錆の希望的生存理論   作:時雨オオカミ

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〝ああなんて、なんて悪趣味な現実(ゆめ)






R17G(当社比)注意


No.11『探偵』ー誘拐ー

 頭が痛い。ふわふわとした酩酊感が体を支配する。

 

 目が覚めた時には既にお腹の辺りから担がれ、何処かへと運ばれて行く最中だった。

 ゆらゆらと揺れる感覚に、触れられている場所からじんわりと広がっていく変な感覚。体が火照る。

 

 目隠しをされているのでここがどこだかも分からず、口には唾液ですっかり湿ってしまった布が噛まされ、いつの間にかネクタイから縄に変わった後ろ手の拘束。熱と汗で蒸れる制服が張り付いて気持ち悪い。

 

 意識を失うときにはなかったはずである口に含まされた布になにか薬でも付けられていたのだろうか。

 体を襲う違和感と変な火照りに心当たりというか、なんとなく想像がついたがあまり信じたくない。

 実際にそんな薬使うヤツいたんだ、とかこんな風になるのか、とかこの変態野郎が、とか思うことは多々あるが思うように体が動かせない上に身じろぎ一つでもすると鋭敏になった感覚が一瞬で広がり脱力する。

 

 逃げ出そうにもこの状態ではとても無理だ。

 

「お、起きたか?」

 

 身じろぎで気づかれたようだが今私は口を塞がれているので声も出せない。というより寝たふりをしていたほうが今は良さそうなのでなるべく動かないようにして息を顰める。寝息だ。これは寝息。苦し気な寝息。そういうことにしてほしい。

 

「ほれ、着いたぞ」

「ひゃ!?」

 

 こんなのってないよ。

 男が到着を告げた瞬間に脱力していた尻を思い切り叩かれたのだ。そういえばもう一人男がいたのだったか、忘れていた。思わぬ不意打ちにたまらず声をあげる。暗闇に包まれた視界がチカチカと瞬き、我慢していたものが全てはじけ飛んだ。

 そのことに静かな怒りと殺意が沸き上がる。この誘拐犯いや、殺人犯どもめ。

 

「気づかないとでも思ったのか?あ?」

 

 だからなんにも見えないんだってば!

 髪を鷲掴みにするなんてやめてくれ! 元々うねってるのがもっとくるくるになっちゃうでしょ! これ直すの大変なんだから!

 

「おい、遊んでないでそれを早く処理しとけ」

 

 間近で声が響き、ドキリと心臓が跳ねた。しかしそれはどうやら杞憂だったようで私に絡んでいた男が離れていく音がして安堵の息を漏らす。

 

「お前はこっちだ」

「ぅぎっ、っうぅぅぅ」

 

 投げられた。

 抱えられた状態から思い切り投げられた。

 

 下はひんやりとした硬いコンクリートだった。

 縛られて身動きのできない状態で投げられてしまったので当然手を付いて衝撃を抑えるだなんてことはできない。

 左半身からダイブし、腕が下敷きになる。手首からボギリと嫌な音が鳴った。次いで腰を盛大に打ち付け、側頭部をぶつけ、その衝撃で再び意識が飛びそうになる。左手首の激痛で体が思うように動かず、けいれんしたように震える。

 

 …… ああだめだ、ここで意識を失ってしまったら今度こそ殺されるかもしれない。

 

 その上こんな状態になる薬を盛られているのだ。何をされるか分かったもんじゃない。そんなことになったらシャレにならない。冗談じゃない。

 

 スカートが捲れ上がっている状態を直すべく、悲鳴を押し殺しながら腹の力だけで体を起こし、まとめて縛り上げられた足を動かし後退する。これで少しは直ってくれるだろうか。

 スカートが湿って濡れているのを確認してしまい、うっすらとした諦観が浮かぶ。ああ、何時間も移動させられたもんね、そりゃ我慢できないわ。この年になって嘔吐だけでなくなんてことをしてしまったんだ。女としての尊厳はまだ守られているがこりゃ人としてどうよ。普通は幼稚園児でもう卒業してるわ。

 

「お前の血縁に身代金を要求した。それまでの間は楽しんでいけよ」

 

 白々しい。

 というか血縁に身代金要求とな?

