やはり俺の魔物の王を決める戦いは間違っている。 作:ホッシー@VTuber
会議室に委員たちが仕事をする音が響く。ある者はパソコンで文字を打ちこみ、ある者はファイルをまとめ、ある者はちまちまと書類に必要事項を書いて行く。だが、誰もしゃべらない。たまに聞こえる声も業務連絡ぐらいだ。
「……」
それは俺も例外ではない。ただひたすら積まれた仕事を片付けていくロボットになっている。あぁ、俺はいつから社畜になってしまったのだろうか。
(これは……やっちまったか)
ファイルから書類を取り出しながらそっとため息を吐く。
あの日以来、委員たちは真面目に仕事をしている。あの相模でさえ雪ノ下に頼らず、自分が出来る仕事や実行委員長にしか出来ない仕事をしていた。これだけならば俺の『罪悪感を抱かせて仕事させちゃおう作戦』は見事、成功したと言える。しかし、結果から見ると俺は失敗した。失敗したと言うより、『やりすぎた』。罪悪感を抱かせるだけならサイが皆に隠れて仕事をしていると言えばある程度の罪悪感を抱かせられただろう。だが、あの時の俺は怒りに身を任せ、必要以上に相模たちを追い込んだ。そして、今のロボットのような運営が出来上がった。楽しそうな雰囲気なんてどこにもない。ただ目の前の仕事を片付けていくだけ。
(それに)
チラリと視線をずらして相模を見る。丁度、一枚の書類を持って近くにいた委員の元へ歩いて行くところだった。
「あ、あの……これってどうやるんですか?」
おそるおそる相模が上級生の委員に問いかける。ずっとサボって来た相模ははっきり言って戦力外だ。仕事のやり方がわからないのだ。一度、相模を実行委員長から降ろそうと言う意見が出たほどである。まぁ、その意見は雪ノ下の『そんな暇はないから早く仕事をしてください』の一言でなくなったが。いや、本当にギリギリな状況なので正直、相模の処分(今回の事件の原因を作った責任)を決めている暇などないのだ。
「……はぁ。そこは――」
上級生は深いため息を吐いた後、かなり大雑把に仕事のやり方を教え、相模を追い払った。とぼとぼと自分の席に戻って行く相模は泣きそうな表情を浮かべている。
これが一番の問題。相模に対する委員たちからの憎悪だ。
あの日、俺は相模だけではなく他の委員たちも糾弾した。サボることのできる環境を作ったのは相模だが、サボろうと決めたのはお前たちだ。自分だけが忙しいと思い込み、人に仕事を押し付けたのはお前たちだ、と。多分、本人たちもそれは自覚している。しかし、そう簡単に自分の罪を認められる人間は少ない。大半が原因である相模に怒りや憎しみを抱いている。『お前があの時、余計なことをしなかったら俺たちはあんな奴に糾弾されることなどなかった』、と言うように。そのせいで相模は肩身の狭い思いをし、仕事を教えて貰う度に醜い感情を見せつけられる。でも、委員会を休めば更に追い詰められるだろう。逃げ道を塞いだのは俺だ。
(まずいよなぁ……)
このままでは相模が何をしでかすかわからない。今のところ、サイが運営を手伝っていたことは公に発表されていないから文化祭は普通に開催される。だが、相模が密告すれば文化祭がなくなる可能性も高い。こんな辛い場所なんか壊してしまえと思えば、いつでも壊せるのだ。我慢の限界に達した時、彼女がそれを実行しないとは言い切れない。追い詰められた人間がすることなど予想できるわけがなかった。だからこそ、早く何とかしなければならないのだが、俺にはどうすることもできない。この状況を作ったのは俺だし、人を助けることなどぼっちには不可能だ。やり方を知らないからだ。証明終了。
そんなことを考えながら俺は目の前に積まれたファイルをまた1つ、片づけた。
総武高校文化祭。開催日は土日の2日間。土曜日は一般公開されず、校内のみだ。その代わり、日曜日は一般の人たちにも公開され、かなり賑わう。ぼっちの俺には関係ないが。
