ある人の墓標   作:素魔砲.

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14 横島の休日(後編)

 

 

 

和美達との食事を終えた横島は、さすがにもう激しい運動をするつもりはなかったので、一人で砂浜を散歩していた。このリゾート島は人の手が入っているとはいえ、極力自然を破壊しないようにと心がけられているのか、島全体の環境に配慮がなされている。

 

観光施設として整備されているのはごく一部で、一度そこから離れると、ごつごつした岩場やら原生林が立ち並ぶ、光も差さない深い森などが存在していた。もっとも、開発段階で立ち入り調査は徹底的に行われていて、島の生態系のリサーチや、危険区域への進入を防ぐための防護柵の設置など、さまざまな安全性の確保がなされているのだそうだ。

 

自分からそんな場所に踏み込みでもしない限りは、そうそう妙な場所には迷い込んだりはしないので、食後の軽い運動に丁度よかった。特に目的もなく歩いていても、退屈しない程度に眺めは悪くないのもあって、横島は気楽に足の赴くまま歩みを進めていた。

 

そんな調子で鼻歌交じりに散策していたのだが、とりあえずの目的地に設定してあった岩盤が近づいてくるにつれて、通れそうな道が途絶えている事に気がついた。どうやら島の反対側まで歩いてきてしまったらしい。今から引き返すのも面倒だし、いっそ泳いで岩場のむこうに行ってしまうかと横島が迷っていたその時、どこからか何者かが激しく運動しているかのような荒い息遣いが聞こえてきた。

 

 

(・・・なんだ?)

 

 

人っ子一人いそうにないこんな所で、一体誰が、何をやっているのかという疑問が脳裏を掠めていく。気になって声の聞こえてくる方向に進んでいくと、そこには鋭い動作で拳法のような動きを何度も繰り返しているネギの姿があった。横島に見られている事にも気付いていないのか、熱心に自分の動きを確認しつつ、ぶつぶつと何事かを呟いている。その後ろでは、カモが欠伸をしながら、退屈そうに毛づくろいをしていた。

 

 

「なにやってんだ?おまえ」

 

 

「え?」

 

 

声を掛けた事でさすがに気がついたのか、ネギが驚いてこちらを振り返ってきた。

 

 

「何か見かけないと思っとったけど、こんな所にいたのか」

 

 

器用に片側の眉を吊り上げ、周囲を見渡す。横島が目印にしていた巨大な岩盤と、デコボコとした岩礁地帯に挟まれて、不自然に開けた砂地があった。その場所はちょっとした運動をする位なら十分なスペースがあって、岩場と岩場の間にうまく隠されていた。

わざわざ覗き込みでもしなければ、誰も気がつかないだろう。人目を避けるにはもってこいの場所だ。

 

 

「は、はい」

 

 

ネギが曖昧な表情を浮かべ、呼吸を整えつつ、岩場においてあるバッグからタオルを取り出し汗を拭っている。傍らにあるのは、スポーツドリンクの類か、この様子では結構前から同じことを繰り返していたようだ。

 

 

「みんな探してたぞ。特にあやかちゃんと、・・・まき絵ちゃん、だったか」

 

 

「そ、そうですか」

 

 

「・・・で、なにやってんの?かくれんぼか?」

 

 

「えーと、ちょっと型の練習を・・・」

 

 

ネギはどことなく気まずそうにしながら、横島から視線を逸らし、タオルで顔を隠している。横島はそんな彼に呆れたように、一つ溜め息をこぼした。

 

 

「おまえなぁ、俺が言うのもなんだが、せっかくあやかちゃんが誘ってくれたっつーのに、一人で何やってんだよ。南の島のバカンスやぞ、一生に一度あるかないかの経験やないか」

 

 

美神除霊事務所の仕事というなら、可能性もあるかもしれないが、個人的にこんな場所までバカンスに来る事などおそらくもう二度とないだろう。だからこそ、横島は全力で楽しむつもりでいたのだ。だというのに、ネギはこんな人気のない場所で一人寂しく拳法の練習をしているのだという。この年頃の子供が、南の島に来て遊びもしないというのは、横島には信じられない事だった。それに、せっかく誘ってくれたあやかにも悪いではないか。どちらかといえば、ついでに過ぎないであろう自分でも、せっかくなので楽しませてもらおうという気概はあるというのに。

 

 

「・・・・・すみません」

 

 

ネギは小さい子供が親に叱られた時のように、俯きながら唇を噛んでいる。

 

 

「いや、分かればいいんだけどさ」

 

 

殊の外素直に謝られたからか、横島はバツが悪そうに頬をかいた。少しくらいは反発してくるかとも思ったのだが、あまりにも聞き分けがよすぎる。本気でクソ真面目なやつだなと思いながら、ネギの小さな頭に視線を落とした。

 

 

「まぁ、そんなに怒らないでやってくれよ、横島の兄さん」

 

 

寝ぼけた顔で、ぐいっと伸びをしつつ、トコトコとネギの足元まで近づいてきたカモが二人を取り成すように声を掛けてきた。

 

 

「なんだいたのか。小動物」

 

 

「最初っから気付いてただろうが!」

 

 

