天(そら)別つ風   作:Ventisca

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今章としては、どれだけ人類が深海棲艦に無力かということをテーマにしています。
アニメも見ての通り、深海棲艦は潜れます。
大きさもアニメを参考に、イ級駆逐艦はだいたい4~5m程だと思ってます。
敵編成に関しては、艦これ一面のボスの1軽巡3駆の編成を参考にしてます。


後編/第弐章 烈焔の海へ

 相変わらずの耳障りな機関音のせいで、『天津風』は予定より早く眼が覚める。

若干の苛立ちを抑えながら、昨日の朝と同じような肌寒さを予想し、外套を羽織っ

て船室から廊下へ、廊下から最上甲板へ顔を出した。

 「やあ、おはよう天津風」

甲板に出るとすぐ横に提督がいたが、『天津風』はそれどころではなかった。

 「ちょっと、今どこなの!?」

あまりの暑さに『天津風』は外套を脱ぎ捨てた。

 「えっと、北緯十八度、東経百十度あたりだよ」

手持ちの海図を見ながら平然と答えたが、『天津風』は苛立ちを露とした。

 「そんな事言われて分かるわけないでしょ!!、今どこら辺なの!?」

提督は少し機嫌が良い様子で、海図を見せた。

 「ほら、ここら辺だよ。寄港地から約一時間南下した所だ」

納得の暑さに、『天津風』はただ項垂れるだけだった。

すぐに風通しの良いブリッジの一番上へあがったが、今は後方からの北風なので、

風はほぼ無いに等しい。

 「まだ四月だってのに、ちょっと南下しただけでこの暑さなの」

昨日と同じように、ブリッジ後方煙突裏の高角砲座の手摺に腰掛けた。

本土にいた時の肌寒さが嘘の様に、蒸し暑さが船上を歪ませる。

 「時期に進路は変わる、そのうち涼しくなるさ」

提督もまたブリッジに上がり、操舵室への行き座間、『天津風』に声をかけた。

 「ちょっとまって、神通はどこ?」

 「君の旗艦ならずっと船首に居るよ」

提督は質問に答えると、操舵室の影へ消えた。

昨日と変わらないのは、ただ暇なだけで、右に陸が薄く見える程度で面白みの無い

航海が続いていた。

額に浮かぶ汗を拭い、『天津風』は船首にいるはずの『神通』のところへ向った。

ジブクレーンの脇を抜け、誰一人とすれ違わず『神通』のところへたどり着く。

といっても、彼女のところへ来ようと話す事など特になく、ただ顔見知りが『神通』

ぐらいしか居ないからだ。

『神通』も隣に来た『天津風』をあまり気にせずそのまま前方を眺めている。

前方は、煙を上げて全速航行する駆逐艇が綺麗に半円状に広がっている。

ブリッジ後方から警笛が鳴り、船が右に傾き始めた。

メインマストにI(インディア)の信号旗が掲げられ、進路が左に転進されたことを

護衛の駆逐艇に知らせている。

同時にブリッジが慌しくなる。

今まで右に見えていた陸地は後方へと姿を消し、陸地から艦隊が離れていく事が分

かる。

陸地が見えなくなる事に『天津風』は根拠の無い不安を覚えた。

自らも艦娘(ふね)であるが、もしこの船が沈んだ時にはいきなり戦闘海域に投げ出

されるため、未だ実戦経験のない彼女にとっては想像もしたくない事態となる。

再びの警笛とともに、掲げられた旗が交換された。

マストにはN(ノヴェンバー)とE(エコー)、4数旗が変わりに掲げられた。

これは『天津風』が最も見慣れた信号旗で、もっとも苦手な信号旗でもある。