 あ、だめだわこれ。絶対払われないわ。むしろ厄介者がいなくなって幸いだとでも思われてるなこれは。ろくに被害届も出されず捜査もされず、手遅れになってから発見されるパターンですよ。その頃には色々失っている気がする。

 ああもう、本当だめだなこれ。死ぬよりはマシかな? めちゃめちゃ痛い死に方するよりは激痛に喘ぐよりは別の上で泣かされたほうがまだマシか? あれ、感覚が鈍ってるかな。だめだ、頭が回らない。

 

 ひたり、足音が近づいてくる。

 

 泣けてくるなぁ。人生ゲームオーバーですか、いやだなぁ。

 暗闇の中で視界が滲む。目隠しにされた布が湿る。嫌だ嫌だ嫌だ。死ぬなんて嫌だ。ましてや、女として終わることも認められない。嫌だ。嫌だよう。

 

 次の瞬間、布を取り除かれ、視界が晴れた。

 

 案の定、男たちは笑っていた。小柄というより貧相な体格をした片方の男はこちらを見てニヤニヤと笑い、もう片方の大柄で力の強そうな男はなにやら通話をしながら下卑た笑い声をあげている。

 二人のうち、私の目は小柄な男の手に釘付けになった。

 

 ナイフを持っていた。果物を切るようなとても小さなナイフだ。だが、その小さなナイフでだって急所を深く斬られてしまえば致命傷になり得るだろう。

 私は明確に示された死の象徴に視線を捕らわれてしまったのだ。

 

 真っ白になっていく思考の中で妙に冷静になり、ぎりぎりと理性が悲鳴をあげる音を聞いた。

 

 そこからはあっという間だった。

 男が足の拘束を解いた。きっと行為に邪魔になるからだろう。

 ナイフは滑らかに制服を切り裂いていき、男の息が間近に迫る。

 そして、迂闊な小男は持っていたナイフをその場に置いて準備を始めた。

 

 しめた!

 

 そう思うが先か、倒れたままナイフの置かれたコンクリートの床に覆い被さり、なんとか右手首を捻ってナイフを持つことに成功した。

 背後には資材置き場しかない。これでどうにか縄を切って逃げ出せれば死ぬことはない。苦しい思いをすることだってない。

 今感じている左手首の激痛は私が無事逃げおおせるための布石だ。

 既に不運に見舞われているなら次に来る幸運は絶対。利き腕じゃない手首のヒビ、もしくは骨折なんて小さな(・・・)不運では上手く逃げ出せるかも不安が残るが、私はこれに賭けるしかないのだ。

 

 いつ気づかれるかと大量の冷や汗をかきながら小さく右手を動かす。ああ縛られた状態では上手く縄を切れない。でももう少し、もう少し。

 

 のろまな小男が大男に先にシていいかなどの馬鹿げたことをくっちゃべっている。

 もっと時間かけてろ。今に逃げ出してやる。

 

 あと少し、あと少しで縄が切れる。多少左手を傷つけてしまうかもしれないが右手に力がこもる。

 

 ブヅン

 

 切れた!

 左手に軽くナイフが滑ったが殺されるよりはマシだ。

 切れた縄を振り払ってその場から全力で走る。

 

「ほらな、よそ見するなと言っただろう」

 

 大男の声が聞こえて次の瞬間には足を払われ、私は思い切り転倒していた。

 

「くっそぉ!」

 

 転倒する中で握りしめていたナイフを振り抜き、男の太股に一矢報いる。

 深々と突き刺さったナイフに苦悶の声をあげた大男は鬼のような顔をして、その手に持っていたもう一本のナイフをこちらに向かって振り下ろして来た。

 バランスを崩していた私は当然避ける暇もなく、吸い込まれるようにナイフは脇腹へと刺さった。これで骨折に加えて出血多量。ショック死しなかっただけマシだろうか。

 

「はっ、ぅ……」

「てめぇふざけるんじゃねぇぞ!」

 

 脇腹に刺さったナイフを小男が回収し、太腿を庇った大男が私の首を掴む。そして、また盛大に投げ飛ばされたのだ。

 

 甲高い金属音をかき鳴らしながら私が埋まったのは資材置き場。強かに長細い金属たちに背を打ち、下が崩され上からどんどんと落ちてくる金属の棒に全身を鞭打たれながらその中に身を埋める。

 ガランガランと落ちてくる鉄の棒は狙ったように私の脇腹の傷を深くしていった。

 

 息が苦しい。

 お腹が熱い。

 左手首の感覚が分からない。

 酩酊感が脳内麻薬へと変換される。

 

 ガンガンと頭に響く音のせいでスイッチが切り替わり、防衛本能からか音の情報を遮断した。何も聞こえない。視界すらも歪み、霞んでいく。二人の男の手には、ナイフ。

 

 …… 今度こそ死ぬ?