興味なさそうに半眼を向けてくる横島に、カモはその場で地団駄を踏んでいる。小動物の人間らしい動作は、見る人間によっては可愛らしく映るのかもしれないが、生憎とこのおっさんくさい喋りをする動物には、微塵もそんな感情は抱かない。まぁ、それでも思わずからかってしまった自分が悪い事にはちがいないので、横島はおざなりに謝罪の言葉を口にした。

 

 

「まったく。・・・とにかくだな、兄貴にも色々事情があるんだ。横島の兄さんだって京都での事は知ってるだろ。兄貴はそれを気にして強くなろうとしてるんだよ」

 

 

だから少しくらいは大目に見てやってくれとカモは説明した。

 

 

「京都って、おまえ。・・・そんなに気にしてたんか?」

 

 

前に明日菜達がそんな事を言っていたが、まさかこんな場所にまで来て、隠れて訓練するほど京都での出来事を気に病んでいたとは。いや、本音を言えばネギの後姿を見かけたときから、そんな所ではないかと当たりをつけていたのだが。

 

 

(違うか。もっといえば・・・)

 

 

一番最初に絆創膏やら湿布やらを体中にくっつけているネギを見た時から、予想していた事でもあった。

 

 

(・・・・・どうすっかなぁ。こいつあれだ。同じ真面目君でも、ピートとかと違って冗談が通じないタイプや。俺の周りにはあんまりいないタイプだよなぁ・・・)

 

 

特に今回の事は根が深そうに見える。下手に茶化すのもまずい雰囲気だ。少なからずあの魔族に関係している自分としても、何か諭すような事を言ってやりたいところだったが、慣れない事が、急にできるようになる訳でもなし、ろくにうまい言葉が浮かんでこない。俯いたまま落ち込んでいる少年の体は、普段よりもずっと小さく見えた。しばらくの間、誰も言葉を発する事無く、無言の時間が続いていたのだが、ふと何かを考えていた様子の横島が、右手に意識を集中し文珠を一つ取り出した。

 

 

「おい、ネギちょっと来い」

 

 

「え?」

 

 

横島は手招きしながらネギの名前を呼び、素直に近づいてきた彼の頭に文珠を押し付けた。横島の霊力に反応し、緑色の輝きが文珠から放たれる。至近距離でその光を見たネギが眩しそうに瞳を閉じた。その輝きは数秒間の間続き、やがて光がおさまったのを確認すると、横島はネギに声をかけた。

 

 

「もう目開けていいぞ」

 

 

その声を聞いたネギがおそるおそる目を開ける。

 

 

「どうだ?まだどっか痛い所あるか?」

 

 

「え?」

 

 

少年の頭から手を離し、確認するように傷の具合を聞いてきた横島の言葉に、ネギは慌てて自分の体をぺたぺたと触りだした。違和感に気がついたのだろう。肘に貼っていた大き目の絆創膏を慎重に剥がし、擦り傷があったはずの箇所をまじまじと見つめた。

 

 

「・・・・・治ってる」

 

 

「あの体じゃ、まともに海にも入れなかったろ?せっかくこんな綺麗なんだし、あやかちゃん達と一緒に遊んでこいよ」

 

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

「別に気にすんな。京都から帰ってきてから、妙に力が有り余ってるからな。前に使った分も、すっかり取り戻しちまったし」

 

 

「・・・?」

 

 

右手に視線を向けつつ開いては閉じるを繰り返していた横島を、ネギが不思議そうに見ていた。そんな少年の様子に気付いた横島が、頭を振りながら忠告する。

 

 

「それとな、これだけは言っとくけど、お前はもうちょっと肩の力抜いとけ。真面目すぎなんだよ。タマモも言ってたろ、この間の事は気にすんなって」

 

 

「で、でも・・・僕は・・・」

 

 

瞳を伏せつつ拳を握り締め体を震わせている少年の様子に、横島は小さく息をついた。

 

 

「だーもうっ!わかったよ。でもな、頑張るのもいいけど、周りに心配かけすぎんじゃねーぞ。女の子に心配かけるのだけは俺が許さん」

 

 

鼻息荒く無意味にふんぞり返った横島が、腰に手を当てネギを睥睨する。たんなる知人に過ぎない横島にはこれが限界だった。それに口ではネギを制止するような事を言ってはいるが、本当のところは彼の気持ちが分からないわけではないのだ。もうこれ以上後悔したくないという気持ちは、横島にも身に覚えがある。

 

 

「ほら、もう行けよ。あと、心配かけて悪かったって、ちゃんとみんなに伝えておけよ」

 

 

岩場に置いてあるカバンを乱雑に掴み上げ、横島はネギに軽く放り投げた。そしてそのまま彼の肩をぐいっと押しつつ、適当に手を振る。勢い余ってよろめいていたネギは、一度横島を振り返り、深々とお辞儀をしつつ、カモを連れて、皆がいるだろう場所に向かって走り去った。そんな少年の後姿を見送りながら、横島は難しい顔をして、眉間に皺を寄せていた。

 