号笛(サイドパイプ)の合図で乗員が一斉に甲板に駆け出してくる。

頃合を見計らって『神通』は提督の居るブリッジへ退避した。

『天津風』も、乗員を掻き分け『神通』に続く。

二人がブリッジ上に上がり切らないうちに、後方では空砲による射撃訓練が始まっ

ていた。

周りの駆逐艇からも発砲音が響いていたが、音は大して大きくはない。

射撃訓練といっても、砲が正しく作動するかを確かめるだけの試射なので、一発か

二発撃っただけですぐ終了した。

甲板に転がった空薬莢は海に廃棄され、砲身と稼動部の点検がされる。

今日は陸地を離れ、真っ直ぐに目的地へ海を突っ切る形になる。

周囲五十海里以内に陸は全く無い上に、真昼の移動も会敵の可能性も高まる要因と

なる。

大陸から南方司令部のある港までは直線約二百海里もあり、丸一日の遠洋航海とな

るため、会敵は必至だ。

もし深海棲艦を先に発見するか、もしくは発見された場合は逃げるしかない。

敵の砲は、単純に海軍艦艇のものより精度も射程も優れている上に、相手は一般艦

艇ではないため、通常攻撃はほぼ無効である。

 「全艦増速、水上警戒を厳とせよ」

無線による通達により、護衛の駆逐艇はそり大きな円を作った。

一番近い駆逐艇までは2キロあり、目視ではほぼ点にしか見えない。

 「艦増速、主機全力運転」

提督は、乗船する士官の最高階級保持者として陣頭指揮を執っているが、勿論本職

ではない。

速度で後方へと輸送船が傾くが、そんなことはお構いないしに最高速度の35ノット

まで増速し続けた。

 真南へと進路を取り、南方司令部施設のある『新』島へと向う。

『新』島は大陸以外で最も大きな“島”であり、ここに極南方面基地の四つ全ての

司令部がある。

この島までは、大陸伝いでは逆に時間が掛かり非効率的なため『SS』島での補給

後はそのまま真っ直ぐ『新』島へ向う進路がもっとも良いとされている。

 「だが安全じゃない」

提督はこのような説明をしたが、勿論『天津風』が納得するわけがなかった。

 「馬鹿じゃないの?」

『天津風』は真正面から食って掛かった。

 「陸伝いでも、真っ直ぐでも、会敵する確立は変わらないんだ。それに、もっと

も優良な策は、この海を早く抜けることだろ?」

自信満々に提督は力説したが、顔は全く笑っていなかった。

 「一応聞くけど、提督は何回この航路を使って、そのうち何回死にかけたの?」

提督は血相を変えずに冷静に答えた。

 「十回往復したが、そのうち四回は深海棲艦を発見もしくは発見された。何れも

交戦こそしなかったが、生きてる心地がしなかったね」

『天津風』は、唖然という言葉を絵に書いたような顔をした。

いつもは涼しい顔をしている『神通』も、初耳の事実に思わず表情を崩す。

自分が戦うなら未だしも、一般艦艇が自分の代わりに戦うなど結果は言わずもがな

である。

 「提督、もし敵に先に発見されたら、どうなさるおつもりですか」

『神通』が、ブリッジの端に立っている提督に歩み寄る、そして何故か『天津風』

は提督のすぐ後ろに立った。

 「逃げるしかないね」

 「なにさらっと言ってるのよ?」

冗談のような回答に、『天津風』は静かなブリッジで声を張り上げた。

「今までもそうして生き残った、戦死なんてまっぴらだよ」

 「そういうことじゃなくて、逃げようと思って逃げれるものなの?」