あれから何も変わらないまま、文化祭が始まってしまった。オープニングセレモニーも無事に終わった――とは言えない。運営の雰囲気は最悪なのであまり連携が取れず、かなりグダグダになってしまったのだ。俺はタイムキーパーだったのでひたすら腕を回して『巻き』のサインを送り続ける地獄を味わった。明日は筋肉痛になるだろう。まぁ、幸運だったのは会場に集まった生徒たちがそれを見て笑いながら『頑張れー!』と応援してくれたことだろう。そのおかげで委員たちは文化祭を成功させようとやる気が出たみたいだ。もう、“相模なんかに憎悪を向けている暇などない”、と言わんばかりに。言い換えれば相模はとうとうハブられたのである。少しだけ相模の顔を見た時、それがわかったのか顔を青くして震えていた。あぁ、可愛そうに。タイムマシンに乗って過去の自分をぶん殴ってやりたいだろうな。まぁ、助けられないけど。
「比企谷君」
オープニングセレモニーが終わった後、不意に雪ノ下に呼び止められた。
「何だ?」
「はい、これ。文化祭のプログラム」
「あ? もう持ってるけど」
「貴方のだけ偽物なのよ」
え、何でそんなことしたんですか? やる必要あります?
「……見ればわかるわ」
俺の視線で言いたいことがわかったのだろうか、ため息交じりに渡して来たプログラムを受け取り、中身を見る。ほとんど内容は変わらないが一箇所だけ違った。2日目の体育館でのステージ内容。そこには――。
『サイの動物ショー!』
――マイパートナーの演目が書かれていた。
「……おい」
「何も言わないで……サイさん、雑用を熟している間に勝ってにエントリーしちゃったみたいなのよ。しかも、ちゃんと必要事項も書かれていた上、後で私に許可を取ると言う徹底ぶり。本当に油断の隙もないわ」
そう言う雪ノ下の頬は少しだけ緩んでいる。もう一度、サイのステージ内容を確認したところ、どうやら犬や猫と一緒に何かをやるらしい。油断も隙もあったのは雪ノ下さんじゃないですかー。猫にやられちゃっているじゃないですかー。
「サイが俺に偽物のプログラムを渡すように言ったんだな?」
「ええ、自作のプログラムを私に渡してお願いして来たの」
あ、だから最近、ずっとノートパソコンを弄っていたのか。目的は多分、俺に邪魔をさせないため。まぁ、ステージをやりたいって言って来たら止めただろうし。サイは魔物だが、見た目はただの子供だ。そんな子にステージパフォーマンスをさせるなどあまり世間体はよくない。
「帰ったら叱っておくわ」
「お願いね」
要件が済んだからか雪ノ下はすぐにどこかへ行ってしまった。さて、俺も移動しますかな。
文化祭1日目は基本的に委員会の仕事はない。細々とした仕事はあるが、後回しにしてもいいレベルだ。校内の見回りは生徒会役員たちと数名の委員がやっているため、下っ端である俺は暇になる。そのため、クラスの方を手伝っていた。明日は記録係の仕事があるのでクラスの手伝いは今日しか出来ないのだ。まぁ、ほとんどクラスの方には出ていなかったのでやることもなく、仕事をしているふりをしていたら海老名さんに見破られ、受付を任された。開演時間とか聞かれたら答えてって言われたけど、でかでかとポスターが貼ってあるから聞く人などいないだろう。ラッキー。
後、受け付けは留守番の意味合いもあるらしい。公演していない間、クラスメイトが休んだり別の場所へ遊びに行っている中、ただ座って待っている。ハチ公かな? まぁ、こんな楽な仕事でクラスの出し物に参加しているとなるならありがたい。公演前に円陣を組んだ時(俺は参加しなかった。由比ヶ浜は不満そうにしていたが)、相模がものすごく肩身の狭い思いをしていた。クラスの方にあまり参加しなかったのと自分のせいで文化祭そのものがなくなっていたかもしれないと思っているのだろう。
二兎を追う者は一兎をも得ず。結局のところ、相模はクラスの方にも委員会の方にも参加して自己アピールしたかったのだ。『実行委員長も熟してクラスの方にも貢献する私、すごい!』みたいな。だが、それはあまりにも無謀で無様な考えだった。結果は運営をめちゃくちゃにし、自分の顔に自ら泥を塗り、中途半端にクラスに参加していたからあんな場所で肩身の狭い思いをしている。自業自得とは相模のために生まれた言葉かもしれない。
「おつかれ」
考え事をしていると不意に上から声が聞こえる。そちらを見ると大きなビニールを持った由比ヶ浜が俺を見下ろしていた。そのまま、立てかけてあったパイプ椅子を組み立てて座る。若干、距離が近い。もう少し離れてもいいのよ?
