俺、人に自慢できることって殆どねーけど、ただ一つだけちょっぴり自慢できることがある。
それは寝起きの良さ。
『寝』の方は子供の頃からの強みで、一旦布団に入るとものの数分でグゥグゥ。これには付き合いの長い妹も「兄さん、のび太君みたいですね」なんて尊敬の言葉あり。
俺とのび太君って結構似てると思う。部屋に人間じゃないナニカが住んでるし。アッチは青い狸with未来の道具でこっちは銀髪の美少女with家事万能……どっちを選ぶかはあなた次第。
あと俺って射撃も結構上手い。縁日の射的で『最終話のガンダム』の二つ名を頂戴して、屋台のオッサンを震え上がらせ、最近じゃ出入り禁止にされちまった。
最近眼鏡かけてるから、またのび太君との接点が増えた。
まあ、俺とのび太君の類似性はひとまず置いとこう。
寝起きの『起き』の部分だ。
これはこの部屋に引っ越してから、一気によくなった。
多分部屋の環境や風水的に、この部屋が俺の寝起きにとても合うのだろう。
遅刻なんて一度もない。
『た、辰巳……お主は私が怖くないのゲソ?』
ところで俺は現在、大好きなイカちゃんの夢を見ている真っ最中だった。
もし海の家れもんじゃなく、俺の家にイカちゃんが現れたらってIFの話。
『だって、私は人間じゃなくて……イカでゲソ。お主達とは違うでゲソ』
怖い、か。確かに怖いな……君の可愛さが。
どこからどう見ても、普通の可愛い女の子にしか見えないな。
『なっ、なにを言うでゲソ!? お、お主は馬鹿じゃなイカ!?』
ハハハ、よっちゃんイカみたいな赤くなっちゃって……ンモー、イカちゃんがオワコンとか言ったやつどこの誰だよ。
こんな可愛いイカちゃんをディスるとか、俺には考えられないね!
オチがない? あのさぁ、そう言うってことはテメェの日常には毎日オチがあんのか? ないだろ?
イカちゃんってさ、つまるところ人生じゃん。だから人生にオチとか無粋なモンいらないわけ。
お分かり? 分かったらさっさとイカちゃんのねんどろいど買ってこいや。
『お、おおっ!? こ、これは何でゲソ!?』
おっと、部屋が揺れてるな。
これは俺が目を覚ます前兆だ。
じゃあ、俺そろそろ行くよ。
『……い、行ってしまうのでゲソ? また、来てくれるのでゲソ?』
ああ、来るよ。
また今夜に、な。
俺の意識は上へと引っ張られていく。
俺とイカちゃんが住むアパートの部屋の天井を突き抜け空へ。
揺れは更に大きくなっていく。
この揺れがまた心地よく、それでいて眠気を散らす。
「――きーてー!」
おや、今日は揺れ以外にも声が聞こえるぞ?
これは今までに無かったことだ。
ふむ、これもまた成長か。
声と揺れで俺の意識はみるみる覚醒へと向かっていった。
天蓋を突き抜けた瞬間、俺の体に重力の負荷がかかった。目を覚まし、現実の俺の部屋の布団の中に戻ったのだ。
眠気が霧散し、脳が覚醒する。
そして目をパチリと開いた。
「あ、起きたっ。おはよー、辰巳君」
銀髪の少女が俺の顔を覗き込んでいた。
や、やだ……すっぴんなのに……恥ずかしい。
ムクリと体を起こし、その反動で俺の体の上に乗っていた少女がフワリと上昇した。
頭上から少女が声をかけてくる。
「今日もちゃんと起きて偉いねー、辰巳君。ご飯食べよっ」
嗅覚は台所から漂ってくる香ばしい味噌の匂いを捕らえていた。
それよりも俺はある事実に気付いてしまった。
先ほどの揺れ、アレはこの子が俺を起こして発生していたらしい。
そしてその揺れは、今までずっと共にあった。
つまり――俺今まで自力で起きてたわけじゃないのね、と。
あと夢から覚めた今だからこそ、言うけど――イカちゃんもいいけど鮎美さんも可愛いよね!
