夜を染める黒(旧題 : 俺ガイル×ブラック・ブレット)   作:つばゆき

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はい投稿。前回とはそんなに期間空いてないよね?
え? 今までが空きすぎだって?
勘弁してください。



敵は外側のみに非ず

カーテンの隙間から射した曙光が、フローリングの上を滑っていく。

築数年の比較的新しいマンションの一室、一人で住むにはやや広々としたそこには、生活感の薄い寒々とした空間が広がっていた。

ダイニングと隣接したリビングには、大型の液晶テレビとカーペット、簡素なテーブルと家具は最低限のものしか置かれていない。色鮮やかというには程遠い、シックでシンプルな色合いはこの家の住人の趣味だろうか。

早朝のやや肌寒い空気がリビングを満たす中、フローリングの上をカリカリと小さな足音を立てて歩く猫が一匹。

見るからにふてぶてしい表情をしたその猫は、簡素ながらも人一人横になれそうなソファの前で立ち止まる。不機嫌そうにふすっと鳴いた猫は、ソファの上で微睡むこの家の主人の上に飛び乗った。

 

不意に胸のあたりに感じた重量で、比企谷八幡は覚醒した。

重い目蓋をこじ開けるように目を開くと、胸の上で不機嫌そうな表情をした彼の愛猫カマクラがこちらを見つめている。そこでようやく八幡は猫に餌をやり忘れていたことに気付いた。

八幡は寝起きののろのろとした手付きで飼い猫へと手を伸ばす。おい、あまり触るなと抵抗するカマクラを抱き上げると、フローリングの上に下ろす。僅かな頭痛に顔をしかめながら気怠い半身を起こすと、カーテンの隙間から射した朝日にまぶしそうに目を細めた。

軽度の低血圧を患っている彼は朝に弱く、睡眠が足りていないときは意識も朦朧としている。今朝の具合はそれほど悪いというわけではないが、さりとて良好とも言い難かった。

ベッドではなくソファで眠りこけてしまった代償は大きく、全身のところどころに筋肉痛を及ぼしている。野営などで立地条件の悪いところで睡眠をとることには慣れてこそいるものの、やはり現代を生きる文明人としてはベッドで寝たいのが本音である。気を抜くとすぐにソファで寝てしまう癖は直したほうがいいのかもしれない。

気怠い身体を無理矢理起こし、ベランダと繋がっているサッシのカーテンを開け放つ。

部屋に入ってくる日光が目に痛い。欠伸を噛み殺しながらダイニングへ向かうと、エサ皿の前でカマクラが丸くなっていた。戸棚からキャットフードの袋を取り出す傍ら、八幡は全く別のことを考えていた。

 

先日の聖天子の護衛任務より数日が経過していた。

東京エリアに来訪した斉武大統領と非公式の会談──その終了直後、聖天子が聖居への帰り際にその暗殺未遂事件は起こった。

無論、護衛にあたっていた民警である八幡も招集され、とりあえず体裁だけを整えたデブリーフィングが開かれた。

聖居内の会議室にて、聖天子付護衛官、聖室の側近、護衛の八幡というメンバーで構成された対策会議。それは八幡が半ば予想していた通り、『如何にして聖天子暗殺を阻止するか』ではなく『何故狙撃手が護衛ルートに待ち伏せしていたのか』という責任の押し付け合いに瞬く間に転化した。その展開たるや、あまりの想像通りの展開に八幡をして内心失笑を禁じ得ないほどであった。

しかし、予想外の事態が起こったのはその直後だった。

聖天子付き護衛隊隊長の保脇卓人が、あろうことか全ての罪を八幡になすり付けようとしたのだ。

無論、本来その場で責められるべきは警護計画書を作成した聖天子付護衛官であり、その隊長である保脇が此度の暗殺未遂事件の全責任を負うのが道理というものである。しかし、当の保脇は頑なにそれを認めようとしない。

保脇曰く、『今まで一度として聖天子が暗殺者に狙われることな無かったが、護衛として八幡が雇用された途端聖天子の暗殺未遂が起きている。ゆえに八幡は暗殺者と内通している』というものだった。

当然、罪をなすり付けられかけた八幡としては堪ったものではない。

当然の事実ではあるが、八幡は勿論今回の暗殺未遂の首謀者との繋がりはない。それ以前に、八幡は聖天子の護衛ルート自体を知らされていなかった。

おそらく八幡を心良く思わない保脇を始めとした護衛官達が意図的に情報を八幡まで流さなかったのだろう。私的感情からくる完全な嫌がらせ──職務怠慢によって、八幡は情報を得られないまま護衛任務に就かざるを得なくなった。だが、結果としてそれが八幡のアリバイとして成立されている。八幡には最初から流す情報すら得られていなかったのだ。

