しばらく飛んでいると、ハイデローゼは目も開けていられないほど疲れている事に気がついた。
極限の緊張状態が続いて、疲労困憊してしまっていたのだ。
まだ気を抜けないと分かってはいても、身体が鉛のように重く、睡魔が襲って来て目の前が霞んでしまう。
ハイデローゼは、眠ってしまわないようにイリスに話し掛けた。イリスからは、ひどくだるそうな返事が返って来た。
普段なら『何事もどこ吹く風』の彼女も、さすがに疲れきっている様子だった。
イリスは風変わりな子で、まるで男の子のように振舞う。でも私にとっては最高のパルだ。
私とイリスは、性格も育ちもまるで違う。
私は嶺国の首都・ヴィッセルに住む役人の子で、親の仕事柄か、生真面目な性格に育てられた。
(いや、決してイリスがルーズな性格だと言うのではないが)
一方、イリスは、たくさんのシュヴィラを出している嶺国南部の商家に生まれ、自由な気風の中で育てられたらしい。
小さい頃から家の手伝いをしていたとかで、そのせいか暗算がやたらと早い。それはサジッタにとっては重要な才能だ。
お陰でイリスとパルを組んでからは、一度もシムーンの操縦をしくじった事がない。
だが、イリスはその才能を大した事じゃないと思っているらしい。
アウリーガとしてもいい腕前で、操縦が苦手だからサジッタをやっている訳でもない。
自分からは進んでマージュ・プールに行って練習はしないが、私が誘えばついて来て、見事な軌跡を描く。
思うに、イリスにとってシムーンに乗る事はお勤めで、特に好きな事ではないのだろう。
だから、お勤めはさっさと済ませて、後は自分の好きな事をやるのがイリスの生き方なのだ。
彼女は、音楽やダンスやファッションや、色んな事をして楽しむ。時には自分で衣装を作ったりもする。
以前、イリスが私に中世の巫女装束を作ってくれた事があった。
これがなかなかの出来栄えで、たくさんのフリルや美しいビーズの飾りが付いていて、今のよりずっと素敵だった。
みんなに見せたらうらやましがって、その後イリスは大変だったらしい『私にも、私にもって…』
そんなだから、一度イリスになぜシュヴィラになったのか?聞いた事がある。
すると彼女は『好きな相手に巡り会えるって聞いたから』と、答えた。確かにパルを組んで一緒になる人は多い。
聞いた話では、アニムスの教えがなかった昔は、好きな相手ができたら、それぞれが自然に男と女に分かれていたそうだ。
でも、好きな相手ができない人は、身体が結晶化して消えてしまったらしい。
それではいけないので、今ではみんながアニムスの前で成人の儀式を受けて、男になるか女になるかを決めている。
好きな相手と言えば、私はガルトルートが大好きだった『好きで好きでたまらなかった』と、言った方がいいかも知れない。
でも彼女には、すでにお相手を務める素敵なパルがいて、結局はあこがれ続けるだけで、私は最後にはイリスと一緒になるんじゃないかな?…なんて思ったりもしていた。
恋焦がれると言うほどではないが、イリスは相性のいい相手だし、一緒になるのも悪くはない。
多分私が女で、イリスがイリストルとか、イリスヒムなんて名前の男になって、シムーンに乗る時みたいに、私を上手に誘導するんだろうなって…
きっと家の事は私にさせて、自分は仕事をさっさと片付けて、好きな事をして遊んでいるんだろう。
そんな事を考えている自分が、とってもおかしかった。
でも、その内ブリュムヒェンみたいな可愛い子が産まれて…そうだブリュムヒェン!
あぁ、可哀そうなブリュムヒェン。何もしてやれなかった。どうする事も…
マルギット、イルマ、クラリス、モーン、アンネリース、ベルダ、みんないなくなってしまった。大好きなガルトルート姉さまも…
悲しい…たまらなく悲しい。死んでしまいたいほど辛い。
イリスとみんなの事を話している内に、涙が止まらなくなってしまった。
だめだ!挫けていちゃぁ…ガルトルートは私に『生きろ』と言い残して死んだ。ガルティ姉さまのためにもがんばらなきゃあ。
もう少し飛べば、礁国の支配地域から出られる。そうすれば、何とか嶺国の前線基地までたどり着ける。
すでに空は茜色に染まり、残照が哀しげな敗残兵の行列を照らしていた。
その時、ふいに最後尾にいたイレーネが叫んだ。
「後方上空に機影らしきもの。こちらに向かって飛んで来ます!」
(しまった!あと少しの所まで来てて、敵に見つかるなんて)ハイデローゼはドキッ!とした。
振り返って見上げると、後ろの空から光るものがこちらに向かって飛んで来ている。
(戦う力なんてもう残っていない。もしも見つかって仲間を呼ばれたら、全員が死んでしまう)
「私たちが行って注意を引き付ける…もし、私たちが帰らなかったら、みんなでそのまま嶺国の前線基地まで逃げて」
そういい残すと、ハイデローゼはみんなから離れ、機首をひるがえしてシムーンを上昇させた。
上空で待ち構える内に、敵機らしい機影がぐんぐんと近づいて来た。
(なんて早さだろう!でも、たとえかなわないまでも、私たちが囮になってみんなを助けなければ…)
「イリス、戦闘準備をして待機してて」
「OK!弾が残り少ないから、一発勝負だよ」
とうとう、相手が見える所まで近づいて来た。機体には大きなヘリカル・モーターが二つ付いている.
(これはシミレじゃない、シムーンだ!宮国型のシムーンだっ!)
嶺国が宮国から押収した可変ヘリカル・モートレスのシムーンは 操縦に熟練が必要で、ガルトルートのような上級の巫女にしか乗りこなせなかった。
ところが、見える所まで近づいて来たその宮国型シムーンは、ふいにハイデローゼたちを避けるように方角を変えた。
その一瞬、シムーンの機体に刻まれた『白百合の紋章』がハイデローゼたちの目に入った。
「まさか、本国からヴァルキュリア様が…?」
その宮国型シムーンは、ハイデローゼたちには目もくれず、早いスピードで茜の空の彼方に飛び去って行った。
突然現れ、去って行ったシムーンには、どこの誰が乗っていたのか?ハイデローゼたちには謎のままだった。
どうしようもない完全な敗北だった。嶺国に衝撃が走った!
無敵を誇ったノルムンド艦隊は全滅!王子は戦死!戦いの要だった多くのシムーンと、上位12神将の巫女の内4人までをも失い、戦局は完全に窮地に立たされた。
王立議会総裁は解任され、内閣は総辞職し、占領地の総督や多くの現地指揮官が更迭された。
第1話【散華】終了 → 第2話【帰還】へと続く