IS ‐もののふ少女伝-   作:お倉坊主

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明日発売の「閃の軌跡Ⅱ」の予習のために前作をやり直していたら少々遅れてしまいました。申し訳ない。だが、これで全員分のエンディングもやり終えた。明日に向けての準備は万全だ!
……そういう訳で、しばらくプレイに熱中するため次回の更新も遅れると思います。ご了承ください。


第二十三話 交わる心

「……ふむ、中々やる」

 

 残心を解き、弓型の兵装――天鹿児弓(アマノカゴユミ)を下ろした私は、そう一人ごちる。視線の先には、背部のユニットの一つを丸々失ったものの、辛うじて致命傷を避けたボーデヴィッヒの姿があった。

 彼女の戦闘技術は高い位階にある。戦いの中で私はそれを肌で感じ取っていた。

 ISの操縦技術は言うに及ばず、純粋な格闘術にも通じている。手刀の扱いには光るものを感じた上、少しばかり傲慢な言い方かもしれないが、私の剣を凌いだのは称賛に値する。それを為したのは、生まれに由来する金色の左目の恩恵もあろう。だが、それはあくまで補助でしかない。この結果は彼女自身の弛まぬ努力が結実したものだ。

 同じ代表候補生である鈴音やセシリアと比較しても頭一つ飛び抜けている。そのような強者と見えたのは僥倖という他ない。諸々のしがらみがあるとは言え、純粋に戦いの高揚が感じられる筈だった。

 そう、その筈だった。だが、今私の胸中に居座る感情は全く異なるものであった。

 

(焦燥……いや、恐怖か。何かは知らぬが、そのような様を見せられては楽しめぬではないか)

 

 息を荒げながらも、ボーデヴィッヒは戦意を損なうことなく私を睨みつける。しかし、その裏側にあるものを私は既に察していた。彼女が不遜な態度で隠す、その身に内包した歪みの片鱗を。

 人が武を振るう時、そこには意志が伴う。かつては剣の道において一つの極みに達したと自負する身、幾らか打ち合えばその意志を察する事も――言うなれば、斬って分かる事も出来る。

 ボーデヴィッヒから感じたのは恐れだった。それは強者に対する畏怖とは異なる。自らの身を脅かすもの、生死に関わるような根源的恐怖だ。

 生死とは無縁の試合で何をそこまで恐れるのか?

試合の前に語った「正しい強さ」の真意はどこにあるのか?

 疑問は尽きない。ただ確かなのは、このまま試合を続けても勝敗如何に関わらず良い結果にはならないという事だ。

 ならば茶を濁す結果に持ち込むかと問われれば、それも否である。彼女の力量ならば、わざと中途半端に終わらせたと気付くのは間違いない。そうなれば事態は余計に悪化しかねない。下手な真似は御法度だ。

 ボーデヴィッヒの真意を確かめ、かつ彼女に納得まではいかずとも私の意思を理解してもらう。それが此の場を収めるのに最善の手法だ。

 ……困難どころの話ではないな。まったく、苦労させてくれる。

 

 ――警告、稼働限界まで残り五分。注意されたし。

 

 相棒から律儀な事に注意勧告もやって来た。必要以上に時間はかけられない。

 本来ならば武で語り合う事で済ませたかったのだが、斯様な事態になったからには仕方がない。多少は強引にでも事を為すとしよう。

 曙の状態を確認しながらも、ボーデヴィッヒの様子を見て目算を立てる。一先ずは接近しなければ話が始まらない。レーゲンのワイヤーブレードの残数は一。背部ユニットの損傷でレールカノンは威力が減少しているであろうが、当たれば痛い目に合う事には変わりあるまい。厄介なAICもある上、相手も警戒して容易くは近付かせてもらえないかもしれないが……

 

「往くか」

 

 まあ、押し通らせてもらおうか。

 私が動き出したのに合わせて、ボーデヴィッヒも即座に反応した。ワイヤーブレードで牽制しつつ、レールカノンによって進路を阻まんとする。

やはり良い反応だ。殻に閉じこもらせておくには勿体ない。

 回避運動を取りながらも、再び天鹿児弓を構える。つがえるは粒子によって形成された光の矢。曙に指示を送り、弓の射出口に偏光フィールドを展開。FCSに頼らない己の目測と勘で狙いを付けた。

 殻から出ぬと言うならば抉じ開けるまで。矢を放つ。偏光フィールドによって拡散した粒子ビームが雨霰となって降り注いだ。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 幾条にも拡散して飛来する光の矢を紙一重で躱す。射出していたワイヤーブレードの回収は間に合わなかった。焼き切られて無用の長物と化したそれを見て舌打ちする。中距離武装を完全に喪失し、こちらの動きは制限されつつあった。

 あの弓は脅威だ。かと言って、ドクトル相手に接近戦を挑むのは分が悪いと既に判明している。このままでは……

 身体に怖気が走る。その先を考えてはいけない。それを認めてはいけない。心中の動揺で動きが鈍った。掠めた粒子ビームが僅かながらシールドエネルギーを削っていく。頭を振って余計な思考を打ち切ろうとしても、一度頭を過ってしまったそれは離れない。苦渋の表情が顔に浮かぶのが自分でも分かった。

 

「何故だ……何故そんなにも強い……」

 

 強者は絶対者でなければならない。何物にも動じず、ただ力を追及する者こそが相応しい。

 自分は昏く淀んだあの場所でそう教えられた。強者となるべくして生まれた私たちは、そう在らねばならないと身に刻まれた。優秀な者のみが生き残れる過酷な環境に置かれたからには、そう信じなければいけなかった。