そう八幡は弁明した。容疑が掛けられても自分は内通などしておらず、そもそも流す情報すら無いと。

当然保脇も黙ってはいなかった。八幡に罪を被せない限り納得しないらしい保脇は、弁明の最中八幡を幾度となく大声で遮り聖室側近や情報官を丸め込もうとする。三十二歳の若さで聖天子付護衛隊長ともなったからには、それなりに弁の立つ自負があったのだろう。口角泡を飛ばしながら捲し立てる保脇には、八幡の口元を引きつらせるほどの妙な迫力があった。

しかし八幡とて言われたまま引き下がるような人間ではない。このまま罪をなすり付けられて解雇などされれば、八幡の経歴(キャリア)に傷がつくのだ。そも、弁が立つという点においては八幡もまた同様である。正当性はこちらにあると言わんばかりの保脇に対し、絶妙なタイミングで保脇の弁を遮り矛盾点を淡々と指摘していく様子は更に保脇を逆上させたが、いかんせんそれを押し通すのには無理があり過ぎた。

どう考えても八幡に正当性があるのだが、生憎その場に召集されたうちの半数は八幡を快く思わない連中である。聖室側近や情報官の幾人かは八幡に同情的な視線を向けていたが、保脇を始めとする聖天子付護衛官は場の半数を占めていた。このままではなし崩し的に八幡に責任を押し付けられかねない。正当性こそ八幡にあれど、保脇がその気になれば聖居職員を脅しつけることも辞さないだろう。普段より聖居内での横暴ぶりが目立つ護衛官ならばその程度容易いはずだ。

焦れる思いが八幡の思考を鈍らせる。

膠着の様相を呈し始めた会議を収束させたのは、途中で会議の場に乱入してきた聖天子だった。

厳粛な面持ちで会議の場に乱入をした聖天子は騒然とする職員たちを一瞥すると、やおら声を張り上げ熱弁を振るっていたはずの保脇を一喝した。

『比企谷さんを指名したのは私の意思であります。そしてその比企谷さんを疑うということは、即ち私の判断を疑うということ。なにより保脇さん、東京エリアの救世主を犯人扱いするとは何事ですか!』

聖天子の叱声を浴びた保脇は表面上は引き下がったが、席に座り込んだあと憤怒の形相で歯を軋らせながら八幡を睨み付けていた。

聖天子が命を狙われたというのに八幡に頑なに罪を押し付けようとする保脇には、ほとほと辟易させられた八幡ではあったが、相手にするだけ無駄だと悟った八幡は無視することを決め込んだ。

聖居内で保脇が、八幡と聖天子の仲がただならぬものであると吹聴していると聞いたときには八幡は呆れを通り越して失笑した。たかが民警と仮にも国家元首に、ただならぬ関係も何もあるまいに。

なによりも現状で憂慮すべきなのは、これからの聖天子の予定、即ち聖天子狙撃事件の原因ともいえる斉武大統領との非公式会談を続行するか否かということである。

斉武大統領との会談はあくまでも非公式であり、会談があったということは勿論斉武が東京エリアまで来訪しているこという情報すら、両エリアの上層部しか把握していないはずである。つまり会談があることを知っているのは東京エリア、大阪エリア首脳のみであり、状況的に言って暗殺を企てる可能性があるのは斉武しかいないのだ。

そう八幡は進言した。八幡は護衛のために雇われただけの存在であり、聖天子の政務に口出しするのはお門違い──そうわかった上ではあるが、このままでは次回も狙撃されるということは分かりきっていた。

だが、聖天子はそれを──八幡の進言を却下した。

人と人は手を取り合える。今こそ分かたれてはいるものの、いつかエリア間の隔たりなど無くなるものと夢想する彼女からすれば、エリア間を武力統一させようとする斉武との会談が平行線のまま終わることに納得が出来ないらしい。

