家賃1万円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回   作:ウサギとくま

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縮地四天王第三の刺客――仮面雅夫(雅夫は改造人間である。車に轢かれた彼は謎の組織の手で蘇り薬漬けによる洗脳の結果、悪の組織と戦うヒーローとなったのだ)

 

「ボクは調べ物があるから図書室に行くけど、君はどうする?」

 

 右手で持った俺の変顔アップを待ち受けにしたスマホを満足そうに眺めつつ、反対の手に持ったハンカチで優雅に口を拭う遠藤寺。

 昼食を食べ終わり、現在の時刻は12時30分。

 今日の授業はもう無いし、どうせだから遠藤寺に付き添って図書室で○ラックジャックでも読もう。それか、○ッコケ三人組でもいいかな。 

 

 そういうわけで、遠藤寺と一緒に図書室へ向かう。

 道中、他の生徒からの視線を浴びる。遠藤寺と一緒に過ごして長いし、こういった視線にも慣れた。

 視線に含まれる言葉だって感じ取れる。『あ、アイツだ』『なにあの格好?』大きく分けてこの2種類。前者は遠藤寺を見たことがある人間、後者は初めて遠藤寺を見た人間の視線だ。その視線の数々は容赦なく遠藤寺に降り注ぐが、遠藤寺が気にした様子はない。気品を感じさせる歩みは決してぶれることはない。ちなみに俺に向けられる視線は……ない。遠藤寺が目立ちすぎるせいで、俺という存在は完全に影になっているからだ。もしかしたら突然全裸になったとしても、誰も俺に気づかないかもしれない。……ん、閃いた。この現象を『幻のシックスマン』現象と名づけよう。この現象を利用すれば――みたいなことを考えていると、何かに手を引かれた。

 

「ほら、何をぼんやりしてるんだい? 時間は有限なんだ」

 

 そう言って俺の手を引く遠藤寺。遠藤寺に手を握られるにも慣れたものだ。遠藤寺も慣れた様子で……あ、ちょっと顔赤い。

 

 図書室に向かって歩いていると、途中俺が所属しているサークル『闇探求セシ慟哭』の部室の前を通った。

 そうだ。デス子先輩に挨拶でもして行こうかな。

 せっかく遠藤寺も一緒にいることだし、先輩を紹介してもいいかもしれない。

 遠藤寺ってば、俺以外に友達いないからな。ここらで一つ、友好関係を広げてもいいかもしれない。

 先輩なら遠藤寺のいい友人になれそうだ。

 2人とも変人……いや、ちょっと変わってるし、相性はいいだろ。

 

 部室扉の前で急に立ち止まった俺に、手を引いていた遠藤寺が若干つんのめった。

 

「こんな所で立ち止まってどうしたんだい? 次の講義が始めるまでそんなに時間は無いんだ。早く行かないか?」

 

 そう言って手をグイグイ引いてくる遠藤寺。

 その勢いを利用して遠藤寺の体を押し倒し『こ、これは事故だ!』と無実を証明したい欲望に駆られたが、今は遠藤寺に先輩を紹介する方が重要だ。

 

「ここさ、俺が所属してるサークルの部室なんだよ」

 

「……サークル?」

 

 詳しくは話していないが、俺がサークルに入っていることは遠藤寺に説明している。

 俺が取ってない講義を遠藤寺が取っている時、俺は手持ち無沙汰になる。1人で時間を潰すことになる俺に対して遠藤寺が気を遣ってくるのでそういう時に、サークルの部室で暇を潰してくると言っているのだ。

 

「サークルというのは……君がたまに言っている……あの?」

 

「そうそう。お前が講義受けてる間、ここで時間潰してるんだぜ」

 

 なんせいつ行っても先輩がいる。

 少なくとも俺がここを訪ねて、先輩がいなかったことがない。

 ……先輩、授業とか受けてるのか?

 

「……そ、そうか。なるほど……ふむ」

 

 何故か表情に気まずいものを浮かべ、俺の顔と部室の扉を交互に見る遠藤寺。

 妙な反応だ。

 

「え、なにその反応?」

 

「いや……その、な、何でもないさ」

 

「明らかに何でもある反応だろ。言えよ」

 

 遠藤寺は申し訳なさそうな顔で口を開いた。

 

「その……本当に実在していたんだなぁと、そう思って」

 

「は? どゆこと?」

 

「てっきりボクと離れて一人孤独な時間を過ごすだろう君が、ボクに心配をかけさせないように作った架空のサークルだとばっかり……」

 

 なに? つまり遠藤寺の中では、俺って『遠藤寺が講義受けてる間、ちょっとサークル行ってくるわ』とか言いながら、一人寂しく時間を潰してた可哀そうな子になってたわけ? クビになったサラリーマンが出社するフリして公園でブランコをキコキコしてるが如く? 