 ここまでで終わってしまうのか?

 

 痛い思いなんてしたくないのに、苦しい思いなんてしたくないのに。どうしたら苦しくなくなるだろう? 痛くなくなるだろう? 死んだら楽になれるかもしれない。でもそれでは意味がないのだ。

 

 生き残るために必要な解は? これ以上痛い思いをしないために必要な行動は? どうすればいい。どうすればいい? どうすればい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき、鈍くなった耳がやけに響く金属音を捉えた。

 何かが落ちて来たような、転がったような、軽い墜落音。あるいは、転落音。それはまるで理性の蓋が外れるような、バキバキに崩れていくような、徹底的に叩きのめすような、そんな音に似ていた。

 

どこかで私を嘲笑うような、そんな声が聞こえて来さえするような悪夢の中で、それは私の唯一の暗い道標(ひかり)となった。

 

 音がすぐ傍で鳴り響き、俯いて動かなくなった手になにか冷たいものが触れる。

 そして、それにピクリと反応した指がそれをなにか理解しないままに掴み取る。たった一つの希望を掴むように握りしめ、唇を噛みしめる。

 

 嫌だ、嫌だ、いやだ、イヤダ。死にたくない!

 死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。死にたくない、から。

 

 …… 死にたくないから?

 

 

 

 

 

「ぁ、はは」

 

 

 

 

 

 そうだ、死にたくないなら、■してしまえばいいんだよね。

 

 

 

 

 そして、心のどこかでなにかがブチリとキレる音がした。

 

 

 

 

 

「ぁぁああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ」

 

 

 

 

 

 目の前に迫るソレを手に持った鉄の塊で殴り払う。

 

 油断していた小男の顎に見事ヒット。白い歯が真っ赤な血とともに飛んでった。

 頭を揺らされてグラリとよろけた男がこちらに掴みかかって来ようとしたから叩き落としてやった。

 痛みに歪んでいる泣きそうなその顔が面白くって笑い声をあげた。睨まれた。ああ怖い怖い。

 

 怖いからこんなもの排除しなくては。危険なものはお掃除しなければ。そして廃棄する。廃棄するためには、大きいものは小さいものにしなければならない。だから砕いてしまえ。そうだ早く。■されてしまうよりも早く。これ以上危害を加えられる前に早くこんなものなくしてしまわなければ。早く、早く、早く。

 

 ゴッと鈍い音を立ててなおも倒れ掛かって来たから邪魔なので更に頭を打ち付けた。気持ち悪い感触と音がした。気持ち悪すぎて変な笑いが浮かぶ。

 あーあ、このままでは小男は死んじゃうかもしれないね。かわいそーに。だったらやっぱり■しちゃだめなのかな? わたし(・・・)も■されたくないし。

 

 …… あれ、なんで■しちゃだめなんだ? だってだって、これって立派な正当防衛になるはずだよね?

 

 

 

 

 

 そウ、遠慮なんていらナい。

 

 

 

 

 

 小男が足を掴む。

 大男がフリーズした状態からやっと立ち直ってナイフを構えた。赤が滲む太腿を見て苦々し気な顔をしているので右足が動かしづらいのかもしれない。引きずってやがる。今の内だ。今の内にやらないと■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。■される前に■す。

 

「dsdfgh」

 

 もうアイツラがなにを言っているのか分からない。必要ない。だからいい。

 ギリギリと金属音のように耳障りな音を上げる小男の頭を踏む。相変わらず足を掴んでわたしの進行の邪魔をする。

 邪魔されたらアイツを■せない。アイツを■せなかったらわたしが■される。死ぬのは嫌だ。絶対に嫌だ。だから邪魔しないでよ。お願いだから邪魔するなよ。

 

