No.0 『生前』
私の人生はとても幸福だったように思う。
それこそ平々凡々とした生活だったが非行に走るような出来事もなく、月並みな容姿で、多くはないが友達がいて、大きな病気もしなかったし怪我もあまりしなかった。
悪いことなんて、たまに嘘を吐いたり、嫌いなご飯を残したり、遅刻をしたり、普通に生活をしていれば必ず起こるような些細なことだけ。そんなことだけ、だったはずなのに……
私は今までとは比べ物にならないほどの罪を犯しました。
学生時代を謳歌して、もうあと少しでそんな時代も終りを告げる。そんな大事な時期に。
甲高い音が響く。
人の悲鳴が上がる。
息もできぬほどの衝撃が体を襲う。
車にぶち当たって赤い線を引きながら転がった私には辛うじて意識はあったものの、体はぴくりとも動かず、目を辛うじて動かせるだけ。
正直、もう助からないんだろうなと思っていた。
真っ赤な夕陽。
毒々しい程の鮮やかな赤。
雲ひとつない空に染み込む赤、赤、赤。
真っ赤に照らされた黒いタイルの隙間に血液がだばだばと流れ落ちていく。
そして、私は未だ鳴り止まぬ悲鳴と目線を追って頭上を仰ぎ見てしまったのだ。
きっとこの一連の動作は一瞬の出来事だったのだろう。
だって、そうとしか考えられないんだ。
人の悲鳴も、電話を取り出す姿も、こちらを指差す人も、私を見て唖然としている少女の動作も……
黒くて分厚そうな、
……全てスロウで見えたのだから。
この瞬間に一体どれだけの不幸と不運が折り重なったのか、そんなことは分からない。
痛みと恐怖で雁字搦めになってまとまらない脳で唯一纏まった答えが出たのは、その場にいた人達に一生消えない
迫り来る終わりに、恐怖のあまりスッと体中が冷えていくような感覚がして、できるものなら気絶してしまいたかった。
体の防衛機能により中途半端に和らいだ痛みの所為で気絶することもできず、目を閉じることもできやしない。
何かの怪談話で本当の恐怖を体験すると髪が白くなるというものがあったが、こういうことを指していたのだと急激に冷えた体で考える。
私の死体は髪が真っ白になっているのだろうか、それともそんな色も気にならないくらい赤い絵の具を壁に思い切り叩きつけたような、ぐちゃぐちゃな花を咲かすのだろうか。
些細な時間で周囲の喧騒が消えた。耳が聞こえなくなったのだ。
ああ、こんなことならもっと感謝の言葉を言えばよかった。
こんなことになってしまうならもう少し言いつけを守っていればよかった。
ここ暫く、母には抱きついていないし、父に甘えていない。兄の進学祝いも言っていない。
いってらっしゃいと見送ってくれた母の姿がぐるぐると脳内を巡る。そうだ、このままじゃおかえりなさいも言えない。久しぶりに会ったというのにもうお別れか?
深い後悔が私を襲う。
ああこんなことになるんだったら!
そんな未練が沢山あって、涙が溢れる。
だが、そんなに願っていても先に後悔することなどできはしないのだ。
中途半端な痛みが嫌に現実味を帯びていて、肌に這うぬるりとした感触が気持ち悪い。
死んだあとは幽霊になるのだろうか。それとも、それで終わりなのか。そんなことも予想がつかず、段々思考が鈍り、とうとう周囲の様子が分かりにくくなった。もうすぐ目も見えなくなるだろう。
「……」
ああ、謝罪の言葉も、感謝の言葉も言えないなんて。なんて残酷なのだろうか。
悲鳴、絶叫。
痛みと、恐怖。
死ぬ瞬間の未知の感覚に出会ってしまうのだ。
そう、死ぬ。
…… 死ぬ?
このまま、なにもできないままに。
苦痛を受け、その生を閉じるしかできないのか?
先程考えていた未練がまたも胸中に顔を出す。
このまま、死ぬしかないのか?
目が閉じれない。指先すら動かせない。
そりゃあそうだ、今は走馬灯を見ているだけで実際は物凄く短い時間を体験しているだけなのだから。
でも、そう自覚した途端に醜い感情が芽生えてしまった。もう諦めるしかないというのに、なんて馬鹿なんだろう。
それでも私は死にたくない。
なんにもできぬまま死にたくない。
感謝も告げずに死にたくない。
たたただ死にたくない。
私は死にたくないんだ!
嫌だ、痛いのなんか嫌いだ。
やりたいことだって沢山ある。
嫌だ嫌だ嫌だ!
なんで私がこんな目に遭わなければいけないんだ!
なんで周りのヤツらは見てるだけなんだ!
嫌だ嫌だ嫌だ!
「し、に……くな、ぃ」
時間が遅れた世界で味わったのは恐怖と絶望。
想うは、理不尽な苦しみと憎しみ。
脳内を占めるは悟りにも似た諦観の想い。
そして、最期に残ったものは生きることへの執着心。
私が最期に見た光景は、目前に迫る真っ黒な
2015/10/13
より人間らしくなるように、より恐怖を感じていることが分かるように心情を加筆修正。
本文編集の際に前書きの文も修正致しました。