「おーいっ、ベールくーんっ!」
聞き慣れた声が耳朶を打つ。自身の名を呼ぶ声に驚いたベルは、反射的に声のした方向に目を向ける。
人垣をかき別けてこちらへやって来るのは、ここ数日所在が解らなかったヘスティアだった。夜会に着ていった黒のドレスではなく、普段の白いワンピース姿をしている。
「神様!? どうしてここに!?」
「おいおい、馬鹿を言うなよ。君に会いたかったからに決まっているじゃないか!」
ベルの目の前で止まったヘスティアはそう言って、何処か誇らしげに豊満な胸を張る。しかし、思い出したように周囲をきょろきょろと見渡し、やがて首を傾げた。
「あれ? アリス君と一緒だったんじゃないのかい?」
「え、ええ……さっきまで一緒でしたけど。今僕ら、人を捜している途中でして――」
「どうやら近くにはいないみたいだね。これは好都合だっ」
何故アイリスがいない事が、ヘスティアにとって都合がいいのか。ベルには訳が解らない。只、ヘスティアが妙に上機嫌な事だけは理解出来た。
「か、神様? 凄くご機嫌みたいですけど、本当に何があったんですか?」
困惑混じりのベルの問いに、ヘスティアはニヤリと笑みを浮かべる。
「聞きたいかい? でも、今はまだ駄目さ。――ベル君!!」
「は、はい!?」
「君には、これからボクとデートをしてもらう!」
「で、デートって……えぇぇぇ!?」
数瞬の間をおいて言葉が浸透し、ベルは仰天した。
デート――つまりは、逢引である。
神様とデートなんて烏滸がましい。そう思ったベルは、当然のように断ろうとした。
何より、今は一刻も早くシルを見付け出して彼女に財布を届けなければならない。アイリスばかりに任せて、自分だけ遊んでいていいはずがない。そういう想いがベルにはあった。
「もしかして、ベル君はボクなんかとデートするのは嫌なのかい……?」
だが、青い瞳を潤ませて、上目遣いでそんな風に尋ねられたら、男だったら断れるはずもない。
「そ、そんなっ! 嫌だなんて、そんな事ありませんよ!」
「なら何も問題ないね! 折角のお祭りだ、楽しまなきゃ損だぜ?」
が、次の瞬間には再び笑顔に戻るヘスティア。
嵌められた事に流石のベルも気が付いたが、今更断れるはずもない。それに、嫌ではない、というのは本当の事だった。
「で、でも、さっきも言いましたけど、僕人を捜してる最中でして……!」
「ああ、そんな事を言っていたね。でも大丈夫さ! デートしながらだって人捜しは出来る!」
小さく柔らかい指がベルの手を絡め取る。手袋越しに温もりが伝わる。そして、それを意識してしまえば、頬が色付くのを止める術はない。
ベルはヘスティアに手を引かれ、人混みの中を歩いて行く。遠方で花火が弾け、人々の気分を一層高揚させる。
色取り取りの火花が舞い散る空を眺めていたベルは、ふと疑問を抱いた。
「神様、花火ってどうやって打ち上げているんですか? やっぱり魔法で?」
「んー? 違うよ。火薬を使って打ち上げてるんだ。アリス君の銃と原理は同じだね」
「え!?」
驚きの事実に、ベルは瞬きを繰り返す。
「そんなに驚く事じゃないだろう? 銃っていうのは、要するに大砲を小型化したものだから、打ち上げ花火と出発点は同じなんだ。武器として進化させるか、見世物に転化させるか。目指した場所が違っただけさ」
「なら、どうしてオラリオには同じものがないんでしょうか?」
「必要ないからだと思うよ。上級の冒険者なら、
必要とされないなら、道具が生み出される事はない、とヘスティアは言う。
ならば、逆に銃が必要とされるのは、どういった環境なのだろうか。アイリスの故郷は、どんな処なのだろうか。知りたい、とベルは思う。
(あれ……? どうして、僕はそんな事を知りたがっているんだ……?)
