姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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 あれから、自分はどうなったのだろう。ヴァレンシュタインの力を借りて、魔物(モンスター)を倒して、それで――。

 微睡みの淵から意識が浮かび上がり、アイリスは重い瞼を開けた。全身が怠い。まるで徹夜明けのようだ。

 

「お姉ちゃん大丈夫……?」

 

 目に飛び込んできたのは、こちらの顔を覗き込む二つの顔。

 

「……何をしてらっしゃいますの?」

 

 妙に柔らかい感触を後頭部に感じながら、アイリスはアイズに尋ねる。

 

「……膝枕?」

「何故貴方の方が首を傾げるのかしら……」

 

 もしかして、天然なのだろうか。

 溜め息を零しそうになりながら、アイリスはゆっくりと起き上がった。

 

「貴方の方こそ大丈夫でして? 怪我は――ああ、ヴァレンシュタインが治療してくれたのね」

 

 傍らに立つ獣人の少女が負っていた傷や打撲は、すっかり痕も残さず消えていた。少女に微笑みかけると、少女の方も笑い返してくれる。

 

「アイズ、でいいよ。みんな、私の事そう呼ぶから。それと……ごめんなさい。貴方のポーション、勝手に使ってしまって」

 

 ペコリと頭を下げるアイズの姿を改めて見てみれば、ワンピースの上から剣帯を帯びているだけで細剣以外は持ち合わせていないようだった。

 念の為にポーチの中も確認してみると、確かにポーションの入っていた試験管が二本空になっている。

 

「それはいいのですけど……この子の怪我、ポーションを二本も使わないといけない程酷かったのかしら?」

 

 アイリスがそう尋ねると、アイズは小さく首を振る。

 

「なら、貴方も何処か怪我を?」

「……違う。ポーションの効き目が、酷く悪かった。恐らく、粗悪品。今度から、買う店を変えた方がいいと思う」

「……そうなの。貴重なご意見、助かりましたわ」

 

 アイリスはポーションの製造主である犬人(シアンスロープ)の少女の顔を思い出し、酷薄な笑みを浮かべて立ち上がろうとした。

 

「あ、あら……?」

 

 しかし身体がふらつき、アイズに支えられて再び地面に腰を下ろす。

 

「多分、精神疲弊(マインドダウン)。自分の限界を超えて魔法を行使したときに起こる症状。もう少しこのまま休んでいれば、自然と良くなると思う」

「精神疲弊……」

 

 アイリスは掌を数度、確かめるように開いて閉じる。やはりまだ何処か、あれが夢の中の出来事だったのではないかと思っている自分がいる。

 

(カボチャの馬車ではないけれど……)

 

 あの力を望んだのは、紛れもなく自分自身。自分を、そして誰かを護る為の力。

 ありがとう、と心の中で礼を言ってから、今度はアイズに向かって深く頭を下げる。

 

「ありがとう、助かりましたわ。貴方が来てくださらなければ、間違いなく――」

 

 自分とこの子は死んでいた、と続けようとして言葉を呑み込む。折角助かったのに、今更少女を怯えさせるのは不憫に思えた。

 

「ねぇ、座ってもいい?」

「ええ、構いませんわ」

 

 少女にせがまれ、アイリスは自分の膝の上に少女を座らせる。頭に手を載せて撫でてやると、ふさふさの尻尾がブンブンと揺れた。

 

「……優しいんだね」

「さあ、どうかしら? ……アイズはどうしてここに?」

「闘技場から逃げ出した魔物を追ってきたの。でも、アレは違うと思う。アレを調教(テイム)出来るなら、【ガネーシャ・ファミリア】は今頃オラリオ最強のはずだから」

 

 それだけ凶悪な魔物だったのだと、アイズは暗に言っていた。同時に、出所が違うとも。

 

「なら、さっきの魔物は何だったのでしょう?」

「解らない。でも、私たちが五一階層で戦った新種の魔物と同種だと思う」

「五一階層……」

 

 通常、魔物は階層を移動するにしても上下に二つ三つまでらしい。それを無視したとしても、やはりそれだけの層を上って地上までやって来たとは考え難い。やはり、何者かの手によって迷宮(ダンジョン)から連れて来られたのだと考えるべきだろう。

 どんな手を使って、というのはこの際問題ではない。犯人を捕らえれば自ずと解る事だからだ。考えるべきは、ここに現れる前まで、あの魔物は一体何処にいたのか、という事だ。

 まさか、迷宮から直接来たという訳ではあるまい。必ず、潜伏場所があるはずだ。更に言えば、まだ犯人がそこに留まっている可能性すらある。

 

(地中を掘り進んできたとは考え辛い。でも、あの巨体が通れる空間なんて……)

 

 いや、あるだろう。一つだけ、可能性が。

 

「下水道……?」

「え?」

「だから、下水道ですわ! これだけ人口の多い街なら、下水施設もそれなりの規模のはず」

 

 しかも、ここは東のメインストリート。恐らくここの地下に、ここら一帯の建物の生活排水が集中しているはずだ、とアイリスは考えたのだ。

 アイリスが仮説を説明すると、アイズは目を見張り、次の瞬間には穴に向かって走り出そうとする。アイリスは慌ててアイズの手首を掴んで引き留めた。アイズは振り払おうとするが、それを牽制するようにアイリスは捲し立てる。

 

「流石の貴方でも単身は危険ですわ。それに、わたくしの予想通りなら、その穴の下では汚水が流れているのでしょうし、また複雑に入り組んでいるのでしょうから、図面がないんじゃ絶対中で迷いますわ。地上を行った方が安全且つ確実だと思いましてよ?」

「……冷静なんだね」

 

 アイリスの説明に納得したのか、アイズは腕の力を緩めて空を見上げた。

 

「……私は取り敢えず、取り逃がした最後の一体を捜してみようと思う」

「最後の一体って……複数逃げ出したという事ですわよね? 幾らなんでも管理が杜撰過ぎではないかしら……」

 

 初めて聞く情報にアイリスは眉根を寄せるが、

 

「魔物は、何者かの手引きで逃げ出したらしい。そのうち八体は倒せたけど、最後の一体が見付からなくて……。もう誰かが倒したかもしれないけど、念の為」

 

(誰かが故意に逃がした……?)

