Fate/stubborn Iron 作:@ccc
◇
「起立、礼」
「は—い、さよ—なら。皆、今日は遅くに外出歩いちゃダメだかんね」
「わかってるって、せんせ—」
「ならばよ—し、ただちに帰れぇ—い」
我が担任である藤ねぇこと藤村センセイのHRであるか微妙なラインにありつつあるHRが終わると皆各々行動を開始した。俺は今日はバイトがあるため寄り道はしないつもりだったのだが。
「まあ、約束は約束だしな。時間がないわけでもあるまいし」
美綴の約束を果たしに行ってくるとしよう。バックを持ち上げるとそのまま階段へと向かって行った。
◇
一階の廊下は会話が入り乱れていて、一年生ならではの賑わいを見せている。大半の者は部活へと向かうのだろうが、その中でも帰宅部と活動があまり盛んでない文化部は靴箱へと向かい始めている。
今回の目的地は現在俺が降りてきた階段の反対側、つまりはA組にある。
1年A組、南谷くん。
彼が今朝の美綴の言っていた慎二に笑い物にされた子である。俺は彼に会いに来た。
別に説得しに行くわけではなく、どちらかと言えばアフタ—ケアに近い。美綴は南谷くんに嫌な思いをさせてしまったので昨日一度謝りに行ったみたいだが逃げられてしまったらしく、他にも弓道部員が接触しようとすると度々逃げられてしまったようだ。弓道部だと怖がられてしまうが、弓道部以外の人にこのことを頼むのは偲びない。ということで回って来たのが俺だ。美綴の中では俺は元弓道部なので頼むこと自体はセ—フらしく、さらに俺は部活を辞めた身だ。何かと話しやすいこともあるだろうという美綴の気遣いである。
「あれ? 先輩なんで……」
「桜。弓道場へ行くのか?」
聞き慣れた声を聞きその声の主に振り向くと後輩である間桐桜が立っていた。
赤のリボンを揺らし、紫色の髪が頬を撫でながら首を傾げている彼女は既に弓道衣で身を包んでいて、身長より少し低い弓を片手に微かに首を傾げていた。
「先輩、ここは一年生の教室ですよ?」
「ああ、わかってるよ」
「じゃあ、なんで…………もしかして南谷君のことですか?」
「そうだけど、って桜? どうした、顔色が悪いぞ」
具合が悪そうに俯いた桜の顔がいつもと違うことに気づく。視線も俺ではなく、そっぽを向いている。
「おい、桜大丈夫か。部活休んだほうがいいんじゃないか」
「いえ、大丈夫です。ちゃんと部活には行けます。あの、先輩。南谷くんに出会ったら謝っておいてくれませんか。兄さんを止められなくてごめんなさい、と。多分私が会いに行ったら怖がらせてしまうと思うので」
そう言われてようやく気付いた。美綴は部長だったから例外だが、根が真面目である桜が昨日だけ部活を休んだことなんて都合のいいことはない。恐らく件のことがあったときも桜はその場にいたのだろう。それで過程はどうであれ結果、南谷くんは部活を辞めることとなった。しかもそれを行ったのが桜の兄である慎二。その所業を止めれなかったことを桜は後悔しているのだろう。
「わかったよ。伝えとく。でも言っておくけどこれは桜のせいじゃないからな。桜が気に病むことじゃない」
「ありがとうございます、先輩」
それは一体どちらに対してのありがとうだったのか。
一礼すると桜は横を通り過ぎて部活へと向かう。その背がいつもより小さいように見えたのはどうしてなのか。
「と、まずい。南谷くんが帰る前に会わないと」
桜の容態が気になりながらもA組に急ぐのだった。
◇
南谷くんとは話したことがある。
