フォーサイスより愛を込めて(魔法先生ネギま!×EVOLIMIT) 作:瓶缶ペットボトル
パキン、パキン、とネギの張る魔法障壁に氷の矢の流れ弾が何度もぶつかり障壁に弾かれている。
どうしてこんなことになってるんだろう? とネギ・スプリングフィールドは考える。
エヴァンジェリンさんが魔法使いだった。それはまだいい、まだ分かる。僕の他にも魔法使いがいた、というだけの話で。
保健室で眠っていた長谷川さんから図書館島で感じたような魔法の力の痕跡を感じて、他にも魔法使いがいるだろうとは予想してた。調べるために桜通りの見回りをしていたら突然エヴァンジェリンさんに襲われて、魔法を使うところをのどかさんに見られた。ここからもう分からない。どうして僕がエヴァンジェリンさんに襲われなければならないんだろう。お父さんのことも知っているようだし。
そして、のどかさんは僕の後ろでエヴァンジェリンさん達を見ている。僕と一緒に。
もう何十本という氷柱――氷属性の魔法の矢――を捌き続けながら少しずつ前へ、前へと進む長谷川さんの姿を。
コートは所々破れ、穴が開き、掠り続けた氷の矢のせいで凍り付き始めていて。壊れた眼鏡が僕たちの足元に転がっていて。日傘だったものの破片が道路に散らばっていて。長谷川さんの手袋はもうずっと前に破れていて。素手で氷に触り続けた長谷川さんの手からは血が滴り、腕の振りに合わせて血飛沫が舞う。それでも長谷川さんは前に出る。表情一つ変えずに。見たことはないのにそれが自然だと分かる仏頂面のままで。
痛く、ないはずがないのに。
怖く、ないはずがないのに。
パキン、と一際甲高い音が目の前から響く、それだけで僕は――。
「「どうしてこんなことに」」
僕とのどかさんの呟きが重なった。
/////*****/////
「へぇ、それじゃあさっさとカエルに変身しろよ」
カツーン、と日傘を地面に突く音が響いた。
「えっ!? は、長谷川さん!?」
ネギがびっくりした顔で音のした方向を見て、新たに現われた人の名を呼んだ。
「他人の喧嘩に首をつっこむとは……無粋な奴だな」
「……カエルに変身しないな、やっぱりアニメだけか」
千雨がエヴァンジェリン、ネギの順に日傘を向けて、変身する様子がないことを確認して日傘をくるくる回した。最後に日傘を肩に乗せて首を傾げた。
「まさか長谷川さんも魔法使いですか!?」
日傘が杖!? と勘違いしたネギが杖を握りしめた。
「多分違うと思いますけどー? 長谷川さんも見てたんですかー」
「魔法使いなら今日初めて見た、アニメのことなら話の分かる奴がいてよかった。滑ったかと思ったぜ」
「いえあのー、滑ってますけどー?」
のどかと千雨が顔を合わせたままどちらも口を開かなかった。
千雨が先に視線を逸らし、エヴァンジェリンの方を見て、日傘で地面を叩いた。
「……マクダウェルも魔法使いかよ、教えてくれてもよかったんじゃねーか?」
「フン、信じなかった奴が何を言ってるんだ?」
腕を組み、鼻を鳴らして千雨をじっと見た。心当たりがあるだろう、と。
「……ごもっとも」
「で、のこのこ首を突っ込んできて何の用だ? さぞ大事な用事でもあるんだろうなぁ。桜通りは通るなという私の心優しいメッセージまで無視しておいて」
やっぱり昨日の甘酒のせいか、と千雨が眼鏡を押さえながら日傘で肩をとんとん叩いて踵を返した。
「よく考えてみりゃ特に用事もなかった……じゃーな、歯磨けよー、風呂入れよー、しゅく――」