 あ、だからいつもその後で合流した時、妙に優しくしてくれてたんだ。へー、些細な疑問が解☆決!(横ピース)

 

 何勝手に勘違いしたうえ、人を哀れんでくれてるんですかね。

 この女、マジでどうしてくれようか。その界隈(主にインターネット)では『ナチュラルボーンカッター』と呼ばれた俺のアイコラ技術でアレしてやろうか。

 

「……う。そんな目で見ないでくれ。勝手に勘違いして申し訳ないと思っているよ。それに正直、ボクと一緒にいない時の君に居場所があって安心してたよ」

 

 誤魔化しているわけでもなく、心の底から俺を案じた言葉。

 うっわ。コイツマジでずるいわ。そうやって人のことディスった後に案じてくるとか……まあ嬉しいですけどね。ありがとね。

 

「で、その部室の前で立ち止まってどうしたんだい?」

 

「サークルでいつもお世話になってる先輩がいるんだけど、ちょっと遠藤寺に紹介でもしようかなぁって」

 

「紹介?」

 

 首を傾げる遠藤寺。

 

「うん。その人、デス子先輩っていうんだけどな。結構変わってるけど、世話焼きで優しいし、あと結構変わってるしお前と合うと思うんだ。変わってる人だけど、実際付き合ってみると面白いし」

 

「……君がボクをどう思ってるか今一度問いかけたくなる紹介ありがとう。ふむ。もしかしてだけど君、ボクに友達を紹介しようとしているのかな?」

 

 話が早い。

 遠藤寺は博識だ。様々な方面の知識と情報を持っている。

 遠藤寺は友達ができるし、都市伝説とかの情報を求めてる先輩には情報源ができる。これぞwin-winだ。

 そして俺は可愛い女の子同士がキャッキャウフフする百合の花満開な光景を目にすることができる。最高だ。

 もしかすると2人が仲良くなりすぎて、俺を置いて買い物に行ったり遊びに行ったりするかもしれないけど……それはそれで。その光景を隠れながらこっそり眺めるっていう若干NTR要素を含んだ願望も満たされるし。やべーな、いいとこだらけじゃん。俺人生の勝ち組だわ。最早優勝だわ。

 

「……正直あまり気乗りがしないな」

 

「え?」

 

 俺の邪悪な展開を見破られたのか?

 いやいや、俺のポーカーフェイスは完璧なはず。どこからどう見ても、助兵衛心なんて微塵も無い、友達の輪を広げたいだけの人畜無害青年って顔のはず。

 

「友達、ね。そもそもその『友達』という存在自体、ボクの人生には無縁の物だったんだ。ボクはこんな……君の言葉を借りるなら、変わり者だろう? そんなボクに世間一般の『友達』という存在なんて縁が無いと、物心ついたときには思っていた。今の今になるまでね。君がこうして目の前に現れるまで、こうやって心を許して、何の利害もない会話を交わせる相手が現れるなんて思っても居なかった」

 

 遠藤寺は俺の顔を見ながら続けた。

 

「つまり君はイレギュラーなんだ。ボクの人生にとってはね。本来、ボクが歩む人生には決して関わるはずの無かったファクター、それが君なんだ」

 

 つまり俺はイレギュラー(例外)ってことか?

 や、やめてくれよ……。そんなイレギュラーだとかファクター(因子)とかシンギュラリティ(特異点)だとか言われたら再燃しちゃうだろ!

 ブラックヒストリー(黒歴史)という名の闇からいっぱい引っ張りだしたくなっちゃうじゃん! この歳で右手が疼きだしたらどうしてくれんの? 当然の流れで右手に包帯とか巻いて『怪我でもしたのかい? じゃ、じゃあボクが……君の右手の代わりになろうかな』みたいなこと言ってくれるの? 遠藤寺の日々? 防御もお願いできるのか? 

 落ち着け俺、中二病は先輩だけで十分だ。

 

「何が言いたいかって言うと……うん、そうだね。十分なんだよ。ボクの人生で『友達』という枠は君で一杯なんだ。これ以上増えることはない」

 

 世界に1人だけの友人認定されて、嬉しいっちゃあ嬉しいけども。

 はいそうですかって引き下がれるほど、俺の計画――YMO作戦、つまり『Y(百合の花を)M(愛でる)O(オペレーション)作戦』は甘くないぜ!