あのネギの頑なな態度は、一体何が原因なのだろうか。確かに自分の親しい人間が死に掛けた京都の事件は、大きな要因の一つなのだろうが、どうもそれだけではない気がする。まったくの勘に過ぎないが、もしかしたら何か他にも理由があるのではないかと、横島は感じていた。

 

 

「まぁいいか、別に俺が心配せんでも、気に掛けてくれそうなのは、周りにたくさんいるもんな・・・・・むかつく事に」

 

 

脳裏に綺麗どころをはべらせているネギの姿が浮かび、横島のこめかみに一瞬青筋が浮かぶ。やはり呪いの一つもお見舞いしてやろうかと、暗い事を考えていた横島だったが、ふと視界の隅に映るものがあった。巨大な岩陰の隙間に誰かがすっぽりと納まっている。こちらに背を向けて、声を殺してうずくまっている様子だった。きっと本人は隠れているつもりなのだろう。しかしツインテールの片側が風に揺られて随分と目立っていた。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なにやってんの?」

 

 

「ひゃっ!!」

 

 

まさか声を掛けられるとは夢にも思っていなかったのか、心底びっくりした声を上げながら、何者かが岩陰から飛び出してきた。

 

 

「明日菜ちゃん」

 

 

あまり驚かせないように、注意深く声を掛けたつもりだったのだが、失敗してしまったようだった。

 

 

「・・・えっ・・・と。す、すいません!立ち聞きするつもりじゃなくって、その、あの・・・」

 

 

おろおろと狼狽しながら、視線をあちこちに飛ばしている。その度にツインテールの長い髪がぺちぺちと左右から体を叩いているので、横島は思わず笑ってしまった。

 

 

「別に、んな事気にしてないって。大した話をしてたわけでもないしさ」

 

 

横島は明日菜に笑顔を向けながら、丁度よさそうな岩場に腰を下ろした。硬い感触が水着を通して伝わってくる。お世辞にも座り心地がいいとはいえなかったが、別段不自由も感じない。むしろ日中から太陽の光を浴び続けて、熱を帯びている岩の暖かさは、なかなかに具合がいいものだった。ゆっくりと目を閉じ、体の力を抜いて、頭の中を空にする。そうして横島は少しの間ここで日光浴をすることに決めた。

 

後ろに手を突いて背筋を伸ばす。降り注いでくる日光の熱が体全体で感じられる。こうしていると海に来て体を焼いている人間の気持ちが分からないでもない。横島が海に来てする事といえば、除霊作業か、あるいはナンパばかりなので、わざわざ海に来て自分から日焼けしようという発想はなかったのだ。

 

 

まぁ、仕事の場合は大抵面白くない目にばかりあってきたし、ナンパにしても一度も成功したためしがないのであるが・・・。

 

 

「よ、横島さん!なっ、泣いてる!?」

 

 

その場で胡坐をかき、ボーっとしていたかと思えば、いきなり泣き出し始めた横島に明日菜がビクリと体をのけぞらせた。

 

 

「い、いやすまん。何か海には、ほんっっと、ろくでもない思い出しかないなと、しみじみ思い返しちまって」

 

 

零れ落ちそうになっている涙を指の先端で拭いながら、横島は明日菜に声を掛けた。

 

 

「それよりここにいていいのか?明日菜ちゃんはネギを探してたんだろ。あいつ行っちまったぞ」

 

 

たぶん横島が来るより前に、明日菜はここにいたはずだ。ネギの態度からは明日菜の存在に気付いていた様子は見られなかったので、ずっとあそこに隠れていたようだ。まぁ、そうだとすれば隠れなければならない理由があったという事になるのだろうが。

この二人の関係は横島にも推し量れない所がある。

 

 

「えっと、それはそうなんですけど・・・・・」

 

 

何かを言い難い様子で、明日菜は言葉を濁した。

そして、何も言わずにもじもじとしたまま、その場に立ち続けている。

 

 

「あー・・・と、どうかしたのか?さすがに、おしっことか言われても俺にはどうしようもないんだが」

 

 

何かを察した様子で横島が気まずそうに目線を逸らす。

 

 

「ちがいますっっ!!」

 

 

肺に目一杯空気を吸い込んだ明日菜が大声で突っ込みをいれた。

 

 

「・・・まったくもう・・・そうじゃなくて・・・その、横島さんに、ちょっと相談に乗ってもらいたい事があるんです」

 

 

「相談?・・・明日菜ちゃんが俺に?・・・」

 

 

顔を赤くして怒ったかと思えば、急に気弱な態度で意外なことを言い出した明日菜に、横島は目を丸くした。正直何かの聞き間違いではないかと思う。明日菜と知り合ってからほとんど間もない横島を相手に、いったい何を相談するというのか。

 

正直、自分などを頼るより、他にふさわしい人間がたくさんいるのではないかと思う。

見た感じ明日菜には友達も大勢いそうであったし、相談相手には事欠かないはずだ。そんな事を考えつつ不思議そうに明日菜を見ていた横島だったが、返事がない事で、若干不安そうな表情を浮かべはじめた彼女に、慌てて返事を返した。

 

 

「いや、そりゃもちろん構わないけど。・・・でも本当に俺なんかでいいのか?」

 