「
知らん顔して帰りそうになる千雨に向けて、幾本もの魔法の矢が放たれた。
計17本の氷柱が着弾した衝撃で千雨が煙に包まれていた。
「「長谷川さん!?」」
ネギとのどかの足元にフレームが折れた眼鏡が転がってきて二人の顔が青ざめた。
「クックック」
エヴァンジェリンの目には見えていた。
魔法の射手を撃つ直前に、振り返った長谷川千雨と目が合った。ほんのわずかにシニカルな笑みを口元に浮かべた長谷川千雨と。
その顔を見たとき、納得できた。ツナミ・カラニコフの前に立ち、鬼と相対したときも同じ顔をしていたんだと。口元が動き、誰に聞かせることもなく呟かれた言葉は聞き取れなかったが、きっと大事な言葉なんだろう。最初からやる気で出て来たのは明らかだ。両手には見慣れぬ手袋を付け、いつもは開いているコートのボタンを全部閉じている。露出した皮膚の少なさは明らかに、荒事になったときのため。
動き始めるのは氷の矢が形作られる前から、捌き始めるのは氷の矢が向かう前から。これが出来なきゃ捌けないだろ、と長谷川千雨は当然のように言うが、見切りと初動の早さは何度見ても舌を巻く。身体能力の低さ故に、初動と見切りの早さでカバーしなければ、掌が間に合うはずもない。だから、私は貴様の掌が間に合うと分かっている。
結果は、はじめから当たらない4本には目もくれず。
右側の6本は日傘を回しながら捌き落とし。
左手の掌で2本捌き。
肘で1本弾き。
膝で3本蹴り上げ。
最後の1本の氷柱は紙一重で躱す……つもりだったのだろうが、そう簡単にはいかない。
「……春霞か、風情があっていいんじゃねーの」
煙が晴れて現われたのは、左腕で目を覆っている以外は何事もなく立っている千雨だった。左手の掌と肘、コートの裾には氷が付き、閉じたままの日傘にも氷が付いていたが、それだけだった。
日傘を持つ右手をコートのポケットに突っ込み、千雨が眼帯を取り出した。
「それでは駄目だなぁ」
エヴァンジェリンの指の振りに合わせて発生した氷の矢が千雨が取り出した眼帯を貫いた。
「ちっ……困ったなぁ」
右手を振って紐だけになった眼帯を投げ捨てた。
「長谷川さん、大丈夫ですか!? 目に当たったんですか!?」
左腕で目を隠している千雨にネギが気付いた。
「あー、そういうことに――」
「怪我などしていないから安心しろ、坊や」
「――してお……チッ」
「あれ? 長谷川さんってエヴァンジェリンさんと仲良しだったんじゃ……?」
のどかがぶつぶつと呟いていた。
「貴様に用事がなくても私にはある。のこのこ出てこなければもう少々我慢してやろうとも思ったが、貴様の道化芝居にも飽きてきた頃だ。発汗、赤面、心拍数の増加、極度の緊張状態……まだ治らんか」
やれやれ、手間のかかる弟子だなぁ、とエヴァンジェリンが笑う。
「……恋、かもな」
左腕で目を隠したまま、千雨が答えた。
「フン」
エヴァンジェリンが鼻を鳴らし、氷の矢を千雨に向かって放つが、千雨はそれを頭を揺らすだけで躱していた。
「怖いのだろう?」
「…………」
「当たり前です! エヴァンジェリンさん! もうやめてください!」
「はぁ……私が言っているのはこれのことではないぞ」
パチン、と指を鳴らしたエヴァンジェリンの周囲に幾本もの氷の矢が並ぶ。
「私だけではない、坊やも、宮崎のどかも、だ。他人全てが怖い、例外はツナミ・カラニコフとピエロだけだな?」
「……るな」
