「ん~~っ、着いたぁっ!」
モノレールを降りて少し歩いたところ、学園全体の規模を示すかのような広々とした正面ゲート前で大きく伸びをする。それなりに綺麗だと自負している黒髪をなびかせる夜風が、長旅で窮屈な思いをした身には心地よい。
「さてと、まずは編入手続きを済ませるんだったわね。受付はどこだったかなっと……」
今のあたしはまだここの生徒じゃない。編入の手続きを正式に済ませるまでは外部の人間なので、疲れているからと言ってこのまま寮に直行というのは無理な話だ。早く体を休めるためにも面倒な事はさっさと終わらせよう。
と言う訳で、ポケットから学園からの書類一式に含まれていた手続きの案内に関するプリントを引っ張り出す。適当に突っ込んであったせいで皺まみれだけど、読めれば問題ないわよね。
「本校舎一階の総合受付にて手続きをしてください……って、その本校舎がどこか書いていないじゃない。気が利かないわね」
不親切なプリントに文句を言っても所詮は紙、返事などする筈が無い。いつまでも同じ場所で独り言をしているのも馬鹿らしいので、取り敢えずは歩きはじめる事にする。無口な紙媒体にはポケットにお帰り願った。
というか、これだけの広さで案内板の一つとか無いわけ? つくづく客への配慮がなっていない学校ね。まあ本校舎っていうくらいなんだから、大きい建物を回っていけばそのうち当たりに着くでしょ。
「でもそれが面倒なのよねー……何か体もだるいし、早く寝たいっていうのに……」
一先ず適当に目星をつけた建物に向かいながら、だるさを紛らわせるようにぐるぐると肩を回す。荷物のボストンバックも一緒に回っているけど、乱雑に扱って心配になる物なんて入ってないから気にしない。
このだるさに心当たりはある。本国から乗って来た飛行機でエコノミーに座らされたのが原因に違いない。ふと飛行機の手配をしてくれた男の顔を思い浮かべると、無性に腹が立ってきた。
あの中年オヤジはあたしをエコノミー症候群にさせる気か。仮にも中国の代表候補生なんだから、ビジネスくらい用意してくれたっていいじゃない。金だって十分にあるでしょうに。
……まあ、頭の中で文句を並べ立てはしているが、実を言うとそこまで相手には強く言えない。内輪揉めの範囲で終わったとはいえ、あたしは政府の高官相手に我儘を押し通そうとして騒ぎを起こした。その尻拭いをしてくれた人に飛行機の席程度で苦情を言う程、恥知らずでも恩知らずでもない。
それにこの一年間、なんだかんだ言いながらも新米の代表候補生であるあたしの面倒を見てきてくれた人だ。性格にやや難があるとか、人のことをしょっちゅう子ども扱いしてくるとか物申したい部分はあるものの、頭が上がらない相手には違いないだろう。
「でもさー……十五の乙女を異国に放り出すことに思う所とかないわけ? そりゃ行きたいって言い出したのはあたしの方だけど……」
あー、何か文句を並べるのも面倒になってきた。結局は自業自得っていう結論に落ち着いちゃうし……こうも堂々巡りだと、全部アイツのせいにしたくなってくるわ。
年中元気で万年朴念仁な男子の顔を思い出す。元をただせばアイツが悪いのよ。急にニュースに出てくるもんだから、ビックリして飲んでいたお茶を吹きだしちゃったじゃない。その事で中年オヤジにもからかわれたし、本当に踏んだり蹴ったりだわ。
「だからそれは……であってだな……」
ブツブツと文句を言いながら歩いているうちに、人のいる場所にまで入り込んでいたらしい。自分の声と風の音しか聞こえていなかった耳に、学園の生徒と思しき人の声が届いた。
丁度いい。無闇に探し回るより、生徒に案内してもらった方が楽よね。
そう考えて声が聞こえた方に足を進める。どうやらISの訓練施設からのようだ。こんな遅い時間までいるなんて、よっぽど熱心なのかしらね。ま、あたしだって負けていないけど。
心の中で意味もなく張り合いつつ、通路の角を曲がる。そして目に飛び込んできた景色を目にして――思わず、足が止まった。
「イメージって言われてもな……具体的にはどうすればいいんだよ?」
「それを何度も教えてやっているのに、お前が一向に理解できていないんだろうが。いったい何時になったら次の段階に進めるようになるんだ」
そこにいたのは少女と少年。
そう、少年――織斑 一夏だ。本来ならこの学園に居る筈のない男子生徒、その唯一の例外。今の今まで思い浮かべていた相手にして、あたしが日本に戻ってきた最大の理由。
本当は今すぐにでも駆け寄っていって声を掛けたい。けど、その横にいる少女の存在が足をその場に縫い付ける。彼の側に当然のように居座る、友達に凄く似ているのだけれど、どこか違和感を覚える顔をした少女だ。
「教えているって、あの独特な擬音の事か? 『くいって感じ』なんてどう解釈すればいいか分からねえよ」
「…………ふわって感じだ」
「それ、最初の二文字が変わっただけじゃ……あ、ちょっと待てって!」
足を速めた少女を一夏が追う形で二人は視界から外れていく。体を彫像のように硬直させたあたしには、一言を発する事さえ叶わなかった。
いやいや、何時まで呆然としているのよ、あたし。海を越えてまでして会いに来た男が他の女と仲良さ気に話していたのはちょっとイラってきたけどさ、アイツだったら問題ないじゃない。昔から仲はいいけど、そういう関係には全然ならなさそうなアイツならさ。
……でも、何か違う気がする。アイツはもっと態度に余裕がある性格だった筈。決して不機嫌そうなオーラを纏って人を置き去りにしていくような奴じゃなかった。何より、髪をリボンで結んでポニーテールにするような女っ気も無かった。一、二年でそこまで豹変するとも思えない。
(ってことは……あれがアイツの妹? 確か箒だっけ?)
