何かが足りなくて、もしかしたらあったかもしれない結末の一つです。
後日談ではありません。
人によっては不快感があるかもしれないので、嫌な人はブラウザバックを。
東方に風は吹いているか
あの日に、何かを失ったような気がする。
もう二年も前のことである、小山の頂の上で目を覚ました。
訳も分からず取りあえず家に戻ってみると、珍しく母と父が俺のことを心配していて、あの家族の時間よりも仕事を優先していた労働者の鏡たる両親が、平日だというのに家で俺の帰りを待っていた。柊からのメールが携帯には何十通も届いていて、実際に顔を合わせた時にはらしくもなく、泣きつかれて困惑したものだった。
どうやら、綾崎結鷹は三日にも渡って失踪していた、らしい。らしい、というのは俺自身にもその三日の時間の記憶が無く、何故、あんな何もない小山の頂上で寝ていたのか不明だ。念のために医者に診てもらったが体のどこにも異常は無く、結局、何があったのかは分からずじまいで、当時の謎はそのままに、早回しに季節は幾度も過ぎた。
過ぎ去っていく時間の中でふとした拍子に想うのだ、その日に、何か大切なモノを落としたような気がしてならないと。
何かを落としたのは分かっているのに、何を落としたのかが分からないというのは何とももどかしかったが、そんな心のつかえも、毎度、いつの間にか薄れてしまっていた。まるで、それは忘れていなければいけないことだとでもいうようだ。
結局、忘れてしまったというならその程度のものだと諦めながら、そのことが何故か悲しかった。
「綾崎くん」
俺を呼んだのは、高校に入ってからよく聞く声だった。彼女の声は澄んでいて、よく通る。目を開いて顔をあげると、俺の名前を呼んだ張本人の柊玲奈が、前の席に座ってこちらを覗き込んでいた。
「ん……おはよ、柊」
朝から彼女のような美少女に起こされて、その姿を見れるとは、中々に幸運だ。実際、毎朝起こしに来てくれって頼んだら、来てくれそうだから困る。
「あら、寝ぼけているのかしら、もう昼休みなのだけど」
頭のおかしい人を見るような顔の柊に言われて、周りを見渡すと、生徒同士が机を突合せたりしていて、それぞれに昼食を始めていた。全員で早弁か、とぼけた頭で若干抜けたことを考えながら時計を見る。どうやら柊の言う通り、既に昼休みらしい、時計の短針は既に12時を過ぎていた。
「……マジか。今日の記憶がほとんどないんだけど」
「まったく貴方と言う人は……、もう私達は受験生で、秋なのよ。授業くらいはちゃんと聞いたらどうかしら? それで、大丈夫なのあなた」
言いながら、柊は人差し指をこめかみに当てて、呆れたように目を閉じて溜息を吐く。おかん属性が最近の柊にはついてきたような気がする。ぶっちゃけ俺の母よりも俺のことを心配してくれているだろう。
「いやあ、ちゃんと勉強してるって。柊と同じ大学行きたいし」
「それなら良いの。わ、私も出来るだけレベルを下げずに、あなたと一緒の大学に行きたいから……」
彼女は仄かに顔を赤くして俺から少し視線を外しながら、喋る声は尻に向かっていくにつれ段々と小さくなっていく。そんな彼女の様子を、思わず可愛いと感じてしまった。
そんなのを見たら、ちょっとイジメたくなるじゃないか。
「えー? なんだって? もっかい言ってくれないか」
自分でも笑ってしまいそうなくらいに、わざとらしく言うが、柊にはそれで充分だった。
「だ、だから、あなたと、……同じところに、行きたいの」
言いながら、柊は俯いて、上目遣いでこちらを見てくる。その顔は耳まで赤くて、見ているこちらまで顔が熱くなるのを感じる。こういう時に、恥ずかしがりながらもちゃんと言おうとするところが、彼女の、何というか、愛らしい部分だと思う。普段は気品溢れる立ち振る舞いだけに、そのギャップは中々の破壊力だ。
「いじのわるい人……」
「悪い悪い」
少し、不貞腐れたように顔をむっとさせて柊はそんなことを言う。心の内だけで留めておくつもりが、どうやら顔にまで出ていたらしい。
それにしても。