この頑なさは聖天子の美徳であり欠点でもあるが、暗殺を企てているのであろう斉武からすれば僥倖だろう。

何も出来ない歯痒さに八幡は舌打ちしかけるが、ふと目に入ったデジタルの時計を見ると(かぶり)を振った。

考え過ぎるのは自分の悪い癖だ。思考が巡っているうちに時間が過ぎ去っていく。

漠然とした焦燥感を胸に、八幡は気怠い身体を持ち上げた。

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

ティナ・スプラウトにとって、昼下がりの街中の喧騒と、燦々と降り注ぐ日光は煩わしいものでしかなかった。

それには彼女のやや怠惰な気性も原因の内に入ってはいるのだろうが、それ以上に彼女の生来の特徴に依るものが大きかった。

ティナ・スプラウトはイニシエーターである。彼女の身体に発現した因子はフクロウ──モデル・オウルである彼女は、モデルとなった動物が夜行性であるある事もあいまって朝や昼に著しく弱い。普段からカフェインの錠剤を摂取することで朝や昼の行動に対応してはいるが、やはり夜と比すると大した動きが出来ないのが常であった。

現在彼女がいる場所は、東京エリア内に存在する数少ない公園──周囲に急ピッチで進められている近代開発の波にぽつんと取り残されたかのような、しかしそれ故に休日はそれなりの人気のある場所である。

公園の敷地はそれなりに広く、中心近くには人工的な滝が作られており、日中の蒸し暑さを和らげてくれる。

藍色のドレスを纏った彼女は、まるで仕事に追われるキャリアウーマンのような忙しなさで公園から離れていた。

公園には、以前彼女を暴漢から助けてくれた青年──その友人がいた。見知らぬ少女である自分を助けてくれた奇特な人物でこそあるが、不幸そうな外見から伺える面倒見の良さは、ティナをして知らずのうちに心を許してしまいそうなほどだった。だが、今は駄目だ。彼女の主よりついさっき連絡があったのだ。彼女が、現在何よりも優先させなければならないモノ。彼女という殺人機械を産み出した張本人にして、彼女へ存在意義を与えた存在。

足早に元いた場所から離れつつ、ティナは懐から小型の通信機を手に取った。

 

「私です」

『遅いぞ。何をしていた』

「申し訳ありません。どうしても電話を取れない状況にありました」

『……。意識を会話が可能なレベルまで回復させよ』

 

ティナの主──エイン・ランドは、彼女のバックアップの他にメディカルチェックも担当している。ティナの声に入り混じる意識の混濁具合を目敏く感じ取ったエインは、限りなく事務的な、冷たい声音で小さな暗殺者に命令を下した。

ティナはカフェインの錠剤のボトルを取り出すと、ボトルの中に残っていた錠剤をすべて口の中に放り込む。硬い錠剤を乱雑に噛み砕くと、口内にカフェイン独特の苦味が広がり顔をしかめた。空になったボトルを近くのゴミ箱に投げ捨てると、ほどなくして意識が鮮明になってくる。

未だ眠気は残っているが、会話が出来ないほどではない。ある程度覚醒した意識の中周囲を見渡し、声の聞こえる範囲に誰もいない事を確認すると再び通信機を手に取る。

 

「──それで?」

『第二回の聖天子警護計画書が流れてきた』

 

まさか今回も情報の漏洩があるとは思っていなかったばかりに、ティナは主からもたらされた情報に驚愕した。前回の暗殺計画──それが失敗した以上、聖居側も内通者の存在にもっと敏感になるはずである。それが為されず、なおも再び警護計画の情報が流れてくるとなると、聖天子の側近には余程の無能が揃っているのだろう。

暗殺する側であるティナからすれば願ったりの状況ではあるが、無能な部下の所為で命の危機に瀕する聖天子を憐れまずにはいられない。

通信機の奥でエインが声を抑えてくつくつと笑う。通信機を通して漏れる忍び笑いは、声の主の陰湿さを秘めていた。

 

『我らに情報を提供してくれる聖居職員には感謝せねばなるまいな』

「……どういった人なのですか? その情報提供者(コラボレーター)は」

『目の前でガストレアに子供を喰われたらしい。よくある話にすぎんさ』

 

聖天子は『呪われた子供たち』の基本的人権の尊重と共存をスローガンの一つに入れている。その政策からは人道的かつ聖天子の慈悲深い側面が見て取れたが、生憎『奪われた世代』の九割は『無垢の世代』──中でも『呪われた子供たち』に対し根強い差別意識を持っている。

『呪われた子供たち』を救済しようとする政策のおかげで聖居内から裏切り者を出し、そこから漏洩した情報でティナのような『呪われた子供たち』の暗殺者に標的にされている。その皮肉な運命に、ティナは憐憫の情を抱かずにはいられなかった。