話に聞いたことがある友達の妹の存在を思い出す。双子らしいし、容姿が瓜二つなのも説明がつく。性格や服装の違いからしても、そう考えるのが一番自然だから間違いではないと思う。
うん、それなら問題ないわね。もし本人だったら頭がおかしくなったのかと心配するレベルだったもの。別人で良かったわ。
納得のいく結論に達して満足する。というか少し女っ気があったというだけで、頭がおかしくなったのではないかと思うあたり、普段の友達の様子にかなり毒されている。常識的には普段の方が変と判断されるに違いないのに。
何にせよこれで懸念は解消した。話しかけられなかったのは残念だけど、また明日にでも会いに行けばいいだろう。そうポジティブに結論付け、再び本校舎を探しに行こうとした瞬間――ふと思い出した。
あれ? そういえばアイツの妹って確か一夏に……
「む……お主、鈴音か?」
「え」
不意に背後から掛けられた自分の名前を呼ぶ声に、思わず驚きの声が漏れる。
編入生のあたしの名前を知っている人なんてかなり限られている。一夏はさっき通り過ぎて行った。千冬さんはもっと不遜に話しかけてくると思う。だとすれば残りはただ一人。パッと振り向けば、想像した通りの人物がそこにいた。
「椛! 久しぶりに会ったのにアンタってば全然変わってないじゃない!」
「お主と最後に顔を合わせてからは、背が多少伸びた程度か。しかし鈴音よ、既に此方に来ているとは思いもしておらんかったぞ。連絡を寄越せば迎えにでも行ったというのに」
小中学を通じての友達である純和風少女、篠ノ之 椛の変わらない姿を見て、再会の喜びを隠せずに駆けよる。そんなあたしを柔らかな笑みで迎え入れた彼女は、珍しく若干の不満を口にした。
「既に」という言葉に疑問を覚えはしたけど、取り敢えずは置いておくことにする。
「ふふん、何の前触れもなく現れた方が、再会の時のインパクトが増すでしょ?」
「小細工を弄しても一夏坊には通じぬと思うぞ」
「なっ!? あ、アイツは関係ないわよ!」
得意げに理由を言ってみれば、間髪を入れずに図星を突かれた。「ある日、突然再会した幼馴染」というシチュエーションで一夏に鮮烈な印象を与える作戦は筒抜けらしい。いつもの癖で狼狽しつつも否定はしたが、子を見る親のような目をされている事から、意味を為しているとは思えない。
「くく、変わってないのはお主も同様のようだ。相変わらず素直ではない女子よ」
「うっさいわね。これでも少しは努力しているのよ」
「確かに年頃になって色気は出てきたか。顔立ちが綺麗になっておる」
「…………あ、ありがと」
いくら同性とはいえ、いきなり真正面から綺麗だなんて言われたら照れてしまう。何の躊躇いもなくさらりと褒め言葉を口にした椛に、あたしはそっぽを向いてお礼を言うのが精一杯だった。
自分じゃわからないけど、コレ絶対顔が赤くなっているわ。というか椛って妙に男らしい所があるから、普通の女子に言われるより強烈なのよ。本人もそれを承知した上でやっているから性質が悪いし。
顔の熱が引いたところで椛の顔をチラリと窺う。予想通り、悪戯爺の様に笑っていた。根は誠実なのだが、どうも茶目っ気に過ぎる友人に溜息が出てしまう。大人しくしていれば少し風変わりながらも立派な大和撫子なのに、と。
「……ところでさ、アンタは大丈夫なの? ほら、あまり言いたくないけど、傷があると損する事とかあるでしょ」
「心配には及ばぬ。片目での生活も三年すれば慣れるものだ。クラスメイトも既に気にしなくなっておるぞ」
「そういう意味じゃないんだけど……まあ、アンタに言っても無駄だろうから良いわ」
容姿を見ているうちにどうしても目に入る、美人と言って差し支えの無い顔に残る傷痕。一年前に映像越しに会った時にはかなり驚かされたそれについて触れると、椛は何の気兼ねもなくあっさりとした様子で答えた。こちらとしては生活面の事ではなく女としての事情を聞いてみたのだが、どうやら通じなかったらしい。
