盲目の彼女と年下の彼――今日も平和である。
健全ですよ?
物心がつく前に私は光を失った。
何も見えず、ただ暗闇しかない世界。
それが私にとって唯一視覚できる世界。
私は自分の姿が分からない。
私は両親の姿が分からない。
私は友達の姿が分からない。
分からないけど匂いで分かる。
分からないけど音で分かる。
分からないけど感触で分かる。
私の大好きな匂いがする。
私の大好きな音がする。
私の大好きな感触がする。
嗚呼、私はもう我慢ができない。
嗚呼、私はもう抑えることができない。
嗚呼、私はもう本能を理性で止めることができない。
年下の彼のお腹に顔を埋めて抱きつきながら匂いを堪能する。
嗚呼、私の大好きな匂いだ。仕事帰りの汗の匂いが特に香ばしい。
いつまでもこうしていたい。
「以上が私の現在の心情でこのような行動に移したのだ。君もこうされるのが好きだろ?」
「にょわはっ!? べ、別に好きじゃないですから離れてください」
君は相変わらず照れ屋だな。
腰にまわしている両腕に君の尻尾が忙しく当たっているぞ。
君が尻尾を振る場合は嬉しいときか、照れているときだ。
「本当かな? こうやって君のお腹を刺激したら……ほらっ」
「みゃぎっ!?」
シャツ越しから分かる腹筋の固さと毛並みの感触を堪能しながら、私は顔をぐりぐりとマーキングするように擦り付ける。
ふふ、口ではああ言っても君の身体は喜んでいるよ。
ちゅっとシャツを口に含んで吸い上げてから、ちゅぽっと離す。
口で触れた箇所に舌をつけてゆっくりと味わうように舐める。
「――うん、美味しい。君の味は癖になる」
「シャツを捲りあげて直に舐めないでください!?」
仕方ない、そろそろやめておくとしよう。
このままずっと舐めていたいが彼の羞恥心が限界突破しそうなので、離れることにする。
少し、いや物凄く名残惜しいがまた後で舐めるとしよう。
「君に悪戯するのはこの辺りでやめておこう。……また後でじっくりと丹念に私の舌で、ね」
「遠慮しておきます!」
残念ながらそう言われると益々実行したくなるのが私なんだよ、きみ。
彼から離れて少し乱れた服装を直してから立ち上がる。
「おっと、足が滑った」
「棒読み!?」
わざと足をふらつかせて、わざと彼の方に倒れこむように体の重心を傾ける。
倒れてくる私を見て彼は慌てて毛深い両腕を広げて私を受け止める。
ぽふっと軽い音と共に彼の胸に体を預けると、私の楽園が還ってきた。
「嗚呼、ただいま私の理想郷――そして、こんにちは、キミ」
「速攻で匂いを嗅いでいるよ、この人!」
彼の分厚い胸板と毛深さの感触に酔いしれながら、私は彼の背中に両腕をまわす。
此処は私だけの場所。
処は私が見つけた居場所。
「君の狼特有の毛並みの感触はまるで天国のようだ。
嗚呼、幸せだ。君の体を独り占めできるこの瞬間が愛おしすぎる。
無論、君の心も私だけのものだ。誰にも渡さない、私だけの男だ」
「すみませんごめんなさい、もう色々と限界を迎えそうです僕のライフポイントがもうゼロです」
目が見えないので彼が今どんな表情をしているのかは分からないが、声と体の震えから推察すると顔を真っ赤にしているに違いない。
可愛いな、きみは。
「おやおや、これくらいで恥ずかしがるなんてそれでも『狼男』かい?
もう少し『獣人』らしく堂々と女性一人の甘言を受け止める器量がないといけないよ」
「いくら人間だった頃より精神の器が向上したといっても、恥ずかしいものは恥ずかしいです!
