僅か数時間前までは平和だった一つの街。
三六五日毎日が平穏無事であり、人の死因など老衰か病死しかない次元。果たして誰が名づけたのか、『日常次元』と言う通称は、これ以上もなくこの次元を象徴している。
そんな平和を具現化したような次元が今、灼熱の炎に包まれていた。猛る炎が街を蹂躙し、黒煙が空を埋め尽くす。
そのような蛮行をこの次元の人間が行ったのか、答えは否。
「狩れぇっ、狩り尽くせぇっ! こんな間違った次元は根絶やしにしろぉっ!」
指示を下すのは、黒衣の軍服を纏った少年。その瞳は狂気に燃え上がり、この街を襲う業火にも引けを取らない。
彼が指示を飛ばした先にいるのは、同じような軍服と闇の仮面を彷彿とさせるデザインの仮面を被っていた。皆に共通する事として、彼にもその兵隊にも左腕には鋭角的なデザインの
「了解っ!」
彼らは口々に声を張り上げ、手に持つカードを決闘盤にセットした。すると、彼らの前面に多種多様な古代の機械が軋みを上げて姿を表す。
デュエルモンスターズ。
最低四〇枚のカードでデッキを組み上げ、先に複数ある勝利条件を満たした方が勝者という一見シンプルなゲーム。しかし、四〇枚ものカードからなるデッキに勝利への道筋を作り、更には相手からの妨害を回避して勝利するというのは、想像以上に困難な事である。
このゲームは日常次元にも流行しているものであり、現に兵隊から逃げ惑う市民の腕にも立体映像を投射する決闘盤が装着されていた。
しかし、その勝利条件とはまかり間違っても相手を消滅させる事ではない。
「やれ、
歯車が稼動して砲台の照準が巨大なビルへと向けられる。そして大砲の口が火球を放ち、一撃でビルに巨大な穴を開けた。
本来立体映像はどこまでいった所で立体映像、現実の何かへ干渉する事など不可能である。いや、不可能であるはずだった。
「ハハハ、
だが今街に召喚された機械群は、人々を襲い悲鳴を量産していた。獣が人を噛み砕き、騎士の槍が人を傷つける。
やられた人達は光の粒子となりて消滅していく。皮肉な事に、この残虐な行いの中で光が天へと舞い上がる様はどこか美しさも感じられる。
「忌々しい次元だっ……!」
だが少年は曇天の空へ浮かぶ光には目もくれず、己も前線へと向かうために足を進めた。
「ん?」
「貴様らぁっ! 何が目的だっ、何故俺達を襲うっ?」
少年の進路方向を遮るように一人の男が路地裏から姿を表した。その左腕には、臨戦体勢の決闘盤が。
「英雄気取りか、負け犬風情がよぉっ!」
烈火の如き憤怒をむき出しにして少年は男を、日常次元を視界に捉える。
その尋常ならざる殺気は、平和そのものであった日常次元においてあまりにも異質なものだ。それに怯え、男は一歩後ずさる。
それが少年の怒りの火に一層油を注いでいく。
「戦う覚悟さえ持たぬ愚者がぁっ! マシンナーズ・フォートレスッ、消し飛ばせぇっ!」
少年が行使したのは、古代の機械とは違う鮮やかな青で塗装された戦車であった。
砲撃も火薬を用いたものではなく、最新と思える粒子砲ではある。尤も、どちらにせよ人一人に致命傷を与えるには十分過ぎる代物だが。
男の居た地点を中心とした爆風は、少年のくすんだ白髪を揺らす。天へと舞い上がったのは、光の粒子と男のものと思われる複数のカード。
「くっ、戦う術すら知らぬ分際で……!」
少年は吐き捨て、未だ衰えぬ怒りをぶつける対象を求めて砲身を稼動させた。
これは価値観の違いがもたらした結果である。
元来デュエルモンスターズを誰もが楽しめるショーとして発展させた次元が、戦いの武具として発展させた次元に勝てる道理などある訳がない。
「……そこかっ!」
少年は突然駆け出し、その後ろに戦車が随伴する。路地裏を大幅に上回る巨体なフォートレスは、左右の壁を馬力で破砕しながら少年の後を追う。
アスファルトを抉りながら進行するフォートレスが止まったのは、足を止めた少年に追いついた時だ。
「そんなところに隠れていたかっ……!」
「来、来るなぁっ!」