 こんな風に断られる可能性も作戦の内。

 

「そうか……」

 

「そういうことだ。ボクのことを想って提案してくれた君には悪いけどね。……うん、ボクのことを考えてくれたことは、その……とても嬉しいよ」

 

 照れているのか、若干頬を染めながら言う遠藤寺。

 普通の人間だったら、こういう時恥ずかしくて相手の顔なんて見られないはずだろうけど、遠藤寺はガッツリ見ながら言ってくる。

 まあ、俺は普通の人間だから、そんな遠藤寺の視線向けられたら恥ずかしくて顔を逸らすわけですけど。

 

「……んんっ。分かった、遠藤寺の言葉はよく分かった。だがお前は勘違いしている」

 

「勘違い?」

 

「そうだ。お前は『友人』という枠は一つで十分、そう言ったな?」

 

「ああ、言ったよ」

 

 よし言質は取れたぜ。今の言葉が遠藤寺の堅牢な城壁を崩す最強の矛となる。

 遠藤寺は言った。友人は1人だけ、と。

 つまりその枠から俺が外れれば、その枠は空くということだ。

 

「なぁ遠藤寺……」

 

 俺は遠藤寺に近づいて、馴れ馴れしく肩を抱いた。

 一瞬遠藤寺の体がビクリと震えたが、今日までこんな風に身体的に距離が近づいたことは何度でもある。

 出会った頃なら、突き飛ばされていただろうけど、今は慣れたものだ。実際飲みに行ったときとか、最初は机を挟んで正面同士で座ってるけど、いつの間にか隣に座ってほぼ密着して飲んでるしな。

 

「……ち、近いな君。一体なんだい? その……ここはいつ人の目が来るか分からないし、できればこういうのは2人だけの時に……」

 

「俺とお前って友達か?」

 

「なんだい薮から棒に。その筈だろう?」

 

「そうか。俺は違うと思ってる」

 

「……んん? そ、それはつまり……その、友達以上、と。そういうことかな?」

 

「……」

 

 俺は答えなかった。言葉は必要ないからだ。

 俺の沈黙を是と受け取ったのか、遠藤寺は表情こそ冷静そのものだが、口をわずかに震わせていた。

 しかし、コイツめっちゃええ匂いするわ。甘味値高めの果物みたいな匂い……苺みたいな。思わず練乳ぶっかけたくなるわ。今日は黒一色にゴスロルファッションだし、練乳の白が映えるだろう。だが残念ながら手持ちの練乳はない……残念だ。今度からチューブの練乳携帯しとこ。

 

「……ここだけの話、その……ボクも、そう思っていたよ。確かにボクと君の関係を表すに『友人』という言葉は不相応じゃないかと、そう思っていた。まさか君の方からそういった話が出るとは思っていなかったけど」

 

 なるほど。遠藤寺もそう思っていたなら、話が早い。

 

「色々考えてはいたんだが、ボクと君を繋ぐ関係として近いのは……あ、あくまで近い関係だけど。それは、世間一般で言う、こ――」

 

「『親友』」

 

 そう親友だ。

 ここらでハッキリさせておこう。俺と遠藤寺の関係は友人以上親友イカの辺りをフワフワしていた。

 俺は遠藤寺のことを唯一無二の親友だと思っていたし、遠藤寺も俺を呼ぶときは『親友』と呼んでいた。

 だがハッキリと親友の関係にあったか、そう言われると疑問だ。

 そもそも友人と親友の違いは何かという話だが、そんなのは分からない。恐らく誰にも。

 だからこそ、ここら辺でハッキリと言葉にしておくことが必要だと思った

 俺と遠藤寺は親友。

 

「……親友?」

 

「そう、親友だ」

 

「も、もう一声……はないのかな?」

 

「は?」

 

 何を言ってるんだこいつは。親友の上ってなんだよ。義兄弟とか? 

 いや、流石にそこまでは……まだ早い……よ。

 

 遠藤寺は何か言いたそうに『いや、その……』『もっと、こう……』『その、なんだ』みたいな短めな言葉を口をパクパクさせながら呟いた。

 だが、それがハッキリと言葉になることはなかった。なので続ける。

 

「親友だろ、俺とお前。違うか?」

 

 ここでもし『は? 何を言っているんだ君は? 親友? バカバカしい。ボクは君のことを辛うじて友人としか思っていないよ。それを親友? 君それはちょっと図々しいだろう。厚かましい。いっぺん死んでみる?』なんて言われたら、ショックのあまり自作のポエムをネットに流出して憤死する。死んで地獄行って可愛い鬼の子と恋人になってから浮気して嫉妬に狂った鬼の子に電流を流されるっちゃ!

