「…で、こんなに使用済みの魔導書を集めてどうするんだい?」
ヘスティアは結んだ二つの黒髪を揺らしながら、呆れた様に周囲を見る。
今バーンとヘスティアが居るのは、バーンが仮の拠点としている宿の一室だ。
広さは一般的なシングルルーム、窓際にはシングルベッド、その向かい側の壁には木製テーブルと木製チェアが備え付けられている。
クリーム色の壁紙には染み一つ無く、良く手入れがされているものと分かる。
また樹木系の香が炊いてあり仄かに鼻をくすぐている、視線をテーブルの端に向ければティーセットや茶葉も備え付けてある。
このオラリオにおいて、ちょっとした富裕層をターゲットにした宿。
そんな宿の一室、その一角を占拠する様に積み上げられた魔導書を見て、ヘスティアは呆れる様に溜息を吐いた。
「計22冊、使った額は約7000ヴァリス…7000ヴァリス、こんな無駄にでかいガラクタに7000…これでジャガ丸くんが、一体何個買えるか…」
「まあ、必要経費というヤツだ。それにガラクタと言うには少々語弊があるぞ? 千年の歴史に於ける名立たる魔術師達の『奇跡』と『神秘』が詰まっていた器だ。寧ろソレで済んだのは存外に安上がりな位だ」
「いやいやいや、白紙になっちゃあ奇跡も神秘もないでしょ?」
ヘスティアは積まれた魔導書を一冊手にとって開く。
そこには本として必ず記されているであろう、文字や挿絵そういう物が一切描かれていない白紙である。
最初から最後まで全てが白紙、その数百ページ全てが白紙。
一回使った魔導書は効果が消える、それと同時にその本の中身も全て白紙となるのである。
「まあ、普通に考えればそうなるであろうな…だからこそ、安上がりで済んだ訳だが」
「はぁー、もう何でも良いから夕飯食べに行こうよ」
「フム、確かに食事時か。事のついでだ、ヘファイストスにも声を掛けておくか」
そして二人は宿を出て、バベルにあるヘファイストス・ファミリアに向かった。
時刻は既に夕飯時、空は夜闇に包まれているが町自体は昼と見間違える程に明りに包まれている。
街道を通り二人はバベルに着くと、そこから更にヘファイストス・ファミリアへと向かう。
バベルに着いた時は既に店自体は閉店の時間だったなので、二人は関係者用の出入り口から店内に入る。
そこから二人が足を進めると、ヘファイストス・ファミリアの団員らしき二人の人間が目に入った。
一人は赤髪を短く切り上げた痩身の若者、黒い着流しに紺色のストールを身に付けたヒューマンの青年。
もう一人は長い黒髪で褐色肌の少々大柄な女性、主神のヘファイストスと同じ様に眼帯をし青年と似た様な着流し風の服を身に纏っているが、その着方は大きくはだけてサラシに巻かれた大きな胸が惜しみなく晒されている。
ヘスティアがその二人にヘファイストスの所在を尋ねようと、声を掛けようとしたその時だった。
赤髪の青年が褐色の女性に向かって怒声を上げた。
「分かった様な事を言うなあぁ!!」
ビリビリと、肌を振るわせる程に大きな怒声。
声の発信源である赤髪の青年の表情、眼と眉は大きく釣りあがり、口元も大きく歯を食いしばっている様に歪んでいる。
明らかな激高を見せている青年に、ヘスティアの動きは思わず止まってしまう。
「コラコラ、そう声を荒げるなヴェル吉。手前の言葉で誤解させてしまったのなら素直に謝ろう」
眼帯の女性は赤髪の青年を怒りを真っ向から受け止めて、直も飄々とした様子で返す。
その様子が気に入らないのか、ヴェル吉と呼ばれた青年は小さく舌打ちをして
「じゃあ、金輪際そんな下らねえ『誤解』が生まれねえ様にハッキリ言っておいてやる!