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

自信がなさそうに己を指差して確認した横島に、明日菜が嬉しそうな笑みを浮かべ、礼を言った。そのまま、彼の隣に腰を下ろす。そして海に視線を向けながら、考え事をしているようにじっとしていた。何から話すべきかと頭の中を整理しているのだろう。

 

そんな調子で押し黙っている彼女の横顔を眺めながら、横島は落ち着かない様子で己の前髪をいじり続けていた。実際、明日菜が何を言い出すにしろ、横島が思いつくような単純な悩みでない事は、間違いないだろう。思春期真っ只中にいる女子中学生の心理など、それこそ難解な数式などより複雑怪奇だ。妙に気構えをしてしまうが、下手な考えなんとやらともいう。横島は強張ってしまった肩の力を抜こうと、すぐ隣にいる彼女に聞こえないようにして細く長い息を吐いた。

 

 

「・・・・・横島さん」

 

 

僅かに緊張が滲んでいる声を発して明日菜が横島の名前を呼んだ。

 

 

「・・・なに?」

 

 

こちらの返事も似たようなものだ。明日菜の態度が真剣なものだからなのか、周りに漂う緊張感が横島にも伝わってきていた。

 

 

「横島さんは・・・・・その、この間みたいな事って、よくあるんですか?」

 

 

明日菜が伏目がちにしてきた質問に、横島は呆然と目を見開いた。

握り締めた掌に、ジワリと汗が滲み出す。

 

やはり、やはりこちらの予想などあてにならなかった。・・・・・まさかこんな事を聞いてくるとは。あまりの驚愕で、知らず知らずのうちに固まってしまった顔を両手でこすり、口元を覆う。目蓋に力を入れ、早鐘を打つ心臓の鼓動を何とか制御しようとする。そして、唇を噛み締めつつ、横島は苦渋に満ちた声をなんとか絞り出した。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・いや、さすがの俺も自分の恥ずかしい秘密を、女子中学生に見られるのは、初めてだったけど」

 

 

 

 

「あーーーーーーっもうっっ!!」

 

 

 

 

 

 

アデアット

 

 

その掛け声が聞こえると同時に、明日菜の右手が光を発した。そして次の瞬間には彼女の身の丈よりも大きな剣が生成される。重量感のある片刃の大剣。華麗な装飾など一切存在しないそのデザインは、無骨で実戦的な印象を見る者に与えた。もっともその大きさや重さを想像すれば、容易に扱う事ができるとは到底思えなかったが・・・。

 

しかしそんな事は関係ないといわんばかりに、明日菜は片手で軽々と刃をふるって横島に突きつけた。そして押し殺した声で告げる。

 

 

「私、真面目に話してるんですけど」

 

 

「え、えーと、一応ワイもまじめに・・・・・・・すんまへーん、すんまへーん。悪気はなかったんやー」

 

 

ぎろりと横島に睨みを利かせ、刃を危険な角度で押し付けようとする明日菜に、横島は全力で土下座していた。

 

 

 

 

 

 

 

その後・・・互いに落ち着きを取り戻すために、三回ほど深呼吸し、再び明日菜の相談が開始された。

 

 

「この間っていうのは、京都での事です。その、横島さんってあんな怖い怪物と、いつも戦ってたりするんですか?」

 

 

「へ?」

 

 

予想外というならこの質問も思い掛けないものだった。

目を見開き、意外そうに明日菜に顔を向ける。

 

 

「いや、ないない、あるわけないって。さすがにあんなおっかないのと戦ったことなんて・・・・・・・・まぁ、何回かはあるけど」

 

 

自分の記憶を思い返しつつ笑顔で明日菜の言葉を否定した横島だったが、記憶の再生が過去に遡るごとに顔色を悪化させていった。よくよく考えてみれば、似たような化け物とも何度か戦っていたりする。あれだけ巨大な相手との戦闘自体はほとんどないが、厄介な相手というのは、なにもも大きさだけで決まるものではない。正直、能力という観点から見れば、あのデミアンという怪物は、まだおとなしい方だったかもしれない。

 

なにせ過去に横島が戦ったものの中には、本気で馬鹿なんじゃないかと疑うレベルの能力を持った、一癖も二癖もある化け物がいたりするのだ。まぁ、それでも、あのデミアンが過去に戦ったやつらの中で、上位に食い込むほどの強敵であるのは事実だったが。

 

 

「・・・やっぱり」

 

 

何かを納得した様子でこくりと頷いた明日菜が表情を暗くした。

 

 

「明日菜ちゃん?」

 

 

そんな彼女が気になり、横島がどうしたのかと尋ねようとしたその時、明日菜は顔をあげて震えた声で言った。

 

 

「・・・・・横島さんは、怖くないんですか?」

 

 

自らの両腕を抱えて小さく体を丸めている。海の向こうに視線を向けたまま、どこか遠くの一点をじっと見つめていた。水着姿のままだから寒さを感じて震えているなどと、さすがの横島でも勘違いはしなかった。怯えているのだ。おそらく京都での出来事を思い出しているのだろう。

 

