全員が武器のセーフティ(安全装置)を解除した、魚雷発射管に圧搾空気が重点され、航空母艦は背後で先遣の戦闘機を発艦させている。
「“この海域は、イデアル深度が最大値マイナスで固定されている。最凶管区ってとこだ”」
艦隊指揮を『神通』が『武蔵』に移譲した、有事を考えての戦線の最高指揮権者の移譲は意外にも『神通』からの提案だった。
「正規空母、戦艦とかで済めばいいくらいの感じです?」
『神通』のすぐ横に居た『時津風』が茶化す。
「それくらいの簡単な尺度で測れる難易度だったらいいんですがね…」
「“管区”って言うくらいだから、昔はここら辺も普通の海域だったんですか?」
「いいえ、この海域はずっと“管区”で割り振られています」
「へー」
『神通』でもこの先は答えられないと踏んで『時津風』はそれ以上の会話を断念した、だが今度は沈黙に困ったようでいけ好かない顔をしている。
それもこれも、緊張感のないこの海域のせいだろう。
多くの人が想像するような、「空が黒い」だの「海が赤い」だのやたら怪獣でも出てくるような場所とは似ても似つかない海域だ。
空は澄み渡り海も波は多少高いが外洋では許容範囲内だ、いわゆるおだやかな海である。
「“偵察機より入電、水雷戦隊規模の艦影を確認、全艦戦闘体制”」
航空戦隊で一番先頭に居る『瑞鶴』の偵察隊がやはり一番最初に見つけだした、この天候では偵察機の偵察能力が遺憾なく発揮され、どこぞの半端物の電探よりもよっぽど有力だ。
おまけに偵察機は約100キロ先まで潜入している、どうやら制空権を揺るがすような敵航空勢力はいないらしい。
「潜水艦が居るかもしれません、聴音機に注意してください」
先頭を行く『天津風』達の十六駆は四人とも聴音機を持っていて、二水戦の対潜役が振られている。
よほど遺物が多いらしく、聴音機のヘッドフォンからは貝殻が擦るようなカラカラとした音が鼓膜を揺さぶる。
「異音が多いですが、スクリューの回転音なら逆に分かりやすいです」
『天津風』は一先ずスリングに主砲を任せて、ヘッドフォンに手を当てた。
周りの雑沓、風の音波の音が消え去り、心地よい水の音が頭の中に流れ込んでくるのが分かった。
この音の中では異音などすぐに識別できる。
「推進音…?ですかね?、それにしては平べったい音。なんかボートが一列で進んでるみたいな…」
一番最初に気付いたのは『時津風』だ、彼女は耳がいい事を『天津風』も知っている、予想通りの結果だ。
「いやこれは、スクリュー推進音……!」
「魚雷ですか!?」
『神通』が身構える、慌てて頭上の直掩機に近海を探らせる。
近くに魚雷を発射できる艦の姿は無かった、潜水艦による投射なら何らかの金属音が発生する。
そして結論は、先ほど発見された水雷戦隊規模の敵から発射されたというものだ、だが常識的に考えて50キロ超の射程の魚雷は考えられない、あるとしてもそれは我々の手の内だけだから。
「雷跡は、雷跡は確認できますか?」
無線は無言を守った、魚雷ではないのか?
