々から疑問だったが……大家ちゃまの近くに住んでるから、その炉気が身体に染みついてるのかもしれねえな、すっげえ羨ましいなおい!」

 

 なおも背を向けたままのオッサン。

 

「いや、オッサンのスカウター特技自慢はいいから。何が言いたいんだよ? さっさとオッサン目的のロリを追いかけたらどうだ?」

 

「ああ、悪い悪い。じゃあ率直に言うぜ?」

 

 オッサンが振り返る。

 その顔は――捕食者の眼。獲物を前にした獣の表情。

 

「てめえの後ろにあるゴミ箱……怪しいよなぁ、おい。炉気がそこら辺から漂ってくるんだよなぁ。かなり小さめのゴミ箱だが、小さな女の子くらいだったら隠れられるんじゃねぇか?」

 

「え、エ〇パー伊藤だっていけると思うよ?」

 

「いいからどけ! そのゴミ箱からぷんぷん匂ってくるんだよっ! ゴミの匂いじゃとても隠しきれない、ロリ特有の匂い――炉臭がなぁ!」

 

 ずかずかと筋肉の固まりが俺に迫ってくる。思わず道大名行列を前にした農民のように道を空けそうになるが、そうすると後ろの少女がエライことになってしまう。

 

「ちょ、ちょっとオッサン。一回待とう! 落ち着いてくれ!」

 

「いや待たねえぜ! 邪魔をすんならてめえでも……つーか、今の炉気の薄いてめえだったら躊躇いなくぶっ飛ばすぜ?」

 

 オッサンの目はマジだった。マジで俺を排除するつもりだ。

 オッサンは強い。そしてロリを前にしていることで、パッシブスキル【ロリコン】が発動し、身体能力も上がってるだろう。なんだったら、大家さんが住んでるアパートの近くということで、地形効果の補正も受けてるかもしれない。

 

 オッサンを止められるか? ……無理だ。というより、平時で不意打ち武器アリという条件付きでも勝てる気がしない。

 だからといってここで退けば、少女に一生残るトラウマを植えつけてしまう。

 多感な時期に刻まれたトラウマは、人間の成長を著しく阻害する。俺のように。

 

 考えろ。オッサンを止めて少女を助ける方法を……! 他に助けを呼ぶ暇なんてない。

 何か、何かないか……!? 

 

 瞬間、俺の脳内に閃くものがあった。

 鞄に手を突っ込み、遠藤寺から譲り受けた飴の瓶を取り出す。

 

「――オッサン! 飴を! 飴でも食べないか!?」

 

「飴なんていらねえよ夏! 悪いが今から飴なんかより、もっと甘いもんを戴く予定なんでなぁ!」

 

「いや、この飴は……お、大家さんが口の中でコロコロしたやつなんだ」

 

 バカか俺は! そんな見え透いたっつーかありえないウソに引っかかるわけが――

 

「なんだとっ!? その瓶の中全部か!? 集めたのか!? おまえとんでもない変態だな! やるじゃねえか!」

 

 引っかかった挙句に褒められたぞ。

 オッサンは鼻息を荒くして、俺が差し出した瓶を見つめている。

 

「何回だ!? 何回コロコロした飴だ!?」

 

「え、何回? えっと……8回、くらい?」

 

「8kr!? 8krだとッ!? 8KrつったらSSクラスに相当するブツじゃねーか!?」

 

 オッサンが謎の単位と謎の階級を叫んだ。

 

「くれっ! 何でもするから! お前のことこれから『お兄ちゃん』って呼んでやってもいいから!」

 

「やだよ! 何そのlose-loseな提案!? 誰も得しないだろ! い、いーよ。何もいらないからあげるよ」

 

「お前本当にいい奴だなぁ! うっひょお! 頂きマース!」

 

 オッサンは俺の手から瓶を奪い取り、風呂上りの牛乳を飲む勢いで瓶の中身をひっくり返した。

 錠剤がざらざら音を立ててオッサンの口に流れ込む。

 

「大家ちゃまの8krキャンディーマジデミゴッドデリシャスだよぉぉぉぉっぉぉぉ――う……ぐぅ」

 

 そして昏倒した。崖から巨大な岩を落としたような、重々しい音が住宅街に響いた。

 地響きのような鼾を鳴らすオッサンは、それはもう幸せな寝顔をしていた。

 

 先程までオッサンが持っていた瓶を見る。空っぽになっていた。

 食堂で1錠服用した学生が眠った時間から計算して、80錠近く服用したオッサンは一体どれくらいの間……まあいいか。

 

「いい夢見ろよ」

 

 オッサンを道の端に寄せ、ゴミ箱に近づく。蓋を空けた。

 

「……」

 

 少女は気絶していた。オッサンが発するプレッシャーに耐えられなかったのだろう。

 俺はごみ箱から少女を抱え上げた。軽い。少女の柔らかさと特有の甘い香りが……いや臭いわ。マジで臭いわこいつ。ゴミの臭い凄いわ。

 

