錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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 迷いなんてなかった。目的も達した。
 なのになんで今更私は悩んでるんだろう。
 ねえ、キミなら答えが出せるのかな。

 お願いだから応えてよ、ねぇ









No.4『自由』-空月ー

 (あきら)とは仲の良い幼馴染だった。

 

「り、織月ちゃん皆とは一緒に遊ばないの?」

「うん、ちょっと気になるからあっち行くの」

「ええ、でも……」

 

 彼と出会ったのは幼稚園に通っていた頃。その頃、私は現実と夢の区別すらついていなかったから周りにはかなり不気味な子供に見えていたはずだ。夢の中で友達と思った人間が現実にいないパターンなんてよくあることだが、幼かった私はそんなことも分からなくって、日常でいないはずの友達の名前を出したり、温かい夢の中で水浴びすれば海に言ったと吹聴した。嘘だと思われたのは必然だし、気味悪がられたのも必然のことだった。

 そして、そんな変な子だった私の傍でいつも孤立していたのが翠だった。

 

「ねえキミさ、いっつもここにいるよね。なにしてるの?」

 

 いつも彼は幼稚園の広い庭の中で、決まって大きな木の木陰に入って座っていた。皆と遊ぶこともなく、誰と喋ることもなく、たった一人で。いっつも変なことを言って輪から外れていた私とは違って自分から輪に入らない翠に私は興味を持ったんだ。

 

「キミには関係ないだろ?」

 

 翠はそのとき、画用紙一杯に絵を描いていた。幼稚園生にしては上手すぎるほどのその絵には、元気一杯に遊ぶ子供たちの日常風景があった。砂場で遊ぶ子、ボールを蹴ったり跳ねたりしている子、先生にくっついたままお喋りを楽しんでいる子、鬼ごっこしている子、小さな木に登ろうとしている子、そんな無茶をしようとしている子供を必死に宥めている先生、そして、つまらなそうにしている私。そこには、日常がぎゅっと凝縮されていた。

 

 素敵だと思った。普通は幼い子供がこんなにも綺麗に絵を描くことなんて無理だと知らなかった私は、ただ純粋に見入った。

 

「わぁ!すごいすごい、こんなに楽しそうな絵初めて見たよ!」

「え、楽しそう?」

 

 私の言葉に、翠は途中までなんでもないような態度をしていたけれど、それもすぐに崩れた。私が楽しそうだと言った途端にすごく嬉しそうな顔をしたんだ。それから、私は頬を染めて「でも」と言葉を続ける。

 

「キミも、絵の私も楽しそうじゃないね」

「そ、そう…… だね」

 

 さっきまでの嬉しそうな顔がすぐしょげて残念そうな顔に変わる。私は、そんな顔をしている彼が素敵な絵を描けるなら、笑った彼はもっと素敵な絵を描けるんだろうと思ってその頬を指で思い切り釣り上げさせた。

 

「ら、らにするのあ?」

「変な顔。そんな顔してすごい絵できるんだから笑ったらきっと、もっとすごいの描けるよね?」

「は、はなひてぇ」

「あはは!」

 

 ちょっと涙目になった彼の頬から指を離して今度は自分の頬に指を当ててむにっと釣り上げさせて笑う。私はただ彼の絵が見たい一心で笑わせようとした。困った顔をした彼は私の真似をして 「いー?」 っと言いながら自分の頬を上げる。それがなんだかおかしくて、私はずっと笑ってた。

 

「ふふっ、ねえ。キミのこと描いてもいい?」

「おおう、ホント!? 描いて描いて!」

「わわっ! それじゃ描けないって!」

 

 彼も少し頬を染めて笑ったあと、大人みたいな雰囲気がなくなって私と似た不思議な感じのする喋り方で話した。私はその喋り方の方が友達になれたっていう実感が湧いて好きだと思った。少しだけ偉ぶっているのに押しには弱くて、すぐに動揺する。彼と友達になれたのはそんなちぐはぐな感じが面白かったからかもしれないし、おかしなことを言う私を拒絶しなかったからかもしれない。なぜこんなにも自然に友達になれたかなんて今になってはよく分からない。でも、友達というのはいつの間にかなっているものとはよく言ったものだと思った。

 

