シムーン第二章 ~乙女達の祈り~   作:佐渡 譲

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シムーン第二章 第2話 【帰還】 その1

私もすっかり年老いた。外を歩く事さえままならない。

こうして椅子にもたれて、窓から見える空を見上げていると、あの日の事が脳裏によみがえる。

私はあの日の出来事を…あの日見た光景を…いまだにはっきりと覚えている。

数え切れないほどたくさんの乙女たちが、風に乗って大空に羽ばたいて行ったあの日の事を…

あの日、空に大きな虹が掛かった。乙女たちは、まるで白鳥のように舞い上がって、虹の橋を渡って行った。

高く、高く、どこまでも高く…そして、乙女たちは伝説になった。人々は去ってしまった乙女たちを恋慕った。

愚かな人は、失ってから、それがどれほど愛おしいものだったかに気づく。かく言う私もその一人には違いない。

罪深い私の人生の最期に、あの伝説の少女たちの事を記録に残しておこうと思う。 ~元宮国大聖堂書記官 グラギエフ~

 

 執務室のドアをノックする音がした。

 私は椅子から立ち上がり、歩いて行ってドアを開けた。そこには嶺国の宮女が立っていた。

「あのう、グラギエフさんでいらっしゃいますか?」宮女はそう尋ねてきた。

「そうですが…何か?」私は答えた。

「これをあなたにお渡しするように頼まれました」そう言って宮女は、一枚の紙切れを差し出した。

「ありがとう」私が礼を言うと「確かにお渡ししました。じゃぁ、失礼いたします」と、言って彼女は立ち去った。

(何だろう?)そう思いながら、私は折りたたんである紙を開いてみた。

 そこにはこう書かれていた『アルクス・プリーマでお待ちしています』アルクス・プリーマ…懐かしい響きだった。

(でも沈んだ船で会いたいなんていったい誰だろう?アヌビトゥフはもういないはずだし…取り合えず仕事が片付いたら行ってみるか。昔の仲間かも知れない)

 私はその当時、宮国の首都にある大聖堂の嶺国総督府で、雇われ書記官として働いていた。

 事実上の降伏とも言える礁国や嶺国との和平締結後、宮国の大聖堂は嶺国大法院の管理下に置かれていたのだ。

 すでに宮国の宮守や上位の女官たちは追放され、大聖堂は今では嶺国の主神アニムスの祭殿となっている。

 戦後、宮国の聖職者の多くは聖職を失い、私も食べる事に困っていた。

 そんな私を、嶺国の先代の宮守が、総督府の現地雇いの書記に推挙してくれた。

 ネヴィリルとアーエルが私たちの目の前で消えたあの日に、アルクス・プリーマで立ち会っていた嶺国の宮守が…だ。

 多分、デュクスの経験を持ち、宮国の宗教事情をよく知る私を、戦後の宮国の宗教管理をする上で役に立つと考えたからだろう。

 案の定、旧宗教体制から新宗教体制への移行…つまり嶺国占領地の宗教を、テンプスパティムからアニムスに改める手配をするのが私の主な仕事だった。

 

 大空陸の嶺国に始まり、礁国北部までを南北に貫く、アルトゥム山脈の中間にある宮国は、礁国や嶺国とは比べものにならない小さな国だ。

 国土は起伏に富んでいて、多くの山々が連なり、人々は谷あいの狭い土地で、牧畜や果樹園などを営んで暮らしている。

 山間部には、宝石や金属鉱石を産出する鉱山もあり、平和な時代には、酪農製品や果実と共に、宮国の貴重な輸出品となっていた。

 そんな穏やかで、信心深い人々が住む、もの静かで平和な宮国には、他の国にはないものがあった。

 かって『神の民』が舞い降りたとされるこの地には、彼らが残したと伝えられる数多くの遺跡がある。

 そこから出土するヘリカル・モートレスは、信仰の対象であると同時に『神の乗機=シムーン』の心臓部でもある。

 ヘリカル・モートレスは、螺旋状の二つの車輪が必ず対になっていて、シムーン宮と呼ばれる発光球と共に掘り出される。

 二つの車輪はシムーン宮を通して、片方が空間、片方が時間を制御すると言われるが、その構造は現代の科学では解き明かせない。

 ヘリカル・モートレスを模造したシミレ機関が作られたが、不思議な事に二つ取り付けても、まったく動かなかった。

 どうやら神の巫女=シムーン・シュヴィラが、シムーン宮を通して制御しなければ、対では起動しないらしい。

 単体のみのシミレ機関は燃料を必要とするが、従来のエンジンよりはるかに効率が良く、多くの交通機関などに使用されている。

 しかし、宗教上の制約もあり、シミレを含むヘリカル・モートレスは、長い間輸出が禁じられて来た。

 大空陸の国々の文明が発達し、人々の欲求が増して来ると、多くの国々がヘリカル・モートレスを欲しがるようになった。

 特に大国である礁国と嶺国は、露骨にその野心をあらわにして、小国である宮国に侵略して来たのだった。

 長い戦いの末、宮国は敗れ、国は二つに分断されて、礁国と嶺国の支配を受ける事になってしまった。

 

