これはね、”勿忘草”っていうのよ。
わすれなぐさ?
そう。小さくて可愛いでしょう?
うん。
そうだ! これで花輪を作ってあげましょう。せめてもの思い出です。
おれにもつくれる?
ええ、もちろん。そうだ、この花の花言葉は知ってる?
ううん、しらない。
ふふ、勿忘草の花言葉はね……──。
「……大丈夫なのかしら」
「璃兎のこと、ですか?」
「ええ」
ふぅ、と息を吐き巨大なかぼちゃの被り物から顔を出したアレンが、険しい表情でのリナリーの言葉に反応した。俯いて頷く彼女に、アレンもふっと顔を曇らせる。
二人は今、決意を新たにしたミランダの再就職活動に尽力していた。
街のメインストリートにテントを広げる小規模なサーカス。アレンは、玉乗りピエロとしてチラシを配り客引きをするミランダのサポートをしていた。実の師が抱え押し付けてくる多大な借金の返済に追われ続けていたアレンにとって、玉に乗ってジャグリングをする大道芸ぐらい朝飯前だった。
このままいけば、ミランダを正社員として採用するかも知れないという団長の言葉に二人はほっと胸を撫で下ろす。
けれど、そんなアレン達の心の中に、絶えずちらつく不安の影があった。
天羽璃兎。
先日アレンらが任務先で保護し入団した、東洋人の新人エクソシスト。
彼のイノセンスも希少な寄生型で、先日それが発動していた様子を見た限り、どうやら彼の血液に宿っているものらしかった。
黒の教団に来た彼は話によると記憶喪失らしく、気付いたら瓦礫の下に埋まり、この間の小さな村でAKUMA達による襲撃を受けていたのだと言う。
本部で目を覚ましてから一週間弱。
まだこの世界のこともよく知らず、戦闘にも不慣れな筈の彼が今回任務に駆り出されたのは他ならぬ璃兎のシンクロ率98%という高い能力値故。そうでも無ければ、今頃も教団のトレーニング施設に篭って特訓を受けていたことだろう。
そんな彼は昨日、街を捜査してくると言って宿泊先で別れた後一度も帰ってきていない。
確かにエクソシストとして明らかに入門者とはいえ、アレンは璃兎の能力が本物だと以前のAKUMAの襲撃で共に背中を合わせ、戦った間柄として知っている。
それを知っていたからこそ、彼を一人で送る出すことを了承したのに。
それに、ミランダがAKUMAに狙われている張本人だと知って、彼女の側を離れ探しに行く訳にもいかない。
くっ、と被り物を持つ両手に力が入り、アレンの眉間に皺が寄る。
璃兎の能力の高さは知っている。
だけどなんだろう。胸騒ぎがする。
嫌な予感しか、しない。
「……こんなことになるなら、やっぱり一人で行かせるんじゃなかったわ」
ここに来て、失敗ばかりね、私。
苦しそうに言いながら唇を噛むリナリーに、アレンはかける言葉を見つけられずただ俯いた。
ゆっくりと、その口が開く。
「……信じましょう、璃兎を。まだ成り立てとはいえ、彼も正真正銘イノセンスに選ばれたエクソシストです。必ず、無事でいますよ」
今夜ミランダさんを送り届けてから、探しに行きましょう。
ミランダが、客寄せで売れたチケットの利益を団長に渡してくる、と言っていなくなった方向を見つめ、アレンは自分に言い聞かせるように言った。
それが自分を安心させる為に言われた言葉だと理解し、リナリーが微笑んで頷こうとした時。
「馬鹿野郎!」
剣幕の篭った男性の怒声に、アレンはリナリーと顔を見合わせた。
今のは確かにこのサーカスの団長の声。そして聞こえてきたのは──ミランダが走って行った方向。
瞬時に不穏な空気を察知した二人が現場に向かうと、そこには怒りで顔を真っ赤にする団長と、地面に座り込み涙を浮かべているミランダその人。
「何があったんですか!」
「ア、アレンくん! だっ、誰かが私にぶつかって、お金をカゴごと……!」
涙ながらに言うミランダが、そう遠くない建物の屋根を指差す。その上を、カゴを持った犯人らしき人物が駆けていくのが視界に入った。
それを見たリナリーが、素早く
「大丈夫、すぐ捕まえてきます」
この世の終わりとでもいうような表情でへたり込むミランダに笑みを向けて、アレンもすぐ後を追って走り出した。
そのすぐ後ろでミランダを見つめ、目を細めた少女には気付かずに。
逃げ回る犯人を追い、漸く路地裏の行き止まりに追い詰めた時。
