「大神さん、起きられましたか? もうすぐ朝食が出来上がりますよ」
次の日の朝、間宮の声に目覚めると、大神の視界が歪んでいた。
あれ? と思いながら身体を起こそうとしたが、上手いこと体に力が入らない。
それでもならばと勢いをつけて起き上がろうとした大神だが、上体を起こした勢いのまま横に転がり落ちそうになる。
「大神さん?」
食事を作っている間宮の代わりに、大神の様子を見ていた伊良湖が大神を抱きとめるが、その体は明らかに熱かった。
力なく伊良湖にうな垂れかかる大神の大き目の鼓動が聞こえ、伊良湖の顔が赤くなるが、明らかに異常な大神の体調に、恥ずかしがってる場合ではないと気を取り直す。
「間宮さん! 大神さんの身体、すごく熱いです!!」
「本当? ちょっと待って、体温計で熱を計って、明石さんを呼んでこないと! 体温計は……」
「大神さんのベッドの近くなんですが、伊良湖は手が離せなくて……」
「すまない、伊良湖くん、今離れるから……」
離れようとする大神だったが、その腕には明らかに力がない。
それより、伊良湖の手で寝かせなおしたほうが早い。
「無茶しないでください、大神さん。今寝かせますから」
そう言って、伊良湖の手には少々重い大神の身体をベッドに横たえなおそうとする。
「伊良湖ちゃん、私も手伝うわ」
コンロの火を止めた間宮が、伊良湖に手を貸し大神を寝かしつける。
横になった大神に脇で測る体温計をセットし、布団をかけ直す。
「私は明石さんを呼んでくるわ。だから体温計の音が鳴ったら大神さんの体温を確認してね、伊良湖ちゃん」
「あ、はい!」
そうして間宮がパタパタと明石を呼んで来た。
明石と共に間宮が急いできたときには、体温の計測も終わっている、その結果は――
「38度6分? かなり高いですね。大神さん、昨日身体を冷やしたりしました?」
「……少し。体を拭くのに時間をかけたから、それで身体が冷えてしまったのかな」
本当は身体を拭くこと以外で時間がかかってしまったのだが、流石にそこは言葉に出さない大神。
「あー、多分それですね。汗をかいて気持ち悪いのは分かりますが、時間をかけすぎてはダメですよ。大神さんは、本調子ではないんですから。間宮さんも」
「……それは。ごめんなさい」
「いや、間宮くんは最初身体を拭かずに寝るよう、薦めてくれたんだ。俺が自分の意見を押し通したんだから間宮くんは責めないでくれ」
明石に謝ろうとする間宮を遮って、床に就いた大神がかばう。
「……はぁ、大神さん。じゃあ、これからは間宮さんの意見に従ってくださいね。あなたは病人なんですから」
「返す言葉もない、そうさせてもらうよ」
「明石さん、食事は昨日と同じで大丈夫かしら? そのつもりで作っていたのだけど」
「ええ、それで大丈夫です。大神さんが食べられる範囲で食べさせて下さい。あとは――」
念のために発熱以外の症状がないか、大神の身体を一通り確認する明石。
どうやら発熱に伴う諸症状以外については大きな問題はなさそうだ。
「うん、大丈夫ですね。じゃあ、大神さん、もう一度言いますが、これからは間宮さんたちの意見に従ってくださいね」
「分かった、明石くん。肝に銘じるよ」
そう言って明石が部屋を後にする。間宮も明石を部屋まで送って行く。
大神の部屋に残される伊良湖と大神。
横になった大神の熱のこもった吐息が何度も繰り返されている。
伊良湖はそんな大神を潤んだ瞳で見ていた。
「ごめんなさい、大神さん……伊良湖が、変な勘違いをしてしまったせいですよね…………」
「気にしないでくれ。あれは事故みたいなものだから」
「でも、そのせいで大神さんをこんなに苦しめて……伊良湖、お世話役失格ですね」
「そんなことはないよ。もし君が居なかったら、朝あのままベッドから転げ落ちてた。どこかぶつけてたかもしれない。そうならずにすんだのは伊良湖くんのおかげさ」
「……ありがとうございます、大神さん。間宮さんが戻ってきたら朝食の準備をしますので待っていて下さいね、寒くはないですか?」
今、言葉をつむぎだすのも一苦労だろうに、大神は伊良湖を元気付ける為に声をかける。
それを理解したのか、伊良湖は笑った。
そして、間宮たちに朝食を食べさせてもらった大神はうつらうつらとしていた。
間宮は甘味処の開店準備をしに、伊良湖は洗濯物を出しに行った。
独り、大神は取りとめもないことを考え始める。
そう言えば、こんな風に寝込むのはいつ以来のことだっただろうか。
少なくともこっちに来てからは一度もないし、仕官学校時代も、総司令時代もなかった筈だ。
もしかしたら、故郷に居たとき以来になるのだろうか、などと。
「子供のとき以来かな――」
そのせいだろうか、心が酷く幼く弱気になっていることに気付く。
今苦しんでいるのは、自分一人なんじゃないだろうかとさえ思う。
高熱のせいだと解っていても、孤独感だけは拭えない。
人恋しい。
そんな風にさえ感じてしまう。
寂しささえ感じる中、大神は浅い眠りに就いた。
熱のせいでうなされながら。
「大神さん、大丈夫ですか?」
そんな時、手が大神の額に伸ばされた。
熱でうなされている大神の額よりは冷たい、だが暖かな手のひら――
その体温が心に染み込んでくるようで。
孤独感を拭ってくれるようで。
「……母さん?」
思わず、目を開けることもなく、大神は子供の頃に戻った感覚のまま愛おしげに呼ぶ。
「ええっ、母さんって?」
戸惑ったような声が聞こえてくる。
その声に我に返って目を開けると、そこに居たのは伊良湖であった。
伊良湖が大神の額に手を伸ばしたのが原因かと、手を引き戻そうとしているのを見て、大神はその手を握る。
「大神さん?」
伊良湖の表情が困惑に彩られる。
「もう少し、このまま額に手を置いていてくれないかな……冷たくて、でも暖かくて気持ちがいいんだ」
「……はい、伊良湖の手でよろしければ」
作業を中断して、伊良湖はベッドに腰掛けて大神の額に手を置く。
ああ、やはりその体温が心地よい。
熱でうなされていた大神の孤独感が消えていく。
「それにしても、大神さんもそういう事あるんですね」
「何がだい?」
「伊良湖のこと母さんって、寝ぼけてたんですか?」
「あ、いや……それは…………」
自分の失言にようやく気づいたのか、顔を赤くする大神。
その様子を見てクスクスと伊良湖は笑う。
「いいですよ、母さんが大神さんが眠るまで傍にいますね。額に手を当てる以外に何かして欲しいことはありますか? 子守唄でも歌いましょうか?」
「伊良湖くん……ああ、お願いしてもいいかな?」
「はい、伊良湖ママにお任せ下さい」
「伊良湖くん、それは流石に勘弁してくれ……」
伊良湖にからかわれて赤面する大神だったが、歌い始めた伊良湖の子守唄を聞いているうちに、意識が揺らいでいく。
そして手から力が抜けていき、大神は安らかに眠りに就いていった。
しかし、伊良湖は大神の額からしばしの間手を放さず、大神の寝顔を見詰め続けていた。
大神を伊良湖は多分艦娘の中で始めて、かわいい人だと思った。
そして、こんな大神を独り占めできることが嬉しいと思った。
「伊良湖……くん」
寝言で大神が一言、自分の名を呼ぶ。
ただ、それだけ。
だけれども、それが嬉しくて仕方がなかった。
バブみ