「同じ学校に……か」
「どうかしたの?」
「いや、何でもない」
その台詞に、何故だか、急に懐かしい気がした。かつて、高校受験を前にした中学生の時にも、こんな風に誰かと同じ高校へ通おうと言って、毎日一緒になって勉強していた時期があったような気がするのだ。
けれど、そんな記憶は頭の中には無くて、その誰かも思い当たる人物は居ない。中学からのツレと言えば中田だが、あいつでは無い、断じて。
「じゃあ、行きましょうか」
そう言って、柊は席を立つ。どこに、とは聞かない。昼に俺たちが行く場所と言ったら決まっていた。何のためにあるのか分からない空き教室。三年生になった今でも、授業で一回も利用したことのないそこで、俺と柊はよく昼休みを過ごしている。たまに、中田も同席するが、それ以外は誰も来ない。それだけに快適だ。
「ああ、そうだな」
柊に続いて俺も席を立つ。今日は、俺の分まで弁当を作ってきてもらう約束だった。彼女は、大体のことをそつなく並み以上に一人で熟し、料理も当然その範囲の内にあった。あまりに弱点が無さ過ぎて、ちょっと俺の立つ瀬がないくらいだ。こういう時、弱点らしい弱点があった方がこちらにも格好のつけようがあろうというものなのだが。
二人分の弁当を手に提げた彼女のあとを追って、教室を出る時に、ふと思う。
そういえば。
あの空き教室は、いつ、どうやって見つけたのであったか。
夢を、見ていた。
背景はなんだかぼんやりしていて、ここが何となく神社だというのは分かるのだが、白い靄のようなもののせいで、その細部まで捉えることは出来ない。ただ、拝殿らしき建築物と参道のおかげで、ここが神社であるということだけは分かった。
そんな曖昧な世界の中心に────緑の髪の少女が居た。
腰くらいまで伸びた長い、綺麗な緑の髪の毛。思わず吸い込まれそうになる碧のつぶらな瞳。水玉と変な模様の描かれた青のスカートと、青色で縁どりされた白い上着。巫女服のようなそれを身に纏った彼女は、神秘的だ。
それは、どこの誰とも分からない女の子だったけれど、ひどく、懐かしい匂いがした。
胸がざわつく、頭にはノイズが走る。目からは、自分でも理解できず、涙が零れて仕方なかった。
記憶には無いのに、彼女が、俺にとってとても大切なモノだったような気がする。そんな風に感じることが不思議で仕方ないのに、その感覚は、すとん、と腑に落ちて着いてしまう。そんな感覚とは反対に胸は異様に高鳴る。彼女を目撃した瞬間から顔は熱をもってどうしようもない。
俺に無いはずの彼女にまつわる記憶を、心が必死に拾い集めようとしている。あの日、失ってしまった何かが、今、目の前に在るのだとでも言うように。
おかしい、まるで、自分の体じゃないみたいだ。
まるで、俺の他に誰かが俺を動かしているみたいに、口は、俺の知るはずのない言葉を、彼女の名前を紡ぎだした。
「東風谷、久しぶりだな」
自らの言葉で、その少女の名前を思い出す。
東風谷、早苗。
とても懐かしい響きだと、そう想った。
三日ぶりくらいに会った友人にでも言うようなそんな言葉に、彼女は確かに反応した。緑の髪の少女は俺を見て、優しく笑う。そうして、彼女も口を開く。
「────」
けれど、その声は俺にまで届かない。まるで、俺と彼女では、存在としての次元が違うとでも言うように、その声は俺には理解が出来ない。こんなにも近くに居るのに、二人は絶望的なまでに遠くに居た。それだけのものが、俺と彼女の間には在った。それは、幻想の夢の中でさえ、変わらずあり続ける
「お前、神様なんだよな……。今でも信じられないよ、ちょっと」
「────」
目の前の少女が、少しむっとして何かを言っている。けれど、その表情には確かに親しみがあった。やはり、声は届かなかった。
それで、会話は止まってしまう。
いつもくだらない話をしていた友人と久しぶりに会って、改まって真面目な話をしようとすると会話が続かなかったりするのに、少し似ていた。だというのに、居心地はそう悪くない。
