姫と兎の聖譚曲   作:eldest

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「神様ただいまー! ……って、あれ? ……神様?」

 

 ホームである廃教会の地下室へと帰ってきたベルは、室内を見回して首を傾げる。いつも元気よく出迎えてくれる少年の主神――ヘスティアの姿はそこにはない。どうやらヘスティアは不在であるらしい。

 

「そうか……神様バイト先の打ち上げなんだっけ」

 

 しかも、結局ベルには理由が解らなかったものの、ヘスティアは今日に限って(すこぶ)る機嫌が悪いのだ。

 やってしまった、とベルは頭を抱える。初の団員獲得のチャンスに舞い上がって、色々な事を見落としていた自分を恥じた。

 冒険者にとって大切なのは、何も強い装備やステイタスの高さばかりではない。罠や魔物の弱点などを見逃さない事も、冒険者にとって大切な能力の一つなのだ。

 

「アリスさんすみません……まだ神様帰ってきてないみたいで……」

 

 一旦家に帰りますか、とベルが尋ねると、少女は人差し指を唇に当て考え込み、やがて口を開いた。

 

「いえ、入れ替わりになってしまっては面倒ですし、ここで待たせていただきますわ。それと、キッチンをお借りしても宜しいかしら?」

「え? それはいいですけど……何の為に?」

「キッチンでやる事は一つしかございませんわよ、ベル」

 

 そう言って、少女は抱えていた紙袋を示すように上下させる。

 ホームまでの道すがら世間話をしていたのだが、ベルは普段どんなものを食べているのか、という話題を少女に振られたのだ。そして少年が正直に答えると、冒険者用に昼夜問わず開いている食品店に少女は立ち寄り、何やら色々と買い込んでいるようだった。

 ベルは一人暮らしの少女が明日以降に食べる食材を買い込んでいるものとばかり思っていたのだが、どうやらそれは誤解だったらしい事にようやく気付く。

 

「全く、ジャガ丸くんばかりの夕食だなんて、そのうち健康を害しますわよ? 栄養面もそうですけど、カロリーの取り過ぎも心配ですわ」

「か、カロリー……?」

「言っておきますけど、ポテトは野菜に含みませんわよ」

「えっ!?」

 

 ベルにとって衝撃の事実である。ジャガイモが野菜じゃないのなら、一体何だと言うのだろうか。だが、そんな事を訊けるような雰囲気ではない。

 

「ポテトは野菜だからヘルシー? そんな訳がないでしょう。……ふふっ、ふふふっ、ふふふふふっ」

「アリスさーん!?」

 

 それは紛れもなく怨嗟の声である。少女の突然の豹変に、ベルは涙目で悲鳴を上げるのだった。

 

     ×     ×     ×

 

「ただいまーベル君! さっきはすまなかった――って誰だその女はぁぁぁ!?」

 

 部屋へと入った瞬間眼に飛び込んできた光景にヘスティアは絶叫する。

 あの奥手なベルが部屋に女を連れ込んでいる。それも飛び切りの美人を。しかも、ソファーに二人並んで座っているではないか。

 それらの容認し難い現実に、ヘスティアの脳内は次第に埋め尽くされていく。

 

「あ、お帰りなさい神様」

「どういう事だいベル君!? よりにもよって、よりもよってっ、ボクらの愛の巣に他の女を連れ込むなんてぇ……っ!」

 

 ヘスティアはあくまで普段と変わらない様子のベルに詰め寄り、彼の胸をそれこそ幼子が父に物を強請(ねだ)るが如くポカポカと叩き始めた。

 

「もしかして……神様酔ってます?」

「酔ってなーい!!」

 

 涙目で憤慨するヘスティア。ベルは完全に冗談として受け取ってしまっている。

 

「それに君はさっきから何を食べてるんだ!? ちょっとは動じろよ! 美味しそうじゃないか!」

「トルティージャにサーモンのマリネ、それからごぼうのポタージュですわ」

「何言ってるのかさっぱり解らないよ! ボクに解る言葉で話せよ!」

「やっぱり神様酔ってますよね?」

「だから酔ってな~い!!」

「痛いです神様!?」

 

 臨界点に達したヘスティアの右拳がベルの鳩尾に炸裂した。

 