 絵のモデルになることなんてなくて、もっぱら幼稚園の課題で両親の顔を描いたりするぐらいで絵に触れることもあまりなかった私はその絵の中に入って行くような、そんな妄想をした。絵の中に入るだなんて、まるでいつも見る夢のようで、とても身近だったけれど遠かったもの。そんなだから感動して思わず翠に抱きついちゃったっけ。

 

「じゃあね、ちぇーんそー持った私描いて!」

「え、なにそれ?」

「こう、格好良いやつ!」

 

 当時見たホラー映画の影響とか、アニメの影響とか、戦隊物とか、早いうちから格好良いものの魅力に夢中だった私はない知識を振り絞って彼にその格好良さを教え、語った。今思えばものすごく迷惑だったんじゃないかって思うけれど、今は笑い話になっているから別にいいと思うんだ。それに、このときは知識不足だし、見たことないから駄目って言われちゃったけど、ちゃんと調べて描くって言ってくれたから。

 

「そっかー、じゃあまた今度調べたら描いてね」

「そうだね」

「よっし、ならこのポーズはどう!これとこっちどっちがいいかな!」

「うーん、じゃあ最初のやつで」

 

 それから、翠とは急速に仲良くなっていった。

 

 作り方を教わった甘いお菓子を頑張って作って持っていったり、お気に入りのプラモを持ち出して見せたり、絵本を読んで演じてみたり、水遊びして虹をつくったり、それぞれの格好良いと思うものについて話してみたり、絵のモデルになりながらいつもお互いに好きなものを話しながら過ごした。

 

「ケーキ作れるようになったんだ」

「へえ、織月がねぇ」

「私だって女の子らしいところぐらいあるんだよ」

 

 大人には背伸びした話し方をする翠の態度に少し憧れたりもしたけれど、中学校になったら離れ離れになるかもしれないことを聴いてからは真逆のことを願うようになった。子供のまま、翠と一緒にいたい。ずっと遊んでいたい。そんな希望があった。

 

 小学生になって、翠は写真にも手を伸ばして沢山思い出を切り取って残した。同じ絵関係のクラブに入って放課後の遅くまでずっと絵を描いたり、描かれたりを繰り返したし、体育が苦手な彼をからかったり、勉強が苦手な私は逆にからかわれたりして過ごした。

 

 絵も、写真も、その場その場を切り取った大切な思い出だ。

 

 入学式のときはご両親が写真を撮ってくれたから、二人で写っている珍しい写真が撮れた。入学して少ししてから桜並木の間を走り回って花弁を追う私が写真に収められたし、五枚も一気に花弁をキャッチした瞬間を撮ってもらえた。そのあと描いた絵には手を広げて桜並木の中を走る私を描いてもらえたので、下手だけれどその絵に続くように私の隣を歩く翠を描いた。

 

 健康診断はドキドキしたけれどあまり面白くなくてメモ帳を使って絵しりとりをしたっけ。身長が女の子である私のほうが高くて自慢もした。そのあと翠は牛乳を二本も飲むようになったので私も張り合って沢山飲んだ。

 

 遠足じゃ、自由時間のときとお昼休みのときを二人で景色のいいところを探し出して渡り歩きながら簡単な絵を描いた。翠は学校に帰ってからその絵を完成させてコンクールで優勝してた。やっぱり翠の絵はすごいんだと胸を張って言えたけれど、女の子が周りに増えて絵をねだるようになったので少し複雑だった。でも、すぐに翠が私の傍に来てくれたのでもやもやするものも全部全部吹き飛んでいった。

 

 プールでは運動が苦手な彼に横で教えながらいつかのときみたいに大きく水飛沫を上げて遊んで、二人して先生に怒られた。

 

 運動会ではビリになる翠の分を挽回するために一位を何個ももぎ取った。一緒にお母さんと作ったお弁当を食べて、卵焼きが私作だと知って絶賛してくれた。結局運動会自体は負けちゃったけど、そのあと反省会と言ってさらにお菓子を作って一緒に食べた。

 

 学習発表会ではやっぱり翠の描いた絵が褒められていて私まで嬉しくなってしまった。学芸会で赤頭巾になるか、狼になるかで揉めて翠が赤頭巾で、私が狼役になって可愛い姿を絵と写真にして残した。恥ずかしそうに 「なんでボクが」 っていいながら赤い頭巾を被った翠は女の子の私よりも可愛くて少し嫉妬しちゃったくらい。

