ハイマ。   作:とう

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もう、兄ちゃんってばこんな高熱出すまで無理して!
ああほら、お兄ちゃん疲れてるんだから、ちゃんと休ませてあげましょう? ね?
私、ここで兄ちゃんの看病する。
困ったわね……。
 いいよ、母さん。いさせてあげて。俺も、誰か居てくれる方が心強いよ。
そう……? 何かあったらすぐ呼ぶのよ。
はーい。
 そうしたら、絶対来てくれる?
ええ。それはもうすぐ飛んで来るから!
 ははっ、期待しとく。


メリーゴーランド。

「……貴様、何者だ」

 

「いや、あのえっと、別に怪しい者では無きにしも非ずでしてですね」

 

「それは肯定と取っていいんだな」

 

「あ、え、あう……」

 

 なんてこった、人語が出てこない。

 というかこの人、絶対銃刀法違反だ。

 

 緊迫した状況で現実逃避しようとするのは俺の昔からの悪い癖で、現に今も鼻先に刀の先端が突き付けられているというのにその切っ先はほぼ眼中に入っていなく、現状全くもってどうでもいい思考が頭を巡っていた。

 というか、持ち主さんの顔が怖すぎて刀が霞んで見える。

 

 暗く、見慣れない部屋の中。

 床に組み敷かれ逃げ場をなくした俺は現在絶賛命の危機に晒されています助けてくださいヘルプミー。手を上げて降参の意を示すが、一向に刀の持ち主はそれを下ろそうとしない。

 絶体絶命。起死回生はこの場合明らかに無効だ。

 

 というより、ここ数日間だけで俺、命の危険に陥る頻度ハンパじゃなくね? 少なくとも体感ではこれが三度目だ。

 

 神様あんたは俺を生かしたいのか殺したいのかはっきりしてくれや。

 

 

 ・・・

 

 

 事の発端は数十分前。ここで知り合ったお馴染み白髪少年のアレンや先日対面したコムイの妹だというリナリーと、食堂で顔見知りになったドレッドヘアのシェフ、ジェリーさんが作った絶品料理で夕食を済ませた後。

 

 ここ(この世界)に来て日も浅く、まだ自分の能力(イノセンス)を扱いきれていない(というかそもそも俺自身にそんな力があるのかどうかすら疑わしい)俺はここに入団してからの数日間、エクソシストとしての”任務”に駆り出される事はなくコムイの事務仕事の手伝いをしていた。おかげで科学班のリーバーさん達とは随分親しみ易くなった。

 主な仕事内容は書類整理、掃除、床に散乱する資料の分類、片付け、掃除、整理、そして整理。

 

 ちなみに、ここ黒の教団で俺は半ば記憶喪失のような扱いを受けている。

 入団時にコムイに素性を聞かれて、なんとなく変な予感が働いて俺が別世界から来たという事実を省いて説明してしまった結果だ。つまり俺は、気付いたら瓦礫に押しつぶされ、AKUMA達とそれらが招いた惨状を目の当たりにした、ということになっている。

 

 自分でもなぜ隠そうと思ったのかよく分からなかったが、まあ話したとしてどうなったのかを想像していい予感はしないので、恐らく正解だったとは思う。

 

 そんな俺は今、最早見慣れたその部屋の酷い有様に顔を顰めていた。

 

「コムイお前、もうちょい整理整頓を身につけろよ……」

 

「いやあ、だって必要な物を全部外に出しておけばすぐ手が届くだろう?」

 

「その馬鹿みたいな思考回路がこの部屋の惨状を作り出してる事を自覚しろ!」

 

 大体、この有様じゃあ何が必要になっても見つかりっこねえだろうが!

 丁度床に散乱していたところを拾い、手に持っていた分厚い地図帳を作業デスクで踏ん反り返ってコーヒーを啜るコムイに向けてぶん投げる。

 それを「甘いあまーい」と呑気に言いながら容易く避ける眼鏡ベレー帽にカチンと来る。おいこらフラストレーション溜まって来たぞボケ。

 

「こんのっ……!」

 

 手に持っていたありとあらゆる資料本を投げつける。が、やはりそいつはそれを全ていとも簡単に回避していた。こいつ反射神経鬼か。

 

 しばらくして手元にあったハードカバーの本を全て投げ尽くし、ぜぇぜぇと息を切らしている俺に対してコムイは余裕の表情。……前にアレンが一遍殴りたいと言っていた意味がよくわかった。