 

「……ああ、そうだね。親友、うん。ボクと君の関係性はそれだね。うん、ボクもそう思っていたよ」

 

「本当に? 何かあんまり納得してない感じだけど」

 

「いや、そんなことはないよ。……はぁ」

 

「ため息出てるけど」

 

「出てないよ。……はぁぁ」

 

 おかしいな。ここは『親友――なんて素敵な響きだ』みたいに感動する場面なんだけど。

 滅茶苦茶ため息吐いてるし、拍子抜けした顔してるし。

 

 ま、まあいい。俺と遠藤寺は親友。問題はここからだ。

 

「で、俺と遠藤寺は親友だ」

 

「そうだね。……はぁ」

 

「ため息やめて。で、そうなると空くよな」

 

「空くって何が?」

 

「遠藤寺の中の『友人』枠だよ。言ったよな、友人枠は1人で十分って。今お前の中の友人枠は空っぽ、つまり誰かを受け入れる余裕があるってわけだ」

 

 そう、これこそが俺の対抗策だ。

 友人枠は無いなら友人枠を作ればいい。

 

「……いや、あくまでアレは比喩的に言ったわけで……いや、まあいいか」

 

「と、いうことは?」

 

「分かった。君が言ってるその先輩、紹介されるよ。君がそこまで会ってほしいとそう言うなら、会うよ。君の顔を立てると思ってね」

 

「やったぜ」

 

 YMO作戦第一段階成功!

 遠藤寺が諦めたような表情なのは気になるけど、とにかく上手くいったぞ。

 

「ちなみにそのデス子先輩とやら、あくまで女性のような呼び方はあだ名で、実際は男性だったり……」

 

「いや、女性だけど」

 

「……そうか。だったら、なおさら会っておくべきだね」

 

 というわけで、遠藤寺を紹介しようと部室に入ろうとしたが……部屋の扉には鍵がかかっていた。

 部屋の中に気配も無いので不思議に思っていると、扉の隙間には一通の便箋が挟まっていた。

 

『一ノ瀬後輩へ』

 

 と書かれた便箋。この大学で俺のことを後輩と呼ぶ人間はデス子先輩だけだ。

 これは先輩から俺に宛てられた手紙だろう。

 つーか先輩って、結構……字が下手なんだな。何つーか、普通に下手。読めないってことはないけど。

 

『我が親愛なる闇の同士――一ノ瀬後輩。この手紙を読んでいるということは、一ノ瀬後輩は我が闇探求セシ躯の本拠地に来たが、ワタシが不在だったということでしょう。ワタシは今、自宅にて休息をとっています。我が妹の戯れに付き合い町内を走ったことで人間でいうところの筋肉痛を患ったわけで……忌々しきは人間の体デス。ワタシが真の姿である『闇の躯』となれば肉の体を捨て魔力で構成されたアストラル体となりこのような痛みとは無縁になるのデスが……まだまだその日は先のようデス。つきましては当分の間、部室は閉鎖します。ワタシがいない間も、闇に生きる同士として決してサボることのないように。そしてどうしてもワタシに助言を求めたいことがあるのなら、電話を下さい。待ってます。基本的に朝の9時頃から夜中の3時頃までは大丈夫なので、好きな時にかけて下さい』

 

 と書いてあった。

 へー、先輩もランニングとかするんだ。ていうか筋肉痛で学校休むとかどんだけだよ。

 

「すまん。先輩今日はいないみたいだ」

 

「そうかい。少し残念だね。会ってみたかったんだけどね。……本当に残念だよ。」

 

 そう言う遠藤寺の顔は残念そうな表情ではあるけども、何かを企んでいるような闇を感じさせた。

 

 

 

■■■

 

 

 遠藤寺様の有難いダイエットアドバイスを戴いたその日の晩、風呂に入ってサッパリした俺とエリザは食卓に着いていた。

 ちなみに今日は汗を流す為、いつもより長湯だった。

 エリザが湯船の中で楽しそうにアヒル隊長と遊ぶ一方、俺はどうすればエリザに気づかれないようにお風呂のお湯をゴクゴク飲めるだろうかという難問に挑んでいた。エリザの汗がじっくり染み込んだお風呂の湯。当然俺の汗も染み込んでいるだろうが、俺なら自分の汗が溶けた部分は避けてエリザのお湯だけを飲むことができるという根拠のない自信に満ち溢れていた。そういった根拠のない自信が俺の原動力なのだ。

 

 さて、風呂が終われば次は夕食だ。

 風呂上りのいい匂いを振りまきながら、エプロンをフリフリしながら料理を作るエリザを見る。ガン見し過ぎると「恥ずかしいよー」と言って台所と六畳間の隔てる襖を閉じられてしまうので、こそこそ見る。テレビを見ながらチラリとエリザを見る。たまに視線が合う。エリザがはにかむ。可愛い。衝動的に金を払いたくなる可愛さだ。『いつも可愛くてありがとう。好きな物を買うんだよ』とか言いながらポケットに諭吉さんを捻じ込みたい。そしてそのお金を自分の為じゃなくて俺の為に使って欲しい。みたいなことを考えていると

 