ま、あたしが気にしなくてもいいか。一応は椛も女なんだし、そのうち良い人でも出来るでしょ。本人にその気が無くても、中学の時には一部で人気もあったそうだし。
何の事やらと首を傾げている友人を置いて一人納得する。決して説明はしない。言ったら「人の心配をする暇があるなら、一夏坊を射止める手を考えたらどうなのだ」と返されるだろうから。
「むう……解せぬ。いったい何だというのだ」
「分からないなら気にしなくてもいい事なの。それより、ちょっと道案内してくれない? 総合受付ってところなんだけど、そこに編入手続きをしに行かなくちゃいけないのよ」
頭を捻って言葉の意味を考え続ける椛を、ボストンバックで軽く叩いて思考を強制終了させる。いくら天才でも、肝心の女性的な思考回路が欠如していたら答えには辿り着けないでしょうし。
あたしの言葉に、そういうものかと一定の理解を示したらしい彼女は大仰に頷いた。
「ふむ、お主がそう言うのならば致し方ない。この場では捨て置くとしよう。友人の道案内の方が優先事項となり得る」
「え、本当にいいの? 用事があるなら無理しなくてもいいんだけど」
我ながら友達相手とはいえ図々しい願い出の仕方だと思ってはいたので、いざ快諾されてしまうと遅ればせながら遠慮が出てしまう。対して椛は何を今更といった様子である。
「後で食堂に立ち寄る用はあるが急ぎではない。道案内の一つ程度、易いものだ。では行くとしようか……と、その前に」
何を思ったのか、椛が握り拳を差し出した。急な事についポカンとしてしまう。
「……荷物なら自分で持つわよ?」
「否、斯様な意味ではない。
――再び会いまみえた事を嬉しく思う。これからもよろしく頼むぞ、鈴音」
その言葉を聞いて「ああ、そういう事」と差し出された拳の意図を理解する。
そういえば、こういう所で几帳面な奴だった。それに応えるのも吝かじゃない。あたしも同じく拳を握る。
「こっちこそよろしく、椛。中学の時みたいに勝手にいなくならないでよ?」
こつんと拳と拳をぶつけ合う。
ニヤリと笑みを浮かべたあたしに、椛は痛い所を突かれたとばかりに曖昧に微笑んだ。
「え!? アンタ何であたしがここに来ること知っていたのよ!?」
道案内される道中、先の椛の言葉に引っかかりを覚えて問い質してみれば、簡単に「知っていた」と返されてつい驚きの声を上げてしまった。
だって、どう考えてもおかしい。あたしがIS学園に編入する事は椛をはじめとした中学時代の友達はもちろん、一夏にだって教えていない。なのに、編入の事実を事前に把握させられていたとあっては、衝撃の再会により強烈な印象を与える計画が瓦解してしまう。ゆゆしき事態だ。
「恒延が知らせてくれてな、こちらでのお主の面倒見を頼まれたのだ。一年の間だけとはいえ、仲良くやっていたようではないか」
「あんの中年オヤジー!!」
情報漏洩の首謀者を知り地団太を踏む。椛が微笑ましそうに見てくるのが余計に腹立たしい。
何よアイツ! 人には機密の扱いとか口酸っぱくして言ってくるくせに、自分の口は軽いってどういう事よ。自分で言った事くらい守りなさいよね!
――ちなみに学園への編入は機密でもなんでもない。ただ、乙女の秘密ではある。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。アンタが知っているってことは、もしかして一夏も……」
「いや、彼奴にはまだ知らせておらぬ。話すと少々場が荒れる可能性があるのでな」
一番の懸念が杞憂であると知り、ホッとする。もし知られていた上で計画を実行していたら、あたしはとんでもない道化だ。きっと目も当てられない事態になるに違いない。それが避けられただけでも幸運だ。
……それにしても椛は何で微妙な表情をしているのかしらね。何か都合が悪い事でもあるっていうの?