※※※
昨日と同じく、正面に少女を見据え、朝食をとる。
秋刀魚を口に運ぶ俺を、何が楽しいのか、にこにこ笑いながら見つめてくる少女。
食事中に完全に意識が覚醒した俺は、ふと少女の前に食事がないことに気付いた。
「……何で、お前んとこ朝飯ないの?」
「えっ? だって、わたし幽霊だし」
昨日の会話を記憶野から引き出す(金髪ツインテールの司書があっちやこっちと図書館を走り回ってるイメージ、あっこけた!)
鼻の頭に絆創膏を貼った司書ちゃんから記憶を受け取り、俺はお礼にと司書ちゃんの頭を撫で――朝から俺なに考えてるんだろう……。
確か昨日この子はこう言っていた『幽霊でも餓死はしないが、お腹は空く』と。
「幽霊でも腹減るんだろ? 食えばいいじゃん」
「で、でも……二人分作ったらお金かかるし……」
「いーよ別に。そんな切羽詰ったほど金ないわけじゃないし」
実際結構切羽詰ってるけど、いざとなったら俺の後ろには妹銀行がある。
更にその背後には母親銀行が(これは最終手段。命を捨てる覚悟がないと利用しないように!)
「それに一人で食ってもつまらんし」
一人で食べる食事の空しいこと空しいこと。中学生の俺は自分の身を守る為に昼休みは一人になる必要があった、その時の食事の辛いこと辛いこと……って、だから何で朝からこんなテンション下がること思い出さなきゃいけないんだよ。
あー、朝は駄目だ。
いつものバリバリ上げてく感じが出ない。
俺の言葉に、少女はまるで飼い主に餌を渡され「食べてもいいの?」と恐る恐る様子を伺うリスの様に言った。
「……じゃ、じゃあ……わたしも一緒に食べるっ」
テテテ、と台所に駆けてく少女。
まだ余りがあったのだろう。
お盆に載せてきたそれを食卓に並べ、少女は白い歯が見えるほど口を開いて「いただきます!」と言った。
※※※
出席点重視の授業があるので、朝から大学に行くことにした。
いくら大学に近くても、1限目から出るのはしんどい。
まだ寝ていないと渋る体に鞭を入れる。
妹コーデの服を着て、鏡の前に立ち髪形をセットする。
俺の髪の毛はなかなかわがままだ。
生半可なワックスじゃ、すぐにおねんねしちまう。
だから俺は近所の薬局で言った。
『ハードを超える……インフェルノなワックス、ありますか?』って。
そして俺の手元にあるのがこれ『フェニックス』あの幻想の生物であるフェニックスのタテガミの様な荒々しい髪形をも可能とする超ハードワックスなのだ。
これを手に一つまみし……髪に馴染ませる。
立てて立てて立ててたまに揉む。そうすることで躍動感が生まれる。
髪は命だ。
死んだような髪形じゃ、女も落せねえ。
だからまずは立てろ! いいから立てろ! 生命の象徴のように立てるんだ!
そうしてできあがったのが俺の髪形――一ノ瀬フェニックスSTYLE。
風に吹かれようが、雨に濡れようが、変わらないその髪形――まさに不死鳥!
俺は不死鳥の生命力を得て、一気にテンションが高まった。
そのまま幽霊子に「言ってくるフェニ!」と叫び、出撃!
「あ、辰巳君っ、ちょっと待って」
出撃は中断された。
ふわぁと宙をスライドしてくる少女。
やれやれ、出撃迫った俺を止めるとは命知らずな女だ……なんて思っていると、頭の上に何やら温かい物が落とされた。
これは……蒸しタオル!