「貴様の対人恐怖症も根が深いなぁ」
「「え!?」」
「私を見るな!」
「は、長谷川さん?」
「長谷川さんが?」
ネギとのどかがエヴァンジェリンの言葉を信じられず千雨を見た。
「だから私を見るな! 視線を外せ! マクダウェルでも眺めてろ!」
「なかなかうまくやっていたと思うがな……他人の顔を見ない道化芝居を続けたところで治らんぞ」
「……ごもっともすぎて涙の一つでも描きたいところだな」
エヴァンジェリンがさらに魔法の矢を一本撃つが、千雨には当たらなかった。本気で当てる気もなかったが。
「どの道、貴様は他人に壁を作らざるを得ない。となれば部外者として物を見て物を語る賢者か、他者を鑑みない道化のどちらかしか選べない。だが道化なら数は足りているし、貴様に道化としての価値などない。ツナミ・カラニコフには
「……そうは言うけどな、私には賢者としての価値もなかった」
「そういえばそうだったな」
「あの、長谷川さん? 対人恐怖症なんですか?」
ネギがおずおずと千雨に尋ねた。何がビックリって今日一番の驚きは千雨が対人恐怖症だというところだ。エヴァンジェリンに襲われたことや、魔法の射手を受けて千雨がほぼ無傷だったことなどどうでもよくなっていた。
「だから私を見るな! 何度言えば分かるんだ!」
「嘘ですよねー?」
のどかも信じられずに千雨に尋ねた。何がビックリって千雨が対人恐怖症だというエヴァンジェリンの言葉が一番の驚きだった。ネギが魔法使いだったことやエヴァンジェリンが魔法使いだったことは見ればすぐに信じることができたが、千雨が対人恐怖症だということは信じられない。いつも千雨が起こす面倒事を止めていたエヴァンジェリンの言葉だから一考に値するが、それでもすぐには信じられなかった。
「…………」
「いいや、嘘ではない。人前では眼鏡も外せない。眼鏡や眼帯のような何かで壁一枚隔てなければ人の顔を見られない。貴様らも見たことないだろう?」
「ホームページでいつも……んー……あっ!?」
ひとしきり考え込んで、宮崎のどかはこれまで一度も実際に千雨が眼鏡を外しているところを見たことがないことに気が付いた。大浴場でさえ、いつも眼鏡をつけたままで入っていた。見たことがあるような気分になっていたのは、画面を通して見ていたからだ。実際には一度も見たことがないにも関わらず。
「ちょっと待って下さい、対人恐怖症なら今までの長谷川さんは? 普通はもっとこう……のどかさんみたいに恥ずかしがり屋のようになるものなんじゃ……?」
「貴様の道化芝居もずいぶん堂に入ってたみたいだな……宮崎のどか、貴様確か本が好きだったな?」
「ええ、はい、好きですけどー?」
「Excepting Mrs.Pentherby」
「ペンザビーさんは除外……?」
「……サキ?」
のどかが考え込む。
『ミセス・ペンザビーは例外』というタイトルなら確か読んだことはある。
えーと、あれは確か、居心地の良い別荘に滞在していた女性達には一つだけ不満があって、それがミセス・ペンザビーだったはず。いつも失礼な物言いばかりして滞在している全ての女性を怒らせていた人。でも、それは……わざとで……全員がミセス・ペンザビーの愚痴を言うことで女性達は他に不満を言わなくなって……長期滞在でも喧嘩一つ起こらずに……クラスのみんなが長谷川さんの文句を言いながらまとまるような……はた迷惑な長谷川さんみたいな人の話で――長谷川さんみたいな……?