見る者に嫌悪感を抱かせる醜悪な姿。人間を虫けらのように扱う容赦のなさ。そして圧倒的な力。程度の差こそあれ、悪魔とはつまり、人を恐怖させる存在なのだ。想像力を働かせれば大抵の人間が行き着く邪悪の根源。恐怖の源泉。原初の悪夢。魂の深くまで、拭いきれない畏怖を与え、心を凍らせる。だからこそ、それに触れたものは、どんな形であれ、変わらずにいられない、考えずにはいられない。

 

 

 

もし・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

結局のところ、あの時は誰も失う事はなかった。だが、誰も傷ついていないかといえば、そうではなかった。ネギにしても、刹那にしても、たぶん木乃香にしても、そして横島の目の前で怯えているこの少女にしても、何がしかの傷を抱えてしまったのだろう。それを癒す事はとても難しい。文珠を使ったところで、不可能だった。

 

 

「・・・なんでそう思うんだ?」

 

 

意識してそうしたわけではない。ただ、彼女に対してどんな表情を見せればいいのか分からなかっただけだ。だから力の抜けた無表情で、感情を映さない眼差しを向け、硬い声で答えた事に他意はなかった。むしろ内心では彼女の問いかけに、質問で返した事の罪悪感があったくらいだった。決してはぐらかそうとしている訳ではないのだが。それでも、そんな横島の態度に驚いたのだろう。明日菜は一度、彼の顔に視線を送り、すぐに逸らして俯いてしまった。

 

 

「だ、だって、あんな事があったのに全然平気そうに見えるし、それに横島さんは凄い力を持ってるし、その、あの・・・・・怒ってますか?」

 

 

早口で一息に言い切り、こちらの顔色を伺うように見つめてくる。

 

 

「・・・ああ、いや、そうじゃない。別に怒ってるわけじゃねーんだ。・・・でも、うーん、凄い力・・・か」

 

 

後ろ頭をガシガシとかきながら、空を見上げる。なんというか、彼女は自分の事を買いかぶっているらしい。

 

 

「俺の力なんて、そう大したもんじゃないよ。たとえば京都の時だって、一人じゃどうしようもなかったしな」

 

 

とりあえず誤解を解いておこうと、横島はわざとおどけた調子で、苦笑を零した。明日菜のような美少女に勘違いされるのも悪くはないかもしれないが、度を越えた過大評価が面倒である事は、己の弟子が証明している。後々がっかりさせるのも悪いので、今のうちに真実を話しておくべきだろう。しかしそんな態度を謙遜と受け取ったのか、彼女はまったく信じていないようだった。強い視線を向けながら、横島の言葉を否定してくる。

 

 

「でも、あの怪物を倒したのは横島さんだし、それに木乃香を助けてくれたじゃないですか」

 

 

「そりゃ、運がよかっただけだよ。・・・・・今だから言えるけど、どっちも失敗する可能性だってあったんだ。あんにゃろを倒す作戦考えたのも俺じゃないしな。木乃香ちゃんの事についても、状況が味方してくれたってのが大きいな。彼女が頑張って生きててくれたから、何とかなったんだ」

 

 

実際、目隠しで綱渡りを成功させるような細い可能性でしかなかった。もう一度同じ事をやれといわれても不可能だろう。まさか自分達の世界から追っ手が来ているとは思っていなかったからか、あの魔族がこちらを舐めきっていたというのも好都合だった。まともに相対したとすれば、たとえ美神でも勝ち目がなかったかもしれない。まぁ彼女の場合は、信じられないような裏技を使ったりするので、安易に判断できないのだが。木乃香の救出にしても運よく横島の予想が当たっていたから何とかなったのであって、タマモが最初に言っていた可能性だって十分にありえたのだ。

 

・・・・・・・・・多少は自分が頑張った事も否定しないが・・・・・・・・。

 

 

「それにさ、仮に力があったとしても、それだけでまったく怖くなくなるってわけでもないだろ?正直俺だってあんなのとは二度と会いたくねーし」

 

 

「それはっ・・・・・そうかもしれませんけど」

 

 

明日菜が唇を尖らせ、一瞬瞳を険しくさせる。納得がいかないのだろう。否定の言葉を口にしようとしていたのか、何かを言いかけて、結局言うべき事を思いつかなかったらしい。無意味に口をパクパクと開閉していた。そして憮然とした表情で黙り込む。その姿はまるで語彙表現の未熟さから自分の感情をうまく伝えられずにいる幼子のようだった。

 

 

「大体なんだってそんな事聞くんだ?ネギにも言ったが、あんなのとっとと忘れちまうに限るぞ。夢見が悪くなっちまう」

 

 

頭を振りながら言い聞かせるような口調で呟いた。確かにショッキングな事件だったろうが、ネギにしても明日菜にしても考えすぎて、よくない方向に進んでしまっている気がするのだ。そうした不安を何とかしてあげたいと思った所で、どう考えても、がさつな自分では役不足だ。どちらかといえば、そういった心のケアはおキヌのような心優しい者の役目だろう。もっとも彼女は遠く世界を隔てた場所にいるので、ないものねだりになってしまうのだが。

 

 

「・・・・・・・・な・・て・・れ・んです・・・・・・」

 

 

「え?・・・すまん、ちょっと聞こえなか・・」

 

 

「関係ないって言われたんです、ネギに」

 