そしてその蒸しタオルを少女の手がゴシゴシと動かす。
『ケーン!』
不死鳥ヘアーが断末魔の悲鳴をあげた。
いくら生命力溢れる不死鳥でも、蒸しタオルだけには適わない。
『いや、マジで濡れタオルだけは勘弁な』
哀れ不死鳥は生まれる前の卵に逆戻り。
つまりぺったんこヘアーってこと。
「お、おまっ、一体何を……してくれるんですかねぇ!?」
「え? 寝癖を直した……だけだよ?」
「寝癖じゃねーよ! ヘアースタイルだよ! フェニックスなんだよ!」
俺の生命力溢れる主張にも、少女は『ちょっとこの人何言ってるか分かりませんね……』みたいな怪訝な表情を浮かべた。
「だって辰巳君、それどこからどう見ても……寝癖にしか見えないよ?」
あーもうやだ。これだから女子供は困る。
女には分かんないのかねぇ! あの髪形の素晴らしさが!
……ん? 女にモテる為の髪型なのに……女には理解できない……?
俺は恐るべき矛盾にぶち当たり……時間がヤバいのでその矛盾の考察を放棄した。
しかたないが、髪形もナチュナルのまま、部屋を出る。
※※※
重い扉を開け、部屋の外に出る。
心地よい冷気が肌をサラリと撫でた。
天気は快晴、空は青一色だった。
さて、学校へ……というところで、俺は妙な物を見つけ立ち止まった。
俺の部屋の扉、そのすぐ隣の壁を背にして何かがいる。
つーか大家さんが箒を抱きかかえて座り込んでいた。
「……どういうことだよ、おい」
俺の脳が早々に理解を放棄した(ホウキだけにね!)
何だろう、こんな画像どこかで見たことがある。
電車の中でスナイパーライフルを構えて眠る中学生の……あんな感じだ。
つまり大家さんって殺し屋?
大家は仮の姿で真の姿は裏社会で恐れられる『仕込み刀の童女』だったりするの? なにそれカッコイイ! ズルイ!
まあ俺も前世で四神将の一人だったって真の姿があるから、対等かな。
「……むにゅむにゅ……それは違いますよぉ……それはウナギじゃなくてドジョウですってばぁ……」
なにその寝言?
え? ウナギ、ドジョウ? ……大家さんも、そんなエッチな夢見るんだ。
常日頃からエッチな夢を見ている俺は、大家さんに共感を覚えた。
よーし、大家さんとの話題が一つ増えたぞ! 今度『ウナギやドジョウもいいですけど、電気ナマズもニュルニュルビリビリして凄いですよ』って言っチャオ!
とりあえず春とはいえ、朝から外で寝るのには寒い。
俺は大家さんの肩を揺すった。
「おーい、大家さん」
「……んぅ……いえ、ですからそのヌルヌルはローションとかじゃなくて……ローションってなんですかぁ? ……へむ?」
ぱちりと大家さんの大きな瞳が開いた。
瞳は未だゆらゆらと定点が定まらず、覚醒後の朧気な意識に引っ張られるように、ふらふらと周囲に向けられる。
と、その視線が俺をロックオンした。
ふにゃり、と寝起きスマイルを浮かべる大家さん。
「……一ノ瀬さぁん、おはよーうございますー」
ペロペロしていいですかね?
つーかここでペロペロしないで何がペロリストか!
ここだけの話、俺ほどのペロリストになっちゃうと、女性に会ったとき「どれくらいペロペロできるか」ってのでその女性の価値を判断しちゃうんだよね。
その点、大家さんは合格。
P値が大体27000くらい。これ人類としては相当高い方。
まあ、イカちゃんは18億くらいあるけど、イカちゃん人類じゃねーし。
「んんー、んー……はれ? ……一ノ瀬さん?」
徐々に意識がハッキリしてきたのか、言葉も超舌足らずな状態からまあ舌足らずな状態へシフトする。
目をゴシゴシと擦り、周囲を見渡す。
「……私、寝てましたか?」
「ええ、まあ。寝ているといえば寝てましたし、寝てないと言えば嘘になります」
「……うわぁー、これは恥ずかしいところを」
寝起き顔を見られるのが恥ずかしいのか、和服の袖で顔を隠してしまう。
大家さんの恥ずかしい所、見せていただきありがとうございます。
代わりに俺の恥ずかしい所も見せましょうか?
