フォーサイスより愛を込めて(魔法先生ネギま!×EVOLIMIT)   作:瓶缶ペットボトル

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主人公交代のお知らせ

明石裕奈 → 長谷川千雨


2001年4月

2001年4月1日 麻帆良学園女子中等部入寮開始

/////*****/////

 

「えーっと、637だったか」

 

 麻帆良学園女子中部女子寮の6階を長谷川千雨は歩いていた。部屋番号を確認しつつ、吹き抜けの手すりに沿って一周した。

 

「3人部屋っぽいな」

 

 まともな奴ならいいんだが、と呟きながら637号室に入った。

 荷物は前日のうちに部屋の中に運び込まれていて、とりあえず備え付けの勉強机の椅子に座って自分の段ボールの上に足を伸ばした。

 そうしてまもなく部屋のドアが開き、相部屋の相手が入ってきた。ドアが開いたことに気付き、慌てて段ボールから足を下ろした。

 

「…………」

 

 ドアを開けてぺこりと小さく頭を下げた相部屋の人物を見て長谷川千雨があんぐりと口を開けた。数回ぱちぱちと瞬きをして眼鏡をずらして目をごしごしと擦って、もう一度相部屋になったと思しき相手を見た。

 

「……ぴ、ピエロだ」

 

 少しだけにこっと笑ったピエロを見て長谷川千雨が頭を抱えた。

 やっぱり麻帆良にはまともな奴はいないんだ、とぶつぶつ呟きながら頭を振った。そうだ、まだ分からない、話してみるまではまだ分からないんだ、と自分を奮い立たせて口を開いた。

 

「長谷川千雨……よ、よろしくな」

 

「…………」

 

 にこっと笑ってぺこりと頭を下げたピエロメイクの相手は口を開く様子がなかった。

 

「「…………」」

 

 名乗れよ! と言いたい気持ちをぐっと堪えて話しかけた。

 

「えーっと……な、名前は?」

 

 ピエロは自分の顔を指差し首を傾げた。

 お前のことだよ! と言いたい気持ちを押さえつけて長谷川千雨は頷いた。

 

「…………」

 

 ピエロは何も喋らずにっこり笑うだけだった。

 長谷川千雨は頭を抱えて、はっと何かに気が付いた。

 

「日本語分かるか?」

 

 頷いた。

 

「日本語喋れる?」

 

 頷いた。

 喋れんのかよ! と叫びそうになった言葉を飲み込んでもう一度訊いた。

 

「名前は?」

 

「…………?」

 

「なんで首をかしげるんだよ……日本語分かるんだよな?」

 

「(こくこく)」

 

「日本語喋れるんだよな?」

 

「(こくこく)」

 

「名前は?」

 

「…………?」

 

「なんで!? なんで喋らないんだよ!?」

 

 ピエロメイクの女の子はおもむろに存在しない壁をぺたぺたと触り始めた。ないはずの壁があって本気で戸惑っているように長谷川千雨には見えた。

 

「おおー、うまいもんだなー」

 

 にこっと笑って被ってないはずのシルクハットを取って一礼した。

 

「パントマイムか……で、名前は?」

 

「…………?」

 

「えっ? なに? もしかして喋らないだけ?」

 

「(こくこく)」

 

「理由はないの?」

 

「(こくこく)」

 

「ないの!?」

 

 長谷川千雨が頭を抱えた。

 何もかもが謎すぎる少女であった。ピエロメイク然り、銀髪で褐色の外国人であること然り、喋らないこと然り。

 

「はぁー、まぁいいや。よろしくな」

 

「(にこっ)」

 

 637号室、長谷川千雨は名前も知らない同居人と無言のまま向かいあって数秒が過ぎた。

 なんとなく長谷川千雨はピエロの少女へ人差し指を伸ばしてみた。

 ピエロの少女も長谷川千雨の方へ人差し指を伸ばし始めた。

 往年の名作映画のワンシーンの再現であった。

 人差し指同士をくっつけたまま、長谷川千雨は己の無計画さを嘆いた。

 