「ねえ、場が荒れるってどういう事?」
「それは……まあ、何だ。やはり唯一の男子だと交友関係一つで騒がれるというか、それだけなら良いのだが、実際は一夏坊が無用な被害をこうむる事になるというか……」
「ふぅん……?」
はっきりしない椛を胡乱げな目で見る。
怪しい、凄く怪しい。きっと何かを隠しているに違いない。たぶん、あたしにとって不都合な何かを。有耶無耶にしているだけで本気で隠そうとしていないあたり、どうせ後になって知る事になる類の話なのだろうけれど、それでも友達に隠し事をされるのは癪だ。
話振りからして一夏に関係のある事なのだろう。そう当たりをつけて頭を巡らせてみると、何となく椛とそっくりな顔をした少女が思い浮かんだ。
「ねえ。実はさっきアンタとそっくりな子を見たんだけどさ、もしかして昔言っていた双子の妹?」
「む、箒に会っておったのか。彼奴は気難しい性格だが、根は優しい娘だ。出来れば仲良くしてくれないだろうか?」
「まだこっちが一方的に見かけただけだし、仲良く出来るかどうかは何とも言えないけど……ま、アンタの妹なら大丈夫でしょ」
「そうか。うむ、そう言ってくれると助かる」
安心したように表情を緩める椛。どうやら妹に対して思う所があるらしい。確かにきつそうな性格みたいだったから、姉としては色々と心配なのだろう。苦労しているわね。
けど残念な事に、アンタの妹とはある一点においては仲良く出来ないかもしれないわ。一個人に限らず、この学園の生徒全員に言えることだけど。
「ところでさ、見かけた時にその子の側に一夏も一緒にいたんだけど……アンタの妹って、あたしと同じなんだっけ?」
椛の表情が安心から「ああ、やっぱりか」とでも言いたげなものに変わる。
予測がついていたって言うのなら、最初から素直に言いなさいよね。誰があたしと同じか――つまり、一夏に惚れている奴はどいつかって。
「……然り。箒は一夏坊を懸想しておるよ。小学校の時から変わらずにな」
「へえ。で? 他には?」
椛の妹に関しては小学校の時に聞いていたから、ある程度は予想がついていた。問題は他のクラスメイトだ。この数週間で一夏が女の子を何人籠絡したかで、あたしの初恋が実る可能性が決まってくる。
普通なら大げさだと思うだろう。しかし侮る事なかれ、一夏は本当に息を吐くように女心を掻っ攫っていく。運が悪ければ、クラス全員が落とされてしまっていても不思議ではない。もしそうだった時のためにも、
詰め寄るあたしに椛は溜息を吐く。面倒くさげに頭を掻きながらも、こちらの意図を正確に把握しているのであろう彼女は、求めていた情報を開示してくれた。
「クラスメイトの殆どはミーハー的なものだ。本気で一夏坊に恋心を抱いている者はおらぬだろう。ただ、イギリスの代表候補生がわずか一週間で落とされ懸想するに至っている。今のところお主の同類は私の妹も含めてこの二人だけだ」
「思っていたよりも少ないけど、あたしと同じ代表候補生か……ふふ、一夏ってばやってくれるじゃない……!」
強力な恋敵の出現に思わず好戦的な笑みが浮かぶ。別に余計な事をしてくれてと一夏に対して怒りを覚えている訳じゃない。無いったらない。だから呆れたような目で見てくる椛も気にしない。
「昨今の恋愛というものは何故斯くも殺伐としたものなのか……昔はそのような事はなかった筈なのだがなぁ……ほれ、着いたぞ。此処が総合受付だ」
椛の言葉を受けて前を向いてみると、事務員と思しき人が居るカウンターが目に入った。さっさと手続きを終わらせるべく、ここまで案内してくれた椛にお礼を言って小走りに駆ける。年寄り染みた独り言は聞き流しておいた。
っていうか、あたしだって好きで殺伐としているんじゃないわよ。でもアイツが他の女の子を際限なく引っ掛けてくるんだから仕方ないじゃない。
「すいませーん。編入をお願いしていた凰 鈴音です。手続きをお願いできますか?」
「ああ、あなたが。すぐに終わらせるから、ちょっと待っていてね」
愛想の良い笑顔を浮かべて対応してくれた事務員さんは、あたしから書類を受け取るや否や物凄いスピードで必要な処理を開始した。流石は超エリート校。事務員の一人までかなりのスキルを持ち合わせているらしい。
「はい、終わりましたよ。これで貴方もIS学園の一員です。凰さんのクラスは二組ですから、明日からの授業に遅れないよう注意してください……って、あら? 篠ノ之博士、いらしてたんですか」
「夜分遅くまでご苦労、事務員殿。此奴とは知らぬ仲ではないので、少々道案内を買って出たのだ」