ただ俺の恥ずかしいところは、尋常じゃないほど恥ずかしがりやさんで……。
優しい声とふんわりタッチをして頂ければ、窓からチョコンと顔を出しますよ、フフ……。
「……!」
と、俺はその大家さんの口の端に、垂れる涎を見つけてしまった。
もし、大家さんがこれに気付いたら『寝顔を見られた上に涎まで!? もう死ぬっきゃないnight!(昼なのに)』なんて軽くトラウマを負うカモ……。
俺は素早くハンカチ(パリッとアイロンがかけられている)を取り出し、たこ焼きをひっくり返す要領で大家さんの口元をかすめた。
涎をデストローイ!
俺は大家さんの涎付きハンカチを手に入れた!
やった! 大家さん三大秘宝の一つを手に入れたぞ! あと大家さんの脱ぎたて足袋と使い終わった歯ブラシを手に入れたら三大秘宝が揃う!
三大秘宝を手に入れた俺は……一体、どうなっちまうんだ!?(多分豚箱にイン)
「して、大家さん。何でこんなところで……?」
「……は! そうです! そうなんです! 一ノ瀬さん、大丈夫でしたか!?」
そりゃまあ一ノ瀬さんは大丈夫でしたけど。
大家さんの方は大丈夫じゃないみたいですね。
やっぱりこんな所で寝るから、頭に酸素がいかなくて……。
「大丈夫って……何がですか?」
「何がって、幽霊さんとの勝負ですよ! 昨日決着をつけるって、言ってたじゃないですか!」
あー、そういえばそういう話、しましたね。
いや、決着をつけるとは言いましたけど、別にバトるつもりじゃなかったんですよね。
「私心配で昨日はずっとここで待機してたんですよ! もし一ノ瀬さんの悲鳴が聞こえたなら、すぐさま飛び込んで加勢するつもりで、ふんすっ」
鼻息荒くしてるとこ悪いんですけど、そーいう展開はねーから。
良く見ると大家さん、かなりの戦闘態勢だ。
割烹着下の着物は肩まで捲くりあげて、太もも辺りで短く縛ってるし。
額には『武神装甲』って鉢巻までしてるし。
箒も良く見れば、いつもの箒と若干違い毛先がすんげえ尖ってる。
大家さん最終決戦仕様みたいな感じ。これねんどろいどで出たら買うわ。イカちゃんの隣に並べる。
「でもよかったです、無事で……もう心配で心配で」
でもあなた寝てましたよね。
あと俺一回ビックな悲鳴あげたと思うんすけどね。
いや、言わないけど。
「で、勝負の方はどうなったんですか? 勝ったんですか? それとも負けて……あれ? で、でも負けた場合一ノ瀬さんは……? あ、あの一ノ瀬さん、つかぬことを伺いますが……一ノ瀬さんですよね? 一ノ瀬さんの中の人、入れ替わったりしてないですよね? 乗っ取られたり、してないですよね?」
この人は一体何を言ってるんですかね?
俺が一ノ瀬じゃなかったら、一体誰が一ノ瀬をやるんです? 一ノ瀬は俺しか、いないんです!