「長谷川さん!?」
「私を見るなって言ってるだろ!」
それが本当なら……。
「いつから……? テスト……ドッヂボール……ネギ先生が来るよりも前……いつだろう? えーと、えーと……」
いつまで遡ればいい? 昨年、いやもっと前。一昨年……のいつだろう? 長谷川さんは最初はもっとまともだったって、この間ハルナと話したばっかりなのに……何かあったはずなのに……あ。
「あ、相坂さよさん? あの時からずっと!?」
のどかの言葉にエヴァンジェリンが頷いた。ネギは相坂さよという人物について考えていた。担任になってから一度も顔を見たことがない生徒、ということくらいしか分からなかった。
「おそらくそのあたりだろうな。坊やは分かってないみたいだな。相坂さよはともかく、同郷の作家くらい目を通しておいて損はないと思うがな」
「……どういうことなんですか?」
「さぁな、私に聞くなよ。私みたいな美人の話なんだよ、きっと……あと、私を見るな」
「フン」
エヴァンジェリンが鼻を鳴らして魔法の矢を撃つ。
千雨は当然のようにそれを躱す。
「本来集団はまとらないものだ。誰かが必ず文句を言う、不満を言う、どんな集団にも例外はない。ならば集団をまとめるにはどうすればいいのか、という
「ミセス・ペンザビーが全員に喧嘩を売ることで全員が彼女の愚痴を言うので他に喧嘩が起らない――長谷川さんのような人の話です」
「……は、長谷川さん!?」
「だから私を見るな!」
「坊やがあのクラスで受け入れられたのは、教室から追い出されたあの瞬間だ。最初は敵意を向けていた神楽坂明日菜もあの瞬間に坊やの味方になっただろ。次はウルスラの奴らとのドッヂボールか? あの勝負は普通ならば必ずどちらかに禍根が残る、ウルスラの奴らはドッヂボールで負けたらプライドが許さない、うちのクラスの奴らが負けてたら坊やを取られるから納得できない、どちらが勝っても心が余る。長谷川千雨が両方を敵に回して結果はあの通りだ。坊やはいなかったがテストのときもそうだったな?」
「……はい、そうです。あのときは自分だけバカレンジャーにならないようにしようとしたせいで」
「ああ、変人どもの巣窟と言えるあのクラスがまとまるのは――」
「長谷川さんに迷惑をかけられた後――!?」
「いわば元気のない病人をあえて怒らせ奮い立たせるかのように……誰より非常識な行動を取ることでクラスをまとめあげる問題児、これを道化と言わずに何と言う」
「長谷川さん、良い人だったんですね。僕、ちょっと誤解してました!」
ネギが尊敬の視線を千雨に向けたが、千雨から見るなと言われてすぐに目線をエヴァンジェリンに戻した。
「まぁ、全て貴様の思い通りというわけではないだろうがな」
「当たり前だろ。私はただ、麻帆良の奴らの常識と非常識の境目が知りたかっただけだ。でも分からないんだよなぁ、新任教師を追い出すのはおかしいのに、子供が教師をやることはすぐに受け入れるんだからさ。誰も労働基準法のことなんか気にもしない。遅刻は怒られるのにロボットに乗って窓から入るのは気にもしない」
「え゛」
ネギが労働基準法を引き合いに出されてぎょっとした顔で頬を引きつらせていた。
「そういえばー、そうですねー?」
対してのどかは特にそんなことを気にしてはいなかった。
「これだよ、皮肉なもんだよなぁ。私が変だと言っても誰も信じてくれないのに、私が非常識な行動を取れば変だと言われる。自分が変だと思うことをして他の奴から変だと言われれば安心するんだ。どいつもこいつもただの馬鹿じゃなかったことに……でもなんかちぐはぐだよなぁ、私と桜咲が飛び降りれば驚くくせに、図書館の中に樹が生えてることは気にしないんだからさ」