「そうなんですか。博士こそ、お疲れ様です」
ふと、あたしの後ろに居る人物に気付いた事務員さんと椛との間で世間話が始まる。
別にいいんだけどさ、あたしの頭越しに話すのは止めてくれないかしら。何か居心地が悪いのよ。それより、あたしは二組かぁ……敵は全員一夏と同じ一組だから若干こっちが不利ね……
「そう言えば織斑君の調子は如何ですか? もうすぐ五月のクラス対抗戦ですから、職員の間でも織斑君がどこまで活躍できるか話題になっているんですよ」
「さてな。最初の頃よりはマシになったが、現時点ではまだまだ未熟。常勝破竹の活躍など到底期待できぬ」
「……何? 一夏ってクラス代表なんかやってるの?」
話の中で気になった点について聞いてみれば、二人そろって是認の頷きが返ってくる。それを聞いて、あたしの中で一つの名案が思い浮かんだ。
そうよ。クラスが違うのなら、むしろそれを活かせばいいんじゃない。
「ねえねえ、二組のクラス代表って誰?」
「え……別に教えてもいいけど、それでどうするの?」
「ちょっとお願いしようかと思って。あたしに代表の座を譲って――てね」
我ながら良い笑顔をしながら迫る。正面からそれを受けた事務員さんは困った様な顔をし、椛は大きく溜息を吐いた。
「……やり過ぎはせぬようにな」
何を言っているのよ、椛。そんなこと言われなくてもわかっているわよ。
ふふ……さあ、待っていなさい、一夏。あたし以外の女にばかりかまけていたら、どうなるか教えてやるわ。
――――――――――
「それでは織斑君のクラス代表就任を祝して……乾杯!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」
ソフトドリンクが注がれたグラスをぶつけ合う音、クラッカーの炸裂音が、今夜に限り一年一組の貸切りとされた食堂に響く。クラッカーより放たれた紙テープはひらりと舞い落ちて、中央にいるこの場の主役の頭に乗った。それにより彼が項垂れているように見えるのは気のせいであろうか。
視線を己が寄りかかる壁の上方へと移す。『織斑 一夏クラス代表就任記念パーティー』と大きく書かれた紙が掲げられている。催しの趣旨が明確にわかるのは良い事だが、大々的に己の名を記されている方としては心理的負担が伴うのであろう。
しかし、既に決まってしまったものは覆らない。ならばクラス代表たる一夏坊には、もっと堂々としていてもらいたいものだ。何時までも不本意そうにされていては、他クラスに対して示しがつかぬ。
――他クラスといえば先ほど再会した鈴音の事だが、彼女の編入については未だに一夏坊には話していない。絶対に言わないように、と厳命されてしまっては断れぬ。変に策を弄しても無駄だと思うのだがな……
「こんばんは、椛さん。楽しんでいまして?」
「セシリアか。まあ、そこそこにといった所だ」
グラスを片手に話し掛けてきた友人に偽りなく率直に答える。すると彼女は「あら」と手を口に当てて意外そうな顔をした。
「パーティーはあまりお好きではなくて? 椛さんほどの有名人であれば、こういった類のものに参加する機会は多くあったと思うのですけれど」
「誘いは数多くあれど、実際に赴いた事など片手で数えるほどだ。どうせ碌でもない輩が群がってくるだけだというのに、どうして進んで行く気になろうか。貴族の当主たるお主にとっても分からない話ではあるまい」
「……そうですわね。煌びやかな様など表向きだけ。一皮むければどす黒い欲望が渦巻いている――身を以て知っておりますわ」
過去に想いを馳せるようにセシリアは目を閉じる。その表情はどこか愁いを帯びているように見えた。
最近になって知った事だが、此奴は歴とした英国貴族の出身、しかもその現当主なのだそうだ。洗練されたその所作は、斯様な事情もあって幼い頃から鍛えられたものという事である。知った時には「道理で」と納得したものだ。
ただ貴族といったものは過去においても現在においても綺麗ではいられない。資産がある者のところには、当然の如くそれを狙う者が現れるからだ。しかも所有者が年端のいかぬ少女とあれば、利権を強引に毟り取ろうとする者が続々と集ってきても不思議ではない。
セシリアが今「オルコット」を名乗って代表候補生の座に堂々とあるという事は、祖先より受け継ぎし資産と誇りは守り通せているという事なのであろう。しかし、その過程において苦難が多々あったはず。彼女の様子を見るに、その予想は間違っていなかったようだ。