 自分以外に代わりは幾らでもいる。また試験管から取り出せばいいのだから。例え以前は優秀だったとしても、実験の失敗で数値が落ちてしまったらそれで用済み。後は家畜のように屠殺するか、他者の訓練の動く的(・・・)として使い潰すくらいしか用途は無い。

 外の世界に出て力を求める以外の生き方があることも知りはしたが、強者としての在り方に変わりは無いと思ってきたし、ましてや自分がそれ以外の生き方ができるとも思えなかった。私には、自分で生き方を選ぶ強ささえ無かったのだから。

 私は望んで軍人になったのではない。軍人であること以外に価値を見出せなかっただけだ。それでも自分の弱さを超克しようと我武者羅に足掻いて……その末に出会ったのが教官だった。

 教官の導きで私は強くなれた。価値を失わずに済んだ。教官と教官が認める者こそが真の強者なのだと信じるようになった。不動の姿と圧倒的な強さ、それがまさに教えられた理想の通りだったから。

 …………なのに。

 

「何故……そんな在り方で強く在れる……!」

 

 こんなにも安穏とした地で教職にあることに教官は満足していると言った。教官が認めた者であるドクトルも安穏さを良しとした。

 違う。そんなものは強者としての在り方ではない。強者とは強さを求め続ける者だ。楽土に身を委ねて満足するなど、ただの怠慢でしかない。強者にそんな怠慢は許されない。

 彼女たちは間違っている。間違った強さは正しい強さを以て正さねばならない。間違った強さに私が負ける筈が無い。

 だが、今のこの状況は何だ? 押されているのは私だ。武装を潰されて劣勢に追い込まれつつある。ドクトルが私より強いから、私がドクトルより弱いからこうなっている。彼女の強さは間違ったものである筈なのに。

 ……有り得ない。有り得ていい筈が無い。

 

「墜ちろ……墜ちろぉ!!」

「疾っ!」

 

 左目で見極めたドクトルの予測軌道にレールカノンを放つ。ユニットが破損したとはいえ、威力に申し分はない。当たれば大きな損害を与えられるそれは、ドクトルに届くことは無かった。瞬時に展開された白鞘の大太刀によって両断された弾頭が、空しく地に落ちていった。

 それでも手はまだ残っている。右手を掲げてレーゲンの第三世代兵器、AIC(アクティブ・イナーシャル・キャンセラー)を発動する。多大な集中力と精密な空間把握を要するが、その効果は対象の動きを封じるという破格のものだ。大抵の相手にはこれだけで片が付く。

 だが、ドクトルは並の相手ではない。この距離で拘束力が緩い全体指定では瞬時加速で無理矢理突破される可能性がある。先ほどと同様、対象を四肢の一点に絞った精密操作で強固に縛り付けようとした……が、それもドクトルには通用しなかった。

 敵機左肩のシールドバインダーから発生する粒子フィールド。必殺のレールカノンを凌いだそれが再び展開され、AICの力場を受け止める。二度目に関わらず行われた的確な対応に歯噛みした。

 AICはPICの慣性操作を応用した特殊な力場によって対象をその地点に固定する機能だ。つまり、対象との間に何かしらの障害が入ってしまったら効果は発揮できない。

 何故こうも防がれる? 何故勝てない? 間違った強さが私よりも勝るというのか?

 認められない。認めたくない。それを認めてしまったら、私は……

 

「――ガッ!?」

 

 息が詰まる。暴力的な衝撃に堪らず吹き飛ばされた。

 思考の間隙を突かれた。高度を落とす機体を立て直そうとしながら、そう気付く。見れば大太刀を背部にマウントして弓を構えている。私が見せた僅かな隙を射抜いてきたのだ。

 粒子ビームは反射的に身を守ろうとした左腕に直撃。ダメージレベルはC、シールドエネルギーの残量は三十パーセント。損傷によって左腕プラズマブレードは使用不可。

 最悪だ。考えに呑まれて隙を晒すなんて。

 情けない自分を罵倒する暇はない。既にドクトルは追撃してきている。残弾数が心許なくなってきたレールカノンを放ち、何としてもその進撃を妨げようとするが、悪足掻きの攻撃など通じる筈もなかった。容易く躱され、次弾装填の間に粒子ビームが吸い込まれるように砲口に飛び込む。レールカノンが爆発を起こし大破、衝撃で再び体勢が崩れる。

 

「……っ! まだだ!」

 

 ダメージレベルはDに達した。これ以上の戦闘継続は賢明ではない。理性ではそう判断していた。

 だが、それは敗北を認めるという事だ。自分が間違った強さに劣ると認めるという事だ。それを認めてしまったら、強くなったと思っていた自分がそうだと認めてしまったら、今度こそ私は不要な存在(・・・・・)となってしまう。

 弓から戻した双剣を腰に差し、大太刀に持ち替えたドクトルが迫る。残った武装は右のプラズマブレードのみ。やるしかない。

 

「はああああっ!!」

「破ぁっ!!」

 

 裂帛の気合いを込めて振るった一撃がぶつかり合い、弾き、切り結ぶ。

 生身で剣を振るうのと遜色ない動きで攻め立ててくる剣戟を、極限にまで集中した左目で捉える事で辛うじて凌ぐ。見出した僅かな隙に決死の思いでブレードを突き出す。光剣は相手の頬先を掠め、そのシールドエネルギーを奪う。

 だが、足りない。

 ドクトルを倒すためには力が足りない。

 エネルギーの残量は間違いなくあちらの方が多い。このまま均衡を保てたとしても先に削り切られてしまう。そしてこちらにはもう、現状を打開する決定力を持った手段が残されていない。この激しい応酬の中ではAICを使う事も儘ならない。

 このままでは負けてしまう。間違った強さが正しいと証明されてしまう。

 

「もっと……!」

 

 そんな事、あってはならない。認めてはならない。

 力が必要だ。この目の前の敵を打ち倒すには、間違った強さを否定するためには。

 

「もっと力を……!」

 

 

 

 ――求メルカ?