不意に嫌な予感が走り、アレンは自身の左目を発動させた。
「……、! しまった……っ」
死者の囚われた魂を写すその瞳に、禍々しい骸が写り込む。
彼がそれに気付いたのを合図にするかのように引っ手繰りの男の皮が破れ、中から見覚えのある青い巨大なaAKUMAが姿を表す。
アレンはすぐさま左腕の対AKUMA武器を発動させ、ミランダを一人置いてきてしまったことを悔やんだ。
罠だ。
・・・
アレンが目を覚ましたのは、暗く、闇のように淀んだ空間だった。宙には無数の尖った蝋燭が漂い、左腕はファンシーな色合いの崩壊した壁に
身体中を鈍い痛みが襲い、アレンはおもわず顔を顰めた。
震えながらに自分を呼ぶか細い声に顔を上げると、恐怖に塗られた表情で両手を自身のイノセンスである大時計に縛り付けられたミランダが目に入る。
「あ、起きたぁ?」
「!」
響いた、この場に似つかわしくない陽気な声に、アレンはばっと効果音が付きそうな勢いで振り向く。
そこに佇む一人の少女が、ぷっくりと口の中の風船ガムを膨らませながらこちらに手を振っていた。彼女が羽織っているのは、他でもない自分の団服。
その見覚えのある容姿に、アレンは自分の目を疑った。
彼女は、確かに先ほどサーカスのテントの前でチケットを買いに来た少女だった。
そして、その横に、
「リナリー!」
『気安く呼ぶな! ロード様のお人形だぞ』
ロードと呼ばれた少女の後ろから、先ほどの凍える炎を使うAKUMAが顔を出す。
赤く、暗い色合いのドレスを見にまとい、長い髪の毛を巻かれセットしたリナリーが少女のすぐ横の安楽椅子に座っていた。
呼びかけてみても、返事はない。開かれたその瞳に光が宿っていないことに気付き、アレンは彼女の精神がそこにはないことを悟った。
「ロード……君が」
確認の為アレンは左目を発動させて少女を視界に映す。
その横に、死者の魂は──映っていなかった。
「(AJUMAじゃ、ない……?)」
「僕は人間だよぉ? 人間がAKUMAと仲良しじゃイケナイ?」
余ったコートの袖口を口元に宛てがい、ロードは笑う。
アレンが苦しそうに眉根を寄せ、どうにか左腕を壁から引き抜こうと力を込めた。すると、不意に思い出したようにガムを膨らませたロードが「あ、そうそう」とどこかに向けて足を踏み出した。
その行く先を視線で辿ったアレンが、再び息を飲む。
辿った先に見えたのは、自分が縫い付けられているそれと同じように崩壊したビビッドカラーの壁に、それに腕を縛り付けられ目を閉じている──。
「璃兎っ!!」
咄嗟に身を乗り出すが、磔にされた左腕がそれを拒み壁に逆戻りする。
体を襲う激痛に耐えながら、眠っているように見える璃兎に近付くロードを睨みつけた。
「彼に……璃兎に何をしたんです!」
「なぁんにもしてないよぉ? ただちょっと寝てて貰ってるだけぇ」
璃兎の横にしゃがみ込み、ロードはするりとその傷ひとつ見えない頬に指を滑らせた。そして、「あははっ」と鮮明な歓喜が聞き取れる笑い声をあげた。
「璃兎ってばすごいんだよ〜。みぃんな元から捨て駒のつもりだったとはいえ、僕が送り込んだAKUMA達、みいんな一気に壊しちゃうんだもん」
レベル2の奴らもいっぱいいたのになあ。
なぜだかどこか得意げに聞こえる声音で語りながら、ロードは微笑んで一向に反応を見せない璃兎の髪を撫でた。
「っ、みんなを離せ!」
「え〜、やだよぉ」
至極わけがわからないと言った風に首を振ったロードに、アレンは必死に左腕に力を込めた。それでも、傷で体力を消耗しているのか中々釘が抜けない。
少し遠くから、ミランダの「アレンくん」という不安で心配そうな呼びかけが聞こえた。
「だって璃兎はねぇ、」
ゆっくりと舌で自身の唇を舐めたロードが、璃兎の首元に顔を近付けていく。
直感的に悪寒のようなものを感じ取ったアレンが、その行動に目を見開いた。
「何を──」
「──僕の大事な大事な、
悪戯っ子のように笑うロードが目を閉じた璃兎の首筋に舌を這わせる。
ちゅ、と小さなリップ音を残して彼女が口を離したそこには、くっきりと小さな噛み跡が残されていた。
”私を忘れないで”。 ▼
(僕の印をつけた、僕のおもちゃ)
ああ恥ずかしい!(第一声)