俺は魔剣を打たねえ!誰に何を言われたとしても絶対に打たねえ! 例えヘファイストス様に命令されたとしてもだ!これで満足か!」
「否、大いに不満だ。手前が持つ素質と才能、鍛冶師として珠玉と呼べる宝を使わずに腐らせていく様を、団長としても一鍛冶師としても黙って見過ごす訳にはいかん」
互いの言葉を切っ掛けに、更に二人を取り巻く空気が剣呑な物になる。
しかし赤髪の青年がヘスティアとバーンの存在に気づくと、『とにかく、二度と下らねえ事を言うなよ!』と眼帯の女性に釘を刺してその場から去っていった。
その青年の背中を見送り、眼帯の女性は小さく息を吐いて
「すまんの。少々恥ずかしい姿を見せた」
「またヴェルフを怒らせたのかい? あまり他のファミリアの事に口を出すのもどうかと思うけど、もうちょっと仲良くした方が良いと思うよ」
「ウーム。手前としてはフレンドリーに接しているつもりなのだが、中々に難しい物だな。
…して女神様よ、そちらのご老人が噂の『魔王さま』かな?」
「あ、そういえば顔を合わせるのは初めてか。そうだよ、この爺さんが噂の『大魔王』のバーンくんだ。バーンくん、この娘は椿。ヘファイストス・ファミリアが誇る第一級冒険者でファミリアの団長だよ」
ヘスティアの言葉を聴いて、椿は納得が言った様に笑みを浮かべてバーンに歩み寄り
「おおーやはりか! 主神様より色々と話は聞いておるぞ魔王殿!
手前は椿・コルブランド。主神様のファミリアの団長を任されておる者だ」
「バーンだ。此方も其方の事を神ヘファイストスや神ヘスティアより聞いているぞ、至高の鍛冶師にして第一級冒険者の腕前を持つ『最上級鍛冶師』。迷宮都市オラリオにおいても指折りの女傑という事をな」
「ハッハッハ、噂の大魔王殿に褒められると喜びも一入だな! 主神様共々、これからも良き付き合いをしていきたいものだ」
「ウム、此方こそ良い付き合いを頼む」
二人は軽く自己紹介を済ませて、握手を交わす。
そして話の矛先は、先の青年へと移る。
「そして先の血気盛んな赤髪の青年…もしやあの者が噂に聞く『クロッゾの末裔』かな?」
「…まあ、アレだけ大声で話していれば大体の察しがついてしまうか」
バーンの問いに、椿は苦笑しながら答える。
魔剣鍛冶師『クロッゾ』、その異名はクロッゾ一族が住まうラキア王国は勿論、この迷宮都市オラリオにおいても知らぬ者はいない名前だ。
魔剣とは読んで字の如く、『魔法を撃ち出す剣』の事だ。
魔導書同様に、その剣を振るえば込められた魔法を撃ち出す事が出来る刀剣。
使用限界回数こそあるが、例外なく誰にでも扱える武器故に質の悪い物でもその額は数十万ヴァリス。
そして『クロッゾの魔剣』は、『海を焼いた』と言われる程に強力無比な魔剣。
もしも『クロッゾの魔剣』が市場に出回れば、その額は並みの魔剣とは比べ物にならない程の値がつくだろう。
かの青年は、そのクロッゾの末裔にあたる人物だ。
「ヴェルフ・クロッゾ、それがヴェル吉の名だ。魔王殿の察しの通り、クロッゾの末裔にしてその力を宿す最後の血族だ」
クロッゾの一族の栄光、強力な魔剣を大量に打ち、王国に謙譲し世界に猛威を振るった時代があったが…それは既に過去の出来事だ。
何時の頃からか、クロッゾに宿る『魔剣を生み出す力』は消失してしまったのだ。
魔剣には使用限界がある、今までのクロッゾが打った魔剣は王国の『切り札』として未だ王国に残っているが、それでもその数は少なく『クロッゾの魔剣』は表舞台から姿を消して『クロッゾの魔剣』も『クロッゾの栄光』も既に過去の物となっている。
――その力を再び宿す血族、ヴェルフ・クロッゾが生まれるまでは。
「まあ、所謂御家の事情…という奴だな。ヴェル吉は生まれ故郷に居た時はラキア王家からは勿論、身内親族からも魔剣を打つ事を強要されておったらしい。そしてヴェル吉はソレに嫌気が差して故郷を飛び出し、このオラリオにやってきた…故にヴェル吉は自身に宿る『魔剣鍛冶師』としての才を毛嫌いしておる。
鍛冶師として珠玉とも呼べるその力、その才能、手前としてはこのまま腐らせるには何とも惜しいと思い、助言や忠告をしてみたのだが…結果はまあ、あの有様だ」
「成る程、例え国や世界が変わろうとも管理職というのは気を使う様だな」
「本当にな。手前も団長という柄ではないのを重々承知をしておるのだが、主神様直々の指名とあってはな」