「……どうしたらいいんだ、これ?」

 

「…………?」

 

 そうして再びドアが開いた。

 

「頼もうー」

 

 3人部屋の最後の一人、青みがかった髪を三つ編みのツインテールに分けた女子生徒が入ってきた。

 部屋の中では人差し指をくっつけて向かうあっているルームメイトに気付いた女子生徒が両手を万歳に挙げて口を開いた。

 

「ねえねぇ、何やってるのー?」

 

「私にも分からん」

 

「じゃあ私もー」

 

 人差し指同士をくっつけたトライアングルは完成したが、やめるチャンスがなくなったと長谷川千雨は天井を仰いだ。

 

――カシャッ。

 

 開けっぱなしだった部屋のドアから白光が届いた。デジカメのディスプレイから目を離したパイナップル頭の少女が叫んだ。

 

「へ、変な人達がいるー!? あんたたち何やってんの!?」

 

「未知との遭遇だ」

 

「ジュラシックパーク!」

 

「……ジョーズ」

 

「……あ、E.T.!? 面白い人達だねー。あたしは朝倉和美、吹き抜け挟んで向かいの部屋だから、よろしくねー、じゃあねー」

 

「えっ……あれっ!? 今喋ってたよな!?」

 

 今まで喋らなかった少女が喋っていたことに驚いた長谷川千雨がピエロメイクの少女を見た。

 

「…………?」

 

 ピエロメイクの少女は首をかしげるばかりだった。

 

「うん? あっ、えーと、んーと、長谷川千雨さんだー」

 

「ん? なんで知ってるんだ?」

 

「去年の学園祭で会ったよー」

 

「……あっ、カラ()ニコフさん?」

 

「むー! 違うー。カラニコフ、ツナミ・カラニコフ。ザジもよろしくねー」

 

「えっ!? なんで名前知ってんの!? 知り合い?」

 

「違うよー。ネームプレート貼ってあったよー。なんでチサメーは知らないのー?」

 

 いきなり名前で呼ばれて長谷川千雨がたじろいだ。

 

「お、おう、外国人ってすげーな……なんでって……喋らないんだよ」

 

「誰が?」

 

 ピエロを指差す長谷川千雨。

 

「さっきジョーズって言ってたよー?」

 

「まだそれしか喋ってないんだよ」

 

 溜息を吐きながら部屋を出て、ネームプレートを確認した長谷川千雨が戻ってきた。

 

「ザジ・レイニーデイ?」

 

「(こくこく)」

 

「千雨、レイニーデイ、ツナミ……水繋がり? 私が一番強い」

 

「万が一のときには助けてくれるのか?」

 

 長谷川千雨の言葉にツナミ・カラニコフとザジ・レイニーデイの二人が、おっ? という顔をした。

 

「うん? なに?」

 

「チサメー、英語得意?」

 

「いや別に……前にそんな話を聞いたことがあるだけだ……お金を借りるには良い日だ、だっけ?」

 

 ザジ・レイニーデイが口を尖らせて不満を表現した。

 

「日本は凄い……ピエロのまま生活するの?」

 

「(こくこく)」

 

「マジかよ……」

 

 両手を挙げて喜ぶツナミ・カラニコフと項垂れて額を押さえる長谷川千雨と無表情のまま千雨の肩をぽんぽん叩くザジ・レイニーデイ、637号室の初顔合わせであった。そしてツナミの後ろにずっと控えていたのにスルーされていたブラザー・チャペックの光るモノアイがくるくる回っていた。

 

/////*****/////

 

2001年4月20日(金)

 

/////*****/////

 

 新学期が始まってから2週間目。徐々にクラスメート達の輪が出来つつあったが、長谷川千雨は荒れていた。誰彼構わず当たり散らすわけではなかったが、誰彼構わず拒絶する空気を纏い一日中仏頂面のまま放課後になると寮に戻る、そんな日々が一週間ほど続いていた。

