奉仕部にて
半年と少し前、ひょんなことから参加するようになった部活動――奉仕部。
在校生への一切の紹介が行われず、聞く人が聞けばいかがわしいように感じる名のその部は、現在二年生三名によって構成され、顧問教諭の独断と勢い、部員の自主性によってまことしやかに運営されている。
活動内容はいたって単純。持つ者が持たざる者に慈悲の心をもって手を差し伸べ、腹を空かせた奴に食料の獲得法を教示する。要約すると、お悩み相談室――のようなものである。あれ、まとまってない……?
そんな奉仕部だが、実はついこの間――といっても年を跨いで遡ってしまうのだが――まであわや部崩壊の危機に瀕していた。理由は部員の不仲である。や、まぁ、不仲というかすれ違いというか。だいたいそんな感じではあるが、なにか違うような……、まぁ、いいか。
が、瀕していた、というように今ではすでに過去のことで、現在をもって精力的に活動中だ。つっても、顧問である平塚先生に絆された依頼人がやってくるまでは、部室である特別棟三階最奥のこの空き教室にて、終業から部活終了までの暇を本を読むなどして過ごすしかすることがないが。
さて、本当ならもう少し騒がしいはずのこの部室は、ここ数日俺一人が独占していた。
同じく部員である他二名――雪ノ下雪乃と由比々浜結衣が最近二人でこそこそとなんぞやっているからである。
そのせいか、いつもなら居心地のいいこの部室もなんだか落ち着かず、こうしてなんやかんや気が散っている。本を読もうにも日頃BGMにしている由比ヶ浜が楽しそうにはしゃぐ声がないと、なんとなく落ち着かない。また、この部の中心的な立ち位置――まぁ、部長だし。名目上――にいる雪ノ下がいないこともその理由の一つだろうと思う。
「はぁ……」
日常こぼすものよりかいくらか湿り気のあるため息をつき、少し気分を変えようと、インスタントのコーヒーを用意する。
我が部の唯一の備品である電気ポットで湯を沸かし、俺専用である湯呑み――デスティニーランドの看板マスコットがイラストされてある。先日のクリスマスに雪ノ下と由比ヶ浜からプレゼントされたものだ――に粉コーヒーを適量入れる。そこに湯を注ぐと、シュガースティックを数本一気にぶちこむ。最近糖尿病が割りと恐ろしかったりするのだが、まぁ、そんな程度でこれはやめられない。人生苦いことだらけなのだから、コーヒーくらい甘めがいいというのが俺の持論なのだ。
淹れたばかりのコーヒー片手に窓際まで歩くと、すでに傾いている太陽とそれに照らされる裸の植木になんともいえず見惚れながら、湯呑みを傾けて中身を少し煽る。
すると、俺以外に誰もいない部室に気が緩みすぎていたのか、普段なら自室か小町の前でくらいしか吐かない心からの弱音のようなものがふと口をついて出てしまった。
「会いてぇな……」
言わずもがな、誰かは決まっている。
理解し合えずとも、受け入れ、和解してくれたあいつら。俺が求め続ける「本物」足り得るあいつら。この半年と少しを共に共感し合える雪ノ下と由比ヶ浜。俺が守りたいと願うものたち。
…………、俺もずいぶんと絆されたものだと思う。奉仕部に入る前の俺が見たら、歯をむいて唸られるまである。
いつの間にやら温くなっていた残りのコーヒーを一息に煽ると、俺は、今日の部活はここらへんで打ち切ることにした。こういう日は、さっさと帰ってだらだらするのが吉である。
そう思い振り返った俺は、なんというか、固まった。
「誰に、会いたいのかしら……?」
本日も休みだと思っていた件の部長――雪ノ下雪乃その人が、そこに立っていたからだ。
「雪ノ、下……。……、お前、今日休みじゃなかったのかよ」
いきなりの登場に若干どもりつつもなんとか言い切る。
「別に、そんな連絡をした覚えはないけれど」
「あー、そう。……、じゃあ、由比ヶ浜は?」
「由比ヶ浜さんなら、今日は来ないわよ」
「そうなのか」
「ええ」
誤魔化せた……、っぽい?