「まあある種の税金だな、強者故の義務、有能であるが故の責務と納得するしかないだろう
しかしその気の無い相手を無理に口説くのは、あまり褒められたやり方ではないな
相手にその気が無い時は潔く引く。下手に問題が抉れると、其方個人は勿論、下手をすればファミリア全体に後々に悪影響が出るぞ?」
「はっはっは、噂の魔王殿からそんな言葉が聴けるとはこれまた意外。魔王と言うのも意外と俗な役所と見える」
「ウム、嘗ては余もよく頭を悩ませたものだ。特に余の場合は、どうにも部下に対して甘くなってしまってな…厳しく叱るというのが苦手であったものよ、それに当時は『ホウ・レン・ソウ』を守れぬ処か互いに足を引っ張り合う部下が多くてな、個性のぶつかり合いこそが組織を強固にすると余は考えていたが、散々手を焼かされたものだぞ?」
「あっはっは!魔王殿と言えど人間関係に頭を悩ませるものか!これは中々に衝撃の事実だな!」
「魔王と言えど組織の長、肩書きこそ違えど実態は似た様なものよ。それに魔王と名乗れど、所詮この身は神ならざる人の身よ。悩む事も、苦労する事も、失敗する事も当然ある。
何年も永い時を経て作り上げた組織であったが、ほんの数ヶ月の間に当時の幹部の半数以上が脱退してしまってな…いやはや、組織運営とは大魔王を以ってしても難しいものよ」
「くはははは!全くその通り。手前も『ですくわーく』や『人間関係』に良く頭を抱えるものよ」
そして二人は声を上げて互いに笑い合う。
思わぬ所で共通の話題が見つかり、バーンと椿の間に初対面故の緊張感はすっかり消えていた。
「ウム、気に入った!見た所、二人はまだ夕餉をとっておらぬのだろう?
今日の手前は実に気分がいい、今日は手前が二人に馳走しよう」
「本当!やったー!」
「クク、これはこれは。ヘファイストス・ファミリアの団長より直々にお誘いを頂けるとは、謹んでお受けするとしよう」
「よし、決まりだな!それでは早速、手前が贔屓にしている店に案内しよう!」
椿の誘いにバーンとヘスティアは快く了承し、その後ヘファイストスを誘うべく工房へと立ち寄ったのだが
『何人たりとも立ち入る事を禁ずる』
と、工房の戸に看板が掛けられていたため、そのまま三人は夜の街へと向かって行った。
「んー、美味い!」
様々な匂いが溢れる飲食店街の一角にて、そんな声が跳ねる様に響く。
木串に刺さった肉汁したたる角切肉を、ベルは満面の笑みを浮かべながら口一杯に頬張っていた。
時刻は既に夜の帳が下りた夕食時、城壁の上でエルフの美女と遭遇した後ベルは露店が立ち並ぶ飲食店街にいた。
街道に設置された幾つものテーブル、その一つに席を取ってベルは一人の夕食を楽しんでいた。
テーブルの上には小麦の皮を使った肉巻き、蒸かし芋のバター乗せ、魚一匹使った塩焼き、ホカホカと湯気を放つジャガ丸くん、チーズとトマトソースとベーコンに彩られたピッツァ等など
ベルが興味を抱いた露店の料理が、所狭しと並べられていた。
『豊饒の女主人』の料理とは違い、どこか大味というかチープな味付けだが
夕飯時とあって祭りの様な賑わいを見せる露店街で食べると、景色の味や雰囲気の味が加わり舌を楽しませてくれる。
「夕餉の共にキンッキンに冷えた飲み物はどうですかー? 酒は勿論ジュースに冷茶、何でもありますよー」
「お兄さーん! こっちにジュースとお茶、一本ずつお願いします!」
「はい毎度!プラス5ヴァリスで量を1.5倍に出来ますけど如何します?」
「じゃあ、それでお願い」
「はい毎度!ありがとうございます!」
移動販売の台車を引いていた犬人の青年を呼び止めて、ベルは飲み物を購入する。
油ぎった口の中をお茶で洗い、味覚をリセットして再び味を堪能する。
端から見ればベルは金を湯水の様に使っている風に見えるだろうが、ベルが使った額は「豊饒の女主人」のディナーセットの半分以下である。
そしてベルはテーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々を、次々に口の中に収めていく。
朝から晩まで城壁の上で訓練をしていたのだ、疲労が落ち着くとベルの胃が一気に食べ物を求めて暴れだしたのだ。
ただでさえベルは食欲旺盛な成長期なのだ、その食欲は一段と凄まじいものとなっていた。