 

 

 

「え…………」

 

 その時、頭の中に何かが囁きかけてきた。通信の類ではない。まるで暗闇の底から湧いて出てきたような、そんな薄気味悪さを感じられるものだった。

 

 ――汝、力ヲ求メルカ? 変革ヲ望ムカ?

 

 だが、それは同時に酷く甘美な響きとなって私の内に入り込んできた。根拠も何も無い筈なのに、不思議と本当に力を与えてくれると信じてしまうような響きだった。

 追い詰められていた私に、それについて深く考える余裕などなかった。ただ藁にもすがる気持ちで提示された問いに肯定の意を示そうとする。頭を過った悪魔の契約という言葉など斟酌する間もない。

 しかし、その刹那の間に行われる契約に割って入ってくる者が居た。

 

「ボーデヴィッヒィ!!」

「ッ!!?」

 

 意識が現実に引き戻される。目の前には大太刀を大上段から振り下ろさんとするドクトル。咄嗟に受け止めたそれは重く、度重なる被弾で高度を落としていた機体は相手諸共に地に落ちた。

 背中から落ちた衝撃に顔を歪めながらもドクトルと鍔競り合う。至近距離のドクトルの機体からは、動力源となっているらしい粒子を放出する甲高い回転音が響く。

 

「喝!!」

 

 腹の底が震えるようなドクトルの声。途端、異常は起きた。

 ドクトルの機体が緋に染まる。だが、それを目に出来たのは一瞬だった。甲高い回転音が更に唸りを上げ、私の視界を瞬く間に青白い光で染め上げる。

 

「こ、これは……何……!?」

 

 唐突な事態に困惑する私が落ち着く間もなく、変化は立て続けに起きる。レーゲンから、正確には機体の内部から淡い光が漏れだす。それはまるで、レーゲンが何かに共鳴しているかのようだった。

 突然の異常事態、それも原因も何も分からない事に混乱する。だが、最も不可解なのは、このような状況に置かれて不安を感じていない自分自身だった。

 

「いったい何なんだ! 恐怖を、感じない? この暖かさは……」

「それは、お主自身の内にあるもの。人が誰しも持ち得る暖かさだ」

 

 光の奔流の源、ドクトルから声が聞こえる。気が付けば鍔競り合っているのは形だけで、そこから剣の重みは既に失われていた。

 

「其の内を晒せ。そして見るがいい、此の私の強さの在り方を!」

 

 疑問の声は上げられなかった。次の瞬間、私の意識はどこかに飛び立っていった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 暗く昏い闇の中、私が目を覚ましたのは例えるならそんな場所だった。

 培養液のようなものに浸かった私を、白衣を纏った者たちが口々に言葉を交わしながらその眼で見やる。そこには理性は有ったものの、それ以上の狂気が渦巻いていた。

 白衣の集団の一人が私を呼ぶ。「C-〇〇三七」それを聞いて私は理解した。

 

 ――ああ、そうか。私は今、自分が生まれた時の事を思い出しているのか。

 

 遺伝子配列パターンCタイプ、その三十七番目の素体。私の事を示すその記号は実に単純なものだった。

 不満を抱いたことは無い。いや、不満を感じる要素を私は持っていなかった。意識が覚醒した私が持っていた知識と言えば、自動学習という名の洗脳装置で刷り込まれた最低限の物のみ。その中に当然ながら倫理というものは含まれておらず、私に限らず自身の呼称に拘るような素体はあの場所にはいなかったのだ。

 試験管の中から取り出されてからも、教えられるのは優秀な兵器となるための事ばかりだった。銃の扱い、作戦を遂行するための知識、そして人を効率的に殺す技術……そんな血生臭い教養だ。

 ISが開発されてからは、それも教えられることの内に入った。無論、競技としての技術を教える為ではない。軍事兵器のパイロットという部品を作るためだ。同じ時期に男性の素体が目に入ることが少なくなっていったが、その時の私にはそれが何を意味するかを理解していなかった。

 指示された通りに殺しの技術を学び、美味くも不味くも感じない食事をし、寝ている間に何をされているかも知れない睡眠をとる。何の変化もない繰り返しの情景がダイジェストのように目の前を過ぎ去っていく。

 

 ――あ…………

 

 その繰り返しに、ふと一つの変化が生まれる。

 私と同じ遺伝子配列パターンであることを示す銀髪赤目の外見。だが、自分と比べて少しばかり小柄な素体が、訓練している私の下に現れた。声を掛けられ、言葉を交わし、表情に僅かながら変化を見せる私。彼女は私に訓練でのコツを教えてほしいと頼んできた。

 彼女――「C-〇〇四九」は、あまり訓練の成績が芳しくない。そこで目に付いたのが、当時は出来が良かった私だったようだ。人に頼まれるなど初めての経験だが、断る理由も無いため首を縦に振った。

 

 ――駄目だ。

 

 私たちの師弟関係は実に奇妙なものだった。互いに生まれてからというものの、全ての行動には命令というものが付いて回ってきた。自主的な行動の勝手が分からず、教える方も教わる方もぎこちない。

 だが、不器用ながらも指導を施し、結果として劇的とは言えずとも、多少は彼女の技術の向上に結び付いた。

 私たちは感情というものが希薄な存在だ。それでも彼女はその時、確かに喜びを感じていたのだろう。私に「ありがとう」と礼を言った。その顔に下手糞な笑顔を浮かべて。

 彼女より優秀でも、人間らしくは無かった私は無表情のままそれを聞き届ける。ただ、悪い気はしなかったのは確かだ。

 

 ――その先に行っては駄目だ。

 

 それからしばらく時が経った後、私と彼女は無機質な実験場で向かい合っていた。彼女は俯き、表情はよく分からない。部屋を囲うガラスの向こう側から研究員の命令が下る。

 

「実戦訓練だ。標的(・・)を排除しろ」

 

 何を言われたのか分からない。標的とは何だ? 私と同じ研究対象である筈の彼女をどうしてそう呼ぶのか? 彼女はどうして私に銃を向けている?