「狂人のまねごとをする者も等しく狂人ということだ。ちぐはぐだというのはこれは原因だ、もう一度自分の目でよく見ろ」
エヴァンジェリンがさらに魔法の矢を撃ち放つ。
千雨は腕で目を隠したまま動かずに、コートの袖の下から辛うじて見える口元は歯を食いしばりながら、氷柱を目を隠した腕に受け、倒れた。
「見なかったか。追加だ、あと10本をいってみるか。氷はくれてやるから頭を冷やして自分の行いを見つめ直せ――ああ、あと坊やが動けば宮崎のどかが危ないかもしれんぞ」
「うっ……」
杖を握りしめ、倒れた千雨の元へ行こうとしたネギだったが、残りの氷の矢を向けられて動けなかった。
千雨は倒れたまま膝を折り曲げ、神沢市謹製のコートの裾にすっぽり覆い隠し、両腕で顔を隠した。コートで肌を隠した千雨の上に、氷の矢が降り注いだ。
10本の氷柱を受けながら千雨が思い出していたのは己の過去の行いではなく、麻帆良の違和感でもなく、神沢市でお世話になった人のこと。
氷柱10本程度でこのコートが破れるわけがない、大丈夫だから落ち着け、私。
零奈さんに比べればこの程度のこと、なんの問題もない。ザ・愛に生きる女、雪女を先祖に持つ人妖、氷鷹零奈さんに比べれば。出張で加藤虎太郎先生と会えなくなってイライラしているときの零奈さんの比べれば。
ああ、でも、くそっ、痛い。
「貴様を助ける者など誰もいない。気付かないふりをしていたのか、気付かないほど愚かだったのか、信じたくなかったのかは知らんが……モラトリアムの時間は終わりだ。この世には魔法が存在し、魔法使いもいる。特に、ここ麻帆良には貴様が予想するよりも遥かに多くの魔法使いが生きているんだ。そして、誰も貴様のことなど助けはしない。今までも、そしてこれからも」
氷柱が終わったかと思ったら今度はこれかよ。
耳が痛い……寒さのせいかな。
「ぼ、僕が助けます! のどかさん、僕に掴まっててください!」
「は、はいっ!」
「世の中を知らんガキは残酷だなぁ、そう思わないか? 長谷川千雨」
エヴァンジェリンはネギ達二人のことなど気にせずに倒れたままの千雨に話しかけていた。
「そうかもなぁ。でも、まぁ、良い教師にはなれるんじゃねーの? ネギ先生は宮崎のことをちゃんと守ってろよ。誰も私を助けない、そんなことは言われるまでもなく知ってるさ。『誰もお前を助けない。お前を助ける奴などいるわけがない。なぜなら――!』 師匠達に腐るほど言われ続けたよ。はぁあー、私の命は安いってな。才能がなければ才覚もない、秀でた能力もなければ夢も理想もない、何より助けたところで得がない。ない、ない、ない、ない、私を助ける理由は何もない! だから誰も私を助けない、今までも、そしてこれからもな」
千雨が立ち上がり、手を叩いて、手袋に付いていた氷を落とした。次にコートに付いていた氷も全てを落とし、顔を上げ、エヴァンジェリンに顔を向けた。腕で目を隠さずに。
「ネギ先生、宮崎一人くらいはちゃんと守れよな! はぁ、ネギ先生とあと8年くらい早く会えたらなぁ、さっきの一言で惚れるんだけどなぁ。今の私は道化師メイクの厚化粧でお肌も心もぼろぼろだ。悪いけど顔は見せられない」
道化の顔が見えたら氷柱を投げてくる、だからここでまた飛んでくる、と。
氷柱の1本くらいがなんだっていうんだ。
「そのヘラヘラした物言いが気にいらんのだ」
「誰も私を助けてくれないなら、せめて私一人くらい!」
千雨の掌で捌かれた氷柱はネギの方へ飛んでいき、ネギが張っていた障壁にしっかり阻まれた。
「私を助けようとしたっていいだろ? ネギ先生、ちゃんと宮崎を守れたか?」
「あっ、はい」