『天津風』は、軍人として戦おうとしなかった提督を攻めるつもりは全く無いのだ

が、そうさらっと“逃げる”という単語が口から出てくるとは思わなかった。

 「未だに深海棲艦と対等に亘り合った人類は居ないのよ、天津風。そうなると戦

闘はもっとも愚かな行為になってしまいます。だからこそ私達が居るのよ」

事の粗筋を要約し、『神通』は『天津風』に理解を促す。

しかし、こればかりは『天津風』の理解に関係なく普遍の事実である。

それよりも『天津風』本人に気懸りだったのは、人類が想像以上に劣勢に立たされ

ているという事である。

深海棲艦との戦闘における人類の艦娘への依存はほぼ100%、つまり人類単体での敵

への抵抗力は皆無という事を、彼女はここではっきりと知る事となった。

人類への絶望というよりも、一種の呆れというものだが、『天津風』はこんな状況

にすら馴染んでしまっている人類を甚だ如何かと思った。

 「もういいわよ、それもこれも、もし深海棲艦とこの場で会敵した場合の話でし

ょう?なら遭わなきゃいいだけの事よ」

深く溜息を搗き、諦めの色を表した。

 「まったくその通りだ」

提督も、自分達の無力さを隠すかのように、それ以上の発言を控えた。

 「それはそうと、時津風は今はどこにいるの」

『天津風』が全く違う質問を提督に投げ掛けた。

提督も一瞬緊迫感が解かれたように表情を緩めた。

 「君の妹は多分まだ南方司令部にいると思うよ、我々の到着までなるべく移動し

ないようにとあちらさんには伝えてあるから」

 「なら良いわ、早く時津風に会いたいし、それなら手っ取り早いわね」

本日唯一の朗報に、『天津風』は微笑んだ。

 待ち遠しいと言わんばかりに、『天津風』はその長くスラリとした長い足を交差

させ壁に寄りかかっている。

組んだ腕は一定の間隔で上下を入れ替え、先日とは全く違う時間を過ごしている。

昨日の倍以上の時間を過ごしているような気がして、一分が三十分にも感じる。

ブリッジからの眺めが全く変わらないことも大きく影響し、苛立ちを募らせるばか

りだった。

 やっとの事で正午を迎えたが、実際はまだ先ほどから四時間と経っていないが、

当の本人は一日経過したよりも長い時間を待った心地でいた。

ブリッジの他の者は、先ほどから表情を全く変えない。

しかし船内の空気は確実に緊迫感を重ねていった。

逃れるべき敵すら見えない中、遭遇にすら脅えて航海を続けるのは苦痛以外の何物

でもない。

 「さあ、やっと半分だ。夕刻までに入港できるようにしようじゃないか」

提督は、順調な航海に全く難色を示さないが、割り切って全く不安が無さそうなわ

けでもない、航路半ばでようやく一息搗ける程度の雰囲気だった。

百海里を約四半日で走破する驚異的な艦隊速度で邁進する輸送艦隊は、未だ休息を

取っていない。

正午を大分過ぎたころ、やっと昼食の暇が取られた、適当な携帯食料を口にして、

腹ごしらえをする。

『天津風』は数時間前からずっとビスケットを一枚ずつゆっくりと食べていて、大

した空腹は無かったが、空腹というよりも生存への危機感が増していった。

 刹那、通信機が電気音をさせて稼動した、まるでレンガを引き摺るような軽い粉

砕音が静寂のブリッジを切り裂く。

 「中将閣下、駆逐艇第七号がEncounter(会敵)コールです」

傍らの通信士が、無線暗号を即解して読んだ。

 

 一瞬の沈黙。

 

