家賃1万円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回   作:ウサギとくま

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ジャスコまでワープ5回(ワープ1回につき、23万円)

 大学で遠藤寺と駄弁り、その日の残りの講義は出なくていいタイプの講義(テストの点さえ良ければ、出席しなくてもいい)だったので、早々に帰宅することにした。

 大学の門から駅まで真っ直ぐ伸びる下り坂の途中で脇道に入り、そのまま進むとそこそこ広い商店街だ。商店街のアーケードを抜けると住宅街がある。

 そのまま住宅街を3分ほど歩けば、俺が住んでいるアパート『一二三荘』がポツンと建っている。

 

 しかし大家さんには悪いが、相変わらずセンスの欠片もない名前だ。

 こんな名前じゃ通りがかった時「おっ、いい名前だ。ちょっと住んでくか」みたいなノリの住民は来ないだろう。

 

 俺みたいなヤングセンシスト(センス溢れる若者)が名づけるとしたら――『僕らはみんな楽し荘』これだな。

 なんかこう『俺らめっちゃ楽しいんすよwww』って感じの仲のいいサークルみたいな雰囲気、伝わってくるだろう?

 

 お、いいじゃんこれ。ちょっと大家さんに改名を勧めてみるか? あ、いや別に改名してから住民が増えたって金取ろうなんて思わないよ。ただ名前の由来を聞かれたとき『かつてこのアパートには才能溢るる若者が一人住んでおった……彼はあらゆるこの世の不義と戦い、常にこの世界の行く末を憂いておった。そんな彼が圧政を敷く君主に対し、その牙を食らいつかせるのは当然のことじゃったじゃろう……』みたいに始まる壮大なサーガで俺のことを語ってほしい。

 

 アパートの敷地内に入る。

 当然だが、朝方にアパートの前で集まって駄弁っていたマダム達は既にいなくなっていた。マダムもああ見えて忙しい。帰ってくる子供や亭主の為に夕食を作らないといけないからな。

 

 敷地内に入るとそこそこ大きな庭がある。

 この庭には大家さんの家庭菜園やら、製作者不明のブランコ、何が棲んでいるか不明な池が存在している。

 アパートの建物はぼろいが、俺はどことなく懐かしさを感じられるので好きだ。田舎のお婆ちゃん家のような安心感がある。

 

 そんな愛すべきアパートの庭に大家さんがいた。

 俺に背を向け、箒を懸命に動かしてる。この人は俺が見るとき、いつも箒で庭を掃いているんだけど、他に仕事とかしてるのだろうか。

 いや、そもそも大家さんの仕事ってなに?

 俺が昔プレイしたゲームじゃ、大家さんはアパートの住民を守る守護者的な存在だったわけだが。え、何のゲームかって? エロゲだよ。言わせんな恥ずかしい。

 

 大家さんは機嫌よく、鼻歌なんかを歌いながら箒をサクサク動かしていた。

 

「さっさっさー、お掃除お掃除楽しいですー。お掃除お掃除――えーい! やぁー! ――ふふふ、油断しましたね? ただ掃除をしていた、そう思い油断した貴方の負けです。これぞお掃除戦闘術――クリーンアーツ! ……あ、やっぱりクリーニングコマンド、の方がよかったでしょうか、うむむ」

 

 個人的には掃除殺法~箒ノ一~とかがいいと思いますねぇ。

 それにしてもか~わ~い~い。誰にも見られてないと思って自分の世界に入ってる大家さん、いやここは敢えておーやしゃん(こずぴぃっぽく。誰? ああ、俺の嫁)と呼ぼうか。

 箒を構え片足でピョコンと立っているポーズがクソ可愛い。

 

 あ、もしかして俺が部屋で電灯の紐相手にボクシングとかしてたのも、傍から見ればあんな感じだったのかな?