ひゃっ!? シャツの内側に手を入れないで……どこ触ってるんですか!?」
嫌だね。君のお願いは却下する。
おお、手触りで分かる毛並みの感触と背中の広さ――うん、触り心地がとても良い。
グッドだよ、きみ。
ご褒美にもっと触ってあげよう。なぁに、遠慮することはない。
存分に堪能してくれたまえ。
「こちょこちょっ」
「わ、脇の下をくすぐるのは……ひゃう!」
「ふふ、ここは相変わらず弱点のようだね。どうだい? 興奮してきただろ? はぁはぁ……」
「この人が興奮してる!?」
失敬な。私は興奮していないぞ。
君を苛めていたら体が火照ってきただけだ。
決して興奮しているのではないからな。
ただ、いつもより体が火照ってきているだけだからな、そこを間違えないように。
「このまま君に美味しく頂かれたい所だが、それは次の機会で期待しておこう」
「しませんから!」
「なんだと……きみ、それは全世界の狼男の存在を否定する発言だぞ! 男は狼という言葉を身体で表現している君がそれを否定したら何が残ると言うんだい!」
「僕の存在理由がそれって酷くないですか!?」
冗談はこの辺りでやめておこう。
そろそろ彼が泣き出しそうなのでな。――子供のように泣いている彼、か。すごくいいじゃないか。
おっとそろそろ自重しないといけないな、一割ほど。
「まだ足りないが君成分を多めに摂取したのでそろそろ夕飯にしようか」
「僕の成分ってなんですか……あ、もしかして僕が帰ってくるのを待っていたのですか?」
「勿論だとも。一人で食べるより、大好きな人と一緒に食べるほうが断然いい。
それに君と一緒に食べているとき、こう胸のあたりが暖かくなる」
彼から少し離れて私は自分の胸の上に両手を置く。
君と一緒にいられる喜び。
君と一緒にご飯を食べる喜び
君と一緒に時間を過ごす喜び。
以前の私が持っていなかった喜びを君と一緒に分かち給いたい。
「さあ、ご飯が冷めないうちに食べよう」
私は手を差し伸べる。
「そうですね。じゃあ、行きましょう」
暖かい――彼の温もりが私の手を包んでくれる。
君の姿は見えない。
君の顔は見えない。
君の、けど君の温もりは感触(み)える。
温もりを通して彼の顔が感覚(み)える。
狼――獣の顔を持つ彼。口元を緩めて小さな微笑みを感覚(み)せる。
今この瞬間、私だけに感覚(み)せてくれる彼の笑みに私も自然と笑みを浮かべる。
私は笑顔が出来ているだろうか。
顔の筋肉を動かす感覚はあるが、それが上手く笑顔を表現できているのかは分からない。
けど、別にいい。前に一度、彼に聞いたことがある。
私は上手く笑っているかい?――と。
彼の返事はこうだ。
『僕の好きな笑顔です』
ふふ、そう言われた時少々恥ずかしかったのはいい思い出だ。
彼の言葉通りに受け止めるとそれは――獣人特有の感覚での感想だ。
簡単に言うと外見と内面を見ている。
これは『獣化現象』を起こした人にしかわからない両面を見ることが出来る彼等しか持ち得ない視覚だとのこと。
ん、分かりづらい?
仕方ない、もっと簡略に言おう。
つ、つまりだな――私の心が純粋で綺麗だと言ってたのだよ。
うぅ、これは流石に恥ずかしい。
『ん~、なんていうか僕は貴女の笑顔を全部ひっくるめて好きなんです』
……とりあえずご飯を食べよ。
その後にこの行き場のない感情全てを甘えに変えて彼を抱きしめよう、そうしよう、うん。
「きみ、あとでお仕置きだね」
「もきゅもきゅ……えっ、いきなり何ですか!?」
「うるさい。君が悪いんだ、私の心を狂う様にかき乱す大好きな君の責任だ。
分かったらなら大人しく、あーん、しなさい」
「り、理不尽すぎる……あ、あ~ん」
「いい子だ。さあ、次は私の番だ。あ~ん」
「えと、あ~ん」
「ん……君からあ~んされるとより一層美味しいな。
ほら、お返しだ。あ~ん」
これが私と彼のいつもの食事風景。
その前にその食事を誰が作ったのか、気になるのかい?
無論、私に決まっている。盲目なのでどうやってだと?