 彼女が銃を撃つ。何も分からなくても、私の身体は勝手に動き出す。今まで訓練してきた通りに。狙いを絞らせないよう揺さぶりを掛ける。隙を突いて接近し銃を弾き飛ばす。組み敷き、首筋にナイフを突きつけて無力化する。露わになった彼女の顔には恐怖が張り付いていた。

 これで終わりだと思った私はそのまま次の命令を待つ。だが、研究員が言い放った言葉はどこまでも無慈悲だった。

 

「どうした、早く止めを刺せ」

 

 今度こそ私は呆けてしまった。これは訓練ではなかったのか。既に勝負はついたというのに、どうして終わらない。止めを刺せとはどういう意味なのか。

 彼女が緩んだ拘束を無理やり振り解く。必死の面持ちでナイフを握り、見覚えのある動きで距離を詰めてくる。私が教えた動きだった。

 私を刺し貫こうと迫り来る彼女。私には何も分からない。彼女が何に恐怖し、どうしてそんなにも辛そうな顔をしているのかも。

 それでも、私の身体は命令に対してどこまでも従順だった。

 

 ――止めろ!!

 

 半歩動き、突き出されたナイフが空を切る。ナイフを持った右手が勝手を知った動きで急所に向かう。肉と血の感触が手に伝わった。

 彼女の身体から力が抜ける。私にもたれ掛るようにして、浅い息を吐きながら辛うじて立つ。吐血が呆然とする私の肩を濡らした。その表情は私からは見えない。ただ、肺を潰され、息も儘ならない彼女が口を開く気配がした。

 

「     」

 

 何を言ったのかは分からない。その言葉を最後に彼女は倒れ込む。冷たくなった身体が床に落ちる音、そして研究員の満足気な声が、どこか遠くから聞こえる。

 それを最後に過去の情景は消え去り、何もない暗闇が残った。

 

 ――……そうだ、弱者は切り捨てられる。分かり切っていたことではないか。

 

 彼女があんな末路を辿ったのは弱かったからだ。研究対象としての価値を失い不要な存在となったから、生身の的として使い捨てられた。ただ、それだけの事だったのだ。

 嫌だと思った。自分と同じ姿の物言わぬ骸を見て、言い難い拒否感を感じた。

 だからこそ私は強者でなければならない。価値を失わず、不要とならないためには絶対的な強さが必要だ。

 今ではシュヘンベルグ管理官に引き取られて、もう非道な処分はされないと分かってはいる。だが、それが何の保証になるだろうか。私は戦いの技術しか知らない。私が弱者となり、それが不要のものとなってしまえば、他には何も残りはしない。そんな役立たずが何時までも庇護を受けられる保証など、何処にも無いのだ。

 絶対的な強者であること。それが私の存在価値であり生きる理由。だからこそ、私はドクトルを打ち倒して自身の強さを証明しなければならない。こんな訳の分からない場所で留まっている訳には……

 

『それが、お主が強さに拘る理由か』

 

 頭に声が響く。音を耳が捉えた訳ではない。だが、それでも何となく振り返るべき方向は分かった。いつの間にか暗闇が幻想的な光に変わった空間で、私とドクトルは向かい合った。

 

『死を畏れるが故に力を求むか。いくら遠ざけようとも、死は万人に訪れるというのに』

 

 だが、貴女も知っている筈だ。先に死んでいくのは弱者の方だと。弱いせいで抵抗も出来ずに消えていくなど、私には到底受け入れられない。

 

『……そうだな。確かに、よく知っておるよ』

 

 返ってくる肯定の言葉。それと共に、私の中にイメージが流れ込んでくる。

 この時代ではないどこかの戦場で、小勢が大勢に呑み込まれて殲滅されていく光景。長閑な農村が簒奪の憂き目にあい、抗う術もなく蹂躙されていく光景。それを一人の男が見続ける。時に強者の側から、時に弱者の側から。

 何故こんなものが流れ込んでくるかは理解できない。だが、感じることは出来た。これがドクトルの知るものなのだと。

 

『だがなボーデヴィッヒ、力なき者が弱き者であるとは限らぬ』

 

 ……今度こそ、どういう意味なのか全く分からない。

 力が無い事と弱い事が同じではない?

 私の理解の及ばない言動に困惑が深まる。

 

『力なき者が先に死してゆくのは世の常。だが、時に己の強さを以て、その不条理を乗り越えてゆくことが出来るのも、また人間だ』

 

 圧倒的な戦力差の前に押し潰されるしかないと思われた小勢が、粘り強さと奇策を以て敵軍を退ける。多くのものを奪われ失って、尚も人々は懸命に生きようとする。

 それらは確かに弱者と呼ばれる側の筈なのに、不思議と力強さを感じさせる姿だった。私には無い何かを持っていた。

 

『お主が求める「力」は唯の手段。追い求めれば死を遠ざけることは出来ようが、其処に「強さ」は無い。死から逃れる事に囚われ、生と向き合えずにいるのであればな』

 

 生と向き合う? それが「強い」ということ……「強さ」とは、何だ……?