 ゴミの臭いが染み付いたヒロインって需要あるのだろうか。

 まあ、ゲロ吐くヒロインが増えてきたり、主人公の家燃やすヒロインが存在するくらいだから、そういうヒロインもアリなのかもしれない。

 

 少女を抱えアパートに戻りながら、そんなことを考えた。

 

 あとはこの姿を近所の人間に目撃されないことを願う。

 

■■■

 

 

 少女を送り届け、ゴミ臭い理由を説明していたら、すっかり夕方になってしまった。

 

「はぁ、結局今日もダメだったか……」

 

 俺はアパートの扉前で肩を落とした。

 少女を助けたのはいいが、結果的に薬を全て失ってしまった。

 これでエリザの寝顔を見る手段はなくなった。完全に八方塞がりだ。

 

 ここまでエリザの寝顔を見る手段が失敗するのは何らかの意志すら感じる。もしくはここはエリザの寝顔を見ることができない世界線なのか? 

 どう足掻いても失敗する……俺はただエリザの寝顔を見たいだけなのに。

 

 ただエリザの可愛らしい寝顔を見て、できるなら寝起きの言葉でも寝言でもいいから、彼女の本音を聞きたかっただけなのだ。

 彼女が俺の側にいる本当に理由を。

 

 初めて彼女が俺の目の前に現れたあの日、彼女は俺を世話する理由を『俺が好きだから』と言った。

 それから結構な時間が経ったが、今でもあの言葉が本当だったかどうか俺には分からない。

 

 だって俺だぞ。俺なんかを好きになる人間……いや幽霊か。そんな存在が本当にいるのか?

 何も誇れるものを持っていない、どこにでもいる『冴えない僕』それが俺だ。人の記憶に残らないモブ、その他。実際中学生、高校生と俺のことを覚えている人間がどれくらいいるだろうか。

 ……いや、中学時代に関しては別だな。覚えてるだけなら、結構な数がいるはずだ。

 

 そんな俺を好きだというエリザ。

 あの日以来『好きだから』という言葉について、今日まで深く触れたことはない。

 だが、そろそろはっきりさせておくべきだ。

 彼女との生活をこれからも続けるのなら、彼女の本当の意思を聞かなければならない。

 

 例え今までの俺に向ける好意が全て演技だったとしても。

 

 まあ正面から『お前本当はどう思ってるの? 俺のこと好きとか嘘っしょ。ハーン?』なんて聞けないチキンだから、こうして回りくどすぎる方法をとっているわけだが。

 

「まあ、また別の方法を考えるか」

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 扉を開け六畳あるマイルームに入ると、窓から入ってくる夕日が体を覆った。その眩しさに思わず目を逸らす。

 

 

 カーテンを閉めようと窓に近づいていくと――窓のすぐ下、少し乱れた布団に横たわるエリザがいた。

 

 

 猫のように体を丸め、穏やかな寝息をたてる少女。窓から差したオレンジの夕日がスポットライトのように彼女を照らしていた。スポットライトに照らされた舞台の上で眠る少女。舞台の下から眺める俺。

 

 綺麗な光景だ。

 

 真夜中の美術館にひっそり飾られる絵画。誰にも触れられていない天然の宝石。生まれて初めて見た雪。

 美しさを例えようと出てきた言葉の数々がどれも陳腐に思える。

 

 剥き出しになった心に嵐のような感情が吹き荒れた。

 

「――」

 

 言葉を失った。綺麗なものがそこにあった。

 日常にある些細な光景の筈なのに、現実感を感じさせない。

 

 そんな光景が自分の部屋にあり、目の前に存在することを未だ信じることができない。

 

 時間にして5分ほど、体感的にはその何十倍にも感じた時間俺は立ち尽くし、エリザが覚醒する余波を感じた。

 

「……んぅ」

 

 小さな唇から靄のような吐息が紡がれ、追従するようにエリザの小さな体が布団の上をごそごそと無軌道に動いた。

 布団との摩擦で青いスカートが捲れ、シミひとつない白い太腿が露わになった。

 

「……ふわぁー」

 

 気怠げに体を起こしながら、夕日が眩しいのか目をくしくし擦る。

 寝起き特有の緩慢な動作で布団の上に正座となり、ゆっくりと目を開いた。焦点の定まらない青い瞳が部屋のあちこちを飛び回る。そして目の前にいた俺を捉えた。夕日とは違う、眩しいものを見るように目が細まった。口がへにゃりと未完成の笑顔を浮かべた。

 

「辰巳くんだぁ……」

 

 エリザは覚醒しきっていない、とろんとした眠気の残った声で呟いた。普段の聞いていて心地いいハキハキした声とは違う、泡がぽつぽつ弾けるような不安定な声。

 

「えへへぇ……」

 

 エリザは四つ這いのまま、ふらふらとこちらに近づいてくる。サリサリと膝が畳を擦る音。うっすらと赤くなる膝小僧。

 そのまま俺の足元までやってきて、胴の辺りに抱きついてきた。

 

 決して重くはない圧力が体にかかり、場の流れに任せるように尻もちをついた。

 