「まあ、そんな事はいいじゃないか! それよりデートを楽しもう! おじさーん、そのクレープ二つくださーい」
「か、神様ぁー!?」
だが、ベルの中で生まれた違和感は、ヘスティアに振り回される事で霧散した。
ベルは未だ知らない。――【
× × ×
アイリスは壁に身を預け、通りを歩く人々を見詰めていた。
ふと目に留まるのは、獣人の家族連れ。親子三人で手を繋ぎ、仲睦まじく歩いている。真ん中を歩く女の子は無邪気に笑い、両親も娘を慈しむような笑みを浮かべていた。
そんな光景を見ていると、少し考えてしまう。女の子なら、誰もが一度は夢見るだろうお姫様。けれど、物語のそれと、現実のそれは全然違って。もしも普通の家庭に生まれていれば、有り触れた、細やかな、しかし温もりのある日々を過ごせたのではないだろうか。そう、あの女の子のように。
「はぁ~……。らしく、ないですわね」
感傷に浸るなど、らしくない。自分は寂しいのだろうか。嗚呼、そうかもしれない。アイリスは自問自答する。
屋台で買ったジャガ丸くんソイソース味の最後の一欠けらを口に運び、包み紙を丸めてポーチに仕舞った。代わりに、懐から懐中時計を取り出す。
ベルと別れてから、既に一時間以上が経過していた。思えば、ベルは時計を身に付けていない。時計を持っていなくても時間を知る術はあるだろうが、約束そのものを忘れていればその限りではないだろう。
アイリスは結局、シルを見付ける事が出来なかった。元々彼女を捜すのに消極的だったせいもあるだろうが、胸中に渦巻く不安のせいで集中出来ていなかった。漠然とした良くない事が起こるという予感は、まるで真綿で首を締めるようにアイリスの神経をすり減らせていた。
あれから、まだ何も起こっていない。だが、そう思っているのは自分だけかもしれない。認識していないだけで、既に何かが始まっている可能性は充分にある。
自身の願いとは裏腹に、ベルの方が何か厄介事に巻き込まれてしまったのではないだろうか。そう思う一方で、シルと運良く合流し、時間も忘れて二人仲睦まじくデートしている可能性だってある、とも思う。それは少し腹立たしいが、ベルが傷付くよりは余程いい。
もう少しここで待ってみようか。それとも、こちらから捜しに行こうか。待つのも嫌いではないけれど、このままでは埒が明かない、とアイリスは思った。
迎えに行こう。そう決めた時、突如として異変は起こった。
「きゃっ……!?」
地が揺れた。まるで何者かが地中を這いずっているかのように、大地が震動している。
この世の終わり、というものを有り体に想像する。嗚呼、自分が感じていた不安の正体はこれだったのか。
だが、周囲の反応は冷ややかだった。アイリスに対して、という訳ではなく、またか、という感じだ。
流石にその様子を見ていれば、自分が大袈裟に捉え過ぎていた事に気が付く。心が落ち着くと共に、羞恥で頬が染まっていった。
「もしかして、この辺りは地震が多いのかしら……?」
アイリスが暮らしていた西の大陸では地震は稀だ。軽い揺れでも、一〇〇年に一度あるかないか。アイリスにとって地震とは、天変地異そのものだった。
だが、オラリオ一帯はそうではないらしい。案外、地震は頻繁に起こるようだ。周りの落ち着きようがそれを示している。
やがて揺れが収まり、アイリスは銃を杖代わりにして何とか立ち上がった。驚いて、腰が抜けてしまっていたのだ。
スカートに付いた砂埃を払って、改めて周囲の様子を伺う。彼らは、一様に首を捻っていた。
――あれは地震か? それにしては、揺れが小さいような……?
不味い、とアイリスは直感的に思う。それと同時に、自然と身体が動いた。
地面に穴が穿たれる。土煙が舞い、何者かのシルエットが、まるで影絵のように浮かび上がった。
沸き立つ悲鳴。我先にと逃げ惑う人々。それらに構う事なく、アイリスは弾丸を装填する。
視界が晴れるのと、銃を構えたのはほぼ同時だった。
目に映るのは、黄緑色の巨躯。四メートルはあろうかという、芋虫型の
夏アニメは軒並み佳境ですね。日常系はその限りではありませんが。のんのんびより……3期あるでしょうか?
それは兎も角、お祭りが一転――というところで今回は終了です。
アイリス大ピンチ!次回に乞うご期待!