 

『世の不条理、そして欺瞞……人が生きる中で「壁」というものは必ず現れる。人はそれに屈してしまうかもしれない、目を逸らしてしまうかもしれない。お主が「死」という不条理から力を求める事で逃れようとしたように』

 

 …………

 

『だが、人は決して「壁」の前でただ無力な存在ではない。如何に困難であろうと己を曲げず、貫かんとする強固な意志、それさえあらば「壁」も乗り越えてゆける――私はそれこそが人の「強さ」だと信じておる』

 

 己を貫く意志……それが「強さ」……

 ……なら私はどうすればいい。人工的に生み出され、命令されるがまま生きてきた私に自己なんてものは存在しない。作り物が「強さ」を求める事など、初めから出来る筈もない烏滸がましい真似だったのか……?

 

『それを決めるのは私ではない。私が示したのは己が辿り着いた答えの一つに過ぎぬ。お主自身が見つけなければならん。己の在り方も、お主にとっての「強さ」の意味も』

 

 まるで突き放すかのような言葉。それは用意された答えに縋ろうとする私の弱さを戒めるものだったのか、幾分か強い語調に感じられた。

 だが、ドクトルは惑う私に『だがまあ』と穏やかな声で続けた。

 

『私見では、お主は既にその答えを持っていると思うがな。今一度、己の内を見つめ直してみるがいい。お主が求めるものは其処にある筈だ』

 

 自分の内を見つめ直す……それが私の為すべきこと、か。

 ……不思議なものだ。先ほどまであんなにまで乱れていた心が、今は凪のように落ち着いている。間違っていると否定し続けてきたドクトルの言葉が、自然と胸の内に入り込んで理解することが出来る。何故かは知らないが、素直に彼女の語る事を受け入れることが出来るのだ。

 その理由を何処かに求めるとするならば、やはりこの不可思議な空間が何らかの形で作用しているのだろう。だが、ドクトルの言葉自体にも何か普通とは異なるものがあった。

 まるで悠久の時を生きてきたような言葉の重み。薄っぺらなものとはまるで違うその重みが説得力となり、凝り固まった私の内にも届いたかのようだった。他の生徒と同じように、ドクトルも間違いなく十数年の時しか生きていない筈なのに。

 それに、あの頭に流れ込んできたイメージは一体……

 

『死から逃れる術を考えるな。己の生き方を考えてみろ――私から言えるのは、それだけだ』

 

 不可思議な空間が光で塗り潰されていく。意識が現実に引き戻されていくのが分かる。光の向こうに消えていくドクトルの姿。白濁していく私の視界には、もうぼんやりとした形でしか映っていない。

 その姿が何かと重なるようにぶれる。輪郭がぼやけたせいではない。ドクトルとは似ても似つかない何者かの姿が確かに見える。

 男性らしい逞しい体躯、ざんばら髪の白髪、年輪のように皺が刻まれた顔。その全てにドクトルと似通った所は無い。一見して厳めしい老齢の男、そう判断するしかない姿。

 だが、ぼやけた視界が一瞬だけ鮮明になった時、私はその判断を撤回する事になる。

 ――好々爺が浮かべるような、慈しみに満ちた微笑み。

 瓜二つのその笑顔だけで、老人とドクトルを繋げるには十分だった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ふむ、此処までのようだな」

「え……? あ……」

 

 気が付けば、私の意識は現実へと戻ってきていた。鍔競り合う格好の私とドクトルに、いつの間にか大勢に膨れ上がっていたギャラリーの喧騒。意識が飛ぶ直前と何も変わりはない。

 あの空間は何だったのか。いや、そもそも本当に起きたことだったのか?

 まるで時間の経過を感じられない状況に、自身が目の当たりにした現象が幻か何かだったのではないかと疑ってしまう。だが、夢や妄想の類と断じてしまうには、あの空間で見聞きしたものは生々しすぎた。それが余計に私を混乱させる。

 そんな目を白黒させる私を余所に、ドクトルは剣を引いて圧し掛かるようにしていた私の上から立ち退いた。その機体の周囲には真っ赤な警告表示が点滅していた。

 ふと気付く。ドクトルが最初に提示した二十分という条件、その制限時間が経過したのだと。

 

「事前に告げた通り、試合は終わらせてもらうぞ。ほれ、立てるか?」

「……ああ、問題ない」

 

 互いに機体を解除して、ドクトルの手を借りて立ち上がる。墜落による打ち身で多少身体に痛みはあったが、翌日には回復する程度のものだ。わざわざ言う程のものでもない。

 ただ、身体的に問題は無くとも、精神的には未だ混乱が続いている。自分とは反対に何の変調も見せないドクトルに戸惑っていると、その相手がさり気なく声を掛けてきた。

 

「納得はできたか?」

「え…………」

「言っておっただろう、己の正しさを確かめると。故に私なりの答えを示させてもらった心算なのだが……どうだ?」

 

 間違いない。ドクトルはあの空間でのことを話している。そう直感した。

 納得したかと問われたものの、正直なところ、どう答えたらいいのか分からないというのが今のところの私の気持ちだ。私の求めていた「力」が必ずしも「強さ」に繋がるものではない事は理解した。一度立ち止まって考えるべきである事も理解した。

 だが、それを理解して私が得たものは納得よりも不安が大きい。

 分からないのだ。自分にとっての答えを私は見つけられるのか……見つけられなかったとき、私は一体どうすればいいのか。

 盲目的に従える指標を失った私にとって、それは何よりも大きな不安となった。いつ崩れ去るかも分からない不安定な足場にいるようで、心許なさに気持ちが落ち着かない。

 きっと、そんな弱々しい様子が私から察せられたのだろう。ドクトルは私の頭に手を伸ばし、やや乱暴な手つきで撫でまわした。「あ……」と声が漏れる。こんな風に頭を撫でられるなんて初めての事だった。