 あれ? でもその現場を妹に見られた時の妹の顔「……こういう人とは絶対結婚したくない」みたいな軽蔑顔だったんですけど……。

 俺と大家さん同じことをやっているのに、一体どこで差が付いたのか……。

 

 俺は複数に分割した思考の内の一つにその考察を任せ、そろそろと大家さんの背後から近づいた。

 このまま大家さんの二次性徴を迎えてないだろう小さな胸を鷲掴み『お~れだ』と囁く。大家さんは振り返って『やんっ、部屋まで待てないんですかっ?』って言うけど待てるわけねーだろうが! もう我慢できなぁい!(ゴリラっぽく) そんなイチャイチャができる仲になりたいんですけど、どうすればいいのか。ひたすらカブを貢いで好感度を上げるしかないのか。

 

 今の好感度で胸なんか鷲掴みしたら、恐らく速攻でポリンスメンが来ちゃうだろう。

 今の好感度できるコミニュケーションを実行することにした。 

俺は大家さんの頭頂部が見える辺り、ほぼ真後ろに立った。大家さんのオカッパ頭を迂回するように、手をするすると伸ばす。

 

「だ~れ――」

 

「奥義からの連携技! ニノ太刀! ぶおんっ!」

 

 大家さんが箒を掃く動きからそのまま、勢いよく箒をスイングした。

 箒の先の部分が俺の顔面目掛けて鋭い風切音と共に接近してくる。

 なかなか速い……が、それだけだ。動きが直線的過ぎる。俺ほどの猛者(プロ)相手だと、有効的とはいえない。

 欲を言えばそのこの一閃の他に全く同時に死角から襲い掛かってくる二閃、三閃が欲しいところだ(この複数の三閃は全く同時に存在するとする)

 俺は大家さんの放った箒が顔面に当たる寸前、地面を一息で9回ほど蹴った。

 瞬間的に圧縮されたエネルギーをコントロールし、後ろへ下がる。

 周りから見れば突然、俺が大家の3メートルほど後ろに現れた様に見えるだろう。しかし未だ大家さんの背後には俺がいる。

 同時に二人の俺が存在している。当然片方は残像だ。

 

「フッ、残像だぶっ!」

 

 馬鹿な……当たった、だと?

 俺は後ろへ回避したはず……なっ、後ろにいる俺が……消えた。

 残像はあっちだったのか。

 もう分かってると思うけど、今までの一連の流れ、全部俺の妄想なんで。実際は大家さんの後ろに立ってたらバチコンと箒で叩かれたわけで。

 

「ふふふ、またつまらぬモノを切って……切った? はて?」

 

 俺のSMAAAASH!!した大家さんは、箒の柄を地面に突き立て決めポーズをとろうとしたところで何かの手応えがあったことに疑問を覚え、首を傾げながらくるりとこちらに回転した。

 ズザザと箒の柄がコンパスでしたかの様な半円を描く。半円が完成する直前、大家さんと俺の目が合った。

 目と目が合った瞬間、大家さんはニコリと笑みを浮かべ口を『お』の形に開いた。

 

『お』兄ちゃん? あー、すいません。もう妹枠は埋まっちまってるんですわ。

 大家さんさえ良ければ、ロリ姉っつー個人的に優遇したい枠が残ってるんすけど。

 

続いて大家さんはクパリと口を開け『か』の形にした。

 

『おか』?

 

 いやー、確かに俺ってサッカーの監督としての才能はあるけどさ(プロサッカーチームを作ろうで証明されている)

 だからって岡ちゃんはねぇ……。眼鏡かけてねーし。

 

「おかえり――」

 

 オカエリ?

 誰それ? もしかして俺の守護霊の名前? ミカエル的な?

 え、俺に守護霊とか、いたんだ……。

 は、恥ずかしい……だってずっと見られてたってことでしょ?

 あんなこともそんなことも……もう恥ずかしくって今すぐ人界から去りたい!

 あ、でもよくよく考えるとウチの幽霊も俺のアレ(アブノーマルプレイの略)やソレ(ソロアブノーマルプレイの略)を散々見てるわけか……だったら今更か。

 

「お帰りなさいっ、一ノ瀬さ――ってきゃあああっ!?」

 

 満面の笑みから反転、大家さんの視線は自分の持つ箒と俺の顔面に残った殴打跡を一瞬の内に三回ほど往復し――布を割くような悲鳴をあげた。

 ンモー、悲鳴はやめてってばぁ。

 ほら、まだマダムが家から出て来ちゃったじゃーん。

 まるで壁に耳あり障子にマダムだよぉ(などと意味不明な供述をしており)

 

「そ、その顔……!」

 

 顔のことは言うなよ!