 授業も終わり帰ろうとしていた長谷川千雨に超鈴音が声をかけた。

 

「長谷川サン?」

 

「ん? なんだ?」

 

 声をかけられるような用事もないはずだとばかりに顔を上げることもなく帰り支度を続けていた。

 

「チューターの話、ツナミサン達から聞いてるカナ?」

 

「チューター? なんだそれ?」

 

 そんなもの聞いたこともないという返答をする長谷川千雨とそれを見て溜息を吐く超鈴音、帰り支度の手を止めないせいで未だに視線は合わないがどちらも気にしないまま話が進んでいく。

 

「はー、やっぱり聞いてなかったカ。留学生には最初の1年はチューターが付くことになってるネ。日本での生活……イヤ麻帆良での生活に馴染めるように日本人の学生がサポート役につくんだヨ」

 

「ふーん」

 

 自分には関係ない話で興味もないという声が出ていた。

 

「だいたいは寮で同室の子がチューターをやるのが普通みたいだネ。私は葉加瀬、古は五月、エヴァンジェリンサンは大分前から麻帆良暮らしだから必要なくて、あとはツナミサンとザジサンだけネ」

 

 暗にツナミサンとザジサンのチューターは長谷川サンがやるんじゃないのかという意味を込めて超鈴音が言っていた。

 

「何も聞いてないな。他の奴に頼んだんじゃねーか? そもそも私じゃ無理だな。私がチューター欲しいくらいだ」

 

 暗に全く関係ないと長谷川千雨が返していた。

 

「……フーム、まぁ、通常っていうくらいだから義務ではないと思うけどネ」

 

 先に退いたのは超鈴音だった。これ以上言ってもしょうがないか、と呆れながら肩を竦めた。 

 

「あっそ……じゃあな」

 

「長谷川サン、最近荒れてるネ?」

 

「…………」

 

 無言のまま常日頃から持ち歩いている日傘の柄で椅子に掛けられていたコートを引っかけ、長谷川千雨は教室を後にした。

 

「長谷川愛想ないなー」

 

 長谷川千雨と通路を挟んで隣の席、最初から最後まで長谷川千雨と超鈴音の話を聞いていた明石祐奈が口を開いた。

 

「きっと悩み多き年頃なのヨ。まだ反抗期も来てない明石サンには分からないカナ」

 

「にゃー、私がお父さんを嫌いになるわけないじゃーん」

 

/////*****/////

 

 長谷川千雨が超鈴音からツナミとザジのチューターの話を聞いた次の日。

 土曜日の半日授業を終えた後、千雨はツナミとともに世界樹の真下まで足を伸ばしていた。千雨とツナミ、どちらかが先導しているわけでもなく、なんとなく足並みが揃ったまま歩き続けていたら世界樹まで来てしまったというだけの話だった。

 お互い口を開かず歩いて来たが世界樹で行き止まりだった。世界樹を越えて歩き続ければ、何も話せぬまま寮に戻ってしまいそうだった。千雨は腕にぶら下げていた日傘を神経質に振りながら、何から言えばいいのか決めかねていた。が、一度大きく息を吐き、地面を日傘で叩いて普段ならばチャペックのいる空間に視線をやってから口を開いた。

 

「……チャペックってさ、おかしいよな?」

 

「ポンコツってこと?」

 

「ちげーよ! おかしいだろ、この間ASIMO発表されたばっかじゃん! チャペックなんてオーバーテクノロジーすぎるだろ!」

 

 千雨の言葉にツナミが首を傾げた。

 

「……うーん?」

 

「なんだよっ!? カラニコフも分かんねーのかよ!」

 

 千雨が今日初めて、そしておよそ1週間ぶりにツナミの顔をはっきりと見た。

 ツナミは何ら気負うこともなく千雨を見ながら首を振った。

 

「ううん、分かるよ。でも、チサメが間違ってる」

 

「私が!? どこがだよっ!」

 

 千雨が心外だと目を剥いた。

 