 

「今はそれでいい。悩んでこそ人……他を顧みぬ盲従より、よほど良かろう」

 

 ああ、まただ。この言葉の重みが私の内にまで沈み込んできて、不思議な安心感と得心を与えてくれる。私は抵抗もなく小さく頷いていた。

 それを返答と受け取ったのだろう。ドクトルは満足そうに笑みを浮かべて、私の頭から手を離す。つい名残惜しげに離れる手を目で追ってしまった私に苦笑しながらも、彼女は「ではな」と一言告げて踵を返していった。

 その去りゆく背中に言い知れない感情が募る。知らず知らずのうち、私は口を開いていた。

 

「ドクトル!」

 

 殆ど無意識のうちに口を突いて出た呼び声にドクトルが振り返る。不思議そうな面持ちの彼女に対して、呼びかけた当の私は口籠る。語るべき言葉が頭の中で纏まらない。

 数秒ばかり口をまごつかせ、ようやく出てきた言葉は至極単純なものだった。

 

「貴方は……貴方は何者なのだ?」

 

 不思議な重みを感じさせる言葉、戦場のイメージ、そして垣間見た老人の姿。立て続けに見せられた異常性に、私はドクトルという人間が分からなくなっていた。

 嫌悪を感じている訳ではない。ただ、世間一般に伝わる「優秀な科学者」という像は完膚なきまでに打ち砕かれ、常人とは全く異なる何かをドクトルに感じていた。

 それはいったい何なのか。そのよう疑問をストレートに伝えるための問いだった。

 あまりに直接的な問いだったせいだろうか。ドクトルは虚を突かれたように目を瞬かせている。そうしている内に私の意図も伝わったのか、何とも言えない表情に変わる。

 

「何者などと問われるほど大したものではない。私は神社の皮を被った武家の末裔にして、年の割に古臭い無骨な親不孝者……」

 

 それは苦笑しているようでいて、どこか自嘲しているようでもあり。

 

「――そして、今この時を生きる一介の武士(もののふ)よ」

 

 だが、確かに誇らしげな様子でもあった。

 想像さえしていなかった答えに唖然とする私を置いて、ドクトルは今度こそアリーナから去っていく。

 その背中は、あの空間の中で見た老人のように、とても大きいものだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 アリーナを後にしたその足を止めず、前へ前へと進んでいく。試合の興奮が冷めやらぬ喧騒から遠ざかり、人気の無い奥まった所へと。途中に一夏坊らと思しき追手の気配を感じたが、陰業を用いて撒かせてもらった。根掘り葉掘りと色々聞いてくるだろう彼らの相手は後回しだ。

 辿り着いたのは、僅かに入る日の光以外に碌な明かりもない寂れた廊下。此処らでいいだろう。ようやく足を止め、背を壁に寄りかからせた私は懐から通信用の端末を取り出した。

 数回鳴るコール音。相手はそう間を置かずに通信に応じた。

 

『シュヘンベルグです。椛さん、如何なさいましたか?』

「何、ボーデヴィッヒの件で進展があってな。ヴェルナー殿にも聞いてもらいたい」

『ほう』

 

 興味深げな声を上げる友人に手短に話し始める。

 模擬戦を挑まれた事、試合の中でボーデヴィッヒが何かを恐れていた事、少しばかり力技(・・)を用いて意思疎通を図った事、そして多少は頑なだった態度が軟化した事を。例の空間で話した事など仔細は省くが、大凡の事は余さず伝える。

 

『……成程、どうやら大分お世話になってしまったようですね』

 

 途中に相槌を打ちながらも静かに聞き手に徹していたヴェルナー殿は、私が話し終えると「ふう」と一息ついた。

 

『やはり貴方に頼んで良かった。私では彼女の力にはなれませんでしたから……お礼を言わせてください』

「よせよせ、老婆心から節介を焼いたまでよ。それに、まだ万事解決したわけでもない。どうしても礼を言いたいのであれば後に取っておくがよい」

『では、そうさせていただきましょう……しかし椛さん、あの現象(・・・・)を発生させたとなると機体に大分負荷がかかったのでは?』

 

 咎めるような声音に肩が揺れる。図星であった。

 

「ま、まあ確かに無理が祟った点もあるが、大事は無い。ボーデヴィッヒの変化の代償としては安いものよ」

 

 不安定な稼働状態で莫大な粒子放出を行った結果、曙はオーバーヒートを起こして現在機能停止状態にある。再稼働の為の整備に困難が伴うと言う訳ではない。だが、普段より面倒という点では否定しようがない。

 とは言え、的を得た指摘につい言い訳がましくなってしまったが、ボーデヴィッヒに良い影響を与えられたのなら惜しくないというのは本心だ。それはヴェルナー殿も承知していたのであろう。仕方がないとでも言うかのような溜息が聞こえてきた。

 

『まったく、貴方は昔から無茶をするのですから……もう少しご自愛ください』

「面目ない」

 

 姉者を筆頭に変人奇人が多い仲間内では常識人である彼には、たまにこうして小言を言わせてしまう。もっとも、既に半分は諦めている節があるようだが。

 さて、和やかな話は此処までにして本題に移るとするか。

 

「してヴェルナー殿、実は模擬戦の最中で気になる事があってな。実を言うと用件は其方の方になる」

『ふむ……?』

「ボーデヴィッヒの機体――シュバルツェア・レーゲンだが、整備担当に何か不審な点があったりはしないだろうか? どうにも妙な感触がしてな」

 