初めて見かけたのは桜に返すのを忘れていた本を返しに来たとき、奥で友人と楽しそうに笑いあっている姿を見かけた。彼の周りは常に雰囲気が和やかだった。来年部長になるのは桜か南谷くんかと考えると悩ましい、と美綴も話題によく名前を出していたし、よく笑って部の雰囲気を良くするム—ドメ—カ—だとも言っていた。彼自身、部活を辞めたの俺も先輩として慕ってくれていた。
だから教室の窓際で顔を暗くして空を眺めていた彼を見たとき、どこかやりきれない気持ちが溢れて、無力感が襲ってきた。
「南谷くん、ちょっとだけいいかな」
「え、衛宮先輩? あ、そっ、え? ちょ……!?」
A組の教室の中に入ると慌てふためく南谷くんの近くの席を陣取った。
黒髪のスポ—ツ刈りで子供のような印象がまだ残っている童顔、服を崩しているのに悪ぶっているようにしか見えないのはそのせいだろう。
全体的に子供みたいな少年だ。
「え、えっとどうして衛宮先輩はここにいるんですか?」
「昨日の件、聞いたよ」
慌てていた表情が氷のように固まる。そしてそのまま自嘲の笑みへと変わった。
「そっか、二年の衛宮先輩が知ってるってことは皆知ってるわけだ」
乾いた笑い。それが酷く、脆く見えた。
「美綴が会ってもいいなら今度ちゃんと謝りたいって。それと桜が慎二を止められなくてすまない、と」
「間桐さん……なんだよ、謝る必要なんてないのに。先輩、別にオレはみんなに会いたくないのはみんなが嫌いな訳じゃないんですよ。みんなの前で恥をかいたことを忘れたかっただけなんです。オレの恥を知って欲しくなかった。特に知られたくなかったなぁ、衛宮先輩には。先輩、オレ衛宮先輩に憧れて弓道部に入ったんです」
「え?」
彼曰く、新入生の夏休み部活見学を来たときにたまたま弓道部に行って、そこで射をしていたのが俺だったらしい。
だから美綴あんなこと聞いたのか……。
「なんでしょうね。なんていうか迫力とか気合いとか、集中力とか。そんな全てに惹きつけられて。そんな衛宮先輩に憧れて。こんな風に射をしたいって思ったんです」
「そっか。それは素直に嬉しいな。でも入ったらその俺が辞めてたんだもんな。悪いことした。気づいたのは入った後か?」
「ええ、美綴先輩から聞きました。部活に入ってしばらく経っても衛宮先輩を見かけなくて美綴先輩に聞いたらあの見学の少し後に辞めたって聞かされて」
アハハハと苦笑する彼は肩を竦めた。
「……正直ですね、慎二先輩がオレ大っ嫌いです。実は知ってるんです。衛宮先輩が辞めた理由も慎二先輩だって」
「む、それは違う。肩に焼け跡がついて見栄えが悪くなったとかバイトが忙しくなったとか、別に慎二のせいってわけじゃない」
事実、あれは別に慎二に追い出されたわけではない。焼け跡が見栄えが悪いというのも事実だし、バイトが忙しくなってたので止めるにはちょうどいい機会だった。藤ねぇは不服そうではあったが衛宮家のことはちゃんとわかっていたので納得してくれた。もし俺の退部は何のせいかと問われれば、それはどう考えてもバイトで火傷を負った俺の責任だ。
「優しいんですね、衛宮先輩。その……部活を辞めて悔しいとかないんですか?」
「悔しい……か」
そんなこと考えたこともなかった。
改めて考えてみると弓道に未練があるかどうかと考えると、正直ある。部活に入ったら三年間やり通そうと考えて入ったし、矢を放つのは好きだった。そう考えると三年間やりきれなくて悔しい……いや。
「悔しいとか、そんなんじゃないんだと思う。残念だなとは考えるけど」
「……凄いですね先輩。オレはそんな簡単に割り切れませんでした」
「割り切れるっていうか、立場がだいぶ違うからな、俺たち。南谷くんは慎二に追い出されたって言っても過言じゃないだろうし。やっぱり慎二憎んでるのか?」