 

 

 この頃にはもう夢と現実の区別がつくようになっていて、夢の世界での行動範囲が劇的に増えた。色々なものを経験する年頃だったからかもしれない。その中には翠と行った綺麗な公園や場所なんかもあったし、絵の中のような場所もあった。中には翠の絵が沢山飾られている場所もあって、まるで美術館のようなところを見つけて目も覚まさずにずっと眺めていたからその日は盛大に寝坊した。

 

 後日何度も冒険しているうちに似ても似つかないけど雰囲気だけはそっくりで絵を描いている人を見つけて話しかけた。そうしたらやっぱり彼だったみたいで、思い出の中と同じように偉ぶった口調で話した。

 

 ときどき話が噛み合わないこともあったけれど、現実でも夢でも彼に会えて幸せだった。そう、あのときまでは。

 

「嘘でしょ翠!」

「あ、ごめ、りづき……」

 

 彼の血が緑色であることはとっくに知っていた。怪我の手当てはいつも私がして、周りには隠していたから。そうしなければ昔の私のように彼が一人になってしまうと思ったから。私は気持ち悪いとは思わなかった。なんだか映画の登場人物みたいで格好良いとか、そんな馬鹿みたいな発想が出てきて怖いとは思わなかった。

 

 彼の両親は殆ど家にいないから風邪をひいたときは私が隠してある鍵を使って家の中に入り、門限の時間まで看病した。でも、その日はいつもと違った。そのとき彼が罹ったのはただの風邪じゃなくて、流行っていた性質の悪いもので、寒い冬だというのに布団もろくにかかっていない状態でいたから悪化してしまったんだと思う。救急車を独断で呼んで、翠は無事病院に運ばれたけど私はそのときの決断を後悔するしかなかった。

 

 

 翠は入院して、もう一生病院から出られない。そう聴いたのは学校で説明があったときだった。随分遅れて知らされたそのことに私は焦った。だから学校が終わってすぐに帰って、暫く話すのも遠慮していた両親に問い詰めた。そしたら、彼の血のことを訊かれた。知っていたのかと。正直に答えればもう二度と会わないように言いつけられて、でもそれじゃあ納得できなくて今まで以上に喧嘩した。ただでさえ夢見がちな私に辟易していた両親も限界だったのかもしれない。それからは朝と夜に挨拶をして、最低限のことを日常で話すだけでもう殆ど話すことはなかった。

 

 日々足りないお小遣いで買い溜めた折り紙で鶴を折って、誰に教わるでもなく千羽鶴を作ろうとした。でもお金も時間も足りなくて結局中途半端なまま病院へお見舞いに行くことになっちゃった。

 

「よかったら案内しようか?」

 

 そんなときに出会ったのが彼女、凪ちゃんだった。

 最初はなんだこの子、って思っただけだった。でも、翠のことを知っているみたいだから便利かもしれないなんて軽い気持ちで案内をお願いした。話についていけてなかったので返事がおざなりになっちゃったけれど彼女はなにも気にしていないようだったのですぐあとに続いて歩いた。

 

 彼女の印象は正直、あまりよくなかった。白い髪、藍色の目。違和感のある笑顔を受付の人に向かって振りまき言葉の端々にあるどこか偉そうな口調。それはまるで大人のようで、そうでない中途半端な複雑なもの。

 

 でも、話を聞いているうちにそうも思わなくなった。彼女はどこか翠に似ているのだ。子供っぽいんだか、大人っぽいんだか分からない変な子供。なんだか社交的な翠みたいで面白かった。それに、夢の話を振ってきたときの表情はどこか怯えている子猫のようで、私と同類なのだとすぐに分かった。だから表面上の綺麗な夢だけをつらつらと並べ立てて安心させる。

 

 周りをきょときょとと確認しながら歩く私は不思議に写っていないだろうか、変に思われていないだろうか、そんなことばかりが気になってしかたなかったけれど必死に飲み込んで我慢した。

 