――だが、愁いから一転して穏やかな笑みを浮かべた事は想定外だった。
「けれど、時には避ける事を許されない事もあります。守りたいものがあれば尚更の事。ならばわたくしは、その欲望を全て跳ね除けてみせる……それくらいの意気込みで赴けば、パーティーなど恐れるに足らずですわ」
「……成程、私はまだお主を見縊っておったようだ。大した娘御だよ」
「ふふ、これくらいの胆力が無くては、貴族は務まらなくてよ」
セシリアに己が知るものとはまた違った強さを見せつけられ、感嘆の意を表明する。
参った。これでは忌避してばかりいた私が軟弱のようではないか。
まさか今までの己を恥じ入る羽目になるとは思っておらず、僅かながら苦笑を浮かべてしまう。そのような私の心中を知ってか知らずか、セシリアは話題を今現在の事に向けた。
「しかし、それは社交界に限った話。今回のようなあくまで身内での催しでは、不快な事や心配すべきことなんてありませんわ。もっと純粋に楽しんでも良いのではなくて?」
「それはそうなのだが、どうにも物足りなくてな。少しばかり盛り上がりきれぬところがあるのだ」
「物足りない……ですか? クラス内でのお祝いごとにしては豪勢だと思いますが」
セシリアは不思議そうに首を傾げる。いったい何が不満なのかとでも言うかのようだ。
確かに彼女が言う通り、催しの規模にしては贅沢なほど用意が整っている。食堂を仕切るご婦人たちが御厚意で、食べ物なり飲み物なりを提供してくれたからだ。これ以上を望むのは分不相応というものだろう。
だが、私にとっては物足りぬ。斯様な場において絶対に必要なものが欠如しておるからには、心の底からこの宴を楽しむことなど出来ぬ。
「酒だ」
「は……?」
「だから酒だと言っておる。宴といったら酒だろう。素面では盛り上がりに欠けるであろうが」
「そ、そうは言いましても、わたくしたちはまだ未成年なのですが……」
ふん、それがどうした。そのような理屈で私の酒に対する欲求を押さえようとするなど笑止千万、些かの躊躇いも覚えはせぬぞ。あの上立ち香、酒精がもたらす酩酊感。それを二十になるまで味わえぬ法律など糞くらえだ。
この時代は生活の質が向上したのと引き換えに、色々と束縛も増えているのが難点だ。まったく、酒くらい自由に飲ませてくれても良かろうに……
「どーも、新聞部でーす。今年最大の注目株、織斑一夏君に突撃インタビューをしに来ましたー!」
思い思いに歓談していたクラスメイト達が俄かに活気づく。その中心に目をやると、二年生と思しき女生徒が一夏坊にボイスレコーダーを突き出していた。腕に付けている腕章からして、学園内の広報に携わる者なのだろう。
「マスコミか。何時かは来ると思っていたが、意外と遅かったな」
「……も、椛さん。わたくし、少々向こうに行ってまいりますわ。一夏さんはああいうのに慣れていないでしょうし、経験者が手助けしてあげなくては」
女生徒を見て思案顔をしていたセシリアは、そう告げるといそいそと一夏坊たちの方へと向かって行った。言っている事は尤もだったが、歩きながら身嗜みを念入りに整える様からそれだけが理由でないのは明らかだ。
何か一つコメントしたいというのならば、素直にそういえば良いものを。箒にセシリアも鈴音も、一夏坊に惚れる女子は如何にも捻くれ者が多いようだ。あの朴念仁相手にその性格ではかなり分が悪いであろうに。これから彼奴の周りが如何なる様相を呈してくるからは想像がつかぬが、彼女らが相当に苦労する事には違いあるまい。
「おっと、丁度いい所に。セシリアちゃんもコメントよろしくー」
「仕方がありませんわね。そこまで言うのであれば――そもそも、わたくしがクラス代表を辞退したのは」
「あ、何か長くなりそうだからいいわ。写真だけちょうだい」
「な……!? そちらから聞いてきておいて、何て言い草ですの!」
自信満々な様子で語り始めたセシリアのコメントは、早々に長丁場になると察した女生徒によって中断させられる。セシリアは憤慨した様子で食って掛かるものの、それを受ける側は慣れたものと言わんばかりに軽く流していた。
ふと、女生徒と視線がかち合った。彼女はお目当てのものを見つけたような笑みを浮かべると、憤怒の表情で捕えに掛かるセシリアを掻い潜って此方にやって来た。
……面倒な。今となっては後の祭りだが、現れた時点で隠形を用いてでも身を隠しているべきだったかもしれぬ。