やがて誰もが唖然とし、状況を飲み込むのに必死だ。

凍りついたようにその場の空気は固まり、災禍と化す。

 「くそっ!!戦闘準備だ!!」

提督は逸早く指示した。

 「第七号艇は本船より方位二七〇度、左舷警戒攻撃準備!!」

ブリッジも混沌へと変貌し、指示が飛び交い、皆慌しく動く。

 「ちょっと、早く逃げなさいよ!!」

『天津風』はたまらず提督へ駆け寄る。

 「逃げれるもんならとっくに逃げてるさ」

薄ら笑いを浮かべ、提督は自己を奮い立たせる、もっとも提督ですら現状整理でき

ていない。

会敵、つまり敵と真向の鉢合わせという事、そのうえ先制見敵ではないため敵にこ

の艦隊の存在がばれていると考えるのが自然である。

 「敵深海棲艦の戦力は」

提督は通信士に問い詰める。

 「敵は軽巡1と駆逐3を確認、近海のピケット(警戒)艦隊と識別」

その報告とほぼ同時に、ブリッジから見て真左で火柱と黒煙が噴き上がる。

三秒ほどで、体の芯まで響く轟音が到達した。

 「第三号艇より、第七号艇戦列より落伍」

ブリッジにいる全員の顔から一気に血の気が失せた。

 「輪形陣を縮めて駆逐艇を密集させろ、数で有利なうちに叩け!!」

提督は通信士と操舵士をブリッジに残し、ラッタルを駆け上がりブリッジの屋根へ

上る。

『神通』は状況を判断するや否や『天津風』の手を引いて無理矢理にでも後方デッ

キへと連れ出した。

船上建造物で最も大きなブリッジは被弾しやすいため、安全を考慮し『天津風』を

ブリッジから連れ出した。

『天津風』は突然出現した“死の脅威”に恐れを成し全く状況を掴めていない。

辺りは駆逐艇の砲撃音で満たされ、後方には右方向に舵を切る駆逐艇が白波を切り

深海棲艦への攻撃を加える。

『神通』はブリッジの双眼鏡で辺り一帯を見回す、薄っすらと目測3キロ程の所に

攻撃が集中している、恐らくあそこに敵の大半が居るものと推測する。

後方前方の砲塔が動き出し、砲弾が運ばれる。

提督は船内無線で指示を出しているが、この状況での指揮がもっとも難しい。

敵は目視範囲外、位置詳細不明、先手を取られ既に犠牲が出ている、砲撃しように

も的が見えない、今はただ先ほど発見された場所に飽和攻撃をするだけだ。

突如として一番後方の駆逐艇が爆発轟沈した、それは輸送船からも目視可な位置だ

った。

 「後ろだ、後ろに回り込まれているぞ!!」

提督は即座に後方に敵が居ると判断した。

 「後方で第十一号艇撃沈」

これで後方はガラ空きになった、輸送船は完全に敵に姿を晒す最悪の状況となる。

 「後方に制圧射撃!!高射砲も水平射撃、撃てる物は全部撃て!!」

通常空に向って撃つ高射砲でさえも、今は水上の敵へ向けられる。

緩やかな弾道を描き、40ミリの高射砲弾は次々と発射される、さらに後方の14セン

チ砲砲座も火を吹く。

砲塔から空薬莢が投げ出され、甲高い金属を立てて甲板に転がる。

着弾を待たずに次々と砲弾が発射され、もはや攻撃というよりも抵抗に近い。

提督はさらに側面からの“泡の航路”を発見する。

 「後方から雷跡だ、取り舵一杯ー!!」

二本の延びる魚雷の燃焼空気によるら雷跡が、少しづつ迫ってくるが、相対速度は

10ノットしかないので、回避はまだ余裕がある。

 「敵は駆逐艦イ級だ、砲撃は無駄だ、今すぐ止めろ!」

2つの伝声管を交互に使い分け、提督は一人で攻撃操舵の支持を行っているため、か

なり臨機応変に対応できるが、状況はジリ貧だ。

『天津風』は恐る恐るブリッジ裏のデッキから身を乗り出し、船の右舷を通過する

魚雷を見送った。

戦闘開始からまだ十分と経ってないが、護衛の駆逐艇は既に二隻撃沈している、対

して敵は駆逐艦と軽巡洋艦クラスであるため、容易に潜水で砲撃を回避されてしま

うため敵は無損害と状況は最悪だ。

右に左にと舵を切る船に『天津風』は振り回される、状況にも振り回される彼女の

脳裏を埋め尽くすのは混沌と恐怖である。