つーか大家さんちょっと甘いわ。
世の中の勝負が勝ち負けしかないと思ってる。
そうじゃない、世の中には勝負には勝ったが結果的には敗北条件を満たしていることもあるし、負けたけども勝利よりもずっと大切な物を手に入れる、そういうことがあるんだ。
例えば俺は高校の時の体育際の打ち上げには呼ばれなかった。それって一見負けっぽいけど、実際は打ち上げした連中が全員、先生の差し入れの寿司食って食中毒起こした。これってつまるところ俺の勝ちだよな。
つまりそーいうこと。
世の中winとloseだけじゃ語れねーんだよ。
だから俺は言ってやった。
「ま、ボッコボコにしてやりましたわ」
「わあ! スゴイ! 幽霊をボコったんですか!」
「ええ、まあバッキバキですね。幽霊も『命だけわぁ、お助けぇ』てなもんで。まあ、今じゃ舎弟みたいなもんですわ」
「ス、スゴイです! ストロング! ストロングですよ一ノ瀬さん!」
「幽霊に物理攻撃が効かないって言った昔の人はアホですね。……魂さえ篭ってれば、幽霊も物理法則の名の下に、ですわ」
「意味は分かりませんがスゴイです! かっこいいー! 一ノ瀬さんかっこいいです!」
キラキラした目で俺を見てくる大家さん。
俺は嘘を吐いてるけど、この場合の嘘は誰も傷ついてないからいいと思う。
嘘ってのは本来こういう風に使うんだよ。
今、俺の嘘は眼の前の女の子を喜ばせてる、それってスゴイ素敵。
「というわけで、あの部屋の幽霊については大丈夫です。俺があの部屋にいる限り、二度と悪さはさせませんから」
「……はふぅ。なんてお礼を言えばいいか……私にできることなら、何でもします。今、なにかして欲しいことはありませんか? もー、私、一ノ瀬さんに感謝し過ぎて、この気持ち、もう……どうすればいいんですかっ」
まあ、とりあえず今日の夜、俺の布団にこっそり入ってきてください。そんで『……来ちゃいました。もう、分かりますよね……女の子に恥をかかせないで下さい』的な体から始まるラブストーリーを一つお願いしますわ。
最終的に気持ちが通じていれば、始まりはどうだっていいタイプだから俺。
極論を言えば、憎しみから愛に終わってもいいってこと。
『あの頃私はお前を殺そうと思っていたが……そうしなくてよかった。お前がいない世の中なんて、考えられない』みたいなVS元暗殺者とのピロートーク大好き!
「お礼とかはいいですよ。あの部屋、このアパートに住ませてくれている……これ以上大家さんに望むことなんてありません。俺このアパートに住むことができて、本当に幸せですから」
これは本音。
俺このアパートで大家さんと出会ってなかったら、大学の空気に馴染めないでソッコーおうちに帰ってたと思う。
大家さんがいなかったら、マジで引きこもりになってた。
大家さんの何気ない優しさは俺にとって、大学に残るギリギリの命綱だった。
「一ノ瀬さん……」
そんな俺の言葉に若干目を潤ませながら、両手を胸の前で組んじゃう大家さん。
これは好感度上がったね。
「……えへへ、嬉しいです。このアパートをそんなに好きになってくれていたなんて……」
「いや、まあ……はい」
「ふふふ」
何だか照れるな……。
「と、ところで! その髪形なんですけど!」
「……!?」
シット!
うっかり髪形のこと忘れてたぜ!
やっばいわ! こんな無防備ヘアーじゃあ、大家さんに嫌われちゃう!
「い、いやこの髪形はですね、その何ていうか幽霊が勝手に……!」
「いいと思います、すっごく」
「……なに?」
これは予想外の展開。
てっきり『フェニックスじゃない一ノ瀬さんとか、タマちゃんのいないバンブレみたいなもんですよねー』とか言われると思った。
「もうちょっと短くすればもっといいと思いますよっ。やっぱり今までの髪形がアレでしたから……でも、気付いてくれてよかったです。一ノ瀬さん今までの髪形気に入ってたみたいだから、私は何も言えませんでしたけど……やっぱり凄くアレでしたからっ。自分で気付いてくれてよかったです」
「……その、スイマセン。アレっつーのは、何すかね?」
「アレはアレですよー。えーと、何ていうか……『あんな髪形にするくらいなら、まだカイワレ大根を植えてた方がマシ』みたいな、アレです」
……。
「いやー、一ノ瀬さんがあの悪夢から目を覚ました今だから言っちゃいますけど、あの髪形はないですよー、ふふっ。あんな髪形で世紀末世界に行ったらヒャッハーな人達にも『ヒャア! だっせえ髪型だぜ!』なんて言われちゃいますよねー」
「……」
モヒカントゲ付きの連中、以下、だと?