「いえ、自分が思っていたよりは。どちらかといえば……オレ自身に腹を立ててます。あのときに見返せるぐらいの実力を発揮できなかった自分に。昔から緊張すると集中が途切れちゃって。弱いんです、人の期待とか人の視線とかに」
こんな自分が本当に嫌になります、と南谷くんは床に視線を向けた。美綴の評価では弓道はとても上手いと言っていたが、なるほど慎二にからかわれたのはそんな部分だったのかもしれない。女子という集団の視線を向けさせて集中を邪魔して、失敗するところを笑った。そんなところだろう。
「弓道、辞めるのか?」
「いえ、近くに道場があるのでそれに入ろうと思ってます。……逃げてるだけって自分でもわかってるんですけどね」
ふと、南谷くんは視線を窓へ向けた。そこには蒔寺が息をぜぇぜぇ言わせている後輩達の背を容赦なくタッチしていた。一気に五人抜き。大会とかならば大喝采間違いないだろう。
そんな部活の姿を見て寂しげの表情を見せる南谷くん。その顔には初めて見たときにあった太陽のような笑顔はなかった。
腹がたった。
「——————ろう」
「え?」
「慎二に見返してやろう」
「———は」
南谷くんは目を丸くしていた。
何を言っているのかと、意味がわからないと表情が驚愕に満ちていた。
「慎二と勝負するんだ。勿論弓道で。それで慎二を、皆を見返してやろう」
「む、無理ですよ。確かに慎二先輩は嫌いですけど弓は確かに上手いんです! 始めてまだ一年も経ってないオレには、」
「悔しかったんだろ?」
「え」
「慎二に笑い者にされて、女子にも笑われて、部員にも恥を知られて。自分の実力はこんなんじゃない。でもそれを見せつけられない。だから悔しかった」
今語った殆どは俺の勝手な想像に過ぎない。まあ、南谷くんの反応を見ると間違えではなかったのだろう。
「で、でも」
「大丈夫だ。俺も助ける。部活辞めて結構経つから役に立つかは微妙だけど。……どうする?」
「オ、レは…………」
人は臆病な生き物だ。逃げるという選択は人間誰しも持ち合わせていて、多くの人がその選択をすることが多い。立ち向かうなんて難しいことだ。立ち上がれなんて口先では簡単でも行動するのは簡単じゃない。
翠色の瞳が小刻みに揺れる。
悔しい、が慎二に笑い者にされたことがトラウマとして心を押しつぶす。でも、もし負けたら、もしまた笑い者されたら。ならいっそ、逃げて楽に。
恐らくそんな考えを彼の頭の中を駆け回っているのだろう。
決めるのは彼だ。押し付けるのはいけない。静かに返答を待ち、窓に視線を向けた。
暫くして、暗い表情で彼はゆっくりと口を開いた。
「オレは緊張に弱いです」
「ああ」
「だからまた緊張して負けるかもしれません」
「ああ」
「先輩に迷惑かけるかもしれません」
「ああ」
声が震えていた。負けるかもしれない。自分のせいで迷惑をかけるかもしれない。そんな気遣いが出来る子が我慢する必要はない。悔しいなら悔しいと。助けて欲しいなら助けてと。ただ、そういえば良い。
「それでも、いいんですか?」
「後輩が困ってるんだ。先輩が助けないでどうする」
彼は一瞬驚いたような顔をして、破顔した。
「なんだよ、人が大真面目に話しているのに」
「いえ、ただ、やっぱり先輩はオレの憧れだなって」
少年のような顔に太陽のような笑顔がまた火を灯す。そうだ、これが本来の彼の笑顔だった。
彼の目は迷いはなかった。決意したのだろう、逃げることをやめると。翠色の瞳は心強いまでにまっすぐこちらを射抜いている。
彼はまるで矢のようで、どこまで飛ぶのかと、窓の外のオレンジに染まる空を見つめた。