 

「さて。もう時間も遅いし、そろそろ部屋に戻って休みなさい」

 

「……そうする」

 

 流石に一つも当たらないとは誰が予想できただろうか。

 溜め息を吐きながら自分で放り投げ再び散乱した書物達を拾い集め、最後の一冊を手に取った所でコムイが言う。

 ズズ、とウサギの絵がプリントされた可愛らしいマグカップに注がれたコーヒーを啜るコムイにもう幾つか文句を言ってやろうと口を開いた。けど、考え直して素直に提案に頷くことにする。

 

 こいつには何を言っても無駄だ。

 半分諦めにも似た気持ちで、凝った肩をほぐしながら部屋の出入口へ向かう。

 

「璃兎くん」

 

「? はい」

 

 不意に呼び止められて、無意識に敬語になりながら振り向いた先に見えたのは先ほどの緊張感のない笑顔から一転、無表情なコムイの顔だった。

 

「ここには、馴染めそうかい?」

 

「……ああ。みんな優しいし。あったかいよ、ここは」

 

「そう」

 

 カップのせいで口元はよく見えないが、すっと細められた目は心なしか嬉しそうだ。おやすみ、という声に手を振って応えて、事務室のドアを後ろ手に閉める。

 部屋のすぐ外に設置されたアナログ時計の短針は、間も無く十一時を示そうとしていた。

 

 

 ・・・

 

 

 軽い一人分の足音だけが暗い廊下に響く。

 流石にこんな遅い時間となると、殆どの研究員やエクソシスト達は自分の部屋に戻ってしまうらしい。昼は基本的にいつも慌ただしく、人気がない本部はどうも新鮮に思えてキョロキョロ辺りを観察しながら歩いていた。

 思えば、この時普通に前を見て進んでいれば、こうなることはなかったのかも知れない。

 

 しばらく歩いていて、誰とも擦れ違わないことにどこか開放感のようなものを覚えながら進む。

 先日初めてAKUMAと遭遇した際に着ていた服はボロボロになり、その一瞬前までは確かに部屋でくつろいでいた為靴は疎か靴下すら履いていなかった俺には、教団からその類の資源が提供された。

 コムイが計らってくれたらしく、着替えがシャツと黒のズボンしかないのは少し人としてどうかと思ったが、着るものがあるってだけでも随分いい方だと思う他ない。立場上、贅沢を言ってはいられないし。

 

 そんな訳で、今履いている靴も、支給された新品の皮のブーツだ。服ももはや馴染んだ白いシャツと黒いズボンの組み合わせ。

 以前よりお洒落になんて気を使わず、動きやすさに徹した格好をしていた俺としては少し堅苦しい気もしたが、職業柄機動性には十分な配慮がなされているらしい。

 

 ただ、革靴を滅多に履いたことがなかったので、新品で硬いこの靴は些か歩き辛かった。

 

 最早本部内を探索するような気分で進む。

 そういえば今何時だろう、という疑問が不意に浮かんで、それが結果的に俺の意識を現実に引きずり戻した。

 最も、この時点ではもう手遅れだったのだが。

 

「……あれ」

 

 自覚した瞬間、嫌な汗が背中を滴り落ちる。自然、口元がヒクつくのを感じた。

 目の前の廊下を凝視して、淡い希望を抱いて後ろにも振り向く。もちろん見覚えのある通路であるはずがなかった。……というか、そもそもここの廊下の見た目は全部同じじゃないか。どうやって判別してるんだ。あいつら本当に人間か? わからん。

 蝋燭に灯された炎が不規則に揺れる。

 

 ああ、マズった。

 

「これは……本格的に迷子だな」

 

 よしどうする。

 ほらどうする。

 さあどうする?