「だから私を見るなっ! 視線が怖い!」
恐怖を感じるのは恥ではない、そのはずだ。
恐怖に膝を屈するのも恥ではない、と思いたい。
膝を屈した後、立ち上がれないことが恥なのだ。たぶん、そうだと思う。私がそう決めたからそうなんだ。
私が一番怖いのは、立ち上がれなくなること。
負けない強さが欲しい、と双七さんは言っていた。
双七さんの言葉を聞いたとき、羨ましいと思った、同じように負けない強さが欲しいと思った。でも私には遠すぎる。ましてや師匠のように勝ち続ける強さなど見えないくらいに遠い。
勝つことなど望めない、負けないことなど出来るわけがない、だから、せめて立ち向かい続けることが出来るようになりたいと――。
真実から目を背けない強さが欲しいと――。
――カツン。
――――カツン。
千雨の足がアスファルトを叩く音が響いた。
「前に出るのは、こんなに辛かったっけ」
「フン、それでいいんだ。本来命など安いものだ。限りある命、安い命なればこそ、自分で高値をつけられるように生きねばならん。知っていて自分で安値をつけた愚か者め、だから今の貴様の血は不味いんだ」
「小さな親切が身に染みるよ」
「まぁ、死ぬまで高値が付くとは限らんがな……私は不味い血でなければそれでいい」
「師匠っていうのはどいつもこいつも、同じようなことばっかり言いやがる」
千雨とエヴァンジェリンの間に張り詰めた空気が漂う。明らかに置いてけぼりを食らったネギとのどかの二人が少しだけ考え込んで、ふとあることに気が付いた。
「二人とももうやめて下さい!」
「なな、なんで長谷川さんとエヴァンジェリンさんが闘うんですかー!?」
この勝負、やってもやらなくても何も変わらないじゃないか、と。
「ちゃんと坊やの相手もしてやるから安心しろ……しいて言うなら、余興のようなものだ」
エヴァンジェリンはそんなことなど知っていて、やる気になっていた。余興のような気分で。
「弟子が師匠を超える日に観客なしは寂しいからなぁ」
千雨とて当然分かっていて、さらに一歩前に出た。
「心配するな、貴様に限ってそんな日は来ない。私を前に大口を叩いたことは評価してやるか、恐怖を感じていながら震え一つ起こさない、緊張して尚捌きは衰えないこともか。プレゼントだ、100本くらいでいいか?」
「100本だけで足りるのかよ」
「そういうことは100本防げる奴だけが言っていいんだ!」
千雨が日傘を開いた。開いた傘を前に向け、真正面から来る100本の氷柱を前に、前に出る。
「フン、コートといい傘といい、準備だけならいつでも万全か」
「ああ、ベレッタM92Fを2丁30発までなら耐えられる、最低でもな」
「やけに具体的だな」
「撃たれたことあるし」
日傘一本に100本の氷柱を防がれてエヴァンジェリンが舌打ちをした。
「……
千雨が日傘を離して横に跳ぶと同時に日傘が吹き飛んだ。日傘の生地はぼろぼろに破れ、フレームは折れ曲がっていた。
ごろごろ転がっていた千雨が立ち上がって、エヴァンジェリンと向き合った。最初は10メートル程離れていた距離が5メートル程度まで縮まっていた。
「どうする? 白旗を上げたところで誰も貴様を責めはしないぞ」
「お優しいことで、でも今日のハンカチは白じゃなくてさ……で、100本じゃ足りなかったマクダウェルこそどうするんだ?」
「心配するな、氷柱ならいくらでもくれてやろう」
パチンと指を鳴らしたエヴァンジェリンの後ろに数え切れないほどの氷の矢が出現する。
それを見た千雨が溜息を吐きながら、やれやれと肩を竦めた。
「流行ってんのか、それ。一兵衛さんと輝義さんの趣味かと思ってたぜ」
「驚かんとはな」