 

自分で思っていたよりも語気を荒げてしまったのかもしれない。彼女本人が驚いていた。見えない何かに苛立ちをぶつけるかのように、空中を睨みつけ、自分の髪を一房、ギュッと強く握り締めていた。

 

 

「もともと関係ない事だからって・・・魔法とか魔法使いの事に関わっていると、危ない目に遭うかもしれないし、明日菜さんにこれ以上迷惑をかけられないからって・・・そう言われて・・・」

 

 

理性的に話そうとして、逆に失敗してしまったようだ。

イライラを押さえ込んでの話し声は、妙に低く聞き取りずらい。

似合わない渋面を作った明日菜が、途切れ途切れの言葉を紡いでいく。

 

 

「私、腹が立って!今更何を言ってるんだって。・・・・・・でも、何も言えなかったんです。ムカついて、ぶっ飛ばしてやろうかと思ったけど・・・こ、怖くて・・・。もしまたあんな事があったら・・・今度は木乃香も刹那さんも助からないかもしれない。ううん、次にあんな風になるのは、私の番かもって・・・そう思ったら・・・怖くて声が出なかった」

 

 

だから、同じことを経験しているにもかかわらず、平然としているように見える横島に、聞いてみたかったのだそうだ。・・・・・・・怖くないのかと。

 

横島は黙って彼女の言葉に聞き入っていた。真剣な表情を浮かべ、思い悩んでいるように、口元に手を置いている。だが実は、明日菜の悩みについて、答え探しをしているようで、まったく違った事を考えていた。

 

ただひとつのことを心配していたのだ。・・・この子が泣き出してしまうのではないかと。涙を見せているわけではないし、どちらかといえば不機嫌そうにも見える。落ち着かないのか、しきりに自分の指を組み替えている。頑なに前方を見据えて、横島の方を見もしないので、全体の印象は曖昧なものでしかなかったが、それでもなぜか、彼には彼女が泣き出しそうに見えていた。

 

湿った潮風が二人の間を通り過ぎていく。並びあって座っているにもかかわらず、思い思いの方向に視線を向けあい、むっつりと押し黙っているその様子は、第三者が見れば喧嘩をしているように見えるかもしれない。当の本人達にとっては、互いに何を口に出せばいいのか分からず、ただ沈黙しているに過ぎないのだが。

 

何か言わなければ、そう思ってはみても、横島には彼女の悩みについての的確な助言がまったく浮かんでこなかった。自分の不甲斐無さに思わず溜め息の一つも零してしまいそうになるが、そんな事をすれば明日菜が傷つく。横島は、うむぅと一つ唸り声を上げながら、必死になって彼女に掛ける言葉を考えていた。

 

 

やがて、思い悩んだ末にかろうじて彼が口に出したのは、考えた本人もなんだかなと落ち込んでしまいそうな、そんな他愛のない話だった。

 

 

「・・・・・・・・最初は、ただの荷物持ちやったな」

 

 

小さな声で話し始める。

こちらが言葉を発した事に驚いたのか、やっと明日菜が横島に顔を向けてきた。

 

 

「俺がバイトしてるとこの上司がアホみたいに美人なんだけど、結構無茶な人でさ。多少の危険なんか報酬がよければ知った事じゃないって人で。・・・そんなだったから、最初の頃は仕事のたんびにえらい目にあってさ」

 

 

当時の事を思い出して、苦笑いをこぼす。今思い出しても相当無茶な事をした。

美神の色香に釣られてしてきた事とはいえ、よくもまあ付き合っていたと思う。

 

 

「一番初めの頃は、何の力もないただの高校生だったからな。できる事といえば、せいぜい荷物持ちと雑用と、後ろのほうで、くだらんボケを言うくらいで・・・要するに単なる賑やかしだよな」

 

 

「・・・横島さんがですか?」

 

 

「ああ」

 

 

意外そうに横島を見ながら明日菜が確認してきた。

こちらの顔をまじまじと見つめている。

 

 

「でもそんなんじゃ・・・・・その、やめようとか思わなかったんですか?危険な・・・仕事なんですよね」

 

 

「そりゃ何回も思ったよ。つーか今でもたまに思ってる」

 

 

特に今回のように、一人で異世界などという未知の世界に、半ば強制的に連れて来られた時などは、本気で自分の人生について考えさせられてしまった。なにせ相手にしなければならないのは上級魔族で、特別なご褒美が貰える訳でもおそらくない。美神が受け取る予定の報酬にした所で、実際に働いているのは自分だというのに、横島に入ってくる金は、いつも通り、確認する度に空しくなる給料だけだろう。考えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、理不尽だ。ちょっと位いい目を見せてくれてもいいじゃないかと思ってしまう。まぁ今回ばかりは横島も、黙ってやられっぱなしになっているつもりはないのだが。具体的には、下着とか、下着とか、乳を揉ませて貰うとか、尻を揉ませて貰うとか、風呂を覗かせて貰うとか、一発やらせて・・・。

 

 

「・・・・・横島さん?よだれ出てますよ」

 

 

「うおっ」

 

 