「―――推進音、魚雷です、数百以上!!」
『天津風』は目を、もとい耳を疑った。
雑音は全て遠いスクリュー回転音で、前方十一時から二時方向を全て覆いつくす魚雷群がゆっくり接近していた。
「雷跡は無い、速度も低速……。何かしらのギミック(仕掛)があると見ていいでしょう」
『神通』は思った以上に落ち着いていた、その理由は『天津風』にもすぐに分かった。
今接近している魚雷は深度が深く、喫水の浅いような船、まして艦娘には当たらない。
だが、警戒することに越したことはない。
「天津風、魚雷との交点とタイミングを考慮して爆雷を投下、ギミックが何なのか調べます。投下次第一水戦ニ水戦は回避行動に移ります」
「了解」
雷速は25ノットは時速に直すと45キロ、だいたい乗用車くらいの速度で普通の魚雷より20キロほど遅い。
深度は10メートルオーバー、一般船舶で言うと巡洋艦以上の大型艦艇で200メートル以上の大型輸送船などを狙う深度だ。
「爆雷投下!」
T字型のアダプタが装薬に弾き出されて爆雷を25メートル以遠に投射する。
投下された爆雷は四発、深度15メートルで爆発するよう水圧式の起爆装置を設定してある。
すぐに十六駆の四人は投下を後方に知らせ、斜め後ろ方向へ回避行動に入った。
「起爆まで、10…9…8…7…」
100メートルほど前方で水柱が上がった。
「起爆が早い…、やはりギミック付き!」
別のところで三つ水柱が上がり、その下を魚雷が通過してくるのが分かる。
「磁器反応式か……!、全艦迂回して魚雷群を避けてください!」
『神通』は叫んだが、横幅5キロに及ぶ魚雷の“壁”をどうやって避けろと言うのか。
一水戦二水戦は一気に加速し、斜め後ろへの回避を模索した、だが鈍重な後方艦隊はもはや被弾は避けられない。
そしてこの手の魚雷は目標の直下で起爆し、発生した水圧と空圧で標的を持ち上げて圧し折り破壊する、しかも金属片の暴風のおまけ付きだ。
だから運悪く直下に魚雷が来て起爆した艦娘だけでなく、周りにも被害が及ぶ。
「“仕方ない、魚雷を迎撃する”」
全く慌てる様子無く『武蔵』は下令した。
「迎撃、魚雷を!?」
『天津風』は酷く困惑した、可能か不可能かの話ではなく随分と吹っ飛んだ発想だからだ。
「“少なくとも最小限の戦列が通れればいい。戦艦、巡洋艦は全員九一式徹甲弾を装填、前衛の一水戦二水戦は側面に一時退避!”」
「うそでしょ!」
戦艦クラスの砲弾は弾着地点から少なくとも直径100メートルは危険域になる、今後方にいる戦艦と巡洋艦の数を考えれば理論上は余裕で横幅1キロの通過口を作り出せる。
すぐさま一水戦二水戦は側面へ向かって回避を開始した、速力35ノットを振り絞り可能な限り射界の確保に徹する。
後方1キロから撃ち方用意の掛け声がかかる、恐らく『武蔵』の声だろう、彼女は肝心な時は無線を使って下令しない。
そして今回は『武蔵』の主砲は発砲できない、零式通常弾なら本人の意思でいつでも発砲ができるが三式弾や九一式徹甲弾などの特殊弾の発砲には上からの許可が必要だ。
そしてまず弾速の遅い35.6センチ砲が斉射され、続いて41センチ砲と20.3センチ砲が直射された。
背後の主力艦隊は硝煙と爆炎に飲まれ一時的に視認不可能になった、それと同時に『天津風』の背後に音速の5倍の速度で砲弾が着水した。
砲弾はその特徴上弾着した後も水中を進む、指向性が抜群で爆雷よりも狙いはもちろん性格だ。
ちょうどそこに魚雷が僅かにスクリュー回転の際に生じる泡を伴い突っ込んできた。
碧い海中から瞬時に白い傘が出現し、水面に高さ20メートル超の水柱を建てる。
それは同じ場所で連続して起き、約500メートル四方が爆発による海水の水煙で完全に覆われた。
急いで一水戦二水戦は戦列中央に戻り、本来なら前方数百メートルに迫っているはずの魚雷を捜索した。
「戦列十二時半の方向は完全に魚雷は確認されません、大丈夫なはずです」