もう一品もう一品と、ベルは料理を胃に収めていき粗方の料理を片付ける。
(……あんまり食べ過ぎると明日に響いちゃうな、少し抑えておかないと……)
先ほど頼んだミックスジュースを飲みながら、少々食べ過ぎた事を反省する。
ベルの感覚で腹八分越え…と言った所だ。あと二三品くらいなら食べられそうだが、この辺で止めておいた方が良いだろう。
次いでベルはテーブルの上を片付けて、使った皿やトレイを返却する。
食事も終わり、後は露店でも冷やかしながら宿に戻ろうかな?そんな風にベルが考えている時だった。
――ベルがその視線を感じたのは。
「っ!」
明らかに異質な視線、ベルが今まで感じた事のない未知の視線。
ベルの頭の中で警笛が鳴り響き、思わず視線の発信源へと振り向く。
だが
「…アレ?」
思わず呟く、自分の視線は遥か上方に向けられていた。
ベルの視線の先には遠く離れた白亜の塔、ただそれだけだ。
他の建築物には目もくれず、ベルの視線は天高くそびえる『バベル』に縫い止められている。
「…まさか、あそこから?」
自分で言って、心の中で否定する。
簡単に見積もって、バベルと自分の居る場所まで軽く数千Mは離れている。
バベルは神々の住まう場所であるが、神は下界に居る間は『恩恵』以外の力は使えない。
それに街灯で明るいとは言え今は夜、更にはベルの周囲にはベルと同じ食事中の客や移動販売の商人や露店の料理人、通行人が行き交っている。
あの距離でベル個人に狙いをつけて視線を送るなど、例え第一級冒険者でも不可能だろう。
だが、実際に今も自分は誰かの視線を感じている。
と言うよりも、この視線の主は恐らく自分の視線を隠す気がない。
嫌な感じも悪意も感じない。一言でいえば、この視線の主は堂々としているのだ。
だがしかし、それなのに相手の姿が見えない。
更に神経を尖らせてみると、その視線というのも妙な感覚だった。
(……なんだろう、この感覚。すごく遠い様にも思えるし、間近で見つめられている様にも感じる……)
まるで自分の目の前で誰かが立っていて、自分の顔を覗き込んでいる…そんな感覚だ。
何事にも例外はある、オラリオでは魔石を用いた様々な不思議で便利な道具が開発されていると聞く。
或いは、師と同じ様に何かしら索敵能力の効果なのかもしれない。
(……もしかして、本当に見えてるのかな?……)
ほんの少しだけ芽生える興味、その仮説を確かめるべくベルは行動に移してみる。
先ほど感じた視線の発信源へと向かって、微笑みながら軽く手を振ってみる。
もしも本当に誰かが何かしらの意図を持って自分を見ているのなら、何かしらのリアクションがあると思ったからだ。
白亜の塔に向かって…というよりもその間の空に向かって、ベルはそんな所作を繰り返すが…
「……うーん、やっぱ反応なしか」
少しの間周囲の反応を伺っていたが、何かが変わった様子はない。
自分の周囲も、白亜の塔にも、依然なにも変わった様子はない。
気が付けば、自分が感じていた奇妙な視線の感覚も消えていた。
「やっぱり気のせいかな?」
確認する様に呟く、以前の事もあって少し神経質になっていたのだろう。
念の為、人通りの多いメインストリートを使って回り道をして宿まで戻ろう。
ベルはそう結論づけて、その場を後にした。
――退屈だ。
天高いバベルの一室。宮廷の客室を思わせるその部屋で、黒革のソファーに腰を下ろしながら女神フレイヤは呟いていた。
どうにも刺激が足りない、娯楽が足りない、胸の高鳴りが足りない。
別にコレ等の事は今に始まった事ではないが、今日はいつも傍に付き従っているオッタルもいない。
話相手が欲しければ、自分が一声かければ眷属達が来てくれるだろうが…今はそういう気分でもない。
(……街にでも下りてみようかしら?噂の大魔王さんにも興味があるし……)
ここ最近において、自分達ファミリアに一番の刺激と話題を提供してくれた人物に思いを馳せる。
先日の一件、自分達のホームにある鏡という鏡に突然『招待状』が送られてきた一件。
――大魔王バーン――
自称とは言えこのオラリオにおいて、初めて現れた魔王。
オッタルの反応を見る限り、『裸の王様』『名前負け』という事はないだろう。
寧ろオッタルがあれ程強い反応と興味を示したのは、自分を抜かせば初めての事かもしれない。
あの一件以来、オッタルは実に活き活きとしている。