「お待たせー。ご飯できたよー」

 

 とエリザがお盆を運んできた。てきぱきと食卓の上に夕食を並べていく。手伝おうとするも「だめー」と笑顔で拒否されるから、ただひたすら待つ。待てと命令された犬の如く。

 

 さて、今日の夕食だが――ラーメンだ。

 湯気を立てたどんぶりの中に麺が沈んでいる。その上にはもやしや海苔、あとは……めんまみーつけた。

 どこからどう見ても、普通のラーメンだ。

 

「これ、ラーメン?」

 

 俺はわずかな可能性にかけた。

 一見ラーメンに見えるが、これはそう……ラーメン以外の何物でもないな。

 

「そうだよー」

 

 やはりラーメンだった。

 ラーメンってかなり高カロリーだったような……。

 俺ダイエット中なんだけど。

 おかしいな。朝にエリザが『ダイエット用の食事は任せろー』って言ってたのに……。

 エリザを見る。

 

「熱いうちに食べてねー」

 

 ニコニコしていた。

 ここで『俺は遠慮しておきます』と言えるシタン先生がいたら、出てきてほしい。少なくとも俺は言えない。

 エリザのこの笑顔が悲しそうに歪むのを想像するだけで胃が痛くなるし、そもそも凄い旨そうだし、腹が減って我慢ができない。

 ……よし、明日からだ。明日から頑張ろう。今宵はラーメンを楽しもうじゃないか。

 そうと決まれば早速食べよう。鉄は熱い内に打て、ラーメンは熱い内の食えって言うしな。

 

「いただきます」

 

「どうぞー!」

 

 手を合わせて、箸を持つ。

 湯気を立てるどんぶりに箸を差し込み、ナルトやワカメ、メンマを避けるように麺を掬い上げる。

 掬い上げた麺をジッと見る。醤油ベースだろうか、香ばしい汁が麺に絡んでツヤツヤと輝いている。

 食欲を誘う見た目と匂い。

 腹の虫が辛抱たまらんと先ほどから胃の辺りをガンガン蹴り付けている。

 待て待て落ち着け。もう少し香りを楽しませてくれよ。

 

「えへへー」

 

 エリザは相変わらずニコニコしたままこちらを見ている。

 毎回のことだが、エリザは俺が最初の一口を食べるまでジッと見つめてくるのだ。

 本人曰く『趣味』とのこと。俺もエリザが家事をしているのを見るのが趣味だし、似た物同志かもしれない。

 しかし可愛い女の子が家事してるのを見るのは分かるけど、俺みたいな男が飯食うの見て何が楽しいのか。

 

 俺が麺を見つめていると、エリザが何かを思いついたかのように口を尖らせた。 

 

「フーフーした方がいい?」

 

 恐ろしいほど魅力的な提案をしてくるエリザだが、それをさせちゃうと唯でさえ底辺を走っている俺のクズっぷりが地下に潜りクズによるクズのためのクズだけの王国を建国しちまいそうなんで、さすがに遠慮した。未だ見ぬ国民たちには悪いが、俺はまだ辛うじて地上にいたい。

 

 掬い上げた麺を口に含み――一気に啜り上げる。

 口内に侵入してきた汁の絡んだ麺。それを咀嚼すると違和感を覚えた。

 妙に歯応えがある。噛み切るのに普通の麺より力を要する固さ。バリカタだとかモチモチだとかそんなもんじゃない、グニグニとした歯応え。

 ゆっくりと咀嚼し飲み込む。

 熱を持った麺が喉を滑り落ちていくのが心地よい。

 だが何だ今の感触は……?

 

「これは……一体……?」

 

 俺が問いかけると、エリザが「ふふーん」と満足げな笑みを浮かべて言った。

 

「こんにゃくだよー」

 

 こんにゃくだと?

 こんにゃく……アニメ化……うっ、頭が……。

 

 この弾力ある感触――そうかこんにゃくか!

 確かに言われて見ればそうだ。言われてから気づいたが、ほんのわずかにこんにゃく特有の生臭さを感じる。

 だが、それもコクのある醤油の匂いにかき消されて殆ど感じない。

 

 満足げな表情のエリザは続けた。

 

「ネットで調べて、作ったんだー。こんにゃくってすっごいカロリー控えめだからね! ダイエットに最適だよ。明日はこんにゃくのステーキ作るよ。他にもお刺身とか煮物とか色々できるし。えへへっ、こんにゃくって万能だね!」

 