と内心冷や汗を間欠泉ばりに噴き出しながら、ぎこちない動作で湯呑みを片す。
「で、さっきの会いたい、とは誰に対してのものなのかしら。その腐った目でどこのどなたに会いに行くのかは、私の与り知らぬところではあるけれど、やはりなんらかの被害が出てからでは遅いと思うの」
ぜんっぜん誤魔化せてないじゃないですかやだー。って、それどころじゃない罵倒がやばい。なにがやばいって、もうマジやばい。
……、や、よく考えてたらいつものことでした。つまり、もーまんたいですね。
まぁ、そんなことより、さっきのをとうの本人に聞かせるのは、ちょっとごめんこうむりたい。というわけで、俺はさっそく切り札を切ることにした。
「あ、っべー、マジべーわー。今日はちょっともう帰らないとだわー。じゃあな、雪ノ下。部室の鍵、よろしく」
とりあえずクラスのウザい奴こと戸部の如くやばいを繰り返しながら、悪・即・斬。間違えた。即・退・散。
即行で帰り支度を済ませ、超即行で雪ノ下の傍を通り過ぎ……、れない。
「…………」
「…………」
幾許かの間視線を交差させ、俺の右腕をがっちり捕まえている雪ノ下の顔を腕を交互に見やる。
「雪ノ下、手間だろうが、その……、手を放してくれないか」
「却下ね。さ、きびきび白状なさい」
あれ、なんか、雪ノ下ってここまで絡んでくるやつだったけか。もっと、こう、冷めた感じで線引きがかなりはっきりしたやつだったと思うんだけど……。
……、わかった。わかったから、そのなんともいえない微笑みをやめてもらえませんかね、雪ノ下さん。
どうにも勘弁ができないらしい雪ノ下に根負けし、いつものように長机の両端に置かれた椅子に腰掛ける。
窓から差す斜陽が雪ノ下の背と俺の右半身を照らす中、どうやって会話の糸口を掴んだものかとやや思案する。さらにいうならば、外界と隔たれた空間に雪ノ下と二人だけという状況に少なからず動揺すらしている。
「お茶でも淹れましょうか。比企谷くん」
「お、おう……。頼む」
なんとなくだが、今ので無駄に張っていた緊張の糸が解れたような気がした。
……、まぁ、別に聞かれたところでなんら問題はない。……、はずだ。うん、そうだ。日頃の感謝を伝える感じでさらっと、な。それで万事解決だよ。俺は家路に向かえて、雪ノ下は疑問が氷解する。なんだ、Win-Winじゃねぇか。
「その、な、雪ノ下。最近部活に来てなかったろ」
「そうね。由比ヶ浜さんと二人で、ちょっと立て込んでいたから」
「それでな、たった数日だろうが、無性にお前に会いたくなってな」
あ、それと由比ヶ浜もな。
「…………」
「まぁ、なんだ……、そういうこった」
「…………」
な、なんだろう、この無言は。俯いて、肩震わせて……、って、なななな、なんぞ怒っていらっしゃる!?
やべぇ、頭の中でさえどもるとか俺やべぇ。マジかっこ悪い。……、でも、怒るとマジ怖いんだよ、雪ノ下。
「そ、そういうこと……」
と、か細い声を出した雪ノ下は頬だけでなく耳までもを赤く染め上げており、顔にかかる髪をかきあげたり、視線を無駄に四方八方に飛ばしたり、やや挙動不審さが目立つもののどうやら別段を気分を害したというわけではないようで、まず一安心する。
「あ、ああ。そうなんだよ……」
というか、である。なんなのだろうか、このはにかむような反応は。もしかしなくても照れていたりしちゃったりするのだろうか。
いや、待て待て。今のどこに照れる要素があったのだろうか。ただ仲のいいゆ、友人の顔をしばらくぶりに拝みたいと……、ああ、いや、言い方が悪かったか……。
……、まぁ、別にあながち間違いというわけでもなかったりするのだが。
「チョコ、か……」
「ええ。まぁ、一日早いけれどね」
「だな」
そういえば、今日は二月の十三日。バレンタインデーの前日だった。
蚊帳の外どころか蚊帳に辿りつくまでに蚊取り線香で落ちてしまっていたので、すっかり忘れていた。
もしやここ数日の空席はこれのためか。いやいや、だとしたらどんだけ凝ってんだよ。気合入ってんなぁ。
「それで、受け取ってもらえるかしら?」
「ああ、まぁ……」
せめて義理だとかなんとかいってもらえませんかね、雪ノ下さんや。うっかり受け取って、本命だった場合、俺は一体全体どういった反応をしていいものやら。普通に嬉しすぎて、超キョドった末にもんどりうって悶えまくって心臓破裂させてひかれるまであるぞ。
「その……、あの、ね、比企谷くん……」
「っ……、んだよ……」
互いに顔を真っ赤にしながら、綺麗に包装された包みが雪ノ下から俺に渡る直前。雪ノ下はさらに顔の血色をよくして、かすれた声を出した。それから、彼女は上目遣いに俺を見やると、やや潤んだ瞳で不安げにこういうのだ。
「今日はバレンタインでは、ないけれど……。このチョコに含まれている私の想いは、その……、本気のそれだから……。……、受け取るのなら、相応の覚悟をしてちょうだい」
…………。
ああ……、やばい。超キョドった末にもんどりうって悶えまくって心臓破裂させちゃいそう……。
この雪ノ下は、正直反則だと思うのは俺だけでしょうか。