どれだけ近づこうとしても、触れ合おうとしても、それでも俺と彼女との隔たりは超えられない。
そのことに、胸がきゅっと締め付けられる。どうして、こんなにもそのことが切ないのだろう。顔も知らない少女の声が聞こえないだけで、名前以外に何も思い出せないその少女が今にも泣きそうな顔で、それでも微笑んでこちらを見ているだけで、何で、こんなにも痛いのだろう。
だけど、俺の知らないもう一人の俺には、それが聞こえていると言うのだろうか、勝手に口と体は動いた。
「……東風谷、君が好きだ。きっと、初めて見た時から好きだった。その緑の髪を目にした瞬間から、ずっと東風谷を目で追っていたんだ。東風谷のちょっとした仕草に心は揺れてさ、お前が笑うと俺まで嬉しくなって、だからお前が悲しそうにしてる時は何とかしてやりたいって思えた……。東風谷の傍がきっと俺の居場所なんだって、図々しいかもしんないけどさ、そんなことをずっと願ってた」
それは別離の言葉だった。いつかの時に交わすことの叶わなかった、どこかの誰かの別れの言葉だった。たった一人の少女を想って紡がれた、俺でない俺の言葉だった。
紡ぐ言葉はたどたどしく、聞くにも見るにも堪えないあまりにも恥ずかしい、告白だった。子守唄のような響きをもって伝えられた、最後に、ずっと、たった一言伝えたいと想っていたはずの言葉が出てくる。
「お前と会えて良かったよ」
ふと、掌を彼女に向けて手を伸ばす。それを見て、彼女も俺に掌を向けて手を差し出した。
それはいかような奇跡か。
存在としての格の違いという次元が隔てていたはずの俺と彼女の間が、──ゼロになった。
それで、全てが蘇る。あまりにも懐かしい光景たちが、瞼の裏に映し出された。
互いに向けた掌を重ねる。彼女の手は柔らかくて、触っていて気持ちが良い。不思議なことに、彼女の手に触れていると心が落ち着いた。
俺が好きだった、聞いていて心地の良い彼女の声が聞こえてくる。
「私も、結鷹の事が好きでした。あなたには何度救われたか分かりません。あなたのおかげで私は自分の事も好きになれたんです、あなたのおかげで外の世界も大好きなままでいられたんだって、今は思えます」
そんなことはない。
俺に出来たことなんて、本当になくて。ただ傍に居たいって願いすら叶うことはなくて。それ程に俺は無力で、だって言うのに目の前の少女は心底、俺で良かったと言わんばかりだ。
そのことに嬉しいやら悲しいやらで感情がごちゃ混ぜになって、またしても込み上げてきた涙が溢れそうになる。
「結鷹と居た時間はそれこそ風みたいにすぐに去ってしまいましたけど、本当に楽しかったです。お別れは悲しかったですけど、それでも──あなたと出会えて良かった」
わずかに頬を赤く染めた彼女は、目に涙を溜めながらも、俺がずっと見たかった気がする太陽のような笑顔をして、最期にこう言った。
────ありがとう。
かつて、一つの奇跡があった。
それを見つけることが出来たのは世界中でたったの二人で、それを奇跡だと想ったのははたして、そのどちらだったのか。少女は平凡な多くの人の中から解かり合いたいと願うほどの少年を見つけて、少年は上辺のみを見ている者達に囲われた孤独な少女を見つけて、隣に居たいと想った。少年がどれだけ手を伸ばしても少女には届かないと知って、それでもその手を伸ばし続けた。
その果てに訪れたのは二人が寄り添い合い続ける理想では無く、別れという、違い過ぎた二人には当然の末路だった。
少女は人でありながら神だった。対して少年はどこまでもただの人だった。人としてちょっと変わっている程度では、その差はどれだけ求め合おうとも埋めようがなかったのだろう。
けれど。
そんな二人が出逢って、寄り添おうとしたことこそが、きっと────。
見つめ合うだけの時間が過ぎて、気づく。
ああ、この奇跡のようなユメもどうやら、終わりを迎えたらしい。
曖昧だった背景だけでなく、視界にある全てが歪んでいくような感覚。段々と、彼女の姿も薄らぼんやりとしてきた。
透き通って段々と見えなくなっていく少女。今度こそは、その最後までを見届けようと想った。
