気がつくと彼は光の中にいた。
押しつぶされてしまいそうなほどの圧倒的な光の中に漂う闇ーそれが彼だった。
今の彼には自分が誰であるのか、なぜここにいるのかすらも分からない。
彼にはもはやなんの力もなく、ただ静かに消えていこうとしていた。
不意に誰かに呼ばれたような気がした。
顔を巡らせた先にあったのはさらなる輝き。
懐かしいような、愛しいような、切ないようなー心に浮かび上がったそんな思いにとまどってしまう。
その輝きはきっと自分にとってとても大切なものだったんだろうなと、そう思った。
だがそれと同時に彼は知っていた。その光と自分とが、決して相容れない存在であるということを。
「サタン」
呼びかけられてようやく自分の名を思い出す。
そして自分という存在の意味も。
「帰りましょう。私たちのあるべき場所へ」
「あるべき場所?」
彼は笑った。
冷たくーすこしだけ淋しそうに。
「私とお前は背中合わせの存在だ。近いようでいて果てしなく遠い。向かう場所も違う。もちろんお互いがあるべき所も、天と地ほども違うところにある。前に進もうとすればするだけお前と私は遠くなる。私たちは、そう言う関係だ」
「いいえ、違うわ。あなたはそう思いこんでいるだけ。望めばあなたも光に帰ることができるはず」
「闇は闇だ。…光にはなれぬ」
彼はもう一度だけ、その輝きを見た。
たとえ二度と再び見ることがかなわなくても忘れてしまうことがないようにしっかりと目に焼き付けた。
そして最後に微笑んだ。
「さらばだ…」
また会おうとは言わない。もう二度と会うこと無いだろうから。
闇は徐々にその姿を薄くしていく。
そして唐突に、まるで光の飲み込まれてしまったかのようにその姿を消した。
後にはただ光だけが残された。
「私はあなたと共に歩むもの。あなたが生まれるとき私もまた生まれる。また会いましょう。長い長いときの中で。私はいつでもあなたと共にあるわ」
語りかけるような、独り言のようなーたいして大きな声ではないのに、その声は不思議とよく響いた。
光あるところに闇はあり、闇のないところに光は存在しない。
光の化身と闇の化身は再びまたで会うため、しばしの別れを告げあったのであった。
全てが終わった戦場でその人は光に満ちた笑みで俺達を迎えてくれた。
誰よりも愛おしい人の顔をしたーあやめさんであってあやめさんでないその人の顔を切なく見上げる。
天上の光を身に宿すその人は、神々しいくらい美しく清らかでーみんなが声もなく彼女を見つめる中、俺の心は情けないくらいだだをこねて暴れるんだ。
彼女に触れたい。彼女の声が聞きたい。ただ、彼女に会いたかった。
藤枝あやめー誰よりも愛する、その人に。
「-会いたいですか?彼女に」
心を見透かされた一言に、とっさに言葉を返すことができなかった。
だが答えは決まっている。
俺を見ている一対の瞳を見返して、ゆっくりと頷いた。
「そう。ならばかなえましょう、あなたの願いを。勇敢な戦士に、感謝と敬意をこめて」
彼女は言って、目を閉じる。
そして再び目を開けたとき、彼女は大天使ミカエルではなく、藤枝あやめその人としてそこに存在していた。
「大神君」
彼女の声が俺を呼ぶ。もう再びかなうことはないと思っていたことの実現に、俺の足はふがいなくもすくんでしまって一歩も動けない。
今すぐにでも彼女に駆け寄り力一杯抱きしめたいと、心はそう叫んでいるというのに。
一歩一歩確実に彼女は近づいてくる。
その顔が間近に迫りその指先が俺の頬に触れたと同時に金縛りはとけ、俺は彼女の手に自分の手のひらをそっとかぶせた。
伝わるぬくもりになんだか泣きたくなる。
泣き笑いのように微笑むと、彼女も笑ってくれた。
いつものように俺を真っ直ぐ見つめながら。
「ありがとう」
優しい声だった。そして何か決意を感じさせる、そんな声。
彼女が何を思っているか俺には分かる気がした。
彼女との逢瀬がほんのつかの間のものであるということも分かっていたんだ、ちゃんと。
それでも言わずにはいられなかった。その言葉が彼女を困らせると分かっていながらも。
「もうあなたと離れたくない」
動揺したように彼女の指先が震えた。
逃がすものかと、彼女の体を腕の中に閉じこめる。
あらがう様子はなかった。その代わりにくもぐった声が耳に飛び込んできた。
「最後にこうしてあなたと会えて良かった」
それは明確な別れの言葉だった。これが最後だと、彼女はそう言っているのだ。
でもそんな潔さもあやめさんらしいと思った。
どんなときも彼女は自分を見失わない。そんな彼女をとてもとても好きだったけれど、今は少しだけ寂しく感じる。
彼女は何とも思わないのだろうか?もう二度と、会えなくなるというのに。
だが、彼女の顔をのぞき込むように見て、そのことが間違いだと分かる。
俺を見上げる彼女の瞳が今にも泣きそうに潤んでいたから。
ー意地っ張りなんだから
微笑みながら、目の奥が熱くなる。
でもそんなところもすごく好きだった。
「一緒に来いって、言ってくれないんですか?」
あやめさんは目を見開いて俺を見る。
意表をつかれたその表情が何とも言えずに可愛かった。
好きですよー声に出さずにつぶやく。これまでもこれからも、ずっとずっと…