 俺だって好きでキアヌ・リーブス似かつそれ以上の容姿で生まれてきたわけじゃないやい!

 あーあ、毎朝鏡を見るのが憂☆鬱!

 

「ご、ごめんなさいっ、誰もいないと思って……あわわっ」

 

 えらいこっちゃと、箒を持っていない方の手で口を覆う大家さん。

 俺は架空の奥義でちょっと気になってる男の子をぶちのめした大家さんの心情トラウマをくみ取り、ヒラヒラと顔の前で手を振った。

 

「あ、全然大丈夫じゃないですから。(ショック死するほどには)痛くないです。というか当たる寸前に身体を背後にずらした(と思い込んでます)んで、実質的にはダメージゼロ(だったらいいのになぁと)です」

 

 俺はバトル漫画でよくある『無傷、だと? そうかっ、当たる瞬間に後方に飛んでダメージを軽減したんだ』を参考にして、大家さんのフォローすることにした。

 

「で、でも顔が赤くなってますよ!?」

 

「はい赤いですけど? 青いよりはいいですよね?」

 

「え……あ、はい。青かったら大変ですね」

 

 俺はトークアウェイ(論理のすり替え)を行なった。

 今起こっていることよりも重い事案をあげることで「今のコレって別に大したことなくね」と誤解させる手法である。

 

「で、でもでも……」

 

「大家さん、ただいま帰りました」

 

「あ、はいっ。お帰りなさいっ」

 

 にぱっと笑いペコリと頭を下げる大家さん。

 ははは、コイツちょろいわ。もう俺のことぶん殴ったの忘れてやがる。

 これでいつか『はいこれ(プレゼント』『え、これ……こんな高そうな物、貰えません!』『ばーか。今日は俺と大家さんが付き合い始めて一年だろ?』『……あっ、嘘、私……ど、どうしましょう! い、今すぐ買い物に……!』『いいんですよ』『でも!』『分かりました。じゃあプレゼントの代わりに……その指輪俺に付けさせて下さい』『え……はい。あっ、そ、そこって……』『……そういうことです』『こ、こちらこそ……そ、その末永く、宜しくお願いします』的な展開が有効だな。

 エンディングが見えた!

 ただその時の俺は高そうな指輪を買えるほどの財力を有しているのか……いざとなったら妹銀行に融資を頼むか……。

 

 母親銀行に融資を頼もうとかほざく分割思考の一つを鈍器で殺害し、「じゃ、大家さん。俺部屋に帰りますんで」と大家さんの横を通り、部屋へと足を向けた。が、不思議なことに足が止まる。体が動かない。

 はて、誰か時間系の能力でも使ったか……?

 

「あの、大家さん。ちょっと腕離してもらえませんか?」

 

「だーめです」

 

 今日の朝は遠藤寺の腕を掴み、昼には大家さんに掴まれる、まるでサンドイッチみたいなライフ(そうか?)

 大家さんは笑顔のまま、俺の右腕を掴み離さない。

 

 な、何なんだ一体……まさか掃除戦闘術の奥義を見せた相手を生かして逃がすわけにはいけないとかそういう……?  弟子になるから命だけは!

 ただ弟子の仕事ってのは夜のお世話も入るんですかねぇ……入るんだったら、俺、結構凄いよ? ベッドの中限定で、主従逆転……しちゃうかも?(この妄想は一ノ瀬妄想集~ベストバウト編~に収録予定! みんな脳内本屋さんへゴー!)

