自分の座席兼ベッドですうすうと寝息を立てて熟睡する川内。
無理もない話である、二晩も眠れていなかったのだ。
身体の疲れもたまっていただろうし、ここはゆっくり寝かせてあげるべき時だ。
「ん……大神さぁん…………」
時折、寝言で大神の名を呼んでいる、一体どんな夢を見ているのだろうか。
そんな川内を優しげな眼差しで見守っている大神と鳳翔。
川内の座席には今、川内が寝ているため、二人は大神の席に並んで座っている。
人懐っこい、言い方を換えれば騒がしい川内が寝ている今、二人の間には多くの会話はない。
給湯器で入れた緑茶や紅茶を飲みながら、静かに時を過ごしていた。
「鳳翔くんは列車に乗ってからこの三日間、外に出たりしていないけど、大丈夫かい?」
「ええ、私はこれがあれば」
大神の問いにそう返して、鳳翔は花束を取り出す。
昨日の朝、駅で大神が購入した花束、それをいとおしそうに見つめる鳳翔。
鳳翔が花が好きだと知らなかった大神はこれまでにも花をプレゼントするべきだったかなと思う。
「そんなに喜んでもらえるなら、有明に戻ったら鎮守府に花でも飾ろうか?」
「いえ、気を使って頂かなくてもいいですよ。それに、ただの花じゃなくて、隊長からのプレゼントだから、こんなに嬉しいんです」
「じゃあ、今回の任務が終わって有明に戻ったら、慰労を兼ねて何かプレゼントするよ」
「ふふっ、お気持ちだけ頂いておきますね。有明で特定の艦娘にプレゼントなんてしたら、鹿島さんや金剛さん、明石さん、間宮さんたちに瑞鶴さん、あと川内さんもみんな黙っていませんよ」
「あはは……それもそうだね…………」
そうなったときの光景を思い描いて、冷や汗を流しながら答える大神。
「それに……」
「鳳翔くん?」
そう言いながら、鳳翔は大神のすぐ横に近づく。
大神にもたれかかりながら目を閉じる鳳翔、それだけで大神の存在を、鼓動を感じる。
大神の私服を軽く掴んで、ピタリと寄り添う鳳翔。
「こうして隊長と二人で、穏やかな時間を過ごせる。のんびりと列車に乗って風景を、旅を楽しめる。それだけで私は満足なんです」
「そうか。だいたい半分が過ぎてしまったけど、残りの期間も楽しめるといいね、鳳翔くん」
「大丈夫ですよ。隊長がいて、私が居る。それだけで十分ですから。あ、でも――」
指を立てて考え込む鳳翔。
何か気になることがあったのだろうか。
「なんだい?」
「昨晩や、今朝のような騒動は控えて下さいね、隊長?」
「……肝に銘じておくよ」
昨晩、大神に酒を飲ませた男たちは、先程大神に一声かけて降りて行った。
それに大神も流石にこんな短期間に同じ過ちを二度繰り返すつもりはない、大丈夫な筈だ。
「隊長。もし、今朝のように起きたとき、私が川内さんと同じように貴方の腕の中に居たら、川内さんと同じように『結婚して欲しい』って言って下さいましたか?」
「え……」
続く鳳翔の言葉に、一瞬言葉を失う大神。
だが、すぐに気を取り直す。
あの言葉は川内だから、鳳翔だからと変わるものではない。
男として責任を取る為のものなのだから。
「ああ、もし俺が君たちを、鳳翔くんに手を出したと、穢したのだとしたら、その責任は取った」
「ふふっ、そうですか♪」
大神の答えに満足げな表情を浮かべて鳳翔は大神と腕を組む、若干嬉しそうだ。
「どうしたんだい、鳳翔くん?」
「いいえ、なんでもありませんよ♪」
そんな二人の間にはしばらく沈黙が流れる。
けれども、その沈黙は二人にとって苦にならない。
川内の寝息をBGMに鳳翔の望んだ、穏やかな時間が過ぎていく。
やがて、列車の右手に大きな湖が見えてくる。
世界最大の透明度を持つバイカル湖だ。
湖の色は透き通ったきれいな青、湖岸からの景色はなんとも美しい。
「綺麗な湖ですね」
「ああ、そうだね」
と、列車が停車する。
駅でもないのにどうしたのだろうか。
部屋の扉が叩かれる、どうやら車掌のようだ。