 邪魔、邪魔なんだよ。アイツの相手しなくちゃいけないんだからそこをどけよ。足を掴むな。気持ち悪い。邪魔するな。邪魔するんじゃないよ。

 邪魔、邪魔、邪魔、するなよ、邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔

 

 手に持った金属と、かたいものがぶつかって上手く砕けない。

 だけれど、わたしは恐怖心に捉えられたまま一心にソレに向かって振り下ろし続けた。

 

 ただ無言でわたしはソレを振るい続ける。ごちゃまぜになった思考に押し出され、翻弄され、笑みを浮かべるように口角を上げて。

 生きなくちゃ。生きるためにはこいつらは邪魔だ。ただそれだけが頭の中に木霊して目の前が真っ赤に染まる。視界が赤に塗りつぶされて、ぐちゃぐちゃになったそいつが辺りに散乱していく。

 

 力の入っていた小男の爪がわたしの足に食い込む。ああ、証拠が出ちゃうじゃないかどうしてくれるんだよ。

 

「はっ、はっ……」

 

 動かなくなった。真っ赤っか。

 センスの悪い映画のセットのごとく、ホラー映画の惨状を再現したように、全ては無秩序にバラついた。

 まるで赤い花畑のようと形容したとしても、呆れ笑い一つ起こりやしないほどに悪趣味極まるこの場に残るのは、複数に散らばったそいつとわたし、そしてこれから散らばる大男。

 もう小男(そいつ)の息遣いは聞こえない。辺りに大小様々に散らばったそれがわたしの生を証明する。希望を証明する。あとはただ一つ、もう一人を叩き潰して完全にわたしの生を確実なものにするだけだ。

 

 そうすればもう怯える必要はなくなる。その恐れを、死の恐怖を想起させる全てを消さなければ。

 一辺倒に傾いて軋む脳がわたしに命令を下すのだ。早くアイツを■してこれを夢に帰せ、と。

 

 わたしの血と小男の血で滑る鉄パイプを握りしめ、痛みに耐えながらこちらに向かってくる大男を睨む。早く早く早く、アイツを殺さなければわたしが殺される。早く早く早く、小男のへこんだ頭を踏んで転がす。もう動かない。動かない。動かない。死んでいる。ああなるのはイヤに決まっている。だから■す。確実に■す。ミスなんて許されない。

 

「qsrtghjkl」

 

 こっちは何を言われても分からないんだから、相手が言っていることを気にする必要はない。でも相手がなにをしてくるか分からないからそこは不便だ。大男の肉が擦れるみたいな気持ち悪い音は判別できないから予想もできないし、まあ別にいいか。

 

「ぁぁああああ!」

 

 絶叫を上げて突っ込む。そんな肝心なところで、手が滑った。血だらけになった鉄パイプはよく滑る。べちゃべちゃに汚れた手では掴み続けるのが難しかったみたいだ。

 

 わたしの希望が滑り落ちていく。わたしの生存本能が警鐘を鳴らす。

 

 鉄パイプが落下する無情な音が響く。

 生きる可能性が滑り落ちていく。

 

「zxcghjk!」

 

 大男が傷口を庇いながら踏み込んでくる。

 全身が痺れたようになってしまったわたしは、それを見送るほかになかった。

 

 重い重い一撃を腹の傷口に受けながら目がぐるぐると回っていく。

 もう無理だ。リアルで内臓が出てしまいそう。

 くらくらする視界と戻って来る音。怒りと恐怖で凍結されていたはずの激痛。

 

 死ぬ。

 

 死ぬ。死ぬ?死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。このままじゃ死んじゃう。

 

 頭を掴まれる。

 首が締まる。

 

 そのまま、投げられて、ぼうんとなにかの塊に埋もれた。そして勢いのままに頭からソレに突っ込んだわたしは更なる危機感を感じて総毛立つ。

 

 足を引きずりながらやってくる大男に、逃げようとしても動かせない体。かろうじて動いた指先にカサリとなにかが触れ、咄嗟に握りしめた。

 ナイフと鉄パイプを持ったアイツがやってくる。わたしにトドメを刺しにやってくるんだ。ナイフで内臓をぐちゃくちゃにされるのか、鉄パイプで頭を潰されるのか、はたまた締め■されてしまうのだろうか。

 

 体が動かない。指も足も顔も、なにもかも。唯一動く表情は既に諦観の笑みを浮かべ、静かに景色を映すことをやめようとしていた。

 

 ああ、どうしよう。これが夢ならばどんなにいいことか!