 

 土下座も辞さない覚悟の俺だったが、俺の覚悟むなしく大家さんはその無慈悲な鉄槌(コトバ)を俺に叩きつけた。

 

「一緒に私の部屋に来てください。ちゃんと手当しないと傷が残っちゃいますよ」

 

 どうやら大家さんはあまりチョロくなかったようだ。

 俺はずるずると大家さんの部屋に引きずられていった。

 初めて入った大家さんの部屋は、向日葵の様な匂いがした。

 

 

※※※

 

 

 大家さんの部屋から開放され、頬に湿布を貼った俺は自分の部屋へと向かった。

 ふと大学のことを思う。

 大家さんと話していた時の『楽しい気持ち』がみるみる消失した。

 大学生活は楽しくない。もっと楽しくなかった中学・高校生活よりはマシだといえ、また別種のつまらなさを感じる。

 授業を受けている時、キャンパス内を一人で歩いている時、一人で食事をしている時、それを感じる。

 自分の居場所がない。

 どこに居ても、まるで他人の家にいる様な不安定な心地。

 どうやったら楽しいキャンパスライフを過ごすことができるのか。

 一ヶ月経った今でも、分からない。

 これがあと4年も続く、それを考えると、反吐が出る様な気分だった。

 

 あー、駄目だわ。

 もっと楽しいこと考えないと。

 楽しいこと、楽しいこと……そうだ。

 楽しいことはすぐ傍に転がってたんだよ!(灯台下暮らしイズム)

 今、俺の部屋には――全裸の美少女がいるんだ!

 

 家に帰ったらほぼ全裸のメイドさん(申し訳程度のメイド要素→カチューシャ、ガーターベルト)が出迎えてくれる、そういうシチュが俺の妄想集にある(一ノ瀬辰巳ピンクイメージ~12巻~)

 限りなくそれに近い現実がすぐ近くにある。全裸美少女が家にいる日常、それってすっごい理想郷やん。

 この世にわずかに残った理想郷それがすぐ傍に!(他の理想郷? そうだなぁ……すぐ隣の可愛い幼馴染が住んでて「何で最近俺の部屋来ないんだよ?」「……だってあんたの部屋の匂い嗅いでたら胸がドキドキして……な、なんでもないっ」「なんでもない、ねえ。この映像、なんだと思う?」「……っ! これ、あんたの部屋の……」「そう。俺の部屋でお前が、俺の体操服顔に押し付けてヌハハハハ! 我が覇道成就せり!」「流石でございます魔王様!」「美しい少女(12~14才限定)以外の全ての人間を滅ぼしたぞ! ヌハハ! 我のハーレム完成せり!」……ん? 何か途中で妄想が混じったぞ?

 

 いいや、今は全裸美少女だ。

 

 陰鬱な心が一瞬の内に満開の桜模様になった。

 やれやれ、美少女の裸一つでそうも変わるとは、現金な心だぜ……でもそういうの嫌いじゃない、ぜ。

 

 俺は期待感に胸を膨らませ、自分の部屋の扉を開いた。

 そのままタックルする勢いで短い廊下を駆け抜け、六畳間に続く襖を開く。

 

「あっ、お帰りなさい、辰巳君」

 

 美少女が迎えてくれた。

 ただ俺の求める美少女とは違った。

 具体的にいうと衣服を着用していたのだ。どっかの学校指定のジャージであった。

 

「……」

 

「あ、えっとその……学校はどうだった? お腹空いた?」

 

 俺のメンタル大暴落。

 そのまま闇墜ちして魔人化し、三千世界の全てを掌握する『魔王・辰巳~美少女以外全滅セヨ~』ルートに突入しかけたが、グゥという自らの腹部から鳴る音で延期することにした。

 良かったな世界。

 

 俺の腹の音を聞いた幽霊少女は、にへらと笑みを浮べた。

 

「すぐにご飯作るね!」

 

 と腕まくりしながら言うのだった。

 

 廊下に備え付けてあるガスコンロに駆けてく少女を見ながら、六畳間のテーブルの前に座る。

 ぼーっとしながら、料理を作る少女を見ていると視線に気付いたのか「見ないでよー」と六畳間と廊下を隔てる襖を閉められた。

 

 あ、今の同棲してる恋人っぽいな、と思った。

 

「……い、今の何かすっごい同棲してる恋人っぽかったかも。……にへへ」

 

 襖の向こうからそんな声が聞こえた。

 

 

※※※

 

 

