ハイマ。   作:とう

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それは、想像の世界。
もし自分が人間でなく、犬や猫として生まれて来ていたら。きっと誰もが一度は考えたことのあることだと思う。
宿題なんてやらなくていい。
人間関係の心配もいらない。
将来への焦燥と不安もない。
義務も、規制も、何もない。
そんな世界だったなら。もう少し楽に生きられたのかも知れない。
大切なものは、なくなってしまうかもだけど。


殺しますか生きますか?

 通信機からは雑音ばかりが漏れ、肝心の持ち主の声がろくに聞こえない。以前より通信機の調子が悪いのだと彼は眉を顰めていたが、この闘争でついに大破でもしたのだろうか。

 中々合流地点に姿を見せないもう一人の仲間に、神田とマリは焦燥感を抱き始めていた。

 

「……遅いな、デイシャ」

 

「……ああ」

 

 神田の低い一声で会話が終わる。

 いついかなる時でも滅多に冷静さを欠いたりしないのが、彼の長所の一つだとマリは知っていた。そしてその落ち着きが、内心の感情の激動を意味しているのだということも。

 

 先刻、落合地点に指定した町の中央の塔の下で二人は一足先に合流し、すぐに現れるであろうデイシャを待った。

 けれど、もう随分待っているというのに現れる気配すらない。

 戦闘力は神田に比べやや劣るかも知れないが、彼も教団内では有力な戦力の一つだ。AKUMA如きにやられるような球ではない。

 その確信が、余計に彼らの焦りを加速させた。

 

「(無事でいてくれ……)」

 

 盲目の中、祈るように拳を握った。

 そんなマリの鼓膜に、次の瞬間慌ただしい足音が届く。物凄い速さで近付いてくる聞き覚えのあるその音に安堵しながら、一体何をそんなに焦っているのかと怪訝に思う。

 段々と接近する音に神田も気付き、そちらを振り向く。

 

 曲がり角から物凄いスピードと形相で顔を出したのは、

 

「神田、マリ!!」

 

 デイシャだ。

 

「遅ェよ」

 

「何をそんなに慌ててるんだ?」

 

「二人共っ、助けてくれじゃん!」

 

 珍しく息を荒げて駆け寄ってきたエクソシスト仲間に、マリと神田は困惑の表情を向ける。

 デイシャは普段、いつもどこか飄々と余裕の表情を見せている。それは彼の強力なイノセンスの力もあってのものだが、今目の前で汗を額にびっしょり張り付かせ必死に声を絞り出している姿にはその面影すらなかった。

 何があった、と神田が口を開こうとした直前、大きく息を吸ったデイシャが吐き出した言葉に、二人は目を丸くして息を呑んだ。

 

 ”天羽璃兎が、ノアの一人の戦っている”。

 

 東の空には、長い夜の終りを告げる太陽がゆっくりとその姿を現し始めていた。

 

 

 ・・・

 

 

 どこだ。

 一体どこにいる。

 

 込み上げてくる焦燥に内心で自分に落ち着け、となんども念じつつ、周囲にできる限りの神経を巡らせた。

 命知らず。そう笑って忽然と姿を消したノア。楽観的にでも考えるなら、先ほど宣言したようにやつは帰ってしまったのかも知れない。そう思うだろう。

 けど、あれがまだ確実にここにいるのはわかっている。

 いつでも迎撃できるよう、自分の頭上に浮く血でできた針を全方向に向けた。

 

 だって、あいつの殺気が消えていない。

 

 俺の放った攻撃が右手を擦り、他の刃が打ち落とされた瞬間から、やつは再び物凄い威圧と共に殺気を振り撒き始めた。つまり、あれが再び殺る気になったという訳だ。

 俺の方は文字通り、自分で自分の死期を早めてしまった訳だ。

 

 全く何やってんだか。笑えない。

 額から頬を伝って流れ落ちた冷や汗がぽたた、と地面に滴った時。

 

 ()()()、と世界が宙返りした。

 

「──っ!?」

 

 ──いや違う、宙返りをしたのは俺か。

 