だから言って欲しかった。一緒に来て欲しいと。
そうすればなんの迷いもなく俺はあなたについていけるのに。
「…来てっていったら一緒に来てくれるの?」
不安そうな彼女の問いかけ。
「はい、行きます」
だから言ってくださいー俺は答えた。少しも迷うことなく。
彼女のそばにいることーそれこそが俺にとっての幸せなのだから。
「大神君…」
あやめさんが次の言葉を継ごうとしていた。
だが、それを遮るようにその声は響いた。
「隊長!!」
必死の思いで紡がれたその声はマリアのもの。
普段の冷静さをかなぐり捨てたその声に俺は思わず振り向いてマリアを見る。
彼女は緑の双眸をいっぱいにみはって俺を見ていた。そしてその周りには彼女と同じような表情の花組隊員達の姿があった。
その瞬間、俺は思いだしてしまったんだ。俺が一人ではないということ。
そしてそんな俺の心の動きをあやめさんは敏感に感じ取っていた。
再びあやめさんの方に向き直った俺の前であやめさんが笑う。
少しだけ寂しそうに、苦笑混じりの笑顔で仕方ないわね、というように。
そして言った。
「やっぱりあなたは連れて行かないことにするわ。あの子達に恨まれたくないもの」
そう、冗談交じりの口調で。
唇をかみしめた。
俺はまた選び損なった。あやめさん一人をを選びきることができなかったのだ。
そんな俺の頬にあやめさんの手が伸びる。
いたわるように触れてくるその手の感触をもっと感じたくて俺はぎゅっと目を閉じた。
「-さよなら。大神君」
別れの言葉が耳に響く。
心が悲鳴を上げた。
自分で決めたことだった。
それなのに彼女を離したくないと、心が叫ぶ。
別れの言葉を口にできないまま、俺はあやめさんを見た。
よほど情けない顔をしていたんだろうと思う。
彼女は困ったような顔をしてーそれからゆっくり手を伸ばし指先で俺の額をはじいた。いつも俺を励ましてくれる、あの笑顔で。
「しっかりしなさい、大神君」
額を押さえ、ぽかんと見返す俺の耳に彼女の声が届く。
笑ってー彼女はそう言った。
そして俺は、いつかの彼女の言葉を思い出していた。
「大神君て、笑うとなんだか可愛くなるのね」
唐突に彼女が言った。びっくりして彼女を見返す。
「もしかして、今、俺、ほめられたんですか?」
そんな俺の言葉に今度はあやめさんが驚いたように目を見張る。
「あら、そう聞こえなかった?可愛いってほめ言葉でしょう?」
「男に可愛いはほめ言葉じゃないですよ」
「そうだったかしら」
そう言って、彼女は笑った。その笑顔につられて俺も笑ってしまう。
そんな俺を見ながら、彼女は目を細めた。愛おしそうに、慈しむように。
「でもね、私は好きよ。あなたのそんな笑い顔。あなたが笑うと私も幸せな気持ちになるの」
それはまだ幸せだった頃の記憶。
何よりも愛しくて切ない、そんな思い出。
彼女がいて、俺がいて、二人で優しく笑いあうーそんな他愛のない穏やかな時間が、今はただ、懐かしいー
暖かな液体が俺の頬を伝い落ちる。
あふれる涙をそのままに、俺は静かに微笑んだ。彼女を真っ直ぐに見つめながら。
笑って欲しいと彼女が望むのなら俺は笑っていよう。
彼女が好きだと言ってくれたその笑顔で。
涙で揺らぐ視界。
彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。
彼女は目を閉じず、俺も目を閉じない。
そして俺達は見つめ合ったまま、そっと唇を交わした。
言葉無く彼女が離れる。
あの夜と同じように吸い込まれるように空に向かう彼女の姿。俺は手を伸ばしてその手を取る。
見つめ合う瞳と瞳。
彼女の瞳が揺れた。
「-他の人を好きにならないでって言いたい」
「言ってください。俺はあなただけを好きでいるから」
彼女は笑って首を振る。
「冗談よ。そんなこと言わないわ。ね、大神君…」
「なんですか?」
「幸せになってね」
大神はほんの一瞬目を閉じた。
幸せになんかなれっこない。あやめさんと一緒でなければーそんな言葉を飲み込んで、俺は頷いた。
「はい、あやめさん」
まるで小学校の優等生のような返事。
それでも彼女は満足そうに笑ってくれた。
「それからあの子達のことも、よろしくね」
再び頷く。
それを確認した彼女の体が急速にはなれていく。少しづつ、少しづつ遠くなる彼女を黙ってただ見つめた
。だって俺にはそれしかできなかった。
俺は彼女を選べずに、この世界にあることを選んでしまったのだから。
そしてその手と手が離れそうになったときー今にも消えそうな声で彼女がささやいた。
「-私のことを、忘れないで…」
瞬間、手に力を込めて彼女を引き戻した。
そのまま彼女の体を強く強く抱きしめて、その唇を奪った。熱く、激しくー。
「忘れない。決して。たとえどんなに時が流れても」
その言葉を受けて彼女が微笑んだ。それは今までで一番きれいな笑い顔だった。
そして彼女は帰っていった。
あふれる光の中へ。
それはほんの一瞬の出来事。
俺は静かに見送った。瞬き一つ、することなく。
春風のような彼女の笑顔を、胸に抱いたままで。
戦いの終焉。
そしてあやめとの本当の別れの時。
物語も、あと2話ほどで終わりそうです。
なので、明日、明後日と連続投稿する予定です。