「ASIMOの開発が始まったの何年かチサメは知ってる?」

 

「し、知らないけど」

 

「1986年よりは前。ホンダがいつからASIMO作ろうとしてたか知らないけど、間違いなくチャペックはそれよりも前から作り始められてた」

 

「だからなんだよ」

 

「それに、ホンダは別に最先端技術を持ってるわけじゃないよ? 最先端はいつも軍、ロシア……というよりもソ連とアメリカ。ソ連とアメリカが1960年代何をやってたか知ってる?」

 

 1960年代、千雨は当然生まれていない。千雨の両親が生まれたくらいの年代だった。千雨が考え始めると同時くらいにツナミはふわふわとしたスキップをして千雨の周りを一周した。千雨はふと思い出した。昨年の学園祭最終日、超鈴音と話してから歴史については学び直していたことが幸いした。

 

「……月、か?」

 

「そう。1969年7月20日、アポロ11号船長ニール・アームストロングが月を踏ん付けた。ソ連は出遅れた。アメリカよりも先に月まで行っていたのに。じゃあ次にソ連は何を目指したか」

 

 先ほどまでチャペックのことを話していたのだから当然答えは一つだった。

 

「……ロボットってことか?」

 

「うん。チャペックにはお金と人が際限なく注ぎ込まれてる。国が買えるくらいの開発費、世界最先端の研究者と技術者を集めて作られた。別におかしくない」

 

 よしんば作ることが出来たことがおかしくなかったとしても、千雨には納得出来なかった。つまり。

 

「なんでカラニコフがそんなの持ってるんだよ!?」

 

「パパがリーダーだったから。あと、軍事転用されないように頑張った。本当はプロジェクトは失敗ってことになってる。1991年に起きたことはチャペックに注ぎ込んだお金がドブの中にあることが分かったせい」

 

 1960年代の次は1991年か、と千雨は思い出すまでもなく分かった。1991年、ソビエト連邦崩壊。千雨にとっては確かに謎だった。ソ連崩壊の要因については千雨にとって理解することが難しい問題だった。様々な問題を抱えたまま進み続けてあるとき限界に達したという印象だった。だが、もしも、もしもそれが国を買えるほどのお金と人材を注ぎ込んで成し遂げようとした計画が頓挫したことが引き金になっていたとしたら……ポンコツにしか思えない気の良いロボットがその中心にあったとしたら。

 

「…………マジかよ」

 

 千雨の顔が青ざめていた。それに気付いたツナミがおどけたような声で話を続けた。

 

「全部嘘だから信じちゃ駄目だよ? 人に言っちゃ絶対駄目、分かった?」

 

「……あぁ、分かった。私も命が惜しいし」

 

「あと、なんかある? チサメがおかしいと思うこと変だと思うこと」

 

 ツナミの言葉は周囲を拒絶して自分が作り上げた壁の中に閉じこもっていた一人の少女の壁にヒビを入れた。

 千雨はツナミには話してもいいかもしれないと思うようになっていた。

 

「オリンピック選手より足が速い奴らとか」

 

「……おかしいって思う?」

 

「当たり前だろ! なんだどいつもこいつも、別に変じゃないとか! みんな出てないからオリンピックに出ないとか! 頭おかしいんじゃねーのかここの奴ら!」

 

「じゃあどこまで常識的でどこから非常識、そしてどこを超えたら異常?」

 

「そ、そんな細かいとこまで分かるわけねーだろ!」

 

 ツナミが首を傾げて千雨を見ていた。

 

「……うーん? 5.6秒」

 

「何がだよ」

 

「100メートル。生物学的な限界値、筋肉、骨、構造力学的な限界は時速64キロメートル。つまり、生物学的に人間は法定速度を守る車よりも速く走れる」

 

「はぁ!? そんなわけねーだろ! オリンピック選手でも10秒くらいだろ!!」

 

「彼らは生物学的限界に達してない。私は茶々丸の設計に関わってるからそのときに計算した」

 