 周囲に警戒を向けていて、無防備だった左の手首を掴まれて物凄い強さで腕を引かれる。突然のことに対応しきれなかった俺は、そのまま受け身も取れずに舗装された石畳の地面に引き倒された。

 がっ、と一瞬で肺の空気が押し出される。

 少し上で造形した針たちが、音を立てて砕け散った。

 

「あ、ぐっ……」

 

「チェックメイトだ」

 

 ただでさえ血液不足で脆くなっているであろう内蔵だ。その上に更に衝撃を与えられるのは、想像以上に苦痛を伴った。

 苦しみを誤魔化すように唸っていると、上から降ってくる楽しげな声。霞む視界を開けてそいつを見ると、俺を押さえつけて愉快そうに笑っていた。昇り始めた太陽の光で、顔が今まで以上に黒く見える。……ああもう、ロード思い出す。

 

「いい能力なんだけどな、まだまだ経験不足って所か」

 

 知った風に言う男に反論してやりたいが、酸素が入ってこないようで上手く声が出ない。

 絶体絶命、第二弾……どころかもう第五弾あたりは行っている気がする。瓦礫の下敷きだろ、神田の一件だろ、ロードの一件だろ……てこんな時まで逃避してるんじゃない自分。

 

 少しだけ頭が回ってきて、いかにしてこの状況を切り抜けられるかを考えた。

 両手両足は完全に抑えられてるから使えない。この体格差だ、流石に俺のボロ筋力じゃ勝てっこない。

 指に作った傷はまだ塞がってないし、イメージさえ固められればどうにでもなる。

 笑顔でこちらを見下ろしてくるそいつにロードだけでなく眼鏡室長の顔まで浮かんできて、どうしようもなくイラつきを感じた。……こりゃ重症だな。

 

「こんのっ……」

 

「お?」

 

 ぱきんッ、

 

 一瞬かけて形作った剣は、的確にそいつの胸元を貫く位置にあった。しかしそれは男の心臓を貫く前に高い音を立てて砕け散る。俺が荒い呼吸を繰り返す傍、男の方は目を丸くしてこちらを見ていた。

 なんだそのリアクション。自分で攻撃防いだ癖に。

 繰り返しイノセンスを使った上、打撃を受けた背中がジンジンする。流石にそろそろ体力の限界らしかった。もっと鍛えておけばよかったなとまた後悔。これから死ぬというのになんて能天気な、とは思った。

 悪癖だ。

 

 大きく見開いた目でこちら見つめるノア。その口元が不意に歪み、心底腹の立つ笑顔でこちらを見下ろした。

 

「残念だったな? しょーねん」

 

「……ぅ、かはっ……!」

 

 せせら笑って、緩く、まるで子供のおふざけのように首元に手を添えてくるそいつを見て内心ああもうやっぱりダメだったか、と納得してしまった。すでに酸欠状態だった俺にとってはそれでも十分過ぎるぐらいで、少し外から気管を潰されただけで息ができなくなる。

 それもそうだ、こうも簡単に倒せてしまってはたまらない。

 ロード達の、ノア達の力がこれだけな筈がない。

 

「さって……どうやって死にたい? 一思いに逝くか? それともこのままじわじわこの”印”ごと絞め殺されたい?」

 

「っく……」

 

 ”印”。先ほどもこいつが口にした言葉になんのことだと問い質したくなる。けどそうする前にぎゅ、と首を握る手に力が入り、今まで以上に息が詰まった。

 今回ばかりは流石に回避のしようがない気がする。今までもう何度も死亡フラグおっ立ててはへし折ってきたが、もうその気力が残ってない。せめてデイシャを助けられたってだけでもプラスとしようじゃないか。

 

 ガラの悪そうな目の前の笑顔に、どうしても対抗心が湧いた。くっそこいつ余裕そうな顔しやがってこっちは貧血っつーハンデ負わされてんのに……。

 このまま押されてばかりなのが酷く癪で、俺は霞む視界の中思い切り眉間に力を込めて目の前のノアを睨みつけた。

 

「! ……へえ、この状況でその目か」

 

 するとそいつは驚いてからまた笑ってぐい、と顔を近付けてきて、

 

「好きだぜ、そういうの」

 