 

 街中に、別口で魔物が放たれる。そんな偶然、果たして起こり得るのだろうか。

 

(まさか、こっちが本命で……闘技場の方は陽動目的……?)

 

 根拠はないが、反証も現段階ではない。

 考え過ぎだろうかとアイリスが首を捻っていると、いつの間にかアイズがいなくなっている事に気が付く。一体何処にと周囲を見回せば、簡単にその姿を見付ける事が出来た。やって来たときと同じように、民家の屋根に上ってこちらを見詰めている。

 

「最後に、訊かせて。貴方の名前は……?」

 

 それを聞く為に待っていたのだろうか。

 不思議とよく通る声での問い掛けに、アイリスは同じようにハッキリと答える。

 

「アリス・フランシスですわ。以後、お見知り置きを」

 

 聞きたい事を聞き終えたからか、アイズは何事かを呟いて方向転換し、民家の屋根を駆け抜けていく。ものの一〇秒足らずで、その後ろ姿は見えなくなった。

 

「ありがとう、ね……。では、わたくしは貴方のご両親を捜す事から始めましょうか」

 

 そう言って、アイリスは少女の脇を持って一緒に立ち上がる。

 一向に現れないベルの事も勿論心配ではあったが、少女をここに独り置いて行くわけにもいかないだろうし、そもそもそんな選択肢はアイリスの中には存在しなかった。

 

「きっと、パパもママも大層心配なさっているはずですわ。早く、元気な姿を見せてあげましょう」

「……手、繋いでもいい?」

「ええ、勿論構いませんわ」

 

 少女の小さな掌をしっかりと握り、少女の両親が逃げただろう方向に向かって歩き始めた。

 

     ×     ×     ×

 

 少女の両親は、呆気ないほどに簡単に見付かった。半狂乱で少女を助けに戻ろうとしたところを、ギルドの職員や冒険者に力尽くで止められたらしい。そして、憔悴しきっていたところに、アイリスに連れられて少女は現れた。生還した愛娘と再会出来た少女の両親が何を思ったのかは想像に難くない。

 謝礼を固辞して早急にその場を後にしたアイリスは、足早に目的地に向かった。もしかしたら、という予感があったのだ。

 

「あっ! 神様、アリスさんいましたよ!!」

「全く、無事なら無事って返事をしろってんだ。アリス君、ボクら凄く心配したんだぞ! やっとの思いでここまで辿り着いたと思えば君はいないし、地面には大穴空いてるし!」

「……理不尽ですわね」

 

 もしも運命の女神がいるのなら、今度ばかりは心底呪ってやろうとアイリスは思う。

 

「聞いてくださいよ! 闘技場から魔物が脱走して、僕と神様も散々追い掛け回されて……!」

 

 最後の一体は、どうやらベルとヘスティアを追い掛け回していたようだ。しかし二人とも無事だという事は、アイズが間に合ったのか、それとも――。

 

「ええ、その話は後でゆっくり聞かせてもらいますわ。でも今は、出来る事ならゆっくりと湯船に浸かりたいですわね。埃っぽいですし、何より待ちぼうけで足が棒になってしまったようですもの」

 

 そう言いつつ、アイリスはチラリとスカートを捲り上げ、視界に黒い布地が僅かに入ったベルは、一瞬で顔中を真っ赤に染める。

 

「何をやってるんだ君はぁぁぁぁ!! こんなっ、こんな公衆の面前で! 大体君は――」

「だって、わたくしを放って他の女とデートしていたなんて……妬けてしまうじゃありませんの」

 

 ぼそりと吐いた呟きは、幸い喧噪に掻き消され、ベルの耳には届かない。

 

「聞いてるのかアリス君!? ボクは君のそういう態度がっ」

「ええ、ちゃんと聞いていますわ。ところで――」

「こらー! 話を逸らそうとするんじゃないっ! ベル君もいつまで放心してるんだ!」

「え!? な、何ですか!?」

「フローヴァに、ちゃんと財布は届けられましたの?」

「「あっ」」

 

 アイリスに指摘され、ベルとヘスティアはようやく思い出す。ああ、そんな話もあったな、と。

 

「ど、どうしましょう……?」

「言い訳は幾らでも出来るでしょうし、今からでも本人に渡しに行けばいいのではないかしら?」

「本当に君はその辺豪胆だよね。ある意味尊敬するよ」

「ヘスティア様に褒めて頂けて嬉しいですわ」

「褒めてない!」

 

 しかし、ベルとヘスティアから異論が出る事もなく、本日の夕飯は外食に決定したのだった。

 




ベル君の活躍は割愛しました。読みたい方は原作を買って、どうぞ。
また、話の都合上ヘスティア様には不眠を続行してもらってます。

それと、全然関係ですけど、のんのんびよりが終わって心が折れそうです(´ー`)

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