「どうだった? ミュージカル」
「……まぁ、よかったんじゃねーの? お客さんも喜んでたし」
歌っても踊ってもいなかったけどな。ただの演劇やん。
「皆ずっと頑張ってたからね……それに、ヒッキーも」
少しだけ声を小さくした由比ヶ浜。その表情は暗い。
「ゴメンね、ヒッキー。あたし、何も知らないのに怒っちゃって」
雪ノ下の家に行った時の話だろう。ずっと気にしていたのかもしれない。あれから委員会が忙しく(前から忙しかったが)なったのでほとんど会話出来なかったから謝るタイミングがなかったのだろう。
「気にすんな。お前は悪くねーよ」
そう、由比ヶ浜は何も……と言えないが、悪くない。それよりずっと俺の方が悪い。感情的になって人を糾弾し、追い詰め、今の状況を作ってしまった。今のところ、何も起きていないが嫌な予感がする。何か起きてしまった場合、俺がどうにかしなくてはならない。それがこんな状況を作ってしまった俺の責任の取り方だ。
「また何かあったの?」
俺の表情を見てわかったのか彼女は心配そうに聞いて来る。それに対して俺は首を横に振って答えた。由比ヶ浜には関係の無い話だ。話す必要もない。
「……ヒッキーもそうなんだね」
だが、由比ヶ浜は寂しそうに呟いた。
「あ? どういう意味だよ」
「ゆきのんもヒッキーもそうだった。大変なのに何も言わずに何とかしようとして……ゆきのんは倒れちゃって。ヒッキーも大変な思いをして……それにサイから聞いたけど、委員会の人たちを怒ったんでしょ?」
サイさん、余計なことは言わなくていいんですよ。
「……まぁ、な」
「多分、ヒッキーそのことを気にしてるんだよね? サイが言ってたもん。『あの日からハチマン、後悔してる目になってるって』」
「……」
「あたし、あまり委員会の仕事とかわからないけど、手伝うよ。ううん、手伝わせて」
「別にお前が気にするようなことじゃ――」
そこで俺は言葉を区切った。いや、遮られた。由比ヶ浜が俺の手を握ったから。
「わかったの。ゆきのんとヒッキーは差し出された手を無視して自分独りで解決しようとしちゃうって……だから、伸ばすんじゃなくて掴む。待ってるだけじゃなくて自分から手を掴めばいいんだって。サイも言ってたもん。『知ろうともせずに怒るのはオカドチガイだ』って」
「……お前、お門違いって意味知ってんのか?」
「と、とにかく! ヒッキーが困ってるんだったら助けるってこと! だから、何でも言ってね。あたしにできることがあれば何でもするから!」
「……おう」
俺が頷いた時、大きな笛の音が廊下に響く。突然のことだったので俺と由比ヶ浜は仲良く肩を震わせて驚いた。
「な、何?」
「あー…隣のクラスで何かあったみたいだな」
E組の方を見るとめぐり先輩が生徒会役員に指示を出して何かしている。見たところ、E組の出し物に行列が出来てしまって収拾がつかなくなってしまったらしい。
「E組の代表はいるかしら」
そんな中、雪ノ下の姿を発見する。すると、彼女も俺たちの方を見た。
「……」
一瞬だけ雪ノ下は顔を強張らせ、視線を逸らす。そのままE組の代表らしき生徒の方へ行ってしまった。