「お見舞いなんだよね、その子は大丈夫なの?」

「翠のこと? 点滴で血を綺麗にしていれば前よりずっと良くなるみたいよ。その代わり病院からは出られなくなっちゃったけどね。…… お医者さんが許してくれないんだ」

 

 けれど、不意打ち気味に訊かれたその言葉に少し本音が混じってしまったのを言ってから気がついて、怪しまれていないか焦った。けれどそんなことはただの杞憂だと彼女の表情を見て安心する。

 

「久しぶりに会うから楽しみなのよ」

 

 取り繕いは間に合ったようでどうにかなった。ほっと胸を撫で下ろし、またきょろきょろと周りを確認しながら歩く。

 

「織月お姉ちゃんまた来てくれる?」

 

 そんな話をしてくるということは目的地はもう少しなんだろう。賢い彼女にはまた会いたい。そう思って本日最後になる言葉を出す。

 

「うん、またお話できたらいいね」

 

 言ってすぐ目的の病室についた。

 

「ついたよ。またね、お姉ちゃん」

「うん、ありがとう。助かったよ」

 

 そう言って互いに手を振って別れた。

 

「さて」

 

 頬を叩いて病室に入る。

 

「やあ、織月」

「久しぶり、翠」

 

 泣きそうになる感情を鎮めて椅子を引っ張り出し、床頭台に鶴を置く。

 

「思ったよりも元気そうでよかったよ」

「そんなことはないよ。この通り、点滴してるし」

 

 ぽつぽつと、そんなことを話してお互いに黙る。いつもならここで馬鹿笑いしながら色んなことについて語り始めることができるというのに、なにも思い浮かばなかった。

 

「心配、した」

「うん、心配かけたね」

「ずっと学校来なくて、つまんなかったんだからっ」

「ボクも、ずっとつまらなかったよ」

 

 律儀に彼が返してくるもんだから抑えこもうとしていた何かが決壊して、溢れ出した。もう、どうしてくれるのさ。

 

「なんで? なんでずっと病院から出れないの? 変だから? だったら私だって!」

「いいんだよ、そんなに自分を追い詰めないでよ。織月らしくもない」

 

 「変なのに」と続くはずだった言葉は彼の優しい声で遮られた。困った顔で、穏やかに私を宥めてくれる彼のベッドに顔を押し付けて泣く。そして、まるで子供あやすかのように膝の上に乗った私の頭を撫でる翠に縋りついた。

 

「翠、長く、生きられないって、皆言うのっ、違うよね? そんなこと、ないよね?」

「…… 大丈夫。大丈夫だよ。ずっと一緒にいるから」

「わたし、アキラに会えなくなるの、やだぁっ」

「ボクだってキミに会えなくなるのは嫌だよ。ほら、落ち着いて。ボクはここにいるから、ね?」

 

 みっともなく泣いて、男の膝の上で抱きしめられて、ひたすら互いに寂しさを紛らわせ合った。言おうと思っていたことも上手く言葉にできなくて、保留にしてまた今度会うことを約束して帰った。

 

 

 

 そして次の週も、その次の週も、毎週のように病院に通い詰めて、凪ちゃんの病室でお茶したあとにとうとう言えなかったことを吐露することにした。拒絶される覚悟もしていたし、嫌われる覚悟もしていた。私の我侭に彼を付き合わせる道理もないと知っていたけれど、我慢ならなかった。理性もなにもかもが壊れてそれしか選択肢が思い浮かばなかった。

 

 一生翠は病院で過ごし、ひっそり死んでいく? 自分が彼の傍にいられなくなる? そんなの嫌だ。だったら、だったらいっそ彼を自由にしたい。そうしたら、ずっと傍にいられるよね? 夢の中ならばずっと一緒になれるだから現実から夢の中に彼は移動するだけ。そしたら病院なんかで会う必要もない、理不尽に泣くこともない。

 

「いいよ。それが織月のしたいことなんだったらね」

「え……」

 

 拒絶されると思っていた。嫌われると思っていた。そうすれば私は立ち止まれたのかもしれない。いや、止められることを期待していたのかもしれない。でも、駄目だった。許容されてしまった。

 そのとき、ギリギリで踏みとどまっていた何かが壊れた気がした。

 

「そっか、じゃあ明日の夜。いいかな?」

「そうだね、じゃあ明日」

「約束ね? 絶対だよ?」

「うん、約束だ」

 

