敵を誘導するための囮役が注意すべきこと。
その一、敵の目を惹き付けること。
その二、ターゲティングが外れないように敵からの攻撃が届く距離から離れすぎず、過度な反撃を行わないこと。絶賛ゴライアスからの咆哮による衝撃波や瓦礫の礫投擲が雨あられな状態だ。
その三、目的完遂まで絶対に死なないこと。
「ヘイト集めだけは全自動な分楽なんだがな、ッと!」
背後から飛来した水晶の砲弾を、半身をずらして盾の曲面で逸らす。
迅雷が弾け、砕けた水晶の欠片が頬を裂いた。血が流れる感触はあるのに、痛みはどこか遠い。
酷使された肉体の悲鳴が体内を巡っているせいか、スキルの影響なのか、身体は不気味なほど軽かった。その代わり、頭の中ではパチパチと火花が弾け続けているようだ。
足を止めず、考えろ。考えるのをやめれば、疲労かスキルかどちらかに呑まれ走れなくなる。そうなれば他の冒険者たちに被害が大きくなりすぎる。
幸いなことにゴライアスの強化突進は、二度目以降はずいぶん読みやすくなっていた。
外殻を纏う直前には、あの巨体は必ず一瞬だけ動きを止める。全身の皮膚が膨張し、硬質な鎧へと変質するため、ほんの数拍の溜め。
そして纏った鎧は、突進を一度終えるたびに剥がれ落ち、巨人は代償のように苦痛の咆哮を叫びながら膝を折る。
「大技のあとに硬直があるってのは、典型的なボスのパターンだが……現実では回避しそこねたら良くて瀕死だと思うとパターン化は助かる」
先の一撃はどうにか片手が動かせる状態だったから回復薬を飲むことができたが、両腕を壊されたり、意識を飛ばされたりしたら完全にアウトだった。
そんな致死の突進を何度も回避するのは、さすがに精神衛生上辛い。
走りながら魔力回復薬を服用し、『氷原滑走』の効果範囲を限界まで押し広げる。ブーツから溢れる魔力の冷気が、森と大平原の境界一帯を、凍てついた氷の大地へと塗り替えていく。詩的な表現をすれば月明かりに照らされた湖のようだ。
回復薬でかさ増ししている魔力で限界まで冷気と氷面を広げた。これでこの一体は私の領域になった。
そこに森の暗がりから、バグベアの亜種が三体、咆哮を上げて飛び出してきた。
しかし、急激な冷気により動きが鈍り、氷面に足を取られ、無様に滑り転げながら私の前を無防備な状態で流れていくところをすれ違いざまに盾で殴りつけてまとめて始末し、さらに背後から足元を掬われながらも雄叫びを上げて襲いかかってくる雷牛人の胸を『伍条魔槍』で抉る。
魔力吸収の特性が、紫電をごっそりと穂先へ吸い上げた。
その直後、背後で投擲攻撃を繰り返していたゴライアスが咆哮とともに全身から血煙をだして突進の前兆行動である甲殻を纏う。
「──今だ!」
死の弾丸が発射される直前に目的の平原側を射線上に捉えてもらうため、走る速度を落とさずに氷結した足場を利用して急旋回で移動する。
直後、後方から弾丸の如く突っ込んでくる鋼の巨人。
ギリギリまで引きつけ、盾から雷光を迸らせると同時に、真横へ跳んだ。
多少の回避など知ったことかと鋼の剛腕を伸ばし、ラリアットを仕掛けてくるが、摩擦を失った氷面は突進の勢いを殺しきれず、致死の剛腕は私を捉えることなく、盾から発生した雷撃のみを引っ掛けて平原地帯へ滑り飛んでいく。
『ゴ、オ、オォォォッ!?』
巨体は制御を失って滑走し、氷面の大地を抉りながら凄まじい轟音とともに反撃の盤面へと招かれる。砕けた氷塊が平原全体に舞い散る。
目標を見失い、私に到達できなかったゴライアスの甲殻は剥がれ落ち、地面に突き刺さる。ゴライアスの苦悶の咆哮が18階層を揺らした。
「ははっ、こんな漫画みたいな手に掛かってくれてありがとよ!」
勝ち誇った私は、起き上がろうとするゴライアスの目前で、槍を氷面の大地に突き刺し、雷撃を放つ。閃光が巨躯を灼き、ゴライアスの動きを縛る。
ゴライアスは身を灼く雷と怒りによる咆哮を私一人へ叩き付けてくる。
狙い通りだ。これで巨人の目は、完全に私を向いている。
私は神雷の盾を高く掲げた。雷光が夜を裂き、巨人の眼光が、私の盾へ吸い寄せられる。
獰猛な巨人の眼光を真正面から受け止める私の視線の先には、リヴィラの魔導士達の魔法円が幾多にも展開された光景が見える。
次の瞬間、ゴライアスを中心とする平原が虹の如き閃光に染め上げられた。
リヴィラの魔導士達の渾身の一斉砲火。
炎、氷、雷、風、岩。
ありとあらゆる属性の魔法が豪雨となって降り注ぎ、動きを止められていたゴライアスの全身に叩き込まれる。