「じゃあ、車より速く走る人間がいてもおかしくないってのか!?」

 

「そうは言ってない。徹底的な訓練を受けたスプリンターでさえ、今は100メートル10秒程度。去年のオリンピック記録は100メートル9.87秒で金メダルだった。彼らよりも速く走れる人間はいないとは言えないけど、麻帆良ほどいっぱいいることがおかしいことに変わりない」

 

「なんなんだよ! 何が言いたいんだ!?」

 

「麻帆良にはそういうおかしい人間がいっぱいいるっていうこと。子供のときからずっと周りもそうだったはず、だから、麻帆良にいる人間は自分達が非常識な存在であることに気が付かない。気が付くことが出来ないの。自分の周りにいる人達が普通だと思ってしまっているから。いい、チサメ? 常識は曖昧なものなの。生まれた国が違えば常識は違う、生まれた年代が違えば常識は違う、生まれた性別、生まれ育った都市、地区、出身小学校が違うだけで常識は違ってくる、究極的には人間一人一人で違う常識の中で生きているもの」

 

「……そ、それはそうかもしれないけど」

 

「だから、非常識だと言っても誰もまともに話を聞いてくれないの。異常だと言っても異常だと思ってない人は信じてくれないの。どこからが絶対におかしいのか、はっきり説明できないと誰もチサメの話をちゃんと聞いてくれないんだよ。チサメだって自分がおかしいと言われれば怒るでしょ? みんなそうなの。常識なんて曖昧なもので語ることに意味はない」

 

「……私が悪かったのか!?」

 

「んー、違う。誰も悪くないからどうしようもない。きっと、みんな分からなかっただけ、チサメの言ってること、チサメが非常識だと思っていることが、チサメが異常だと思っていることがなんなのか、分からなかっただけ。そして、チサメは分からない人にちゃんと説明できなかっただけ。みんな生物学的に子供だっただけなんだよ」

 

「子供だけじゃない! 大人だってそうだ! 小学校のときの先生だって、私がおかしいって!」

 

「大人にも分からないことは一杯ある。知らないことだって沢山ある。ただ、大人になったせいで、分からない、知らないって言えなくなったの。生物学的に子供らしい質問ほど大人は答えを知らないから」

 

「……なんとなくだけど、しょうがないことだったのかもって思うよ、でも、でもさ!」

 

 壁が崩れてみれば中にいたのは人知れず泣いていた少女だった。

 誰にも分かってもらえなくても叫び続けていた少女だった。一人、また一人と彼女の傍から離れていき、いつしか一人になっていた。そして、一人で立つことを選んだ。そのはずだった。

 

「チサメは、諦めなかった? 分かってくれない周りを責めて、分かってもらうことを諦めたりしなかった?」

 

「…………」

 

「チサメが悪いわけじゃない。チサメを責めてるわけでもない。誰も責められないことだから、どうしようもない。チサメは他の学生の顔見たことある?」

 

「……あるよ、どいつもこいつも笑ってて、自由で」

 

「チサメ、私は遅かった? もう笑えない? 今からじゃ、遅すぎる?」

 

「そ、そんなことは……」

 

「チサメだって、自由に生きていいんだよ」

 

 自由に生きるか、自分にできるだろうかと千雨は考えながら上を向いた。世界樹のせいで、空が狭かった。

 

「……じゃあさ、世界樹は一体なんなんだ?」

 

「……うーん?」

 

「なんでこんなばかでかい木があるんだよ! ギネスぶっちぎってるんだぞ! しかも光るし!」

 

「分かんない」

 

「えっ? 分からない、のか?」

 

 あっけらかんと分からないと言うツナミに対して千雨は唖然とした。裏切られたと思ったわけでない、ツナミでも分からないことがあったのか、という新鮮な驚きだった。

 