 計画はすぐに実行された。深夜、あらかじめ確認していたカメラのないルートを通ったり、隠れて進んで病室に辿り着く。

 

 彼はその日、起き上がって私を待っていた。ベッドに座り、窓から見える空を眺めている横顔が真剣な表情をしていて、病室の電気がついていないお陰で月の光に照らされる姿はどこか神秘的だった。

 

「翠、来たよ」

「ん、いらっしゃい」

 

 はっとしたようにこちらを向いた彼は優しく微笑んで手招きをした。私がベッドの傍まで行くときいつもする動作だ。

 

「いよいよだね」

「うん、これでずっと一緒」

 

 彼の言葉に頷いて笑う。

 

 特別な夜。

 特別な相手。

 特別な行為。

 特別な言葉。

 

 こんなにも胸が踊る出来事なんてもう一生味わえない。そんな気がした。

 

 

「織月、ずっと一緒だ」

「うん、ずっと一緒だね」

 

 彼に刺さった血を元に戻すほうの針を力任せに引き抜き、ベッドに放る。本当は離さなくてもよかったのだけど、翠自身がばれないようにするにはそうしないと駄目だと言っていたから実行しているだけにすぎない。

 流れ出した緑はベッドを徐々に侵食して大きな緑色の日の丸を作り始める。座った体勢から力が抜けて倒れこんだ彼は薄く笑って掠れた声で言う。

 

「最後の、絵だよ。キミへの、プレゼントっ、だから、よく見ておいて、ね」

「うん」

 

 か細くて、苦しそうな声で翠はそう言った。だけれど、私はそれよりも早くに上の空になっていた。彼自身が美術となったその光景に見惚れていたからだ。私は笑って、彼も緩く笑った。幸せだった。これでずっと一緒。そう確信して最後に軽くキスをして背を向ける。彼の生涯最後の作品を完成するまで見られないのは残念だけれど、私が見られるのはここまでだ。

 

「大好き」

「っ……も」

 

きっとこれは私の生涯の中で、最初で最後の告白になるんだと思う。それを彼に捧げるのに迷いはなかった。目を瞑ったままの翠から同じく、返事が返ってきて想いが通じたことに頬を染めて顔を覆う。嬉しくて嬉しくて涙が出た。

それから、警報が鳴ってすぐに置いてあった思い出の品(入学式撮った二人揃った写真)を懐にしまって走った。警報でやってくる病院関係者が絶対に来ない方角へ。

 

 そして目的地についてひとまず安堵する。顔には笑みが浮かんだままで、一人個室に入ってにやにやと彼との写真を眺めた。

 やがて、廊下から音がして彼女が戻ってきたのを知ってベッドの下に隠れる。きっと賢い彼女はすぐに気がつくけれど。

 

「ひっ」

「ねえ待って」

 

 短い悲鳴をあげて逃げようとする彼女の背中に声をかける。

 

「おねぇ、ちゃん?」

 

 震えた声で確認をしてくるのでくすくす笑ってベッドの下からこんにちは。

 

「驚かさないでよー」

「あはは、ごめんね。びっくりさせるつもりはなかったんだけど」

 

 驚かす気でベッドの下に隠れていたのだからこれは真っ赤な嘘だ。それから何かに気がつき、考え込んだ様子の彼女に自然と口の端が吊りあがり、心の中で 「さすがだね」 と呟く。それからわざとらしく問いかけるの、 「どうしたの? 凪ちゃん」 って。

 

「こっちのセリフ、だよ」

 

 再び震え始めた彼女の声に笑みを深くして黙ってその理由を聞く。

 

「なんでこんな夜中に入院してないお姉ちゃんがいるの? どうして?」

「アキラが心配でこっそり見に来たんだよ」

 

 またわざとらしく彼の名前を呟いて頬に手を当てる。笑ってる。ああ、私笑ってるよ。寝るのが楽しみで仕方ない。早く彼に会いたい。でも、今夜はオールナイトしないと翌日起きる前に見つかったらここにいることを怪しまれちゃうから我慢我慢。

 

 凪ちゃんは震えながら、気丈に私へと言葉を返してくる。

 体を抱きしめちゃうくらい怖いはずなのに、とっても強い子だ。でも、だからこそその姿が翠と重なってしょうがない。偏屈で、虚勢を張っていて、融通が利かなくて、偉そうなのにどこか脆くて、繊細。

 

 目線を泳がす彼女を真っすぐと見つめながら返事を待つ。きっと凪ちゃんは期待通りに応えてくれる。怯えながらも、声だけははっきりと強く保って彼女は言った。

 

「嘘だよ。面会時間は絶対。受付にはいつも人がいるし、こんな時間に来たら追い返されちゃう。それにお姉ちゃんくらいの年なら警察呼ばれちゃうよ」

 

 だいせいかーい!