急に黙り込み、目じりを下げて下卑た表情を浮かべながら、妄想に耽っていた横島に、明日菜がそっとティッシュペーパーを差し出した。ハッと我に帰った横島が礼を言いつつ口周りを拭う。知らずにいつもの癖が出てしまったらしい。なにやら半眼でこちらを見つめてくる明日菜から顔を逸らし、横島は話を続けた。

 

 

「・・・まぁ、だから明日菜ちゃんの気持ちが分からないでもないんだ。あーゆー意味不明なのを相手にするのって怖いよな」

 

 

「でもやっぱり、そんな風には見えないですよ。それにお仕事、辞めるつもりもないんですよね」

 

 

「いや、まぁ、うん」

 

 

「・・・・・なんでですか?」

 

 

明日菜がまっすぐな目をして横島に尋ねた。どうしても聞いてみたいのだと、そんな感情が見え隠れしている。横島は僅かに悩んだ様子を見せて、きっぱりと告げた。

 

 

「男には馬鹿を見ると分かっていても、立ち向かわなければならん事があるんや・・・・・」

 

 

「本音は?」

 

 

「今ここで辞めたら、あの乳や尻や太ももが、ワイのもんにならんやないか!!」

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・相談相手・・・・・間違えた・・・・・・・・」

 

 

ガバッと立ち上がりながら、海に向かって咆哮をあげた横島に明日菜が後悔の呟きをもらす。虚ろな瞳で膝を抱えつつ、そこに顔をうずめていた。溜め息を零しながら、ぐりぐりと自分の膝頭に額を擦り付けていた彼女だったが、頭上から聞こえてきた声に、力なく顔を上げた。

 

 

「・・・ってのが、ちょっと前までの俺の考えだ」

 

 

「・・・・・今は違うんですか?」

 

 

些かどうでもよさそうにして、明日菜が聞いてくる。

その言葉に一つ頷いて、横島が答えを返した。

 

 

「なんつーか、あの連中の中に俺がいないってのが・・・いまいち想像つかないんだよな。うまく言えないんだけど、俺にとっちゃーあそこにいるのがあたりまえというかなんというか・・・」

 

 

言葉尻を小さく濁し、照れたようにそっぽを向く。こんな事を深く考えた事はなかったのだが、言ってみてなんとなく納得してしまった。どれだけ理不尽だろうが、辞めようという気がこれっぽっちもわかないのは、あの場所が自分にとって居心地のいい場所だからだ。仕事上これからも危険な目にはあうだろうし、正直給料の方はどうにかして欲しいものだが、そういう不満を口にしつつも、横島はあそこに居続けるだろう。明日菜と話していて、その事を改めて再確認した。

 

 

「・・・・・つまり、その場所が横島さんにとっての居場所ってことですか?その場所があるから怖くない?」

 

 

「いや、怖くないってわけじゃないよ。でも、俺一人でビビッてなきゃいけないわけでもないしさ。周りにいる連中も、なんだかんだで助けてくれるし」

 

 

「でも、そんな事・・・そんな事言われても、私には・・・」

 

 

そんな風に思える居場所なんてない・・・。

 

 

再び表情を暗くした明日菜が俯き加減で、もごもごと独りごちた。

 

 

「それとさ、そもそもなんで明日菜ちゃんはネギに関わろうとしてんだ?俺からしてみると、そんな怖いなら、あいつの言う通りにしちまえばいいと思うんだが」

 

 

「えっ?だ、だってそれはその、あ、あいつ、平気で無茶な事するし、抜けてる所もあるし、放っておくと何しでかすか分からないって言うか・・・」

 

 

明日菜が急に顔を上げて狼狽し始めた。ぶつぶつと早口で何かをまくし立てている。

ありていに言ってしまえば、それは何かの言い訳のように聞こえた。何に対しての言い訳なのかは本人も分かっていないのかもしれないが。

 

横島はそんな彼女の様子を隣で見ながら、おかしそうに笑みを零した。結局彼女はネギが心配なのだ。だからこそ、ネギが言い放った言葉に腹を立てたのだろう。心配している人間から、あんたは関係ないから引っ込んでろと言われれば、怒りを覚えてもしかたがない。それが、同じ危険を共にした相手なら、なおの事だ。

 

ただ、それでも素直にその感情を表現できないのは、やはり恐怖を感じているからだ。

自らの想像力で足がすくんでしまっている。身動きが取れないから誰かに悩みを聞いて欲しかったのだ。

 

そういった意味では横島はちょうどいい相手と言えた。最低限事情を話せる相手でなければ、相談自体が出来ないだろうし、明日菜と同じような悩みを抱えている者には容易に話せない事でもある。同じ物を怖がっている人間に、怖いから何とかしてくれと言っても、有意義な話し合いになるとは思えない。エヴァ辺りなら微塵も恐怖を覚えていないかもしれないが、彼女がそういった悩み相談に向いているかといわれれば、正直疑問を感じる。

 

 

「ネギの事が心配なんだよな?」

 

 

声の調子を落として、優しい声で彼女に語りかける。

明日菜は顔を赤くしながら静かにこくりと頷いた。

 

 

「ネギも同じなんだと思うよ。明日菜ちゃんの事が心配だから、そんな生意気なこと言ってんだ」

 