それこそ『恩恵』を貰ったばかりの新米冒険者の様に、活気が溢れ力強く滾り、魂が澄んだ輝きを放っている。
自分の眷属があそこまで熱を入れる件の魔王、これで興味が沸かない方が嘘というものだ。
(……全く、無粋な魔王さまね。魔王が真っ先に狙うのは美しいお姫様…というのが、物語の鉄則ではなくて?……)
フレイヤは下界にある冒険譚や英雄譚を思い出しながら、可笑しそうに笑みを浮かべる。
オラリオに突如現れた、強大な力を持つ魔王。
魔王に攫われる自分、捕われた自分を救出すべく立ち上がる愛しい眷属達
強大な『魔王軍』と『英雄達』の戦い、『大魔王』と『勇者』の決戦
そして最後には、『魔王軍』を打ち倒し、『大魔王』を滅ぼし、最後に救われた女神は『勇者達』に大いなる祝福を授けて物語は幕を閉じる。
「…ッフフ」
思わず笑みが零れる。
大凡現実的な話ではないが、もし実現すればこれ程面白い事はない。
オッタルの話ではこのオラリオにおいて『魔王軍』を結成するため、人材集めの為にやってきたという。
もしかしたら、そんな御伽噺の様な出来事も近々起こるかもしれない。
(……でも、俄かには信じがたいわね。腕力だけでもオッタルより上だなんて……)
オッタルが自分に虚偽報告をする事は有り得ない。
仮に何かしらの魔法やアイテムで一時的に腕力を向上させていたとしても、それはそれで驚嘆と警戒に値する。
スキルや魔法で腕力を向上させたとしても、精々1レベル分強化ができるかどうかだ。
つまりどんなに低く見積もっても、噂の大魔王の戦闘力は『Lv.6』以上。
下手をすれば、実戦においてもオッタルを遥かに上回る可能性も有り得る。
そして更に警戒すべきは、そんな輩が独自の勢力を築こうとしている所だ。
(……ま、それはそれで楽しそうね……)
嘗て迷宮都市において最強のファミリアと言われた『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』
この二つのファミリアがオラリオから姿を消し、その後は迷宮都市最強の座は『フレイヤ・ファミリア』と『ロキ・ファミリア』が就いた。
そしてその位置は、十年以上の間不動のモノとなっている。
細々としたファミリアの上下変動は起きているが、その変動は自分達に影響する事は殆どない。
一番の椅子の座り心地は良いが、ずっと座っているとやはり飽きが来る。
噂の大魔王が今のオラリオに一石を投じてくれるのは、それはそれで楽しめる。
(……確か見た目は、白くて長い髪と髭が特徴のエルフの老人だったかしら?……)
どうせ暇を持て余していたのだ、少しそれらしい人物を探してみよう。
まあ退屈しのぎ位にはなるだろう。フレイヤはそう考えて、自分の目の前に遠見用の『鏡』を展開する。
『神の鏡』…大部分の力が封印されているフレイヤが使える、数少ない神としての能力だ。
無論、『恩恵』以外の神の力の私的な流用は固く禁じられている。
もしも勝手に使った事が他の神に『露見すれば』、即刻天界に強制送還される。
また、『神の窓』は使用の際に特定の力の波動が発生するため、使ったら周囲の神に察知される。つまり使えば最後、自滅する愚かな行為だ。
だが、『美の女神』であるフレイヤに限って言えばそれは当て嵌まらない。
フレイヤと『親しい』付き合いをしている神々に、それとなく話を通しておけば彼女はかなり限定的な条件がつく代わりに『神の鏡』を使う事ができるのだ。
仮に自分の息の掛かっていない神が気づいたとしても、それは『他の神』の証言と議論により『何故か』ソレは誤解や気のせい…という結果に落ち着くからだ。
今回の事も相応にリスクがあるが、それでも問答無用で強制送還という事にはならない。なぜならこういう時に備えて、普段から自分は周囲の神と『仲良く』しているからだ。
バベル周辺のメインストリートに辺りをつけて、その光景を窓に投影させる。
夜闇に輝く幾多の魔力灯、明かりに照らされる繁華街、昼間以上に賑わいを見せ街全体が活気づいている。
フレイヤはより近めの光景を窓に映す、そして目的の人物の捜索を始める。
メインストリート、繁華街、歓楽街、次々に鏡を走らせるがそれらしい人物は見つけられない。
フレイヤがそんな暇つぶしを始めて、一時間が経とうとする時だった。