鋼の外殻が剥がれ落ちた直後、おそらく防御力が減少しているであろうタイミングで前進を襲う魔法の猛火に悲鳴を上げ、巨人の肉体が灼かれ、凍り付き、軋んでいく。
『ゴ、ガアアアアアアアアアッ!!』
階層全体を震わせる絶叫。膝を折っていた巨人はついに大地へ崩れ落ちる。
だが、まだ倒れない。
魔法により焼かれ続ける右腕を大地へ掲げ、魔法の余波で天井から崩落していた水晶の大塊を掴み、私へ向けて投擲の姿勢を見せる。
警戒するより先に、ゴライアスの腕が振り抜かれた。
水晶の大塊は、砲弾というより、崩れ落ちる壁そのものだった。盾を構える暇はない。『氷原滑走』で身体を横へ流し、直撃だけは避ける。大塊は着弾の直前で砕け散り、無数の水晶片が散弾となって私の身体へ叩きつけられた。
「ぐ、が──ッ!」
盾が悲鳴を上げ、雷光が散る。受け止めきれなかった衝撃が、左腕から肩、肋骨、背骨へと突き抜けた。私の身体は氷面を砕きながら吹き飛び、平原の外れの岩場へ叩きつけられる。
視界が白く明滅する。
薄れかける意識を辛うじて繋ぐ視線の先で、ゴライアスが立ち上がる。
魔法の猛火に灼かれ、氷結に軋み、鎧を失ったはずの巨躯。崩れ落ちていた巨人は、拳で地面を砕きながら、ゆっくりと身を起こしていた。剥がれ落ちた外殻の欠片が、意思を持つかのように地を這い、傷口へと吸い寄せられていく。焼け爛れた皮膚の上に、黒い水晶が脈打つように生え、癒着し、膨張していく。
背筋が冷えた。
あの鎧は使い捨てだった。突進のたびに剥がれ、巨人自身を傷つける、諸刃の鎧だったはずだ。それが、剥がれるどころか巨人の身体にどんどん融合されていく。
『オオオオオオオオオオオッ!!』
さきほどまでとは比較にならない大咆哮。
幸いなことにそれは、もう私へ向けられていなかった。
巨人の顔が向いたのは、平原の東。魔法円の光が瞬く、魔導士たちの陣地。
自分を焼いた者を、あの化物は覚えていたのだ。
大咆哮の衝撃波がリヴィラの冒険者たちの陣地を薙ぎ払う。障壁を張る間もなく魔導士たちが吹き飛び、魔法円が一つ、また一つと砕けて消えていく。悲鳴。怒号。燃え上がる陣地。ボールスの怒鳴り声が、遠くで掻き消えた。
あそこが崩れれば、この階層にゴライアスを止める手段はなくなる。
私は震える手でバックパックから回復薬を引き抜き、栓を噛み砕いて飲み下した。折れた骨が軋みながら繋がっていく痛みに、歯を食いしばって耐える。手持ちの最上級品は、これが最後だ。
まだ立てる。まだ走れる。槍も、盾も、まだ手の中にある。
だが、岩壁に背を預けながら巨人を見据えた瞬間、私は理解してしまった。
──足りない。
氷面の罠は、鎧の脱落を前提にした策だった。一斉砲火は、すでに撃ち切られている。
鎧を取り戻した巨人は、むしろ以前より硬くなり、暴虐具合も先程までの比ではない。
そして、私の頼みの綱である『グレータースティール』は対象に触れなくてはいけないが、あの状態のゴライアスに距離を詰める手段を、私はもう持っていなかった。
囮。それが私の役割で、私にできる限界だった。
額の両脇が、じくじくと熱を持つ。飢えが、胃の底で唸る。力が欲しい。もっと。あの巨人を引きずり倒せるだけの、何かが。
手を伸ばしても、何も掴めない。『強欲』も『嫉妬』も代償と引き換えにしか力を与えてくれない。今の私に払える心の糧が失われ、もう何も残っていなかった。
――自力では……覆せない
その認識が、冷たい水のように、胸の奥へ落ちていく。その時だった。
――ゴォン、ゴォォン……
戦場の喧騒の底を貫く奇跡の始まりを告げる鐘の音。
最初は、微かな鈴のような小さな音だった。
それがゴォン、ゴォン、と重みを増していく。
教会の大鐘楼が、夜の街に時を告げるように音は波紋となって平原を渡り、燃える陣地を、倒れた冒険者たちを、そして私の胸を震わせた。
「……この、音は」
顔を上げる。
音の源は、平原の西側。モンスターの群れを薙ぎ払いながら、ひたむきに走ってくる白い髪の少年。その右腕に白光が渦巻き、鐘の音とともに輝きを増していく。
「あれは、ベル・クラネルか?」
彼から響き渡る輝きの鐘楼は蓄えた時間を、そのまま一撃へ昇華させる、英雄のための鐘の音。
私は、思わず笑っていた。
物語はいつだって、こうして主人公が駆けつける。
腹立たしいことに、その音色は、今の私の耳に、どうしようもなく美しく聞こえた。