姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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 マッチポンプとは、自分で起こした揉め事を解決し報酬を得る事なのだとアイリスは説明した。この場合の報酬とは、魔物(モンスター)を倒す事で得られる『魔石』の事か、或いはもっと別の何かなのか。兎も角、神々にとって利益になる事だろう、とアイリスは言った。

 ベルは当然反論した。根拠など何もなかったが、ヘスティアたちがそんな事をしているとは思いたくなかった。ベルの祖父は魔物に殺されたのだから。

 だが、意外にもアイリスは頷いた。あくまでこれは仮説であって、根拠など殆どありはしないと。

 

「でも、仮にそうだとすれば、寧ろ厄介ですわよ。神に匹敵し得る力を持った何者かが存在する、という事ですもの」

 

 そう締めくくって、アイリスは出された魚料理を切り分け口に運んだ。

 

 あれから数日が経つが、ベルは同じ事を繰り返し考えていた。勿論、アイリスが語った仮説に根拠はない。はっきり言って空想である。だが、迷宮(ダンジョン)を創ったのは神に匹敵する力を持った何者かである、というのは概ね同意だった。

 同じ考えを持つ者に出会えた事、そしてそれがアイリスであった事にベルは嬉しいと思う反面、言い知れない不安が胸中に渦巻いた。

 

「ベル、まだあの夜の事を気にしてらっしゃるの? わたくしもお酒が入っていましたし、一夜の過ちとして忘れるべきですわ」

「何か言い方が如何わしいですよ……!?」

「なら、言い方を変えますわね。答えの出ない問いを解くほど無意味な事はありませんわ。どちらにせよ、わたくしたちに出来る事は一つだけ。――違いまして?」

 

 とん、とアイリスは手を銃に見立て、ベルの鼻先に人差し指を当てた。

 

「神様を、信じる事……ですよね」

 

 ベルが途切れ途切れにそう言うと、アイリスは曖昧に頷き、やがて困ったような笑みを浮かべた。

 

(そういう感情論ではなく、今は地道に経験値(エクセリア)を貯めるべきだ、と言いたかったのですけど……。まあ、ベルらしいといえばらしいですわね)

 

「それにしても、ヘスティア様は一体何処で何をしているのでしょうね? 確かに、数日戻らないかもしれないとは言われましたけど」

 

 ヘスティアが『神の宴』に出掛けてから今日で三日目。その間、何の音沙汰もない。ヘスティアと親交のあるミアハに尋ねてもみたが、彼もヘスティアが何処にいるのかは解らないという。

 面倒事に巻き込まれていなければいいが、とアイリスが思っていると、ベルの顔が茹で上がった蛸のようになっている事に気が付いた。

 

「ああ、御免なさい」

 

 ベルの鼻先に触れたままだった指をスッと離し、アイリスは中断していた作業を再開した。

 銃腔にこびり付いた煤や火薬の残り粕を油に浸した布の付いた棒を突っ込んでこそぎ落としていく。銃は手入れを怠ると暴発する危険が高まるのだ。

 同様に火皿の汚れも落とし、次いで黒く光る銃身を磨いていく。錆びるのを防止する為だが、アイリスは銃身に使われている金属が何であるのか知らなかった。少なくとも色からして、只の鉄でない事だけは確かだが。

 そんな様子をソファーの上から眺めながら、ベルはぽつりと感想を漏らした。

 

「結構手入れも大変なんですね……」

 

 ベルは初めて銃弾が発射されるのを目にした時はまるで魔法のようだと思ったものだが、発射までの工程や日々の手入れを思うと、剣や弓の方がずっと手軽に思える。勿論どちらも手入れは必要ではあるが、二撃目を放つのに三〇秒も時間を要しはしない。実は『欠陥品』の汚名を受ける事になったのも、やはりこの射撃間隔の長さ故だった。

 この弱点を補う為にアイリスが思い付いたのが、毒を塗ったナイフや針の併用だった。相手の動きを封じる事で、こちらの隙を相殺する。だが、毒の通じない魔物も多いのだろうからと、他の手段も検討しているところである。

 やがて銃の掃除を終えたアイリスは、スカートを軽く払って床の上から立ち上がった。

 

「お待たせして申し訳ありませんでしたわね」

「いえ、僕も観ていて面白かったので」

 

 そう言って、ベルもソファーの上から立ち上がる。

 ポーションが差し込まれたレッグホルスターを脚に装着し、短刀を腰に差す。最後に防具の上からバックパックを背負えば準備は完了だ。

 一方、アイリスはウエストポーチを腰に巻き、銃を抜き身で携えた。旅の道中使っていた長筒は邪魔になるだけなので使わない。それに、銃を銃だと知らない人間にとっては、ヘスティアがそうであったように少し変わった形の棍棒にしか見えないのだ。なので、態々隠す必要もなかった。

 

「では、準備も出来ましたし、そろそろ参りましょうか」

 