 心の中で拍手して首を傾げる。さすがは凪ちゃん。彼に似てるだけはあるよね。私がいっぱい考えてできた計画も、すぐに分かっちゃうみたい。本当に子供っぽくないな。でも、そこがいいんだよね。

 

「あらあら、やっぱりアナタ頭いいんだね。そこは普通、知人だったことに安心して泣きついた挙句、泣きつかれて寝ちゃうってところだろうに」

 

 何度でも称賛したい。ああ、幼いのに本当に賢いのね。まるで昔の翠のよう。だから、私は 〝変〟 な彼女が好きなのだ。

 

「この騒ぎもお姉ちゃんのせい?」

「騒ぎって、まあ大事件かもね。人一人死ぬんだから」

 

 あっけからんとして言い放つと案の定彼女は声を漏らしてとても驚いた。先ほどまでぎゅっと抱きしめていた腕を下してぼーぜんとしちゃうくらいに。こんなことを平然と言い放つ私がおかしいのは自覚済み。でも止めることなんてできない。あのとき全部壊れちゃったんだもの。

 ビデオを一時停止するように立ち止まった彼女に私は続けた。

 

「前に、話したでしょ? 病院側がいけないんだよ? アキラを縛り付けて、寿命まで明かしちゃってさ。そんなの知りたくなかった。知らずにずっと遊んで、一緒にいて、全部終わってから泣きたかったんだ。でももう無理。無理矢理延命されてる上に体をいじくられて、私達は引き裂かれた」

「お姉ちゃん、ちょっと」

「だからね、解放してあげたの。これでアイツはもう自由。どこにでも行けるし。私の傍に来ることだってきっとできる。病気と、この病院から自由にしたの。アイツは最後に笑ってくれた。全部同意の上でやったこと。全部アイツとした約束なんだよ」

 

 夢中で話して、恍惚に身を任せて、嫌われようが拒絶されようが構わないと想いを全部彼女にぶちまける。私の想いが人に理解されないだろうことなんて分かっている。昔からそうだったから。でも、ぶちまけられずにはいられなかった。全部全部、彼に少しだけ似ているようで似ていない彼女には知っていてほしかった。知っているだけでいいんだ。

 

 この気持ちをずっと押さえつけて生きるのはとても苦しい。現実世界では翠がその役をやってくれていたけれど、もう夢の中でしかぶちまけられないから。だから 〝外〟で知っている人がほしい。たったそれだけのことなのだ。

 

「私、嘘はついてないよ。心配してた。だからこそ自由にしてあげた。夢は見るよ。怖い夢。そこはとっても綺麗だけどアイツがいないの。それが私が怖い夢。でもそれも今日で終わり。ずっとこの先一緒だから」

 

 夢の中ならいつでも会える。話もできるし、思い出も語れる。だからその素晴らしさを彼女に説いた。だけれど、やっぱり私は昔から変わらず変な子のままなのだ。怯える彼女に安心させようと思っても、さっきからずっと笑顔は浮かべたままだし、それ以外に安心させるような表情を私は知らない。

 

 そんなこんなで私が考えているとき、凪ちゃんは言った。

 

「狂ってるよ」

「褒め言葉だね。その狂いでアイツを自由にできたなら満足だよ」

 

 深くなる笑み。ああ、やっぱりそうなんだ。自覚はしていたけれど、やっぱり私は変な子なんだ。改めようだなんて絶対思わないけれど。だってそれが私。夢を渡り歩く狂った姿(むゆうびょう)なのが私の本質。

 

 そして、今まで誰も言わなかったことを言ってのけた彼女に拍手を贈ろう! 褒めてるんだよ? それを指摘するのは簡単なことじゃないからね。

 