 

 

 

 

 

 戻って来た音が誰かの足音を聴き分けた。大男でもない。小男でもないアイツは散らばったから違う。ずっしり重たくないから大男とも違う。

 

 大勢。もっと大勢。大勢がわたしを■しにくるのだ。逃げなくては、立たなくては……抵抗しなくちゃ、■さなくちゃ。もっともっともっと■さなくちゃ多勢に無勢なんだ。今度こそ死んでしまう。そんなの嫌だイヤダいやだいやダ。

 

 誰か、誰か、死にたくない。しにたくないんだよ。しにたくない。お願いだから、誰か……

 

「sdfghjkl!」

「動くな、警察だ!」

 

 けい、さつ?

 

 淀んだ音の中でやけに明瞭に響いたその声は、わたしにとってまさに救いの音となった。

 遠くなっていく意識を繋ぎとめて、静かに耳を傾ける。俯せに倒れ込んでしまって、体も動かすことができなくて、何も捉えることができないからだ。

 

 何度確認してみても体は動かないし、倒れた時に思い切り打ち付けた頭もビリビリと痺れて今にも割れてしまいそうなほど痛む。指先すら動かない。だけれど、抉られた脇腹が一番酷い。内臓が夢の中のように見えているんじゃないかと思うくらいだ。それに寒い。体温が下がってきている。

 これが夢の中なら痛くないのに。……でもこれが現実だからこそ早くアイツら全員■さないと。逃げ出すためには体を動かさないといけない。警察なんて嘘で、大勢の仲間が来たという可能性もあるのだ。

 

「君、大丈夫!? …… じゃ、ないよね。寒くない?」

 

 身近に声が聞こえて、唐突にふわりと、なんだか温かいものがかけられるのが分かった。

 

 ………… ああ、あったかい。

 

 女の人の声がする。顔を上げられないから分からないけれど、優しい声。わたしを安心させるような少し低い声。

 

「うわ、酷い怪我。でも、もう大丈夫。すぐ病院連れてってあげるから、もう少しの辛抱だからね」

 

 打ち付けた頭を慎重に探り、傷を確認する女の子の手つきが優しかったから、恐怖心と生存本能に染まっていた精神が波のように少しずつひいていく。静まっていく。

 

 …… さむいけれど、あたたかい。優しい手。思い起こすのはメイの優しい手。

 

 周りから聞こえてくるのは、大男の罵声と、警察の人たちの大捕り物の声。

 今鉄パイプを持っているのはアイツだけれども、あれには()の指紋もべったりとついているだろう。小男の返り血だって私にはついているだろう。過剰防衛どころではない。これじゃあ流石に傷害致死にまでいたるのではないだろうか。

 でも、それでもいいのかもしれない。それなら希望ヶ峰学園へ行くというフラグが折れる。死亡フラグが一つ折れる。

 今回もギリギリ、幸運にも生き残ることができたのだから病院という恐怖の象徴に行くことも受け入れるしかない。

 大丈夫、ハイジャックと隕石の事件でだってお世話になったし、あの病院はまともだった。大丈夫、生まれ育った病院のような外道な場所はそうそうないんだ。今回も大丈夫。きっと大丈夫。大丈夫じゃなかったら、今度は私が皆■しするしかないけれ、ど。

 

「君、意識はある? 名前言える? う、でもこんなに怪我してるんじゃ流石に無理かな」

「…… ぉ、まえだ、なぎ」

「そっか、狛枝凪さんで合ってるね。よかった、君まだ意識があるんだね!」

 

 きっとこの人が話しかけてくるのは私が意識を失わないようにという気遣いもあるだろう。意識を失ってしまったら出血多量で死んでしまう可能性だってあるのだ。そこまで思い至って、姿が見えないからその代りに私は彼女の名前を訊いた。恩人の名前を知りたいと思うのは至極自然な考えだろう。痛みを誤魔化すように笑んで私は言った。