初めての実戦経験がやられる側というのは、どうも良い心地はしないだろうと『神

通』も思っている。

 「このままじゃ犠牲が増える一方だ。近くに浅瀬や岩礁は無いのか?」

ブリッジに居る航海士に提督が問いかけた。

 「約五海里のところに水深20以下の海域があります!」

ブリッジの窓から体を乗り出し、直接伝えられた。

状況の打開のために、艦隊を浅瀬に退避させることにする。

以前として敵の追撃は激しい、水平線状の霞んだ距離から5インチ砲弾が飛来し、近

接弾のたびに船全体が鈍く振動し、全く生きた心地はしない。

無線により、艦隊は後衛の輪形陣を採り岩礁へと退避する。

 「“敵艦目視、第九号艇”」

最も左舷を着いて来る駆逐艇第九号が近距離で深海棲艦を目視した。

提督が、この状況を察するに、敵は距離5000以内にまで接近してきてる、こちらが

目視されれば瞬く間に海底に叩き落される。

第九号艇は、牽制魚雷を発射し上手く離脱したようだが、旧式の45センチ魚雷では

簡単に回避されてしまうため牽制の意味をあまり成していない。

しかし、唯一状況として好ましいのは、敵が一つにまとまって追撃してきている事

だ、この火力では多方面への分散は只でさえ効果がないのに一層役に立たなくなっ

てしまう。

 「ねえ、大丈夫なんでしょうね!?」

『天津風』はブリッジの上で指揮する提督に叫んだ。

 「こんな所で死ぬ気は毛頭ないね」

提督は何故か顔は笑っていたが、額には汗を滲ませていた。

スリルを味わうというより、危機に慣れ過ぎたかそれとも笑わないと遣り切れない

のか、何れにせよ『天津風』は少し安心した。

 目の前に浅い珊瑚礁帯が見えてきた、はっきりとその部分だけ色が淡く空色に近

い。

一歩間違えばこちらも座礁しかねないが、多少の時間はここで稼げそうである。

 「周辺の艦艇へSOS信号を発信しておけ、運良く巡視艇くらいには引っ掛かって人

だけでも拾ってもらえるかも知れん」

提督は少し興奮した様でブリッジに駆け込んだ。

モールス信号でSOSを全周波数発信する事を試みる。

周囲三十海里は海しかないため、到底反応が返って来るとは思えないが、やるだけ

損はないだろう。

 「被害報告」

伝声管を使って、提督はブリッジに呼び掛ける。

 「駆逐艇、十一および七号艇が落伍、我々の輸送船には損傷は無し。全兵装問題

無し」

輸送船なのに兵装とは如何なものかと、提督は一瞬思ったが、現状この“艦”も立

派な戦闘艦に為り得る。

 「あと数分で岩礁を抜けてしまう。あとは全速力で逃げて、どこかの司令部管轄

海域に入るしかない」

提督は『神通』に『天津風』を船上建造物から離すように言って、ブリッジに戻っ

た。

海面の蒼さが少しずつ深みを増し、岩礁から離れる事を暗示させる。

機関は再び最大出力で運転を始め、煙突から黒い煙を濛々と噴出させる。

『神通』は不安気な『天津風』の手を引いて、一番何も無い船首へ急ぐ。

デッキは空薬莢と弾薬の入っていたであろう木箱が転がり、激しい操舵により彼方

此方に散乱している。

船首の14センチ単装砲は、砲身寿命のため射撃を中止している。

デッキ両端の40ミリ高射機関砲は、左右を警戒し水平線を睨み、いつでも発砲でき

る状態で待機している。

先行する駆逐艇に続き、輸送船が二番手、その後を残りの駆逐艇が後続した。

速度は35ノットの最大出力し、岩礁を抜けた。

 「左舷より雷跡、数6!!」

ブリッジ左の見張が双眼鏡で敵魚雷を発見した。

 「面舵一杯、針路を魚雷と平行にしろ」

舵のハンドルが勢いよく回され、船は二十度以上の傾斜をしながら右へと針路を急

変させて、魚雷に対する回避行動を採る。

冷静且つ確実に提督は自体を収集し処理しているが、状況は変わらず最悪だ。

魚雷はまるで待ち伏せていたかのように艦隊の側面から放たれていたが、敵艦の姿

は左舷にはない。

 「敵は何所だ!」

提督は苛立ちを見せ、周囲を見渡した。