 立ち止まって腕を組み、本格的に思考モードに入る。

 

 まず、階数は恐らく間違っていない筈だ。眼鏡ベレー帽の部屋を出て、いつもと同じ数の階段を上がったのは確か。ずっと歩いていただけだし、どんなに心ここに在らずでも流石に階段に行き当たれば気付く自信はある。

 そして俺に自分の部屋のドアとその他のドアを判別できる自信があるか否か。答えは単純明快。

 

 否だ。

 

「……よし、それっぽいドア見つけたら取り敢えず入ってみよう。間違ってたら謝ればいいんだし」

 

 まあズバリ、そうする以外に方法がなかったのだ。

 

 そうして決意を決めて改めて歩き出したはいいが、まず「それっぽいドア」という定義からして謎だった。

 それっぽいってなんだよ。雰囲気? それともオーラ的な何かか? 言ったの俺だけど。

 最初こそ探検気分でわくわくしていたものの、こんな状況になってみると一転して薄暗い廊下がひどく不気味に見えてくる。なんかそっち系なものでも湧いて出そうな空気だ。

 

 ……まさか本当にいたりしないよな? ヘブラスカがいるからといって、流石にいないよな?

 

「……ん?」

 

 自分に言い聞かせるようにしながら進んでいると、ふと一つの扉の前で足が止まった。

 

「このドア……」

 

 見た目はもちろん、俺や他の部屋のそれと寸分違わないデザインのものだ。

 けどなんだろう、これが雰囲気という奴なんだろうか。なんだか急に(今思えば至極馬鹿らしいが)ここな気がしてきた。

 この光の反射具合、埃のかかり具合、ああよく見ればここら辺にこんな感じの傷が付いていたかも……と何の根拠もないのに観察する。

 

「あー……うし、入ってみよう」

 

 鍵がかかってたらそれまでだが。

 ふと、そういえば俺今朝部屋を出るときに鍵を閉めてなかったっけと思い当たる。アレン達によると普段みんなはちゃんと閉めていくらしいし、つまりこのドアが開いたら高い確率で俺の部屋であるかも知れない。

 思い出した自分えらい、と己を褒めたたえながらドアノブに手をかけ、それをゆっくり右向きに回す。

 

 そしてそのドアは──

 

 

 ──開いた。

 

「おお……!」

 

 俺の勘すげぇ、と感動を通り越して少し気味が悪くなってくる。

 まさか、迷子になった団員を誘い込んで、アレコレする部屋だったりとか……?

 

「ま、そんな訳ないか」

 

 軽い気持ちで、灯りの消えた暗い室内に足を踏み込む。カーテンを開けたままの窓から差し込む月の光に、そういえば灯りのスイッチどこだっけと壁に手を探らせる。

 

 と、部屋にタンスの上に置かれた何かに目が留まった。

 

「?」

 

 端から見れば砂時計のような、金色のスタンドに支えられた独特な形のガラス。けれどその中に入っていたのは細やかな砂なんてものではなく。

 

 一輪の、鮮やかな桃色をした睡蓮だった。

 

「あれ──?」

 

 ──あんなもの、俺の部屋にあったっけ?

 

 頭の中に警報が鳴り響いた直後、何かに服の襟元を掴まれ突如視界が反転する。受け身を取るどころかえ? と疑問符を発する暇も与えられずに、背中が冷たい床にぶち当たった。

 

「かはっ……」

 

 衝撃で、肺の中の空気が気道から吐き出される。

 じんじんと痛む背中に涙を浮かべてむせ返っていると、不意に聞こえるカチャリ、という嫌な金属音。恐る恐る、暗闇に慣れてきた目を開いてその人物を見上げた。

 そこにいたのは、長い髪を後ろでひとつにまとめ、今まさに俺の鼻先に刀の切っ先を向けている……恐らく、男。

 

「……貴様、何者だ」

 

 ──そして冒頭に繋がる訳だ。

 全く何が悲しくて男に押し倒され、あまつさえこんな物騒なブツを向けられなければならないのか。神様俺なんかした?

 

 雲が間に入ったのか、ふっと窓からの光が暗くなる。途端に部屋が寒くなった気がして、思わず体がぶるりと震えた。

 俺が黙って動かないのを見て、男はしびれを切らしたように刀の先端を動かし、俺の首筋に宛てがった。冷たい感触と共にピリッとした痛みが走り、何か生暖かいものが流れ落ちる。あ、切れた。

 この刀めっちゃ本物だ。

 

「答えろ。貴様はなんだ。なぜ入って来た」

 

「いやその、わざと入った訳じゃ……」

 

 ただ単純に迷子になっただけ、と早くそう言えばいいのに、ひんやりと首元にあたる確かな存在にうまく声が出てこなかった。

 再び黙りこくる俺に、長髪男は目に見えて不機嫌になる。若い内からそんな眉間にシワ寄せてるとお爺さんになったとき悲惨なことになるぞ。

 

 いいやそんなことより早くなんとか言わないと。本当に俺の首が飛びかねない。

 

「ええと、天羽璃兎っていいます。その、最近入った適合者で……」

 

「新しいエクソシストだと……? そんな話、俺は聞いてないぞ」

 

 いや知らんし!