一人の少年の姿を、フレイヤの鏡が捕らえた。
「……確か、この子は……」
鏡を操作して、その少年の顔をより近く捕らえる。
クセのある白髪、深紅の瞳、中性的な童顔、レザージャケットを着込んだ少年。
丁度食事が終わった所なのか、座っていたテーブルの上の後片付けをしている。
フレイヤはその少年に覚えがある、先日街に下りていた時に何度かその顔を見た事がある。
その少年が持つ魂、魂の彩と輝きがかなり特徴的で印象深かったから、フレイヤはその少年の顔を覚えていた。
フレイヤは、改めて鏡に映りこんだ少年を見る。
(……やっぱり、かなり珍しい魂をしているわね……)
その魂は光輝いている様に見えるし、闇に呑まれている様にも見える。
例えるなら、満天の星空。
夜の闇と星の光、光と闇の共存、対極の存在が反発することなく互いの存在を許している…そんな感じだ。
(……本命の大魔王さんは見つからないけど、これはこれでラッキーね……)
改めて見てもやはり興味深く、それでいて中々に自分好みの魂をしている。
もっとその少年を良く見てみよう、そう思ってフレイヤが視線を強め様としたその時だった。
鏡を通して、フレイヤの視線と深紅の視線が重なったのは。
「――え?」
信じられない様に呟く。
見ていた、その白髪の少年は此方を見ていた。
鏡を通して、その深紅の瞳は自分の姿を捉えている様に見えた。
「…私に気づいた? いや、でも…まさか…」
『神の鏡』は完全に一方通行、此方から見えてもあちらから見える事は絶対に有り得ない。
現に今まで何度か『第一級冒険者』を窓を通して観察した事があったが、こんな事は一度もなかった。
だから、恐らくコレは何かの偶然だ。この少年が自分に気づいている筈はない。
フレイヤがそう結論づけようとした時だった。
――その少年は微笑んで、挨拶する様にこちらに向かって手を振った。
「………」
フレイヤは、ただ呆然とその少年を見つめていた。
ただの一言も言葉を発せず、身じろぎ一つせず、ただ呆然と窓を通してその少年を見ていた。
気づけば既に自分が展開した鏡は解除され、フレイヤの目の前にはいつもの私室の光景があった。
しかし、フレイヤは尚も呆然とそのまま立ったままだった。
「……く、ふ……」
不意に、声が響く。
「……あ、は……!」
女神の口元から、声が漏れる。
そして僅かな間をおいて、その声が爆発した。
「あはッ!アはは!アハハハハハははははは!アハハハハハハハハハハハハハ!!
アーっハハハハハハハハハハハハハハハハハははははははははははははははは!!」
女神は笑う、笑い続ける。
喉を震わせ声を上げて、これ以上開かないという程に大口を開けて、腹を抱えて笑い続ける。
楽しくてたまらない、面白くてたまらない、愉快でたまらない、そんな風に笑い続ける。
その少年を祝福する様に、この出会いを祝福する様に、フレイヤはいつまでも笑い続けた。
「フム、中々に実りある宴だった」
先程まで行われていた酒宴を思い出して、バーンは満足げに呟く。
ヘファイストス・ファミリア団長が薦める店であって、酒や料理の味は大魔王も満足するものであった。
店主が極東の出身という事もあって、出た料理はバーンにとっても見知らぬ料理が多かったが美味い料理に古今東西は関係ない。
特に『焼き鳥』や『雑炊』と言った料理は、シンプルな調理法でありながら中々に奥深い料理だった。やはり世界の主要都市であって、料理一つとっても新しい出会いが多い。
それに何より、ヘファイストス・ファミリアの団長と予期せぬ形で親交を深められたのが大きかった。
冒険者、女神、そして大魔王。三者三様が集まった酒宴であったが、終始楽しい時間を過ごす事が出来た。
そしてバーンは二人をバベルにまで送り届けた後、宿へと戻ったのだ。
「……さて、そろそろ始めるか」
静かにバーンは呟く。
現在バーンが居る場所は、迷宮都市オラリオではない。
バーンが今居る場所は都市に来る前に、ベルとキャンプをした森林である。
とある『実験』を行うため、バーンはオラリオからこの森まで移動呪文を使ってやってきたのだ。
「念の為、結界を張っておくか」
次いでバーンは自分を中心に、半径数十M程度の結界を張る。
これで結界内部の出来事が外に漏れることは無く、外からの不安要素の侵入を防げる。