「うん、分かんない。通称世界樹、正式名称神木・蟠桃。でも桃の木じゃない。同種の木は他に確認されてない。現在知られているどの種類の木とも違う。調べたいけどちゃんと調べるにはまっぷたつにするしかない。でも、貴重過ぎてそんなこと出来ない。ギネスに載ってない理由なら分かる。ギネスは自己申告制だから。世界樹の管理者は麻帆良学園と龍宮神社。ここで問題です。ギネスに登録することの一番のメリットはなんでしょうか?」

 

「……金か?」

 

「そう。お金が儲かる。世界一高い樹木として登録されれば観光客のおかげでお金が儲かる。つまり、ここは麻帆良学園。日本一の学園都市でしかも私立」

 

「金儲けの必要がない?」

 

「ないとまでは言えないけど、ギネスに登録した後のデメリットの方が大きい。つまり外部から人が集まること。麻帆良の人間は非常識で自由奔放……外部の人間が沢山集まったらどうなるか」

 

「トラブルが増えるってことか」

 

「そういうこと。ここは学園都市、学生の教育が一番大事な仕事だから。たとえ非常識だったとしても、学生を伸ばそうと頑張ってる。出る杭を打たない教育のせいで全部の杭が飛び出してるだけ」

 

 千雨が少しだけ笑った。

 

「ふふっ、そうだな」

 

「光る理由は分からない。ヒカリゴケではない。樹木表面や葉にヒカリゴケが見つからないから。だから不思議」

 

「……分からないこと、あるんだな」

 

「いっぱいあるよ。じゃあ次は私、やっぱり、チサメもおかしい」

 

「……私が? どこが?」

 

「私は科学的知見、生物学的知識から麻帆良はおかしいことが分かる。逆説的には科学的知見生物学的知識がなかったらきっと私は麻帆良はおかしいということが分からなかった。というよりも、あるがまま受け入れていたと思う。変だと思っても時間とともに慣れていたはず。スズネーはもう慣れてるでしょ? チサメは自分で判断してて、そして慣れることができてない。常識と非常識の境界線は曖昧なもののはずなのに、私が引いた境界線とチサメの引いてる境界線はだいたい一緒のように見える。チサメは異常ではない、でもおかしい」

 

 ツナミの言葉に千雨が首を傾げた。

 

「……ごめん、よく分からない」

 

「熟練した職人技を見ているような気分になる。ザジがトランプを触っただけで何枚かあるか分かるように、チサメは見ただけで常識か非常識かの判断が出来る。常識と非常識の境界線を決めている神様がチサメに仕事を丸投げした、と言われたらきっと私は笑えない」

 

「私だって笑えねえよ。なぁ、もしも、もしも折れないし砕けない腕があったとしたら、人間は時速100キロで突っ込んでくる車を殴り返せるか?」

 

 千雨の言葉にツナミが目を閉じて考え込んだ。うんうん頷いて自分なりに答えを出してから目を開けた。

 

「不可能か可能かで言えば、生物学的には可能。でも生物学的にはそんな腕はない」

 

「……ははっ、そうだったのか。大げさに言ってたんじゃなかったのか」

 

 千雨は遠い目をしながら呟いた。

 

「チサメは何に悩んでたの? 今週ずっと、というより日曜に出かけたあとからずっと」

 

 千雨が足元の小石を蹴飛ばした。ツナミに背を向けて話し始めた。

 

「……私さ、小学校の頃からずっとお世話になってた人達がいたんだよ。でもさ、先週遊びに行ったら、今年から仕事の配属が変わったか何かで時間が取れなくなったって言われたんだ」

 

「もう来るなっていうこと?」

 

「そうだよ。お前も中学生になったんだから、友達ができるまでは来るなよって」

 

「ふーん。じゃあ行けば?」

 

「だから来るなって――」

 

「私とザジはチサメの友達なんだから行けばいいと思う」

 

「――――」

 