そして突然、輸送船右舷約10メートルの所で弾着した。

炸裂弾は凄まじく、真っ白な水の柱を形成し輸送船を海水で覆った。

 「敵右舷、目測2000!!」

逸早く発見したのは提督だったが、既に兵装は敵が居るであろう方向へ向けられて

いた。

『天津風』は、初めて自分に向けて発砲された砲弾の恐ろしさを知った。

反射的に『神通』は『天津風』を守る体制になったが、すぐに辺りを見渡して状況

の把握を図る。

以前続く近接弾に、『天津風』は着弾する度に肩をびくつかせた、『神通』は以前

動じず近接弾にも全く怯まないが、『天津風』の様子を見て、少し状況を深刻に視

た。

 「しっかりしなさい。大丈夫、私は決して貴女を見殺しになんかしないわ」

仮にも『神通』は最悪の状況を考えていた。

この艦隊が撃沈した場合、長距離航海装備の整っていない現状では、近くの港にす

らたどり着けない可能性がある、その上、まともな装備なしに深海棲艦と戦う事に

なる可能性は大きい。

しかし、その事を心配するよりも、今何も出来ない事に歯痒さを感じる。

 「コール、五号艇撃沈!!」

通信士は依然悪い報告を薙げる、危機は正に迫っている。

 「このままじゃ逃げ切れない、機関の制御装置(リミッター)を外せ、加速しろ!」

提督の指示で、フライホイルがタービンに直結された、この状況では被弾したら一

発で操舵不能になってしまう。

すぐそこに着弾した断片が、鋭く船体を切り裂いていく。

外装はすでに傷着き、ブリッジの窓ガラスも全て割れている。

 「敵艦目視距離」

提督が静かに言った。

その声を聞き、駆逐艇は一斉に敵艦の方向へ突っ込み、輸送船の砲門は全て其方に

向いた。

最悪の状況回避のため、原則に従い駆逐艇を残し輸送船は脱出しようとしている。

 「駆逐艇残り四隻、さあどうする」

自問自答を繰り返すも、その答えは以前でないままである。

このままでは間違いなく海の藻屑になってしまう、そうなる事は彼女等や他の者の

為にも絶対回避せねばならない。

38ノットの形振り構わない逃走にも関わらず、戦線は近づきつつある。

 「一号艇航行不能状態、戦線離脱!!」

残り三隻、ますます後がなくなった。

『天津風』ははっきりと死の恐怖を感じた、自分が戦うときもこのような恐怖に曝

されるのかと思うと先が思いやられたが、今はそれどころではない。

全身の押さえ切れない震えを感じながら、今後のことを混乱する頭で必死に考えた。

迫り来る敵砲撃音の中、提督がどうなるのかなど想像することしか出来ない。

駆逐艦である自分では、どうする事もできない。

困惑の中、『天津風』は自分の眼で敵深海棲艦と捉えた。

瞬間にはっきりと写ったその姿は、全く船の形を成さない黒光りする邪悪な怪魚の

ようであった。

『天津風』ははれは駆逐艦クラスだという事を知っている、だがあれでさえもやた

らと恐ろしく感じる。

手前で炎上する駆逐艇に、一層恐怖心は駆り立てられた。

この船も何れあのように為るのかのと、無意識に考えてしまう。

『神通』は行動に出た。

「このままでは最悪の状況は避けられません。今すぐ戦闘準備します」

『天津風』にはまるで考えられないが、『神通』にとってみれば戦わずにやられる

のはどうにも気に入らないようだったが、戦闘というよりも『天津風』を退避させ

る時間を稼ごうと彼女は考えていた。

 「二人とも、逃げる準備をしろ!」

提督はブリッジから重々しく叫ぶ。

 「いったい何所へ逃げろっての?」

『天津風』は反射的に反論した。

 「ここにいたら間違いなく死ぬ、そんな事は断じて許さない」

『天津風』の返事を待たずに、『神通』は船室に走った。

一瞬、目の前が真っ白になり、時は止まる。

焔を上げ倒れるジブクレーンの残骸の中に、『神通』は構わず走って船室に向う。

ついに直撃弾が発生した。

中央のジブクレーンが被害を受け、右舷側の支柱が根元から折れた。

デッキの板は抉られ、周辺には破片や部品が散らばり、所々に火がついている、こ