 ほどなくして少女が料理をテーブルに並べ(八宝菜と餃子)「どうぞ!」と笑顔で言う少女に軽く頭を下げ、食べ始める。

 おいしかった。

 ただ俺の言う『おいしい』は妹曰く「兄さんは何を食べてもおいしいと言うので、正直張り合いがありません。もっと語彙を増やして出直して下さい」とのことなので、こう言おうか。

 すっげぇおいしい。

 食べてる間、少女はテーブルの上に両肘をつき、その上に顔を乗せ、にやにやしながらこちらを見ていた。

 

「ごちそうさまでした」

 

「お粗末様でした!」

 

 少女が皿を下げる、手馴れた動きだった。

 彼女はそうやって、今まで俺の皿を下げていてくれたのだろう。

 今まで突然皿が消失していたのに不信感を抱いてなかった俺って、相当ヤバくなーい? 

 

 少女は再び襖の向こうに消え、襖の向こうからは皿同士がこすれる音と流水の音が聞こえた。

 数分して、少女は手を拭きながら現れた。

 

「……ふぅ」

 

 何か掛け替えのない物を見るような目で、部屋をくるりと見渡す。

 くるりくるり、と瞬きもせずに、ゆっくりと。

 そのままその視線は俺に。ジッと少女は俺を見つめ続けた。

 まるで網膜に焼き付けるかのように。

 心の中の宝箱に仕舞いこむように。

 

 そして少女は何かを振り切るかのように、一度大きく頷いた。

 

「……うん、じゃあわたし行くね」

 

 少女は小さな鞄を手に、そう言った。

 はて? 行く? 

 人はどこから来てどこに行くのか、常に考えている俺だが、未だ答えは分からぬ。

 ただこれだけは分かる、最後に行き着くのは母なる海だってこと。俺を導いてくれ! イカちゃん!

 

「行くって……え、なに?」

 

「だってわたしのことバレちゃったから。もうここには居られないよ」

 

 少女は「えへへ」と笑った。

 俺は知った。

 笑顔は楽しいときだけじゃなく、寂しいときにも使えるんだって。

 

「ほんとはね、ずっとここに居たかった。ここで辰巳君のお世話をしたかった。ずっとずっと……辰巳君がいつか出て行くまで」

 

「……」

 

「楽しかったよ辰巳君。人生でいっちばん楽しい一ヶ月だった。幸せで幸せで……死んじゃいそうになるくらい。……最後にこうやって辰巳君と話せて良かった。辰巳君、元気でね。風邪とかひかないでね。何日分かのご飯は冷蔵庫に入れてるから。それがなくなったら……あの、大家さんって人に助けてもらって。それからそれから……ぐすっ。……じゃっ、ばいばい」

 

 言葉の途中で涙を浮かべ、それを見られまいと俺に背を向けた。

 そのまま部屋の外に向かってゆっくりと歩き出した。

 一歩一歩。

 踏みしめるように。

 少女の一歩はただの一歩じゃなく、色んなものを振り切るかの様な重い一歩だった。

 背中に見える哀愁は少女の秘めた感情を具体化していた。

 

 少女は最後の一歩を踏み出す前に、くるりと振り返った。

 

「さよなら……好きだった人。幸せになってね」

 

 そして再び背を向け、歩き出す――

 

「いやいやいや、意味分からんから」

 

 外へ出ようとする少女の脚を、座ったままの俺の手が掴む。六畳間って結構狭いので、十分に手が届いた。

 少女は「ふぎゃっ」とか尻尾を踏まれた猫の様な悲鳴をあげ、顔から畳に突っ伏した。

 ガバっと腕立て伏せの要領で身体を起こし、こちらに向き直る。

 少女の鼻は赤く畳の跡がついており、目の端には小粒な涙が溜まっていた。

 少女はがおーっと吠えるかの様に口を開く。

 

「な、なにするのっ?」

 

「いや、何すんのよっつーか……何自分の世界入っちゃってる系なわけ?」

 

 最近流行りの世界系ってやつか……?