ティナのその思考に割って入るように無機質な声音が通信機から響く。

 

『我々の依頼主(クライアント)は東京エリアに逗留中に事を済ませよとのことだ』

「しかしマスター。またあの民警が妨害します」

『その民警の身元がわかった』

 

ティナは声もなく感心した。相変わらずの手際の良さだ。

 

『そいつは民間警備会社に所属しないフリーランスの民警らしい。経歴については東京エリアがブロックしているのかわからなかったが……住所も確認した』

 

通信機の向こうで主の口元が歪んだことに、ティナは直感で気付いた。

 

『第二回非公式会談までまだ時間に余裕がある……私が何が言いたいか、わかるな?』

「はい、マスター」

『ティナ・スプラウト、次の任務だ。聖天子暗殺計画の障害を速やかに排除せよ』

 

 

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 

事務室の人の良さそうな壮年の男性に用件を告げると、存外にあっさりと八幡を通してくれた。

ふと窓の外に目を向けると、部活動をやっているのだろう運動部の生徒たちが思い思いの練習に励んでいる。

その喧騒をどこか他人事のように感じながら、八幡は昼下がりの光が差し込む廊下へと踏み出した。

休日の勾田高校の校内は、校庭の喧騒と比べて閑散としている。運動部の練習風景を眺めるような趣味をもたない八幡は、一切の興味がないと言わんばかりに足早に古びた校舎を急ぐ。ときたますれ違う生徒たちは八幡の身に纏う総武高校の制服に目を白黒させていたが、八幡はそんなものには一切頓着しなかった。

ほどなくして到着した『生徒会室』のプレートが下がるドアの前に立つと、コンコンとノックする。

どうぞ、という返答を聞いてからノブを回し、無言のまま部屋の中に入ると八幡は後手にドアを閉めた。

 

「いらっしゃい、比企谷ちゃん」

「司馬」

 

訛りのあるイントネーションで八幡を出迎えたのは、和服を身に纏った色白の端整な美人だった。良家の淑女然とした立ち居振る舞いとは裏腹に、左目の下あたりにある泣きぼくろと特徴的な垂れ目が妙な妖艶さを醸し出している。未織は八幡と同年代、というより年下のはずだったが、年に見合わない艶めかしさが八幡は少し苦手だった。

 

「久しぶりやね。少し背ぇ伸びた?」

「流石にそろそろ止まるだろ。──解析は済んだのか?」

「滞りなく。んもぅ、里見ちゃんみたくせっかちやなぁ」

 

ブラインドの降ろされた薄暗い執務室のような部屋から、更に奥の未織の私室へと案内される。そこには、およそ一生徒には似つかわしくない光景が広がっていた。

近未来的な曲線を描く椅子やシステムデスク、空中に浮かぶホロディスプレイ。

中央に据え付けられた前衛的なデザインの椅子を中心に、数十枚と並ぶホロディスプレイが青白い光を放っており、それだけで他の光源が要らないほどだ。

株価や経済ニュースについて表示していたディスプレイを未織が手を払って打ち消すと、霧散したホロディスプレイが再構成され一つの大きな画面を形成した。

 

「『聖天子狙撃事件証拠物件』」

 

未織がディスプレイに向かってそう呟くと、たちまちのうちにディスプレイから先日の狙撃事件の現場写真や、銃に使用された銃弾の写真が並べ立てられる。

未織は陳列された写真のうち一枚を拡大させると八幡の方へ振り向いた。

 

「これは、先日の聖天子狙撃事件で使用された弾丸の弾頭。比企谷ちゃんも気付いたとは思うけど口径は12.7mmの大口径弾。ここまではええな?」

 

未織の確認に、八幡はそれで間違いないと頷いた。先日の弾丸の破壊力からも通常の狙撃弾である7.62mm弾であることはありえない。

 

「弾丸を調べたんやけど、犯罪使用歴は無し。施条痕(ライフリング)は六条右回り。発射間隔の短さからボルトアクションライフルじゃなくてセミオートライフル。ここまでで使用された銃はある程度絞られる」

 

そもそも施条痕(ライフリング)をちょこっと確認すれば、ある程度目星はつくんやけどな? と未織が付け足す。

施条痕(ライフリング)とは、銃の銃身内に施された螺旋状の溝の事である。施条痕(ライフリング)の施されていない銃は弾丸が何処に飛んでいくか知れたものではないが、この螺旋状の溝で加速した弾丸に旋回運動を付加することで弾丸の直進率を向上させている。