「刀とか銃が浮いてるよりはマシだろ……いやぁ、あのときは死ぬかと思った」
エヴァンジェリンが笑う。千雨も笑う。
エヴァンジェリンの腕の振りに合わせて、何本もの氷の矢が放たれる。
千雨は飛んでくる氷の矢を捌き始める。掌で、肘で、膝で。何本ならば捌けていたが、何十本となると捌ききれないが、それでも前に出る。始める前から分かっていたことだからだ。捌ききれなくて当然、分かっているから氷の矢がコートに掠り、当たり、刺さっても気にせずに前へ出る。コートは防弾仕様で防刃仕様、だから大丈夫だと己に言い聞かせて前へ、前へ。
凍り付いた手袋はいつの間にか破れ、凍り付いたコートはただでさえクソ重たいのにさらに重く感じられる。それでも千雨の足は止まることなく前に出る、氷柱を捌き続けた掌の皮は剥がれ、血が滴り落ちても止まることはない。
九鬼流の円を描く腕の振りに合わせて血飛沫が舞うが千雨は止まらなかった。
そして――。
エヴァンジェリンの目の前、手を伸ばせば触れられる距離に千雨は立った。
「私は届いたと思うか?」
「私にか?」
「いいや、昨日まで届かなかった何かに!」
千雨が皮肉げな笑みを浮かべて焔螺子の一の掌を放つが、その掌はエヴァンジェリンには届かなかった。
エヴァンジェリンが人差し指一本で千雨を投げ飛ばし、千雨は気を失ったまま道路を転がっていった。
掌のひねりに合わせて飛び散った血を指で取り、エヴァンジェリンがそれを舐めた。
「ククク、ハーハッハハハハ、人間とはかくあるべきだ、安い命ならば尚のこと人として歩み続けなければならんのが道理だ! 最近こいつの血も不味くなったと思っていたが、今日のは別格だな。昨日までと同じ血には思えん、破門は撤回しなければならんな……震えているな、坊や。それでも奴の息子か?」
エヴァンジェリンが指を振ると、指の動きに合わせて千雨の身体が吊られるように浮き上がり、エヴァンジェリンの元に引き寄せられた。
「知っていて取りこぼしたのなら良し悪し以前の愚か者共だが、知らずに取りこぼしていたのなら化けたな、それとも取りこぼされたからこそ……か」
目の前まで糸で引っ張ってきた千雨の喉元に歯を立て、血を啜った。弛緩してだらりと伸びた両手からは血が垂れ落ち、エヴァンジェリンが噛みついた喉元からさらに一筋、血が垂れていた。
「……ひっ」
あまりの光景にのどかが震えていた。
「血を吸って……や、やっぱり吸血鬼!? エヴァンジェリンさん! 長谷川さんを放してください!」
「坊やが助けるのではなかったか? その辺に転がしておくのは忍びないから私が貰っただけだ」
「ラス・テル マ・スキル マギステル…………」
「ネギ先生?」
「
「
ネギ放った魔法はエヴァンジェリンの楯に跳ね返されていた。ぶつかり合った魔法によって土煙が舞い上がり、エヴァンジェリンの姿を隠した。
「流石は奴の息子とでも言っておくか」
煙の向こう側からエヴァンジェリンの言葉がネギに届いた。
「こっちから凄い音したえー」
「本屋ちゃんが危ないわ!」
やや離れたところから木乃香と明日菜の声が聞こえてきた。
ネギの魔法をエヴァンジェリンが防いだときの衝撃音のせいだった。
「見られると面倒だな……」
エヴァンジェリンが千雨から手を離すと千雨の身体が道路に崩れ落ちた。
「……おせっかいが過ぎたか」
歳を取るといかんなぁ、と呟きながら、晴れつつある煙に紛れてエヴァンジェリンがゆっくりと姿を消した。かろうじてネギが追いつけるスピードで茶々丸の待つ場所へと向かって。
さて、余興も終わったことだ、とエヴァンジェリンが振り返ってネギを見て笑った。
伸びた犬歯が月明かりを浴びて光っていた。