 粒子放出をするに際して、万全を期すべく組み伏せようと損傷したレーゲンに接近した辺りだ。ボーデヴィッヒは茫洋としており、まるで禍々しい何かに呑み込まれかけているかのように見えた。咄嗟に出した怒鳴り声とその後の現象でその「何か」は鳴りを潜めたようだが、そこに何某かの異常が巣食っているのは可能性として十分有り得る。

 その様な事情を説明すると、ヴェルナー殿はしばし考え込む。熟慮の後、彼は慎重に切り出した。

 

『常時の整備には私の部下が携わっています。そちらの線では無いとすれば……学園に送る前に受けさせられた、政府指定の研究所での点検が怪しいかと』

 

 代表候補生としてIS学園に送り出す際、政府からの指示で外部機関による点検整備が行われたのだという。国の代表として赴く以上、その機体にも不備があってはならないというのが政府の主張だ。信用されていないようで若干不満はあったものの、大人しくボーデヴィッヒに点検を受けに行かせたそうだ。

 女尊男卑が世間一般となっている現状で、ボーデヴィッヒをはじめとした他数名のIS操縦者の管理という重責を担っているヴェルナー殿に反感を抱く輩は多い。今回もそういった方面からのちょっかいだろうと考えていたらしい。

 しかし、斯様な事態となってくると話は変わってくる。レーゲンに何かが仕組まれた可能性がある以上、ただ座している訳にはいかない。

 

『一応確認しておきますが、そちらに行ってから機体に手を出した者は?』

「おらぬ筈だ。人付き合いが良いとは言えなかったからな。何か仕組む機があったとすれば、やはり件の研究所が最も臭かろう」

『承知しました。イギリス方面は切り捨てという方針でよろしいでしょうか?』

「止むを得まい。外憂よりも内患だ」

 

 サイレント・ゼフィルスの案件は元より外部の事。さして有効な手立ても持ち合わせていないのだ。恐らくは目を離した隙に掠め取られていくだろう。それは業腹ではあるが、仕方ないと割り切る事も出来る。

 だが、身内の間近に潜む危険となればそうもいかない。亡国の連中かどうかは知らないが、早急に撃滅して然るべきである。

 

「私はレーゲンに異常がないか観察しておくとしよう。本来なら、其方から調査依頼でも出してくれれば楽なのだが」

『私の権限はあくまで操縦者の管理ですからな。機体の方まで自由にと言う訳には……ラウラさんが自主的に椛さんに機体の整備を頼む、という形なら角が立たないのですが』

「流石に其処まで仲は深まっておらぬ。確たる証拠がない状況では厳しかろうが、実際に探りを入れる其方が頼みだ。すまぬな」

『いえ、お気になさらず。元より母国の問題ですので』

 

 決めるのは互いの大雑把な役割分担のみ。細かい段取りは必要ない。そんなものが無くても、この翁は必ずや事を成し遂げる。其の能力があるからこそ、女尊男卑の世においても相応の地位にあるのだから。

 

「念のため私の方から裏技(・・)の方も手配しておこう。彼奴も話を聞けば協力してくれよう」

『そうですね、お願いします。では、私は早速動きますのでこれにて――』

「ああ、待て。最後に一つだけ言う事がある」

 

 通信を切りかけた相手を引き留める。何事かと怪訝な様子が姿は見えずとも感じられた。

 確かに本題の話は既に十分だ。ただ、個人的に言いたい事が残っていた。

 

「先の話に戻るのだが……ボーデヴィッヒは拠り所を求めて力に執着していた。しかし、其れ以外に彼女に拠り所が無かったとは思わぬし、其れを探すためにお主が力になれなかったとも思わぬ。立ち入る事を言うようだが、臆していては何事も善い方向には進まぬぞ」

 

 強烈な死のイメージを刻み付けられてしまったボーデヴィッヒが、其れから逃れるために力に拠り所を求めるようになったのは仕方が無かったのもしれない。

 だが、研究所を潰してヴェルナー殿が引き取った段階で、果たして他に道は無かったのだろうか。本当に此の翁は彼女の力になれなかったのだろうか。

 私はそうは思わない。彼が、彼女を相応の覚悟を以て引き取ったのであれば。

 

『…………ふふ、貴方には敵いませんな』

「言う暇があれば改める努力をせい。伊達に歳を喰っている訳ではないのであろう?」

『これは手厳しい……ですが、そうですな。この老骨にも、まだ悔い改める事が許されるのであれば、そうさせて頂きましょう』

「ああ、そうするがよい。ではな」

『はい、失礼します』

 

 きっと彼にも事情があるのだろう。十年の付き合いとは言え、彼の全てを知っている訳ではない。何かしらの理由があるのかもしれないし、或いは単に深く関わる事に尻込みしているだけかもしれない。そして、其れは私がとやかく言うべきことではないだろう。

 それでも私は彼の背中を押した。彼にとっても彼女にとっても、このままでいるのは良く思えなかったから。

 此の節介が善き流れを導くことを願うばかりである。通信の切れた端末を懐に仕舞いながら、そう思った。

 

「此方の用件は片付いたぞ。そろそろ出てきたらどうだ?」

 

 そして語りかける。薄暗い廊下の影に潜む気配へと。

 

「あらら……相変わらず鋭いわねぇ。前より本気で隠れていたんだけど。何時から気付いていたのかしら?」

「一夏坊を撒いた辺りだ。気配は感じなかったが、妙な視線が感じられたのでな。どうせ模擬戦も見ていたのであろう」

「ご名答よ」

 

 影から現れたのは会長殿であった。何時もの胡散臭い笑みを湛えた彼女の返答に、やはりと納得する。大した腕前ではあるが、此方は経験の桁が違うのだ。早々出し抜かれる訳にはいかない。

 大方、派手な真似をした此方に探りを入れに来たのだろう。私としても訪ねる暇が省けたので助かったと言えば助かったのだが。

 