の被害でも主砲弾ではない。

 「軽巡の副砲が直撃、被害中程度」

消化活動などやっている暇はなく、以前として全力で逃げるのみである。

目前で、駆逐艇が魚雷を諸に食らった。

たちまち艦体は二つに裂け、水柱と轟音の元に真っ二つになってしまった。

 「残り二隻……」

提督は、もはや駆逐艇に抵抗する力はないと考え艦隊散開を命じた、しかし、以前

として諦めてはいない。

もはやどうしようなどと考える暇すらなくなった、眼前に広がる最悪の状況は、こ

こが最前線ではないことを一切忘れさせる。

 「さあ、どうするの……」

『天津風』は絶望すら垣間見え、その場にしゃがみ込みただ奇跡を信じた。

そして奇跡の爆音は為り轟く。

ブリッジからははっきりとその黒煙が見えた。

 「駆逐艇の魚雷か!?」

提督が双眼鏡で爆発の方向を見ると、その顔は再び以前の朗らかな表情へ戻り、思

わず顔が綻んだ。

双眼鏡越しにに見える“鴉”は、まさに希望であった。

上空を飛ぶ零戦郡は、今まさに友軍の九七式艦攻を引きつれ飛来した。

 「艦載機!?一体何所から」

『天津風』はやっとやってきた助けに、不安は一切取り払われた。

水平爆撃を行う九七式艦攻と、銃撃する零戦21型の機体は、その白銀の翼の力を存

分に奮う。

 「そういえば、ここは“彼女の空”だったな」

上空を飛び交う艦載機の識別塗装は、間違いなく極南丁方面艦隊所属の空母『加賀』

の艦載機だった。

彼女の艦載機は、水平爆撃で敵に爆弾の雨を降らせ、手も足も出なかった敵水雷戦

隊を瞬く間に全滅させた。

身軽になった九七式艦攻は空中でコークスクリューを行い余裕を見せ付けた。

太陽に霞む零戦は、安全を確言するかのようにバンクし、再び編隊を組み上空へと

急上昇した。

水平線の向こうから信号弾が多数打ちあがり、はっきりと、この攻撃が味方の援助

である事が確定した。

提督は他の乗組員の安否よりも『天津風』の事を気に掛けて、すぐに船首に走って

きた。

 「天津風、大丈夫か」

息を切らす提督から差し伸べられた手を、珍しく素直に手に取ると、『天津風』は

ゆっくりと、その手に支えられ立ち上がった。

 「もちろんよ」

震える体を押し殺し、平然を装う。

『神通』は事が収まったのを見計らって、船室から走ってきた。

 「無事で何よりです、天津風」

 「ええ、大丈夫よ」

提督と『天津風』の安堵の表情で、『神通』も一通り安心した。

揺らぐ信号弾の煙を見送り、『天津風』は遥か空を仰ぐ彼女の荒鷲を目で追った。

 「この奇跡は誰の仕業なの?」

最後尾の零戦の胴体後部に、識別塗装の赤いラインが二本あしらわれている。

 「あの艦載機は間違いなく加賀のものだ」

それじゃあ、と提督はブリッジに再び戻っていった。

助かったとは言えまだ海のど真ん中だ、艦載機の攻撃から察するに、陸地まで優に

五十海里はありそうだ。

一先ずの安心と疑問はさて置き、『神通』『天津風』両名は到着まで船室待機とな

った。

危険な目に逢わせない事よりも、血を見て気を動揺させないための配慮もあった。

 「まったく、酷い海だわ」

黒煙垂れ込める最悪の海に一別くれた後、きっぱり船室のドアを閉めた。

 前方の低気圧に隠れるように、艦隊・・・と言ってもたった三隻だが、その三隻

は逃げるよう影に入った。

スコールに甲板は洗われ、燻っていた木製デッキの火は消火された。

転がる空薬莢を敲く雨粒を掻き分けるように、輸送船は港へ急いだ。

上陸の準備をする船室内の『天津風』にも、雨粒が天井であるデッキを叩く音がは

っきり聞こえる。

その雨音に紛れるかのように、艦隊はスコールの薄暗がりへ消えた。




初めての戦闘シーンですが、天津風は戦いませんので悪しからず。

何かお気付きの点がありましたらお願いします。
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