 

「それは・・・分かっているんですけど、でも・・・」

 

 

「あいつは、変に真面目な奴だからなぁ。うまく隠しちまってるけど、たぶん明日菜ちゃんと同じくらい怖がってる」

 

 

「え?」

 

 

「強がってるんだよ。あいつも一応、男だからな・・・」

 

 

なんとなく気持ちは分かるなと、横島は言った。心配だとか、迷惑になるからだとか、そういった言葉は本心ではあるのだろうが、それだけではない。おそらく自分が怖がっていることを悟らせないための隠れ蓑なのだ。少なくとも誰かを心配しているときは、自分の姿を真っ向から見つめずにすむ。そうした方がある意味で楽なのだ。

 

 

「あいつ・・・ばか・・・それならそうと素直に言えばいいのに・・・」

 

 

明日菜が口を尖らせた。

 

 

「いやーどうかなー。明日菜ちゃんだってあいつに言えたか?怖いって」

 

 

「・・・・・・・・」

 

 

にやけ顔の横島の指摘に明日菜は黙ってそっぽを向いた。

 

 

「とにかくさ。一回腹を割って話してみたらどうだ?おキヌちゃんも言ってたろ?こういうのは一人で頑張っちゃいけないって。明日菜ちゃんの気持ちを素直に話して、あいつに分かってもらいな。そんであいつの話も聞いてやりゃいい。それでも怖いってんなら、二人で怖がりゃいいんだ。一人で抱え込む事なんてねーよ」

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」

 

 

小さく頷いた明日菜の頭に手を置いて、ポンポンと軽く叩いた。猫のように目を細めた明日菜が、黙ってされるがままになっている。それから二人は、他愛ない話をしながら一緒にすごした。都合の悪い部分は避けて、横島が自分の仕事の体験談を話していく。

場所柄か、ほとんどの話が海にまつわる内容だったが、明日菜は面白そうに聞いていた。

 

やがてそうこうしているうちに、結構な時間がたったのか、日が陰りを見せ始めた。

一日のうち太陽がもっとも赤く空を染め上げる時間帯。先ほどまで、見事な青色を見せていた海が、紅い光に照らされている。見渡す限りが真紅に彩られていた。ここが海のど真ん中にあって、視界を遮るものがなかったからだろうか、その様子は見慣れているはずの光景であるのに、ちょっとした感動を覚えるほど美しいものだった。

 

 

「・・・・・きれい」

 

 

うっとりとした明日菜が思わず独り言を零した。眩しそうに目をしばたたかせている。

不意に隣に居るのが、同じ年頃の男性だという事を意識した彼女がドギマギしながら横島に視線を向けた。彼は明日菜と同じように夕日を見ていた。顔が赤く照らされている。眩しそうに目を細めているのも同じだ。

 

ただ、一つだけ彼と彼女で違うところがあった。青年は少女のように美しい光景に感動を覚えているといった様子ではなかった。どこか悲しそうに、苦しそうに、切なそうに日が沈むのを眺めている。

 

 

やがて彼は、力ない声でポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・あぁ、そうだ・・・・・・一つだけ・・・海にいい思い出があったな」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

それから、ネギと明日菜の二人に何があったのか横島は知らない。気にはなっていたが、いちいち首尾を尋ねるほど、おせっかいではなかったし、なんというかこれ以上自分が首を突っ込んではいけないような気がしたのだ。ただ、帰りの飛行機に乗り込む前、二人が揃って深々とこちらに頭を下げたのを見た時、どうやらうまくいったらしいと安心していた。誘拐まがいの手段で連れて来られた時とは違い、帰りは高価そうな自家用の飛行機での送迎だ。手荷物をほとんど持っていなかった横島は、新品同様に洗濯されたいつもの服に身を包み、飛行機の座席から、名残惜しげにリゾート島を見つめていた。

 

 

結局、なかなかの骨休めにはなった。

 

 

今回の旅行では、めったに行く事が出来ない場所で、穏やかな時間が過ごせたし、ただでたらふく美味い物が食べられた。ナンパはできなかったが美少女達とお近づきになれたし、幾人とは連絡先も交換している。あと一年ほど過ぎれば、正々堂々と粉をかけられる横島好みの美女が結構いるのだ。なかなかの戦果といえた。

 

そんな事を考えながら、うきうきとした気分で自宅の扉を開く。ただいまー、と誰もいないはずの部屋に気のない挨拶をし、靴を脱いでいた横島に、南国の思い出を一気に吹き飛ばす、冷めた視線の持ち主が、低い声でお帰りと挨拶を返した。

 

 

「ジ、ジーク。お前帰ってたんか・・・」

 

 

「ああ、昨日からな。・・・ところで横島君。早速だが、何の連絡もなしにいったい何処に行っていたんだ?本来なら、敵前逃亡は銃殺刑なのだが・・・・・」

 

 

冷徹な眼光で、視線を美神に提出する報告書に送りながら、ジークは死刑を宣告する裁判官のように、無表情でそう言った。

 

 

 

 

 

 

その後、横島はしどろもどろになりながら事情を説明し、何とか彼に許しをもらったのであった。

 

 

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