 その後どうにかヘスティアを宥める事に成功したベルは、これまでの経緯(いきさつ)を語り始めた。

 

「――それで?」

「え、え~っとですね……神様を待っている間、夕飯を食べ損ねた僕の為に、アリスさんが手料理を振る舞ってくれる事になりまして……」

 

 ベルはそもそも『豊穣の女主人』には夕食を食べに行ったのだが、あの騒動のせいで殆ど手を付ける事も出来ずに店を飛び出してしまったのだ。

 

「手料理ぃ~? ……アリス君とか言ったね? うちのベル君は見ての通り純情なんだから、勘違いさせるような事しないで貰えるかな?」

「別に勘違いしてくださってもわたくしは一向に構いませんわよ?」

「どういう意味だそれはー!?」

 

 やはりこの女は敵だ。ヴァレン何某に続いて一体全体どうなっているんだ、とヘスティアは内心頭を抱える。

 

「お、落ち着いてください神様。アリスさんはファミリア発足後、僕たちが待ちに待った初の入団希望者なんですよ!」

「そ、そうなのかい? それは嬉しいけど素直に喜べないなぁ……ぐぬぬ」

「でも、一昨日二人で話したばかりじゃないですか。アリスさんが加入してくれれば神様の負担も減らせますし、僕もやっとソロを卒業出来ますし、いい事尽くめですよっ!」

 

 ベルの力説にヘスティアは折れかかるが、いやいやと首を振る。こんな都合のいい展開あってたまるか。

 

「……自分で言うのもなんだけど、うちは零細ファミリアだ。知名度だって皆無だし、ボクの眷属(ファミリア)は現状ベル君しかいない。なのに、好き好んでうちに入りたがる理由は何なんだい?」

 

 ベルの隣から追立ててもう一つのソファーの方に座らせた少女をヘスティアは睨み据える。

 

「ベルにも先ほど言いましたけど、知り合いがいる方が何かと安心出来ますでしょう? それに、どの神の眷属になろうと、神から与えられる恩恵に差はないそうですし」

「確かにそうだけどさ……。というか、さっきから思ってたけど、君たち今日が初対面なんじゃないのかい?」

 

 気心知れた――とまではいかないまでも、少女の言う通り確かに知り合い程度には親しい関係に見える。

 

「え、えっとそれは……」

「実はオラリオに来る前に近くの村で知り合いましたの。暴漢に襲われそうになっているわたくしをベルが助けてくださったのですわ」

 

 言い淀むベルの代わりに少女がゆっくりと二人の出会いについて語った。

 

「なのでこの料理はその時のお礼ですのよ。ですから、ヘスティア様が心配されるような事(、、、、、、、、、、、、、、、、)は何一つございませんわ」

 

 そして、少女はにっこりと微笑む。

 

「……っ」

 

 ヘスティアはその笑顔を見て背筋がぞくりとした。だが、人間(子供たち)に神が気圧されるなど、本来有り得ない。その逆はあってもだ。

 

(この()は……何だ(、、)……?)

 

 ヘスティアが無言でソファーの上から立ち上がる。隣のベルが驚いた様子でこちらを見上げているのが解ったが、それに構っている余裕は今のヘスティアにはなかった。

 

「解った。なら、君をファミリアに入れるかどうか、これから個人面接をしよう。二人きりになれる場所、何処か知っているかい?」

「それならわたくしの借りてる部屋はどうでしょう? 少々散らかってしまってはいますけど、ここからすぐ近くですわ」

「構わないよ、長居するつもりもないし。――おっと、ベル君はここで待っていてくれよ?」

「か、神様……?」

 

 不安そうに自分を呼ぶベルに、ヘスティアはその幼い容姿とは不釣り合いな大きな胸を張ってみせる。

 

「なーに、心配する事ないさ、ベル君。ボクに任せてくれ」

「は、はぁ……」

 

 ヘスティアの意図が解らず、曖昧に頷くベル。

 

「じゃあ、案内宜しく頼むよ? アリス君」

「ええ。では参りましょうか」

 

 こうして女性二人が部屋を出て行き、ベル一人が取り残された。

 

「だ、大丈夫かな……? 二人だけで」

 

 ベルの心に不安が募るが、その問いに答えてくれる者は誰もいない。


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