そんなものは愛と気合と根性があれば作れる。
まあ昔は指を包丁で切ったりと色々と失敗した頃はある。
それを克服できたのも彼を想う私の愛一つで乗り越えることが出来た。
愛は偉大――実にいい言葉だ。
愛に勝るものはない。ゆえに彼を押し倒す権利があるのも頷ける。
「では、食後のデザートは私でいいかい?」
「馬乗りになって真顔でいう台詞じゃないですよ!?」
「据え膳食わねば狼男が廃れるぞ、きみ。
私は生まれたときから既に覚悟は完了している。
さあ、大人しく食べるがいい。それとも食べさせる方が君の好みかい?」
「おまわりさーん! ここですよー!」
「残念、君が『民間警察』だ」
「あっ、しまった!」
食後の彼との戯れは実に楽しい。
頑張って私をどかそうとしているが一ミリも動いていない。
「ほぼ全力に近い形で身体を捻ってるのになぜか動けない……貴女は本当は獣人じゃないですか!?」
「残念ながらまだ『人間』なんだよ、きみ。まあ、いずれは気合でなってみせるがね」
「ドヤ顔でいう台詞――なんだろ、妙に説得力があってこの人なら本当に実行しそうな気がするよ……」
獣化現象――世界中に広がる奇妙な症状。
いつ頃からそれが発生したのかは正確にはわからないが、少なくとも中世の狼男伝説や神話の中でしか存在しないミノタウロス等の生物がいた時点から既にあったとも言われている。
それが世界中に本格的に発症したのは江戸時代初期の頃。
江戸・明治・大正……気づけば世界中で獣人が表舞台に出てきた。
詳しいことは省くが第一次・第二次世界大戦をきっかけに人間よりも身体が頑丈で力が強く、運動神経が格段に違う彼等を戦力として投入させた。
どの国の被害も甚大ではなく、獣人の戦力が如何に恐ろしいのかを各国は思い知らされた。
そこから色々とひと悶着があったらしいが、どうにかこうにかで獣人達と人間の共存を作ることが出来た。
共存したことで幾つか分かったことがある。
獣化現象を起こすのには特殊な条件がいるとのこと。
その条件は各個人によってそれぞれ違うとのこと。
獣人達は人間が大好きだということ。
戦争のときでも獣人達は人間を殺さず、兵器しか壊さず、同じ獣人と対立したときは相手を殺さないようにした。
それから何十年も経ったこの時代で人間と獣人が結ばれることは特に珍しくもなかった。
ちなみに両者の間に出来た子供は『人間』のままだ。遺伝子を受け継いで半獣人(ハーフ)とかはないとのこと。
子供――私は欲しい。君との子供を。
「まあ、結婚するにしろ年齢的に考えてもう二、三年の辛抱だ。
痒いところはないかい?」
「……」
「君の背中は広いな。背中を流すのも一苦労だがこうやって君に奉仕するのは悪くない」
「……」
「そろそろお湯をかけるぞ。熱すぎたら遠慮なく言ってくれ」
「……」
風呂場で彼の背中を甲斐甲斐しく流す。
先程から一言も喋らない彼だが、いつものことだ。
極限の恥ずかしさで悶えているのだろう。
うん、やっぱり可愛いな。
「さて、お楽しみの前を洗「け、結構です!」残念だ」
湯船に浸かりながら今日の疲れを癒す。
ん~、彼に抱きつきながら入るお風呂は最高のひと時だ。
「いい湯加減だ。君もそう思わないかい?」
「心頭滅却心頭滅却心頭滅却」
彼は何かを呟いている。
バスタオル? 湯船にタオルを入れるのはマナー違反だぞ。
当然、正々堂々と私は真正面から彼に抱きついている。
少々、狭いがこの密着感がとても心地いい。彼の全身を満遍なく堪能できる。
「ふふっ」
「心頭滅却心頭滅却心頭滅却心頭めきゃぶ……噛んだ」
「可愛いな、きみは」
私は嬉しい。
私はいつもこれが夢ではないかと思ってしまう。
夢なら覚めないでほしい。
彼が私からいなくなるなんて……絶対いやだ。
「――嗚呼、よかった」
彼に抱きつきながら一緒に寝ていた私は夜中に目を覚ます。
視界は相変わらず暗闇だが眠っている彼の息遣いが間近で分かる。
ぎゅっと少し力をこめて抱きしめる。
彼は此処にいる。
私は此処にいる。
夢じゃない。
確かに感じる彼の温もり。
嗚呼、よかった。
本当によかった。
私は決して手離さない。
彼が私の傍からいなくなったとしても、私は必ず追いかけて捕まえる。
二年前に私を助けてくれた彼を。
私より年下の彼を。
私の大好きな、大好きな、大好きな彼を。
「愛しているよ。おやすみ、きみ」
そっと頬にキスをして私は眠る。
明日もよろしく、大好きなキミ。
こんにちは、レヴィアです。
久しぶりに書いてみましたが、如何でしたか?
ふとこういう話を書いてみたくなったので書いてみました。
機会があれば、この二人をまた書こうと思います。
では。