 

「使用された狙撃銃は?」

「おそらくバレット社製M82アンチマテリアルライフル」

 

打てば響くような速やかさで、未織は八幡の質問に応える。

そして未織は弾丸の画像を縮小させ、新たに一枚の画像を引っ張りだす。先日聖天子と八幡が乗っていたリムジンと、件の狙撃手が伏せていた廃ビル群の屋上を映し出したモデリング画像である。

未織が手に持った扇子で指差すように両者の場所をドラッグすると、千百二十一メートルという直線距離で表示された。全体像が把握できるようにモデリング画像を拡大させると、未織は八幡に向き直った。

 

「念のため確認するんやけど、比企谷ちゃん。敵の狙撃手は本当にこのビルから撃ってきたん? この距離で、リムジンに乗っとった移動目標に?」

 

八幡は苦い顔をして頷いた。未織が複雑な表情で眉をひそめる。

 

「比企谷ちゃんは狙撃にはどんくらい詳しいん?」

「それなりにだが。経験もな」

「腕は?」

ドラグノフ(SVD)で六〇〇メートル先の西瓜をぶち抜ける程度には」

 

その言葉に未織は素直に感嘆の声を上げた。目の前の濁った目をした青年は、十二分に“一流”と呼べるだけの技量を備えている。

本来ドラグノフなどのマークスマンライフルは狙撃には向いていない。装弾数の多いセミオートライフルであるドラグノフは、狙撃銃というよりは分隊支援火器という運用思想で設計された銃だ。それゆえに精度はそれほど高くはなく、ボルトアクション系のライフルのそれと比べると大きく劣る。

ドラグノフの有効射程距離はAK系が三〇〇メートル、SVDが六〇〇メートルである。有効射程ギリギリを命中させられるという彼は相応の実力を持っているに違いない。

 

「比企谷ちゃんはスナイパーライフルとマークスマンライフル、どっちが得意なん?」

「……昔は比較的スナイパーライフルを扱ってたが、俺はゲリラ戦の方が向いてるらしい。今じゃマークスマンライフルの方が経験は多いぞ」

「ああ、そういえば比企谷ちゃんのライフルはうちが担当しとるんやったね」

 

八幡が使用しているライフルはH&K MSG90A1である。

H&K社が設計したMSG90A1ライフルは、連射可能な狙撃銃として有名だったPSG1を、射撃精度はそのままに二キロ近く減量に成功した高性能狙撃銃である。

八幡のMSG90は未織の司馬重工に個人的なチューニングを依頼し、銃床に穴を開けたスケルトンストック式にしたものである。スケルトンストックにしたことでバランスが若干崩れたものの、全体的に更に軽量化し運搬が容易となっている。有効射程は七〇〇メートルを超える名銃である。

 

「それでもこれはちょ〜っと信じられんわなぁ」

「事実だが」

「射撃角度から言ってもここから撃たれたのは間違いないんやけど……」

 

渋い顔をして続ける未織は、未だ信じがたいと言った表情をしている。八幡もまた同様だった。狙撃手として確かな腕を持っている八幡からすれば、今回の件は映画(スクリーン)か、タチの悪い悪夢の中でしか見れないものだ。

 

「二〇三一年にもなって、狙撃スコープやライフルの精度も相応に上がっとる。でもな、結局命中率を左右する重要なファクターは人間なんよ。そして人間である以上、呼吸はするし心臓の鼓動もする。手が震えるから正確な射撃がどんだけ難しいかは、比企谷ちゃんもようわかっとるやろ?」

「ああ」

 

他でもない八幡が最も分かっている。狙撃手として相応の鍛錬を積んだ八幡は、ほんの些細な手の震え、吐き出す呼気の一つに至るまで十全の集中力を以って挑まなくてはいけないことを、経験として識っている。

マークスマンライフルで六〇〇メートルの射撃を成功させる八幡も然りだが、スナイパーライフルで八〇〇メートルの狙撃をする狙撃手も十分“一流”である。それが今回は一キロ以上先の標的(ターゲット)を雨天、強風の中、リムジン内の移動目標に対し正確な狙撃弾を放ってきた。人間業ではない。

狙撃の世界では、二〇〇メートル先の移動目標に命中させることすら至難と呼ばれているのだ。

今回の顛末を同業者に話したところで、狙撃の事をろくに判っていないひよっこが誇大妄想を繰り広げていると笑われるか、精神病院を紹介されるかの二択だろう。

 