 乗り気のしないいやな仕事が一段落すると、私は嶺国に沈没させられた懐かしいアルクス・プリーマへと向かった。

 借りてきたボートを漕ぎ出し、船に横付けにすると、私は客室へと続く通路に登った。

 船体はあちこちが錆付き、手すりは朽ちていたが、かっての豪華客船はその名残りを留めていた。

 今は帰らぬ平和な時代…この船はテンプスパティムの巫女が搭乗するシムーンと、大勢の観覧客を乗せて大空を舞っていた。

 船から飛び立ったシムーン・シュヴィラたちは、神に捧げる祈りのリ・マージョンを大空に描き。人々を祝福した。

 争い事もなく、誰もが心豊かに平和に暮らしていた時代だった。

 そして、あの戦争が始まった。

 アルクス・プリーマはシムーンの戦闘用母艦として、戦いに駆り出された少女たちを乗せる事になった。

 懐かしい思い出が、昨日の事のように脳裏によみがえって来た。

 アヌビトゥフがいた。コール・カプトや、コール・ルボルの少女たち。そして、忘れもしないコール・テンペストの少女たち。

 ネヴィリルとアーエルが踊っていた。それを見ているパライエッタの側には、カイムが寄り添っていた。フロエが泣きべそをかいていた。アルティがそれをなだめていた。ドミヌーラが幼いリモネの手を引いていた。お澄まししたロードレアモンがいた。物思いにふけるユンがいた。勝気なヴューラがいた。

 それからマミーナ…あぁ、あの子は死んでしまった。ネヴィリルと嶺国の巫女たちをかばって…葬式すら出してやれなかった。

 モリナスは、あれから整備士のワポーリフと一緒になったが、そのワポーリフは徴用されて、嶺国に行ってしまったらしい。

 私は階段を上がって、展望台がある舞踏室に出た。テーブルや椅子は倒れ、窓にはちぎれたカーテンが掛かっていた。

「おーい、誰かいるのか~。私だ、グラギエフだ」私は呼んでみた。

「グラギエフ」物陰から誰かの声がした。私は声がした方に振り向いた。

 壊れて朽ち果てたピアノの傍らに、二人の人物が立っていた。私は一瞬目を疑った。

「ネヴィリル!ネヴィリルじゃぁないか。それにアーエルも…」

「グラギエフ、呼び出したりして済みませんでした。でも私たちは街の中へは入れないので」ネヴィリルが言った。

「分かっている。君たちはまだ指名手配中だ…それにしても、よく無事で帰って来た」

 私は二人をまじまじと見た(きっと随分苦労した事だろう)しばらくは声も出なかった。

「君たちはあの日私たちの前から消えた。翠玉のリ・マージョンで…あれからどこにいたんだい?」

「私たちは過去…」何事か言い掛けたアーエルをネヴィリルが制した。

(今は言わない方がいい。言ってもグラギエフには分からない。かえって混乱させるだけだから)その時は、ネヴィリルはそう考えたのだ。

「あれから五年か…済まない。君たちを戦争に巻き込んだのは我々大人の責任だ。せめて、あの時誰かが…」

「いえ、それよりここに来る途中で、古代シムーンが私たちに向かって来ました。戦争はまだ続いているんですか?」

 済まなさそうにしている私に、ネヴィリルはそう尋ねて来た。

「それにたくさんの町や村が燃えているのを見たよ。大勢の逃げ惑う人がいて、銃を持った兵士たちが戦っていた。あれから何があったの?」

 長い空白の間に何が起こったのか?アーエルも知りたがっていた。

「そうだな…君たちが旅立った時には戦争は終わっていた。だが…」

「だが…どうしたんです?」

「また戦争が始まってしまった。今度は嶺国と礁国だ。今、宮国を二つに割って争っている」

「宮国が二つに分かれたんですか?」ネヴィリルとアーエルは、信じられない。と言うような顔をした。

「同じ宮国の人間が敵味方に分かれて戦わされている。今や宮国は戦場だ。大勢の人が戦争の犠牲になっている。ひどいもんだ」

「みんなはどうなりました。無事なんですか?」ネヴィリルが心配そうに尋ねて来た。

「還俗した君たちの仲間も大勢兵隊に取られた。男を選んだシュヴィラは貧乏くじだったな…だけど、女を選んだ子も気の毒だ。夫は兵隊に取られ、家を焼かれたり、子供や家族を亡くした子も多い」

「そうですか…そんな事になってしまっていたんですか」

 ネヴィリルとアーエルは、ただ唖然として顔を見合わせていた。

 私は倒れていた手近なテーブルを起こし、椅子を揃えて二人を座らせ、自分も椅子に腰掛けた。

 それから、今までに起こった出来事を彼女たちに話して聞かせた。

 

~続く~

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