 

「キミ、は?」

「わたし? 五月雨(さみだれ)(ゆい)。探偵だよ。君を助けに来たんだ」

「結、お、ねえ、さん?」

 

 顔は見えないけれど、彼女が驚いたように笑ったのが分かった。

 

「はは、お姉さんか。なんだかくすぐったいなあ」

「結、お姉さん?」

「ん、なんだい?」

「助けて、くれて、ぁ……」

 

 顔を上げることができないから、彼女が触っている右手だけがあったかくて、そこにいるんだという実感が湧く。五月雨結さん。多分年上だから、結お姉さん。

 結お姉さんは苦笑して、もう片方の手で私の頭を傷に障らぬようにふわりと撫でてから言った。

 

「それは君が病院に行って、助かってから聴きたいと思うんだけど、だめかな?」

 

 それはつまり、絶対に生きて会うためにとっておけということ。この人は、本当に優しい人なんだな。

 寒さとやってきた眠気をいつかのように追い返しながら話し、意識を保つ。

 

「ん、そっか。じゃあ、ちゃんと、助からないと、ね」

「そうだね。さ、救急車が来たからあともう少しだ」

 

 サイレンが鳴り響いて罵声もやみ、すっかり辺りは静かになった。

 

 私は、罰を受けるんだろうか。きっと受けるのだろう。このまま希望ヶ峰に行けなくなればいいのに。

 救急車の音に「もう少し、頑張るんだよ」と言って頭を撫でるお姉さんの声に、私は慌てて言った。

 

「お見舞い、来てくれる?」

「うん、また会おうね」

「そっか、きて、くれるんだね」

 

 救急隊員によって体が持ち上げられ、横を向いていた体があおむけに寝かされる。その時私にかかっていた物が落ちて横目に確認することができた。

 血にまみれた、カーディガンだった。結お姉さんの物だろう。すっ、と心が温かくなった。

 

「必ず会おうね」

「…… うん」

 

 担架から見た彼女は茶髪ショートで赤い眼鏡。近所でちょっと有名な、中高一貫のお嬢様学校の制服を着ている女の子だった。

 制服といっても、動きやすそうな下のキュロットは見慣れないので改造制服なのかもしれない。

 探偵をやっているってことはちゃんと許可を取っているのかもしれないけれど。そんなに年の変わらない、正義感の強そうな、女の子だった。

 

「ちゃんと治してくるんだよ、狛枝凪ちゃん(・・・)――」

 

 そう言った結お姉さんは笑っていた。そして、泣きそうな顔でもあった。

 まだ中学生である彼女が探偵になった理由はきっと色々あるのだろう。その泣きそうな顔には、そこが関わっているのだろうとあたりをつけて私も笑った。

 

 私が助かったことに対して泣き笑いをしてくれたのだと、自惚れだとしてもそう思いたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 握り締めていた紙切れ(宝くじ)が一等だと聴かされ、二人で驚いたのはもっともっと後の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 




 
・発狂
 彼女はそれしか生き残る道がないならば躊躇いなく罪を犯すでしょう。

・五月雨 結
 ダンガンロンパ霧切の主人公。眼鏡ボーイッシュな女子高生探偵。
 妹が誘拐され手遅れになったことで誘拐事件を専門にした探偵をやっているらしい。
 霧切さんが中二のとき高一だったのでさび枝の一つ年上。つまりこのときはまだ中学三年生です。原作時点で探偵歴三年目だったので今はまだ二年目。

・宝くじ
 3億円の当選券。捨てられていたのを藁にも縋る思いで握っていた。原作エピソード回収。
 ゴミ袋に詰められたという部分はどう頑張っても再現できませんでした……
 誘拐しといてゴミ袋に詰めるってどういう状況だったんでしょうね。死んだことを確認せず捨てようとしたのでしょうか。

 ですが、さび枝じゃなくて狛枝だったら四肢複雑骨折でゴミ袋の中に詰め込まれていただろうことは分かります。さらにコロコロされた女性も一緒に詰め込まれていたかも?死体と密着とか発狂ものだよね!

早めに原作突入したいので、宝くじと結ちゃんとのエピソードは番外編になります。ご了承ください。



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