 確かに。

 ラーメンにもなるしステーキにもなる。こんにゃくってスゴイ……俺は素直にそう思った。

 食べるだけじゃなくて翻訳したり異世界でクッションになったり、数多の可能性を感じる。それに切り目を入れればオ……いかんいかん、食べ物を粗末にしちゃいかんぞ。間違ってもカップラーメンにいい感じの穴を開けたり、片栗粉をチンしてXにしたり、アレをソレしちゃいけないぞ? 仮にエンジョイしたとしても、ちゃんと残さず食べること。一ノ瀬お兄さんとの約束だぞ。

 

 ラーメン特有のシコシコ感は無いものの、歯応えのある触感に珍しさもあってかこんにゃくラーメンは美味しく戴けた。

 デザートにコーヒーゼリーも出てきて、満腹になった。

 うん、エリザも頑張って食の面で俺をサポートしてくれているし、俺も自分にできることを頑張ろう。

 改めてそう決意し、明日からジョギングする旨をエリザに伝えた。

 

「おぉー、すごい辰巳君! やる気いっぱいだぁ! すごいすごい!」

 

 まだ実行してもいないのに、成し遂げたかのように拍手をしてくるエリザ。

 ここで「やっぱり止めた」と言うとエリザがどんな反応するかという悪戯心が沸いたが、それやっちゃうと間違いなくクズの地下帝国と魔王として君臨することになるから、その願望は地下帝国に作ったダンジョンの最奥に仕舞いこむことにした。

 

「で、明日は5時くらいに起こして欲しいんだけど」

 

「うん、分かった。ジャージとかタオル用意しておくねっ」

 

 ああ、そうか。走るんだったらジャージとかもいるんだよな。完全に失念してたわ。

 いそいそと箪笥からジャージやら何やらを取り出すエリザ。

 俺のだろう、青いジャージの上下を畳みの上に置く。

 続いて俺の物よりも随分小さい、ピンク色にジャージを取り出した。あれは大家さんから貰った服の中にあったジャージ。

 エリザはそのピンクのジャージと青いジャージを広げて、俺に見せてきた。

 

「ほら見てみてー。肩のところにね、辰巳君の大好きな鯖のワッペン付けてるんだ。お揃いだねー」

 

 鯖のワッペンが付いた俺のジャージと、小さいジャージの2着を交互に見せてくる。

 相変わらずエリザ手作りのワッペンはクオリティが高い。これで鯖だけに固執せずキャラ物とか作ればそこそこ稼げるんじゃないか?

 いや、それよりも何故小さいジャージを取り出したのか? しかもピンク。どっちか選べってことか? 無理だろ、パツンパツンとかそういうレベルじゃねーぞアレ。ゴンさんみたいになるぞ。

 

「辰巳君といっしょ~、いっしょにランニング~」

 

 が、俺の心配は見当違いだったようだ。

 どうもピンクのジャージはエリザの物らしい。一緒に来る気満々のようで、遠足前日の子供のような期待感に満ちた笑顔を浮かべながら、鼻歌を歌っている。

 俺は恐る恐る問いかけた。

 

「もしかしてエリザも来るつもり、だったり?」

 

「うんっ。……え? ダメ、なの?」

 

 俺の言葉に、EZS(遠足前日スマイル)から一転、TAS(当日雨でショック)な表情に移り変わる。

 そんな悲しげな表情で言われたら、無条件承認しちゃうぅぅぅぅぅ! 一緒においでって言っちゃうのおぉぉぉぉぉ!

 いかんいかん落ち着け俺。

 

 エリザが一緒に来るのはちょっとどうかと思う。

 何せエリザと来たら俺を甘やかすことにかけたら右に出る者はいないとこの界隈では有名だ。大家さんも最近グイグイ来てるとこの界隈では噂になっているが、エリザには適わない。キングオブ甘やかせ。それがエリザだ。

 そんなエリザが一緒となると……。

 少し試してみよう。

 

「あのさエリザ。今からちょっと質問するけど、答えてもらっていいか?」

 

「え? う、うん。何でも聞いてっ」

 

 俺に質問されるのが嬉しいのか、目をキラキラさせはにかむ。もし尻尾があれば、ぶんぶん暴れまわっているだろう。

 お、そういえば大家さんから貰った中に、猫耳と尻尾もあったっけ。美少女幽霊であるエリザに猫耳尻尾が加わったら……もう分かんねえなコレ。

 とにかく今はエリザへの質問だ。

 

「じゃあ第1問。えー……朝、俺に5時に起こして欲しいと言われたエリザは、そのとおり俺を起こそうとしました。ですが俺が起きる気配はなく『今日はいいや。明日にするわ……むにゃむにゃ』そう言いました。――どうする? はい、エリザさん」

 

「はい!」

 

 手を上げて元気に返事をするエリザ。

 予習をバッチリしてきた生徒の如く自信満々の表情だ。

 

「一緒に添い寝する!」

 

 はい、不正解ね。

 