「どうも、こんばんは椛博士。私、新聞部の副部長を務めている二年の黛 薫子です。織斑君のクラス代表就任に当たってコメントお願いします!」
「……その前に一つ聞かせてもらいたい」
「へ? 何ですか?」
ずいとボイスレコーダーを押し付けてきた黛という少女はきょとんとする。いったい何を聞かれるのかまるで分らないという顔だ。
しかし、私としてはその取材態度からして懸念を抱かざるを得ないのだ。過去に色々と経験している以上、この場で見逃した末に二の舞となる展開は回避したい。
「簡単な事よ。お主、取材した内容を過分に脚色することなく掲載すると誓えるか?」
「え……そ、それはその……ちょっとは手を加えますけれど……」
「悪いが、それを聞き入れてもらえぬのであれば取材は遠慮したい。身に覚えのない風評を流されるのは勘弁願いたいのでな」
頑として譲らない態度を表明すれば、黛殿は困り果てて視線を宙に漂わせる。一見押しが強そうには見えるが、経験が浅く取材を拒否されるなどという事態にあまり慣れていないのだろう。本職の者に比べ貪欲さに欠けているように見えた。それが記者として良いか悪いかは分からぬが。
「まあまあ、そんなこと言うなって椛。黛先輩だって部活の仕事で取材に来ているんだから、ちゃんと答えてあげなきゃ記事にならないだろ」
「お、織斑君……!」
後を追うようにしてやって来た一夏坊が声をかけてきた。困り果てた先輩を不憫に思って私を宥めようと思ったのだろう。その純粋な善意に黛殿は感極まる。
「ふん、甘い事を。その様では将来苦労する羽目になるぞ」
だが、容易には引き下がってはやらぬ。私は一夏坊の言葉を切って捨てた。
「頑固だな……取材の何がそんなに嫌なんだよ?」
「姉者の代わりに公衆の面前に立ちISの理論を語れば変人奇人扱い。しばらくしてマシになったかと思えば、今度は『ブリュンヒルデの右腕』などという偶像に仕立て上げられる。十年も前からそのような経験をして来れば、嫌気の一つくらいするわ」
当時を思い出し、辟易として吐き捨てる。
厚かましい面で人の事を根掘り葉掘り聞いてきておいて、いざ書き起こして並ぶのは都合のいいように解釈した虚実ばかり。おかげで私は実像が伴わぬほどに持て囃され、同時に必要のない畏怖に晒される始末。これで苦手意識を覚えない方がどうかしている。
最近では一夏坊について確証の無い憶測で語っているのも気に喰わぬ。記事にするならば、せめて確固とした事実をもとにして書けというのだ。
(変人というのは間違っていないと思うがな)
(ちょ、ちょっと箒さん! 何を言っていますの!?)
……一歩離れた所から何やら聞こえてきた気がするが、其方は流しておこう。今は眼前の問題を解決する事が先決である。
その眼前に立つ者はと言えば、取材拒否を受けてしょんぼりと項垂れていた。
「うう、新聞部の皆から椛博士のコメントは絶対貰ってくるよう言われていたのに……どうしても駄目ですか?」
「……まあ、嘘八百を記事にせぬのであればよい。私とて読者を惹きつける為に多少の脚色が必要なのは理解しておる」
「ホントっ!?」
涙目で訴えられては少なからず罪悪感が湧いてしまい、渋々やりすぎなければと妥協する。すると黛殿は途端に顔を明るくさせて身を乗り出してきた。
絆された、というか嵌められたな。その眼を見る限り狙ってやったように感じられる。どうやら経験は浅くとも、諦めずに情報を引き出そうとする強かさはあったらしい。
「ただ本当にでっち上げは勘弁願うぞ。折角の学園生活をふいにはしたくない」
「分かってますって! 捏造も極力抑えますから!」
「捏造をやめはしないんですね……」
一応の念押しに抜け抜けと答える黛殿。ある意味途轍もなく図々しい態度に、先ほどまで彼女を擁護していた一夏坊さえも呆れ顔になってしまう。
「じゃあ改めまして、織斑君のクラス代表就任に当たってコメントをお願いします!」
とはいえ、一度許可してしまったからには引き下がれぬ。ここは黛殿の良心を信じて素直に従うしかあるまい。
「ならば正直に言わせてもらうが……現段階において一夏坊の実力は未熟の一言に尽きる。他クラスの代表らと張り合うには力不足もいい所であろう」
「うっ……人が気にしている事を……」
「何を言っている! 一夏はお前が言うほど弱くはないぞ!」
「そうですわ椛さん! 少なくとも、わたくしを追い詰める程度の力があるのは貴方も見たのではなくて!?」
「騒ぐな。人の話は最後まで聞くがよい」
囀る小娘たちを一睨みして黙らせる。