「たつみくんだぁ……いい匂いがするー」

 

 あぐらで座る形となった俺の首元に手が回される。必然的にすっぽりと密着するエリザの体。

 

「すきなんだぁ……。こうやって起きてすぐに辰巳くんの体をギュッとするの、すごいすきなのー……」

 

 眠気が覚めるにつれて聞き取りやすくなる言葉。

 エリザが頭を俺の心臓の辺りにぐしぐし擦り付けてくる。

 

「……だいすき。わたしね、今人生で一番幸せなの。大好きな辰巳くんのお世話をして、一緒にご飯を食べて、毎日行ってらっしゃいとお帰りなさいをするの。ぜーんぶね、わたしの人生になかったもの、今は全部あって……嬉しくて幸せ。いつ死んでもいいくらい幸せぇ」

 

 俺の心臓に語りかけてくる言葉。人の嘘に敏感な俺が……いや誰が聞いても嘘偽りない本当の言葉。演技ではありえない言葉が心に染み込んでくる。

 

「わたしね、辰巳君のこと――」

 

 次の来る言葉が分かってしまった。

 

「大好き」

 

 心のすぐ側で囁かれるその言葉。純粋な、ただ好意だけで作られたその言葉が俺の心を揺さぶる。

 

「大好きだから側にいたい。ずっとずっと一緒にいたいの」

 

 覚醒しきったのか、それともまだ眠気があるのか、エリザが話す言葉には熱が伴っていた。吐息の熱と言葉の熱。

 あの日、初めてエリザの姿を認識したあの日と同じ言葉。あの時は混乱からか流してしまった言葉を、しっかりと受け止める。本気で俺のことを好きと言ってくれているこの言葉を。

 エリザは最初から本当のことしか言っていなかった。

 変わっていない。初めて見たあの日から、今日までエリザはずっとエリザのままだった。 

 

「辰巳君は? わたしのこと……迷惑じゃない? わたしのこと……好き?」

 

 俺の顔を見上げながら言っているからだろうか、不安の感情が混じった言葉が伴う熱が俺の顎辺りを撫ぜた。

 

「俺は……」

 

 こんなに可愛くて優しい少女に好意を向けられる、幸せで当然だ。幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。

 

 涙が出そうになる。

 こんな俺を打算抜きで好きと言ってくれる存在。今までの人生にはなかったもの。

 今日まで心の片隅で抱いていた彼女への小さな不信感が霧散した。

 

 彼女と過ごした今日までの日々は、とても楽しかった。自分のことを肯定してくれる存在がすぐ側にある日々が、こんなにも安らかで心満たされるものだとは思わなかった。

 好きにならないはずがない。

 好きには家族とか恋人とか友人とか色々な種類があって、俺が抱いているそれがどんなものかは分からないし、エリザが俺に向けているものと同じか分からないけど、好きであることに違いはなかった。

 

 伝えなければならない。エリザの顔を真っ直ぐ見て、言葉だけじゃなくて心まで伝えるべきだ。そう思った。

 

 俺は視線をすぐ下に向け、エリザの顔を見て言葉を伝えようと――

 

 

 

 

『嬉しいな。私も一之瀬君のこと、好きだったんだ』

 

 

 

 

 

 ――したが、できなかった。

 

 先程までエリザの温かい言葉に包まれていた心から、染み出るように湧いて出てきた過去の言葉が俺の体を硬直させた。

 エリザの顔を見ることができない。好きだと言ってくれたエリザの顔を――見ることができない。エリザの顔を見て好きだといえない。

 だって、あの時みたいにエリザの顔が、好きだと言ってくれた顔が、今のエリザの顔があの時の彼女と同じだったら。

 

「辰巳君?」

 

「あ……ああ。俺もその、エリザのこと好きだ。好きって言っても……ほら、まあ色々あるけど」

 

「ほんとに? 辰巳君もわたしのこと好き?」

 

 俺が彼女の向けた言葉は本物だ。ただ顔を見て言わなかっただけ。

 そしてその言葉はしっかりとエリザに伝わったようだ。 

 

「辰巳くんも幸せ? そっか……そうなんだぁ……。よかったぁ……。えへ、えへへっ……嬉しいなぁ」

 

 ギュッと俺を抱きしめながら、堪えきれない幸せを噛みしめるようにつぶやくエリザ。

 

 結局、俺は最後までエリザの顔を見ることができなかった。きっと幸せな笑顔を浮かべていたであろう、エリザの顔を。

 

 だから気付かなかったのだ。心の底から幸せに浸っているエリザに起こっていた些細な変化に、気づく事ができなかった。

 

 後悔はいつだって取り返しのつかない段階になってから、目の前に現れる。

 そして代償を求めてくるのだ。重い代償を。

 いつだってそうだったし、これからもそうなんだろう。

 

 この日の後悔に対する代償を払うのは、もう少し先の話だ。

 いつも通りどうしようもなくなったその時。

 蝉の鳴き声が煩わしい、夏の日。

 

 エリザが消えてしまう、その時だった。

 


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