「じゃあ第2問。ジャージに着替えた俺とエリザは、部屋から出ました。その日は珍しく朝から冷え込んでいました。俺は『寒い。少しも寒く無くないわ。よし家に帰ってぬくぬくしよう』そう言いました。どうするエリザ?」

 

「お部屋に帰って一緒のお布団に入って暖めてあげる!」

 

 お、ぶれないねー。全くもってぶれる気配がないねー。

 もうこの時点で不合格なんだけど、せっかくなので最後まで質問することにする。

 

「最後の問題です。俺とエリザはランニングを始めました。走って100メートルほどしてから俺は立ち止まり『疲れた、もう一歩も走れない。足が痛くて動かないんです! 足の骨が折れた……気がする! 帰ろう、帰ればまた来れる』そう言いました。どうする?」

 

「うん、帰ろう辰巳君! 帰ってお休みしよ? あ、わたしマッサージしてあげるね! それから――」

 

「はい終了」

 

 以上の質疑応答の結果から、エリザさんは誠に遺憾ではありますが、採用を見送らせていただくことになりました。貴殿の今後のご活躍と発展をお祈り申し上げます。

 この子、どんだけ俺を甘やかす気だよ。もう逆にどこまで甘やかしてくれるかお手並み拝見してみたい。甘やかされきって糖尿病になる未来が見える。それもそれでよし。

 平時だったら俺もどんどん甘やかされていきたいが、流石に今回に限ってはそうはいかない。今後の俺の進退がかかってるからな。

 

「というわけで、1人で行くから」

 

「えぇー!? な、なんで!?」

 

 先程のテストの結果でレギュラーを外されたのが不服な様子なエリザ。

 

「そもそも、誰か、つーか俺に触れてないと部屋出られないんだろ? どうするつもりだよ」

 

「え? えっと、それは……手を繋ぎながら、とか?」

 

『ダメ?』と可愛らしく首を傾げながら言うエリザ。

 当然ダメだ。手を繋ぎながらランニングとか……どこのバカップルだよ。もし俺がそんな奴らみたら率先して、間を突っ切るわ。

 

「とにかく悪いけどダメだ。エリザはアレだ。俺がクタクタに疲れて帰ってきても食べやすい朝食を用意しててくれ」

 

「……うぅ、分かった。一緒に行きたかったのに……クスン」

 

 戦力外通告をされ、落ち込むエリザを見て非常に心が痛む。

 だが、それでも。それでも! 男にはやらなきゃいけない時があるんだ。それが今なんだ。

 俺にとってやらなきゃいけない時、それが今なんだ。

 

 でもダンボールに捨てられた子犬のような目で、裾をチィチョイ引っ張ってくるエリザに負けそう。

 頑張れ俺。負けるな、力の限り生きていけ! 一ノ瀬辰巳!

 

 

 

■■■

 

 その日の夜、エリザを泣かせた罰が当たったのか、今世紀最悪の悪夢を見た。

 

『ガハハハハ!』

 

 肉屋のオッサンに監禁される夢だ。

 肉屋の地下に作られた秘密の地下室に捕えられた俺は、なんだか良く分からない歯車的なもの(奴隷が回してるやつ)を回す作業にひたすら従事させられた。床は一面、健康サンダルに生えている突起のようなものが敷き詰められており、健康に気を使っているのかそうじゃないのかよく分からない頭のおかしい場所だ。

 

『ガッハッハ! もっと回せぇ! 回して回して回しまくれぇ!』

 

 SM嬢がつけるような目を隠す蝶マスクを装着し、鞭で床をピシピシ叩くオッサン。

 少しでも休もうとするならオッサンの鞭……ではなく、舐め回すような視線が主に尻を中心に向けられた。

 その不快感から逃れるように、必死で歯車を回す。

 

『そうだぁ! 回すんだよ! 特に意味のないその歯車をひたすら回せい! ガハハハ!』 

 

 意味が分からなかった。せめてこの歯車に何かしらの意味があれば……いや、そういう問題じゃないか。

 一刻も早くこの悪夢から抜け出したい。だがそういう時に限って中々目が覚めない。いい夢の時はすぐに覚めるのに。不公平極まりない。

 

『あと100回まわしたらぁー――あんな所にレバーがありまぁす! 次はあの8つのレバーをひたすら上下するトカしないトカ! 特に意味はない! ゲッゲッゲ!』

 

 も、もう嫌だ……。何らかの手段で自害してでもこの場から逃げたい……。

 どうして俺がこんな目に……。

 あれか? 『カルマを貯めて地獄に行こう!』キャンペーンに見事当選しちゃったの? 送った記憶ないけど。

 俺ってそんなに罪深いか?