 なんだこれは。

 自分には手の届かないものだったはずだ。

 自分で手を伸ばすこともやめてしまったものだったはずだ。

 自分で諦めてしまったものだったはずだ。

 それでも心の奥底では憧れていた、恋い焦がれていた、諦めきれなかった。

 ――――麻帆良も案外、捨てたものじゃないかもしれないな。

 思い返してみれば、カラニコフとピエロと相部屋になってから一人で過ごした夜ってなかったな。カラニコフは大学の研究室で泊まり込みで実験する日もあって部屋を空けることも多い、ピエロはピエロでサーカスのテントで寝泊まりすることも多いのに、部屋には必ずどちらかがいた。気を使われてたってこと、なんだろうな。

 今からでも遅くない。今日からだって全然遅くない。

 

「空も青いしな」

 

「どうしたの?」

 

「……いや、なんでもない。こんなに簡単なことだったのか……なんか、ごめんな。あと、ありがとな」

 

「もういいの? ここで、麻帆良でやっていける?」

 

「あぁ、今の私は無敵だ。私も、自由に生きてみるよ、誰よりも誰よりも自由に!」

 

 送れなかった幼少期を、今から取り返す!

 手放してしまった無邪気さを、今から取り戻す!

 諦めてしまった夢を、今から手に入れる!

 憧れていた友達を、今から作る!

 辛かった麻帆良での過去を、今から、今からやり直す!

 

 恋い焦がれながら自ら手を伸ばすことすら諦めていた長谷川千雨の手をツナミ・カラニコフが掴んだこの日から、

 ――――長谷川千雨は、無敵になった。

 

「帰るか……つ、ツナミ」

 

「うん!」

 

 人知れず泣いていた少女はもういない。麻帆良に来てから早6年、やっと長谷川千雨は麻帆良の住人になれた。

 

/////*****/////

 

「眠れないのか?」

 

 その日の夜、電気の消えた部屋の中で、2段ベッドの上段の縁から身体を乗り出して千雨が下にいるツナミに話しかけた。

 千雨はずっと気が付いていた。1週間の間、自分も眠れなかったからこそ、ツナミが夜まともに眠れていないことに。

 

「うん」

 

「ホームシックか?」

 

「うーん……違うような違わないような……。昔、2ね……か月くらい砂漠で遭難したことがあって……」

 

「は? え、遭難? もしかしてその時からずっとか?」

 

「違うよ。砂漠のときはチャペックもいたから普通に寝てたよ。助けられてから兄と姉、みたいな二人と一緒に寝てたんだけど……それが長すぎて一人じゃ寝付けなくなったみたい」

 

「はぁ、そうなのか」

 

「うん」

 

「「…………」」

 

「チサメ……」

 

「分かった分かった……ん?」

 

 梯子をするすると下りて、千雨は部屋の窓を開けた。窓の外にはザジがいて、屋根から逆さにぶら下がっていた。

 

「帰ってきたなら入ってこいよ。そもそもどうやって登ってきたんだ?」

 

 バツが悪そうな顔をしつつ、ザジがくるっとジャンプして部屋の中に着地した。

 

「ザジだー、おかえり」

 

「んじゃ寝るか」

 

 手早く寝支度を整えたザジが自分のベッドに向かう。

 

「そっちじゃねーぞ、今日はこっちだ」

 

 ツナミの右側に千雨が、左側にザジが陣取った。

 

「今日はよく眠れそう」

 

「同感だな」

 

「…………すぅすぅ」

 

 火星都市フォーサイスで唯一の日本家屋、コールドスリープから100年の時を越えて目覚めた不知火義一と一条雫の二人のためにリーティア・フォン・エアハルトが調べ、鷹星カズナが建てた家で過ごした日々を思い出しながらツナミ・カラニコフは眠りについた。

 

/////*****/////

 

 翌朝、ツナミとザジが目を覚ましたとき、部屋の中に千雨の姿はなかった。テーブルの上にはラップのかけられた二人分の朝食と『散歩に行ってくる』というメモ、そしてチューター氏名欄に長谷川千雨の名前が記入された2枚の書類が置かれていた。




今後は長谷川千雨が主人公で行きます。
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