行って来い、東風谷。
多分、言い残したことは無かった。彼女にしてやれることは俺には無い。いや、そもそも、そんなものは元から無かったか。ただ、いつの日かに、目の前の女の子が素敵だと想った、だから一緒に居たいと願った。ただ、それだけのこと。
それに幾度も助けられたと彼女は言ってくれた。
なら、それで充分だった。それで充分すぎる程に報われている。
彼女と一緒に居続ける。
それはもう叶わない夢だけど。
あの出会いがあったから、こんな別れが訪れたのだ。
心が痛いのは、それだけ大事だったということ。別れは悲嘆すべきことだけど、出逢ったことだけは、決して間違いじゃなかった。
だから、今度こそ、その背中を見送るのだ。
少しだけ、あの緑の髪の少女──東風谷早苗のことが少し心配だった。
ちょっと天然で、生真面目で、優しくて、頑張り屋さんで、まっすぐで、そんな全部が可愛くて、誰の期待にでも応えようとする女の子だから。
向こうで、寂しい思いをしていないだろうか、無理をしていないだろうか。彼女は果たして其処で受け入れられたのだろうか。そこならば、ちゃんと笑っていられるのだろうか。かつて、俺の目の前で、たくさんの笑顔を見せてくれたように。
けれど、そんな不安は直後に杞憂だったのだと確信する。
だって、彼女が俺から背を向けて歩いた先には、彼女を迎えてくれる人たちがたくさん居たのだから。
そんな景色を幻視したのだから。
彼女の到達を待っているその人たちが身を包んでいるのは、和洋の入り混じった特徴的な衣装ばかりで、その姿を微かに目にしただけで全員が全員、一癖も二癖もありそうな連中だと判った。こちらではその心を孤独たらしめていた程に特別に生まれてしまった彼女でさえも、きっと向こうではそうでは無いのだ。
だから、彼女はあそこなら疎まれることも羨まれることも、不必要に持て囃されることもない。そんな場所が孤独な筈がない。
特別な者たちばかりが集まった幻想の郷へと向かって歩く彼女は、こちらにはもう振り返えることは無い、ただ前を見据えて進み続ける。その後光すら差して視える神々しい姿たるや、まさしく現人神に相応しい。
どんどん遠のいていく、到底追いつけそうにない少女の後ろ姿を見て、俺に安堵の笑顔が出来た。
どうやら、俺じゃあ、お前にはどうあがいても届き得なかったらしい。あの向こう側に居る人たちとならお前はきっと幸せになれるよ、早苗。
でも、だけど。
向こう側の世界で彼女の隣に居るのが俺じゃないこと、俺が居なくても彼女はあんなにも幸せそうな笑顔をしていること。
そのことが────ほんの少しだけ悲しかった。
風が強く吹き付けると、不安定な夢の世界は吹き飛んでしまった。まるで花弁が舞うように世界が欠けていく。残ったのは、眩いばかりの真白の世界だけ。もう、何も見えない。
彼女と会うのはきっと、あれで最後だ。
もう二度と、こんなことは起きない。
だから人はそれを奇跡と呼んだのだ。
この身を包む風の最中に、眩しさだけを残していた世界が、最後にある一つの光景を映した。そうして見えた景色はいつかの日に見たあの神社で、そこには一人の小さな女の子と、小さな男の子が元気に走り回っていた。
それはきっと、何も考えず、ただ彼女と居られた瞬き程に短い期間の記憶。
こんなこと、とても口にして言葉には出来なかったけど、東風谷には誰よりも幸せになって欲しかった。そして、その隣に居るのが俺だったら、それは、どんなに素晴らしい────。
蘇りかけた記憶が白紙となって消えていく中で、ほんのわずかな、けれど、きっと何より大切だと感じた想いだけが残った。
「……くん、綾崎くん」
呼ばれて、目が覚める。机に向かって突っ伏していた体を起こすと、目の前には柊玲奈が居た。教室の西側の窓からは夕日が差していて、彼女と教室とを紅く照らしている。
呆然としている俺を、彼女は心配そうに見つめる。
「大丈夫? 今日の貴方、少し変よ、ずっとぼうっとしてる」