「兄さんっ!」
少年の眼前にいたのは、一組の兄弟。兄が座り込んでいる弟を庇うように両腕を広げて盾となっている。
だがその表情には恐怖がありありと伺え、少年には障子紙程度にも脅威には感じない。
「負け犬同士、あの世であいつらに詫び続けていろっ!」
少年の言葉と共に、背後に控えるフォートレスが砲身を兄弟へと向ける。
如何に戦争であろうとも、守るべき最低限の縛りはある。それがなければもはや戦いは、際限なき流血の連鎖しか生み出さないからだ。子供を狙う事はもちろん、そもそもとして無辜の市民へ砲を向ける事自体が禁止されている。
しかし、少年もその兵隊も誰一人として縛りを守るつもりはない。市民を傷つけるし、例え子供であろうとも容赦はない。
故にフォートレスの左側に備えつけられた砲は主の指示の元、限界まで充電された粒子砲を解き放った。
「ひっ……!」
兄は思わず目を閉じ、顔を飛来するエネルギーの放流から背けた。それでも足が弟を置いて逃げ出すような醜態は晒さない。これは兄としての最後の意地か。
しかし、いつまで経っても続くべき衝撃と熱気は訪れない。不審に思った兄が目をあけると、そこには熱線から二人を庇う二振りの刃を持つ戦士がいた。
「ここは俺が抑える、君達は早く逃げろっ!」
「え、でも……!」
青の輝きを放つ戦士と兄の間に立つのは、右腕を包帯に包んだ痛々しい姿の少年。左腕に装着している決闘盤も、激戦を潜り抜けたかのように傷だらけである。
少年がその場に留まったままの兄弟へと顔を向けた。その顔の右頬から下には皮膚がなく、赤い筋繊維が丸出しになっており、何らかの悲劇に見回れた事は想像に難くない。
「急げっ、そこまで長くは持たないぞっ!」
少年の言葉に説得力を与えるように、戦士から短い呻き声が聞こえる。
兄の浚巡は一瞬。短く頭を下げると、未だ座り込んでいる弟の腕を引っ張り後ろへ駆け出した。
「いい子だ……」
少年は呟き、兄弟が曲がり角を曲がって姿を確認出来なくなるまで眺める。そして、熱線に覆われた正面へと視線を戻した。
「ホープ・ルーツ! もう気にする事はないぞ!」
その声をどれ程待ち望んでいたのか。戦士、ホープ・ルーツは正面でクロスしていた剣を振り抜き、凄まじい風圧を巻き起こして粒子砲の一撃を防ぎ切った。
時間にして数十秒。黒衣の少年と包帯の少年、二人の視線が交差する。
「おぉ、来てくれたのか。
黒衣の少年の声は先程までとは一転、極めて親しげである。
「……」
遊野と呼ばれた包帯の少年は無言、少年の言葉に何か反応を示す様子はない。それでもなお、彼はフレンドリーに話を進める。
「遊野も来るよなぁ、そりゃよぉ。むしろ、お前の方が指揮取りたかったんじゃあねぇのか。まぁなんでもいいさ、お前がいるなら百人力よ。一緒にここの負け犬共を……」
「もうやめよう、ヴィク……」
遊野は黒衣の少年の言葉を遮るように呟く。その声色は悲しげで、実際に遊野は今の惨状を悲しんでいる。
その理由が、ヴィクと呼ばれた少年には全く分からない。
「やめる? あんだよ、もっと効率がいい方法知ってんのかよ遊野。だったら教えてくれよ」
「そうじゃないっ!」
遊野はヴィクの言葉を強く否定する。静寂の中、街を焼く業火の音だけが二人の間に流れていく。
「こんな一方的な戦い……何の意味もないじゃないかっ!」
切実な遊野の叫び。
そこに込められた願いは、この無意味な争いの終結。
「……なるほど」
だがそれを正しく理解する事を、ヴィクには期待出来ない。
「お前はまだ目を覚まして大して経ってないからな、混乱してるんだろ。安心して病院で休んでろ」
ヴィクが足を進めて、遊野へ近づく。そして二人が交差する瞬間、第三者が聞こうものなら底冷えする声をヴィクは発した。
「俺がこんな次元、焼き払ってやるからよ」
「ヴィクッ!」
反射で遊野は振り返り、ヴィクの右肩を掴む。これ以上、その両手が汚れぬように。
だがしかしヴィクはその手を乱暴に払うと、先程までの怒りに囚われた表情へと変貌した。