そしてバーンは次の作業に移る。地面に己の血と魔力を用いて魔法陣を描いていく、魔を司る六亡星の魔方陣。
六亡星は黒魔術や呪術を行う際に用いるものだが、バーンがこれから行う事はソレ等とは少々異なる。
『禁呪法』
魔道に身を置く者として、絶対に触れてはならない禁断の呪法。
ソレを犯したら最後、その者は魔道から外れ非道外道として扱われる禁忌だ。
そしてバーンは六星魔方陣を書き上げて、自身の荷物から『魔導書』を取り出す。
バーンは左手で書を持ち、空いた右手を書にかざす。
(……思った通りだ。確かに使われた事で魔導書から殆どの魔力は無くなっていたが…全て消えた訳ではない……)
バーンは昼間『魔女の隠れ家』でその事を直に確認していた、そしてバーンは使用済みの魔導書でも『使える』と判断した。
(……最初に見た者は例外なく誰でもできる契約?それも本人の意思に関係なく強制的に結ばれる契約?……)
バーンは魔導書の情報を頭の中で反芻し整理していく、そしてその結論に辿り着いていた。
(――それは正に、『呪い』そのものではないか――)
嘗ての世界でも存在した『呪いのアイテム』、この魔導書はソレ等と非常に似通っている部分がある。恐らく剣術や体術の様に、例え世界が変わろうとも根の部分は変わらないのだろう。
他の術に関しては分からないが、魔導書に限って言えば間違いなく『呪法』の領域だ。
――そしてそれは、バーンにとっての『得意分野』だ。
魔導書を魔方陣の中心に置き、己の魔力を注ぎ込んで魔方陣を起動させる。
六亡星が紫電と白雷を纏い、陣内部が淡く光を放ち始める。
そして、大魔王の詠唱が響いて陣の魔力がより活発な動きを見せる。
紫電と白雷が一層激しく荒ぶり、それが爆発する様に弾ける。
周囲の樹木がしなる程の爆風が吹き荒れ、陣から白光の柱が立つ。
そして陣の中央に設置された魔導書が、徐々に浮き上がっていく。
(……だがあくまで解ったのは技術体系のみ、呪法と一口に言ってもその種類は多種多様にある……)
如何に大魔王と言えど、この『器』から読み取れる情報はそこまでが限界だ。
流石に真っ白な本から呪法を再構築するのは、自分でも不可能だ。
それに自分が余計な手を入れては、本に残った僅かな魔力も傷物にしてしまう恐れがある。
(――まあ、後の事は本人に尋ねるとしよう――)
そして更なる詠唱を紡いで、より魔力を濃密により魔力を精密に操作していく。
魔導書の器と魔導書の魔力、この二つを素体にして新たな下僕を精製する。
魔方陣の中央で浮かぶ魔導書が、徐々に深紅の光を帯びていく。
光は魔導書の影を作り、影が魔導書を飲み込んでいく。
魔導書を完全に飲み込み、その紅い影が自らの姿を形づくっていく。
子供の影遊びの様に、頭が出来て両腕が生えて五指の両手が形成される。
影の背から蝙蝠の様な両翼が生える、頭部には小さい二つの角が生える。
そして影の顔に当たる部分に、鋭い眼光が宿る。
「大魔王が自ら手がけた影タイプのモンスター…名付ければ、『まおうのかげ』と言ったところかな?」
魔方陣の光が止み、これでバーンの呪法が完成する。
紅影の魔物はバーンの姿を少しだけ見つめて、恭しく一礼した。
「オ初ニオ目ニ掛カリマス。我ガ神、我ガ主君、我ハ貴方ノ矛ニシテ盾、影ニシテ手足、眼ニシテ耳、何ナリトゴ命令ヲ」
「よい、面を上げよ。我が分身、我が影よ、こうして無事に其方と相見えた事を余は誠に嬉しく思う」
「勿体無キオ言葉、我ガ身ニ余ル光栄ニゴザイマス」
一連のやり取りを終えて、バーンは『ウム』と頷いて出来上がった影を見る。
(……少々、堅物すぎてしまったかな?……)
ついそう漏らしてしまう、思えば魔王軍時代は自分はこの様な者達に囲まれていた筈だ。
『死神』の様な例外は居たものの、皆が皆自分に対しては頭を垂れて平伏したものだ。
(……フム、どうやら知らない所で余もあの者達の影響を受けている様だな……)
いつもちょこちょこと後をついて来る白髪の少年と、ふざけた言動でいつも自分を振り回し酒を酌み交わした老人。
こちらに来てから知り合った者達は、少々自分と接する距離が近かった事を自覚する。
そこまで考えて、バーンは改めて目の前の影と向かい合う。
「さて、我が分身よ。幾つか確認したい事がある」
「ハ!何ナリとお尋ネ下サイ」
「其方の素体となった魔導書、その魔導書を完全に再現する事は可能か?