「大丈夫だって、ちょいと寝不足なだけだ」
「本当に? 私、心配なの。いつかまた、あの日みたいに貴方が姿を消してしまうんじゃないかって……」
柊の不安そうな瞳は、俺から教室の床に向けられて、俯いてしまう。下を向く彼女の表情を、こちらから確認することはできない。
俺が失踪していた時期におそらく一番心配してくれていたのは彼女だった。暮れようとする陽の光を受けた柊は、今にもその黄金に溶けてしまいそう。陽によって消えてしまいそうな小さな氷のようなその姿を、とても儚いと、そう思った。
「柊……」
名前を呟くように口にすると、彼女は、俺の制服の袖の端を二本の指で摘まんでくる。その力はとても弱くて、振り払うのは容易いはずなのに、俺にはそれが到底出来そうにない。
「お願いだから、もう私を独りにしないで」
その声は今にも消え入りそうなのに、心に強く響いた。それがどれほどの勇気をもって紡がれた言葉なのかは、考えるに難くない。彼女は少し特別で、だから、独りでも強く生きなければならなかった。そんな風に生きてきた彼女がそんなことを言う意味の重さが分からない程、俺は鈍くは無かった。
縋りつくようにせがむように言う柊を俺が拒絶なんて出来るはずも無く、ただ、受け入れようと想った。一緒に居てやりたいと、傍に居たいと、いつかのようにそう願った。恥ずかしくてとても出来ないけれど、抱き締めてあげたかった。
「大丈夫だよ、柊。もう絶対に居なくなったりしないって、俺は」
「……本当に? 約束よ」
「ああ、約束だ」
そこについては、何となくだが得体のしれない確信があった。
「本当に本当よ。私はこれでも欲深いの。離れようとしたって離さないわよ」
袖を強く握られて、今しがたの彼女の言葉に偽りは一切ないとでも言うようだった。俺だって、離してなんかやるもんか。
「じゃあ、俺がお前から離れられる時は俺かお前が寿命でぽっくり逝った時くらいだな」
冗談のようにそんなことを口にすると、彼女は嬉しそうに、満足いったように笑う。目の前に居る柊玲奈という女の子が愛おしくて仕方なくなって、告げる。
「……お前が好きだ、柊」
ああ、いつからか、俺はこの少女の事が好きになっていた。その上質な絹糸のように流麗な烏の濡れ羽色の黒髪が、理知的な切れ長の目に収まった水晶のように澄んだ瞳が、あまりにも白いきめ細やかでたおやかな肌が、上品だと感じさせられるほどに洗練された一つ一つの動作が、独りで全然平気みたいな雰囲気を出しておいて、意外と寂しがり屋さんなところが、こっちが人恋しい時にはそっと傍に居てくれたりするところが、彼女の至るところ全部が好きだった。
こんなことを言ってしまったのは、あの夢のせいだろうか。そうだ、あのくっさいくっさい告白のせいだ。そういうことにしておこう。
気づかず、ずっとまとわりついていた後ろめたさのようなものは、もう俺から消え失せていた。
俺の唐突な告白を聞いてこちらを見る柊の表情は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔と言う表現が似つかわしくて、思わず笑ってしまいそうになる。数秒の間を置いて俺が何を言ったのか理解した柊はそのまま黙り込んでしまう。
このまま放っておくと、そのまま今の発言が無かったことにされそうだ。
「なんだよ、人には言わせておいて、返事は無しか?」
ちょっと意地悪にそう言ってやると、柊は俺からすっと目を逸らして、視線を下に落とすと、俯き加減にぼそっと小さく囁くほどの声量で言った。
彼女の顔は真っ赤で、けれど、それが実際に顔が紅潮しているのか、その顔に照りつく夕日の光のせいなのかどうか分からないのが少しだけ悔やまれた。
「……わ、私も」
「ん?」
今度は、落とした視線をこちらへと向き直した。表情はムキになった子供みたいで、だけど見つめた氷のように綺麗な瞳は確かな意思で俺を捉えていて、彼女の小さな口はさっきよりも幾分か大きな声ではっきりと言葉にした。
「私も、あなたが好き」
「そりゃ良かった」