 俺自分の世界入んのは好きだけど、他人が自分の世界に入り込んでるの見るのって嫌いなんだよね。

 

「え、出て行く? それがまず分からん。凄い急展開だな」

 

 まるで俺が中学の時に書いてたラブコメ小説みたい(ある日空から女の子が落ちてきた! 彼女は自分が宇宙人でお婿さんを探しに来たって言うんだ! え? ボ、ボクがお婿さん!? → ハァ、あれから3年。昔は良かったなぁ、水だっていくらでも手に入った。コンビニに行けばいくらでも食べる物が手に入った。今じゃランキングの上位に入らないと肉も食えない……嘆いてばかりもいられない、か。さて、87位をぶっ殺して、オレが次の87位になってやるさ。ん、87位は女か。……コイツ、どこかで……見たような……気のせいか)

 瓶に入れて海に流したあの原稿用紙400枚にも及ぶ壮大なサーガは、今頃どこの国に流れ着いたのかな?

 

 俺がとある原住民の手に渡り神から託されたこの世界の成り立ちを記す本として祀られているだろう小説に思いを馳せていると、少女は震える声で言った。

 

「だ、だから……! わたしがいるの、辰巳君にバレちゃったから出て行くの!」

 

「何で俺にバレると出て行くわけ? なに君ツル?」

 

 絶対襖を開けないで下さいね? 絶対ですよ? 絶対ですからね!?な童話の話である。

 あの昔話で俺が感じたのは、何でツルが出て行くって言ったときに押し倒して自分のモノにしなかったってこと。

 そこは鬼畜っぽく「どこ行くんだよ? お前はオレの大切な金鶴なんだ……逃がさねえよ。お前は大切な……金鶴なんだよ」ってジュウジュウカンカンしとくべき、そう小学生ながら思った。

 

「つ、鶴じゃないけど……わたし幽霊だもん」

 

 だもん、の言い方がすっごい子供っぽーい。

 でも『あなたにしか……見せないんだもん(28歳・処女)』って書くと、すっげえエロティック。

 これ文字の魔力ね。

 

「うん、幽霊だろ。で、何で出て行くわけ? 幽霊って正体バレたら出て行く掟とかあんの?」

 

 だったらしょうがない。

 掟ならしょうがない。

『掟だから、掟だから夫じゃない男に体を許しても……いいんだもんっ』(やっぱりエロイね)

 

 少女の涙に塗れた目は、何かありえないモノを見る様な目で、俺を見ている。

 

「だ、だって……わたし幽霊だよ? 幽霊なんだよ? し、死んでる……んだよ? こ、怖いでしょっ」

 

 いや、死んでるって言っても、見た目普通の美少女ジャン?

どっか臓物はみ出てたり、骨がはみ出てたりしてたら確かに怖いけどさ(新ジャンル・ハミデレ)

 足もしっかりあるし、普通に触れるし。

 あれ? もしかしてこの女の子、自分が幽霊とか勘違いしちゃってるだけの普通の女の子なんじゃね?

 あー、あるよね。そういう自分は特別な存在だっていう妄想。

 かくいう俺も、中学生の時、自分がこの世界と似て非なる世界『アルハザット』で魔王を守護する四神将の一人、深闇のリクルスって名前の銀髪イケメン(実は魔王よりも実力があるが、面倒くさいので隠している)って妄想してた。

 いや……あれは妄想だったのか?

 よくよく考えてみると、妄想にしては……妙にリアルな設定だった。

 最後の戦いで深手を負って別世界の赤ん坊に転生して……もしやあれって妄想じゃなくて転生前の記憶なんじゃ……?

 そ、そうかっ。どおりで妙にリアルな夢も見ると思った! 俺ってリクルスだったんだ! ……そうだ。高校時代に隣に座っていたあの女の子、俺を見た時「リ、リクルス……」って吃驚した表情で言ってたっけ……。

まさかあの子も転生してたのか……?

 ええい、こうしちゃおれん! 今すぐあの子に会いに行こう!