或いは其方の素体となった魔導書、それに込められた魔法…それを扱う事が出来るか?」
「……申シ訳アリマセヌ。ドチラも不可能にゴザイマス」
「フム、やはり早々上手くはいかぬか」
魔導書の完全再現
もしもコレが可能だったら今後の軍事力拡大に大いに役立ったのだが、やはり物事はそう上手く運ばないという事だろう。
しかしこれは、バーンの中でも可能性が低いと思っていた。
この世界でも屈指の希少スキルで精製される魔導書、やはりそう容易く作れる物ではないと言う事だろう。
(……魔導書に残された魔力は小さいモノだったからな。それに比べて使い魔精製の際の、余の魔力が大きすぎたのかもしれない……)
だが、それも想定済みだ。
だからこそ自分は街中を歩き回って、魔導書の数を取り揃えておいたのだ。
それに、バーンとしては次の問いこそが本命。次の確認こそが最重要だった。
「では、素体の魔導書に残っていた魔力。これは再現できるか?」
「ソレナラバ再現スル必要もアリマセン。我ガ身ニ宿リ迸ル魔力ソノモノが、魔導書に込ラレタ魔力ソノモノにゴザイマス」
「うむ、ならば次の質問だ。先の魔導書の中身、白紙になる前の状態に再現する事は可能か?」
「表面上ダケ…文字や図式ノ再現ナラ、可能にゴザイマス」
「クク、そうかそうか」
思わず笑みが零れる。
本命の二つの条件が無事達成された事に、バーンは小さく笑みを浮かべる。
「よし、それでは最初の任を命じる。これより数体程、其方の兄弟を精製する。其方にはそのサポートを命じる」
「ハ!御心ノママに!」
そして、更に魔方陣が起動がし魔導書は紅影の魔物へと生まれ変わる。
先の反省を踏まえ、より精密により慎重に呪法を練り上げていく。
嘗ての世界とは異なる、もう一つの魔道。
己が極めた魔道とは異なる、もう一つの魔への探求。
大魔王はその真髄へ向かう。底知れない魔の根源へと、一歩また一歩と進み始めた。
一ヶ月振りの更新です、お盆前に何とか更新できて一安心している作者です。
先日、夏風邪をひいて生まれて初めて39℃の向こう側に行ってきました…ひたすら寒かったです(笑)
皆さんも体には気をつけて下さい。
さて、話は本編。これにて大魔王師弟のオラリオ三日目は終了。
今話より、フレイヤ様も本格的に参戦予定。
ベルくんは原作でもレベル1の時からフレイヤ様の視線に度々気づいていたので、今回はソレの発展形の話にしてみました。
そしてヘファイストス・ファミリア側は椿とヴェルフが登場。
この二人の出番もちょいちょいある予定です。
そしてバーン様、バーン様は今回より魔影軍団(仮)を結成中。
魔影軍団の「まおうのかげ」達は、言ってしまえば裏方なのであまり表舞台には出ないと思います。
またどうして影タイプのモンスターを使ったかと言うと、ダイ大を読んでいる方ならうっすら勘付くかと思います。
バーン様としては、後に魔影軍団長に相応しい相手が見つかれば指揮権を渡す予定です。
ちなみにバーン様が作ったまおうのかげは生まれたてなので、まだそんなに強くないです。
今のベルくんでも勝てるレベルです。
次話よりオラリオ四日目、次回もできるだけ早く更新する予定です。
補足・フレイヤ様は一巻の時点で割りと『神の鏡』を使っている様な描写があったので、作者的な解釈を書いておきました。