 訝しげに目を細めるそいつに向かって叫んでやりたかったが、生憎俺にそこまでの勇気はない。今の今まで普通に、ごく平和に生活してきたんだ。こんな危機的状況を打破する術なんて知り得る筈がない。

 此の期に及んで俺に何を求めるか。

 

 つらつらと内心で言い訳を連ねていると、何か思い当たったように突然この部屋の持ち主は目を見開いて、俺の首筋に当たる刀に力を込めた。より一層傷が深くなるのがわかる。すぐそばの脳に伝達される痛みにびくっ、と体が揺れた。

 

「っつ……」

 

「お前……千年伯爵の差し金か?」

 

「え」

 

 男の問いに思わず硬直する。

 千年伯爵って、確か俺たちが戦うはずの敵の親玉で、こないだのAKUMAって化け物の製造者だ。

 

 つまり、俺がAKUMAかってこと?

 

「ち、ちがっ……!」

 

「まあ、割って中身を見ればいいだけの話だ」

 

 そんな話あってたまるか!!

 

 刀を引いて、ゆっくりと振り上げる男。タイミング悪く雲が切れたらしく、再び部屋を照らした月明かりを反射してその切っ先が冷たく光った。

 どこのスプラッタ映画よ、これ。

 

「覚悟……!」

 

 だめだ、今度こそ回避のしようがない。

 来たる激痛に備え、両目を瞑って咄嗟に腕で顔を庇う。

 次に聞こえたのは、ひゅんっと刃が空を切る音と、

 

 キンッ!

 

「っ!」

 

「なっ……!?」

 

 高い金属音が鳴り、相手の驚いたような声が耳に届く。いつまで経ってもこない痛みにそろそろと瞼を開けると、そこには目を丸くして突っ立っている刀男と──座り込む俺の前に展開する、防御壁のような小さな壁。

 突然現れたこの壁に一撃を防がれたらしく、相手も俺と同じように目をぱちくりさせていた。

 

 こんな都合のいいものが突然何もないところに現れる筈がない。

 なら、これは一体なんだ。

 緊迫感からやっと幾らか解放された俺は、九死に一生を得たこと以上にそのことが気になって仕方なかった。

 

 小さな、あかい、壁。

 その色に、俺は唐突にあるものを連想した。咄嗟に、先ほどまで確かに切り裂かれ、痛みを感じていた首筋に手のひらを当てる。

 

 驚くことに、そこにはもう痛みどころか、傷跡一つ残っていなかった。

 じゃあやはり、この防壁の正体は──。

 

「血……──?」

 

 自覚した瞬間、パリンと高い音を残して砕け散る薄い壁。

 その光景を、俺と男はただ唖然として見つめていた。

 

 ──どういうことだ。

 

 呼吸が定まらない。

 上手く回らない頭の中、その言葉だけがぐるぐるぐるぐる巡回する。

 

 一体なんだ、今のは。

 

 沈黙が二人の間に広がる。

 そして男の方がそれを破らんと、口を開いた時。

 

「お前──」

 

「何してるの神田!」

 

「!」

 

「リナ、リー……?」

 

 開いたままになっていた部屋のドアの前に、見覚えのあるシルエットが映る。

 寝間着であろうチャイナ服を身にまとい、髪を下ろした彼女を見るのは決して初めてではなかった。

 コムイ室長の実の妹で、数少ない同年代のエクソシストだと仲良くなった、リナリー・リーその人だ。

 

 ていうか、え?

 いま、『神田』って言った?

 

「ちょっと、璃兎くん大丈夫?」

 

 駆け寄ったリナリーに声をかけられる。なんとか小さく頷いておく。

 あれ、でももう緊張感からは解放された筈なのに。

 声が、出ない……?

 

「? 璃兎くん?」

 

 不安そうな双眸が覗き込んでくる。

 

 あれ、やばい。

 なんか。

 

「──璃兎くん!?」

 

 ──目が、廻る。

 

 

 

 

 

 メリーゴーランド。 ▼

 

(ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる)




どういう訳かありえんほど長くなりました。な、なしてー……?
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