「ゆきのん、どうしたんだろ?」
「……多分、これだろ」
「これ?」
由比ヶ浜の視線は下に移動し、繋がれている俺たちのお手々を捉えた。そりゃ、知り合い同士が仲良く手を繋いでいたらあんな顔になるわ。
「ぁ……」
「後で誤解だって言っておけよ」
「……はい」
顔を真っ赤にして手を離す由比ヶ浜。気まずい空気が流れる中、不意に由比ヶ浜が持って来たビニール袋が目に入る。
「なぁ、それなんだ?」
「え? ああ、そうだった! ヒッキー、お昼まだでしょ? だから持って来たの!」
そう言って袋から取り出した物をテーブルに置く。紙パックだった。更にその紙パックから何かを取り出した。マトリョーシカか。
「じゃーん! ハニトー!」
紙パックから出て来たのは食パンだった。しかも、1斤まるまる。そんな食パンに生クリームやらチョコソースやらカラフルなチョコがぶっかけられている。
「一緒に食べようと思って。えいっ」
由比ヶ浜は笑顔で食パンを引き千切る。なんか怖いよ。俺の腕を笑顔で折るサイを彷彿とさせる。引き千切られたハニトーを紙皿に置いて俺の方に差し出した。軽くお礼を言って食べ始める。パンが固い。はちみつも中まで染みていない。
「うまっ!」
俺がそんな感想を抱く傍ら、美味しそうにハニトーを食べる由比ヶ浜がいた。いいのか、これで。まぁ、美味そうに食べているのなら無粋なことを言う必要もあるまい。俺も黙ってハニトーを食べ続けた。
1斤まるまるあった食パンを2人で食べ終え、そっと息を吐いた。まぁ、文句は色々あったけど、美味かったかなと思える程度には満足した。
「そう言えばいくらだった?」
これほどのボリュームなら結構、高いだろう。財布を取り出しながら問いかける。
「いいって、別にこれぐらい」
「いやそういうわけにもいかんだろ」
「いいの!」
由比ヶ浜の意志は固そうだ。何でわざわざ奢ろうとするんかね。俺なら絶対にしない。それに奢られるのは気に喰わない。俺は養われる気はあるが施しを受ける気はないのだ。そう言うと由比ヶ浜もどうしようか悩み始める。
「んー…じゃあ、困ったことになったらあたしに言う」
「関係なくね?」
「もう決めたから駄目! 言わなくても勝手に助けるからね!」
「……せめて何かする前に言えよ」
この子、アホだから変なことしそう。八幡、心配なのよ?
「うん、わかった。ねぇ、何か困ったことない?」
「早速かよ……」
「言えって言ったから言ったのに言ったら文句言うじゃん!」
もう『言う』がゲシュタルト崩壊しそう。
「……まぁ、何かあったら言う」
ほら、ゲシュタルト崩壊しちゃったらから柄でもないこと言っちゃったよ。俺は悪くない。ゲシュタルト崩壊と文化祭特有の変な空気のせいだ。
「っ! うん!」
俺の言葉を聞いた彼女は嬉しそうに頷いた。
こうして、文化祭1日目はとりあえず、無事に終わった。
でも、2日目が残っている。まだ油断はできない。俺は猫に隙を突かれた雪ノ下とは違うのだ。まず、家に帰ったらサイが勝手にステージパフォーマンスにエントリーしたこと。それを俺に黙っていたことについてお説教しようか。こちょこちょの刑である。