「もし、朝起きてあの髪型になってたら、私は迷わず剃ります……それくらいアレでしたよ。本当に目がさめて良かったですねっ」
「……もう、いい。やめてくれ」
これ以上俺を虐めないでくれ。
そうかー、アレかー。
よく考えたら俺と初めて会った人間って、まず俺の頭見てそれから目を逸らすんだよな。あんまりにも俺の髪形が神々しすぎて直視できないからだって、思ってたけど……俺ポジティブ過ぎだろ。
近所の小学生にも指さして笑われてたし(そん時は小学生の未熟な精神が俺の偉大な髪形を見るに足りず発狂して笑っていたと思った)
つーか言えよ。誰か言ってくれよ。
『その髪形正直変ですよ』ってよォ……。
何で誰も指摘してくれねーんだよ。
俺は現代社会における人間関係に希薄さを感じた。
もっとさあ、他人に興味持とうぜ?
道端で血まみれになって倒れてる女の子いたら、即家に連れ帰ったりさぁ。
んで、その子を追う組織の人間に『何故無関係のその子を庇う』なんて聞かれたら『困ってるヒトがいたら誰だって助けるだろうが!』みたいに言い返せるタイプの主人公になろうぜ。
続編でまた違う子助けて前助けた子に『もうまた女の子助けて! この節操なし! ……で、でもそういうとこが……好き』俺も好き!
どん底まで落ち込む俺を尻目に、大家さんは俺の周りをクルクル回り「ほほう」とか「いいわぁ」なんてため息交じりの声を出している。
「……何すか?」
「え、ええっ? あ、ああ、えっと……大学終わったら、その……髪切ってあげましょうか?」
「……何で?」
「それは勿論私好みに、んんっ――ほ、ほらっ、一ノ瀬さん貧乏ですから、散髪に行くお金ないんじゃないですか?」
そこまで貧乏ではねーよ。
この人俺をどんだけ貧乏だと思ってんだよ。
いや、確かに地面に落ちてる金見つけて、それがボタンだって分かったときマジ泣きしたこととかあったけどさあ。
「ど、どうかしたんですか」って泣いてる俺を大家さんが見つけて「100円玉じゃなくて、ボタンでした……ボタンだったんですよぉ!」とか言ったことあったけどさあ。
でもその時の俺、大学に入学して勇気出して行った新歓コンパの自己紹介でお茶の間失笑レベルに滑って、精神的に参ってたからであって……。
……お、おうぅ、あの時のことを思い出すと吐きそうになる。
「……あの、そもそも大家さん、髪切った事とかあるんですか?」
「え? ああ、はいそれは大丈夫です。こう見えて私、昔は美容師を目指してましたから」
指をピースにしてチョキチョキと開閉をする大家さん。
意外な事実だ。
しかし、何だって美容師の道から大家へ。
とても興味がある話だが、長くなりそうなのでまた今度聞くことにしよう。
「あー、じゃあまた今度お願いします」
「はいはいー。腕が鳴りますねっ」
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。車に気を付けて下さいねー」
俺は大家さんと別れ、門近くでいつもの小学生が俺の髪を見ながら『グッ』と親指を立てられ飴を貰い、アパートから出たのであった。
飴は黄金糖だった。
今の俺の苦い気持ちを皮肉るかのように、それは甘かった。