「どうやって入ったの? 受付も、警備もいるはずなのに」

「一ヶ月間なにもしてなかったわけじゃないんだよ? そのためにアナタの病室も覚えたんだしね」

 

 本当は、最初からこうするつもりで案内の最中監視カメラの位置を記憶していたし、それがただのハリボテでしかないことも知った。この病院は狂っているから、カメラが致命的な傷になりうることだってある。

 

 一度夜中に忍び込んだけれどそれがばれることもなかったし、何度だって同じことをして確認した。私にはこんなことでしか確認することができなかったけれど、もっと大人だったら火をつけて確実な確認をしてみたりしたかもしれない。そんな日々の中でたまたまお茶に誘われ、チャンスだと思って凪ちゃんの部屋がどこだか覚えた。

 

 それを確かなものにするのに約一ヶ月。一週間に一度とか、放課後に少しだけとかしか来れなかったことを考えると、きっと上々だよね。

 

「私達、もう共犯者なんだよ。そこは分かってる? アナタが頭いいのは最初の会話で分かってた。だからね、ほら朝まで話しましょ?」

 

 こうやって私を部屋に匿っている時点で第三者が見れば私たちは共犯者だ。彼女は逃げられない。だけれど、一つだけ誤算だったのは彼女が私に耐え切れず、気絶してしまったことだろうか。

 

 頭を撫でてベッドに寝かせ、私はただひたすら椅子に座ったり、ベッドの端に座ったりして時間を潰した。そして、翌日の早朝になってから個室を抜け出して病院から脱出する。

 

 運が良かったのか、少なくとも一回くらいは見つかる覚悟をしていたというのに誰に咎められるということもなく帰路に着き、誰もいない家に帰った。私が計画を進めたのは丁度両親がいなくなるタイミングだったからということもあったからなんだ。

 

「はふぅ」

 

 

 

 

 

 ベッドに倒れこんで羊を数えるまでもなく、私はすぐに睡魔に誘われ夢の世界に旅立った。

 

 

 

 

 

 探し回って、歩き回って、どこにいるかも分からない彼を病院のような場所でようやく見つけることができた。でも、やっと見つけた彼は無意識のうちに消えていってしまった。

 

 私が、この手にしたチェーンソーであのときの巻き返しのように斬りつけてしまうからだ。何度も何度も、どんなに話そうとしても私の手は勝手に動いて彼を血だらけにしてしまう。

 

 凶器も、方法もまるで似ても似つかない光景のはずなのに緑色の日の丸だけはとてもよく似ていて、それも途中までしか見れずに何度目か分からない夢から覚めてしまう。

 

 

 

 

 

 なんで?こんなはずじゃなかったのに。

 どうして? 何度会いに行っても話してくれないの?

 ねえ、お願い答えてよ翠。話してよ翠。

 

 

 

 

 

 病院にいた彼に話しかけるのは諦め、美術館にいる彼に話しかけてみる。それでも彼は絵を描くだけで、しつこく話しかけて出て来た会話はやはり噛み合わない。

 

 その会話が過去にされたものだと気がついて今更ながらに愕然とした。

 

 これも、あれも過去の彼。じゃあ今の翠はどこにいるの?

 

 なんでなんでなんで、どうして 「また会えたね」 って言ってくれないの? どうして笑ってくれないの? どうして抱きしめてくれないの?

 

 後悔なんてしてないのに、どうしてこんなに苦しいの? 悲しいの?

 

 返事をしてよ。いつもみたいに偉ぶって話してよ。

 キミの色んな話が訊きたいよ。

 ねえ応えてよ。

 どうしてこんなに胸が痛いのか教えてよ。

 ほら、いつもみたいにさ。もったいぶってないでほら。

 

「応えてよぉ……!」

 

 どんなに叫んでも、縋りついても、もう二度と彼が私に笑いかけてくれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・タイトル
 からっぽの織月《うろつき》
 あ、あとタイトルを番外から数字付きの本編に変更致しました。視点が主人公ではないのが最初から分かるように書けているか少し不安。

・青井翠
 あおいあきら。将来超高校級の画家になるはずだった人。

仮面絵師=青汁君な解釈。
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