 嬉しくないですお兄さん。

 男に好きとか……正直少し引きつつ、睨むのは決してやめない。

 そんな俺の態度にノアの男はさぞ愉快そうに微笑んで、首に当てた手の力を──

 

「は……?」

 

「冗談だよ、じょーだん」

 

 ──抜いた。

 

 突然送り込まれた空気に驚いて俺がむせ返っている中、そいつは近付けていた顔を少し離して、相変わらず弧を描いている唇を開いた。

 

「お前を殺したら俺がロードに怒られんの。流石の俺も、兄妹喧嘩なんてのはごめんなんでね」

 

「けほっ、けほ……ふざ、け……」

 

「ふざけてなんかねーよ」

 

 ちょっとロードが不機嫌になるからって俺を見逃す? こいつ本当は頭のネジ一本抜けてるんじゃないのか。

 命拾いしたというのに、あまりに受け入れ難くて思わず敵ながらノアの頭脳を心配する。というか、そもそもこいつらの頭って俺たちと同じ構造なんだろうか? なにか特殊な器官でも埋め込まれてたりして。そうだ、そういえば俺首を絞められたのって初めてだな。

 

 馴染み深い声が聞こえてきたのは、そんな風に俺が再び現実逃避を始めた直後だった。

 

「災厄招来、”界虫『一幻』”!」

 

「おっ、と」

 

 無数の半透明な生物達が飛来して、ノアは素早く俺の上から飛び退いた。シルクハットの側に着地して、拾い上げたそれの埃を軽く払ってから軽快な動きで頭にかぶる。

 急変した事態に固まっている俺を余所に、いつの間にか側にいたマリとデイシャに抱き上げられ、目の前には神田が刀を持ってノアと対峙していた。

 軽々と俺を抱きかかえているマリに「大丈夫か?」と尋ねられなんとか頷いて返す。

 

 もうびっくりしすぎて声も出ないよ。さっきまでのピンチ的な雰囲気は一体どこに?

 というかそもそも俺本当に生きてる……?

 

 前に立って構えている神田は、顔は見えずとも凄まじく機嫌が悪いのがわかった。だって背中を見ただけでもわかる物凄い覇気。阿修羅様が浮かんで見える。恐怖だ。身体中の痛みとかも合わさって泣けてきた。

 

「テメエ……斬る」

 

「おーおー、おっかねぇなあ」

 

 神田のドスの効いた声に特に反応を見せる訳でもなく、男は悠長に懐から一本の煙草を取り出して、あろうことかそれを吸い始めた。殺気剥き出しの相手と向かい合っているというのにこの余裕の態度。自分が絶対に負けないと確信できる程度に、やはりノアの力は強力なものらしい。

 確かにかっこいいと思うかも知れないが気付けお兄さん、さっきまでのシリアスな空気が台無しだ。

 

 目の前の神田。横にいるデイシャ。抱えているマリ。

 すぐ側で三者三様の殺気が放たれていて、俺は正直何事かと思った。肝心のノア男は、再びその鋭い空気を仕舞ってしまっている。

 

「そんな殺気立つなって。そもそも俺はさっさとずらかるつもりだったのに、引き止めてきたのはそっちなんだぜ?」

 

「そんなん知るかよ」

 

 やれやれ、といった風に両手を広げるそいつ。この緊迫した状況でそんなおちゃらけた態度なんて、こいつ絶対頭どっかおかしい。ロードもだけど。そしてそいつの言葉を間髪入れずにバッサリ切り捨てた神田も神田だけど。

 

「ったくこれだからガキンチョは……俺にかまける時間あるぐらいなら、早くそいつの手当てしてやれよ」

 

「……余計なお世話」

 

「そんなこと言って、現に今喋ってるのもキツイんだろ? 少年」

 

「うるさ、けほ、こほっ」

 

「璃兎!」

 

 慌てて呼びかけてくるデイシャに一言だけ大丈夫、と伝える。それでも眉根を寄せて俯いてしまったデイシャにどう声をかければいいのかわからなくなった。

 上を見上げると、普段凛々しい顔つきのマリですら悔しそうに唇を噛んでいる。

 ああもうほら二人ともそんな顔しないでよ、俺が勝手にやったことなんだしさ……。

 

