5月中盤、北の大地はまだ花見が最盛期だ。私は聖アングレカム学院の見事な桜を思い出す。短い間の在校だったけど、その思い出は褪せる事は無いだろう。
母と死別し、父と二人暮らしだった私。その父が前任者の事後処理で急に海外へ単身赴任になり、父の姉、いわゆる叔母の元で少し暮らしたのだけど、狭い家で難しい年頃の従兄弟と一緒になることで生じる問題を懸念した父が、八方手をつくし縁あって全寮制のこの学院に入学することになった。遠く離れた場所に一人は正直不安だらけだった。泣きもしたし、電話で父に悪態をついたりもした。それでも時は待ってはくれない。三月下旬に入寮手続きし叔母の元を離れた。父には淋しかったり辛いときは読みなさいと一冊のノートを渡された。
満開の桜の中、私たちは聖堂で入学式をし、クラスで自己紹介をする運びになった。その時、私は二人の級友に心を奪われた。同い年に見えない大人びた黒髪の美人白羽蘇芳さんと、入学試験を一番の成績でパスし、先生直々に級長に任命された花菱立花さん。どちらかとアミティエになりたかったけど残念ながらその願いは叶わなかった。白羽さんは花菱さん、匂坂さんとアミティエとなり、邪に見れば籠絡された姫様と、王女と王子の趣である。
近寄ることも恐れ多い様な孤高の美人である蘇芳さんはともかく、私は風紀委員に選ばれた事で、一方の花菱さんには色々とお話をする事になりその人となりに心酔した。やさしく気配りが出来、意見は適切で筋の通った規律正しさはまさに級長だと。これならこの学院での生活も悪くないと思い、希望が心配を徐々にかき消していった。何度か見ようと思っていた父からのノートも、この時期には引き出しの中奥底で眠っていた。中途転入生の引き起こした図書紛失事件でのクラス内の不和やら色々有ったものの、入学して初めての行事だったオリエンテーリング、親睦のお茶会の交歓、農場の作業など普通の授業以外にも親睦を紡ぎ同じ時を過ごすことで同室のアミティエとも仲良くなり、当初の心配は5月に入った辺りで霧散していた。
何時ものように教室に行き、授業が始まるのを待っていたらバスキア教諭が血相変えて私を連れ出した。私の父が帰国し一緒に暮らすことにしましたので、申し訳ないのですが学院をやめることになりまして・・・・・・と連絡が有ったのだという。寝耳に水ではあったけど父の希望は絶対だ。私も尊重する。父も孤独だったんだろう。まして異国で一人だったんだから。
委員の交代からそれとなく知ったのか、部屋で荷造りしていたら立花さんが声をかけてきた。
「残念だわ。折角仲良くなったのに、この先も一緒のクラスで居たかったのに・・・・・・」
等々聴いているうちに、胸が一杯になり言葉が出ない。代わりに堰を切って涙がこぼれてきた。
「あなたには帰る家が有るんだから羨ましいわ」
と。立花さんは私を抱き留めてくれた。彼女も泣いていた。涙を拭い視線をそらした彼女が、机の上にある一冊のノートをに目を止めた。
「ねえこのノート、学院指定のではないわね? 何のノートなの? 」
気になったのか私に問うてきた。
「これは父が淋しくなったら読みなさいって託したのよ」
と私。なんて書いてあるの? と聞く立花さん。
「私には必要がなかったんで読んでいないの」
今更だがあの父が何を書いたのだろうか。開いて見た私の怪訝な顔を見て、立花さんも気になったのか肩を寄せてページに目を落とす。何も書いていないまっ更のノートがそこに有った。
二人してこれって『一切れのパン』みたいねと笑った。意外な事実に買いかぶりすぎだわと父を想う。
もうすぐしたら引っ越しの準備が終わるの。だから挨拶はしないでここを離れるつもりと話すと、立花さんはギッと睨んでノートを手にして
「ちょっと貸して」
と返事も聞かずに持って部屋を出た。片づけは程なく終わり荷物を業者に引き渡した。後は手荷物だけ。書留の速達で届く航空券を待ってる身だ。
急にどたどたと足音がしてドアが開いた。そこにはノートを手にし、息を切らせた立花さんが・・・・・・。「挨拶なしなんて水臭いわよ」
差し出されたノートには、皆の寄せ書きと、学園の花の押し花が・・・・・・。
『聖アングレカム 花の思い出』
と書かれたノートを手に、半泣きでありがとうと言えた私に立花さんは
「あなたは大切な友達だもの・・・・・・ ね?」
と微笑んだ。