雑音が渦巻く中、できるだけ安全なポイントを聴音機で探り出しすぐさま『天津風』が報告した。
なんとか戦列が通れる穴を確保したがもちろん完全に安全というわけではない。
「“残念ながら悪いお知らせが二つある、魚雷の雷跡が5キロ先に五十強と敵戦艦群が三方向から接近中よ”」
『瑞鶴』が直接偵察機からの情報を伝えた。
ちょうど偵察機の稼働時間限界らしく、偵察機は続々と母艦に帰っていく。
「まさか待ち伏せされていたんですか!?」
『天津風』は単眼鏡で雷跡を視認した、もちろん偵察機の情報通り軽く五十以上は迫ってきている。
「これが常時の敵戦力なんでしょう、敵方に特別な戦力の動きや偏りはこれまで確認されていません」
冷静に『神通』が回答したが、声から感情の高鳴が伝わってきた。
この絶体絶命的な状況を彼女は恐らく愉しんでいる、実に彼女らしいのではないだろうか。
「戦列を解いて一水戦二水戦は単縦陣で突破、あとは予定通り頼みます武蔵」
「“了解”」
先頭に『阿武隈』が立ち強行突破の体制を整える、もはやまともに反撃するつもりはないらしい。
右方向で視界の端が専攻をとらえた。
「敵艦、発砲しました、弾着まで約十秒!!」
最後尾の『初風』が三時方向の敵戦艦群の戦列が一斉射したことを叫ぶ。
「何が何でも当たっちゃだめですよ!」
『阿武隈』は速度計などお構いなしに出せるだけの速力で突破を敢行する。
敵は見越し射撃をしているため先ほどの30ノットでの見越し位置で弾着するはずだ、それらを回避するために横方向への回避と速度の変調で敵の見越し角を狂わせる。
「前方に敵水雷戦隊ですぅ!」
『天津風』の後に居る『時津風』が叫んだ、彼女は肩持用の測距義を持っている。
「編成を言いなさい編成を!」
『天津風』もまた眼鏡で確認する、だが『時津風』の測距義には倍率も精度も敵わない。
「軽巡一に雷巡五以上、重巡が少なくとも一隻に駆逐艦二隻!!」
12キロ先にそれらしいものを『阿武隈』も確認した、とりあえず迂回する為に左に舵を切ったが恐らく完全には迂回できないだろう。
「雷跡接近!」
続いて『阿武隈』が叫ぶ。
魚雷同士の間隔はバラバラ、相対速度は70ノット以上となる。
単縦人陣なので先頭が避けれれば大丈夫なはずだ。
右斜め後ろで大口径の砲弾が何十発も弾着して水柱を建てている、先ほど敵の戦艦から発砲されたものだろう。
予測するに敵戦艦からの距離は10キロ以内という至近距離から発砲してきているらしい。
周辺は島嶼が点在し敵が潜むには格好の場所だろう。
それと同時に横10メートルほどを白い泡の線が後方に走って行った、列の中間に居るので接近に全く気付けなかった。
「前方の敵水雷戦隊が発砲しました!」
『阿武隈』が息を切らしながら『神通』に方向した、今実質的な指揮官は『神通』になっている。
「前方敵水雷戦隊応戦、弾幕を張ってください。後方主力は三時方向の主力へ援護射撃を!」
「“二航戦五航戦はあと三分以内で発艦完了します!”」
航空戦隊旗艦の『瑞鶴』が続いて報告する。
「再び雷跡、数五十!!」
『時津風』が交戦中の敵水雷戦隊の雷巡が魚雷を放ったのを確認した。
そして敵戦艦からの疾風射が始まったらしく、周りは水柱に包まれ視界は巻き上がった海水で満足に無い。
回避のために先に弾着した砲弾の水柱に隠れることが続き、装具も服を海水でずぶ濡れになった。
しかしそんな事を気にしてはいられない、想像通りの“激戦”が目の前で繰り広げられている。
「“主力艦隊、一斉射を開始する”」
『武蔵』の一報と同時に後方で横一列の閃光が眩いばかりに瞬く、それも四つや五つではない。
十秒せずに頭上を砲弾が風を切る音が耳に入る。
一瞬にして見える敵艦全てが三式弾の弾幕に包まれた。
三式弾はもちろん対空用だが時間調調定信管という特性を生かして敵の頭上で数千個の子弾をばらまくこともできる。