 二人連れだって地下室を出て、廃教会を後にする。

 西のメインストリートをゆったりとした速度で歩いていると、やがて『豊穣の女主人』が見えてきた。店先に立っている猫人(キャットピープル)の店員がこちらに気付いたのか、大きく手と尻尾を振った。

 

「おーい! 待つニャ、そこの白髪頭とコスプレ(オンニ)ャ―!」

「ベル、いいですわね? わたくしたちは何も見なかったし、何も聞かなかった」

 

 アイリスは真顔でそう言って、ベルの手を引いて店の前を突っ切ろうとする。しかし、それを猫人の店員が立ち塞がって止めた。

 

「目の前にいるのに無視するニャー!!」

「はぁ……、厄介事の臭いがプンプンしますわね。わたくし、貴方に負けないくらい鼻が利きましてよ」

「嗅覚は嗅覚でも大分意味が違うようですが。アーニャ、余り詰め寄るものではありません。クラネルさんが困惑しています」

 

 遅れてやって来たエルフ族の店員が猫人の店員――アーニャを窘める。が、ベルが困惑している理由は別にあるのだが。それも、アイリスが手を放した事で氷解した。

 

「済みません、クラネルさん。呼び止めてしまって」

「い、いえ……それはいいんですけど。僕らに何かご用ですか?」

 

 ベルは人知れず感動していた。あのエルフ族に名前を憶えてもらえるなんて、と。

 そんなベルの内心は露知らず、エルフ族の店員は淡々と事情を説明し始める。

 

「実はシルが財布を忘れてしまいまして、クラネルさんに届けてもらいたいのです」

「この通りミャーたちは店番の最中ニャ。他の皆も店の準備で手が離せニャい。ニャのにシルのヤツ、一人店番サボって祭りを観に行ったニャ」

「そういう訳ですから、こうしてクラネルさんにお願いをしている次第です。これから迷宮に向かう貴方には悪いとは思うのですが……」

 

(本当にそう思うのなら、初めから頼んだりしないでしょうに。というか、わたくしは勘定に入っていないのですね)

 

 アイリスはそう思ったが、流石に口には出さず、二人のやり取りを静観する事にした。まあ、結果は見えているのだが。

 

「別に僕は構いませんけど。……アリスさんは大丈夫ですか?」

 

 振り返って尋ねてくるベルに、アイリスは然もありなん、と軽く首を振って了承した。

 

「でも、シルさんがお店をサボっちゃったって本当なんですか?」

「サボる、という言い方には語弊があります。ここに住まわせてもらっている私たちとシルとでは、雇用条件からして違うので」

 

 エルフ族の店員曰く、シルは彼女たちとは違い住み込みで働いている訳ではなく、ちゃんと休暇も取っているらしい。

 

「祭りって……もしかして、怪物祭(モンスターフィリア)の事ですか?」

「はい。シルは今日開かれるあの催しを観に行きました」

 

 怪物祭。その名前は数日前に摩天楼(バベル)の中で聞いていた。

 中身まで知らないベルは、当然のように興味を惹かれる。

 

「初耳ですか? この都市に身を置く者なら知らない事はないはずですが」

「実は僕たち、オラリオに来たのがつい最近で……。良かったら教えてくれませんか?」

 

 ベルがそう申し出るが、アイリスはその必要はないと言わんばかりに溜め息を吐く。

 

「悪趣味な見世物。嘗ての闘技場(コロッセオ)のようなものですわ。人間の剣闘士の代わりに、調教された魔物を使うようですけど」

「……ご明察の通り。悪趣味、というのも個人的には同感です」

 

 エルフ族の店員は最初驚いた様子だったが、やがてアイリスの悪趣味という感想に共感したらしく苦笑を浮かべた。

 

「魔物を調教する事が出来るなんて……」

調教(テイム)という技術自体は確立されています。素質に依るところも大きいようですが」

 

 ベルの疑問に、エルフ族の店員は淀みなく答える。その様を見て、アイリスの中で疑念が確信に変わっていく。

 

(変だとは思っていましたけど、彼女たちも元冒険者のようですわね)

 

「闘技場に繋がる東のメインストリートは既に混雑しているはずですから、まずはそこに向かってください。人波に付いて行けば現地には労せず辿り着けます」

 

 つまり会場は大混雑。その中から娘一人を捜すのは、砂漠で米粒を探すようなもの――とまではいかないまでも、相当な労力が必要な事は間違いなかった。

 もしかしたら、今日一日丸々潰れてしまうかもしれない。いや、間違いなく潰れる。そんな予感がアイリスにはあった。

 

「シルはさっき出掛けたばっかだから、今から行けば追い付けるはずニャ」

「宜しくお願いします」

 

 エルフ族の店員がベルに財布を手渡す。財布は布袋状で、見慣れないエンブレムが刻まれていた。

 

「解りました」

「猫さん、今度お茶しましょうね?」

「まだその話続いてたのニャ!?」

 

 兎も角も、受けてしまったからには見つけ出す他ない。

 ベルとアイリスは、東のメインストリートに向かって歩き始めた。

 


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