 

『さらにその次はここに用意したヒヨコ10000匹をオスとメスに分けるピヨォ! ちなみに全部オスだぁ! オッスオッス! ピヨヨヨヨ!』 

 

 殺してくれ……誰か俺を殺してくれ……。

 できれば優しく、できるなら豊満な胸で窒息死を……それが無理ならムッチリとした太ももで絞め殺すのでもいい……。とにかく何でもいいからこの場から速やかに開放してくれ……。

 

 かくして俺の願いが届いたのか――

 

「たつみくーん、起ーきーてー」

 

 と天から神々しくも身を委ねたい声が降り注ぎ、視界が真っ白に染まって行った。覚醒の時だ。

 俺はオッサンに向かって中指を立てつつ、その穏やかな覚醒に身を委ねたのだった。

 

『See you in your nightmare……』

 

 意味深な笑みを浮かべながらギースのような台詞を吐くオッサン。

 もう2度と悪夢は見たくないので、これからはエリザにもっと優しくしよう、そう思った。 

 

 

■■■

 

 悪夢から目を覚ました俺は天使と出会った。

 天使は枕の横、俺の頭のすぐ近くに右手をついて、真上から俺を覗き込んでいた。もう片方の手で髪をかきあげる仕草に、ちょっとドキっとした。

 

「あ、起きた? えへへ、おはよー辰巳君」

 

 視界いっぱいに広がる天使の顔。

 近い。俺がちょっと腹筋運動を行えば、チュッと行っちゃう距離だ。脳内国会では『キッスキッス!』という野次が飛ばされているが、俺の腹筋は障子並にペラペラソースなのでこれからビルドアップしたビルドバーニング辰巳に乞うご期待。

 

「起きないからチューしちゃうとこだったよ……なんちゃってっ」

 

 なんだ天使じゃなくてエリザか。やっぱ天使じゃん。エリザエルの天使っぷりに朝から浄化されそう。

 ゆっくりと布団から起き上がった俺だが、何だかいつもと違うことに気が付いた。

 いつもと違って起きた時に香る朝食の匂いがない。

 そして窓の外を見ると、真っ暗だった。まるで夜。

 

「……え? 今何時これ?」

 

「5時だよ」

 

「は?」

 

 時計を見る。時計の短針は5を指していた。マジらしい。

 現在時刻は朝の5時。普段8時ごろまで休む俺にとって未知の領域。未知の時間を見た。

 

「Acta est fabula」

 

 ショックのあまり、意味不明な詠唱を呟いてしまう。

 

「5時って……夜じゃん!」

 

「朝だよ?」

 

 きょとんと首をかしげるエリザ。

 何言ってるの?と純粋に問いかけてくる表情だ。

 問いかけたいのはこちらの方だ。何が好きでこんな朝早くに起きなきゃいけないのか。

 

 大学受験の勉強をしてる時でさえ、朝6時起床だったのに。 

 う、懐かしくも苦い記憶を思い出してしまった。

 

 大学受験の時、雪菜ちゃんによって朝6時に起きてみっちり勉強するスケジュールが立てられていたのだが、俺が時間通りに起きないでいると、雪菜ちゃんが枕元に立って『ど、れ、に、し、よ、う、か、な』と手に持ったハサミをシャキシャキ鳴らしながら、俺の愛するフィギュアたちを値踏みするのだ。愛するフィギュアたちへの危機感と純粋な恐怖で起こしに来る雪菜ちゃんなりの目覚ましらしいが……妹なら妹らしく、伝統を見習ってに騎乗位目覚まししてくれよ! したらしたで怖いけども!

 

 しかし、エリザは何故にこんな時間に俺を起こしたんだ?

 枕元を見るといつもの着替え……ではなくジャージ。

 そこでようやく、俺は目的を思いだした。

 今日からランニングを始めるのだ。

 

「……うぅ」

 

 いつもより3時間ほど早いだけなのに感じるこの倦怠感は何なんだろうか。

 今すぐに布団に潜り込んで惰眠を貪りたいという衝動が俺の全身を蝕んでいく。

 ああ、きっと今から2度寝したらさぞ気持ちいいだろうなぁ。

 誘惑に負けそうになる俺を押しとどめたのは……目の前にいるエリザだった。

 

 きっと俺がこのまま布団に戻ろうが、エリザは何ら変わらず俺を肯定してくれるだろう。

 だが、そんな情けない姿をエリザに見せたくない。そんな感情が俺を布団の誘惑から引き剥がした。

 ……今までバカみたいに情けない姿を見せておいて、遅いかもしれないけど。

 

「起きるわ」

 

「うん! 眠気覚ましに抹茶淹れてるからね。カフェインたっぷりで目が覚めるよー」

 

 朝から元気なエリザの声に背を押され、洗面台に向かった。

 顔を洗う朝6時の水は、それはもう冷たかった。

 


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