 確かこの辺に住んでたはず……あっ! あの子が黒い影に襲われてる! ああっ! お、俺の右手から剣が!? な、名前……? そうか、この剣の名前は――『リ・ワールド(創世の剣。所有者の思念を読み取り、所有者の望む未来を引き寄せる)』 ←ここまで妄想(new

 

「ほ、ほらっ、わたし浮くんだよ? 壁だって通り抜けれるんだよっ?」

 

 少女はふわりと浮いたり、畳に潜ったりした。

 あ、やっぱ幽霊か。

 俺だってクラスで浮くことはできるけど、畳には潜れないな……(ただ数分前まで女の子が寝ていた布団ってミステリースポットには是非ともいつか潜りたい)

 

 怖いでしょ怖いでしょっ?と半ばムキになって連呼してくる少女に、俺は肩をすくめた。

 まるで、子供だ。駄々をこねる子供。

 そんな子供に生活を支えて貰っていた男ってだーれだ? はい俺。

 

「怖くないな、全然。まだ将来に対する漠然とした不安感の方が怖い」

 

 しかもあれ、夜中に急に襲い掛かってくるの。……あれ? 何か幽霊っぽいな。

 幽霊と将来に対する不安の相似性を述べよ。

 どっちも地に足がつかない(あ、これマジで上手くね?)

 

「ほ、本当に……怖くないの?」

 

「だから怖くないって」

 

「ほんとのほんとに?」

 

「本当だって」

 

 ん? もしかしてあれか。

 俺が怖がるから出て行くって言ってるのか。

 

「じゃ、じゃあわたし……もしかして出て行かなくても、いいの?」

 

「つーか出て行かれたら困る。俺お前がいないと(食事・洗濯・掃除・その他etcが)駄目なんだ」

 

「はぅっ」

 

 少女は宙に浮いたまま胸を押さえた。

 ボッとジャージから露出した首から上の肌が赤く染め上がった。

 おや、どこかで何かのポイントが上昇する音が聞こえた気がするぞ?

 

「そ、そうなの……? わたしが出て行ったら、辰巳君……困るの?」

 

「ああそうだ。(俺が家事をしなくなった)責任、とってくれよ」

 

「ふぁゃあっ!?」

 

 少女は上の様な奇声をあげ、部屋の隅に吹っ飛んだ。

 胸を押さえながらぜーぜーと荒い息を吐いている。

 俺の言葉、もしかして破邪の気、纏ってる?

 

 少女は大きく息を吸い、吐くを数回繰り返し、ピンと背筋を伸ばした。

 そのまま俺に近づき、赤みがかった真剣な表情の顔を俺に向けた。

 

「わたしで……いいの? わたし、幽霊なんだよ?」

 

「幽霊とか、妖怪とかどうでもいい。ただここに居て(家事をして)くれたらな……」

 

「――っ」

 

 少女は本当に心から欲しい物を手に入れた子供の様な表情を浮べ、俺に飛びついてきた。

 幽霊らしく予備動作のないその動きに、俺は全く対応できずそのまま押し倒された。

馬 乗りにされ、身体をぎゅーっと抱きしめられる。

 

 いやー! 本性出しおったでこの子! 祟り殺されちゃう!

 助けて雪菜ちゃーん!(妹の名前)

 

「わ、わたしっ、ずっと辰巳君の傍にいるからっ。辰巳君が死ぬまで傍にいるからっ。好き! 大好き!」

 

「重いな!?」

 

「わたしいいお嫁さんになるから!」

 

「あ、頑張って下さい」

 

 幽霊だろうと少女の願い、特にお嫁さんになりたいというピュアな想いは是非とも支えてあげたいと思うのが俺だ。

 協力してあげたいのだが、この歳で所帯持ちはちょっと勘弁して欲しい。

 少女には悪いが、お友達兼同居人のままでいて欲しい。

 いいよね、お友達って、超便利な言葉。

 俺が中学の時に告白して「お友達でいようね」って言ったあの子は元気かな? 実際お友達どころか「一ノ瀬に告られた~やだぁ~」「かわいそぉー」みたいな展開だったわけですけどね。

 あの時の俺に世界を混沌に陥れる類の力があったなら、即発動してたよ。

 残念ながら俺にそんな力は微塵もなかったわけだけど。よかったね世界。

 

 

 こうして、俺と幽霊少女の生活は改めて始まったのである。


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