「黙れ遊野っ。何もしないんだったら引っ込んでろっ! 俺はやるぞ。こんな腑抜けた次元、お前の力がなかろうとも……!」
「違うっ! 俺達が戦うべき本当の敵は彼らじゃないんだ!」
「そんな事は知らねぇっ。
ヴィクの憤怒を代弁するかの如く、街が大きく揺れた。
遊野が思わず態勢を崩すのを尻目に、ヴィクはマシンナーズ・フォートレスを再度召喚。スペースがある右側に乗ると無限軌道が高速稼動。外壁をメチャクチャに破壊しながら兄弟の後を追った。
「やめろヴィク! くっ、ホープ・ルーツッ。俺を運んでくれっ!」
青く発光する戦士は片手で遊野を掴むと、背中にある金色の翼をはためかせビルを越えて天へと踊り出る。
空から街は、まさしく地獄絵図であった。
右を見ても左を見ても前を見ても後ろを見ても、どこもかしこも古代の機械が絶望的戦力差を持って市民を圧倒して殲滅して蹂躙している。
「いたっ。あそこだ、ホープ・ルーツッ!」
遊野が指差す先、そこには土埃が上げて突撃する鮮やかな青の戦車とそれに乗る黒衣の軍服を纏った少年がいた。
ホープ・ルーツは主の命に従い、神速の風となりてヴィクの元へと向かう。
「ヴィクッ、やめろぉぉぉっっっ!!!」
「な、遊野っ……!」
決死の覚悟でヴィクへとダイブ。衝突したヴィクもろとも、フォートレスから落下して地面を滑った。ホープ・ルーツはフォートレスの前に立ちはだかり、正面から対峙する。
遊野を乱暴に払い除け、ヴィクは立ち上がる。その眼光は、病的な程に鋭い。
「何故邪魔をする遊野っ! お前は憎くないのかっ。黒弾と明日葉を奪い、お前にそんな傷を与えたこの次元がっ!」
「違うんだヴィクッ。あの事故とこの次元は関係ない、誰かの陰謀なんだっ!」
「誰かが自力で次元の狭間へ攻撃したってのかっ? ふざけるな、そっちの方がよっぽど信用出来ねぇよっ!」
二人の会話は平行線、決して交わる事はない。
それを知ってか、はたまた偶然か、ヴィクの決闘盤に通信が入る。
『ヴィクティム様、都市部の制圧は完了しました。これより臨時拠点の作成に入ります』
「了解した、余った戦力は残党狩りをしていろ」
「ヴィクッ!」
通信が切れる。そして、ヴィクの視線は再び遊野へ。
その眼差しは、この次元を見ている時と同一の、狂気に燃え上がったものであった。
「お前にこんな手は取りたくなかったよ……」
彼の呟きはどこか悲しげで、これから散る者への鎮魂の意思が込められている。
そして遊野から距離を取り、決闘盤をはめた腕を伸ばす。この動作が意味する事を遊野は即座に判断した。
「やめろヴィクッ、これ以上の戦いは無意味だっ!」
「黙れぇ! 俺は殲滅する、黒弾と明日葉を奪った日常次元を!! 完膚なきまでにっ!!!」
「そんな事をしても何も変わらないっ! 誰も、そんな事は……!」
「うるさいっ! ならばこれは俺の復讐だっ。黒弾と明日葉、何も思えなくなったあいつらの代わりのなぁっ!!!」
「もうこうするしかないのかヴィクッ……! 俺は、お前を……!」
「何もしたくないのなら、病院にすっこんでろ病み上がりがぁっ!!!」
ヴィクの過激な言葉を前に、遊野はついに覚悟を決めた。
遊野は一度を閉じ、己の中にあるものを確かめる。
脳裏を過るのは、不幸面の少年と鮮やかな緋の髪を伸ばした少女。二人とも、遊野の思い出の中では変わる事なく笑顔を携えている。
黒弾、明日葉、そうだよな。
遊野は目を開く。その瞳に、迷いはない。
「だったら俺はお前を止める。例え力ずくだろうとも、この決闘でっ!!!」
「やってみろよ、俺を倒せるっつうんならよぉっ!!!」
お互いに背後のモンスターを消滅させ、オートでシャッフルされたデッキから五枚のカードをドロー。遊野の腕にはめられた比較的オードソックスなタイプの決闘盤と、ヴィクの腕にはめられた鋭角的なデザインの決闘盤が同時に初期ライフである4000を表示する。
準備は万端。残るは宣言のみ。
「
両者は全く同時に、開戦を宣言した。