一次移行時の余剰エネルギーの放出で九死に一生を得た末の特攻という、運任せもいい所の実績を如何して実力換算の内に入れられようか。運も実力の内とは言うが、それ以前にあらゆる面で拙さが目立ちすぎる。下手に褒めそやかすのは下策であろう。
「――だが筋は良い。今は脆弱であろうとも、代表を務めるうちに精強な男へと成長していってほしい。例え敗北や挫折があったとしても、それさえも糧にすることで、な。私が一夏坊に望むのはこれくらいだ」
だからと言って、期待をしておらぬわけではない。少々不安に思う点は有るものの、一夏坊の呑み込みの早さは驚嘆に値するものであり、幼馴染としても一技術者としても将来が楽しみでならない。
彼が何者になるかは彼次第だが、勝利の喜びだけではなく敗北の悲しみも知り、人として立派に成長して欲しい。その心に偽りはないと、私は断言できる。
「うんうん、何だか三人の内で一番まともなコメントがもらえたわ。博士、ありがとうございました。じゃあ、最後に写真撮るから並んでくれる? もちろん織斑君が中心で」
「あの、その写真は後で頂けるのですか?」
「ん、いいよ」
「では早速着替えて……」
「ストップ、時間がもったいないからそのままでねー。ほら三人で固まって」
何をとち狂ったのか、急に衣を変えてくるとのたまうセシリアを黛殿が制する。やや不満げながらもそれに従った彼女は、促されるままに一夏坊の側によるが……近い。写真を撮るだけにしては妙に密着しておった。さしもの一夏坊も戸惑いを覚える程である。
「…………」
「な、何だよ箒?」
「何でもない」
それにより、此方へ向けられる箒の視線もおどろおどろしいものへと変じていた。何事もないと告げるその言葉もいつもより平坦で寒気がする。女の熾烈な戦いの火花が、この場で静かに散っていた。
当事者たる一夏坊はともかく、関係のない私を巻き込むのは止めてもらえないだろうか。二度目の人生とはいえ、この手の経験は浅いため無駄に心労を掛けさせられる。
そんな息苦しい空気をものともせず、黛殿はカメラを構え何時でも撮れる体勢を整える。気付いていないのだろうか――否、気にしても無駄だと割り切っているのだろう。私も見習いたいものだ。
「はい、それじゃあ撮るよ。円周率の小数点以下三十五桁はー?」
「え……二か?」
「阿呆、八だ」
「ピンポーン、椛博士だいせいかーい!」
果たしてその問いに意味はあったのか。甚だ疑問ではあるが深くは聞くまい。
機嫌の良さそうな声を出す黛殿の指がシャッターボタンに掛かる。それに力が籠められるのを目が捉えた瞬間――背後で旋風が起こった。
「……ちょ、ちょっと貴方たち!」
「ふふん、抜け駆けは許さないわよ、セシリア」
「別に三人で撮らなきゃいけないなんて言われてないしねー」
「仲間外れは~駄目なんだよ~」
「く……う……」
……具体的に何が起こったかというと、クラスメイト全員が、シャッターが切られる刹那の間に私たちの周りに集結しておった。恐るべき俊敏さである。
先ほどまで睨みを利かせていた箒もちゃっかり居たりすることから、示し合せた上での行動ではない筈なのに、この統率のとれた動きは何なのか。どうでもいい所でこのクラスの息の合い様を見せられた気がする。
「さてと、記念撮影もやった事だしパーティーを再開しますか! 織斑君、何か一発芸やって!」
「はあ!? い、いきなり一発芸って言われても……」
「ほらほら、皆の前に立ってドカンと一発かましてやってよ!」
「期待大だね~」
一区切りついて落ち着きを見せるどころか、宴会は更なる盛り上がりを呈し始める。一夏坊を渦中としたそれは、もはや本人の意思などお構いなしに引きずり込む際限なきうねりと化していた。
酒も無しによくもここまで騒げるものだ。呆れを超えて感心さえしてしまう。精神的に老成してしまっている身からすれば、この若さ溢れる騒ぎに乗り込むには無理がある。年寄りは一歩離れた所で見守るにとどめるとしよう。酒があれば、また違った選択も出来るのだがな。
……だがまあ、馬鹿騒ぎは見ているだけでも楽しめるものだ。時にはこういった過ごし方もありであろう。
「素面の宴会など物足りぬと言いはしたが……くく、これはこれで悪くない」
テーブルに置いてあった炭酸飲料を呷る。
やはり酒には及ばぬが、不思議な事にいつもよりは美味いと感じられた。
「え、えーとだな……椛(もみじ)を皆で揉みし(もみし)だけ! なんつって」
――ちなみに、一夏坊は凄まじく寒い洒落を披露して場を白けさせていたと、此処に記しておく。