流石に他人に見られるの恥ずかしいらしく、鳳翔は大神から少し離れる。
「俺が出るよ」
大神が部屋の外に出て車掌と話し合う。
車掌がチラチラとこちらを見ながら、大神と話し合っている。
一体何の話をしているのだろうか。
しばらくして話を終えたらしく、大神が振り向く。
「鳳翔くん、ちょっと異例だけど、提督華撃団の出番だよ」
その数分後、二人の姿は湖の上にあった。
光武・海は日本においてきたため、警備府の時のように大神は鳳翔に抱き付いている。
川内は未だ熟睡していた為、部屋に鍵をかけて寝かせていた。
「ここ最近、不審な影がバイカル湖南方で見られるらしい。もしかしたら深海棲艦かもしれないから、確認してくれないかと頼まれたんだ」
耳元で囁かれる大神の声に鳳翔は頬を紅に染める。
けど、曲がりなりにも提督華撃団としての出番なのだ、気は抜けない。
「――でも大神さん、深海棲艦は海にしか出現しないのではありませんでしたか?」
「ああ。そうなんだけど、万が一深海棲艦だった場合、シベリア鉄道が損害を受けたら被害は甚大だからね。かと言って、海の防衛の任務に就いている艦娘をわざわざその為だけに移動させるのも惜しい。それで、シベリア鉄道に乗っている俺たちに確認して欲しいんだってさ」
「なるほど、分かりました」
「ロシアと日本間の調整は済んでいるらしい。早めに確認して列車に戻ろう」
「はい」
大神の言葉に納得した鳳翔が矢を放ち、艦載機を飛ばす。
「ですが、こうやって隊長が出てこられなくても」
「何を言ってるんだい、君たちの隊長として君だけを行かせるわけにはいかないよ。まして、君は空母だ、何らかの形で先制攻撃を受けたら危険すぎる」
「あら、私のことを心配していただけるんですか?」
「勿論だよ」
そうこうして話し合っている内に、飛ばした艦載機からの連絡が入る。
「影を目視で確認できる距離まで近づいたそうです、確認結果は――」
一瞬緊張する二人。
艦載機からの続く報告を待つ。
「――バイカルアザラシの群れ、だそうです」
「アザラシの群れ?」
「はい、ただのアザラシです」
黙りこくる二人。
やがて――
「ははっ」
「ふふっ」
二人は笑い出す。
緊張していたこと自体が滑稽に思えてくる。
「あははははっ、ただのアザラシに華撃団が出撃、ははっ」
「そうですね、うふふっ」
そんな風に二人が笑いあっていると、日が西の空に沈んでいく。
夕日を受けて湖が黄金色に輝く。
「綺麗――」
「ああ、綺麗だね。それに静かだ」
その様子をしばらく抱き合ったまま眺める二人。
「隊長……いつか、この湖のように海を、静かな海を取り戻せるのでしょうか?」
「ああ、必ず取り戻すよ。だから鳳翔くんも力を貸して欲しい」
「ええ、そして静かな海を取り戻したら――いつか、いつか今度は――ふたりで」
「今度は? なんだい、鳳翔くん?」
最後の言葉を聞き逃した大神が鳳翔に問いかける。
「いえっ、何でもありません、隊長。艦載機を収容したら戻りましょう。川内さんもそろそろ目覚めている筈です」
「ああ、そうだね、目的は達成したし戻ろうか」
そして、二人は湖岸の列車へと戻るのであった。
隊長――
あなたは知らないのかもしれないけど、
この列車に乗ってから、あなたのすぐ傍で時を過ごしはじめてから、
毎日――そう、毎日、あなたが好きになる。
おとついより昨日、昨日より今日の――
ううん、今こうして私を抱き締めてくれているあなたが一番好き。
こんな幸せがずっと続いたらいいのに思ってしまう私は、多分わがままなんでしょうね。
赤城さん、加賀さん、いえ、空母の皆さん、そして川内さん、ごめんなさい。
もう少しだけ隊長を独り占めさせてもらいますね。
そして、静かな海を取り戻したら、今度はふたりで、ふたりきりで、旅を――
テーマ、砂糖控えめな穏やかな時間。
川内がかなりドタバタ気味で甘めだったので。