「ほら見ろこの通りだ。今回は諦めるんだな」

 

「……チッ」

 

 心底不機嫌そうにより一層眉間にしわを寄せる神田に、ノアは仕方なさそうに肩をすくめた。

 攻撃するのは諦めたらしいものの、神田が六幻を仕舞う様子はない。隙あらば攻撃するつもりなんだろうか。……凄いやりそう。

 敵意剥き出しな神田に反して、向こうは変わらず緊迫感の欠片もない態度で欠伸を漏らして踵を返した。と、何かに気付いたらしく「あ」と声を漏らして顔だけこちらに振り返る。

 

「自己紹介が遅れたな。俺はティキ・ミック。お察しの通り、ロードと同じノアだよ」

 

 瞬きをした瞬間、そいつの前に現れた大きな門。いつの間に、という疑問はもちろん、その派手な装飾に見覚えがあることに気付いて息を呑んだ。

 

 あの時の。

 ロードと出会った時に、あいつが出してたやつだ。

 

「んじゃあまたな、少年」

 

 最後に振り返り際そいつが向けた笑顔は、今までのように穏やかなものなんかじゃなく、背筋も凍るような()()()()()()だった。

 はい、うんもう是非にまた会いたくなんかないです。軽くトラウマになった気がする。ロードの扉も合わさって。

 

 開いた扉を跨いだノア──ティキとか名乗っていた──が門ごと消滅すると、一瞬前まで場を包んでいた硬い空気が嘘だったかのように霧散した。俺も、雰囲気につられて一気に身体中の力を抜く。

 

 なんかこう、どっと疲れた気がする。

 思えば休憩したのだって列車の上の数時間だし、夕飯もりんご数個で済ませていた。そんな状態で全力疾走して、能力使って血液流出しまくって、挙句受け身もなしにはっ倒された訳だ。

 ……そりゃあ疲れるわな。

 

 己の不健康さに大きく息を吐くと、不意に頭上と両隣から漂ってくるただならぬ空気に気付いて硬直した。

 嫌な予感がしてそれを発している一人であるマリを見上げ、そして直後、後悔。

 

「……璃兎」

 

「……はい」

 

 低い声で名前を呼ばれて、軽く戦慄しつつもし無視でもしてしまったらと怖い想像をしてしまい一応反応を返す。いい加減無駄な所で働くのやめろ俺の想像力。

 恐る恐る両隣の二人も見下ろすと、同じように不穏な空気が周囲を漂っていた。

 特に神田が怖い。普段に増して不機嫌なのか数割り増しで恐ろしい!

 

「……えっと~……」

 

「……なんで俺らが怒ってるか、わかってんの?」

 

「いや、その……」

 

 すいませんサッパリわかんねっす。

 間違ってもそんなことを言ってしまったら、のちの惨状が安易に想像できたので口ごもる。

 そんな俺の態度に痺れを切らしたように、震えながら拳を握っていたデイシャが突然声を荒げた。

 

「自分がどういう状況だったかわかってんじゃん!? 俺らがあと一瞬でも遅ければ、死んでたかも知んねぇじゃん!」

 

「ちょ、脳に響くから至近距離で叫ぶのヤメテ……」

 

「そんなん知るかよ」

 

「う」

 

 敵味方関係なしにバッサリですか神田さん……。

 

「デイシャが血相を変えて走ってきた時は何事かと思ったが……これは見逃す訳にはいかないな、璃兎」

 

「マリまで……いや、でもだってどうせ向こうは俺を殺す気なかったっぽいし、それならちょっとぐらい冒険してもさ」

 

「そんなん知るかよ」

 

「また言った!?」

 

「くそ、俺が油断したから……もう絶対こんな無茶すんなじゃん」

 

「……保証はできん」

 

「あ"?」

 

「うわ、ごめんて神田待って六幻こっち向けないでぇええ!!」

 

 

 

 

 

 殺しますか生きますか? ▼

 

(トラウマがぁぁ……!)




…………。
長えよ!!(机バァン)
神田か……? 神田が出てくるから長くなるのか……!?←
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