「比企谷ちゃんだって同じ条件で三〇〇メートル先の移動目標を狙撃しろって依頼されてもやらんやろ?」

「当たり前だろ。依頼人の正気を疑うぞ」

「それが正常な反応やなぁ」

「……狙撃を防ぐ方法はないのか?」

 

未織は少しの間逡巡したが、諦めたように首を振った。

 

「聖天子が聖居から出ないってのが一番現実的な案やな。でもそれは出来へんのやろ?」

「知っているのか?」

「聖天子って意外と頑固そうな顔しとるやん? 女の直感やけどな」

 

そういって未織はからからと笑った。だが八幡にとっては笑い事ではない。複雑な表情で未織を見ると、未織はおどけたように言った。

 

「そんな表情(かお)せんと。怖い顔しとるとイケメンが台無しやないか。せっかく素材はええのに」

「あまりからかうんじゃねーよ。というか司馬、お前里見に気があるんじゃなかったのかよ」

「あら、嫌そな顔。いい男にちょっと粉をかけるくらい許されてもええんとちゃう?」

「気の多い女は嫌われるぞ」

「つれへんなぁ。ま、うちは里見ちゃんがおるうちは、そうそう他には靡かんけどな」

 

未織は展示されていたホロディスプレイを腕を払って霧散させた。部屋の光源が減って僅かに暗くなる。

 

「他になんか聞きたいことある?」

 

八幡は少しの間考え込み、思い出したかのように問うた。

 

「確か司馬重工は警察や自衛隊にも武器を卸していたよな」

「せやけど、どしたん?」

「聖天子付護衛官について、お前の権限で調べられるか? 護衛隊長の保脇卓人だ」

「んー……やってみる」

 

未織が保脇卓人と呟くと、空中に浮かんだホロディスプレイが目まぐるしく動き出し検索を始める。待つことものの数秒で検索を終えると、空中のディスプレイには保脇卓人の顔写真とその横に経歴などが並べ立てられる。

未織がそれを読み上げた。

 

「保脇卓人、三十二歳。一九九九年生まれ、男性。聖天子付護衛隊長を務めており、階級は三尉──そういえば比企谷ちゃんは階級は?」

「民警に与えられる疑似階級だっけか。俺は五百位だから確か──」

「保脇と同じ三尉。旧軍での少尉やね」

 

聖天子付護衛隊は大体小隊規模の組織だった。他にどれだけいるかは知らないが、小隊を預かる身としては三尉という階級はまぁ妥当なものだろう。

民警に与えられる疑似階級は、あくまでも“疑似”であって本物ではない。命令権こそあれど指揮権は存在しないのだ。

つまるところほとんど何も出来ない、というのが真相である。

では何故そんなものが存在するかというと、民警の士気昂揚、そして民警は国が管理していることを他国へ示しておきたいのだろう。

 

「民間警備会社とは言っても、所詮は政府の紐付きだな。軍が足りず、かと言って増強して維持するだけのコストもない。そこで民間企業に軍事力を与えるが、いざという時には国が管理する。それを容易にさせるのが疑似階級ってか。政府の思惑が透けて見えるな」

「比企谷ちゃんも結構毒舌やわぁ。ほんまその通りなんやけどな。最強の民警は単独で世界の軍事バランスすら左右するっていうやろ? 国が管理したがるのも当然や」

 

序列一位や二位の民警は、単独でゾディアックガストレアを葬るほどの実力者だという。それだけで想像を絶するまでの力を備えているのだろう。

ゾディアックガストレアには現状あらゆる近代兵器が効かない。唯一効果が期待できるのは戦略核だが、それは各国間の協定によって使用は禁止されている。他に例外があるとすれば、以前蓮太郎が天蠍宮(スコーピオン)を葬った《天の梯子》だが、それも現在は破壊され使用不可だ。

 

「ごめんなぁ、比企谷ちゃん。あんまりわかること無かったわ」

 

申し訳なさそうに告げる未織に、八幡は軽く手を振って応えた。

 

「いや、いい。助かった。また来る」

「うん、またね」

 

にっこりと笑う未織を尻目に、生徒会室を通して廊下に出る。結局事態が好転するような報告は得られなかった。やはり自分でどうにかするしかないようだ。だが、どうやって?

答えの出ない自問を繰り返しつつ、八幡は帰路を急いだ。

 

 

 

 




書いてて思ったのだが、未織は結構可愛いキャラなのかもしれない……
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