何となく、掌を彼女に向けて右手を差し出す。すると、彼女は小さく、それでもはっきりと笑って同じように右手を差し出してくれる。その表情は優しげで、どこか儚い。
向かい合わせた掌を重ねる。
彼女の白い手は、少しひんやりとしていて、俺の手から熱を奪っていく。その感覚がどうにも気持ちが良い。向けられた凍てつく氷のような瞳はいつの間にやら溶けてしまったようで、夏の、澄んだ青空のようだ。その蒼い瞳が、どこかの誰かと一瞬だけ重なって、消えた。
つないだこの手をしっかりと取っていよう。今度は──離れてしまわないように。
ふと、日が差す教室の窓の反対側から風が吹き込んできた。
それは神託にも似ていて、急に、その風が吹いてきた方向を今すぐにでも見なければいけないという衝動にかられた。
「ちょ、ちょっと!」
それで、合わせていた柊の手を握って、連れだって教室から廊下へと飛び出て取り付けられた窓から半身を乗り出す。
東の空を見上げる。
朱い、果てのない空はどこまでも続いていて、どこかで彼女もこれを見ているのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
見ているものは違っても、聞こえるものは違っても、在る世界が違っても、この空は続いていて、その下で俺たちのように、あの少女もどこかで在り続ける。
あれで終わりじゃないのかもしれない、なんて。
そんなことを想ったのだ。
“────ありがとう”
耳朶に響く、別れの間際の少女の言葉。
それをずっと胸に抱えて歩き続ける。
隣で俺の突然の奇行を不思議そうにしている柊を見る。
彼女に二柱の神がついているように、俺にはこんなにも素敵な女の子が隣に居るのだ。
なら大丈夫だ、俺はこれからも頑張っていける。
────ありがとな東風谷、随分と世話になった。
ふと、脳裏に蘇る、失われたはずの遠い記憶。
“さなえちゃんのかみは、みどりいろだよ”
“おれ、そのかみのいろすきだなあ、ほかのひととはちがってて、きれいなんだもん”
かつて、一つの出会いがあった。
それを俺は知っている。
そのことを思えば、俺たちが再び会うことがかなわないなんてことはありえない。
そんなのは絶対に間違っている。
だから。
────またな。
俺と柊と東風谷の三人がまた揃う日を俺の夢として定めた。
不遜にも傲慢にも図々しくもそんなことを祈った、それが例え叶わないものだとしても。
そんな、おそらくはその通りなのであろうと感じる心を奥深くに封じ込んで、おくびにも出さず、再会の日を信じ続ける。
ただ、信じる。
ずっと昔から俺があの女の子に出来たのは、結局のところそれだけ。
けど、それでかまわない。
だって────俺と彼女の関係はきっと、そういうもので出来ていたのだから。
彼女に届けと願って藍色の空を見ていると、その果てから東風が吹いた。
まるでそれは、遥か彼方に居る彼女が、俺に返事をしてくれたようだった。
というわけで、約束が交わされる日に、早苗さんの元に辿り着くには何かの要素が欠けていた場合のお話でした。ゲーム的に言うとビターendですね。
当時書き終わっていたものの中で、まだ残っていたお話です。必ずしも必要ではない話なので、投稿するか悩みましたが、何年も待ってくれた方々なら、こういうのもアリと思っていただけるかなと思い投下しました。
こちらの彼の方が現世での人生捨ててない分、幾分か健全なのかなー、なんて思ったりもしています。
蛇足をつけるなら、幻想郷でのいちゃいちゃが描けると良いんですけど、当時の文体や雰囲気を再現できそうにもないので、期待はしない方向で、これで本当に完結だと思っていただけると助かります。
たくさんの感想、評価、お気に入り登録ありがとうございました。
こんなにも多くの方にお待ちいただいているとは思いませんでした。
出来ればその当時に、完結話まで持っていけていたらな、と壊れたPCを恨みつつ諦めて心折れたことを悔いています。
ここまでお付き合い頂いたみなさん、本当にありがとうございました。