「それにしても模擬戦の最後のアレ、何だったのかしら? いきなり光ったと思ったら何も起こってないし、そうかと思えば相手の子が借りてきた猫みたいに大人しくなっているし」

相互意識干渉(クロッシング・アクセス)だ」

「はい?」

 

 妙な隠密技術の張り合いはさて置いて、会長殿が尋ねてきた疑問に即座に応える。間を置かずに返答が返ってくるとは思っていなかったのだろうか。会長殿が珍しく呆けた声を漏らす。

 仕方がないと溜息を零し、もう一度言ってやる事にする。

 

「だから、操縦者同士の波長が交わることで起きる相互意識干渉だ。名前くらいは聞いたことがあろう?」

「それは確かにあるけど……意図的に起こせるなんて情報は聞いたことが無いわよ」

「当たり前だ。公表しておらぬからな」

「……はぁ。ISにはよく分からない機能や現象が付き物だけど、いい加減に製作者も少しは明かしてくれないものかしら。そこら辺どうなのかしら、妹さん?」

「そうさな、物騒な使い道が無くなれば私たちも気兼ねせずに済むのだが」

 

 ISに関わる世の誰もが思っていそうな質問は、流すことで遠回しに拒否させてもらう。私の一存では決められぬし、何よりも時期尚早であろう。

 ISが世に出て十年。それ程の月日が経って尚、其の全貌は明らかにされていない。生みの親である姉者に種明かしを、と期待する者も居らぬ訳ではあるまい。

 気持ちは分からないでもないが、中身を知る身としては口を閉ざさざるを得ない。例え現状で全てを明かしたとしても、起こるのは混乱だけであるのは明白なのだから。

 

「そんな事よりも話すべき事があろう。先の通信、聞いておったのであろう」

 

 仮にも協力関係を結んだ相手、個人的な興味を優先するほど愚かではあるまい。喫緊の問題を引き合いに出せば、会長殿は残念そうに肩をすくめた。

 

「仕方ないわね……あのドイツの代表候補生、ラウラちゃんだったかしら? その子の機体に何か仕組まれているかもしれない、とかいう話だったみたいだけど」

「うむ、事が起きるとは限らぬが、念には念を入れるべきだ。其方も注意しておくよう願いたい」

「言われずとも、よ。入って間もないとは言え学園の生徒。不埒者に手を出された可能性があるというなら放っておく訳にはいかないわ」

 

 威風堂々とした物言いは頼もしい限りだ。此れならば仮に何か起きたとしても、大事にはならずに済むだろうと心持ち気が楽になる。無論、何も起きないのが最善ではあるが。

 

「しっかしまあ、立て続けに問題が起こるものね。これは試合形式を変更して正解だったわね」

「……何の話だ?」

 

 何気なく会長殿が発した言葉に疑問を抱く。試合形式とは今度の学年別トーナメントに関わることだろう。其れが変更とは如何なる事か。

 私が首を傾げる事を予期していたのか、会長殿はニコリと微笑みながら一枚のプリントを手渡してくる。何となく彼女が私の下に来た理由の一つのだろうと察し、手早く其の内容に目を通して見た。

 

「より実践的な模擬戦を行うためにタッグ制に変更……? また唐突だな。月末までそう時間もある訳でもあるまいに」

 

 率直な感想として、随分と急に感じる変更だ。参加する生徒側としても個人戦とタッグ戦では勝手がまるで違うし、運営側としても煩雑さが増すとしか思えない。一見して変更の利点は薄い。

 だが、こうして書面として記されているからには既に決定事項なのだろう。そして変更するからには理に適った論理の下に行われたと考えられる。

 用意の良い彼女の事だ。其の説明の準備も出来ているのだろう。

 そう当たりを付けて目を遣れば、案の定、会長殿は口を開いた。

 

「直接の理由は先月の無人機騒動ね。貴方の傍迷惑なお姉さんが起こした」

「……いや、うむ。其れはすまなかったな」

 

 語り出しに耳に痛い話が出てきた。姉者に制裁を加えた後、改めて会長殿には事の仔細を説明したのだが、あの時の驚きを越えて呆れ返った様子は記憶に新しい。妹として申し訳ない限りである。

 さしもの姉者も素麺地獄で懲りたようだ。今後、余計な真似はしないだろうが……と余計な方向に思考を飛ばしていると、会長殿の話が続く。

 

「まあ、動機は兎も角として、似たような事態が起きた時の対策はしておきたくてね。タッグ制にすることで、いざという時に複数人で自衛を出来るようにするっていう意図があるのよ。他にも長ったらしい試合日程を短縮したいとかいう理由もあるけど、大筋はそんな感じね」

 

 説明を聞き、成程と納得する。切っ掛けが切っ掛けだけに何とも微妙な気分だが、理由としては至極真っ当なものだ。私としても否やは無い。

 いや、待てよ。そうなると――

 

「ううむ…………」

「あら、何か問題があったかしら?」

「いや、そういう訳ではないのだが……タッグとなると、一夏坊がまた面倒事に巻き込まれそうだな、と」

 

 誰と組むかを決めるために女子がすったもんだの大騒動を繰り広げ、其の煽りを喰らって痛い目に会う一夏坊。脳裏に浮かんだ光景は非常に現実味のある生々しいものだった。

 会長殿が持ってきたプリントからして、既に生徒への周知の準備は整っているのだろう。もしやすれば、今まさに想起した事と同じ目に会っているかもしれない。

 

「……何をしているの? 急に目を閉じたりなんかして」

「少しばかり、黙祷を」

 

 女子の身である私は彼を救う術を持ち合わせていない。故に、せめて祈らせてもらおう。

 ――強く生きろ、一夏坊。

 

 

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