砲弾が爆発すると一瞬置いて敵艦影は子弾の小さな水柱と爆炎に包まれ、小型艦なら撃沈も可能だが大型艦でもしばらくの間正常な戦闘を妨げる。
何とか切り抜けられる程度に敵の猛攻は斬減することができたが、被弾の危険は着実に近づいている。
「恐らく敵の第一防衛線は突破できそうですね」
『神通』は敵の動向を計らってこれから先の算段を着実に立てていく、こんな状況でも百戦錬磨の彼女は全く動じない、というかようやくいつもの調子になったという感じだ。
「ここが第一防衛線なんですか!」
洒落にならないと『天津風』が叫ぶ。
第一防衛線と呼ばれる一番外側は大概敵の指向や動向、規模を見計らうためにわざと早々に全力射撃したり先に仕掛けたりと交戦的で、そのかわり第一線のために敵わぬと分かればそれ以上の交戦は避け退避する。
今交戦しているのがそのラインだと『神通』は言うのだ。
続いて、五航戦が繰り出した爆撃機が、露払いと言わんばかりに駆逐隊を潰して行く、そして手が届くほどの低空を飛ぶ雷撃機が真横を通過していった。
そしてやっとのことで前方に突破口が見えてきた、横幅5キロほどの敵艦が存在しない海域が形成されたが、依然として敵艦の砲撃は苛烈を極める。
「三時の方向、敵巡洋艦群に雷撃用意。十一時の方向、水雷戦隊に砲撃を集中せよ!!」
『神通』が下令した、すでに彼女は敵の照準避けのために煙幕弾を前方左右六十度に散布している。
「“こちら涼風、被弾!被弾!離脱します!”」
最後列二十四駆の先頭『涼風』が被弾し後方へ離脱した。
艦娘が離脱を許される基準は概ね「戦闘が不可能且つ、良好な航行が出来ない状態」である、あまり彼女の状況は想像したくないものだ。
そして今は更にバツが悪く、撤退しても必ずしも安全とは限らないし、そもそも後方への海路も前線と変わらず危険だからだ。
「“親潮被弾、親潮被弾!戦闘不能!”」
十六駆の後方を追随していた十五駆の『親潮』が戦闘不能状態になったという『黒潮』からの入電だ、本人からの連絡でないところから推測すると本人は相当重症なのだろう。
『天津風』は後方を確認しようと側方を見渡したが、空中を埋め尽くす砲弾の弾道跡に本能的に目をそらした。
射撃目標である先頭の一水戦は約38ノットで航行しているため、見越し射撃の角度がかなり厳しくなる、そのため敵弾は必然的に後ろか極端な前方に流れ、殿を務める二十四駆と先頭の十五駆の被弾が増加する。
ちょうど退避する『親潮』と『黒潮』が真横を通り過ぎた、ちょうど直接的に砲撃している左側を援護を受ける形で撤退して行った。
右肩を撃ち抜かれたらしく酷く出血していた、左側に『黒潮』が寄り添う形で手で圧迫止血をしていた。
「こんなんじゃ目的地に着く前にみんな死んじゃうわよ!」
いくら露払いが居るとはいえ、支援は今しか受けれない、これから先は必死であることは確かだろう。
ようやく突破口に差し掛かり、砲撃は少しずつ止んできたが砲撃で半壊させた水雷戦隊からの反撃が続いている。
そうしている間に、右側方の巡洋艦群に魚雷が命中した、先ほどまで回避行動をしていたが、合計三十二本の酸素魚雷を全て避けるのは不可能だ。
「第一線を突破したと判定します、これよりダントルカストー諸島へ向け前進します」
後方からまだ砲弾が飛んできているが『神通』は突破判定を出し、陣形を警戒陣へ変更した。
まだ気を許すには早いが、『天津風』は海水で濡れた顔を拭う。
だが、海水で濡れていたはずの顔は真っ赤に染まっていた、全員が気づかないうちに砲弾の破片に被弾しているため、出血が後方へ流れ服は破れ装具は焼け焦げ傷だらけになっている。
全員の顔は窺えないが、後ろの『時津風』『初風』は相当消耗しているようだ。
特に『時津風』は酷く疲れていて、四足の切り傷による出血が多く早く止血しなければ意識を失いかねない。
三人大破撤退、ほぼ全員が小破、数を三十一人に減らしてようやく一日目が始まった。